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チベットで騒乱 

2008年3月17日 3日遅れて、重大なニュースを知りました。14日に起きた“チベット騒乱”です。

 滞在中のカイ(Kayes,Mali)のネットカフェでは日本語の表示がされず、自前のPCも使えなかったので、ニュースは専ら英語のサイトから得ました。貪るように英語の文章を読み漁り・・・、初めに思ったこと。

 嗚呼、やっぱり起きてしまったか・・・

 ちょっとチベット問題に興味のある人なら、予感していたのではないでしょうか。私が旅した2006年夏のチベットには、すでに異様な空気が溢れていました。その空気は、過去50年間、常にあったものかもしれません・・・。
 2008年オリンピックイヤーに、きっと何かが起こる。私にはその予感がありました。平和的なデモ行進ぐらいで終わることを願っていましたが・・・、残念ながら暴力的なものになってしまいました。中国政府の対応も予想の通りでした。あの国の政府は、天安門事件から何か進歩してるんでしょうか・・・?

 私が中国政府のチベット政策に否定的なのは、このブログへのいくつかのエントリーで明らかのことでしょう。一部繰り返しになりますが、私が見聞きした、チベット自治区における中国中央政府の虚偽・過ちを紹介させて頂きます

→過去のエントリー 熱烈重祝?

■ 1950年の人民解放軍による侵略以降、この56~57年の間、チベットの人々が中国による支配を“熱烈重祝”したことなどあるのでしょうか・・・?もしかしたら、一部のチベット人の間にはいるのかも知れません。が、大半のチベット人が中国によるチベット支配に否定的なのは確かです。


ポタラ宮殿は、チベットの政治・宗教の中心であり続けた、チベットで最も由緒ある建物。ダライラマ14世のインド亡命を期に、中国政府の管理下に置かれました。
 そんなポタラ宮殿の正面には何があるかご存知でしょうか?幅の広い北京西路(中路だっけ?)を挟むと、大きな広場があります。そこには、国旗掲揚台があって、真っ赤な中国国旗が真っ青なチベットの空にはためいています。
 この光景、どこかで見たことがあります。どこだと思います?中国北部を旅行したことのある人なら、かなりの確率で訪れているのではないでしょうか。北京の中心、『天安門広場』ですよ。
 この広場、数年前にチベット開放50周年記念か何かの式典に合せて、急ピッチで整備されたものだそうです。式典では、何千何万という人民解放軍、チベット自治政府・中国中央政府の役人たちが立ち並んだそうです。この広場の南端、広場を挟んでポタラ宮殿を向かい合う位置には、『チベット解放記念碑』が立っています。私には、とても、寒気がする場所でした。

→過去のエントリー。このエントリーの2枚目の写真をよくご覧下さい。ポタラ宮殿を眺める


■ エベレストベースキャンプ(EBC)で出会ったチベット人青年・アジャイ。彼は、英国人登山家たちの同行ガイドとしてEBCに来ていました。前職は、警察官だそうです。そんな彼から聞いた話です。
 チベット自治区の警察官は、約8割がチベット人、2割が漢民族だそうです。単純に考えれば、警察(公安)幹部は、8割がチベット人と思われますが、もちろん、そんなことはありません。幹部の大半は、当然!漢民族。一部のチベット人幹部も、中国的教育の中で中央政府に従順になった人々ばかり。
 「出世するのは党幹部や警察幹部に伝のある人ばかり。警察の仕事には矛盾だらけだったよ・・・」アジャイは、警官を辞め、観光業に転職しました。そんな彼ですが、今の生活にも多少の困難・不安を抱えているようでした。
 →その話は新聞連載で紹介しました。
地球みちばた見聞録19話


■ ラサで出会ったチベット人青年。彼には、臨月を迎えたドイツ人の奥さんがいました。チベットを愛し、チベットに通っていたドイツ人女性は、チベット北西部アムド地方で土地のチベット人男性と恋に落ちました。
 で、田舎の町で暮らしていた彼らは、少しでも良い病院(産婦人科)を求めて、区都ラサにやって来たのでした。幸せそうな若い夫婦は、英語で会話していました。ある日、私たちがよく彼と顔を合せていたカフェで、暗い表情の彼が周囲に漢民族がいないことを確認してから、唐突に話し始めました。
 「もうすぐ子供が生まれる。子供が飛行機に乗れるようになったら、嫁と子供は、ドイツに帰すんだ。僕は配偶者として父として、ドイツに住む権利を得たわけだから、一緒にドイツに行って、向こうで新暮らしを始めるつもりなんだ。けど・・・、そこには大きな障害があって・・・。数ヶ月前、パスポートを取りに、地区の役場に行ったんだ。申請を済ませた後、係官は“この地区のチベット人へのパスポート発給業務は停止中だ”って言ったんだよ。停止する意味が解からない!!そもそも本当に停止してるのかどうかも解からない。嫌がらせ以外の何の理由も思いつかないよ。もうすぐ子供が生まれるんだよ・・・。僕は、この国から出ることができないのに。」
 彼にパスポートが発給されない理由はなんでしょう?彼の言うとおり、嫌がらせなのかもしれません。あれからもう1年半が経っています。彼が今どこで暮らしているのかは知りません。何らかの方法(当時、ヨーロッパの人権団体が援護射撃を申し出ていました)をとって、ドイツに辿り付いたのではないでしょうか・・・?そう願います。


■ 老定日の食堂宿で働く彼女は、インド亡命経験者でした。小学校から高校にあたる期間をインドのダライラマ亡命政権の学校で勉強してきました。達者な英語に加え、インドの公用語ヒンディー語も操り、中国語も話します。語学以外の学問も熱心に習得したようで、田舎町の食堂宿にはもったいないぐらいの“優秀”な人物です。
 「私たちインド帰りのチベット人が、中国政府の再教育施設に入れられることはなくなりました。帰国の際は、“中国政府に異論はありません”という旨の宣誓書を書かされるだけです。でも、私たちへの敵視は変わっていません。私たちが政府の仕事につくことは困難です。インドで得た学業の成果が、チベットの為に発揮できる公職はありません。」
 彼女は、長く離れて暮らした両親のそばで、今もあの小さな食堂宿を切り盛りしているに違いありません。

→過去のエントリーです。インド帰りのチベット人


 他にも沢山、ほんとに沢山のエピソードがあります。2001年に訪れたインド、ダラムサラ亡命政権の人々や亡命チベット人の話も含めると、相当な数になります。すべて紹介したいぐらいですが、どこまでも時間を使いそうなので、止めときます。

 中国政府による、チベットの侵略・搾取・文化侵害・自然破壊に関する情報は、ネットや書籍に溢れています。もっと知りたい方は、ご自身で探して、知って下さい。

 ご注意頂きたいのは、それらの情報全てが「正しい!」と鵜呑みにしないこと。物事を『正義と悪』、『正と誤』に分けることは危険です。悪や誤りを指摘し、自己の正当性を主張するのは、中国政府の得意とするところですよ?

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久しぶりに、サイトを拝見したけど、この記事いいね~。感動したよ。帰ってきたら、チベットの話を詳しく聞かせてね、良いことも悪いことも…

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