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グエルミム5泊目 

2008年5月28日 まさか、5泊目になるとは・・・

 西サハラの首都ラヨーヌから走ること5日間、5月24日にモロッコ南部の町グエルミム (Guelmim)に到着しました。不安を抱えていた大腿筋の痛みは、ラヨーヌ出発後、徐々になくなり、いつも通り強い風の中を問題なく走って来ることができました。

 グエルミム、3泊の休養のつもりでしたが、今日が5泊目。原稿の〆切り前でもないし、体調も落ち込んでいないので、3泊の休憩で十分だったのですが・・・、ちょっと油断したら5泊目です・・・。町自体は、小さな町ですが、中心部はなかなか賑わっていて、宿もキレイなのが揃ってるし、快適な町です。

 4泊目の昨日、インターネットカフェの10時間クレジットを買ってしまったのが間違いでした。モロッコは、ネット料金が安くて、回線も早い、久々のインターネット優等生です。ネットカフェの相場は、1時間3~5ディラハム(約45~60円)。昨日買った10時間クレジットは25ディラハム。つまり、1時間=約38円ですよ!? 安い!! 10時間で380円なんて、ヨーロッパの都会のネットカフェの1時間分ですよ!

 インターネットで色々と調べたいことが溜まっていたのもあり、貧乏性が出てしまったのもあり、10時間クレジットを購入したのですが、1日で10時間もネットサーフできませんでした。体力も気力も使いますね、ネットサーフって・・・。結果、4時間も残ってしまいました。このクーポンは、このカフェでしか使えません。4時間分(10ディラハム相当)のクレジットを捨てきれず、わざわざ滞在を延長してまで、残り時間を使い切ることにしました。そのために、宿代40ディラハム払うって・・・、損? じゃないですよね。ですよね?ね??

 あと1時間ほどで、残りの(インターネットカフェの)クレジットがなくなります。だから、グエルミムは明日には出ます。これから向かうのは、アルジェリア国境に近いタッタ(Tata)というオアシスの町。更には、シェガガ砂丘をかすめ、砂漠の町・ザゴラを目指します。

Guelmim Piiiizza!!
写真)4泊目の晩御飯。イタリア帰りのモロッコ人が経営(?)するピザ屋で食べた、ピザ・マルガリータ!! 2人前のMサイズ(私の腹6分目サイズ)で30ディラハムでした。味は、私が作った方が美味いかな・・・。ピザ大好きっ子で、自分でピザを焼くこともできる私。期待し過ぎてしまうのが良くないんでしょうね・・・、イタリア以外の国で食べるビザには、9割方ガッカリします・・・。
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ラクダ・・・、買いたいなぁ 

2008年4月18日金曜日 ラクダ市に行きました。

 木曜の晩、ヌアクショットの快適な宿オーベルジュ・メナタの中庭で。この宿に住んでいるモーリタニア在住のスコットランド人モハンメッドが、言い出しました。 「明日、ラクダ市に行かないか?」 「いいねぇ!」その場にいた全員の参加が決まりました。サハラを愛しラクダを飼う遊牧民となったモハンメッド(2年前にムスリムになり、以来ムスリム名を名乗っている)と、オーストラリア人ライダーのマット、ドイツ人女性のリア、フランス人オーバーランダー(車で旅してる人)のジュリアン、そして日本人サイクリストの私。
 金曜の朝8時、5人を詰め込んだタクシーで、ヌアクショットの西16kmのところにあるラクダ市会場へ。

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写真1)ラクダ市です。ヌアクショット中心から西に16kmのところで毎週金曜日やってます。

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写真2)ラクダです。

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写真3)ラクダたちです。

 ラクダを売っているのは、アラブ系やベルベル系の人々。モハンメッドは3年前に、このラクダ市で2頭のラクダを購入、そのままサハラへ入り、遊牧民たちと暮らし始めました。が、盗賊にラクダもテントも強奪されてしまったらしく、遊牧生活に戻るための物品&資金調達のため、この半年はヌアクショットで英語教師をしているそうです。ちょっと風変わりなムスリムのトゥバブ(白人)は、とても顔が広く、市場のあちこちで知人を見つけては挨拶に忙しそうでした。

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写真4)ラクダも喧嘩します。主な攻撃は、噛み付き! 喉や足などに噛み付く!!

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写真5)ラクダの足です。逃げないように前足を縛られています。ラクダの足の先はひづめではなく、ぷっくりふっくらした脂肪で覆われています。広くて柔らかい足の裏なので、砂の上でも沈むことなく歩けます。
 ※前足を縛られたロバはコチラ→

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写真6)ラクダたちと、売買交渉中の人々。

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写真7)一通りラクダを観察し、いつくかのテントを覗いた後、モハンメッドの知人のテントに行きました。お茶をご馳走になりました。西アフリカ・マグレブ諸国のお茶は『アタイ』という、茶葉を煮詰めた濃厚なお茶に、砂糖をたぁ~っぷり溶かします。3杯頂くのが礼儀です。

モハンメッド「彼はオーストラリア、彼はフランス、彼女がドイツで・・・」
ご主人「この彼はどこから来たんだ?」
こころ 「日本です」
モ 「日本から自転車で来たんだよ!3万3千kmも走って!」
主 「ジャポンって・・・、名前は知ってるけど、どこにあるんだい?」
モ 「あっちが北、こっちが東。ラクダは1日30km歩ける・・・。ココ、教えてあげな。」
心 「えぇっとね・・・、こっち(東北東を指し)に、ラクダで真っ直ぐ3年旅したら着くよ。」
主 「遠いなぁ~!!」
一同 爆笑! 


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写真8)かわいい娘さん。自分が写ったデジカメのモニターに大興奮!!

 ちなみに、ここで売買されているラクダの相場は、大人でも子供でも同じ、料金は毛の色で決まります。白毛のラクダが600ユーロ。茶毛のラクダが300ユーロ。の違いは、毛の色の違いでしかありません。つまり、それ以外の違いはないということ人々は白いラクダを好むので、2倍も料金が違います。

 自称『サハラの遊牧ケルト系スコットランド人』モハンメッドのおかげで、楽しいラクダ市見学となりました。

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写真9)ラクダの顔を真下から見ると・・・、ちょっと気持ち悪い。

旅のゴールが無くなった!? 

2008年5月24日 実家が引っ越すそうです。

 私の実家は、福岡市にあります。詳しいとこまで言うと、早良区原2丁目。私はその家に、12歳ぐらいから24歳ぐらいまで暮らしていました。私の人生の3分の1ぐらいを過ごした家です。父が勤める会社の借り上げ社宅で、当初は、両親と兄妹4人の6人で暮らしていました。兄妹は、兄から順番に独り立ちしてゆき、この春には末の妹も出て、今は父と母だけが暮らしています。
 2005年、東京からUターンした私は、4~5ヶ月間だけ、実家に住まわせてもらってました。ニートじゃないですよ、仕事してましたから。その時戻した住民票は抜いていないので、私の現住所は、その実家ってことになります。私、『住所不定無職』ではないんですよ!遊牧民みたいな生活してますが、住所もあるし、職もある☆

 で、その実家が近々引っ越すことになります。というのも、50代半ばの両親が、数年後の父の退職後のこと(社宅なので退去しなきゃなりません)を考えて、マンションを購入したからです。引っ越す先は、今の実家から徒歩3分ぐらいのところ。町名は変わりますが、道路1本隔てただけなので、住環境は何も変わりません。母が買い物に行くスーパーも変わりませんし、私たち兄妹が帰省した時に行くコンビニも変わりません。

 でも、これで、ちょっとした問題が発生します!

 私の旅のゴールがなくなってしまった・・・、のです。私の旅は、世界一周の旅。地球をぐるりと回ります。旅のスタート地点は、実家の玄関先でした。「行ってきまぁ~す!」と言って走り出した場所が、スタート地点です。だから、地球を自転車で一回りした後のゴールは、そのスタート地点であるべきだと思いませんか??

 実家の玄関で「ただいまぁ~!」って言って、自転車を降りるのが、私の旅のゴールの瞬間です!

 でも、1~2年後にスタート地点に戻る時には、その玄関が、他人の家の玄関になってしまっています・・・。  「ただいま!」って言う相手が、見知らぬおじさんだったら・・・、私も終わった気がしませんよね、きっと。それに、言われた方も迷惑でしょう・・・。

 困りました・・・。どうしましょう?? ゴールが無くなってしまった・・・。

 ん?? あっ!? でも!! 出発の晩、家族が並んで、玄関の前で見送ってくれたんでした!!

 ってことは、何も玄関の内側でなくても良い訳ですよ! 良かった良かった☆ 何も問題はなさそうです。

 
 2010年の晩秋(もしくは、2011年の春)、世界一周を終え、日本縦断も終えた私は、福岡市のどこかに設ける儀式用のゴールに飛び込みます。福岡タワー前が良いかな?ドーム前にするか?天神のど真ん中?? まぁ、どこでも良いか・・・。旅の終わりが見えてきたら、本格的に考えるとします。

 で、儀式用のゴールを潜った後、こっそりと、本当のゴールに飛び込みます。福岡市早良区原2丁目の旧・実家の玄関の前に。新しい実家から徒歩3分ですから、その本当のゴールに飛び込んだ後、新しい実家に向かえば良いんです。自転車だと30秒くらいの距離ですよ。
 あっそうそう、友人・知人・支援者の皆さんは、儀式用のゴール前で迎えてください。この本当のゴールを見守るのは、家族だけが良いです。沢山人が居ると恥ずかしいでしょう? 


写真)2005年12月3日の夜、出発する私の姿です。見送りに来た兄が撮影しました。この場所が、私の旅の『本当のゴール』です。

旅立ちの日のエピソードはこちら→ 行ってきま~す

犬と亀と私 



2008年4月23日 この宿には犬と亀が2匹ずついます。

 ヌアクショットの宿はオーベルジュ・メナタ。静かな庭と共同キッチン、ちゃんとお湯の出るシャワーがあり、欧米人に人気の宿。スタッフたちも陽気で親切そのもの。ついつい長居してしまうのも肯ける、感じの良い宿です。私、この宿に1ずいぶんと長居しています・・・。理由はいろいろですが・・・、

 何が良いって、可愛い犬たちがいること★ ストレス発散、癒し効果は抜群です。

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写真1)スマは、フランス出身の牧羊犬のメス。雑種なのでしょうか、片方ずつ目の色が違います。右目は青くて、左目は茶色。

 スマは、宿泊客と遊ぶのが大好き。庭の小石を拾ってきては、ベンチで寛ぐ客の前にポトリと落とし、「投げて!投げて!」という熱視線を送ります。その熱視線に負けたが最後、客は10回20回と小石を投げなければなりません。私、見事に負けました。負けっぱなしです。暇さえあれば、というか、スマのお誘いがあれば、いつも石を投げています。スマの涎まみれになった小石を拾っては投げ、拾っては投げ。キャッチボールを繰り返しています。


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写真2)スワティは、スマの娘で、モーリタニア出身。この子も片方ずつ目の色が違いますが、母親とは逆で右目が茶色で、左目が青い。

 スワティは、いつも俯き加減の気の弱い娘。私が何か食べてると、目の前に座り、上目遣いで私をじっと見ています。たまに、頼んでもないのに、『お手』をしてくることも・・・。ここでも私、負けています。負けっぱなしです。沢山はあげませんが、一日何度もスワティに食べ物を分け与えています。

 スマもスワティも、フランス語しか理解しませんので、私が話しかけても反応はありません。でも、私のフランス語にはキチンと反応します。賢い犬って、良いですね。癒しです、癒し。


 そういえば、この宿、もいます。それもデカイ!のが

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写真3)亀たち。大きな陸亀です。小さな方は持ち上げてみましたが、10kgはゆうにありそうでした。


 ヌアクショットの穏やかな空気に癒され、宿のペットたちに癒され・・・。気がつけば13泊も・・・。おかげで、十分休養できました。

コーヒーのあるひととき 

2008年4月19日 最近、コーヒーばかり飲んでます。

 4月、なんとなく始めた『炭酸飲料断ち』でしたが、1週間と続きませんでした。やはり、コーラは美味い★

 そんなコーラジャンキーの私ですが、実はこの4月から、コーヒーも沢山飲むようになりました。もともと私、コーヒージャンキーなのです。社会人時代、毎日5杯以上のコーヒーを飲んでいました。時折、依存症気味になります・・・。

 今回のコーヒー依存症のきっかけは、マリ・ジェンネの妹の家でのコーヒー。コーヒーといえば、ネスカフェのインスタントコーヒーしか存在しないような世界ですが、妹の家には“豆から挽いた本物”がありました。ジェンネを訪れた大学教授の置き土産とのこと。ジェンネ滞在中は、香りの良い本物を何杯も楽しみました。
 で、その後・・・、機会があれば豆を購入しようと思っていましたが、なかなか見つからない・・・。どこに行ってもネスカフェばかり。仕方なく、ネスカフェで我慢していましたが、ダカールで本物に巡り逢いました。ダカールには、フランス資本のスーパーCASINO』があるのです★

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『写真1)これ!これ!ダカールで購入した本物のコーヒー! CASINOオリジナルの安物ですけど、安くはなかった。ちなみに、隣のコーラのボトルはコーラじゃないですよ、中身は醤油です。

 高いけど、買っちゃいました。以降、3週間ほど、このCASINOの安物だけど安くない本物のコーヒーを楽しみました。が、昨日18日に無くなってしまいました・・・。ここヌアクショットにも、外資系(?)のスーパーがあり、コーヒー豆が購入可能ですが・・・、購入するかどうか迷っています。一袋で600円以上しますからねぇ・・・。良いやつだったら、1000円近い。

 とりあえず今日は、セネガルのコーヒー『トゥバ・コーヒー』とネスカフェのブレンド・コーヒーを楽しんでいます。トゥバ・コーヒーとは、コーヒー豆が原料ではなく、サバンナだかどこかに生えてる樹木の皮を原料にしたコーヒーだそうです。セネガルで1度飲んだのですが、意外に美味しかったので、ヌアクショットで、トゥバコーヒーの粉が入ったパックを購入しました。味は・・・、なんと表現したら良いでしょう?なんかの樹木の皮のような香りがします(笑)。セネガル風に、たっぷりの砂糖を溶かして飲んでいます。コーヒーというより、コーヒー飲料ですね。

 さぁ~・・・て、やっぱり本物の豆コーヒーが飲みたいなぁ・・・。買うか?買わないか?? どうしましょうね。

 あっ、でも、ヌアクショットを出ると、しばらくは砂漠砂漠砂漠の旅だから、お湯を沸かして優雅にドリップ、なんて余裕ないのか・・・?ネスカフェの方が楽で良いかも。でもでも、香り高いコーヒーのあるひとときって、素晴らしい癒しの時間ですものね・・・。

 どうしましょうね・・・

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写真2)トゥバコーヒーのパック。杉?松?まぁ、とにかくそんな感じの樹皮の匂いがします。

嗚呼、ストレス・・・ 

2008年5月17日 パソコンが調子悪いぃ・・・

 ラヨーン4泊目。一昨日から、パソコンの調子が非常に悪く、ライター仕事が全然片付きません・・・
 大事なところでフリーズして、原稿打ち直しするはめになったり・・・。送信途中でフリーズしたり・・・。


 決めた!新しいパソコン買います!! 衝動買いは良くないから、これから2週間ぐらい、じっくり吟味して、6月には新しいパソコンをネットショップで買います。

 嗚呼・・・、また大きな出費だな・・・

地球みちばた見聞録・5月14日掲載分について 

 お知らせです

 西日本新聞で掲載中の私の旅行記『地球みちばた見聞録』、2008年5月の掲載日は、5月14日と28日、とアナウンスしておりましたが、14日の掲載は、21日にスライドとなりました。

 私も知らなかったので、慌てて担当者に問い合わせました。すると・・・、 『5月7日が休刊日だったので、1週間ずれた』とのこと。28日に予定されていた掲載は、6月4日となります。つまり、今月5月の掲載は1回のみということです。貧乏旅行者には痛い収入減です・・・。


 ところで・・・、四川省の大地震、甚大な被害になりそうですね・・・。被災者の救助や支援がうまくゆくことを祈ってます。

西サハラの首都ラヨーンに到着 

2008年5月15日 西サハラ中部の町ダクラ(Dakhla)から、4日の走行+1日の休養+2日の走行で、到着しました。

 ラヨーン大きな町ですね。さすが、西サハラの首都。モロッコによる占領後は、多額の開発費を投じて町が整備されてるようです。町並みにはあまり特徴は見て取れませんが、どことなくスペイン風の街づくりがされた跡を感じるような、感じないような・・・。それよりも特徴的なのは、建物が薄紅色で統一されていること。こざっぱりとしつつも可愛らしい街並みです。

 移動続きで、休養日も本気で休養してるので、ライター仕事が溜まっています・・・。それらを片付けるまで、街歩きは我慢ですね。ブログのアップ作業に回す時間があったら・・・、やります。期待せずに、期待しといて下さい。

 ラヨーンには3泊します。快適そうな宿を見つけたので、怠け過ぎないように気をつけます。


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写真1)5月12日撮影。ラクダ飛び出し注意! けっこう、ラクダと車の接触事故って多いんですよ・・・。ラクダ、大きいから、轢いた車の乗客が命を落とすことも多々。みなさん、ラクダの飛び出しには注意しましょう!

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写真2)自転車でラクダと接触事故を起こすことは、まずないでしょうね。私が近づくと、ラクダさんは慌てて逃げます。で、10mぐらいの距離で停止。私としばらく睨めっことなります。

『サハラの旅』中間地点のダクラで4泊目 

2008年5月8日 ダクラ、こじんまりとしてて良い町です。

 今日がダクラ4泊目。3泊で出ようと思っていましたが、お尻の肌が荒れていたので、1日延泊しました。もう3万3千km以上自転車乗ってますが、こんな症状久しぶりです。東南アジア以来かな・・・?サドルとの接地面の肌が、擦りむけてしまってるんです。ダクラまでのラスト2日間、ちょっとお尻がヒリヒリしてたんですよね。ダクラ滞在中に、ずいぶんと肌は再生しましたが、こりゃぁ今後が心配です・・・。

 ズボンが良くないのかな?サドルが良くないのかな?ビタミン不足かな??汗疹みたいなもんかな?? 色々と原因は求められそうです。とりあえず、蒸れないズボンを買い求めることにします。 


 4月4日、セネガルのダカールに始まった『サハラ縦断の旅』は、約1ヶ月間で半分が終了と言ったところでしょうか。ダカールからここダクラまで、15日間で1500kmちょっと走りました。休養日は16日間・・・。強い向かい風、砂嵐、酷暑といった言い訳はできますが、ちょっと移動ペースが遅いです。
 06年7月の中国・雲南省→チベット・ラサの3週間は、アップダウンの激しい山道をほぼ毎日走り続けていました。その3ヵ月後の10月、チベット・アリ→新疆ウイグル自治区・カシュガルの3週間は、海抜5000mのオフロード&連日の氷点下の中、ほぼ毎日走り続けていました。で、サハラは、4~5日間走ったら、3~4日は休養という具合・・・。

 でも・・・まぁ、そんなこともありますよね! 自然環境も違いますし、旅する国も違いますから。まぁ、仕方ない!!何も、私が根性なしになったり、体力的に衰えたりしている訳ではないのです。気にしない、気にしない。

 サハラ縦断の旅・後半戦は、2000kmぐらい。1日100kmぐらい走ると計算して20日ちょっとの走行です。ダクラからしばくは、大西洋岸に沿って土漠地帯を北上。モロッコ本国に入ったら、アンチアトラス山脈の南に広がる砂漠地帯へ向かいます。シェガガ砂丘やモロッコ・カスバ街道を楽しんだら、アトラス山脈の険しい峠道を越えて、地理的な“サハラ”とはお別れです。

 後半戦も『4~5日走って、3~4日休む』というボチボチ・ペースでサハラを楽しみたいと思います。

 さて、明朝の出発に備えて、食料の買出しにでも行きますかね。奮発して、久々にチョコレートなんか買っちゃおうかな★


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写真1)西サハラ第二の町・ダクラ。美しい海に囲まれた静かな町です。宿のテラスから撮影。

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写真2)モロッコの町はどこもそうですが。一番町が賑やかな時間帯は日没後。人々が通りに溢れます。一日中海風の強いダクラの夜は肌寒いので、上着を着て外出してます。

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写真3)モロッコ料理は美味い!そして、安い! これ6日の夕食。タンドリーチキン(ハーフ)に副菜の米&フライドポテト、スープみたいな何か、缶コーラ、サラダ(この写真には写ってません)、パンのセットで25ディラハム(約350円)なり。休養日は、とにかく『食』に情熱を注ぎます!

モロッコ2度目なんです 

 2008年5月1日 私のパスポートにモロッコ入国のスタンプが押されました。

 ここはモロッコか?モーリタニアのすぐ北にある土地。国際的には『西サハラ』と呼ばれ、『サハラ・アラブ民主共和国』なる政府も存在しますが・・・。まぁ、モロッコと呼びましょう。長くモロッコが領有していて、モロッコの軍隊と警察と行政機構が管理していて、モロッコ国旗がはためいていて、モロッコの通貨・ディラハムが流通している土地ですから。

 さて、モロッコ。私、これが2度目の訪問となります。

 初めて訪れたのは1999年の夏。大学を2年休学した初めの1年目のことです。1ヶ月の英国滞在の後、ポルトガルからユーラシア大陸横断の旅をスタートしました。ポルトガルで10日間ほど過ごした後、スペインへ。そして・・・、気がつくとモロッコに居ました。
 モロッコへは、スペイン南部の都市からバスとフェリーで数時間で行けてしまいます。スペイン南西部のセビージャ(セビリヤ)で夏祭りを楽しんだ私が、夜行バスで向かったのは、モロッコの古都・フェスでした。早朝のフェズのバスターミナルに到着すると、あっという間にホテルの客引きたちに囲まれました。「なんじゃこりゃぁ~!?」です。

 この初めてのモロッコ旅は、初めての『ノーガイドブックの旅』でした。つまり、何のガイドブックもなしに、何の情報もなしに、何の計画もなしに、ただ行ったのです。4度目の海外一人旅、20歳の若き私は、ちょっとした冒険を期待していました。

 結果・・・、散々なスタートでした。徐々に、モロッコという土地を解ってきましたが・・・、観光をするにも地図ひとつない(見ようとしない)ので、いつまでたっても右・左が解りませんでした。

 おまけに、モロッコの人々が話す外国語はフランス語。英語話者は観光業関係者ぐらいなもので、その観光業関係者には悪い輩が多い・・・。悪徳ガイドや悪徳土産物商と、戦いを繰り広げながらの旅でした。騙されかけては、激しい口論になり・・・。仲良くなっては、乱闘寸前になり・・・。

 ハチャメチャ連続の私の隣には、メキシコ人旅行者のエドアルドがいました。彼もフランス語は話さず、ガイドブックは持たず、計画もなく、おまけに所持金尽きかけという、私の上を行く男です。フェズまでのバスの中で一緒だったのですが、その後も2週間、スペインに戻るまでずっと一緒に行動していました。ずっと一緒と言っても、それは移動と宿だけのこと。一緒に移動して、宿に入ると、昼間は大体別行動。夜に一緒に食事しながら、一日の出来事を語り合う、といった具合でした。近すぎず、遠すぎず、とても良い旅のパートナーでした。エドアルドの話は、また別にしましょうか。


 で、モロッコ。1回目のモロッコは、酷いもんでした。特に大きなトラブルがあった訳ではありません。が、強烈なインパクトと面白い話はたっぷり残っているのに、観光や食事の記憶がほとんどありません・・・。 なんというか、連休とかで混雑しているアミューズメントパークに行った後みたいな感じなんですよね。『モロッコ人に疲れたけど、やはり楽しかった!』という感覚だけが深く心に刻まれています。
 
 この初めてのモロッコ旅(=ノーガイドブックの旅)では、「やはり、ある程度の前知識を持って旅をするべきだな」と学びました。同時に、「ガイドブックがなくても、そこそこ楽しめるんだな」とも学びました。
 このときの旅の日記は、1999年秋に喪失(盗難被害)していますので、9年前の旅の記録はもはやありません・・・。 どこに行ったのか?何をしたのか?なんとなくしか覚えていませんが、またモロッコの空気を吸えば、忘れかけていた記憶が蘇ってくるかも知れません。

 5月末には、モロッコ(本土)に到達します。忘れかけてるとはいえ、前回訪れているマラケシュとラバとには行きません。フェズにはまた行きたいと思います。きっと、9年前の記憶が蘇るに違いありません。

 2度目のモロッコ。楽しみたいと思います★ 

なん・・・と・・・か! ダクラ到着 

2008年5月5日 ヌアディブから4日半の走行で、ダクラに到着しました。

 モーリタニア北西の町・ヌアディブを走り出し、国境を越えたのが5月1日。初日と2日目は、見渡す限りの土漠の中の走行でした。風はもちろん向かい風でしたが、さほど酷くはなかった。

 が!3日目以降が地獄でした。私の進行方向は北北西。左手に遠く、青い海を眺めながら、アフリカ大陸の北西の海岸線に沿って走っていきます。ここいらの貿易風は北から、ビュー!ビュー!・・・、それはもう、ビュー!ビュー!吹いています・・・

 3日目と4日目は、それぞれ98km、90kmを走ったのですが、常に全力でした。1日10時間以上・・・、ずっと全力! 全力でペダルを踏んでいても、時速10kmほどしか出ません。酷いときは時速7km以下。試しに、回れ右をしてみると、漕がなくても自転車が走り出しました!?

 「嗚呼・・・、いっそ、Uターンして、ダカールまで戻るか??」

 なんて考えたり、考えなかったり。厳しい走行でしたが、なんとかダクラまで走って来れました。この町は、大西洋に突き出した半島の先にあります。南西方向に伸びる半島なので、ダクラまでの最後の40kmは追い風を楽しめました(後日、またこの道を40km戻らねばなりませんが・・・)。

美しい海に囲まれた静かなこの町で、3~4泊のんびりして、体と心を癒すことにします。

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写真)西サハラ南部の風景。5月2日夕方、道の左手に海が見え始めました。ここから海風地獄がスタート。
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