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サハラ・アラブ共和国 

 『西サハラ』と呼ばれる国をご存知でしょうか? 最近の若い人(私が言うのもなんですが)は、知らない人も多いのではないでしょうか??

 私、明後日には、この西サハラを旅してるはずです。

 サハラ・アラブ共和国、通称『西サハラ』と呼ばれるこの国は、その名の通り、サハラの西の端にあります。モーリタニアの北、モロッコの南、アルジェリアの西、大西洋に面しています。この国、国連には加盟してませんが、アフリカ連合(AU)には加盟しています。どういうことかと言いますと、政府はあるけど世界的に認められた国ではなのです。現在、この地域を実効支配しているのは、北隣のモロッコ。

 世界の紛争や難民問題に興味・関心が強い私ですが、恥ずかしながら、西サハラがどうして今日のような状況にあるのか?ポリサリオ戦線の存在と、モロッコとアルジェリアの不仲、に関する知識から得られるものしか、知りませんでした。

 で、この地を旅することが決まった2008年1月になって初めて、予習を始めました。まぁ、予習といっても旅行中ですから、情報源はインターネットだけですが。


 以下、西サハラ(サハラ・アラブ共和国)についてです。せっかく調べたので、少し噛み砕いて、ここで紹介させていただきます。

 かつて、ヨーロッパ列強が勝手にアフリカの分割を決めた際、この地は『スペイン領サハラ』となりました。周囲のモロッコ、アルジェリア、モーリタニアはフランス領やフランス保護国。1960年代に、次々とアフリカの国々が独立を果たしてゆきますが、西サハラを統治していたスペインは1975年にこの地から去りました。
 スペイン撤退直後、統治機関のなくなった西サハラの領有を北のモロッコと南のモーリタニアが主張。スペイン黙認の上、モロッコとモーリタニアによる西サハラ分割統治が始まりました。それと平行して、国内には独立を目指す動きもありました。ポリサリオ戦線、正式名称サギアエルハムラ・リオデオロ解放戦線による独立闘争が始まります。アルジェリアの支援を得るこの勢力は、1978年にアルジェリアの首都アルジェに亡命政権を樹立、国名をサハラ・アラブ共和国とし、モロッコ、モーリタニアへの攻撃を続けます。
 武力に勝るポリサリオ戦線は南部からモーリタニア軍を排除。更には、モーリタニアの首都ヌアクショットにまで迫りました。結果、モーリタニアは疲弊し、政権崩壊に繋がります。モーリタニア軍は、西サハラ領内から撤退。ついには、モーリタニアはサハラ・アラブ共和国の独立を承認します。
 が、モーリタニアがいなくなった地域に、北からモロッコが入ってきます。これにより、西サハラのほぼ全域がモロッコの支配下に。対するポリサリオ戦線はモロッコとの争いを続けますが、紛争は長引く一方・・・。1988年にようやく国連の仲裁により停戦が成立しました。


 国連が提示した和解案は、独立の意思を問う住民投票でした。が、モロッコは、選挙の実施が困難であることを理由に、国民投票を行わず、現在に至るまで実質統治を続けています。 
 西サハラの面積は日本の3分の2ほどですが、人口は30万人もいません。地球上で最も人口密度の低い地域です。人口の大半がモロッコ国境に近い首都ラユーンにあり、それ以外には大西洋岸に町と呼べるものがいくつかあるのみ。残りの人口は、砂漠に点在するオアシスの民や荒野を行き交う遊牧民です。
 そういった国ですので、モロッコが主張するように、選挙権の有無の確認や、全国一斉の選挙というのは難しいかも知れません。でも、やろうと思えばできるはず・・・。モロッコには、その気がないだけです。

 停戦から20年が経とうとしていますが、現在の西サハラは、モロッコ統治の既成事実化が進んでいます。インフラ整備をモロッコがやっていますので、人口の大半を占める都市部がモロッコに染まっているのです。

 こうなってしまっては、独立を目指すエネルギーは殺がれるばかり・・・。

 『西サハラ』サハラ・アラブ共和国の独立は、今後も果たされないのではないでしょうか・・・。って、自分で書いてて・・・今、違和感を覚えました! 『あれ??』 
 独立は果たされていませんが、世界には『西サハラ』の独立を承認する国が、80カ国以上あるのですよ。日本や欧米の所謂先進諸国は、モロッコを立てて、独立を承認していません。80カ国は、アフリカと中南米と南アジアの国々だそうです。ちなみに、西サハラはAUアフリカ機構の加盟国で、それに反発するモロッコは、アフリカで唯一AUに加盟していない国です。モロッコの西サハラ領有を承認している国家は、モロッコの他にありません。

 日本では、存在しないことになってる国。
 モロッコを除くアフリカの国々では、存在することになってる国。


 うぅ~ん・・・、西サハラ・・・。どういった場所なのか?とても気になります・・・。知られざる国の旅って、とても楽しみです。
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ヌアディブに無事到着 

2008年4月28日 ヌアクショット~ヌアディブ、480km、最高にタフな5日間でした。

 ヌアクショットを発ったのが、24日の昼前。そこから、砂漠の中をひた走ってきました。

 完全に無人だとばかり思っていましたが、ポツ・・・ポツ・・・と遊牧民のテントやトラックストップがありました。2~3年前まではオフーロードの超★過酷なルートだったそうですが、いまでは、舗装もされており、普通の過酷なルートになってしまっています。

 100km以上、何もない!なぁ~んにも・・・・、っない!!だだっ広ぉ~い!! 砂の平原は圧巻でした。

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写真)ただ道だけなんです、ずっと・・・・、ずぅ~っと!

 幸いにして、向かい風の酷い砂嵐は1日だけしかありませんでした。とはいえ、過酷なサイクリングであったことは確か・・・。私の逞しい大腿筋に鈍い痛みがあります。筋肉痛なんて、凄く珍しいことなんですよ?

 ヌアディボで2~3泊のんびりして、今後も続くサハラ越えに備えます。

サハラ越え最大の難所に突入! 

2008年4月24日 荒野に帰ります。

 ヌアクショット、想定外の13泊!でした。

 今日、これからヌアクショットを発ちます。これから走る500kmは、このサハラ越えで、最も厳しい500km。ほぼ無補給で走り続けなければなりません・・・。

 元気に走っていけば、28日にはヌアディブという町に着きます。


 強烈な向かい風と容赦ない砂嵐が待ってます・・・

東の方角が解ります 

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写真)これ何でしょう?


 高さ50cmぐらいのコンクリの囲いです。幅と奥行きは、2~3mぐらい。一部壁が低くなっていて、一部の壁が『コ』の字型になっています。

 マリやセネガル、モーリタニアの辺鄙な国道で目にしてきました。私、これを見ると、東の方角が解ります

 さてさて・・・、何でしょう??

 上から見ると、ちょうど、こういう形しています →  


回答は下の方

   ↓

   ↓

   ↓

   ↓
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ヌアクショットで考えた・・・ 

2008年4月20日 ヌアクショット10泊目です・・・

 4泊で抜けるつもりが、ずるずると10泊目を迎えました。モーリタニアの首都ヌアクショット、何があるというわけでもありません。サハラ砂漠の中に広がる、大きな・・・というか、広い街。コレ!といった見所もなく、コレ!といったアクティビティもなく、コレ!といった特徴もない街です。
 そんな街で、なんでこんなに長居してしまっているかと言うと、忙しく仕事したり、静かに考え事をしたり、ダラダラと脱力したりしているからです。

 ダカールを発つ時のエントリーにも書きましたが、2月末~3月末にかけて、身体的にも精神的にも、充実の旅とは言えませんでした。まぁ、ボチボチ楽しんではいましたけどね。ダカールを発ってから3週間が発ちますが、体力的にはもう完全に回復しています。
 で、精神的には・・・? “気が乗らない”ことが多い気がします。地元民の中にいるのが億劫で、独りでいるのが楽ということが多々あります。これは良くない!!

 『気が乗らない』というのは、過去の旅の中でも何度もありました。私、そういう心理状態で旅をするのが嫌いです。長く旅をしている人々を観察していると、旅に飽いて、旅に疲れ、旅に情熱を持てない状態になっても、旅を続けている人を見ることがあります。稀に、何を話しても愚痴しか零さなくなってしまっている人にも出会います。「●●人はルーズだ!どこどこの店のおやじはムカつく!△△△は最悪!!」そういう話を聞くのは好きではありません。「だったら、あんた!日本に帰ればいいんじゃない?っていうか、帰れよ!!」と、私はいつも忠告しています、心の中で。面と向かっては言えません。

 さて、そんな私ですが、自分自身に『っていうか、帰れよ!』と突っ込むほどの心理状態ではありません。しかし、最近の私、旅を一時中断し、1ヶ月間くらい一時帰国する、という可能性を探っています。

 帰国したい!というわけではありません。旅に疲れた!というわけでもありません。

 詳しい話は・・・、私の旅哲学やらこの10年間の諸々を引っ張り出してこなければならないので、止めときます。簡単に言うと、『一時帰国した方が、その後の旅にプラスになることが多いかも知れない』と考えるようになったからです。
 今のところ、一時帰国の可能性は30%ぐらいでしょうか。現時点では、一時帰国で得られるメリットよりも、旅を続けることから見出せるメリットの方が大きいと感じています。いずれにせよ、今すぐ決断を迫られているわけではありません。帰国しやすいヨーロッパの都市にたどり着くまで、あと2ヶ月以上時間があります。その間に、色々と考えて、良い結論を出したいと思います。

 旅が充実してくれば、後者のメリットの方が強くなります。旅の充実を取り戻せなければ、前者のメリットが強くなります。

 幸か不幸か、これから私が1ヶ月間旅する地域は、乾いた大地が延々と続くサハラ西部。強烈な太陽と強い向かい風が待ち受けています。厳しい旅になることは必至ですが、私、それを望んでいます。そういう旅にワクワクしています。困難に挑んでいる自分が好きで、困難をクリアした時の達成感が好きです。そういう意味では、この先1ヶ月間は、充実感溢れる時間になることでしょう。

 この10日間、なんだか色々と考え過ぎました。疲れた。明後日には荒野に戻ります。砂嵐の中で、のんびり頭をリフレッシュさせたいと思います。

ジェンネ・その他諸々写真館② 

 ひとつ前のエントリーの続きです。

 ジェンネの写真、長い文章を添えるまでもないけど、紹介しときたい写真たちです。

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写真7)子供たちの遊びで人気なのは、タイヤ転がし。少年たちは、いつも大事にタイヤを持って出かけます。

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写真8)いきつけのサツマイモ揚げ屋さん。夕方から近所で商売してます。サツマイモのフライ、ほんのり甘くて美味しいんですよね。1本(2cm角×10cmくらい)で5フラン・1.25円なり。いつも100フラン分・20本買ってました。

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写真9)マリの子供は、だいたいデベソ 凸

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写真10)この子らの名前忘れましたが、大家さんちの小さな子供たちとよく一緒にいるお友達。

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写真11)お互いの欲求が一致したんじゃないですか?肩口が痒かったんでしょう、きっと。

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写真12)あちこちの家庭で羊を飼っています。これ、ある日の軒先での光景。1~2歳の小さな子供が、鍋の中の離乳食みたいにドロっとした稗の料理を食べているところでした。で、通りすがりの羊もその離乳食みたいなのを食べてました。子供と羊が仲良く★交互に、同じ皿の飯を・・・。良いのか?それで・・・??

 以上です。

 ジェンネでの日々は、ジェンネ研究家の妹のおかげで、実に多くのモノを見て・知って・感じることができた、とても有意義な時間でした。

ジェンネ・その他諸々写真館① 

 ジェンネの居候生活2週間。長い文章で紹介するまでもない、けど、紹介しときたい写真を公開!

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写真1)大家さんバダラ氏の第一夫人の娘(名前忘れた)と、その末っ子(生後1ヶ月目!) バダラ父さん、まだまだ仕事頑張らにゃ!

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写真2)ある日、気分転換に町の外にサイクリングに行った時の私。私、いつも青いターバンを持ち歩いてます。暑い日中は日よけになり、砂埃舞う荒野ではマスクになり、冷える夜にはマフラーになります。

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写真3)ジェンネの町は、ニジェール川の支流の支流の中州みたいなところにあり、周囲には川だか池だか判らない水場が広がってます。今は水の少ない乾季ですが、今年は水が引くのが遅いらしい。

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写真4)ある通り。ジェンネの町にアスファルトは存在しません。通りも路地裏も全て砂か土で覆われてます。

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写真5)ある路地裏。ジェンネの町に下水道は存在しません。生活廃水は、路地の溝に流すのみ。川に流れ込む前に、蒸発してしまいます。が、水が多いところではヘドロと化してます・・・。

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写真6)ある立派な家。ジェンネの町の家々は、ほとんどが日干し煉瓦でできています。レンガを積んだ後、壁に泥を塗りこみます。これは壁の塗りなおしを終えたばかりの立派な家。近年、日干し煉瓦ではなく、コンクリや焼成煉瓦を使った家も増えています。

ジェンネの食卓 

2008年1月 ジェンネ居候生活。食事は充実してました★

 妹は普段、大家さんちで昼・夜の2食をお世話になっています。私も一緒にお世話になっていました。

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写真1)大家さんの第二夫人の家庭で食べる料理。大きなタライに盛った白米(家業は米農家)に、ソース(野菜や魚、稀に肉)などを煮込んだものをかけて食べるのが定番。昼と夜は同じソースであることが多いです。この日、料理を担当したのは、聡明・アイシャタ(右)とちょっと不思議ちゃんの妹ニャムイ(左)。ナマズの煮物のソースでした。

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写真2)ファクフォイというソース。青菜だか何だか、葉っぱを細かく刻んで煮込んだソース。なんとなく、モロヘイヤみたいな風味。

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写真3)これはいつもの朝ごはん。長屋の隣に住むトゥーレ家の妻クンバが、朝だけ家の近所で『トウジン稗の団子のフライ』屋台をやってます。このフライに砂糖をまぶして食べてます。11個で100フラン(25円)なり。

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写真4)夕方のおやつ。夕方、家の近所に『さつまいものフライ』屋が出ます。1本(2cm角×10cmぐらい)5フランで、だいたいいつも夕方に100フラン分買って、妹と半分ずつ食べてました。夕食前のつなぎです。さつまいもは微かに甘くって、美味しいんですよ、これ!

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写真5)日本の高級な梅干★ マリで1年暮らす妹のところには、日本から研究者が訪れます。ジェンネに来る大学教授や研究者の案内をすることも良くあるようで、妹の家には、頂き物の日本食がいろいろとありました。 この梅干、1粒数百円の代物。さすがに、うまかった!!

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写真6)妹の家にあったビーフンで、焼きビーフンを作りました。サラダは市場で買ってきたレタスとトマトに、ミックスベジタブル缶詰をぶっかけて完成。他にも、日本から送ってもらった素麺を食べたり、中国系アメリカ人のボランティアが置いてった中華麺でラーメンを作ったり、私が持ってきたカレー粉でカレーライスを作ったりもしました。


 マリ料理は、日本人の口にもよく合います。おそらく、外食ばかりしていたら、あの化学調味料『MAGI』の味に飽きてしまうのでしょう。
 幸いにして私は、大家さんちの家庭料理と自炊と外食とを適度に組み合わせることで、いつも美味しく食事を楽しむことができています。大家さんちの家庭料理を半年以上食べ続けている妹は、いまだに飽きていないということです。

お客さんが来ました 

2008年1月14日 私を訪ねて、お客さんが来ました。

 朝からズボンを盗まれて、凹むあまり、ジェンネ出発を延期しました。おかげで、お客さんの来訪を受けることになりました。

 妹の家の隣の空き部屋に篭って自転車の整備をしていたら、外から声がしてきました。日本語!?あわてて外に飛び出すと、日本人男性2名と女性が1名。見てすぐ、『例の人たちだな?』と思いました
 実は、数日前に、テレビ関係の仕事をしている知人から、日本のあるテレビ番組に出演しないか?というメールが届いていました。私を訪ねてきたこの3人は、そのテレビ番組の先行取材の人たちでした。

 マリのジェンネの長屋が急に日本の雰囲気になりました。

 お互い会釈とかしながらご挨拶。名刺も飛び出し、久しぶりに日本を味わいましたね(笑)



 で、近所のレストラン(食堂)に移動。コーラをご馳走になりながら、番組の内容や出演の可能性などについて伺いました。今後先方の都合と、私の都合がどこまで合わせられるか?によりますが、お断りはせず、「調整しましょう」ということで話を済ませました
 

 旅先の私に、日本からのお客さんが訪ねて来たのは、これが始めてではありませんが・・・、 土埃舞うジェンネの町での出来事だったので、なんだか不思議な気分を味わいました・・・。


■2008年2月16日付・追記■
 結局このテレビ出演の話は流れましたので、これに関する話は、半年ほど封印します。

パンツは履いていますか? 

2008年1月14日 1本しかない長ズボンが盗まれました・・・

 ジェンネに来て3度目の月曜日。今日、月曜市を見学したら、午後2時くらいにジェンネを発つつもりでいました。が!朝から凹む事件があり、その後もバタバタしていたので、出発は15日朝に変更しました。

 昨晩、1本しかないカーゴパンツを洗濯しました。長屋の中庭に渡してある洗濯ヒモに干しておきました。で、朝。まだ薄暗い6時半に起きて、洗濯物ヒモを見てみると・・・、カーゴパンツはありませんでした・・・。
 ジェンネではたまにあることだそうです。夜中に泥棒さんがやってきて、洗濯物を盗んで行くんだとか。朝から、凹みますねぇ・・・。そのカーゴパンツは、ブルガリアで3000円近く出して買ったモノでした。ポケットが沢山あって、旅に向くパンツだったんですけど・・・。

 偶然にも、昨日の昼間、“ドラえもん”こと、セクーが私のそのパンツを誉めていました。「シェー、これはグッドだね!」と。もしや・・・、セクーが盗んだのでは!? まさかとは思いますが、念のため、セクーが朝食の買い出しに出ている間に、彼の部屋を探しました。が、出てくる訳もありません。ドラえもんは、成績不優秀ですが、悪い子ではりません。

 困りました。私が持ってる長ズボンは、それ1本だけでした。もうひとつあるズボンは、サイクリング時に履いている短パン。マリはイスラームの国ですし、日差しも強いし、夜はマラリアを媒介するハマダラ蚊の脅威もあります。長ズボンが1本必要です。

 不幸中の幸いで、今日は月曜日。ジェンネの町が、巨大な市場と化す日です。妹と一緒に、最後の月曜市見学に出かけるついでに、長ズボンを買いに行きました。沢山並んだ露店の中には、衣類を扱う店も沢山ありますが、私たちが向かったのは、常設のお店。広場を挟んで大モスクのはす向かいにある『アメリカン・ショップ』というジェンネでは“小洒落た”お店です。
 店内にはジーンズを中心に、洋風の衣類が並んでいました。私が欲しいのは、軽い素材でできていて、シンプルなデザインのもの。カーゴパンツを失ったので、『カーゴパンツを!』とも考えましたが、どうせマリで売られている衣類は粗悪品でしょうから・・・、安物を買って4~5ヶ月だけ使うことにします。
 「良いのないかなぁ~・・・?」 ハンガーに吊るされたズボンを1本ずつ確認していたら、黒のシンプルなデザインのものがありました。値段を聞いてみると、4000フランとのこと。約1000円です。思いの他、安かった。「じゃぁ、コレで良いや!試着させて下さい」。妹を通訳に、店員さんに尋ねました。

店員 「良いですけど。パンツは履いてますか?
未来 「パンツ履いてる?って・・・」
心 「は・・・? 下着のパンツ?履いてるに決まっとるやん!


 店員さん、本気でそんな質問をしました。そりゃぁ、パンツ履いてなかったら、試着なんてして欲しくないでしょう・・・。もしかして、マリ人には、パンツを履いてないのに、試着をしたがる人がいるのでしょうか・・・?

 試着してみると、腰まわりがちょっと大きかったので、ベルトも買うことに。1200フランのベルトを1000フランに値下げしてもらって、締めて5000フランのお買い上げ。裾が長いので、町のテーラーで裾上げをしてもらわなくてはなりません。そこは顔の効く妹、月曜市の一角に固まっている青空テーラーのところに行き、知り合いのテーラーさんに裾上げを依頼しました。そのテーラーさん、大家さん・バダラさんのお兄さんなんだとか。確かに、どことなく顔立ちが似てました。

 バダラさんのお兄さんに頼んだ裾あげは、30分ほどで仕上がっていました。代金は、「あなたがくれるお金が代金です」というマリ特有の言葉を頂いたので・・・、300フランを支払いました。妹が支払ったので、多分、妥当な金額なのでしょう。
 宿に戻り、さっそく新しいズボンに足を通します。ちょっと裾が上がり過ぎていました・・・。まぁ、シックなシルエットで、そこそこ良さげなパンツです。これから5ヶ月使って、ヨーロッパに戻ったら、もう少し良いモノを買う事にします。

兄妹写真
写真) うちの兄妹です。日本の長兄の指令で2ショット写真を撮ってメールで送りました。私が履いてるズボンが、盗まれたカーゴパンツ。もちろん、この時もパンツ(下着)は履いてます。

金曜の大モスク 

 金曜日はイスラームの安息日。一週間で最も大事な曜日です。金曜の大礼拝の時間は、どこのモスクもお祈りにやってきた人で溢れかえります。

 ジェンネの町には、モスクがひとつしかありません。1万人ぐらい住んでる町なのに。唯一のモスクは、ジェンネのシンボル・世界最大の土の建造物・大モスク(グラン・モスク)です。

 ジェンネの大モスクは、異教徒シャットアウトです。以前は観光客も中に入れた時期があったそうですが、今では完全シャットアウト! 2年ほど前には、モスク修復の為の事前調査にジェンネを訪れた外国人技師が大モスクに入ったことが発端で、ジェンネで暴動が起きています。「白人を入れるなんて!けしからん!!」ということだったそうですが、実はこの技師・ムスリムのアルジェリア人だったと言うではないですか・・・。アルジェリアの海岸部の人々は、南欧人と大差ない顔立ちの人も多く、その技師はヨーロッパ人と勘違いされたのです。暴動の発端は、そんな勘違いでしたが、暴動に勢いを与えたのは、普段の鬱積だったと言われています。観光化により外国人が町を闊歩するのが当り前になったジェンネでは、そんな町の状況を良く思っていない人も多いのでしょう。

 そんなジェンネですが、決して危ない町ではありません。普段は、とても穏やかな空気が満ちています。

 1月11日、大モスクでの金曜の集団礼拝を見に行きました。金曜日の3回目の礼拝が、1週間で最も大事な集団礼拝です。午後3時頃、広場の隅に立ち、モスクへ向かう人々を観察しました。

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写真1)お祈りの呼びかけ『アザーン』を朗誦する宗教指導者の老人(塀の上の人)。アザーンは、その都度、生の声で呼びかけるのがきまりですが、現在では大半のモスクで、マイクとスピーカーを通して呼びかけが行われています。しかし、ジェンネの大モスクには、スピーカーがありません!! 老人は、モスクの敷地の四隅を順に周り、よく通る大きな声で、町の人々に呼びかけていました。
 ちなみに、人だかりは、熱血欧米人ツーリストが子供たちにサッカーの指導をしているところです。

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写真2)通常、アザーンはお決まりのフレーズを唱えると終了ですが・・・、ジェンネの町のモスクはひとつだけですし、スピーカーもないから、1回唱えただけでは人が集まりません。老人は何度も何度も唱えてました。
 20~30分すると、町の人たちがゾロゾロと集まり出します。

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写真3)集団礼拝が始まりました。異教徒シャットアウトなので、私も入れません。イマームと呼ばれる最高の宗教指導者のリードで数百人が一斉にお祈りしている「音」と「気配」を感じました。

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写真4)集団礼拝が終わると、みな帰ります。金曜日の礼拝は、日々のお祈りの中でも最も神聖なお祈り。人々は正装してモスクにやって来ます。色とりどりの衣装がとても綺麗でした


 私、ムスリムではありませんが、世界中でモスクを訪れています。東南アジア、アラブ諸国、イラン、中央アジア、南アジア、中国、トルコ、東欧、マグレブ諸国、日本!(あるんですよ)、などなど、あちこち、いろいろ。
 モスクの基本的な作りは、どこも同じです。決まったルールがあるからです。しかし、装飾や建築には、その土地土地の特徴があります。


 このジェンネのモスクは、いままで見てきたモスクとは、建築様式も装飾様式も、その規模も!全く異なります。できることなら中も見てみたかった・・・。

 でも、人々の信仰を汚すわけにはいきませんから諦めました。

逢いたかったよ、フルベ族★ 

 フルベ族(フラニ族、プル俗、フラ族とも)・・・ とは、サハラの南の国々、西はモーリタニアから東はカメルーンまで、西アフリカに広く分布する民族。遊牧民を起源とし、現在でも多くが牧畜を営んでいます。黒人ともベルベル系ともアラブ系とも異なり、独特の言語体系を有し、豊富な民話を継承しています。

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写真1)フルベ族の女性。マリのジェンネで出会ったファテマタさん。口元の刺青はフルベ女性のお洒落です。

 2つ前のエントリーでちょっと触れましたが、私、フルベ族に興味があったのです。西アフリカで彼らに出会うことを楽しみにしていました。

 私がフルベ族を知ったきっかけは・・・、2003年のこと。職場でツアー用の資料を作っていたら、その資料に載っていました。私が勤めていた会社は西遊旅行、知っている人は知っている秘境旅行のパイオニアです。そのツアーは、リビア南部の『タドラール・アカクス』という岩山地帯を訪れるツアーでした。
 リビアの『タドラール・アカクス』や、国境を挟んで西側・アルジェリアの『タッシリ・ナジェール』一帯には、1万年前から現在に至るまでの、数千点に及ぶ“壁画”が残されています。それらの壁画を残したのは、この地に暮らした人々。住居に使われていたであろう、岩山の斜面の窪みなどに絵が描かれています。それらの絵からは、サハラの1万年の歴史と、当時の人々の暮らしぶりが伺えます。

 知ってますよね? サハラは昔、緑の大地だったんです。

 2004年と2005年、私はリビアやアルジェリアで、サハラ最深部の乾ききった大地に刻まれた、サハラの緑の記憶を沢山見てきました。海外出張(添乗)には何度も出ていますが、このサハラ最深部の壁画を見学に行くツアーが、私の一番のお気に入り(思い出)となっています。

 そこには、“信じ難い”光景が広がっています。つくしのような岩が林立し、壁のような岩山がどこまでも続き、巨大な大地の裂け目があり、見渡す限りの大砂丘の海があり・・・。太陽と風が生み出した、極度に乾燥・風化した美しい世界です。私が好んで使っている“サハラ最深部”という表現は、海から最も遠い場所という意味のみならず、サハラが最も深い魅力を持つ場所という意味も込めて使っています。

 極めて過酷で、極めて美しい世界です。そんな場所に、かつて緑があり、豊富な水があったというのですから・・・。壁画は必見です!!


 どんな壁画なのか?といいますと・・・

 1万年前頃に描かれた絵には、象やキリンなど、現在この地では見られなくなったサバンナの大型動物が描かれています。またワニなどの水辺の動物の絵もあり、この地が水と緑の豊かな土地であったことの証拠です。人間が描かれているものは拙いタッチですが、狩猟の光景だと思われるものが多く、人々の暮らしが狩猟・採集で成り立っていたことが解ります。
 6千年前以降に描かれてた絵には、牛を追う人々の姿が多くあります。狩猟の絵もまだ描かれていますが、人々の暮らしが狩猟・採集から、牧畜が中心の暮らしに変わったことを物語っています。暮らしが豊かになったことが影響しているのか?この頃の絵には、美術的な進歩が見られます。ディテールに富み、躍動感溢れるものが珍しくありません。モチーフは、牧畜風景に限らず、舞踏、川で戯れる人々、ヨットに乗る人々、野生動物、戦争、神(?)などなど、その題材も豊富です。
 4千年前以降に描かれた絵には、馬車が登場します。もともとこの地に馬はいませんでした。オリエント発祥の馬車を駆り、地中海系の民族がこの地まで南下してきたことを物語っています。この馬車に乗ってやって来た民族はガラマンテス人。サハラの北に王国を建国します。アカクスの北には、その頃の王都と思われる遺跡が残っています。馬車の絵は、奴隷狩りの光景だと考えられていて、馬車を引く馬の溢れる躍動感は、とても印象的です
 2千年程前から現在にかけて描かれた絵には、牛の姿も馬の姿もありません。あるのは、羊・ヤギ・ラクダばかり。乾燥に強い動物たちです。2千年程前から、サハラの乾燥化が顕著になったことがわかります。十分な水がないと牛は飼えません。人々の暮らしは、かつての豊かさを失ってしまいました。この時代の絵には、躍動感も何もありません。絵から『立体感』や『音』を感じることもありません。ただ、平面の壁に描かれた拙い絵ばかり・・・。また、絵に加え文字も登場します。ティファナグ文字やアラビア文字。ティファナグ文字は、現在この地に暮らすトゥアレグ族が使っていた文字で、現在でも読むことは可能とのこと。

 で、その壁画に、フルベ族がどう関係しているかというと。6千年前の牛を追う人々の暮らしぶりが、現在のフルベ族の暮らしぶりとそっくりなのです。この壁画に描かれている牛を追う人々は、フルベ族の祖先だとする研究者もいます。

 今回の自転車旅に出る前の私、サハラの南を旅したことがなかった私にとって、フルベ族とは、あの壁画の人々でした実際には、会ったことも見たこともない民族なのに、知っているような感覚がありました・・・。あの壁画、いきいきとした暮らしが描かれていた壁画、今にも絵が動き出しそうな舞踏の壁画、本物そっくりに描かれた牛の壁画、沢山の牛を飼っている一家の壁画。それらを思い出すと、私の脳みそが、乾燥した草原で牛を追いながら暮らす現代のフルベ族のビジョンを作り出すのです。カラーの映像です、音も付いてます。まるで、昔の旅の記憶を思い出した時のように、私の脳みそが、見たことも会ったこともないフルベ族の姿を思い出すのです。


 そういう理由で、私、フルベ族に凄く興味があったのですよ。

炭酸依存症→牛乳依存症 

2008年4月15日 コーラ断ちから6日が経過・・・

 毎日暑い日々が続いています。12月のマリはいくらか『過ごしやすい・・・かな?』という感じでしたが、年明け以降はどんどんドンドン暑くなっています。4月中旬のモーリタニアでは、日中の屋外は45℃に達しています。

 炎天下、乾ききった大地を走っていると、当然!喉が渇きます。最近の私、自転車に乗る日は1日8リットル飲んでいます。水が5リットル、残りが炭酸飲料(コカ・コーラ/ファンタ)もしくは、粉末ジュースです。少なくとも1日1.5リットルは炭酸飲料を飲んでいます。


 はっきり申しまして、私、炭酸ジュースがないと生きていけません・・・

 炭酸飲料依存症です。酷暑のサイクリング中、ふと!あの赤くて丸い!『Coka-Cola』のロゴを見えると、無意識のうちに売店の前に停車し、『アン・コカ、シルブプレ!』(コーラ1本くださいな!)と言っています。疲れた時のコーラは格別です! 2~3日の厳しい走行を終え、目的地の町に到着したら、宿に入る前にも必ずコーラです。


 でも・・・、はい、解っています。炭酸飲料は体に良くないってことぐらい・・・

 走る日の私は、1日4000kcal以上消費しますから、糖分たっぷりのコーラ/ファンタは、カロリー源でもあります。4000kcalものエネルギーを3度の食事だけで摂取するのは大変ですよ?日本のような飽食社会であればともかく、私が旅しているような国では。例えば、簡単に手に入るスパゲティで考えると・・・。500グラム(麺だけ)の熱量が1800kcalだそうです。500グラムって言うと、大盛り3人前ちょっとです。それに質素な具(トマト缶、ニンニク、油少々)を入れたとしても、私は1日6人前ちょっとの大盛りいスパゲッティを食べねばならないわけです。それは大変! だから、コーラが大事なんです。


 はい、はい、はい、まぁ、言い訳はこのくらいにしときましょう・・・。

 先日、『コーラ断ち宣言』をしました。独りで勝手に。4月10日のことです。以来、コーヒーや紅茶、そして牛乳を飲んでいます。


 で・・・、牛乳が止まりません!!

 モーリタニアでは、500mℓのパック牛乳が110円もします。ちなみに、300mℓの缶コーラは80円です。この4日間、1日2リットルずつ牛乳を飲んでいます。喉が渇いた時や食後に、1パックを一気飲み!です。牛乳って、美味しいですよねぇ~!!

 私、小さな頃、とにかく牛乳ばかり飲んでいる子供でした。どれだけ大きくなるんだろう?と思っていたら・・・、身長は168cmで止まりました。牛乳の豊富なカルシウムも、遺伝情報には適いません。でも、骨は骨格標本にして欲しいぐらい高密度&丈夫です。


 さて、牛乳依存症気味ですが、そう長くは続かないでしょう。牛乳は街でしか入手できません。荒野に戻れば、紅茶(もちろん☆砂糖たっぷり)だけの生活になります。そして・・・、いずれきっとまた、コーラに走ってしまうことになるでしょう・・・ 


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写真)お気に入りの『Rose』 原産国、ドイツですって!アラビア語とフランス語が書いてあるから、モロッコ産かと思ってました。ってことは・・・、モロッコに着いても牛乳は輸入品ってことか・・・。

美味しかったのかな・・・? 

2008年1月11日 美味しかったのかな・・・? ねぇ・・・? どうだった??

 私、お料理好きです。けっこう料理は上手い方だと思います。味覚が優れてるとか、しっかり調理を勉強した、とかいう訳ではありません。ただ単に、手先が器用なんです。

 で、ジェンネでの居候中、何度か料理をしました。まぁ、素麺やラーメンは抜きにして、和風パスタとかね、作ってました。でも、食べるのは私と妹だけ・・・。せっかくだから、マリの人々にも私の手料理を食べて欲しい!と思って、実は、カレールーを持って来ていたんです。パリから、わざわざ。

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写真)で、この日、カレーライスを作りました。

 鍋は大家さんの第二夫人の家から借りてきました。お米は私がパリから運んできた日本米を2合(私と妹の分だけ)用意。牛肉は町の市場で今日落としたばかりの硬い肉を購入(それしかない)。野菜はオーソドックスに、にんじん・玉ねぎ・ジャガイモ。ついでに、トマトとにんにくを少々。
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 なんでカレーなのかと言うと、カレーだったら、大抵の民族に受け入れられるからです。それに、長く日本食から遠ざかっている妹にカレーを食べさせたかったというのもあります。

 晩御飯用のカレーを昼前から作ってました。カレーは『時間』が最高の味付けですよね。長屋の住人たちは、縁側でガソリンコンロと炭火を使って料理している私を不思議そうに観察していました。子供たちはギャ-ギャ-騒ぎながら見物して、飽きては去り、また時間が経つとやって来る・・・。大人たちの中では、クンバが一番気にしてたかな。ちょこちょこ見に来ては、鍋の中を覗いていました。女性ですからね、気になるのでしょう。

 カレールーをしっかり溶かした後は、炭火でコトコト煮込んで、夕方から常温で放置。その後お米を炊いて、日没とともに、またカレーを火にかけて再加熱。5人前の具の約半分を私と妹用に確保し、残りの半分を隣のトゥーレ家(クンバのとこ)と、大家さんの第二夫人の家庭にお裾分けしました。ジェンネの人々はお米を主食にしますから、具だけあげれば良いのです。米は各家庭で炊いてますからね。私が炊いた日本米は、日本人だけで独占★

 さて、デキはというと・・・。欲張って野菜を沢山入れて嵩増ししたために、少し薄味になってしまっていました。でも、カレーはカレー。まずまずの味です。 「んまい!んまい!」 と、ガッツ!ガッツ!カレーを貪りました。

 さぁ~てさて、このカレー・・・、マリの人の口には合ったのでしょうか? 予想では、良い評価を得られると思っていました。だって、マリの料理って、白米に魚ベースのぶっ掛けソース、野菜ベースのぶっ掛けソース、などが定番。カレーに、どことなく似てるんですよ、味の系統が。


 で、翌朝。ドキドキしながら、感想の言葉を待ちました。

 隣のクンバは、「ありがとう」とだけ述べました。
 大家さんちの聡明なアイシャタも、「ありがとう」とだけ述べました。


 ん・・・?それだけ?? ねぇ!味は? 美味しかったのかな・・・?ねぇ?どうだったのぉ~!?


 結局、美味いとか不味いとかいう感想は聞けませんでした。どうやら、カレーはマリの人々にとって、『普通』だったようです・・・。マリ料理に似てない物を作った方が、面白い感想を聞けたかもしれませんね・・・。

マリのヤクルト・レディ ? 

2008年1月吉日  つまりは、ヤクルト・レディみたいな存在です。

 お宅に、『ヤクルトのおばちゃん』は来ますか? ヤクルト・レディって言うのが正しい呼び方かな??解ります?ヤクルトの訪問販売員(配達員)さんのことですよ。私が小さい頃は、ヤクルトがそういうサービスをやってました。まだやってますよね?『ヤクルト』とか『ミルミル』とか持って、各家庭に販売・配達に来るんです、女性スタッフが。


 マリにもそういう存在がいるんです。ジェンネの実妹の家には、『ヤクルト・レディ』ならぬ、『フルベのヨーグルト売り娘』が訪問販売に来てました。

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写真1)フルベのヨーグルト売り娘・ファテマタさんです。

 フルベ族というのは、マリやニジェールやブルキナファソ、つまりサハラの南の方のステップ地帯に暮らす民族。牧畜を主な生業としています。私、このフルベ族には凄く興味がありました。サハラ最深部に残る古代壁画にまつわる縁なのですが・・・、これはまた別に紹介しましょうか。


 さて、フルベ族のファテマタさん。彼女は、ジェンネ郊外の村に住んでいるそうです。家業はやはり牛飼いで、彼女は自家製のヨーグルトをジェンネで売る仕事をしています。大きなヒョウタンから作ったタライに、自家製ヨーグルトを満たし、それを頭に載せてトボトボ歩いて町にやって来ます。ジェンネでは、お得意さんちを回りながら、売り歩いているようです。
 ヨーグルトは、もちろん牛の乳からできていて、味は・・・、マリの自家製ヨーグルトとだけあって、日によってマチマチ。やたらと発酵してる時は、酸っぱい。でも、概して美味しいです。サラサラなので、砂糖をたっぷりいれて、飲むヨーグルトにして飲むと・・・、んまい!! 代金は、いつも妹が払ってたから、正確には記憶していませんが、空の500mlペットボトルに詰めてもらって、50円ぐらいでしょうか。まぁ、安いもんです。

 実は、彼女のようなヨーグルト売りはひとりではありません。妹の家には、沢山フルベの娘っ子たちがヨーグルトやフレッシュ・ミルクを売りに来ます。が、妹は写真のファテマタさんからしかヨーグルトを買いません。お得意さんという訳。浮気はしないようです。


 フルベの女は器量良し★

 というのが、マリでの評価だそうです。フルベ族の女性は、概して、にこやかで友好的(まぁマリ人だいたいそうですが)。人種的な特徴として、他の民族よりも、目鼻立ちがくっきりしていて、私の目には、美人が多く映ります。
 この写真のファテマタさん、カメラに緊張して硬い表情していますが、普段はとてもニコヤカで素敵な表情をしています。そして、人懐っこい可愛さがある。だから、妹はこのファテマタさんをひいきにしてるらしいです。

 15日間のジェンネ滞在中、彼女のヨーグルトは、3~4回食べましたかね。ある日、頼んだ金額分のヨーグルトを容器に入れてもらってるところに、隣の怖いおばちゃん・クンバが登場。で、開口一番!「あんた!それ少なんじゃないの!?」と激しく突っ込んでいました。ファテマタさん、「そんなことないわよ。もぅ・・・、うるさいおばちゃんねぇ・・・」って。クンバは更に怒ってましたが、次にファテマタさんが来た日には、ふたりして談笑してました。マリの生活って、そういうもんみたいです。


 ジェンネにやってくるフルベのヨーグルト売り娘さん。可愛い女性でした。


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写真2)ジェンネ郊外のサイクリングに行った時に遭遇したフルベの牛飼いと牛の群れ。


 ああ・・・、久しぶりにあのヨーグルト飲みたいな・・・(3月15日付・追記)

イヤホン・マイク購入を巡る葛藤 

 Skypってご存知ですか? IP電話サービスです。インターネット回線を利用して、電話やチャットができます。旅行者にはお馴染みのサービス。

 私のノートパソコンには、07年8月始めに、Skypが搭載されました。これで、Skypを利用する(搭載したパソコンを持っている)友人とは、インターネット電話やチャットが可能というわけです。しかし、いつまでも利用することはありませんでした。もともと、電話やチャットに興味が薄い人間です。家族にはマメにメールしてますが、電話は滅多にしません・・・。


 で、今年08年に入って初めてチャットなるものをしました。Eメールとは違って、また面白いものです。で、インターネット電話は、したことがありませんでした。インターネット電話をするには、イヤホン・マイクが必要だからです。私のパソコンには、マイクが搭載されていません。インターネット電話に接続しても、相手の声はスピーカーから聞こえてくるかも知れませんが、私の声は伝わらない・・・。

 イヤホン・マイクが必要だ!!

 この半年間、私が抱き続けてきた課題です。ヨーロッパの電気屋で見たイヤホン・マイクは、安い物で10ユーロ程(1600円前後)。 「これは高いのか?安いのか?」「ここで買うべきか?別をあたるべきか?」と悩み続け、アフリカに来てしまいました。西アフリカの電気屋で見たイヤホン・マイクは、ヨーロッパで見たものよりも、もっと安っぽいのに値段は2000円前後します・・・。 「ここで買うべきか?ヨーロッパに戻るまで待つべきか??」

 いつまでも、悩んでいました。たかだか、2000円程度の買い物で・・・


 で、2008年4月13日 気がついてしまいました!!

 この日、私はヌアクショットのネットカフェでSkypを使ったインターネット電話を使用しました。パソコンはネットカフェの物で、イヤホン・マイクは添え付けてありました。電話の相手は誰でも良いじゃないですか。で、その相手に「イヤホン・マイクを買うかどうか、まだ迷ってる」と告げると、「今みたいに、毎回ネットカフェのものを使えば良いんじゃない?」と言われました。

 全く!その通りです!!

 この7~8年くらい、ノートパソコンを使い続けている私。イヤホン・マイクは、『自分のパソコン専用の物が必要』だとばかり思っていました。が、よくよく考えてみれば、私、インターネットを利用するために、毎回インターネットカフェに来ています。そのインターネットカフェのパソコンには、大抵Skypが搭載されいますし、イヤホン・マイクが添え付けてあります。だから、わざわざ、自分で購入しなくとも良かったんです・・・。

 気がつくのが半年遅かった・・・
 この半年間の葛藤はなんだったんでしょう・・・?

 でも、イヤホン・マイクを購入した後じゃなくて良かったです。

カンガルーじゃないよ・・・ 

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写真1)前足を揃えて・・・、せぇ~・・・

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写真2) っの!

可愛いですね、ロバさん。

でも、やっぱり、哀れですね・・・。
 


 なぜ、このロバはこんな動き方をしているのかと言うと。仕事がない時のロバさん、放っておくと、草を求めてアチコチ歩き回りますよね。彼のご主人は、畑で仕事中なのかも知れません。畑仕事を終えて、「あんれまぁ!うちのロバっ子がいねぇ!?」 では困ります。

 だから、前足を縛られてるのです。

 こういうロバさん、たまに見ます。縛られていては自由に歩き回ることはできませんが・・・、それでもやはりどこかに行きたいロバさんたちは、前足を揃えたまま歩く術を身に着けるのです。1歩で(1回の動作)進む距離は30cmぐらい。でも、これで数百m移動しますから・・・、哀れで可愛いです 

ヌアクショット到着 

2008年4月11日 誇りまみれです。

 ダカールを発って6日目の4月9日、モーリタニアに入国を果たしました。初めて訪れる砂漠の国にウキウキドキドキのスタートでしたが・・・

 国境を跨いだ日も含め、この3日間・・・すんごい砂嵐の中を走って来ました。

 サハラ南西部は現在ハルマッタン=強い北よりの季節風、が吹き荒れています。で、私の進路はほぼ真北。砂は、真正面から!右斜め前方から!左斜め前方から!私を目指して飛んで来るわけです。風の強さは風速にすると・・・、どれくらいでしょうか?風速10kmぐらい?? よく解らないかもしれませんが・・・、いつもの力具合(時速20km)でペダルを踏んでいるのに、時速10kmしか出ないぐらいの風です。

 この先も、ず~っと!向かい風です。モーリタニアを抜けて、西サハラに入っても、さらに進んでモロッコに入っても・・・、ずっと、ずっと・・・

 このサハラ縦断は、この旅3年目にして2つめの山場・ハイライトです。1つ目は1年目のチベット横断。3つ目はまだ内緒。 サハラの過酷さを味わうには、最高の時期になりました。


 全身埃まみれです。耳の中も、パンツの中も、カバンの中も、何もかも。

 でも、そんな自分がけっこう好き☆


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写真)お昼は、だいたいこんな感じ。風がビュンビュン吹き荒れ、砂がザーザー飛んできます。


 ヌアクショットは、素敵な宿があったのでノンビリできそうです。4~5泊して、この先の地獄に備えます。

ノスタルジックな町の素敵な宿 

2008年4月8日 サンルイで3泊した宿の名前は『Cafe des Arts』。素敵なところでした。

 19世紀から20世紀初頭のフランス植民地下の町並みを残すサンルイ。フランス人が住んでいた小奇麗な街は、セネガル独立後約50年で、ずいぶんと古びてしまっています。でも、その傷み具合が、私には魅力的です。この地を去った支配者たちの残り香と、今を元気に陽気に生きるセネガル人たちの暮らしぶりが、妙にマッチしています。

 そんな町にある素敵な宿『Cafe des Arts』は、中州の北西の端の方。碁盤の目上の通りが、すっかり砂に覆われてしまっている、住宅街のなかにあります。

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写真1)外観からでは、ホテルとは解らない・・・。小さな看板が目印。

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写真2)外観はボロボロですが、部屋は小奇麗☆

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写真3)客室4室とロビー、サロン、テラス、バスルームにも、沢山『Art』が!

 建物自体は100年前後前のものでしょう。高い天井、広い部屋、ちょっと歪んだ床・・・、こういう古い建物って好きです、私。おそらく、こういった絵がなければ、ここはボロボロの安ホテルになってしまうのでしょう。しかし、これらの作品たちが、ノスタルジックな町の古びた建物に、全く違和感なく溶け込んでいます。

 パステルカラーのカーテンを通って差し込む光が、とても素敵☆

 管理人のセネガル人女性は、全く英語話せないけど、上品なフランス語を流暢に操り、物腰もエレガントで素敵☆

 
Cafe des Arts 、サンルイを訪れた際には、ぜひご利用下さい。1泊ドミトリーで4000フラン(1000円)なり。蚊帳付いてます。風呂場のお湯出ませんけど。

湿度が気持ち悪い・・・ 

 2008年4月8日 なんかこう、肌にまとわり付く湿気が・・・、気持ち悪いです。

 ダカールから走ること3日間、セネガル北西端のサンルイ(St.Louis)に到着したのが3日前。セネガル川河口にある中州と川の両岸に町が広がっています。海風もあるし、大きな川もあるし、空気が湿ってます・・・。日本の湿度を思えば、たいした湿気でもないのですが、この3ヵ月半、ほとんど湿気のない場所を旅してきたので、肌がベタベタするのが気持ち悪いです。

 サンルイ、今日が3泊目。2泊で抜けるつもりでしたが、素敵な町並みが気に入って、1泊だけ滞在を伸ばしました。ここは19世紀フランスの植民地時代の街並みが多く残っているんです。南北に1km、東西300mぐらいの中洲は、碁盤の目状に建物が並んでいます。
 アールデコ様式?っていうのかな?よく知りませんが、歴史を感じさせる建物がとても印象的。その上、何が良いって・・・

 全部ボロボロ!!

 なのが良い。フランスが去って50年、セネガル人が暮らすこの町の建物は傷み放題です。廃墟というわけではありませんよ。しっかり、人が住んでいますし、それなりに補修もされています。
 壁はちょっとくすんだパステルカラー。砂に埋もれた路地では子供たちが遊び、鮮やかな衣装をまとった女性が軒先で家事をしています。

 とても素敵なところです☆

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写真1)中州の中心部。役所などのある広場から少し入ると、こういう通りが続く。

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写真2)19世紀に掛けられた鉄橋が、本土と中州を結んでます。

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写真3)鉄橋の反対側に架かる橋を渡ると、砂浜に沿って南北に細長ぁ~く!伸びる猟師町。砂浜は、ゴミがなければキレイなのですが・・・

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写真4)猟師町の子供はオネダリ攻撃をしてこない!?この子だけかな・・・?「写真撮って!撮って!」と言うので撮ったら、その後のオネダリ無しでした。良い子だ★

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写真5)この少年もオネダリなしだった。この笑顔、良いですよね。オネダリする子らの表情とは違います!

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写真6)海岸線にはズラァ~・・・リ!!船が並んでました。

 中州の町並みも、海岸の猟師町も、なかなか良い雰囲気です。たまにウザッたいガイドみたいな男や、「シノワ!シノワ!」とうるさいガキどもと遭遇しますが、この町のブラブラ歩きはおもしろかったです★

パリダカ逆走開始!! 

2008年4月3日 ダカールで体勢立て直せました。

 この1ヶ月間、いや、1ヶ月半かな・・・? 体調不良&トラブル続きの旅をしてきました。マラリアとその後の体調不良、盗難被害、など。

 回復傾向にあった体調は、確かな復活を感じるまでになりました。物価高のダカールで食欲旺盛で困ってるぐらいです。

 盗まれたモノは、現金以外は対処できました。盗難の詳細については、4月16日付の西日本新聞『地球みちばた見聞録』で公表されます。ブログ上でも、いずれ公表します。


 さて、再出発の準備は整いました。明日から、パリダカを逆走します!

 パリダカ、超有名なラリーです。バイクや車が好きな男の子なら、誰でも知ってるでしょう。ラリー仕様のオフロードバイク『HONDA/XR-BAJA』に乗っていた私は、もちろん!パリダカ好き★ サーキットを走り回るオンロードレースには興味ありませんが、パリダカなら出たい!と憧れてました。

 
 パリダカは、『パリ・ダカールラリー』の略。当初、パリからセネガルのダカールまで走っていたので、そういう名前になりました。近年は、ポルトガルのリスボンがスタート地点になっています。

 私が向かうのはリスボン。昨年11月、ユーラシア大陸横断を遂げた場所です。かの地で、『サハラの南縁・トンブクトゥから刻んできた轍』と、『極東アジアから刻んできた轍』を結びます!!


 さぁ!北上開始です!!

『地球みちばた見聞録』、掲載曜日変更のお知らせ 

 西日本新聞で好評連載中の私の旅行記『地球みちばた見聞録』、掲載曜日変更のお知らせです。

 2008年4月から、隔週水曜日掲載になります。

  2008年4月の掲載日は、4月2日、4月16日、4月30日、です。

 見逃した方、遠方にお住まいの方、過去の連載を読みたい方は、地球みちばた見聞録・ウェブ版をご覧下さいませ。
 →地球みちばた見聞録・ウェブ版

 お楽しみに★
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