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2008年元旦!帰って来た!? 

2008年1月1日 あれ?早かったねぇ!

 昨晩、部屋のすぐ外で繰り広げられた大晦日カウントダウンパーティは、大盛り上がりでした。カウントダウンの大騒ぎだけは、現に覚えています。小さな子どもの声もしていました。起きて一緒に騒いだたら、面白かったかも知れません・・・。
 目覚めるともう9時近くになっていました。やはり、熱があったのでしょう。12時間、寝続けました。11月中旬のポルトガル以降、約2ヶ月ぶりの長距離連続サイクリングでしたからね。疲れもあったのでしょうし。長屋の中庭にある唯一の水道で顔を洗い、長屋の二階にある高さ120cmほどの壁に囲まれただけの青空トイレで用を足し、私の2008年がスタートしました!

 朝食は、広場の揚げパン屋で済ませました。昨日の賑わいが嘘のように、町は静かになっています。これが普段のジェンネの姿なのか。小腹を満たしたところで、ぶらりと町歩き。どこもかしこも、日干し煉瓦の家が並んでいます。このジェンネは、世界遺産に登録されている歴史ある町です。中心に建つ大モスクだけが世界遺産という訳ではありません。
 部屋に戻り、2時間ほどのパソコン作業の後、ネットカフェへ。年賀メールが沢山届いてました。周囲に正月ムードは、全く、まっっったく!ありませんが、これで少し正月気分を味わえました。昼食も街角の屋台で済ませ、午後は、部屋でゴロゴロ。熱っぽさは感じませんが・・・、まぁ、今日明日はゴロゴロしといた方が良さそうです。

 夕方、夕食にと、パンとマヨネーズとスパゲッティナポリタンもどきを買って部屋に戻ると、部屋のドアが開いていました。隣人が寄ってきて「ミク!ミク!」と言ってます。ん?どういうこと?もう帰って来たの??どうやら、そのようです。今は、2階で水浴びをしてるらしい。待つこと数分、髪の毛を拭きながら、妹が降りてきました。

心 「おお!早かったね!久しぶり。」
未来「うん。教授たちと今日モプティに戻って来たけん、そのまま帰ってきた。お久しぶりです。」


 未来に会うのは、2年半ぶりです。2005年7月に、私が東京での仕事を辞めて、実家の福岡までバイクで旅行しながら帰った時、京都の妹の家に寄りました。それ以来です。まさか、こんなところで再会するとは!! 、といった感じでしょうけども、実はあまり違和感ありません。なんか・・・、不思議なくらい、普通です。お互い数年実家を離れていますが、どこで会ってもあまり違和感はないのです。うちの兄妹って、だいたいこんな感じです。末の妹・七海とベトナムを旅行したときも、あまり違和感はありませんでした。
 きっと、この先、数年会わなくて、どこかもっと離れた場所(例えば南米とか、南極とか?)で再会したとしても、あまり驚かないでしょう。逆に、福岡の中心・天神でバタリと会った方が驚くかも知れませんね。

 久しぶりに会って、それぞれの近況をボチボチ語らいました。久々に会った友人との会話のように、饒舌になることはありません。ボチボチ、淡々と、会話をします。うちの兄妹はいつもこんな感じです。昨日、父親から激しくシバかれていた少年の話や、その一家の話、その上に住む一家の話、この部屋を貸してくれている大家さん一家の話などもボチボチ聞きました。どうやら、長屋ライフを楽しんでいるようです。
 文化人類学とは、人間を対象にした学問。人が暮らす自然環境や社会環境、歴史的背景、宗教的背景、などなど、全部ひっくるめて、特定の『人の集合体』『民族』『部族』などを研究する学問です。妹は、このジェンネの町に暮らす人々とジェンネという町そのものを研究対象にしているようです。文化人類学者は、研究対象の土地に馴染んでナンボ!という感があります。その意味では、妹は凄く頑張っているようです。お兄ちゃん、安心しました

 夕食は、和風ぺペロンチーノを作りました。普段、妹は大家さんの家で食事をお世話になっているそうですが、せっかくの元旦です。しょうゆ味のモノを食べようではないですか!妹と食べようと思って、パリで購入した日清のインスタントラーメンや、中国製・ベトナム製のインスタントラーメンなど、合計10袋は、バマコからジェンネまでの道のりで、私が全て平らげてしまいました。だってほら・・・、インスタントラーメンって、軽いけど、嵩張るじゃないですか・・・、邪魔だったんですよね。和風ぺペロンチーノは、好評だったので、まぁ、良いではないですか。

  ジェンネの夜は早いです。部屋に張ったテントは畳み、9時には床に就きました。

 どうなることやら、不安なジェンネでしたが、妹の帰宅で楽しい居候生活になりそうです。2008年も楽しい旅ができそうだ☆そんな予感を感じさせる、良いスタートになりました。
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2007年大晦日/後編 

ひとつ前のエントリーの続きです。

2007年12月31日 2007年は、子どもが泣き叫ぶ声と、大音量の音楽で幕を閉じました。

 さぁて、どうしましょう?鍵がないなら、部屋に入れません・・・。妹が帰ってくるのは、早くとも2~3日後でしょう。それまで、私はどこで寝泊りしましょう?まぁ、ホテルに行けば良いのでしょうけども、鍵がなくなってるのは問題です。もしも、部屋の中を荒らされたら・・・!?問題です。

 「何?カギがない?」、「カギがないんだって!」、「カギがこの穴にあるのか?」 隣人たちがなにやら騒いでます。多分、こんなことを言ってるんでしょう。私の足りないフランス語と彼らが理解しない英語を駆使して、「ミクの携帯に電話して聞くから大丈夫だよ。きっと、予定が変わって、どこか別のところに隠してあるんだよ。」と伝えます。月曜市でごった返す中心部に飛び出し、公衆電話屋から、トンブクトゥ滞在中の妹に電話をしました。

心 「あ、ミク。さっき着いたんやけど、カギがないんよね。どこにあると?」
未来「え?ない?ドアの下の排水溝にあるよ?」


 どうやら、ドアの排水溝に入れたことは確かなようです・・・。部屋に駆け戻り、再度、排水溝の穴を探しますが、やはり何もありません。どうしたものか・・・?隣人たちは、「隣の部屋が空いてるから、未来が帰るまでそこに寝泊りすると良い」みたいなことを言ってくれています。妹の部屋の中が泥棒に荒らされてやしないか心配ですが、長屋ですし、泥棒も入りにくいでしょう・・・。まぁ、お言葉に甘えて、隣の部屋で待たせてもらいますか・・・。

 事態を楽観視し始めたところで、周囲に大きな変化が発生! 急に、子どもの泣き叫ぶ声がし始めました。隣の家を見ると、母親が子どもを叩いています。「ナニ?ナニ?どうしたの?」その後、父親が荒縄を持って来て、母親に代わって子どもをバシ!バシ!バシッバシ!叩き始めました。
 「ギャー!ギャー!アギャー!ヒィ!ヒィ!」 断末魔のような、子どもの泣き声が響きます。イスラーム圏では、たまに見る光景です。厳格な父親が、強烈に子どもに罰を与えます。日本では、ここまでする親はもういないでしょう・・・、いたら、折檻とかDVだとか言われてしまうレベルです。
 訳もわからず傍観している私に、青年が教えてくれたのは、『どうやらあの子がカギを穴から取り出して、失くしてしまったらしい』とのこと。なるほど、そういうことでしたか・・・。叩き疲れたのか、父親が鼻息をフンフン言わせながら、こちらへやって来て、土地の言葉で私に平謝り。何を言ってるのか?察することしかできませんが・・・、「まぁ、まぁ、お父さん、もうこのへんで。ミクが帰ってきたら、別のカギがありますから、問題ないですよ。僕は、隣の部屋で寝泊りさせてもらいますから大丈夫」と告げます。伝わったのか?伝わらんだろうな・・・。まぁ、お仕置きも終わったようですし、私は再び、公衆電話屋に向かい、ことの顛末を妹に報告に行きました。

心 「カクカクシカジカで、やっぱりカギなかったよ。お前が帰るまで、隣の部屋を使わせてもらうことになった。カギ、持ってるでしょ?」
未来「アラララ・・・。まぁ、カギは自分のがあるよ。仕方ないねぇ。あのお母さん、凄い叩くでしょ?
心 「んにゃ、お父さんが叩きよったよ。」
未来「ええ!?あの大人しいお父さんが!?珍しい!

 どうやら、私はとても珍しい光景をみたようです。なにはともあれ、カギは泥棒の手に渡ったわけでもなさそうですし、妹が帰るであろう2日後まで、私は隣の部屋で待たせてもらいます。
 長屋に戻り、自転車の荷物を解いて、気温が高い日中に水浴びをさせてもらいました。この長屋は、普通の、ごくごく普通の日干し煉瓦の建物です。シャワーなどはありません。2階にあるトイレ兼水浴び場で、バケツ一杯の水浴びをし、久々に石鹸で頭を洗いました。私、今短髪ですから、石鹸で良いのです。
 すっきりしたところで、ジェンネの月曜市の見学に行く事にしました。まだ、荷物は部屋に入れてませんが、市が終わる前に歩いておきたいのです。体の埃を落としてすぐ、再び土埃舞う市へ。

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写真1)ジェンネの中心に聳える大モスク。世界最大の土造りの建造物です。月曜市は、大モスク前の広場を中心に200m四方ぐらいの範囲にギッシリ露店が建ち並びます。

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写真2)「トゥバブ!フォト!フォト!」せがまれるままに、子どもの写真を撮っていたら、お母さんが鬼の形相で止めに入りました。「ムシュ!ノン!ノン!ノン!ノン!!」

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写真3)どこもかしこも人だらけ。露店が扱う商品も様々です。

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写真4)月曜市の日は、オメカシをするのでしょうか?いつもこんなもんでしょうか?鮮やかな衣装に身を包んだ人が多い気がします。

 1時間ほど、市を見て歩きました。まだジェンネには2週間近く滞在する予定なので、来週も見ることができます。今日は体調も良くありませんし、早めに部屋に戻りました。で、戻ってみて驚いた!妹の部屋に新しいドアノブが付いていました! 歩み寄って来たのは、先ほどの怖いお父さん(普段は優しいお父さんらしい)でした。私に新しいカギの束を渡し、また謝ってます。

 「いやいや、お父さん、新しいドアノブに変えなくても良かったのに・・・。まぁ・・・、すみません。気を遣ってもらっちゃって・・・。ありがとう!」

 カギがなくても、ドアノブ(=ドアの施錠部分)って変えられるんですね。新しいカギで部屋の中に入ると、荒らされてるような形跡はありませんでした。土造りの部屋に、小さな机1つと、絨毯1枚とマットレス1枚、そして沢山の本と衣類の山。「へぇ~・・・、こんなとこで暮らしとるんや~」 私4人兄弟(男男女女)の次男です。この妹は長女。兄や妹の家は、チョコチョコ遊びに行ってますが、こんな家に遊びに来たのは初めてです。なんだか、変な感じ・・・。

 荷物を入れて、一休みした後、三度妹に電話連絡。事態は収拾しました、と。ついでに町のインターネットカフェの場所を教わり、夕方までネットカフェでメールチェック。随分と露店も片付いてしまった広場の屋台で、調理済みのスパゲッティや牛肉サンドイッチを購入して、部屋に戻りました。
 部屋でモソモソと早めの夕食を取り終わった頃、外が急に騒がしくなりました。顔を出すと、隣人の青年たち。どうやら、大晦日のカウントダウンパーティを準備をしているらしい・・・。椅子を沢山ならべて、ステレオとスピーカーをセットしています。
 青年のひとりが、私の姿を認め、駆け寄って来ました。「ムシュ!なんとかかんとか、なんちゃらかんちゃら、ノープロブレム?」察するに、今夜はパーティで大騒ぎするけど、問題ないか?ってことのようです。後日、知ったのですが、妹がよくこの青年たちに、「夜中は騒ぐな!」とキツク言っているらしく、私に許可を求めに来たのでしょう。律儀で素直な子ら(15~20歳ぐらい?)です。

 で、夜は大音量の音楽の中、更けてゆきました。風邪気味の私は、カウントダウンも何も関係なく、早々に寝袋の中に。蚊が多かったので、夜中に部屋の中にテントを張りました。部屋のすぐ外で鳴り響くアフリカミュージックに、鼓膜と脳みそを揺られながら、眠りに落ちました。よくまぁ、こんな轟音の中で眠れるもんです。自分でも感心してしまいます。もしかしたら、熱があったのかもしれません。吸い込まれるように就寝・・・zzzZZZ

 2007年はこれにて終わり。

2007年大晦日/前編 

2007年12月31日 ドタバタの大晦日は、鼻水から始まりました・・・。

 あれ?朝起きると鼻水が・・・。なんてことでしょう、昨晩、寝袋無しで寝てしまいました。寝袋用の薄いシルクのシーツだけで、荒野の夜を過ごしてしまいました。朝方、寒さに耐えかねて、寝袋を取り出しましたが、その時点でもう5時を回っていました。うぅ~ん・・・、こりゃぁ、風邪を引いたかな・・・?
 もともと、ちょっと良くない気配がありました。ここ数日、夜中に寒さを覚えることが多くて、すでに風邪気味だったのかも知れません。だって、寝る時は、何も羽織らなくて良いぐらい温かいのです。それが夜中にドンドン気温が下がっていくのですから・・・。疲れて爆睡してしまうと、体を冷やしてしまいますよね・・・。

 朝食は、この7日移動で初めて、自分で作りました。昨夜のインスタント・フォーのスープの素が1つ残っていたので、それを使ってスパゲッティを食べました。温かいものを食べたら、鼻水も止まりました。今日の走行は、40~50km程度です。のんびり朝の身支度をして、9時半に走り出しました。

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写真1)走り出してすぐ、道路脇の池で日干し煉瓦を作っていた少年たち。日干し煉瓦とは、練った泥を箱型でレンガ上にし、それを太陽光でカッチンカッチンに乾燥させた建材です。マリの田舎の建物は、ほとんどこの日干し煉瓦でできています。

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写真2)日干し煉瓦を作っていた少年たち。

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写真3)国道を走り続けるとモプティへ。ジェンネは国道から30kmほど西にあります。分岐点の検問所で『ジェンネの観光チケット』なるものを1000フランで購入しました。ジェンネまでの道の両脇は、低地になっていて、川の水が入り込むのか?水田がどこまでもどこまでも続いていました。今は、稲の刈り入れシーズンのようで、多くの人々が田んぼで作業をしています。

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写真4)道は一本道。両脇には水が浮いた低地と田んぼだけ。途中で追い抜いた彼らは、私を抜き返してきました。私もムキになり、時速35kmでギュン!ギュン!飛ばします。いくら重たい荷物を積んでいても、3万kmを走って来た私に叶うはずもありません!!300mほど引き離したところで、自転車を止め、息を切らしながら、追いついてきた彼らを撮影! 「ふふ・・・、勝った☆」

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写真5)道が尽きると、渡し舟がありました。ここはニジェール川中流デルタ地帯。支流が複雑に分岐していて、その支流を渡らねばなりません。今日は、ジェンネの町に市が立つ月曜日。渡船場は、町へモノを売りに行く人々、買いに行く人々、月曜市目当ての外国人観光客などなどでひしめいていました。2つの船が交互に行き来していましたが、ひとつは外国人&自動車用、もうひとつは、地元民&馬車用になっていました。この写真の船は、地元民用。

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写真6)渡し舟は、公営の大きな船と、個人がやってる小さな木造船があります。木造船の船頭曰く「自転車とバイクは、こっちだ!あのデカイのは車だけしか乗せないよ!」とのこと。確かに、バイクや自転車がたくさん乗っています。試しに、船頭に運賃を聞くと2000フラン(500円)とのこと。そんなに高いわけはありません!地元民は、せいぜい200フランぐらいで乗ってるはずです・・・。この船頭は信用できないので、大きな船で渡る事にしました。

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写真7)待つこと50分、ようやく外国人&自動車用の渡し舟に乗船できました。乗船するとすぐに、船頭が運賃の回収に来ましたが、言い値はナント!4000フラン!?聞くと、それは自動車の運賃とのこと。 「だったら、俺は200フラン(50円)ぐらいじゃないの?」と交渉しますが、結局750フランもとられました。まぁ、良いです。それくらい。

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写真8)向こう岸では浅瀬の為、船は岸に接岸できませんでした。四駆が水の中を走って上陸したのを見ていると、水位はせいぜいふくらはぎくらい。私は靴を脱いで、自転車を押して上陸しました。そういえば、こういう風に水に入るのはチベット以来、久しぶりです。ふと振り向くと、ワゴン車が水の中でスタックしてました。この車に乗っていたお上品な感じの欧米人観光客数名は、運転手におんぶされて陸に上がってました。空になった車は、なんとかかんとか陸に上がることができてました。

 さぁて、ジェンネまではあと5kmほどです。道は再び細い舗装道路になり、ラストランは快調そのもの!あっという間にジェンネの町に到着しました。川の中州に広がるジェンネ。手前の橋を渡り、未舗装の道を進むと、急に周囲が賑やかになってきました。月曜市ですから。町の中心部は人でごった返しています!人々の視線を浴びながら、町の中心に聳える大モスクの方へ走っていたら、男が飛び出してきました。

男 「ハロー! 君は、ミチュのお兄さんかい?」
心 「ん?ミチュ?あぁ!ミクね、ミク!あ、お前さんが俺の案内をしてくれるガイド?」
男 「ミチュから、お兄ちゃんが来たら、部屋に案内するように言われてる。こっち、こっち!」

 片言の英語を話すガイド君に連れて行かれたのは、大モスクから僅か1分の長屋の一角。ここに妹が暮らしているのです。敷地内に入ると、長屋の住人たちが寄って来ました。「ミクのお兄ちゃんだ!」「部屋はこっち!こっち!」「ミクは今いないよ?」「ミクは、水曜日に帰ってくるよ!」 ガイド君は、仕事があるのか?私を長屋の住人たちに渡し、早々に帰ってゆきました。
 さぁて、さて、鍵は排水溝の中だったよな。自転車を片隅に止め、妹の部屋の前に立つと、ドアにメモが張ってありました。日本語で『鍵は、ドアの下の排水溝みたいな穴の中です』。足元を見ると、ドアの真下に縦横5cmぐらいの小さな横穴が開いてました。部屋の内側の水を外に出す為の排水溝のようです。隣人たちが見守る中、穴に指を突っ込み、鍵を取り出します。

 んが!? ない・・・・!? あれ? ない・・・、 よ??  

 私の行動から、ココに鍵があると察した隣人たちが、「俺が取ってあげるよ!」と交代で指を入れますが、何も出てきません。私の自転車に付けている旗棒を引き抜いて、穴の奥まで穿り返しますが、出てきたのはゴミや埃ばかり・・・

 あれ? カギ・・・ ないじゃん!? どうしたらいいの?俺?

えぇ~!?今ジェンネにおらんのぉ~!? 

2007年12月30日 えぇ~!? 今ジェンネにおらんのぉ~!?

 ジェンネまであと140kmを切っています。今日80km以上走れば、残りは50kmちょっと。明日は昼前にはジェンネに到着できるでしょう。早めに出発して距離を稼ごう!と、午前6時に腕時計の目覚ましをセットしておきましたが、目覚めたのは、6時半、いつもどおりでした。テキパキ出発準備を整えて、8時過ぎには走行開始!

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写真1)朝食は、8km走った村で、定番のマヨネーズを塗ったパンと甘ぁ~いカフェオレ。マリでは、各地にこういう簡素なカフェがあります。マヨネーズパンやオムレツなどが食べられます。飲み物は、基本的にコーヒーや紅茶。コーラなどの飲み物は、ちょっとした町でないとありません。

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写真2)マリの女性は良く働きます。鮮やかな衣装に身を包み、頭に籠を載せ、畑へ向かう姿はとても絵になります。この写真は、籠載せてませんが・・・。

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写真3)今日もこんな感じです、はい。この写真を撮った後、この写真の地平線のあたり、木が茂ってるところで、昼の休憩をとりました。今日も、フランス語のお勉強☆

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写真4)午後の走行は3時間ほど。ぼちぼち走って5時頃通過した村の井戸で、子どもたちの助けを借りて水を補給。放っておいても、誰かが井戸から水をくみ上げてくれます。私もポンプをギコギコやってみたいんですけどね・・・。手伝ってくれた子供たちです。

 メーターを見ると、走行距離は90km近くになっていました。数値と手元の地図から察するに、ジェンネまではあと40kmほどです。明日の8時に走り出したとして、正午までには必ずジェンネに到着します。水を補給した村で、夕食用のスパゲティを購入し、ついでに公衆電話屋に行きました。ジェンネの妹・未来(ミク)に電話をするんです。 

心 「もしもし?おお、ミク? 心ですけど。今日はね、ジェンネの40kmぐらい手前でキャンプするけん。明日の昼には着くよ。」
未来「あっ、心くん。あのね、凄いこというけどね。今、ジェンネにおらんのよ。日本から来た先生に同行して、トンブクトゥに来とるんよ!」
心 「えぇ~!?今、ジェンネにおらんのぉ~!?」
未来「先生たちがタダで連れてってくれるって言うけん。年明けには帰るよ。」


 なんてことでしょう・・・。妹と年越しをするために、頑張って6日間走り続けてきたというのに・・・。まぁ、仕方ないと言えば、仕方ないですよね・・・。妹は、文化人類学のフィールドワーク(現地調査)でマリに来てるんですし、学者としての仕事もあるんでしょう・・・。
 きちんと、私がジェンネに着いてからの指示もしてくれました。①着いたら、ジェンネの観光ガイドがたむろしているレストランへ行け。②友人のガイドに、自分の部屋まで案内するように言ってあるから、部屋に連れて行ってもらえ。③部屋のカギは、ドアの下の排水溝にあるから、自分が戻るまで自由に部屋をつかってくれ。とのこと。私、フランス語も相変わらずチンプンカンプンですが、行けばなんとかなりそうです。

心 「まぁ、仕方ないか。念のため、明日部屋に入ったら電話するよ。」
未来「はいはい、んじゃ、ジェンネでね」

 電話を切り、村を出るとすぐに日没になりました。道路脇の茂みに入り、テントを設営し、夜ご飯はさっき買ったスパゲティではなく、パリから持って来た最後のインスタントのフォー(ベトナムの米の麺)2袋で済ませました。このラーメン、実は、大晦日の年越し蕎麦代わりのつもりだったんですけど・・・。明日は、独りで年越しになちゃいましたから・・・、別にいつ食べても良いかな?と・・・。

 美味しいフォーで落ち込み気味だった気分も回復した。夜は早々に床につきました。zzzZZZ

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写真5)2007年12月30日の太陽が沈みました。今年も残すは明日1日です。

トゲトゲの枝、バオバブの巨木 

2007年12月29日 走ります。今日もただただ、走ります。

 目覚めると、驚きの光景! 自転車の前輪がパンクしていました。自転車用タイヤの中で、ツーリングに特化した、頑強極まりない『シュワルベ/マラソンXR』が使い始めて僅か500kmでパンクするなんて・・・。タイヤを見てみると、大きな植物のトゲが刺さっていました。テントを畳んだ後、急いでチューブ交換。出発準備が整ったのは、9時前でした。

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写真1)このトゲ、なかなかのツワモノです!マラソンXRを貫くとは・・・。今後、ブッシュの走行はトゲのある植物に注意が必要ですね。

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写真2)こんなところでキャンプしてました。朝方、テントのすぐ近くを牛の群れが通過しました。テントの20mほど先を牛飼いが通過し、手を振ると、手を振り返してくれました。ただそれだけでした。チベットでこういう状況になると、チベタンは必ず!テントの前まで来てたんですけどね。マリ人は、キャンプしてる人に無関心なようです。

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写真3)朝食は、適当な村がなかったので、昨夕買っておいたさつま芋のフライで軽く済ませただけでした。午前の食事はそれだけでは、当然お腹がグゥグゥ騒ぎます。午後、初めに通過した村で食堂に飛び込みました。牛肉の煮物のぶっかけご飯! マリの食事は本当に美味いです★たまに、ご飯に小石が入ってますが、まぁ、それは仕方ない・・・。あの「ジャリ・・・ジャリ・・・」って音と歯ごたえは嫌ですけどね・・・。

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写真4)昼食後は、シエスタです。どこか適当な木陰を探しますが・・・、ない!? 『次に大きな木があったら、そこで休憩にしよう・・・』 結局10km近く走り続けて、適当な木陰を見つけました。今日は昼寝せずに、1時間半、フランス語の勉強に勤しみました。

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写真5)夕方、小さな村を通過した際、面白い光景を見ました。豚です!豚さんがいます!! まぁ、家畜で豚を飼ってても何も不思議ではありませんが、マリはムスリムが80%を占めるイスラームの国です。でも、クリスチャンや土着の宗教を信仰する人が20%近くいるわけですから・・・、豚もいますよね。この写真、手前に豚の群れ。奥にあるのは、モスクです。この村には、モスクと教会が1つずつありました。

 夕方、サンという大きな町を通過しました。宿もありそうですが、宿泊はしません。どこぞのオフィスの前でホースで植木に水遣りをしていた人にお願いして、6リットルの水を補給。そのまま、町から出ました。日没が迫りますが、大きな町なので、かなり走らなければ荒野にはなりません。いつまでも国道の両脇には、人家や畑が続いています・・・。
 日没後30分走り続け、薄暗くなってきたところで、道路脇の荒野に入りました。荒野と言っても、ここはまだ畑が広がっている地域です。冬場&乾季でどうせ畑に人は来ません。もうこれだけ薄暗くなっていれば、私が畑の隅でテントを張っていても誰も気がつかないでしょう。日没間際の頑張りもあって、今日は108kmを走りました。

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写真6)日没後、西の空に残った夕焼けに、バオバブのシルエットが映えます。

 暗くなると、いつもの行水。素っ裸になってペットボトルの水を被るのですが・・・!? その時、どこからかバイクの排気音が聞こえてきました!! 全裸のまま、慌てて茂みにうずくまります。バイクは私に気付かず走り去りましたが、どうやら、私がテントを張ったあたりは、村か何かに通じる道の近くだったようです。これでは、油断はできませんね・・・。でも、今更テント撤収して別の場所を探すのは面倒なので、周囲の音に気を使いながら、夕食を済ませました。

 耳を澄ましていると、実に様々な音が聞こえてくるもんです。変な鳥の鳴き声、変な虫の鳴き声、コウモリの羽音、風の音、遠くの町の音、遠くの車の音、えとせとら。空には、今日もお星様。流れ星を3つ数えてからテントに入りました。

スイカ > 男の子 

2007年12月28日 セグー滞在は1泊のみ、ジェンネを目指して今日も乾いた大地をひた走ります。

 部屋の中に張ったテントのおかげで、蚊に悩まされることなく、朝の冷え込みに晒されることもなく、快適な睡眠でした。夜明けと共に目覚め、テキパキと出発準備!朝食は、昨晩半分近く残してしまった、クスクスで済ませました。やはり、1.5リットル鍋タップリのクスクスは食べきれませんね・・・。クスクスって、お腹に溜まるんです。

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写真1)こんなホテルに泊まってました。外国人の姿はほとんどなく、マリ人ビジネスマンの為のホテルのようでした。

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写真2)セグーの町を出ると、再び乾いた風景になりました。道路脇の畑は収穫も終わり、何も植わっていません。ちょっと木陰で休憩をしていたら、どこからともなく子どもたちが湧いてきます。ねぇ?僕たち、どこから来たの?今さっきまでいた??

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写真3)お昼前、ニジェール川の支流を渡りました。乾季ですが、水量はまだ多い。水辺では、洗濯をする女性。水浴びをする子どもたち。牛の群れ。網を打つ漁師などの姿がありました。

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写真4)川に架かる橋で出会った少年。この歳でフランス語を操っていました。私には何やらサッパリでしたが・・・。賢そうな少年です。

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写真5)今日も暑い時間帯午後1~3時は休憩。揚げパンの昼食の後、バオバブの巨木の木陰で昼寝・・・zzzZZZ。

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写真6)午後に通過した村の名産は、 子どもたちが極端に小さいんじゃないですよ、スイカがデカイんです。こんなに大きかったら、ひとりでは食べきれません・・・。幸い、切り売り(ひとかけら50フラン=12円)があるので、ひとつだけ買いました。

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写真7)午後5時、ちょうど良いタイミングで小さな町を通過しました。通りの水道で今夜と明日の分、7リットル分の水を補給。村の井戸でもそうですが、町でも同じですね。水汲みは、子供たちの仕事。朝夕には子どもたちが井戸や公共水道に水汲みにやってきます。

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写真8)90kmほど走ったところで、午後6時、日没です。慌ててキャンプできる場所を探します。

 木がポツポツと生えている土地でしたが、近くに集落があるようで、完全にひと気のない場所がなかなか見つかりませんでした。私の料理用バーナー、轟々と音が大きいので、できるだけ人がいない場所が好ましいのですが・・・。夜中に人が訪ねて来るのだけは避けたいのです。30分ほど、キャンプ場所を探しながら走り続け、適当な場所にテントを張りました。
 が!夜が更けると、どこからともなく太鼓の音が聞こえてくるではないですか!? そんなに遠くはなさそうです。どこかで宴席でもやってるのかな・・・?とても楽しそうな音楽が聞こえてきますが、夜中に訪ねて行くと、向こうも警戒するでしょう・・・。太鼓の音のおかげで、私の調理用バーナーの音が荒野に木霊すことはありません。のんびり夕食の調理をして、真っ暗になったら素っ裸で水浴びをして、今日も満点の星空の下で、おやすみなさい。

セグーで人探し 

2007年12月27日 セグーという比較的大きな町に着きました

 朝は目覚ましなど入りません。6時半頃、日の出前の明るさで自然と目が覚めます。今朝も肌寒い・・・。荒野の朝は冷えます。テントを畳み、今日も朝食抜きで、8時に走行開始!

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写真1)こんなところでキャンプしてました。念のため、テントの周囲に枯れ木や枯れ草を被せ、隠れています。

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写真2)朝食は、走り始めて10kmほどの村でマヨネーズパンを食べました。その村で昼食用に、揚げパン一袋も購入。今日もこんな風景が続きます。

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写真3)今日もひた走ってますよぉ~!!

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写真4)バオバブの巨木。国道の両脇は、村が近ければ畑が連なり、遠ければ荒野です。バオバブの木が、点々と大地に聳えています。アフリカですねぇ~・・・。バオバブを見ていると、何か不思議と力が湧いてきます!

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写真4)なんでしょう・・・?これ。ウ●コのように見えてしまいますが・・・、どうやら貝のようです。午後2時、85km走ったところでセグーの街に到着。町のロータリーの真ん中に建つ、不思議なキャラクターでした。

 セグーについたら、会いたい人がいました。同じ飛行機でバマコ入りした英国人女性ナターシャ。1ヶ月の予定でマリに伝統服飾デザインの勉強に来ている彼女は、届かぬ荷物を待ちきれず、手ぶら同然でバマコを後にしました。彼女の荷物も私の自転車と同じ日(23日)に届いているはずですが、彼女は荷物を取りにバマコまで戻ることはないでしょう・・・。一体、今どんな生活をしてるのか?ナターシャを探しました。
 文化庁みたいな役所がやってる伝統工芸センターみたいなところにいると言っていたので、そのナンとかセンターに行ってみました。が、彼女の姿はありません。たまたまいたマリ人の女性に「トゥバブのアングレのナターシャはいるか?」とおかしなフランス語で聞いてみますが、どうも返事の意味が解かりません・・・。いないのか?
 ちなみに、“トゥバブ”とは、土地の言葉で『白人』を意味するそうです。白人に対しての差別的な意味もあるそうです…。私が通過する村々では、子どもたちが「トゥバブ!トゥバブ!」と駆け寄ってきます。彼らにとって、アジア人も欧米人も同じ“トゥバブ”です。

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写真5)マリを東西に流れるアフリカの大河・ニジェール川。川沿いのガタガタ道をゆっくり走っていると、目の前にいた羊が凄い声で鳴き始めました。「ンメェ~!!ンンメェ~ェ~!!」と。で、次の瞬間、足の間にポトリと落ちたモノ!? 赤ちゃん! なんと、羊の出産の瞬間に立ち会ってしまいました。驚きました・・・

 ナターシャの行方はわからなくなってしまいました・・・。私が聞いていた住所(施設の名前)が間違っていたのかも知れません。まぁ、町の通りとかでバッタリ会うかもしれませんし、今日はこの町に滞在するとします。
 早速宿探しに出ましたが、なかなか良い宿が見つからない・・・。ニジェール川沿いに広がる町には、数件ホテルがありますが、どこも高い!最安のところでも、1泊1部屋7,500フラン(約1800円)です。3000フラン(約750円)のルーフ(宿の屋上)もありましたが、せっかく宿に泊まるなら、電気のある部屋が良い・・・。パソコン作業もできますし、電池の充電もできます。ガイドブックに載っていた4000フランのドミトリーは閉鎖されていました。仕方なく、7500フランの高級(?)ホテルにチェックイン
 高い部屋に泊まると、引き篭もりになってしまうのが私の悪い病気・・・。 『せっかく高い料金払ってるんだ!部屋で過ごすぞ!』と・・・。でも、この部屋、物置のようなところで、決して良い部屋ではありません。蚊が多いのに、蚊帳もありません・・・。幸い広い部屋だったので、部屋の中にテントを張って、その中で寝る事に。シャワーとトイレはあったので、のんびり水浴びをして、洗濯をして、テントの中でゴロゴロしていたら、あっという間に日没になってしまいました。慌てて、町のインターネットカフェに行き、メールチェックとちょっとお仕事。部屋に戻るともう時計は8時を回っていました。

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写真6)夕食は、屋台で買ってきたクスクスと鳥の丸揚げ(をほぐしたもの)。2000フラン(500円)の豪華な食事となりました。

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写真7)こんな部屋に泊まりました。

 結局ナターシャには会えませんでした。まぁ、仕方ないか・・・。明日、町を出る前にバッタリ遭遇するのを期待しましょう。午後11時半、屋内に張ったテントの中で就寝 zzzZZZ

マリの大地は、広いなぁ~・・・ 

2007年12月26日 今日も雄大なマリの大地をひた走りました。

 朝の冷え込みは結構なものでした。10度以下まで気温が下がってました。やはり、冬は冬なんですね。寝る時は、まだ大地が昼間の熱を持っていて、寝袋に入ると暑いのですが、夜半に急に冷えてきて、寝袋を引っ張り出しました。今夜から、寝袋は夜中にゴソゴソしなくて良いように、広げた状態で寝る事にします。
 テントを畳んで、荷物をまとめて、午前8時、さぁ!出発です!!今日の目標は100km走ること。特に、ここ!という目的地もないので、100km走ったら、今日は止めにします。

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写真1)こんなところでキャンプしてました。通過する村でテントを張らせてもらうという手もありますが、私は荒野で寝ます。村には蚊やハエがいますが、乾ききった荒野にはほとんどいません。それに、一日走って疲れた後に、村人との交流は面倒くさいし・・・。

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写真2)走り始めてすぐに朝食。実は、わざわざ村の手前5kmぐらいのところでキャンプしてたんです。朝食を作る手間がかからないから、朝早く出発できます。朝食は、フランスパンにマヨネーズ、甘ぁ~いカフェオレ。これ、お店の兄ちゃんの写真です。

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写真3)カメラを自分に向けて、パシャ! 私、現在こんな風貌です。まだ顔は白い! これが今後どうなっていきますやら・・・

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写真4)国道沿いには、村が点在しています。この村、コロコロという名前だそうです。アフリカっぽい響きでGOOD!

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写真5)飲み水は、通過する村の井戸を借りてます。愛車・自右衛門号は、サハラの旅に備えて14リットルもの水を運べるように改造済み!村はちょこちょこ通過するので、当面は、3~5ℓの水をキープしながら走ることに。村の井戸では、あっという間に子どもたちに囲まれます。「ボンジュール!」

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写真6)今日も風景は雄大そのもの。緩やかに波打った大地が、延々と続いてます。気温はグングン上昇し、正午を回ると頭がボーッとしてくる・・・。

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写真7)お昼の休憩。真昼間の一番暑い時間帯は昼寝でやり過ごします。午後1時から3時までシエスタ(昼寝)。木陰でマットを広げて・・・zzzZZZ。

 午後は僅か3時間の走行です。夜中は走りません。日没と共に一日の走りを終えるのが私の基本。ちょうど100kmを走ったところで、太陽が地平線に乗っかってました。道の両脇には、少し背の高いブッシュが広がっています。ここなら、隠れるのも簡単☆

 道路から200mほど入り、テントを設営。日が沈むとあたりは真っ暗になりました。真っ暗になると、水浴びです。どうせ周囲には人の目はないのです・・・、シャツを脱いで、パンツも脱いで、素っ裸になって、頭から水を被ります。1リットルほどの水で体の表面の汚れを落とし、水浴び終了。キレイになったとは言えませんが、まぁ、砂埃や塩が落ちただけでも、気持ちが良いもんです。見上げる空には今日も満点の星空☆☆☆ 夕食はまたラーメンで済ませ、8時半には横になります。テントの入り口を開け放ち、頭を少し出して、星空を眺めます。流れ星を5つ数えたら寝ようと決めていましたが、3つ数えたところで、もう瞼は下りていました・・・zzzZZZ

長かった・・・、ついに☆ バマコ出発!! 

2007年12月25日 ようやくバマコを出発できます!バマコ滞在、日数にすると僅かに7日なんですけどね、待ち惚けは長く感じます。さぁ、今日から、アフリカ自転車旅☆

 そういえば、昨夜はクリスマスイブでしたな・・・。ってことは、今日はクリスマス。マリはムスリムが大半を占める国ですから、いちおクリスマスは大事なお祭りですけども・・・。町には何の変化もありません。人口の数%がクリスチャンですから、きっと、今朝も町の教会でミサをやってるんでしょうけども、今日私出発ですから!いけません。

 身支度を整え、自転車に荷物を搭載します。なんだか随分久しぶりの自転車移動です。バマコの空港から町まで走って来てますが、たかだか15kmほど。今日から、1週間毎日80~100km走って、大晦日のジェンネ到着を目指します。不要な冬物衣料や余計なスペアパーツは、バマコの宿に置いていくことにしました。2ヶ月後にはバマコに戻るので、その時にピックアップします。全ての準備が整ったのは9時半、いよいよ出発です!

 まず向かったのは、4泊お世話になったワークショップ(ダンスの合宿所)。仲良くなったダンサーさんたちは、ちょうど朝食の時間でした。ちゃっかり朝食に紛れ込み、パンとコーヒーをご馳走になったあと、それぞれとお別れ。日本人3人、美菜さん・カナエさん・トミヤ君は、2ヵ月後にバマコに戻ってきても滞在しているはずなので、軽くご挨拶。「バマコに帰ってきたら、また遊びに来るよ。レッスン頑張ってね!」
 レッスンへ向かうダンサーさんたちを見送った後、私は近所のネットカフェへ。昨日できなかったネット作業を1時間半でやっつけました。さぁ、ここからがサイクリング!

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写真1)バマコから2時間、走行25km地点。バマコの町を抜け出すのに時間がかかりました。ここから先は、ひたすら一本道!

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写真2)大地はゆるやかぁ~に波打っています。たまに緩やかな坂を上り↑下り↓

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写真3)道路はアスファルト舗装ですが、路側帯はありません。車が通れば、赤い土の道路脇に退避!

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写真4)冬場とはいえ、真昼の太陽の下は35℃を越えていました。午後だけの走行なので、休憩無しでひた走ります・・・

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写真5)日没は6時頃。ジェンネまでの7日間は、キャンプ移動のつもりです。道路から300mぐらいブッシュに入り、テントを設営。ふと自転車を見ると、積もった砂埃で色が変わってました・・・。

 アフリカ走行初日は、午後の6時間で80km走りました。昼食は走りながらバナナを10本。もっとのんびり走っても良かったのかも知れませんが、走り出せたことに興奮してて、一心不乱に走ってました。すれ違う土地の人々は、手を振ったり、挨拶をしてくれたりしますが、あまり返答しなかったような・・・。いかんですねもっと交流を楽しまなきゃ!明日からは、もうちょっと肩の力を抜いて走るとします。

 パリで買ってきた中国製インスタントラーメンの夕食を済ませた後、満点の星空を楽しんでいたら、あっという間に眠りに落ちました・・・zzzZZZ

空跳ぶ、バンジュグ先生 

12月24日 昨日、自転車が届き、朝からウキウキの私ですが、今日は色々と忙しいのです。

 朝、ドミトリーに新しいお客さんが着ました。日本人女性。年末年始休み2週間のマリ旅行だそうです。朝の身支度をしながら、ちょこちょこ話を聞いていると、この女性、私が勤めていた西遊旅行でマリ行き航空券を手配してもらったそうで。担当者は今でも私と連絡が続いているYさんのとのこと。いやいや、面白いところで繋がるもんです。

 忙しい1日が始まりました。まずは、エールフランス航空のオフィスへ。営業・発券窓口で整理券を取り、待つこと30分・・・、やはり、航空券の払い戻しはできませんでした。「予約のキャンセルはできますが、払い戻し手続きは発券した場所でしか行えません。つまり、あなたの場合、フランスでしか…」とのこと。それが一般的なルールです。旅行会社勤務でしたから、それは知ってましたが・・・、パリの空港職員が自信満々に「できる!」というものだから、少し期待してたんですけどね・・・。残念! ということは、私、払い戻し手続き期限の1年以内にフランスに戻らねばなりません。そうしなければ、航空券代1200ユーロちょっと(約21万円)が返ってきませんから。

 肩を落とし、一旦宿へ帰り、すぐにまた出掛けました。今日は忙しいのです。向かった先は、一昨日までお世話になっていたマリ伝統舞踊のワークショップ(合宿所みたいなところ)。今日は、レッスンの光景を見学・撮影させてもらうことになっています。合宿所に向かうと、練習は近所にある学校の空き教室で行っているとのこと。暇そうにしてた青年にお願いして、その教室まで連れて行ってもらいました。

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写真1)おっ!?やってるやってる!!

 軽快なドラムのリズムが木霊す教室で、バンジュグ先生を先頭に、5人の生徒(日本2♀・1♂、仏1♀、スイス1♀)と、バンジュグ先生の娘さんがダンスの練習をしていました。このバンジュグ氏、現在ベルギー在住ですが、マリの国立バレエ舞踊団など複数の有名な舞踊団に籍を置く(置いていた)、マリを代表するダンサーのひとりだそうです
 「バンジュグさんのダンスは、相当やばいよ!」とは、バンジュグ先生の日本公演を見て、このマリにやってきたトミヤ君の言。「今までいろんなダンサーを見てきたけど、バンジュグは別次元!」とは、同じく彼の日本公演を見て、マリにやってきたカナエさんの言。「バンジュグ先生のダンスを見て、自分はもうダンスをやめようと思ったぐらいの衝撃を受けた!」とは、マリのみならず、ベルギーでも彼のレッスンを受けてきた美菜さんの言。バンジュグさん、相当に凄いダンサーみたいです・・・!!

 カメラ片手にレッスンの見学。初めは振り付けの確認をしていたようで、大きな動きはあまり見られませんでしたが、全体を通して踊り始めると・・・、にわかにダンスに熱が入ってきました! まだぎこちなさの見える生徒たちの前で、バンジュグ先生は流れるような動きで、かつ、リズミカルに! 繊細なようで、雄大にダイナミックに!! そのしなやかな動きは羽のように軽く、そしてバネのように力強く・・・。

 例えそばで太鼓がなっていなかったとしても、彼の姿には太鼓のリズムそのものが感じられます。まるで、体全体で音楽を奏でているよう・・・ 


 うぅ~・・・!彼のダンスから受ける印象を言葉にするのって、難しいです。いくら言葉を並べても足りません。 確かに、「ヤバイ!」「別次元!」「衝撃的!」そうな雰囲気がムンムンします。今日のこのダンスは、きっと彼にとってはまだ本気じゃないのではないでしょうか?これが舞台など本番でのダンスだったら・・・、いよいよ言葉にすることはできなくなるでしょう。

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写真2)笑顔で踊るバンジュグ先生と、真剣な顔つきの生徒たち。

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写真3)空中で一回転する動きもありました。バンジュグさんが飛ぶと、圧倒的に滞空時間が長く、空中で滑らかに回っていました。

 ダンスは、振り付けの確認、歌の確認、リズムの確認など、ほぼ休み無く続きます。生徒たちは、全身に汗をたらし、真剣な顔つきで、必死に先生の後ろで踊り続けていました。途中から、バンジュグさんは太鼓をたたき始め、生徒だけで全体を通して踊り始めました。その熱心な姿を見ながら、私はシャッターを切り、音楽を録音し、バンジュグさんや太鼓の先生たちの様子をのんびり観察していました。いやぁ~・・・、凄い! 凄く濃密なレッスンです。すでにアフリカンダンスを数年やっている女性4人の熱心な姿。唯一の男性で全くの初心者のトミヤくんの真剣な姿。情熱と良い先生がいれば、こんなにも濃いレッスンになるんですね。

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写真4)短い休憩時間。皆、ぐったりですが、その顔には充実の色が滲んでいました。

 濃密なレッスンは10時過ぎから毎日3時間ぶっ続けで行われているそうです。今日がレッスン4日目とのこと、あと10日ほど続きます。一通り写真撮影も終わり、のんびり蚊帳の外から見学を続けていたところ、ちょっとした事件?が・・・。これだけ凄まじい練習をしていれば、当然だとも思うのですが、様々な感情が高まった女性陣が涙を流し、それぞれの主張を訴え始めました。私には詳しいこと解かりませんし、解かろうと思わなくても良さそうです・・・。まぁ、いろいろと大変なのでしょう。私の目には、彼女たちは、体全体のみならず、感情の全てを込めてダンスを踊っているように見えます。濃密なレッスン、濃密な時間、濃密な表現です。そりゃぁ、こういうこともありますさ。

 まだレッスンは続きますが、私は先にお暇する事にしました。もともとそういう予定でしたが、涙のレッスンの途中で姿を消したので、何か悪い印象を残してしまったかも知れません・・・。まぁ、明日も会うでしょうから、心配はないでしょうけども。

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写真5)レッスンを見学してる私を見学してたマリ人青年。俺も撮れ!というので、撮りました。

 さぁ~て、今日は色々と忙しいのです。明日バマコを発つので、今後1週間分の物資を買いに行かねばなりませんし、インターネット通信も終えなければなりませんし、自転車にちょっと気になる問題もありますし・・・。
 一旦宿に自転車を置きに戻り、徒歩で市場へ向かいました。サイクリング中はお腹がやたらと減ります。まだマリの食事情や物価水準などを良く把握していないので、市場をぐるぐる歩きながら、行動食になりそうなモノを探し歩きました。2時間ほどの買い物で、購入したのは、砂糖や紅茶やスパゲッティなど、マリ中どこででも買えるようなものばかり。行動食になりそうな、クッキーはやたらと高くて、ヨーロッパや中東産の輸入食材は高い!今後、行動食は、屋台で売ってる揚げパン、町で買えるパンやバナナといったものに限られそうです。
 強いアフリカの日差し対策でキャップも買いました。ヘルメットの鍔(ツバ)をパリで落としてきたので、代わりに、ヘルメットの下にキャップを被るようにしました。他、故障の予兆がある自転車のクランクを交換できないものかと、代わりを探しましたが、マリの自転車屋に先進国並みのパーツがあるわけもなく、新しいパーツ入手は断念しました。自分でなんとか修理する他ありません・・・

 そうこうしてると、もう日没前でした。インターネットカフェには行けずじまい・・・。宿に戻り、再び自転車の調整をしながら、今朝の日本人女性や新しくやってきたスイス人男性と旅の話で盛り上がります。今朝の話で、この女性と私の意外な繋がりに驚きましたが、更に驚いたことに、私たち99年にイスタンブールで一度会っているということも判明しました。まぁ、旅行好きの人って、こういう風に、何かしら接点を求めることができるんですよ。
 夕食は、3人で出かけました。近所の屋台でマメ料理を食べ、別の屋台でおやつのバナナフライを食べ、街角カフェで甘ぁ~いカフェオレを飲み、代金は占めて160円なり。安い!

 バマコ出発を翌日に控え、何かと慌しかった1日は充実の夕食で幕を閉じました。部屋に戻ってから、やりかけの原稿を片付け、12時頃に床に就きました。

届いた!! 

12月23日 届いてました!!

 早朝、ドミトリーに新しい客が来ました。年末年始の休暇でスイスから来たというバックパッカーの女性。聞くと、利用した航空会社はロイヤルモロッコ航空とのこと。「今日、バマコに到着した時、ターンテーブルに巨大な段ボール箱が回ってませんでしたか?」と聞いてみますが、もちろん、そんなことは気にしてないでしょう。答えは、「さぁ?覚えてないわ」
 昨日空港に行って荷物はありませんでした。今日行ってまた無かったら・・・、お金も勿体ないし、精神的ダメージも大きい。だから、今日は行かないつもり。今日も1日のんびりするんです。どうせ、明日月曜日にエールフランス航空のオフィスに行かなきゃなんないんですし、宿代は3泊分=24日の晩の分まで払ってる。今日自転車が届いてても、明日は出れませんからね・・・。

 朝食は、スイス人女性と一緒に近所の屋台へ。マリ式に、マヨネーズを塗ったフランスパンと甘ぁ~いカフェオレ。私、マヨラーではありませんが、このマヨネーズパン、意外に美味しいんです。カフェオレのミルクはタップリの練乳。これが甘さの理由です。仄かにコーヒーの風味がするホット練乳を飲む私たちの隣には、英語を話すマリ人ガイドがいました。なぜ一緒に朝食を食べているのか判りませんが、きっと私たちと話したかっただけでしょう。彼は、私たちの支払いまで出してくれてました。

ガイド「君は自転車が届かなくて大変なんだろう?まったく、ロイヤルモロッコ航空はいつもそうだ。一度、怒鳴り込んでやればいい!
 「怒鳴り込んだって、届かんもんは、届かんよ・・・。そもそも、今回はヨーロッパのクリスマス休暇とイスラーム圏のタバスキ(新年)の時期が重なってしまったから、飛行機の利用客が通常以上だったってことでしょう?まぁ、自分でこの時期を選んでしまったんだし、仕方ないといえば仕方ないよ・・・」

 と言ってみたものの、一度ホントに怒鳴り込んでみたいもんです。食後、何となく急に空港に行きたくなってきました。宿に戻り、ヘルメットなど自転車用品をリュックに詰め、タクシーに飛び乗り、空港へ向かいました。ほんと、急に・・・、突発的な行動でした。
 で、空港に到着後、昨日と同じく延着荷物のコーナーへ。一見して、荷物がないことが判りました・・・。昨日は意気消沈しましたが、今日は怒りが込み上げてきました「ったく!何でないんだよ!!」 私に怒鳴り込まれた空港の延着荷物窓口の係員は、困ったことでしょう。だって、彼はここの空港職員であって、ロイヤルモロッコ航空の職員ではないんですもの・・・荒れてる外国人をなだめようと、延着荷物の管理台帳を開いて、ひとつひとつ番号を照合し、「ないね・・・、ないね・・・、ここにもないね・・・」と諭すように呟いていた係員でしたが、急に声色が変わりました。

係員 「あっ!あった!あった!君の荷物は、税関が預かってるよ!」
心 「えぇ!?マジで!?あるの!?」


 羽が生えた私は、隣の建物、到着ターミナルにある税関窓口へ。到着便の少ないお昼時でした。税関のブースには誰も人がいません。大声で税関職員を探す私を警備員は屋外に追い出しました。仕方なく外で待っていると、空港アナウンスが流れ、あと30分ほどでケニアからの便が到着すると言ってます。ってことは、税関の職員も仕事の時間です! 間もなく到着ターミナルに3名の税関職員が現われました。ひとりを呼びとめ、税関の倉庫に案内してもらうと・・・、入り口の直ぐ脇に、見慣れたダンボールが置いてありました!

心 「コレ!コレ!俺の!!俺の自転車!!
係員「中身は?自転車かね?君はこの自転車を自分の国に持って帰るつもりかい?それとも、この国で売るのかい?」
心 「売る訳ないでしょ!この自転車は命の次に大事な相棒なんだよ!
係員「売り物じゃないなら、けっこう。持って行きなさい。」


 という訳で、ようやく!よぉ~・・・やっく!!私の愛車と対面することができました。自右衛門号、マリに到着です!!

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写真1)到着しました!こんな巨大な段ボール箱です。

 早速、ターミナル前の木陰で組み立て開始! 見学者たち数名の視線を感じながらも、テキパキテキパキ組み立てていきます。自転車が組みあがると、バラバラに収納されていた装備品を丁寧にバッグに入れていき、2時間で全ての作業が終わりました。空の段ボール箱は、空港に客引きにきたガイドにあげて、さて、出発準備完了です!! 時計は、1時半。市内までは15kmです。私のアフリカ初走行!!

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写真2)走行5kmほど。このあたりの道路は路面も良く走りやすいのですが、なにせ埃っぽい!

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写真3)走行13km。ニジェール川を越える!

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写真4)橋の上で。自右衛門号は、パリでの大改造により、更に進化しています!

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写真5)マリ共和国の象徴。「マリ」とは、古い土地の言葉で「カバ」を意味します。市内には、カバの像があります。

 ウキウキのサイクリングは、1時間ちょっとで終わりました。荷物満載の状態で走りましたが、心が軽いので、ペダルも軽い。けど・・・、ペダルそのものには少し違和感がありました。宿に到着し荷物を解いた後、再び自転車の微調整作業。いくら調整してみても、フロントディレイラーとギアの具合が良くありません。ちょっと気がかりですが、まぁ、また今度じっくり作業してみます。
 日没前に、昨日までお世話になっていたダンスの合宿所へ。同じく荷物が届かず困っている美菜さんに、荷物が届いている旨を伝えに行きました。ついでに、明日、ダンスのレッスン風景を撮影させてもらう約束をしてきました。

 宿に戻り、荷物を全て広げ、夜遅くまで荷物の整理に費やしました。自転車も再調整し、荷物もできあがり、明日からでも走り出せるようになりましたが、宿には明日の晩まで宿泊料を先払いしてしまいました。バマコ出発は25日になります。

 疲れていたはずですが、アフリカを走り出す準備が整った興奮からか、深夜過ぎまで眠ることはできませんでした。

腱鞘炎・・・? 

2008年2月16日 腕・・・、まだちょっと痛い・・・

 マリ中部の町・モプティ、今日で7泊目です。1月も6泊してるから、合計で2週間になってしまいます。

 砂砂砂のサイクリングが9日続いた後なので、もともと、4~5泊はのんびりしながら、ライター仕事をやっつけるつもりでいました。が、のんびりする理由が『のんびり&ライター仕事』から、『療養&ライター仕事』になってしまいました。

 右手首に痛みがあるんですよねぇ・・・

 痛み始めたのは、2月10日のこと。地獄の砂ロード9日目のことです。ノンボリ村の簡素な宿で目覚めると、右手首の筋に痛みがありました。 『あててて・・・、変な体勢で寝てたかな?』  
 たまにこういうことってありません?腕組みしたような状態で寝てたり、腕を頭の下に入れてたり、ベッドから片腕だけ落ちてたり。そんな感じで腕の筋を伸ばしてしまったんだと思ってました。大した痛みでもないので、あまり気にせず、出発しました。
 で、10km砂の上を自転車押して歩いた後、100km近く走って、その日の内にモプティに到着しました。それから、7日、まだ腕に痛みがあります・・・。まぁ、痛み具合は、いくらか解消されてはいるんですけど、完治はしてません。

 これって、腱鞘炎というやつでしょうか・・・?

 思い当たる節はあります。腕に痛みを覚える前の8日間は、凄まじく腕を酷使していました。砂地ばかりでしたから、自転車を押して歩くことも多々。後半の5日間なんて、押して歩くと言うよりも、引っ張ったり、持ち上げたりして歩いてました。私の自転車60~70kgありますからね、重いです。
 でも、こんなに力任せな移動を繰り返していても、筋肉痛になったりはしませんでした。私、鍛えてますからね!! でもでも、こんな痛みが出るなんて・・・。うぅ~ん、腱鞘炎?? 腕をしばらく酷使して、筋を傷みかけていたところに、変な体勢で寝てしまったため、痛みを生じさせたのかも知れません。

 もうモプティ出たいのですが、どうですかね。いちおう、明日出るつもりではいます。痛みは半減してますし、ハンドルを握っている分には、さほど痛みません。ただ、完治するまでは無理しないほうが良いことも解かっています。

 まぁ・・・、明日の朝考えるかな・・・

 とりあえず、今日は明日出ることになっても良いよう、仕事を仕上げますか。


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写真)モプティの北を流れるニジェール川。1月末にここから木造貨物船でトンブクトゥに向かいました。その後、1ヶ月で随分と水位が減っています。

長期戦に備えて、お引越し 

12月22日 朝一で空港に行きました。

 なるべく早く行かねばなりません。ダンス合宿中の美菜さんは、9時の朝食の後、10時からダンスのレッスンです。予定通り、6時半に起き、7時にはタクシーに乗っていました。タクシーは早朝の空いてる道を快調に飛ばし、20分ほどでバマコ国際空港に到着。運賃は片道4000フラン(1000円)。荷物があったら、帰りは美菜さん1人でタクシーが必要なので、乗ってきたタクシーはそのまま空港で待機してもらうことに。

 ドキドキしながら、空港の延着荷物コーナーへ。あたり一面に置かれたスーツケースの中から、自分の荷物を探します。じっくりと見回して自分のスーツケースを探す美菜さんとは対照的に、私は初見で解りました。

 今日も届いてない!!

 私の荷物は巨大な段ボール箱。この場にないことはすぐに解ります。延着荷物を管理してる窓口に行き、念のため、バゲージタグの番号から到着してるかどうかを調べてもらいました。が、やはり届いてない。意気消沈して空港ターミナルを出る私たち。「嗚呼・・・、まったく!いつ届くんだろう!?」
 タクシーに戻る前に、もういちど延着荷物の山に戻りました。今朝届いたであろう荷物の一角があり、その荷物のバゲージタグを確認したかったのです。タグは、12月16日のパリ発になっていました。で、今日は22日です。ってことは・・・?到着が5日遅れてるってことです。

心 「美菜さん、タグから判断できるのは、少なくとも5日遅れで荷物が送られとるってことやね。」
美 「5日って・・・?私たちが来たのって、何日前かいな?」
心 「4日前。やけん、もしも遅れの幅が広がってなければ、明日あたり届くかも・・・?」
美 「届くかも・・・?」
心 「届くかも・・・??」


 届くかも知れませんが、もう期待はしません。肩を落とす私たちは、行きと同じタクシーで宿に戻りました。帰りも4000フラン。往復で8000フラン(2000円)が無駄になりました。宿に戻ると、美奈さんはレッスンの準備に。私は、引越しの準備に取り掛かりました。もう、この合宿所で待たせてもらうわけにはいきません。ダンスのレッスンを受けに来たわけでもない私がここですることもない・・・。もしかしたら、まだ数日荷物が届かないこともあり得ます。年を越しちゃう可能性だって・・・。旅の情報収集もしたいので、旅行者が集まる安宿に移ることにしました。
 荷物を部屋の隅にまとめ、ダンサーさんたちがレッスンに行った後、2時間ほどネットカフェでネット作業。午後2時頃、ダンサーさんたちが帰ってきたところで、お別れです。宿代は、18日未明からお世話になってますが、17日の晩に来たと計算して、4泊分12,000フラン(3000フラン×4)支払いました。 「色々お世話になりました。宿移ります。まだバマコにはいるんで、自転車が届いたら遊びにきますよ。」 

 サイクリストの私が、バックパックを背負って向かったのは、市中心部のオーベルジュ・ラフィアという安宿。歩いて40分ほどで着きました。宿の中には、英語を解するガイドが数名たむろしていて、久しぶりに英語での会話もできそう。オーナーのボクンさんも英語を話します。彼の奥さんは日本人だそうで、宿には日本人宿泊客も沢山来るのだとか。宿代先払いだったのですが、手持ちのお金が切れていたので、銀行へ両替に行き、改めてチェックインを済ませた後、部屋に篭もって情報ノート(主に日本人旅行者が書き残した旅情報メモ)を読み漁ります。いつ走り出せるかどうか判らないけど、いつでも発てるように、心の準備と知識の蓄えはしておかねばなりません。

 夕食は、近所の屋台へ。ダンスの合宿所の近所には、行きつけの美味しい屋台がありましたが、ここのはいまいち・・・。夕食はバナナのフライだけで済ませました。夕食後、また情報ノートやガイドブックを読み漁り、あっという間に12時になりました。4人ドミトリーの部屋に宿泊客は私だけ。独り静かに床に就きました。

 挫けるな!負けるな!俺!! 明日は、きっと良い日だよ、きっと・・・

写真)今日は一枚も撮ってません・・・

待ち惚け・・・ 

12月21日 いつになったら、愛車は届くの・・・?

 私がまだ目覚める前、空が白け始めた6時前に、同宿の英国人女性ナターシャが、セグーという町に向けて出発しました。彼女は、私と同じ飛行機でパリからバマコに来て、やはり荷物が届かず、このダンスの合宿所にお世話になっていました。1ヶ月間の短いマリ滞在で、マリ伝統の装飾デザインの勉強に来た彼女は、いつ届くかわからない荷物に見切りをつけたのです。ほぼ手ぶらのままで、彼女の本来の受け入れ先があるセグーに行きました。

 さぁ~て・・・、私はどうしましょうかね・・・?

 当初の予定では、12月20日にはバマコを出発しているはずでした。でも、その予定は2つの理由によって、変更を余儀なくされました。ひとつは、自転車が届かないこと。もうひとつは、急ぐ必要がなくなったこと。

 なぜ、この年末に合わせてマリを訪れたかというと。酷暑を避けて冬場にアフリカを旅したかったこともありますが、最大の理由は、ジェンネのお祭りを見るためでした。マリ中部にジェンネという町があります。私の妹が文化人類学の研究で1年暮らしている町ですが、この町は世界遺産の土造りの大モスクで有名なところです。
 その大モスクが、今年、建造100周年にあたるらしく、2007年12月27日から3日間、盛大な『建造100周年記念祭』が行われるというのです。世界中から文化人やイスラームの要人が集うという噂でした。きっと壮麗なお祭りになるでしょう! そりゃぁ、見たいですよね? そのお祭り!! 

 でも・・・、そのお祭りは延期になりました。

 祭りの延期を知ったのは、私がマリに到着してから。妹にマリ到着の旨を連絡したところ、「そうそう、あの祭り、残念ながら延期になっちゃった…」ですと。聞くと、そもそもの計画の規模に無理があったらしく、開催費用が不足気味だった上、一部のお金が横領されていたとのこと・・・。100周年記念祭の計画は、再度練り直しになり、1~2ヶ月後に改めるとのことでした。私、その祭りにあわせる為に、このタイミングでマリに飛んできたんですけどね・・・。まぁ、そんなこと言ってても仕方がないですよね・・・。

 という訳で、ジェンネに急ぐ必要もなくなったわけです。でも、せっかく妹がいるんですし、少しでも長くジェンネ滞在を楽しむ為に、なるべく早くジェンネに向かいたい! ・・・だけど、自転車がない・・・。

 今日21日から、私がお世話になっているマリ伝統舞踊のダンス合宿所(ワークショップ)では、レッスンがスタートしました。昨日まで一緒にのんびりやってた日本人3名、仏人1名、スイス人1名のダンサーたちは、朝から宿の近所の練習場へレッスンに行ってしまいました。残ってるのは、私独り・・・。
 今朝の便で荷物が届いてるかどうか?気になるところですが、空港に電話してみても、誰も電話に出ません。なんだか、いつまでも荷物が届かないような気がしてきました・・・。ここで年越しか?? 今朝、荷物を諦めてセグーへ向かったナターシャの判断は正しかったのかも知れません。

 しかし、荷物が届かないからと、いつまでもダラダラしている訳にもいきません。今日は、エールフランス航空のオフィスに行くことにしました! 12月17日、パリを出発する時に強制的に買わされた『バマコ発パリ行片道航空券』のキャンセルと払い戻しの手続きのためです。
 エールフランス航空のオフィスは、バマコ中心部の南の方。宿から歩くと45分ぐらい。炎天下をテクテクてくてく歩いて、オフィスに到着すると、営業窓口は閉まっており、チェックイン用の窓口しか開いてませんでした。仕方ないので、チェックイン窓口の無愛想極まりないマリ人女性に英語で話しかけると・・・「Wait!!」と一言。言われるままに待ったら、奥から英語を話すマリ人女性が姿を現しました。その女性が言うには、「今日は発券業務はしてませんから、キャンセルなどの手続きは、今夜20時以降に空港のカウンターに来て頂くか、24日月曜日にこの隣の営業窓口までお越し下さい」とのこと。

 さぁ、いよいよ今日はすることがなくなりました。

 結局、今日の外出はこのエールフランス航空だけ。残りの時間は、宿の部屋で、パリを発つ時にもらった小説を読んでいました。あっという間に本を読み終わってしまったので、夕方に昼寝して、夜はパソコン作業。夕食は近所でポテトフライだけ食べて、足りない分はバナナでごまかしました。
 夕食後、やはり荷物が届かなくて困っている美菜さんから、「今夜、これからタクシーで空港行ってみようか?」との提案。しかし、今夜、空港に行って自転車が届いてても、私は深夜に自転車で市内まで走って戻る訳にもいきませんし、届いてなかったら、タクシー代の無駄になってしまいます。明朝に行くことにしました。

 夜は更けました。明日は6時半に起きて、7時にはタクシーで空港に向かうことになってます。

 ダラダラと・・・、何も収穫がない1日でした。

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写真)今日撮った唯一の写真。バマコ中心部にあるカテドラル(教会)です。

犠牲祭 (注意)今日の写真は少しグロッキーです 

12月20日 イスラームの大事な犠牲祭・タバスキ。ぐずぐずしてたら、良いとこ見逃してしまいました・・・。

 午前3時半、美菜さんの声で起きました。 「心さん、空港行く時間ですよ」。蚊に刺されないよう、布に包まって寝てましたが、それでも寝返りをうったときなどに、徐々にターバンがめくれ・・・、足首や腕を数ヶ所刺されてました。痒さと羽音であまり寝た気はしませんでしたが、空港に行く時間です。慌てて身支度を整え、車に乗り込みました。
 ハンドルを握るのは、美菜さんたちが参加するダンス・ワークショップ(合宿)の先生、バンジュグさん。マリで最も優れたダンサーのひとりだそうで、現在ベルギー在住。昨日の便で、マリに帰国したんだそうです。バンジュグさんは、三菱の四駆をギュンギュン飛ばして、あっという間に空港に到着!
 4時を回っていましたが、ロイヤルモロッコ航空の便は、少し前に着いたところのようで、ちょうど荷物がターンテーブルに出始めたところでした。到着した客に混じって、出てくる荷物を待ちます。美菜さんとナターシャと私が横一列に並び、今か今かと待ちますが・・・

 今日も荷物は届きませんでした。嗚呼・・・、また明日かよ・・・。

 ないモノは仕方ない・・・。でも、空港の延着荷物窓口に電話が繋がらないのは問題です。窓口に正しい電話番号を確認しに行きました。係員のおじさんに「昨日何度も電話したけど、繋がらなかった」という旨を説明し、正しい番号を聞きますが、帰って来た返事は!?  「ごめんごめん、昨日は受話器が上がりっぱなしだったんだ。その番号で合ってるよ」って。

 受話器が上がってたんだったら、仕方がない・・・。いや、仕方ないもんか!! 仕事する気あるのかよ!?

 意気消沈して宿へ戻る3人とバンジュク先生。あれ?そういえば、もうひとりダンス合宿参加者を迎えに来たんじゃなかったっけ・・・? 聞くと、その人は迎えよりも先に、自分で合宿所に向かってしまったとのこと。返りもギュンギュン飛ばして、あっという間に宿に戻ってきました。宿の前には、日本人男性の姿。 「あれ?男の人だ!」
 美菜さんはじめ、皆が合宿参加メンバー最後のひとりも女性だと思っていたそうです。でも、目の前にいるのは男性。マリと周辺国で1年間、ダンスや太鼓を習いに来たというトミヤ君26歳。私と同じ部屋に寝泊りすることになっていたらしく、私が鍵を持って出た為に、私が帰るのを待っていたそうです。早速部屋に案内し、荷物を広げて横になりますが、彼は眠たくないとのこと。私も蚊に刺されながらとはいえ、6時間くらいは寝ていますから、眠たくない。しばらく、語らっていると夜が空けました。

 さぁて、今日はタバスキです。羊が屠られる前に何かしらの儀式があるはずですが、どうせ昼以降のことだろうから、のんびり待つとします。昨夜は早く寝て、今朝も早かったので、日が高くなり始めると、なんだか眠たくなってきました・・・。トミヤ君は相変わらず眠たくないとのことですが、私はちょっと寝ることに。1時間だか?2時間だか?少し寝てすっきりしました。タバスキの儀式を見逃してやいないかと、耳を澄ましますが、まだ町中から羊のメェ~メェ~鳴く声が聞こえてます。大丈夫、まだ彼らは生きている!
 安心して、シャワーを浴びて、部屋で原稿仕事を始めました。新聞連載の次の掲載日は12月27日、今日中には原稿を仕上げて送らないと担当者に迷惑をかけてしまいます。最近、酷く集中力の落ちてる私ですが、今日は違いました。部屋に篭り、一度打ち終わった文章を、消しては打ち直し、消しては打ち直し・・・、時間をかけて練り上げていきます。途中、町に流れるコーランの朗誦のような声に気がつきましたが、気には留めませんでした・・・。でも、その朗誦こそが、タバスキの儀式だったんです!

 満足いく原稿が仕上がった頃、部屋の外に出ると、あれ!?羊の声がなくなってる!? 慌てて玄関先に飛び出ると、ここの宿の前でも羊が捌かれていました。すでに頭は落とされており、体の解体作業中です。嗚呼!遅かった!! 犠牲の羊を屠る前には、必ずイスラームの坊さんが儀式をします。さっき、街中にコーランの朗誦のようなものが流れたのがそれでしょう。その儀式が終わると、町中で一斉に犠牲が屠られるのです。

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写真1)頭を落とされた羊さん・・・。

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写真2)解体作業中。

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写真3)頭も食べるんです。 イスラーム圏では、たまに羊の頭の丸焼きとか蒸し焼きを見ます。でも、私は食べたことありません。

 今朝まで、あんなに羊の声が響いていた住宅街も、今では全くメェ~メェ~聞こえません代わりに、オメカシした子どもたちが騒ぐ声がやたらと聞こえます。タバスキは、イスラームのお正月。お正月といえば、親戚参りです。人々は、正装をして、親戚の家を訪ね歩いたり、各家庭で羊肉を使ったパーティーをします。
 犠牲祭の儀式を見逃してしまって、とても残念です・・・。 何も、羊の頭が落とされるところを見たかった訳ではなく、人々がどのように儀式を行っているのかが見たかったんです。嗚呼、残念・・・。肩を落とし、部屋に戻ると、なんだかまた眠たくなってきました。もう儀式は終わっちゃったんだし、荷物も届かないし、寝るか! ・・・zzzZZZ

 何時間寝たんでしょう?2時間ぐらいかな?トミヤ君が部屋に戻ってきた音で目覚めました。朝からバナナしか食べていない私は、お腹の虫が騒いでます。何か食べに行こうかと、トミヤ君を誘うと、 「あれ!?羊食べてないんですか?」って・・・。えぇ!?また逃しちゃった?俺!? 聞くと、昼ご飯は、屠られた羊の肉を焼いて食べたとのこと。慌てて階下に下りましたが、それらしい料理はすでに見当たりませんでした。また逃しちゃったのです・・・。落ち込む私に、カナエさんは、「夜も羊料理するってよ!」と励ましてくれました。そうですよね、まだお肉あんなに残ってるもん!

 気を取り直し、近所のネットカフェへ仕上げた原稿の通信に行きました。戻って来る頃には日が暮れかけていました。夕食はおすそ分けをもらえるにしても、大食漢の私が足りるわけもありません。食事前に、ちょっと小腹を満たすべく、バナナを買いに行こうとしたら、仏人女性のカトリーナさんが着いて来ました。随分とお上品な家庭に育った方らしく、一人では歩き回りたくないとのこと。仏語の通訳にもなるし、一緒に市場の外れまでいきましたが・・・、やはり、育ちが良い方のようで、「こんな砂埃だらけの露店で売ってるものは食べられないわ!」と・・・。 「でも、ほら、フルーツなら皮を剥けば、中はキレイですから!」私の助言で、彼女はバナナやオレンジを買い込んでいました。
 日没後は、期待した通り、羊肉の煮物を少しだけおすそ分けしてもらえました。タバスキなので、昨日一昨日の晩を食べたあの屋台もやってませんでしたし、バナナでお腹を膨らませといて正解でした。

 さぁて・・・、夜は更けてきました。が、今日も荷物に進展はなかった。タバスキも大事なところを見逃してしまった。もう、今日は何もないよね? 早めに寝るとします・・・。

今日ものんびり・・・。明日も・・・? 

12月19日 夜明けは6時半頃。なんとなく早起きしてしまいました。で、起きて早々、今日も1日のんびりすることが決まりました。

 未明、舞踊団の人々と一緒に空港へダンス合宿参加メンバーを迎えに行った美菜さんから、残念なお知らせ・・・。 「今朝の便には私たちの荷物載ってなかった…。」と。

 あららら・・・、今日ものんびり時間潰しですか・・・。まぁ、1日遅れで届かんのも無理はないでしょう。私たちが利用した昨日の便には、更にその数日前のフライトで運ぶべきだった荷物が載ってましたからね・・・。いつ届くのか?予想は立ちませんが、なんだか嫌な予感もします・・・。
 のんびりと決まったので、顔も歯も磨いたばかりですが、また床に戻りました。二度寝して起きると、今日到着した人々の姿がありました。今日の未明の便で到着したのは、日本人女性のカナエさんと、スイス人女性とフランス人女性の3人。それぞれと少しずつ話した後は、ガイドブックを読んだり、原稿書いたり、ぼけぇ~っとしたり。

心 「ところでさぁ、ナターシャ。荷物が明日も届かなかったら、君はどうすんの?」
ナ 「さぁ?どうしましょう・・・?今からまた空港に電話してみない??」


 私たちが利用した便の翌日便は、今朝、美菜さんが確認して、荷物がなかったと言っています。が、もしかしたら、それとは別の便で届いてるかもしれません (多分ないけど)。マリに1ヶ月間、絵の勉強をしに来たナターシャは、荷物が届き次第、早く受け入れ先のセグーという町に移動したいそうで・・・。ふたりで一緒に、宿の隣の電話屋へ。空港の延着荷物コーナーの電話番号は昨日確認しています。メモを渡して、電話屋のおじさんがダイヤルしてみますが・・・。 「ノン!繋がらないよ?」 マリでは、電話屋から電話をかける時、電話屋の店員さんがダイヤルして、相手が出たら受話器を客に渡すシステムになってます。
 どうやら、教えてもらった番号そのものに間違いがあるようです。もしくは、回線が悪いか・・・。いずれにせよ、これでは荷物の到着確認はできません。今日はもう諦めるしかなさそうです。
 マリ到着後まだメール確認していなかったので、ナターシャが見つけた近所のネットカフェへ。砂埃が積もった店内には、中国製のパソコンが数台並んでいました。回線の速度はいまいちでしたが、それでも自前のPCを繋ぐことができたので、比較的快適なネットサーフでした。料金は1時間300フラン(60円)。これなら、何もすることがない時は、ネットカフェでネットサーフやネット作業で時間を潰すのも良さそうです。

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写真1)近所のガキんちょを撮ってみました。

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写真2)宿の周囲はこんな感じ。未舗装道路なので、埃っぽい・・・。

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写真3)明日はタバスキ。各家の軒先には、羊さんが繋がれています。羊で遊ぶ子どもたち。

 そうそう、明日はタバスキなんです。昨日、「やたらと羊が多いでスねぇ~!」と美菜さんに言ったら、「明日はタバスキだから」という答えが返ってきました。タバスキとは・・・?よくよく考えてみたら、『イード・アル・ケビール/Eid-al-Kebir』のことですよね!
 タバスキ(=イード・アル・ケビール)、イスラームの大事な大事な犠牲祭です。メッカの巡礼月の最後に行われる犠牲祭で、いうなれば、イスラームの正月です。どおりで羊が多いわけだ!しっかし、なんという数でしょう!?各家々に1頭ずつ羊がつながれているます。宿の近所をちょっと歩くだけでも、相当な数です。私、旅の時間の多くをイスラーム圏で過ごしてきましたが、こんなに沢山羊さんたちが屠られる犠牲祭は初めてです。明日は、凄い光景を見る事になりそうです・・・。

 夕方、カナエさんと一緒に市場の方まで散歩に行きました。明日のタバスキを前に、市場は買い出しの人々で溢れかえっていました。ぶらぶら歩きながら、バナナフライや牛串焼きサンドイッチ、アイスなどを買い食いして、バナナを買ってから宿に戻りました。
 宿に戻ると、美菜さんから提案が。 「今夜、また別のお客を迎えに空港に行くから、一緒に荷物取りに行きませんか?」と。届いてるか届いてないかは解りません。私たちも美菜さんも空港にそれぞれ電話してますが、電話は繋がらないのです。だったら、実際に行って見るほか方法はありません。返事は、「ぜひ!」

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写真4)宿はこんなところです。正確には宿ではなく、マリ伝統舞踊を習いに来た人々の為に提供された民家(?)

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写真5)市場周辺は大混雑。皆、明日の買い出しでしょうか。

 夕食は、宿にいる6名全員で出かけました。今朝到着したばかりの仏人女性から、「お腹を壊す恐れがない清潔な店」というリクエストがあったので、小奇麗なレストランに行きました。値段は、屋台の10倍ぐらい・・・。「外で食べても平気だよ?」「外でも十分美味しいよ?」という意見が噴出し、仏人女性以外の誰もそのレストランで食事したがっていないことが判明・・・・。しかし、ダンサーの4名は、『これから一緒にダンスを習うメンバーだから初日から仲違いは良くないだろう』ということで決着したようで、その小奇麗なレストランへ。
 で、ダンスのレッスンを受けに来た訳ではなく、成り行きで何となくお世話になっているだけの、私とナターシャは、昨夜と同じ宿の近所の屋台へ。ゆで卵と煮豆のサラダスパゲッティでした。これも美味しかった! 昨日と同じ屋台に行ったのですが、ここの屋台は人気のようで、いつもご近所さんで賑わっています。おばさんとお手伝いの娘が忙しく切り盛りしてます。この親子、通じるフランス語は数字だけなので、私もナターシャもほとんどジェスチャーだけで注文や会話をしてました。伝わってんだか、伝わってないんだか、良く解りませんが、随分と仲良くなりました。明日も夜ご飯はココだな! ん?明日もこの宿にいるのか・・・!?

写真6)夕食は、ナターシャと一緒に昨夜と同じ屋台へ。

 午後8時過ぎには宿に戻り、未明の空港行きに備えて、早めに床に就きました。部屋の中が暑かったので、テラスにマットレスを広げて、蚊を避けるため、ターバンを広げて全身を覆って眠りました。3時には起きて、空港に行く事になっています。

 明日は届くよな・・・、届くといいな・・・。

砂の世界から帰還しました 

2月10日 砂の世界から帰還しました・・・

 トンブクトゥを出たのが、2月2日。3日半、荒野の凸凹道を走り続け、ドゥエンザという町に着いたのが、2月5日の午後。
 で、そこから完全なる荒野、道なき道を南下して、ドゴン族の集落巡りへと向かいました。ドゴン族は、バンディアガラの断崖と呼ばれる断崖&岩の台地に暮らす少数民族。独自の文化と宗教を持っていて、マリ観光の目玉でもあります。
 ドゴン族の集落巡りは、4泊5日の地獄のサイクリングでした。砂!砂!砂!たまに岩!の過酷なロード・・・。キツイ移動でしたが、存分にM性を満たしてくれた時間でした。

 ドゴンの話はまたこんど紹介しましょう。

 現在地は、3週間前にトンブクトゥ行きの船に乗ったモプティです。当初は、バンディアガラという小さな町に滞在するつもりでしたが、もうちょっと砂の少ない町でのんびりしたくて、わざわざ90km走って、モプティに戻ってきました。

 ここで4~5泊休憩します。

トンブクトゥを出ます 

2月2日 予想外に長居してしまったトンブクトゥ、これから出ます!

 トンブクトゥは砂漠でのキャンプを含めて7泊?8泊したのかな? 長い滞在でしたが、あまり外にはいませんでした・・・。砂で喉を痛めてたので、部屋でパソコン仕事をしてる時間が多かったのです。

 これから向かうのは、ドゥワンザ! トンブクトゥから南に250kmぐらいのところにある小さな小さな町です。その間は、ずっと砂深いオフロード・・・。5日間で走れれば良いかな?と考えています。この先、2月9日ぐらいまでは、ネット環境どころか、電気もないような生活です。

 では荒野を楽しんできます!!
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