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自転車の教会に行こう! 

2007年10月9日 最後の晩餐がダメなら、ここに行こう!!

 レオナルド・ダ・ヴィンチの【最後の晩餐】が見たかったのに・・・、要予約ですってよ・・・。今日の明日に扉を叩いて、「ちょっと今から見せて下さい!」じゃ、ダメなんです。一応明日、扉を叩きに行ってきますけど・・・、99%無理でしょう。

 せっかくミラノに来たのに・・・


 ちょっとガッカリしていた私ですが、素敵な“代わり”を思い付きました☆


 知ってはいたんですが、すっかり忘れていました!ミラノの近くに、『サイクリストの守護聖人/サンタ・マドンナ』が祀られている教会があるんですよ!!

 サイクリストの守護聖人って・・・、何?って思いますよね。守護聖人ってのは、ローマン・カトリックの人なら解るでしょうけど、特定の地域(例えば町)や職業や日にち人などを保護する聖人のことです。
 この教会、サンタ・マドンナ・デル・ギザッロ教会に祀られている聖女サンタ・マドンナさんが、何でサイクリストの守護聖人になっているのか?よく理由は知りませんが、ヨーロッパのサイクリストには、とても有名な教会なのです。

 私も、この教会に行きたい!

 最後の晩餐を逃してしまったからには、この教会だけは逃すまい!!



 サンタ・マドンナ・デル・ギザッロ教会がある、コモ湖畔までは、ミラノから北に70kmぐらい。旅の進行方向(西)を考えると、2日分ぐらいの遠回りになってしまいますが、行かない訳にはいきません。

 次の目的地は決まりました。明日は、ミラノ中心部の見所をサラッと見学した後、北上してコモ湖を目指します!
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地球みちばた見聞録/第31回 

2007年4月12日掲載(西日本新聞にて)

家族40人で祝う正月

サラグス ― マシャド (イラン)


 イラン最大の聖地マシャドは、休暇を利用した巡礼者であふれ返っていました。3月21日から始まるイラン正月「ノウ・ルーズ」。混雑を承知の上でやってきましたが、甘かった。数百軒あるホテルはどこも満室。探し回った末にたどり着いたのは、改装中のホテルの管理人室でした。
 住んでいるのは経営者のアジ・ムラディさん(54)と妻ザハロウさん、そして2男から5男までの息子たち。私を家族のように扱ってくれ、夜はアジさんと末っ子ムスタファと枕を並べて眠ります。
 正月3日目(3月23日)、ザハロウさんの父で一族の長老ヤドラーさんを訪ねました。丘陵地帯の美しい農村にある長老宅では、次々に集まった親類から、握手や両ほおを寄せ合うあいさつで迎えれます。もちろん、身内でない私の体に触れるのは男性だけです。
 紅茶とナッツ、そして甘いクッキーを食べながら、ムスタファが皆を紹介してくれました。「伯父さんのムハンマッドに、その息子のハミッド。アシュラフとホセイネはいとこ。その隣がファティマとジャバッド兄弟。あの子らは、メヘディ兄ちゃんの子供でアミールレザーとアリレザー・・・」って、40人もいれば誰が誰やら分かりません!
 全員がそろったところで、居間の真ん中に大きなシートが広げられ、女性総出で調理したホレシュ(青菜と肉の煮物)をベレンジ(ピラフ)が並びました。全員が車座になっての会食です。
 「ココロ!もっと食べなさい!」遠くから、ザハロウ母さんの声が飛び、一堂大笑い。おしい料理と笑顔で満腹になったころ、私はほぼ全員の名前を言えるようになっていました。
 イランはどこも大家族。核家族化が進んだ日本では見られなくなりつつある家族の姿がここにはあります。深くて温かいきずなを感じました。

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掲載写真)アジアさんのおい・ハミッドさん(下)はひょうきん者。お馬さんごっこでその背中に乗った子どもたちは大喜びだった。
 (追記)左から順に、アミールレザー(2)、アリレザー(2)、イリオス(3)、ファティマ(5)、マァエデ(6)。アミールレザー・アリレザーは、ムラディ家長男メヘディの双子の息子たち。マァエデも同じくムラディ家長女マリアンの娘。イリオスは、ザハロウさんの甥の子ども(?) ファティマは、ザハロウさんの妹の娘。

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関連写真1)ヤドラーさんの家の屋根の上で。ムラディ家4男のマスゥード(左)と従兄弟のホセイン。夕立の後、キレイな虹が出た。

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関連写真2)ベレンジを調理中のザハロウ母さんの妹さんたち。

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関連写真3)一族揃っての食事会風景。女性は奥に固まって座ってます。

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関連写真4)男たちばかりで集合写真。これで集まった家族の半分以下です。

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地図)サラグス ― マシャド (イラン)

最後の晩餐、お預け・・・ 

2007年10月8日 初めてのミラノは、月曜日でした。明日は、火曜日ですが、もう何曜日でも関係ないみたいです・・・。

 ヴェネチアから走ること3日、イタリア北部の大都市・ミラノに到着しました。手元にある旅の情報源は、イタリア北部の地図だけ・・・。ミラノには何があるのか??知っているのは、サンタ・マリアなんとか教会にレオナルド・ダ・ヴィンチの【最後の晩餐】があるということぐらい。

 他にも色々と見所があるんだろうけど、欲張ってると入場料も滞在費もかかってしまうので、この【最後の晩餐】ひとつに絞って!ミラノの中心部に入ってきました。

 こじゃれた通りをひた走り、中心部に到着すると、やったらとトゲ!トゲ!ゴシック!ゴシックした巨大な教会が見えてきました。「あっ!これ知ってる!」これでも私、元旅行会社勤務ですからね、見れば思い出します。500年かけて完成したというミラノのドゥオモではないですか!!

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写真1)トゲトゲしてます。イタリアのゴシック建築の傑作!

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 ドゥオモ前の広場で、しばしの休憩。広場には観光客とミラノっ子が溢れています。日本人観光客でもいれば、ガイドブック見せてもらおうと・・・、探しますが、いない!?アジア系の旅行者は中国人ばかりです。ヴェネチアも中国人沢山いたけど、ここもそうか・・・。

 広場でのんびりしている間に、複数のイタリア人から声をかけられました。どこ行くの?どこから来たの?まぁ、良くある質問。ひとり、やたらと興奮しているおじさんがいましたが、彼は夫婦でよく週末自転車旅行に出掛けるらしく、私の旅の軌跡に目を輝かせながら頷いていました。もしも、「今晩お宅に泊めて下さい」と言ってたら、多分喜んで招待してくれたと思う・・・。そんなこと言えない、私が悔しい・・・。

 ドゥオモの中に入るには、荷物を満載した自転車を外に放置していく必要があるので、涙を呑んで、教会内の見学は諦めました。いずれ、ミラノには再訪することがあるでしょう、きっと。
 で、向かった先は、サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会!!

 石畳の道を10分ほど走ると、お城らしき巨大な城門前に到着・・・『ここじゃない・・・、よね?』キョロキョロしていた私を呼び止めたのは、売店のおじさんでした。イタリア語で何か話しかけてきて、嬉しそうに売店前まで私を引っ張って行きます。店のカウンター内には英語を話す若い兄ちゃんがいて、開口一番・・・

 「日本から自転車で!?僕も来月から、自転車旅に出るんだよ!」

 と、凄く嬉しそうに話しかけてきました。自転車先進国のイタリアですが、あまり長期で自転車旅をするイタリア人はいません。私のようなサイクリストに出会えて嬉しいのでしょう。10分ほど立ち話をした後、ミラノの市街地図を貰いました。「最後の晩餐がある教会は、ここを左に行って、2つ目の角を右、更に2つ目の角を右だよ。」

 売店の自転車青年に教えてもらった道を走ると・・・、おっ!見えてきました。教会らしき建物!入り口は空いています。表に自転車を停めて、中に入ろうとしたら、張り紙が目に入りました。

 「ん?なになに?【最後の晩餐】は、国立博物館の管理下にあり、この隣の建物に収蔵されています?」

 そんなことが書いてありました。隣を見ると、小さな建物があります。その建物の入り口は閉まってる・・・。もしや、休館日!? 入り口脇の案内板を見て、がっくし・・・ 『開館日:火曜日~日曜日』ですと!今日は月曜日じゃないですか!

 せっかく最後の晩餐を見に来たので、これを見ずにミラノを出る訳にはいきませんよね。仕方ないので、ミラノの中心部に宿を取る事にしました。もしも今日、最後の晩餐が見れてたら、そのままミラノを後にしようと思ってたんですけどね・・・。

 観光案内所で教えてもらったユースホステルに行ってみると、かなり小奇麗な建物で、インターネットの無線ランも飛んでる!! 1泊
ユーロは高いですが、ネットカフェに数時間いたと思えば、十分元が取れる値段です。
 宿のネット室に篭り、溜まっていた通信を一気にやっつけます。時計を気にせず、ネットができるって素晴らしい☆

 でも・・・、ネットサーフしてたら、嫌ぁ~な情報を見つけてしまいました・・・。

 【最後の晩餐】の見学には予約が必要。混雑するシーズン中は、早めの予約を!

 って・・・。そんなんあるんですかぁ~!!うぅ~ん・・・、確か、昔そんな話を聞いたことがあるような気もしてきました。要予約かぁ・・・。ミラノの中心部に溢れる観光客の数を見ていると、明日の見学も難しそうです・・・。やはり、ガイドブックは必要ですね・・・。
 嗚呼、目の前にあるのに・・・!!

 今回の【最後の晩餐】見学はお預けか・・・

地球みちばた見聞録 / 第30回 

2007年4月5日掲載(西日本新聞にて)

砂漠地帯で激しく消耗

サマルカンド(ウズベキスタン) ― サラグス(イラン)


 走れど走れど砂の大地は続きます。通過査証で入国したトルクメニスタンは五日間で抜けねばなりません。
 三月のカラクム砂漠には、夏のような日射しが照り付けていました。冷たいコーラが飲みたい…。しかし私には金銭的余裕がありません。入国時、計算ミスと勘違いから、現地通貨・トルクメン・マナトへの両替が不十分だったのです。気がついた時は、すでに砂漠のど真ん中。
 倹約のため通過した村の井戸から給水し、食事はパンとはちみつだけ。馬力が出るはずもなく、三日目、世界遺産「メルヴ遺跡」があるバイラマリーに到着したときには、体力は限界に達していました。
 駅前の食堂宿に入るとすぐに深い眠りに落ち、目覚めたのは深夜でした。心配そうな顔をした宿の主人アタシュさん(32)と、流ちょうな英語を話す男性が傍らに座っています。「おいが『夕方やって来た日本人が病気だから、具合を聞きに来てくれ』と言うんだよ」。アタシュさんのおじは英語教師でした。
 おじさんを通訳に交えて旅路を説明していると、部屋中に響く大きなおなかの音!私の空腹を察したアタシュさんは、食堂から温かいスープとパン、山盛りのお菓子を持ってきてくれました。
 「あの砂漠を越えてきたんだ、そりゃ疲れるさ。食べて 食べて」。勧められるまま、すべてペロリと平らげる私に、二人はにっこり。翌日の昼食は、羊肉とタマネギを厚手の皮で包み、釜で焼いた自慢のサモサでした。たっぷりとごちそうになり、出発の時を迎えました。
 三食付けてもらったのに、お代は宿泊料だけ。満足な謝礼をできないことを恥ずかしく思うとともに、温かいもてなしに胸が一杯です。
 この五日間で五百80kmを走り抜き、査証の期限内でなんとかイランに入国。乾きと貧しさで、ギリギリの毎日でした。

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掲載写真)バイラマリーのバザールでは、珍しい外国人(私)に女性たちが大騒ぎ、商品のクッキーを手に、写真を撮るようにせがまれた。

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関連写真1)アタシュさんと奥さん。

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関連写真2)どこまでも続くカラクム砂漠の一本道。ラクダに注意△

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関連写真3)メルブ遺跡に残る、居城・大クズカラ。紀元前から、有力者の居城として使われてきた大きな建物。


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関連写真4)アタシュさんの店・自慢のサモサ。

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地図)サマルカンド(ウズベキスタン) ~ サラグス(イラン)


地球みちばた見聞録 / 第29回 

2007年3月27日掲載(西日本新聞にて)

絹の道、祈りに守られて

ホジャンド(タジキスタン) ― サマルカンド(ウズベキスタン)


 「ココォ!」
 ウズベキスタンの古都サマルカンド。通りの向こうから、男性が笑顔で駆け寄ってきました。
 「バザ・・・、バザルバイさん!」私も笑顔で迎えます。通りでいつも出会う彼は、5日前に私が教えた自分のニックネーム「ココ」を覚えていました。私の方はうろ覚えでしたが。
 この52歳の陽気なおじさんは、いつもマシンガンのように話します。「何?今からたつのか?ではお祈りをしよう」。そしてムスリムの彼は、いつもその場で私の旅の安全を祈ってくれるのです。
 私も一緒に、両手のひらを腕の前に出し、顔に向けて構えます。タジク語とアラビア語での祈りが始まりました。ウズベキスタンで最も有名な都市・サマルカンドの住民の大半がタジク人だということはあまり知られていません。長いお祈りの最後は、両手で顔を拭うような動作と「アッラーフ・アクバル」(アッラーは偉大なり)で締めくくられます。この国では、各地でこのお祈りをしてもらいました。
 別れに際し、彼は自分の小さな帽子を私に差し出しました。ムスリム帽です!実は私、民族帽子の収集家。福岡の実家には、数十個の帽子やターバンが眠っています。
 帽子を私にかぶせた彼は「ラー・イラーハ・イッラッラー」(アラーのほかに神はなし)と唱え、私にも復唱を求めました。これはイスラムの教えに従うことを誓う信仰告白。私は改宗する気はありませんが、真剣な彼のため、一緒に唱え続けました。
 すべてを終えると彼は満面の笑みで言いました。「これで大丈夫。アッラーが守ってくれるからな」。長い歴史の中で常にシルクロードの要衝だったこの街で触れた、暖かい人々の厚い信仰。多くの人の祈りと彼がくれた帽子のおかげで、私は安全なシルクロードの旅を続けています。

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掲載写真)信仰厚いムスリムのバザルバイさん。会うたびに、私の旅の安全を祈ってくれた。

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関連写真1)バザールで買い物帰りのバザルバイさんと奥さんと孫娘たち。皆、私が理解してようがしてまいが、お構いなしに話しかけてきてくれる。

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関連写真2)バザールで女性用のウズベク族の伝統的な帽子を売る女性。

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関連写真3)バザルバイさんに貰った毛糸製のムスリム帽を被った私。
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地図)ホジャンド(タジキスタン) ― サマルカンド(ウズベキスタン)

2007年の未公開エピソードを順次公開!! 

 お知らせです。

 もう秋ですねぇ・・・、この感じだと、あっという間に2007年も暮れになってしまいそうです。今年は、あまりブログの更新を行ってきませんでした。ネット料金の高騰&忙しくなったというのも理由ですが、サボり癖がついてしまっていたのが、最大の原因かも知れません・・・。いつも楽しみにしていて下さる皆様、申し訳ございませんでした。

 不定期で、かつタイムラグはありますが、2007年の1月以降のエピソードを少しずつ公開していきます。
 時系列どおりに並びませんので、私の現在地を勘違いされないよう、ご注意下さい。


 私の最新(10/5)の滞在地は、イタリアのヴェネチアです。

ヴェネェ~ツィア!! 

10月5日 長らくブログの更新がないので、心配の声が多く寄せられています。

 現在地は、イタリアはヴェネチアです。

 この2週間、ハイペースで走ってきました。9月18日にマケドニアのオフリドを発って以降、アルバニアを2泊3日、モンテネグロを3泊4日、クロアチアを8泊9日、スロベニアを1泊2日、で、イタリアは入国後4日目(内2日の走行)でヴェネチアまで来ました。頑張ってるでしょう?
 この間、インターネット環境はほとんどありませんでした。ほぼ毎日100km以上走り、キャンプ主体の移動です。たまにネットカフェがあっても、日本語の読み書きはおろか、自前のラップトップの接続もままならないような場所ばかりでした。
 おまけに、ネット代が高い!!イタリアに入国して4日目ですが、イタリアでこれまでに訪れたネットカフェで最安は、1時間5ユーロ、つまり1時間で800円以上!それでも最安値ですよ?高いところは、8ユーロなんんてのもありました。1時間5ユーロの場所は、15分でも2ユーロ・・・。だったら、その2ユーロで少しでも良い飯を食べた方が良い。ネットの使用は、極力、連載仕事の通信だけにしてます。すみません、ブログにまで手が回らなくて・・・。

 で、今日は、ヴェネチアにいます。さすが観光地とあって、インターネットカフェは何件もありますが、やはり使用料は激高です。今いるカフェは1時間7ユーロですよ!?1200円ぐらいです、信じられん!

 
 ヨーロッパでは、たまに自由に利用できるワイファイが飛んでる場所があるようです。そういった場所をなるべく使って、ネット作業をやりたいのですが・・・、なかなかそういう場所に行く機会も時間も取れません。限られた時間とお金で、物価高のヨーロッパに挑んでいるので、そこらへんは削らざるを得ないのです・・・。

 なんか愚痴っぽくなりましたね、すんません。

 何はともあれ、今日は美しきヴェネチアの街を楽しみます★ この街は、8年ぶり2度目の訪問。前回の記憶も薄くなり、写真は喪失してしまっているので、今回はとことん楽しんで、大きな思い出にしたいと思います。

 ブログの更新、できるときに、たまにやります。気長にお待ち下さい。
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