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ディヤルバクルは素敵なところ☆ 

 5月31日 あぁ、今日で5月も終わりかぁ~・・・。

 ディヤルバクル7泊目!体調も回復し、初めて旧市街の散策に行きました。これまでの5日間(初日は自転車で宿に直行)は、旧市街の外れにある宿の近所、半径100mほどしか歩いていません。病気で動けなかったのもありますが、怖かったというのも理由です。

 だって・・・、ディヤルバクルは、PKK(クルドなんちゃらかんちゃら。クルドのトルコからの分離独立を目指す活動団体)の拠点のひとつですし・・・。トルコ人の多くは、「ディヤルバクルはトルコで一番危ない街だ!」と口を揃えて言うし・・・。2週間ほど前に会ったオランダ人サイクリストのおじさんは「ディヤルバクルで青年に襲われ物を盗られそうになった!」なんて言ってたし・・・。先週あった別のオランダ人サイクリスト2人組は、「ディヤルバクルは危ないから、俺らは素通りしてきたよ。何だか物騒らしいじゃないか。」なんて言ってたもんだから・・・。

 私は逃げ足の速さと持久力には自信がありますが、体力が落ちていたので、悪漢に襲われても逃げ切る自信はありませんでした。でも、今日は随分と回復しています。まぁ、危ないって言ったって、真昼間ですから、ひと気のない場所に近付かなければ、危ない目にも遭わんでしょう。

 ディヤルバクルは、ローマ時代から続く巨大な城砦都市。現存する周囲6kmもの立派な城壁は、ビザンチン時代のものだそうです。城壁は高く、厚く、黒っぽい石が威圧感と重厚感を与えています。その内側が旧市街。旧市街は、迷路のように細い路地が入り組み、大通りは2~3本しかありません。

 路地裏大好きな私、この1週間、路地裏に飛び込みたくて飛び込みたくて、ウズウズしていました!


 一眼レフとデジカメと現金をちょこっとだけ持って、いざ路地裏へ!そこは、期待通りの素晴らしいところでした☆

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写真1)城壁はこんな感じ。デカイ!これ内側から、外の新市街を見ています。

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写真2)城壁のすぐ南側は、小さな家がポツポツあり、2~3km先にはティグリス川が流れています。

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写真3)城壁の内側は、石畳の細い路地が迷路のよう。

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写真4)路地裏にはガキんちょが溢れ、どこに行っても、子供だらけ!!

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写真5)果物売りのおじさん。おじさん・おじいさんも人懐っこい!

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写真6)古いモスクもたくさん。これは、アリ・パシャ・モスクと、ガキんちょ。

 今日一日で、フラフラと5時間ぐらい歩きましたが、1週間分ぐらいの写真を撮り、疲れ果てるくらい地元民と話しました。もっとのんびりしても良さそうな街ですが、先を急ぐので、涙を呑んで、明日この街を出るとします。

ディヤルバクル良いとこ☆ また来たいです!!
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ガラタサライ? フェネルバフチェ? 

2007年5月31日 「フェネルバフチェと、ガラタサライ、どっちが好き?」

 サッカーはトルコでも一番人気のスポーツ。トルコのプロサッカーリーグ、2大人気チームは、フェネルバフチェとガラタサライ。いずれも、イスタンブールのチームです。サッカーにあまり興味がない人でも、この2つのチームの名前は聞いたことあるんじゃないでしょうか?ないか・・・?な??


 フェネルバフチェの監督は、ジーコ! そう、ワールドカップ・ドイツ大会で、日本代表を指揮した、あのジーコ。

 ガラタサライには、稲本選手がいます。そうです、あの稲本です。イングランド・プレミアリーグにいたかと思ったら、今はトルコでプレーしてるんです。


 さぁ、どうですか、トルコリーグ。日本人がプレーしてるとなると、急に興味が湧いてきませんか?



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予想は的中! 

5月29日 ディヤルバクルで床に伏し、病院嫌いの私も病院を頼らねばならなくなりました・・・。
 症状から察するに、ある有名な病気であることは間違いなさそう。病院に行けば治る病気なので、行くしかありません。

 ホテルの目の前にある大きな総合病院に行きました。たまたまいた英語を解する職員の男性に手続きを手伝ってもらい、診察の申し込み。窓口のお姉さんたちは美人ぞろいで、ドキドキしてしまいました。診察料は、一律60リラ(5100円)。保険が利いてないので高い!(まぁ、旅行保険で後日返ってくるけど)

心 「あの・・・、その・・・、げ・・・、下痢と高熱が続いて・・・。」
美人受付嬢 「あら、まぁ。じゃぁ、○○先生のとこへ。」


 で、なんとか先生の部屋に行くと、ポロシャツ姿のラフな格好の男性医師と、美人の看護婦さんがいました。英語を解する男性に通訳してもらいながら、病状を説明した後、ベッドに仰向けになり、お腹全体の触診。先生は病名と処方する薬について、通訳さんに詳しく説明しています。

心 「先生、病名って、Amebic Dysenteryですか?」
先生「そう!よく解ったねぇ!」


 予想は的中!アメーバ赤痢でした。まぁ、そうだろうと思ってましたよ。旅行会社勤務時代に見た資料に載っていた症状と丸っきり同じでしたもの。予想していたとはいえ、病名がわかるとホッとするものです。先生が言うには、「良い薬があるから、朝・夕食後に服用しなさい。2日もすれば治るよ。もしも、3日目にまだ症状があったら、また病院に来なさい。」とのこと。すでに熱も下がり始めており、腹痛も治まってきているので、その良い薬とやらで回復するでしょう、きっと。

心 「ここいらには、アメーバ赤痢が流行ってるの?」
先生「最近増えてるんだよ。生水と生野菜は極力避けるようにしなさい。」


 そう、アメーバ赤痢の感染経路は、経口感染。食べ物や水に付いた菌から感染します。トルコは、東南アジアや南アジアの国々と比べると、湿気もないし、インフラも整ってるし、大丈夫だろうと油断してました・・・。この2週間、生野菜食べまくり、生水飲みまくりでした。
 現在滞在中のトルコ南東部は、ティグリス川・ユーフラテス川の上流域。この数年、GAP(なんとか・アナトリア・プロジェクト?)という大規模な灌漑事業が行われており、20数箇所のダムと灌漑水路網が造られています。昔ながらの乾いた農業から、年中水が使える農業に変わった為、ここ数年、マラリアや赤痢が度々流行しているんだそうです。今回病気になって初めて知りました。「油断してた」じゃなくて、無知だったのが原因。この先、食堂のテーブルに置いてる水道水と、安食堂のサラダは避けるようにします。

 なにはともあれ、薬ももらってひと安心! ディアルバクルには、あと2泊して、体調が回復したら、再び自転車の旅を再開します☆

 ご心配かけました。すんません。
 

ディヤルバクルで撃沈 

 5月28日 ディヤルバクル4泊目です。でも、全く街歩きをしていない・・・。

 トルコに入国して2週間が経過しました。この間、ドウバヤジット2泊 → キャンプ1泊 → ヴァン4泊 → ヴァン湖畔でキャンプ2泊 → ビトリス1泊 → シルバーン2泊 → ディヤルバクルと旅してきました。陽射しは日に日に強くなり、日中の日向の気温は35℃を超えています。暑い上に、上り下りが多い地形なので、一日の走行距離は短い。

 ディヤルバクルは、トルコ南東部のクルド人地域の真ん中に位置する都市。一番大きな街かどうかは知りませんが、クルド人地域の中心です。80年代~90年代のクルド分離独立運動の心臓部であり、今でも活動家が多くいるようです。街自体は、ビザンチン時代からの城壁に囲まれ、歴史あるモスクや教会が沢山残る由緒正しき街です。

 到着した5月25日の晩は、久しぶりのテレビ付きの宿で、アメリカのB級映画を見ながら、ダラダラ過ごし・・・。翌26日は、丸一日部屋で缶詰して、原稿作成・・・。

 で、原稿の最終確認をしていた27日朝・・・、急に!ほんと急に!! とてつもなくお腹が痛くなりました!!
 クーラーでお腹を冷やしたか?なんて思っていましたが、そうではなさそう・・・。6時間ほどトイレと部屋を往復していたら、更には高熱も出てきた!朦朧とする中で、脱水症状にならないよう、水を飲む努力をしますが、その水もすぐに出てしまう・・・。

 今日28日の未明まで、うなされていましたが、昼頃から、いくらか歩けるようになってきました。相変わらず、何の食べ物も飲み物も受け付けませんが・・・。明日も回復しないようであれば、病院に行きます。

 嫌だなぁ・・・、病院嫌いなんですよねぇ~・・・。


 まぁ、そんなこんなで、ディヤルバクルは、1週間ぐらい滞在することになるかも知れません。落ちた体力を戻してから、出なければ。観光せずに出るのも勿体ないですし。
 今後の移動は、ネムルート山という山頂(2150m)に遺跡が残る有名な観光地を経て、6月上旬には、これまた有名なカッパドキアに到着の予定。カッパドキアは、過去に訪れていますが、その時の写真が残っていないので、今回は写真撮影のために5日間くらい滞在します。で、その後は、イスタンブールへ向けて、アジア横断のラストラン!!アジアの最果てまで、残すところ1500kmぐらいとなりました。ヨーロッパまで、あとちょっと☆

トルコはヨーロッパか?? 

2007年05月某日 トルコに来る度に考えるんです・・・。ここはヨーロッパなのか? アジアなのか?? って・・・。

 トルコ入国後、初めの滞在地となったドウバヤジットや、続くヴァンで、トルコ人(クルド人)青年に、おかしな質問を何度かされました。

青年A 「どこから来たんだい?アジア?
心 「アジア?うん、まぁ、アジアだね。先日イランからトルコに来たんだが・・・。ここもアジアじゃないの?

青年B 「君は・・・、何ジン?アジア人?
心 「アジア人・・・、うん、まぁ、アジア人だね。日本人だよ。やたらと大きく捉えるねぇ・・・、となると、君もアジア人だよね?

青年C 「ヨーロッパへようこそ!
心 「ん?まだ、ヨーロッパにゃ着いてないよ。


 とまぁ、こんな感じの会話をすることがあります。何が“おかしい”のか?ピンとこない人もいるでしょう。私がいつも引っかかるのは、彼らの『トルコ=ヨーロッパ』という認識です。




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アリ!話を聞け!! 

2007年05月22日 「ねぇ、アリ、最後まで話を聞いてくれんかなぁ・・・?」

 ビトリスの中心部をプラプラと歩いていたら、英語を話す青年に出会いました。洋品店で働く彼の名はアリ、22歳だそうです。

アリ 「やぁ!君は、中国人かい?日本人かい?名前は?何でこの町にいるの?この町の印象は?チャイ飲むかい?」

 やたらと早口で一気に沢山のことを話す彼に、しばらく付き合うことにしました。歩き疲れてたし、言葉が通じる地元民と語らうのは楽しいことですから。しかしまぁ・・・、彼は良く喋る・・・


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写真1)アリ(左から2人目)と彼の友人たち。


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地球みちばた見聞録 / 第27回 

2007年2月27日掲載

馬レンタルは1分9円

ビシュケク(キルギス)滞在中


 「今日、私たちはスキーに行きます!」
 ビデオカメラに向かって、キルギス国立大学のヌルスルー先生が流ちょうな日本語で語りかけます。大騒ぎの先生たちを載せ、バスは、ビシュケク郊外に向かいます。
 同大学で日本語を教えている「さくらゲストハウス」宿のオーナー、疋田良陽さん(34)に誘われ、同僚の先生たちと冬のピクニックに出かけました。
 快晴の空の下、到着したのはスキー場ではなく、なだらかな丘陵地。大きなトラックのタイヤチューブに乗った人たちが、純白の斜面を猛スピードで滑り降りてきます。
 「コレは日本語で、何と言いますか?」。ヌルスルー先生は興味津々。「そ・り・あ・そ・び、です」と教えて早速、チューブを借りて斜面へ飛び出しました。ジェットコースター並の猛烈な勢い!
 100mほど滑降し、コブに差し掛かると体が宙に浮き、斜面に投げ出されてしまいました。
 痛いけど、スリル満点。先生たちは20代中ごろの若い先生ばかりで、みな子どものように大はしゃぎです。傷むお尻をさすりながら日本語と英語、ペルシャ語、そしてアラビア語の先生たちと談笑していると、目の前に一頭の馬が現れました。乗っていたのはヌルスルー先生です。
 「斜面を登るのが大変だから借りました」。行楽地に馬のレンタルがあるのが、何とも遊牧の歴史豊かなキルギスらしい。賃料はわずか1分間3ソム(約9円)です。
 さらに驚いたのは、彼女の巧みな手綱さばきでした。彼女はビシュケクから離れたキルギス最大の湖、イシククル湖畔の出身。豊かな草原が広がる地方で、馬との付き合いも深いのです。
 「(この旅で)イシククルには行きますか?」とヌルスルー先生が尋ねます。残念ながら、今回はルート外なので行きません。でもいつか夏のイシククルで、緑の草原を自転車で走ってみたいものです。

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掲載写真)抜けるような青空の下、巧みな手綱さばきでレンタル馬を操り、雪の急斜面を登ってきた日本語教師のヌルスルーさん(手前

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関連写真1)こんなところで遊んでました。郊外の丘陵地。

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関連写真2)こんな感じで滑り降ります。猛スピードで転倒すると、その衝撃はとんでもないものです・・・。負傷者続出でした。この写真は、宿のオーナー・疋田さん(後)と、同宿の旅行者・飯田さん(前)。

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関連写真3)皆で記念撮影!

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関連写真4)私も馬を借りました。乗馬は始めてではありませんが、上手く扱えなかった・・・。やっぱり、馬より、自転車の方が私には向いてます。

地図)ビシュケク滞在中

サガン青年、続き 

ひとつ前のエントリーの続きです。

 翌朝、私よりも先にサガン青年が宿を後にしました。彼が向かったのは、ビシュケク行きのバス乗り場。

サ 「ビシュケクに戻るよ。自転車の旅、気をつけてね。」
心 「ありがとう。良い仕事が見つかると良いね。頑張ってね。」

 で、彼がいなくなって1時間後、私はオシュのシンボル『ソロモン王の玉座』と呼ばれる岩山の頂上にいました。険しい階段を20分ほどで駆け上がり、200mほどの岩山の頂上に立つと・・・、あまり景色は良くない・・・。天気が良くないのです。 『あ~ぁ、昨日登ってれば良かったな・・・』昨日は、青空が広がっていました。昨日だったら、遠くの雪山や、ウズベキスタン領内の村々までキレイに見えたことでしょう・・・。

 頂上で2枚だけ写真を撮り、そろそろ降りようかと、下に目をやると・・・、あっ!サガン君!! 今朝別れを告げたばかりのサガン君がコチラにやってくるではないですか。彼が登ってくるのを待って、頂上で再びご挨拶

心 「君も登ってきたか。ここは初めて?」
サ 「やぁ!何年か前に来てるよ。今日の景色はイマイチだね・・・。ココはもう降りるのかい?」
心 「あぁ、今日は国境越えの日だからね。早めに走り始めるよ。」
サ 「そう。気をつけてね。」
心 「そっちもね。んじゃ!」

 で、山を駆け下り、宿に戻って自転車に跨り、オシュの中心にあるバスターミナルへと向かいました。バスに乗るためではありません。ターミナル脇の食堂で朝食を取るためです。マントウとナンでお腹が膨れ、これでキルギスに未練はありません。いざ!ウズベキスタン国境へ!!バスターミナル周辺の人ごみを走り抜け、大通りへと出たところで・・・、あっ!サガン君!!

心 「やぁ!よく会うねぇ!」
サ 「これが君の自転車?」
心 「そう!凄いでしょ?んじゃね!もう行くわ!」
サ 「グッバイ!」

 いつもどこか悲しげな彼、最後まで大きな笑顔は見ることができませんでした。やっぱり、昨晩は一緒に酒でも飲みに行っとけば良かったな・・・。ちょっと後悔・・・。

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写真)岩山『ソロモン王の玉座』から、オシュ中心部を望む。 

傷心のサガン青年 

 2月1日、オシュ滞在最後の日。流暢な英語を話す青年と出会いました。

 日没後、バザール歩きを終えサラホテルに戻ると、レセプションのおばちゃんが、私を見るなりギャーギャー騒ぎ始めました。毎度のことながら、何を怒ってんのか?全く解りません・・・。キョトンとしている私に、若いキルギス人の青年が流暢な英語で話しかけてきました。

青年 「あなたが、部屋のカギを持って出たので、私を部屋に入れられない、と言ってるんです。」
心 「えっ?あっ、部屋のカギ?持ってるよ。あら?持って出たらダメだったの??」
青年 「えぇ、まぁでも、問題ないですよ。気になさらずに。」
心 「ごめんね。」

 私がドミトリーのカギを締めて、そのままカギを持って出たため、新しい客が来たのに、部屋に入れられない!とおばちゃんは怒っていたんだそうです。そんなこと今頃言われたって・・・。 ほんと、相性良くないんですよね・・・、ここのおばちゃんたちと私。「なんで俺が外出するのを見てて、『カギ置いてきな!』と言ってくれなかったの?」って、言い返しても、火に油でしょうね・・・。まぁ、いいや。

 青年と一緒に部屋に戻り、私の散乱した荷物を慌てて片付けました。彼のベッドにまで広げていた荷物を片付けたところで、ようやくお互いの自己紹介。彼の名前は、サガン。出身は、ジャララバード市で、現在ビシュケクの大学で勉強中の大学4年生。オシュに何の用事があって来たのか?聞いてみると・・・

サガン 「オシュ出身の恋人の実家に遊びに来たんだけど・・・、恋人と大喧嘩して、予定が変わったんだ・・・。」

 とのこと。恋人の実家に泊まるはずだったのに、大喧嘩の末・・・、って、まぁ、この続きはいいや。とにかく、やることもなく、とりあえずホテルにやって来た彼は、とても退屈そうです・・・。私は、明日の出発を前に、荷物の整理をしたり、連載原稿を書いたり、いろいろと忙しいのですが・・・。

サガン 「今夜はどうするの?」
心 「えぇ~っと・・・、連載の原稿を仕上げなきゃなんないから、部屋でパソコン作業かな。」
サガン 「そう・・・。」

 きっと、酒でも飲んですっきりしたいのでしょう・・・。でも・・・、すまんが、今夜は忙しいんだよ。狭い部屋の中で、ガチャガチャと荷物を整理する私と、ベッドの上でぼんやりしているサガン青年。どうしよう?一緒に夕食に行くべきかな・・・?重たい空気を変えるべく、作業しながら、雑多なことを話しかけます。何を勉強してるのか?仕事は何をしたいのか?などなど、当たり障りのないことを。
 彼は、キルギス語、ロシア語、英語の他に、トルコ語、ドイツ語も流暢に話すそうで、外資系企業(ヨーロッパ系、またはトルコ系)で働きたいんだそうです。でも、なかなか仕事は見つからないと嘆いています・・・。あっ・・・、なんかまた重たい空気になってきた・・・??

心 「とっ、ところでさぁ、俺の名前、本当はココロっていうんだよね。ココってのは、ニックネームなんだ。ココロより覚え易いでしょ?ココの方が。」
サガン 「ココロ? ココ? どっちも簡単だよ。」
心 「まぁね、でも、人によってはすぐに忘れるんだよ、ココロだと。ココだったら、忘れにくいから。」
サガン 「へぇ~・・・。ところで、僕の名前は?覚えてる??」
心 「サガン!!日本の実家の隣の県に、『サガン鳥栖』ってプロサッカーチームがあってね、同じ名前だから、覚え易かったんだわ。」
サガン 「へぇ~・・・。日本語でサガンって、どういう意味になるの?」
心 「もともと意味はないと思うけど・・・。佐賀県の『サガ』を元に作った名前じゃないかな。」
サガン 「そのサガン何とかってチームは強いの?」
心 「うぅ~んと・・・、J2、えっと、2部リーグの真ん中らへんかな。」

 なんて話をしていたら、私の荷物作りが終わってしまった・・・。続いて、PC作業ですが、さすがにこれは会話しながらでは進まない。嫌な沈黙の中で、作業を行っていると・・・、サガン青年は携帯メールで誰かとやりとりしている様子。

サガン 「ジャララバードの友達がオシュに向かってるんだって。もしかしたら、今夜会うかもしれない!」
心 「ほぉ~!そりゃ良かった。」


 ほんと、そりゃ良かった!彼の飲み相手が見つかった訳です。これで私は作業に集中できます!!2時間ほど、頭を捻りながらのPC作業に費やし、全てをやっつけたところで、隣を見ると、あれ・・・?サガン青年、寝てるよ!? 友達がオシュに到着するまでの仮眠かな? 時計は10時、私はそろそろお休みの時間です。電気は付けたままで、ベッドに横になりました。強い眠気があるから、サガン青年の目覚まし時計が鳴っても、私は起きないでしょう、きっと。

 ふぁ~ぁあ~ぁ・・・・、zzzZZZ

 午前2時、尿意で目覚めました。隣のベッドを見ると、サガン青年まだ寝てる!?出掛けて帰って来たという感じではない・・・。あらら・・・、お友達からの誘いも無くなってしまったのか・・・。傷心の彼に、私は何て冷たい行いをしてしまったのでしょう・・・。自分がとても冷たい人に思えてきましたが、今更遅い。再び布団に入り、zzzZZZ・・・。

 ごめんね、サガン君・・・

トルコ入国! 

 5月13日、この旅12カ国目の訪問国・トルコに、無事入国を果たしました。無事に!です。

 国境越えはスムース極まりなかったのですが、トルコ入国直後に、山賊に襲われました。

被害はゼロ!ご安心下さい。

 私を襲ったのは、年の頃12~15歳くらいの羊飼いの少年たち4人組。羊を追う長い棒や小さなナイフをかざし、「マネー!マネー!」と迫ってきました。こう書くと何てことなさそうですが、立派な山賊行為です。

 幸運にも、私はこのチビッコ山賊団のことは事前に知っていました。国境のイラン側の町・バザルガンで、偶然、トルコから来たばかりのオランダ人サイクリストに出会いました。彼もこのチビッコ山賊団に襲われており、その容姿や手口を伝え聞いていたのです。おかげで、怪我や被害もなく、難を逃れることができました。


 で、トルコに入国した訳ですが、始めの滞在地は、ドウバヤジットという小さな町。ドウバヤジットはこれが3回目の滞在です。ノアの箱舟が漂着したという伝えられる聖なる山アララト山を望む町。ここには2~3泊して、休養をとりつつ、トルコの旅の情報収集などをしたいと思います。


 あっ!今、ブログのアップ作業しながらネットサーフしてたら、『ジーコ監督率いるフェネルバフチェがトルコリーグで優勝』というニュースがあった!!
 せっかくトルコにいるのに、試合のテレビ見なかった・・・、残念!夜10時頃、妙に外が騒がしいなぁ?と思ってたんですけどねぇ・・・。あぁ、残念!

イラン60日目 

 長ぁ~いイラン滞在となりました。今日でイラン60日目!!

 今日、イラン北東端のマクーという町にたどり着きました。猫(イランの国土)の右耳の先っちょ。明日、バザルガンという国境を通って、トルコへ入ります。


 今回のイランは、多くの時間を地元のイラン人の家で過ごしました。60泊の内、ホームステイが、ちょうど半分の30泊です。イランという国にドップリと浸かった日々・・・、とても素敵な時間でした。イランのエピソードは、追ってご紹介していきます。ブログは、どんどんリアルタイムの旅から遅れていってますが・・・、いずれ、追いつくでしょう、きっと、多分、インシャッラー。


 ちなみに、4月末から今日までの移動は、以下の通りです。

4月23~30日・・・フーマン市のホセインさんのレストラン兼自宅でホームステイ。
5月1~3日・・・バスでテヘランへ。日本からの荷物の受け取りと、イラン人の友人(ガイド)訪問。
5月3~5日・・・フーマン市のホセインさんのレストラン兼自宅で、最後の2日間。
5月6~10日・・・フーマン市から、アスタラ、アルダビールを経て、走行4日でタブリーズに到着。タブリーズでは2泊。
5月11~12日・・・タブリーズから、走行2日でマクー到着!


 明日からトルコ!アジア最後の国です!!

 トルコは、これで5回目か?6回目?の滞在になります。今回は、南東部のクルド人地区と中部アナトリアの古い町を訪ねてみようと思います。アジアの果て、ヨーロッパが始まる街イスタンブール到着は、6月下旬の予定です。

 さて・・・、イラン最後の夜、チェロケバブでも食べに行こうかな。

イランの侍 

 日本映画に登場するサムライに憧れる彼の名は、ムスタファ私は彼をイランのサムライと呼ぶことにしました。

 フーマン市のホセインさんのレストランでは、毎日多くの地元の人々が、私と話をしにやってきます。彼もそのひとりでした。たまたま家族・友人で食事にやってきた際、私の存在を知り、「日本人だって!?」と飛んできました。だって、彼は日本が大好き☆

 フーマン市で出会った青年の中でも、比較的良く英語を操っていた彼は、私に聞きたいこと、話したいことが沢山あるらしく、時間を惜しむように、凄い勢いで話し始めました。

ム 「俺、黒澤明の映画が大好きなんだ。『七人の侍』は最高の映画だね!俺、あれ視てサムライが好きになったんだ!」
心 「ほうほう・・・。黒澤映画が好きなのね。」
ム 「あと、好きな映画は、『キルビル』!!主人公に侍ソードを授けたハットリ・ハンゾウって男に興味があるんだけど?」
心 「服部半蔵?ごめん、俺『キルビル』って一部しか視てないの。でも服部半蔵って言ったら、江戸城の半蔵門の、あの服部半蔵でしょ?」
ム 「やっぱり!実在するんだ!?どんな侍だったの??」
心 「忍者のイメージが強いけど、侍は侍だったんだろうね・・・。うぅ~ん・・・、詳しいことは知らんよ、ごめん。」
ム 「ハットリハンゾウが残した侍ソードってあるの?」
心 「ん?なんかよく意味がわからんなぁ・・・。あっ!映画のワンシーンを思い出した!あれか?服部半蔵って、千葉真一??ははぁ~・・・。ありゃ、タランティーノ監督の間違った日本解釈(妄想)なんじゃないの??」
ム 「ハンゾウは実在するんでしょ?」
心 「確かに、歴史上の人物ではあるけど、映画の登場人物とは、丸っきり別人だよ。」
ム 「そうなんだ・・・。ところで、歴史上、最も強かった侍って誰なの?」
心 「うぅ~ん・・・(笑)よくわからんけど、宮本武蔵とかか有名だよね。」
ム 「ムサシ!やっぱり、ムサシか!!ムサシはいつのサムライなの?」
心 「えぇ~っと、江戸時代の初めだから、ちょうど400年ぐらい前かな。」
ム 「そんなに前なんだ!?今ではサムライはいないんだよね・・・?」
心 「いないね(笑) でも、剣術の伝統は残ってるよ。剣道とか、居合いとか。興味あるんだったら、調べてみたら?イランにも道場あるかもよ?」

 そんなこんなで、彼のちょっと誤っていたサムライ解釈を、少しずつ修正しながら、話は1時間以上続きました。日本語にも興味があるらしく、私が教えた『サムライ』、『侍』、『カタナ』、『刀』、『ムスタファ』といった文字を熱心に書き取り練習してました。

 更に、私がサムライ映画をあまり視てないと知ると、彼は『ラスト・サムライ』のDVDをくれると言い、実際に数日後にCD-R2枚組みの『ラスト・サムライ』を持って来てくれ・・・。私がフーマンを去る前日には、思い出にと、自分の写真を収めたCDをプレゼントしてくれました


 さて、そんな“イランの侍”ムスタファ君がプレゼントしてくれた写真CDから何枚か、彼の写真を紹介しましょう。

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写真1)彼は、自分のブロマイド写真を作るのが趣味のようです。もらった写真をスクラップにしてみました。

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写真2)練習の成果!『侍』や『カタナ』という文字をしっかり覚えていますね。

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写真3)もっと彼には、日本の正しい姿を教えたかった・・・。

 とても素直で、気の良い青年でした。彼には、もっと色々と日本文化について教えてあげたかったのですが、時間がなかったのが残念です。

ウズベキスタンの郵便ポスト 

 あっ!やっぱり、青だ!!

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写真)ウズベキスタンの郵便ポスト

 キルギスタンとほぼ同じデザインですね。17年前までは、同じソ連の一員だったわけですから、当然といえば当然です。

 キリル・アルファベッドで、何か書いてます。5文字です。初めて見たとき、『POUTA』と読んでしまいましたが、そうではない!

 これをローマンアルファベッドに置き換えると、『P・O・CH・T・A』 となります。

ぽ・ち・た? ぽちた!? なんか可愛い!!気に入りました★

 ウズベキスタンは、中央アジア最大の観光国! それらしい絵葉書は沢山売っています。早速、何枚か購入して、日本や海外の友達に手紙を書きたいと思います。

風邪が一気に悪化・・・ 

2月8日 タシケントからコーカンドへ戻りました。

 7時半に起床。テキパキと身支度を整えて、8時には出発の準備が整いました。同室のマナンガンのおじさんは、8時頃に仕事に出てしまった。さぁて、朝食は何時になるのやら?
 8時にようやく姿を見せたカラマットおばさん。幸い、今起きたばかりという訳ではなさそう。朝食を食べたい旨を伝えると、すぐに用意してくれました。ボリューム満点の朝食の後、宿を出発。

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写真1)カラマットアパの朝食。目玉焼き2個、牛肉のスモーク(?)、ポテトフライ、ナン(薄焼きパン)、チャイ。

おばちゃん 「タシケントに戻ってくるんだろう?その時は、またココにおいでなさい。あっ!それと、他の旅行者も誘ってね!
心 「はいはい。多分またココに来るよ。マルシュルートカは16番に乗れば良いんだね?んじゃまた!」

 フェルガナ盆地行きのシェアタクシーが出るという何とかバザールまでは、16番のマルシュルートカ(ミニバス)に乗って終点下車らしい。おばちゃんがドライバーに見せるだけで伝わるようウズベク語のメモを持たせてくれました。多分、 『この日本人をコーカンド行きのタクシーが出るところに連れてってあげとくれ』みたいなことが書いてあるのでしょう。
 16番のマルシュルートカは、宿のすぐ傍が始発点。停まっている車に乗り込み、5分ほど待っていると出発しました。市内をぐるぐると走り回り、郊外に出たかと思うと、また住宅地に入り、線路を渡り、倉庫街を抜け、住宅地を抜け・・・、20分ほどで何とかバザールに到着。降りるときに、メモ紙をドライバーに見せたら、『あっち!』と指差してくれました。どうやら、あっちに乗り場があるらしい。

 車と人が集まっているところに行くと、「フェルガナ?」「アンディジャン?」などとフェルガナ盆地の地名が連呼されています。耳を清ましても、コーカンドの地名は聞こえない。声をかけてきた男に、「コーカンドに行きたい」と告げると、腕を引っ張られ、停車中の車のところに連れて行かれました。つまり、私が初めの客ってこと。値段交渉の末、10000ソムに落ち着きました。約8ドル。多分5~6ドルが相場でしょうけど、もういいや・・・、なんか今日は面倒くさい。
 車の中で待っていると、なんだか体が重くなってきた・・・。熱があるのかな?どろ~んと重たい体で、でろぉ~んとシートに腰掛けて、他の客が集まるのを待ちます。1時間以上待って、ようやく4人揃いました。他の客は皆ウズベク人の男性。私は、後部座席に腰掛けました。3人男が並ぶとかなり窮屈です。助手席の方が楽に座れますが、前方が良く見えるので、どうも落ち着かない・・・。運転が荒い国では、景色が見えない方が落ち着くんです、私。

 走り始めて間もなく、眠りに落ちました。1時間ほど寝たでしょうか?起こされたのは、レストランの駐車場。どうやら昼食のようです。カッッッタコトの英語を話す青年にメニューを訳してもらい、オシュ風ポロフなるものを注文。ボケェ~っと待って、モソモソと食べて・・・、腹5分目ぐらいで食事終了。もっと食べた方が良いのでしょうけど、あまり食欲がない。
 再び走り始めてからも、すぐに眠たくなり・・・・、激しい横揺れの中、zzzZZZ。 2度目に起こされたのは、カムチク峠の上り始めの売店街。同乗の人々は、田舎の安いリンゴやチーズなどを買い込んでいましたが、私は興味なし。

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写真2)タシケントやコーカンドで買うよりも安いのかな?沢山車が停まってて、みんな買い物してました。

 流石に2時間も眠れば、眼は覚めます。買い物休憩の後は、ボケェ~っと景色を見ながら、過ごしました。カムチク峠の雪景色を楽しんだ後、一気に峠を下り、フェルガナ盆地のなだらかな風景に入り・・・、1時間ほどでコーカンドの市街に入りました。車をホテル・コーカンドの前に着けてもらい、約束通り10000ソム払って、ハイ、サヨウナラ。うぅ~ん・・・、どうも気だるいなぁ・・・。

 ホテル・コーカンドに入ると、気の良いおばさんとおじさんが笑顔で迎えてくれました。ほんと、ココは良い(スタッフの)ホテルだ! 預けていた荷物を回収し、前回と同じ部屋にチェックイン。荷物を広げて、「ふぅ・・・」とベッドに横たわると、また眠たくなってきた・・・。腕時計を見ると、3時を回ったところ。アラームを午後6時にセットして、布団を沢山かぶって眠りに落ちました・・・。

 途中、2度、尿意で起きましたが、何時のことだったのかは不明。随分長く寝ているような気もしましたが、まだ眠たい・・・・。用を済ますと真っ直ぐベッドへ。何時だろう?何時でもいいや・・・。お腹空いたなぁ・・・。まぁ、起きてからでいいか・・・

 で、目が覚めたのは、7時半!!

 外は薄暗く、午後7時半にも見えるし、午前7時半にも見える・・・。目を擦って、腕時計の日付を見ると『 2 9 FR』という表示。2月9日金曜日です。ってことは・・・?

 15時間寝ていたわけ!?

 2月2日の雨の走行以来、なんとなく気だるい日が続いていましたが、6日に再びずぶ濡れになり、とうとう本格的に体が悲鳴を上げ始めました。誤魔化し誤魔化し動き続けてきましたが、もう好い加減、治す努力をしなければなりません。15時間も昏々と寝続けるなんて、相当体が疲弊していたのでしょう。でも、多分これがピーク。これから回復に向かうのでは?なんとなくそんな気がします。

 今日(2月9日)から、ショウガたっぷりのチャイを飲んで、栄養タップリの食事を摂って、夜は薬を飲んで寝るようにします。

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写真3)中国で買ってきた乾燥ショウガ。これで風邪を吹き飛ばす



天国:イラン大使館 

2月7日 熱があるのか?ちょっと頭が重いけど、朝からイラン大使館へ。

 昨日のトルクメニスタン大使館では大変な目に遭いました。一般に、イラン大使館ってのも、欧米人旅行者の間では鬼門とされています。日本人にもそうかな。トルクメニスタン大使館のような怠惰であくどい仕事はしていませんが、何かとルールに厳しいことで知られています。そんなイラン大使館ですが、私は何ら恐れていない!

 過去に4度イランを訪れている私。毎回、ビザ申請はスムースにできました。旅行会社勤務時代も、東京のイラン大使館の人々とは良い関係を保っていました。ペルシャ語の挨拶とかもできるし、現地事情にも詳しいし、大使館の係員のご機嫌を取るのはお手の物です☆

 午前10時、見慣れた国旗がはためくイラン大使館に到着。領事部の入り口が開いていたので、勝手に中へ。窓口のある建物内部には、ソファが4つにイラン国営放送が流れているテレビが1つ。飲料水も置いてあり、もてなしは上々。窓口のおじさん係官に、ペルシャ語で挨拶して、英語で事情を説明。

 「自転車で旅行しているので、30日有効の観光ビザが欲しいんです。大好きなイランを1ヶ月かけてじっくり走りたいんですよ。」
係官 「観光だったら、イラン国内の旅行会社からのインビテーションレターが必要だよ。あるの?」
 「いいえ、ありません。取リ寄せる時間がないんです。でも、現地には知り合いが沢山います。大手旅行会社の社長も知り合いです。」
係官 「でもねぇ、インビテーションレターがなければ、7日間有効のトランジットビザしか発給できないんだよ。」
 「そこを何とか!今回のイラン滞在では、現地の友人とノウルーズをお祝いしたいんです。それに、カシャーンやラシュト周辺にも行ってみたい!」
係官 「うぅ~ん・・・・、ちょっとテヘランの担当官と相談してみるよ。とりあえず、この申請書に記入してて。」

 で、2時間近く、ソファで紅茶を飲みながらのんびり待った結果・・・

係官 「観光ビザを発給するよ。現地の友人の名前と連絡先だけ忘れないよう記入しといてくれ。」
 「いいんですか!ヘイリー・マムヌーン!!(ありがとうございます) 受け取りはいつですか?」
係官 「10日はかかりそうだね。19日の月曜日に取りに来るといい。代金は68ドルだよ。」
 「わかりました。よろしくお願いします。」

 とまぁ、うまくいきました。68ドルってのは、ちょっと高いですが、どこの国で申請しても同じような額です。イラン大使館、恐るるに足らず!!今回もスムースに手続きが済みました。あとは、約束どおり30日間の観光ビザが発給されるかどうかですね・・・。多分大丈夫でしょう。

 イランという国は、日本では危険なイメージが先行しているようですが、あんなに素敵な国はありませんよ★ 大使館員も親切だし、もてなしの厚い国民性なんです。イラン大使館は天国でした。

地獄:トルクメニスタン大使館 

2月6日 タシケント到着翌日、朝早く起きて、トルクメニスタン大使館へ向かいました。

 自転車をコーカンドに置いて、慌ててタシケントまでやってきた理由は、『ビザ申請』。ウズベキスタンの次に向かうトルクメニスタンと、その次のイランのビザを取得しなければならないのですが、いずれのビザも申請から受け取りに10日前後の時間がかかるとの噂・・・。受け取るまで、ず~っとタシケントで待ち続ける訳にはいきません。私のウズベキスタンビザは、2月26日までしかない・・・。待ってる時間が勿体ないので、申請して、一旦タシケントを離れ、1週間ほど自転車移動を進めた後、再びタシケントに戻ってきてビザを受け取るという作戦☆

 まずは、トルクメニスタンビザ。おそらく、この国のビザが、この旅で最も厄介なビザになるでしょう。
 小雨の中、地下鉄と歩きで1時間以上かけて辿り付いた大使館前には、ビザやら何やらの手続きに来た人々の列。門は閉ざされており、雨の中、のら犬のように惨めに待たされる・・・。私の2人前にいたのは、モロッコ系ベルギー人のおじさんバックパッカー。2週間前に申請して、1週間前から受け取りに来ているけど、毎日「今日はだめ!明日!明日!」と言われ続けているらしい・・・。「信じられるかい?担当官が風邪気味だからって、追い払われたんだよ!?」って・・・。まぁ、そりゃぁ信じ難い言い訳ですが、相手は悪名名高いトルクメニスタン大使館ですよ?辛抱するしかないじゃないですか・・・。
 私の2人後ろには、ヒゲもじゃの英国人バックパッカー。彼は、私と一緒で今日申請に来たばかり。「ビザの受け取りに10日以上かかると困るんだよね。俺のウズベキスタンビザは、あと10日しかないんだ。」 君も何だか大変そうだねぇ・・・。

 30分が経過・・・雨は止みません。10時から大使館の営業開始ですが、10時30分でも、門は開きません。ようやく門が開いたかと思うと、カーディガン姿の紳士が、出てきて表に停めてあった車から何かを取り出して、再び中へと戻って行った。「もしかして、今の大使かな?今起きたような感じだったね・・・。」

 1時間が経過。後から車で乗りつけたビジネスマン風の男が、1人、2人と、中へ通されました。「おいおい!俺たちゃ1時間も待ってるんだぞ!」とベルギー人のおじさん。「さっき門兵から言われたんだけど、5ドル払えば先に通してくれるってよ。」とは、ヒゲの英国人。

 2時間が経過。雨は止みそうで止みません。上着はすっかり湿ってる・・・。列に並んでいた人々は誰も中に通されず、口利き料を払った人々だけが大使館へ入っていきます。ついにキレてしまったベルギー人おじさん 「金か!?金を払わないと通さないのか!?何てあくどい連中だ!お前らはそれでもムスリムか?俺は敬虔なムスリムだ!こんな所業は正しいムスリムなら絶対にしない!国を代表する大使館の職員なら絶対にしてはいけない!!恥を知れ!恥を!!」 叫んで騒いでみても、列は進みません。
 「俺さぁ、5ドル払っちゃったよ。」と英国人青年。ビザの残り期限が切迫している彼は、門兵に頼んで、先に手続きをさせてくれるよう頼んだようです。が、賄賂を払ったのに、すぐには門を開けてくれない・・・。

 2時間半が経過! 時計は1時です。ようやく門が開き、一番前の人から、門を入ってすぐのところの手続き窓口に通されました。門の中には、3人ずつしか入れてもらえず、7番目の私は、いつまでも雨の中・・・。5ドルも払った英国人青年は、9番手から5番手に上がっただけ・・・。 「これが5ドルの効果かい!?たったこれだけかい?」苦笑いの彼の前には、怒ったっきり静かになってしまったベルギー人のおじさん。多分、門兵も彼(ベルギー人のおじさん)の前に人を入れるのを躊躇ったのでしょう。

 30分後、ようやく私の番になりました。入れ違いでベルギー人のおじさんが、「ふぅ・・・、やっともらえたよ。幸運を祈る。」と言葉少なに去っていきました。5ドル払って少しだけ早く手続きを開始していた英国人青年は、無事申請手続きを終えたようです。 「7日後の受け取りだって。ギリギリ期限には間に合うよ。」と。
 取得できるビザは、5日間のトランジットビザのみ。自転車で行く旨を伝え、最低でも7日間必要だと懇願しても、「だったら、インビテーションを持ってきて、観光ビザを申請しなさい。」と切り捨てられる。こういう旅行をしない人にはわかり難いと思いますが、インビテーションレター(招待状)ってのは、通常、旅行代理店を通して初めてもらえる書類で、お金も手間もかかる面倒なものなのです。第一、観光ビザ取得に何日かかるか、わかったもんじゃない・・・。 

 結局、5日間のトランジットビザで我慢する他ありません。受け取りは、2月12日の午後5時とのこと。ベルギー人のおじさんの例を見ていると、この日に受け取れるという保障はありませんけど。まぁ、なんとかかんとか、取得できるようです。

 午後1時半、降りしきる雨の中、傘もささずに、大きなクシャミを連発しつつ、宿へと帰りました。数日前からの風邪は明らかに悪化した模様・・・。

 トルクメニスタン大使館、もうちょっと頑張って仕事して下さいよぉ~!!

フェルガナはただの街? 

2月3日 風邪引いちゃいました・・・

 昨日の雨の走行が祟って、風邪をひいたようです・・・。午前10時に目覚めると、どうも頭が重い・・・。まぁ、いいか。どうせ今日は、休息日です。午前中はのんびりして、夕方にちょろっとバザールにでも行く事にします。

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写真1)こんな部屋に泊まってます。1泊12ドル。

 本当は、フェルガナから15kmほど離れたマルギランという町のバザール見学に行くつもりだったのですが・・・、体も頭も重いし、今日は外出を控えた方が良いでしょう。携行のラーメンとお粥で簡単に遅い朝食を済ませ、部屋でゴロゴロしたり、昼寝したり。だらだらダラダラ・・・。
 午後3時、ちょっと気だるい体で、向かったのは、町のインターネットカフェ。日本語もUSBケーブルも使えず、大した作業はできませんでした。その後、遅い昼食は、カフェでドネルケバブセットを注文。ケバブは、スプーンで5回掬ったらなくなり・・・、ナンもサラダも少ない・・・。これじゃぁ足りません!!風邪を引いてる時は、モリモリ食べるのが私の治療法です。
 お腹を満たしに向かったのは、フェルガナの中央バザール。大きな屋根つきの建物が3つほどあり、活気に溢れたバザールでしたが、あまり興奮するような雰囲気ではありませんでした。なんというか、こざっぱりとし過ぎているんです・・・。フェルガナは、ソ連時代以降に建設された新しい都市。バザールもさっぱりしてて、一昨日行ったオシュのバザールのようなプリミティブな感じは全くありません。

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写真2)キレイに整備されたフェルガナ。区画整備された町並みを、立派な並木の大通りが走る。

 私の体調が悪いから、感動が少ないのかも知れませんね・・・。とにかく、今日は、食べて体にエナジーを送り込まねば! バザールの外れの食堂で、不味い豆&羊肉スープを平らげ、お腹は満腹になりました。塩と羊臭しか味のない、ほんとに不味い料理でしたが・・・・、これも風邪のせいかな?

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写真3)フェルガナのバザール。日没前で、暗くてよく写ってませんね。ごめんなさい。

 日没前に部屋に戻り、温かいベッドの上で、またゴロゴロごろごろ。午後8時頃に、再びネットカフェに行きましたが、夕食は抜きにしました。部屋に戻ると午後9時半には眠りに落ちました。

 観光に関して言えば、このフェルガナという町は、周辺の古い町を訪ねる拠点でしかありません。近郊へと足を伸ばせなかった私、残念ながら、『フェルガナはただの町』という印象しか受けませんでした。・・・風邪だから?

キルギス~ウズベキスタン国境越え 

2月2日 ビシュケクを出発し、この旅8カ国目の訪問国・ウズベキスタンへ。

 ビシュケクから国境までは、僅か15kmほど。ゆっくり出発しても、午前中にウズベキスタン入国を果たすのは簡単です。なんだかんだで5泊したオシュでしたが、出発の朝に、町のシンボルであるソロモン王の玉座に上りました。自転車の装備を整えた上で、1時間ほど外出した為、サラ・ホテルのニィエットおばちゃんは、ご機嫌斜め\\\ お互いに大した言葉も交わさず、午前10時宿を出発!

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写真1)サラホテルの前で、静かに私を観察していた子供たち。

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写真2)オシュで4回食事したチャイハナで、キルギス最後の食事。マントウとナンとチャイ。

 国境ゲートは、ドストークというところにあるらしい。地図を頼りに、北西へと走り出しました。キルギス第二の都市オシュですが、オシュそのものの市街地は小さなもの。でも・・・、周辺には小さな町が沢山あって、どうも道が解りにくい・・・。大きな道路が交わる度に、警官や通りすがりの車に助けられ、なんとか国境へと向かう道路に乗りました。

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写真3)迷いはしましたが、ちょうど20km走ったところで国境に到着。

 時計は11時半。正午からお昼休みで国境が閉ざされる可能性もあるので、早いとこ国境を越えてしまいましょう。ゲートをくぐる前に、まず、手元のキルギスソムを両替しました。1月下旬のキルギス南部山岳地帯リベンジランの5日間で、ほとんどお金を使わなかったので、手元に60ドル相当ものキルギスソムが残っていたのです。2200ソム(500ソム札4枚、100ソム札2枚)を持って、国境手前の両替所に行きました。窓口のおばちゃんはニッコリ、笑顔と一緒に返ってきたのは・・・!?

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写真4)ウズベク・ソムの札束!! これで60ドルです。 『あっちゃ~・・・』

 忘れてました!ウズベキスタンは、札束の国でした! 両替レートは、1ドル=1250ウズベク・ソムです。1円=約10ソムなので計算が簡単です。流通している最高額紙幣は、1000ソム札です(多分、もっと大きな額面もあるでしょうけど)。100ドルを全て1000ソム札で貰ったとしても、125枚になります。
 私が受け取った60ドルは、200ソム札で30ドル分、残りは500ソム札と1000ソム札でした。全部1000ソム札にしてくれ!と頼みましたが、「無い」と一言。ないわけないでしょうに・・・、まぁ、いいや。60ドルだったら、4~5日で無くなるでしょう。手元に残っていた35キルギスソムで、コーラとガムを購入。ウズベクソムの札束を懐に入れ、いざ国境ゲートへ。

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写真5)フェンスの向こうが国境施設。

 往来の多い国境なので、時間がかかりやしないかと心配しましたが、キルギスの出国手続きは至って簡単&スムースでした。まず、ゲートを越えてすぐに、警備の兵士にパスポートをチェックされ、その後、税関の手続きは、係員が自転車の荷物をパンパンと叩いただけ。カウンターで出国スタンプを押してもらい、『キルギスよ、さよぉ~なら☆』
 100mほどの緩衝地帯には、道路脇に免税店(?)と両替商が数軒並んでいます。特に用もないので通過。ウズベキスタン側の施設に着くと、まずパスポートチェック。数人の兵士が私を囲んで色々と質問をしてきましたが、自転車にぴったりと寄り添ってそれらに応えます。キルギス入国時のようなヘマはもうしません!
 ウズベキスタンの入国手続きは、ちょっと面倒・・・。まず、税関申告書2枚を詳細に記入しなければなりません。私は旅行会社勤務時代、このウズベキスタンの税関申告書を年に数百枚記入していました。ツアーに参加するお客さんのものです。おかげで、サラサラっと書類を書き上げ、税関の役人のところへ。ヤル気のなさそうな役人は、私の傍らにある自転車を見て、「銃はあるか?」と一言だけ質問してきました。「もちろん無い!銃や爆弾を運んでたら、重たくって自転車を漕げないよ!」と答えましたが、ウケなかった・・・。ヤル気のないおじさんのおかげで、荷物チェックはありませんでした。まぁ、「荷物を解いて中身を見せろ!」なんて言われても、拒否しますが。銃を持ってるからではなくて、面倒くさいから。

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写真6)この右手の建物がパスポートコントロール&税関。ウズベキスタンは国境施設などの写真撮影を禁止しているので、これは隠し撮り。恒例の国境線を跨いだ写真も取れませんでした。

 税関申告書1枚は返され、出国時まで保管しておかねばなりません。30分ほどで、ウズベキスタンの入国手続きが完了しました。自転車に跨り、ゲートの外へ出ようとすると・・・、あれ!?雨!? 顔に当たった小さな雨粒・・・。あらららら・・・。ウズベキスタンは、雨のスタートになりました。レインコートを取り出し、オレンジの派手なサイクリストが国境の町を走り抜けます。目指すは、フェルガナ地方(盆地)の中心都市・フェルガナ!!

 オシュ~フェルガナの距離は、160kmほど。ハイペースで走り続けねばなりません。ちなみに、フェルガナ地方は、日本の外務省から渡航の注意が出ている地域で、ビシュケクの大使館では、「絶対に行かないで下さい!」と何度も念を押されたような場所です。が!私は走ります。今回の旅は、危ない場所は避けるよう努めていますが、ここは大丈夫と判断したから、走るんです。
 フェルガナ盆地一帯は、イスラーム原理主義的傾向のある宗派が勢力を持っており、その宗派の過激派とウズベキスタン中央政府の間でなにやら色々と問題があってるのです。詳しいことは述べませんが、日本人が巻き込まれた事件もあります。んが!!私は、大丈夫だと自信を持って言えるので、走ります。政治的に不安定な地域が、必ずしも旅行者にとって危険な場所であるとは言い切れません。場所によりけりです。私は、諸々の背景などを認知した上で、走行してるので、お叱りのメールは不要です☆ 

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写真7)空はどぉ~んより・・・。時折、小さな雨が顔を打ちます。

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写真8)午後1時半。ホジャアバードという小さな町のバザールのチャイハナで昼食。金曜日とあって、チャイハナも賑わってました。伝統的な外套を纏ったおじさんばかりで、雰囲気最高☆

 美味しいポロフ(60円)で満たされ、どんより空の下、走行再開。路面は悪くはありません。時速20kmほどで快調に走ります。小さな町を抜けると、広大な畑が広がる田園風景になります。冬場で何も植わってませんが、何の畑であるかは一目瞭然! 綿花です。フェルガナ盆地は、ソ連時代からの大綿花地帯。道路脇の木々に風で飛んだ綿花がくっ付いてるので、すぐに解ります。
 盆地の底には、いくらか起伏があって、ところどころで建ち漕ぎをしながら、ハイスピードをキープ。走行距離が90kmを超えたところで、アンディジャンという大きな街をかすめました。町の中心を迂回するルートを取り、とにかくフェルガナを目指します。

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写真9)走行110kmで後輪がパンク! こんな金属片が刺さってました。丈夫なフェミスファー(タイヤの名前)でも、これは踏み抜いても仕方ないか。

 パンク修理が終わった頃、いよいよ空は重たくなり、しとしとと雨が降る中の走行になりました。フェルガナ盆地の走行は、ある意味で、日本を走っているかのようです。小さな町が連続して続いていました。それもそのはず、フェルガナ盆地は、ウズベキスタンの人口過密地帯。日本並みの人口密度があります。広い綿花畑やリンゴ畑の脇には、小さな集落が点在し、数キロごとに小さな町、数十kmごとに大きな町があります。雨が降ってなければねぇ・・・、いくらか楽しめるんでしょうけど・・・。

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写真10)雨は止まず・・・、道路脇の光景は特に変化もなく・・・、遠くに見えるはずの山々は雲の中・・・。

 最後の50kmは、とにかく無心で走り続け、日没間際になんとかフェルガナに到着しました。走行距離は168kmでした。10時の出発で、かつ、国境越えもあったのに、これだけ走れたのには驚きました。
 取った宿は、町の中心にある1泊12ドルの立派なホテル。テレビも冷蔵庫もバスルームも着いてる素敵な部屋に、泥をかぶったバッグを運び込み、冷えた体をシャワーで温め、汚れた装備を洗い、ノートパソコンを開いたところで、エナジー切れ。パソコンを枕元に置いたまま、眠りに落ちていました・・・zzzzZZZZ
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