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 2007年02月 

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タシケント観光 

 タシケントには、2月5日から8日までの3泊4日、2月18日から20日までの2泊3日、更に2月26日から27日と合計で7泊もしましたが、あまり観光らしい観光はしていません。
 この中央アジア最大の街には、他のウズベキスタンの有名な都市(例えばサマルカンドやブハラ)のような古いイスラーム建築は少なく、ヨーロッパ的・ロシア的な街が延々と広がっています。

 目に留まるのは、100年ぐらい前の帝政ロシア時代の建物や、50年ぐらい前のソ連時代の建物が多いかな?ウズベキスタンで、最もウズベキスタンらしくない、近代的な街です。 あまり観光してませんので、訪れた数少ないタシケントの町並みや観光名所をご紹介しましょう。

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写真1)タシケントには、緑が多い
 ソ連時代の計画都市設計のおかげ?公園や並木道の木々は、全て葉が落ちてますけど。この写真は、本の露店街。ロシア語、ウズベク語の本に混じって、英語の本も目にしました。

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写真2)チョロスーバザール
 大都市タシケントで一番大きなバザール。旧市街にあり、タシケントでは比較的“ウズベキスタンらしい”ところ。イスラーム帽を被ったおじさんや、ショールを纏った女性が目に付く。巨大なバザールには、衣料品、食料品を中心に、何でも売ってる!

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写真3)独立広場の『変な玉』
 旧レーニン広場の真ん中、かつてレーニン像が立っていた台座に、巨大な金属製の玉が乗っています。表面には、ウズベキスタンの国土が描かれてるけど・・・、何を表しているんだろう・・・?市民にも不人気なタシケントの名物の1つ。

tashkent4.jpg
写真4)ウズベキスタン民族歴史博物館のガンダーラ仏
 歴史的建造物は少ない街ですが、歴史的価値の高い遺物は沢山あります。歴史民族博物館で、私が最も見入ってしまった展示品です。ウズベキスタン南部のテルメズという街の遺跡から出土した仏像。中央が仏陀で、両サイドが修行僧。仏教は、中央アジアでも2世紀頃に栄え、アラブの侵入以降も、細々と信仰されていたようです。今では、完全に消え去ってしまっていますが・・・、地面の下には、まだ仏像が沢山埋まってるんです。

tashkent5.jpg
写真5)ナヴォーイー記念オペラ・バレエ劇場
 中心部にある劇場。タシケント市内には、他にも数箇所このような立派な劇場がありますが、ここが有名なのは、日本人が建設に参加しているから。建物の北側の外壁に、以下のような碑文があります。
*****************
 1945年から1946年にかけて
 極東から強制移送された        
 数百名の日本国民が、
 このアリシェル・ナヴォーイ名称劇場の
 建設に参加し、その完成に貢献した。
*****************

 ということなんです。この劇場の建設の為に、シベリア抑留中の旧日本軍兵士が、数百名動員されたとのこと。日本人が造ったからか?1966年の大地震でも、ビクともしなかったんだとか。

 写真はありませんが・・・。地上を歩いても見えないところに、人気の観光地があります。それは、地下鉄!!中央アジア唯一のタシケントの地下鉄。今、3路線あるのかな?それぞれの駅ホームは、とても凝った装飾が施されていて、宮殿のようなものから、現代アート美術館のようなものも。清掃も行き届いているので、ピカピカです。
 残念なことに・・・、地下鉄ホーム内は、写真撮影禁止。ホームにいる警察官が、かな~りストイックに、写真を撮りそうな観光客を監視しています。なぜかというと、旧ソ連圏の地下鉄は、どこもそうですが、地下鉄構内が、『核シェルター』として使えるように建設されているから。軍事機密って訳です。しかし、ウズベキスタンを核攻撃するような国がどこにあるんでしょう?あの将軍様も、ウズベクを攻撃しようとは思わんでしょう??

 大都会タシケントには、大都会ならではの楽しみ方があります。芸術に関しては、中央アジア一の中心!!沢山ある劇場では、週末を中心にオペラやバレエが絶えず上演されています。私も1回ぐらいバレエを見に行こうと思ってたんですけど・・・、公演日にことごとく合わず、結局見に行けませんでした。残念!!

 1週間~1ヶ月ぐらいの短期でウズベキスタンを訪れる人の中には、「タシケントは見る価値なし」なんて言う人もいますが、時間が許すなら、数日滞在する価値はありますよ。サマルカンド、ブハラ、ヒヴァとは違う魅力がある街なのです★
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ヒゲ男 

これも古いエピソードです。2006年9月初旬に作成しましたが、内容的にアップするのを躊躇ってました。もう自分のヒゲ面にも慣れてきましたので、公開します。


9月1日 私がヒゲ面に憧れてきたことは以前紹介しましたよね・・・。知らない方は、コチラをご覧下さい。
→ http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/blog-entry-313.html

 10代後半・学生時代から旅を始め、20代後半の現在でも、私は学生に見られることがある・・・。会社員だった頃は、イスラーム地域を担当。出張先では、いつもヒゲ面の中で仕事をしていました。

 多分そんな訳で、ヒゲが欲しいと思うようになったんでしょうね。もともとあまりヒゲが濃くないので、無いものネダリなのかも知れません。


 でも、そんな私も、頑張ればなんとなくヒゲ面になることが判明しました!!

 2ヶ月以上根気強く伸ばし続けてみたのです。そしたら、写真にもはっきりと写る程度に濃くなりました。

  ホラ!

20060901231928.jpg
写真)日焼けで肌は痛み気味。更に、ヒゲがあるとチベタンと間違われ易いので、何かとお得。


ハイ、ハイ、ご意見は不要です。解ってます、カッチョ悪いですよね。

広東省の普通語教育 

これまた相当に古いエピソードですが、アップするのを忘れていたので・・・。2006年2月、中国・広東省での話です。


 広東省は、湖南省との境『南嶺山脈』から、広州、そして深川。香港、マカオを経て、再び広州から、西に西に走って、広西壮族自治区まで走りました。その間、私が使っていた中国語は、北京語、つまり普通語でした。『ありがとう』だけは、広東語の「多謝(トウチェ!)」を使っていましたが。

 様々な方言が存在する中国ですが、広東語は、ある意味、特別な方言なのではないでしょうか。現在、世界中に散らばっている中国系の移民、つまり華僑の人々は、その多くが広東語話者です。華僑の出身地は、広東省と福建省が大半を占めます。福建語は、また更に違った方言ですが。香港やマカオの人々も広東語話者です。

 広東省を旅していて、田舎の小さな町などで「普通語は解らない!」とあしらわれたことが何度もありました。私の拙い普通語(北京語)を聞くのが億劫でそう言った人もいるかも知れませんが、中には、本当に解らない人もいたことでしょう。

 3月中旬、広東省南部、南シナ海に近い『陽西』という町で、こんな学校を目にしました。


20061223045733.jpg
写真)校舎に掲げられた文字をご覧下さい。

 えぇっと、簡単に訳すと、『本校では、全国に通用する普通語で授業を行っています』ってな感じでしょうか。それが、売り文句になるんですね。ちょっと、意外に感じてしまいました。強力な中央集権国家たる中国ですが、各地方では、その土地土地の言葉が元気に活躍しているんですよね。まぁ、こんなに広い国ですから、国中で、画一的な普通語の教育を施そうというのも、無理な話かも知れません。

なんか苦しい・・・よね?? 

ずいぶんと古いエピソードですが、アップするのを忘れていたので・・・。2006年6月、中国雲南省での話です。


 6月25日 空は薄曇。のんびり朝食を取って、麗江の町を出発。体調はばっちり!!

 麗江を出て、真北に走ると玉龍雪山のすぐ東側を走ることになります。間近に5千m級の美しい峰々を見ることができるのです。が・・・、玉龍雪山は、雲の中。走っている内に雲が晴れることを期待してペダルを踏みます。

 麗江の市街地を抜けると、真北へ一直線に延びる二車線道路になりました。さすがは、観光地!立派な道です。時折、横を走り去る観光バスに手を振りつつ、快調に平らな道を走り続けます。お気楽サイクリングを楽しんでいると・・・、すぐ後ろを走るカリーナの様子がおかしい。酷く息が荒いのです。

心 「大丈夫?やけに呼吸が荒いけど。」
カ 「うん、大丈夫。きっと標高が高いからよ。」

 そう、ここはもう標高2000m以上の高原地帯。歩いている時は気がつきませんが、運動をすると息が切れるのです。とてもきつそうなカリーナですが、私には、空気の薄さは感じられません。すでに2000m以上の峠をいくつも越えていますし、彼女に比べると、走ってきた時間と距離の桁が違います。

 時速23kmから、時速18kmにペースを落としましたが、カリーナの呼吸はまだ荒い・・・。体調が悪いのかも?と心配し始めた頃、私にも異変が!?
 ハァー・・・ハァー・・・ハァー・・・、あれ?なんか苦しい・・・!?次第に息が荒くなり、10分ほどで、ハァハァぜーぜーの息切れ状態に陥りました。なんで?急に??ペースを更に落とし、時速15kmほどで走行。様子を見ます。

 ハァー・・・ハァー・・・ハァー・・・

 ふと、腕時計の高度表示を見ると、『標高2540m』。特別に標高が高いと言うわけではありません・・・。頭を傾げて、再びペダルを踏み込む。そして、しばらくして、また高度表示を見ると『標高2580m』えっ??40m上がってる!?腕時計をよくよく見てみると、この10分間で、100m近く標高が上がっています。 道は緩やかに上っていたのです!!

 私たちは、真っ平らな道だとばかり思っていました。上り坂は、平地に比べ、体にかかる負荷が違います。なのに、平地のつもりで上ってるんですから・・・、息が切れるのも当たり前です。

心 「カリーナ!わかったよ。この道、平らなようで、実は上ってるんだよ!」
カ 「えっ?上り?知らなかった。私はてっきり、今日はよっぽど体調が悪いんだと思ってた。」
 
 というわけで、上り坂と解ってからは、呼吸が元に戻りました。不思議なもんですね、人間の体って。その後、3200mの峠を越えましたが、息は切れませんでした。

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写真1)10kmの直線道路。坂のような・・・。平坦なような・・・。

地球みちばた見聞録 / 第24回 

2006年12月26日掲載

カシュガル(新疆ウイグル自治区)滞在中

富士山を目指す砂漠の民


 長い休養でした。1ヵ月半に及んだカシュガル滞在の間に、季節は秋から冬へ。出発を前に部屋で荷物の点検をしていると、ウイグル人の男性が訪ねてきました。
 「知らない人なので、申し訳ないですけど、ちょっと助けて下さい」。流ちょうな日本語!カシュガルで日本人ツアー客相手にガイドをしているアマジャンさん(42)でした。「17年間、日本語ガイドの仕事してますが、今度初めて日本に行きます。でも、ビザの手続きが難しくて」。
 難解な書類に困り果て、助けてくれる日本人を探し歩いていたのです。彼が偶然見つけ出したのが、元旅行会社勤務の私。そういう手続きは大得意です。
 書類を広げ、日本領事館からの手続き案内に眼を通します。なるほど、これは難しい。 2時間かけて、旅行日程表や申請書類を代筆しました。手続きが上手く進めば、1月末には憧れの地、日本に降り立ちます。笑顔の彼は、楽しそうに訪れたい地名を挙げます。
 「東京、埼玉、神戸・・・、大阪では友達に会います。富士山にはぜひ登りたいです」「冬の富士山は簡単には登れませんよ」「私は5千mの天山山脈に登りますよ。富士山は小さいから大丈夫です」
 なるほど、彼にとって富士山はたかだか3776mの“小さな山”。天山の山々へ案内した日本人が口をそろえて富士山の美しさを強調するので、登ってみたいのだそうです。
 「桜は日本の象徴でしょう?春まで滞在するので桜も見たいです」。満開のサクラの下で今日と同じ笑顔を浮かべる彼を想像すると、私までうれしくなってきました。
 「私はこの先数年、日本の桜を見られません。私の分まで楽しんできて下さい」。声をかけると、アマジャンさんは笑顔でうなずき、深々とお辞儀をして去って行きました。

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掲載写真)アマジャンさんお勧めの観光スポット・カシュガルの日曜市に行ってみると、駐車場はロバ車であふれていた。

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関連写真1)日曜市の様子。実は、日曜日以外の曜日もやってます、毎日。しかし、日曜日が圧倒的に多い!人も!露店も!!ロバ車も!!!

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関連写真2)アマジャンさんお勧めの観光スポット。エイティガール寺院。金曜礼拝の後、数千人が門から溢れ出してくる・・・。

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カシュガル(新疆ウイグル自治区)滞在中


トルクメニスタンビザ再取得★ 

2月27日 うぅ~ん!上手く行き過ぎ!!

 昨日26日、『最悪の場合、3月10日まで待っても受け取れないかもな…』と思っていた小包を受け取り、朝から気分上々↑  今日は、過去4度の訪問で酷い扱いを受け続けているトルクメニスタン大使館へ。

 今回も、ある意味で、酷い扱いでしたが・・・、なんと!?その場で、ビザの再発行をしてくれました。正確に言うと、ビザの記入事項を変更してくれた。どういうことかというと・・・、すでに取得済みのビザのシールの上に、ペンで『記入事項変更』みたいなことをトルクメン語で書いて、担当官がサインして、これで有効滞在期間の変更が済みました。
 酷い扱いというのは・・・、たったこれだけの作業・手続きに、手数料26ドルも請求されたということ。 100%、担当官のポケットマネーになるお金ですよ?? 渋々渡しましたが、あくどいお役人だと思いませんか??

 何はともあれ・・・、再取得に1週間かかると思っていたので、即時取得できた良かったです。

 ①小包、②ウズベキスタンビザ延長、③トルクメニスタンビザ再取得、と3つの問題を抱えて舞い戻ってきたタシケントですが、滞在2日で①と③が片付いてしまった。②に関しても、延長申請は済んでいますので、1週間後に受け取りに行くだけです。

 さて、どうしましょう・・・?

 スムースにコトが進み過ぎて、時間を持て余してしまっています・・・。このまま1週間~10日間、タシケントでのんびりネット仕事をしながら待つか?? この1週間を有効利用して、バスで18時間の世界遺産都市・ヒヴァの観光にでも行くか?? それとも、ブハラに戻って、自転車のメンテナンスやネット仕事をしながらのんびりするか??

 現在、パスポートに有効なウズベキスタンビザがない私、ミリーツィア(警官)のパスポートチェックが厳しいタシケント市内に留まるのは、得策ではなさそうですね・・・。おそらく、ブハラか、ヒヴァに向かうことになるでしょう。

小包届いてました!! 

 ウズベキスタンビザの期限切れ前日の25日に思い立ち、どうなることやら?不安渦巻く中で、タシケントに舞い戻って来ましたが・・・、

 最高の展開を見せています!!

 2月26日午後、日本大使館館に電話して、「やはり、小包を諦め切れず、タシケントに戻って来ました。」と伝えたところ、「小包届いてますよ?」って!?

 なんと!発送から3週間で届いていたんですよ!!

 早速、日本大使館へ。ダッシュです、ダッシュ!!小雪舞うタシケント中心部を走りに走って、大使館到着。呼吸を整えて、領事担当官の木村さんにご挨拶。木村さんの脇には、小包がぁ~ 

心 「本当に、ありがとうございます。領事館の業務外の事とは重々承知してますが、こんなご迷惑をお掛けしてしまいまして・・・、申し訳ございませんでした。ありがとうございます。ありがとうございます!」

 知ってました?私は知ってましたけど・・・。日本人といえども、日本大使館宛で個人の郵便物を送ったりしたらダメなんですよ、実は。もちろん、日本大使館に勤めている人宛なら良いでしょうけど、私のように「いついつ取りに伺いますので、それまで預かってて下さい。」というのは、言語道断!大使館は、郵便局ではないんです!!

木村さん 「ご存知の通り、大使館は郵便局ではないですからね。(郵便の受け取りは)今回だけですよ!この先、大変でしょうけど、お気をつけて頑張って下さいね。」

 ご迷惑をかけてしまったのに、なんと有難いお言葉・・・。

 ワクワクしながら、小包を抱えて宿へ直帰。部屋に飛び込み、小包の包装を解きます!!まるで、クリスマスプレゼントを開ける子供みたいに。で、出てきたのは・・・!?

オルトリーブのハンドルバッグ!! 
 ・・・ドイツ製の自転車専用バッグ、完全防水で最も信頼の厚いメーカー。これは昨夏一緒に雲南省を走ってたドイツ娘のカリーナに頼んで、ドイツから実家に送ってもらっていたもの。日本でも買えるバッグですが、ドイツの方が安いからと、買って貰ってました。

スライドフィルム20本!!
 ・・・富士フィルムからご提供頂いたフィルムの最後の20本。これで中央アジアを撮りまくります。

デジタルカメラ!!
 ・・・11月にカシュガルから日本に送ったデジカメ『RICHO/GX-8』です。電子系統の故障があったので、日本の修理センターに修理をお願いしていたもの。

 以上の3点だけでも、購入価格8万円以上。他にも、細々としたモノが入っていました。こんな高価な(中身の)小包を受け取らずに先へ進んでいたら、ずっと後悔し続けたことでしょう・・・。

 思い切った決断が、吉と出ました!!タシケントに戻って来て良かった~!!

ウズベキスタンビザ延長申請終了!! 

2月26日 ウズベキスタンの滞在期限日の今日、なんとかビザの延長申請ができました。

 が、受け取りは、2月7~9日の間・・・。 『間』ってのが、またいい加減で、ウズベキスタンらしい・・・。 まぁ、パスポートは手元にあるので、警察にいちゃもんをつけられる心配は少なそうです。

 とにかく、不法滞在ではなくなりました。ホッと一安心。

 明日2月27日は、トルクメニスタンビザの再申請。現在パスポートに貼ってある取得済みのトルクメニスタンビザは、2月26日~3月2日有効なので、「まだ有効なビザがあるじゃないか!それが切れたら、また来い!!」なんて言われる可能性もあり・・・。まぁ、行ってみないことには読めません。

 小包は・・・、届いてないだろうけど・・・、午後に日本大使館に出向いて、受け取りのお願いをしに行きます。
 まだまだ不確定要素が多いので、この先1~2週間どこで何してるのか?さっぱり解りません、自分でも。

無事延長できるか??不法滞在になるか?? 

2月25日 一大決心をして、タシケントへ向かいます。

 計画では、26日にトルクメニスタン入りでしたが・・・、いろいろあって計画変更!!

 何がいろいろかと言うと、いろいろなんですけど、最大の理由は『荷物の受け取り』です。

 2月5日に、実家から、タシケントにある在ウズベキスタン日本大使館宛で、小包を送ってもらいました。中央郵便局留めよりも、安全性・確実性が高いと思って・・・。で、2月7日に、小包の受け取りを、大使館の領事担当さんにお願い(事後承諾)に伺ったのですが・・・

領事担当 「日本から?そりゃぁ、1ヶ月はかかりますよ。そもそも、そういう受け取りは業務外ですし・・・。」って・・・


 えぇ~!?航空便で1ヶ月もかかるの!!?? 

 よりによって、小包は一般航空便で発送されています。これが『DHL』とかの国際宅急便だったら、5日もあれば届くらしいのですが・・・。せめて、『EMS』だったら、安全に確実に届くのですが、日本→ウズベキスタン間はEMSサービスがない・・・。

 ということは?どういうことかと言いますと。私のウズベキスタンビザは、2月26日までなので、私は小包を受け取ることなく旅を進めなければならない。大使館が善意で、通常業務ではない小包の受け取りを引き受けてくれるにしても、引き取りに来ない小包は預かれない。③小包は、ウズベキスタンの郵便局が持って帰り・・・、その後、どうなるの???ねぇ!?どうなるの??

 日本や欧米などの確かな郵便制度が整った国々では、受取人のいない郵便は、発送元に返るものです。が、ウズベキスタンの郵便局がそんなサービスをしているとは考え難い・・・。もしかしたら、闇に葬られてしまうかも知れない。発送元に送り返される可能性は、50%以下ではないかと・・・。


 小包の中身は、日本のメーカーに修理に出していたデジカメや、自転車のパーツなどなど、結構な価値のあるものばかり。そんな小包をドブに捨ててしまった・・・、と泣く泣く泣く泣く、慌しい移動を進めていました。

 んが!国境まで150kmとなったブハラで、心変わり!!諦めるのは勿体無い!! タシケントに戻って、ウズベキスタンのビザを延長して、なんとしても受け取るんだ!!

 26日に切れるビザを、26日に延長手続きして、果たして間に合うのか? なにしろ、役所仕事が極端に遅いお国柄ですから・・・。多くの旅行者からの情報で、『ウズベキスタンのビザ延長はとにかく大変でお金がかかる』という話を聞きます。
 もしかしたら、ビザ延長手続きが間に合わず、オーバーステイ(不法在留)になってしまうかも知れません。そうなると、悪名名高いミリーツィア(警察)が私をどう扱うか??
 ただタシケントの街中を歩いているだけでも、1日数回、身分証チェックを受けるような面倒極まりないミリーツィアたちです。なんとしても、見つからないように潜伏しなければなりません・・・。ビザが切れてることが判れば、何をされるか・・・。逮捕?罰金?見逃してやるから賄賂??

 どうなるか判りませんが、とにかくタシケントに戻り、ウズベキスタンビザを延長して、日本大使館に再度「受け取りお願い」の挨拶に行って、トルクメニスタンビザを取り直して、3月12日ぐらいまでには、ブハラに帰って来たいと思います。12日までに小包が届かなかったら、その時は潔く諦めますよ。

 タシケントには1週間以上滞在することになると思いますので、その間にブログのアップを行います。

 これから3月初旬まで、とんでもない件数のアップがありますので、お楽しみに★

ブハラも美しい・・・ 

 2月24日 サマルカンドから2日間で280kmを激走して、予定通りブハラに到着しました。

 複数の旅行者から勧められていたB&B『マディナ&イリオス』を探して、旧市街をウロウロうろうろ・・・

 旧市街の町並みに漂う、シルクロード情緒に、思わずため息が出てしまいます。

 土ぼこりが舞う路地を走っていると、古いモスクやマドラサがたくさん!!それらの歴史的建造物のすぐ隣には、古い民家で暮らす地元民の生活があります。

 サマルカンドも良かったけど、ここブハラも違った良さで溢れています。

 さて、ここブハラは2泊しかできません。明日25日には、トルクメニスタン国境へと走り出します。もっと長く滞在したいんですけどね・・・。
 いろいろと問題やら都合もあって、ビザ期限内にウズベキスタンを出るべきか?ビザ延長してでもウズベキスタンに留まるべきか?今でも迷っていますが、多分、26日にはトルクメニスタン入国です。

前言撤回!!やっぱり、あっぷあっぷ・・・ 

2月20日 夜の電車で、タシケントからサマルカンドへ戻ります。

 電車は19時なので、ブログのアップ作業に5~6時間充てられるだろうと思っていましたが・・・

 全然そんな時間がない!!

 もう、いろんな意味であっぷあっぷです・・・

 ウズベキスタンビザの期限が迫っているので、これから毎日走り続けなければならないというに、過去2週間の我武者羅な走りで、両膝を痛めています。

 タシケントでは、イランビザとトルクメニスタンビザの取得、郵便物の発送と受け取り、などなどに多大な労力を費やし、時間も費やし・・・


 ブログのアップは、時間がある時にだけ行うことにします。楽しみにして頂いている皆様、申し訳ございませんが、あっぷあっぷなんですよ・・・。

 3月4日まで、ほぼ毎日走り続けですので、ブログのアップは、少ぉ~しずつ行います。

ブログアップ作業にあっぷあっぷ・・・ 

2月19日 昨日電車に揺られてやってきたタシケント。今日は、朝から雪が止みません。

 時間に追われる旅を送っている中、少ぉ~しずつブログのアップを再開します。今日から、2月末まで、毎日1~2件ずつぐらい自動的にアップされていきます(多分)。

 アップしていくエピソードは、古い順なので、昨年末の中国のエピソードから始まりますが・・・、私の現在地を勘違いなさらぬよう!!

 2月26日まで、ウズベキスタンに滞在しています。ちょっと詳しく言うと、2月20日の昼までタシケントで、晩には自転車が待つサマルカンド。21~23日はサマルカンド→ブハラの280kmを激走し、23~24日はブハラ滞在。25日には、トルクメニスタンとの国境へ向かいます。

 現在地は、ウズベキスタンですよ!ウズベキスタン!!

青のサマルカンド 

美しい街です★

 2月15日、ウズベキスタン中部の古都サマルカンドに到着。なだらかな丘陵地帯を抜け、急に目の前に巨大な青いモスクのドームが見えた時は、思わず声をあげてしまいました!

 デケェ~!!

 まず目に飛び込んできた建造物は、中央アジア最大のモスク、ビビ・ハヌム・モスクでした。さらに、1kmほど走ると、見えてきました!!

 レギスタン広場の3つのマドラサ!! これまた美しい★★★

 サマルカンドには3泊し、久しぶりにお金を惜しまず観光しています。入場料500円とか240円とかしますが、ここで出し惜しんでいたら、将来絶対後悔しますから。

 18日には、電車でタシケントへ向かいます。10日程前に申請したトルクメニスタンビザとイランビザを受け取るためです。無事に受け取れたら良いんですけどね。

 ネットカフェは、サマルカンドとタシケントに日本語使用可能なところが何箇所かあります。が、日本語使用可能で、かつ、USBポートが生きているパソコンとなると・・・、なかなかない!ネットカフェには、ネットサーフを楽しんでる兄ちゃんや、ネットゲームに熱中しているガキんちょが溢れていて、パソコンが空くのを待つことさえあります・・・。

 ブログアップしたいのに・・・、できないってのは、ストレスですねぇ~・・・

 また、レギスタンの夕景でも見て、心を落ち着かせるかな・・・。

 というわけで、現在地はサマルカンドでした★

現在、タジキスタンです 

 2月12日 ながらくブログの更新ができませんでした。1月24日以来、久しぶりに日本語使用可能なネットカフェがあったので、近況をざっとご報告!!

 1月25日・・・ビシュケクから、再びシェアタクシーに揺られ、相棒・自右衛門が待つオシュへ。

 1月27日~31日・・・ちょうど1ヵ月前、盗難被害等々で走行を中断していた 『中国・キルギス国境~オシュ間の250km』を走り直し! 『12月28日に自転車を降りた、国境から15km地点の検問所まで、トラックヒッチで戻って、そこからオシュへと走る』ってのが、理想的でしたが・・・。その場合、いきなり氷点下15℃・海抜3500mの世界から再スタートになってしまいます・・・。ビシュケクでぬくぬくと過ごしていた私には、無謀な行程に思われました。そこで、気温10℃・海抜800mのオシュから逆走して、例の検問所まで走る事にしました。
 で!ガムシャラに走って、雪の峠を1つ越え、2つ越え、氷点下17℃の雪原を走り抜け、5日間で未走行区間を走り終えました。帰りはオシュまでトラックをヒッチハイク。もちろん、この時のエピソードは後々アップします。いやぁ~・・・、これが相!当!しんどかったんですよ~!!

 2月2日・・・オシュを出発。キルギスから、この旅8カ国目の国・ウズベキスタンへ。フェルガナ盆地の中心都市・フェルガナまで、125kmを走りました。久しぶりに雨の中の走行となり、おかげで風邪をひいてしまった・・・。フェルガナはキレイな町だったけど、殆ど外出せずに部屋でゴロゴロ2連泊。

 2月4日・・・フェルガナから95km走り、古都コーカンドへ。部屋は質素だけど、親切なホテルの従業員さんたちに迎えられました。ほんと、部屋は酷いんですけどねぇ~、良い人たちなんですよ

 2月5日~7日・・・自転車をコーカンドに置いて、4時間シェアタクシーに揺られて、ウズベキスタンの首都タシケントへ。取得に1~2週間かかるというトルクメニスタンビザとイランビザの申請の為です。5日は、街角で知り合ったウズベク人大学生たちに町を案内してもらい。6日は雨の中、どぉ~にか!こぉ~にか!トルクメニスタンビザの申請。7日は、イランビザをな・ん・と・か!申請して、タシケントでの用事は終了。再びタシケントに戻るのは、ビザ受け取りの19日前後です。

 2月8日・・・シェアタクシーに揺られ、コーカンドへ。この日、燻っていた風邪が、一気に火力を増し・・・、昏々と眠り続けました。

 2月10日・・・コーカンドを出発。この旅9カ国目の国・タジキスタンへ。フェルガナ盆地を横切るシルダリア川に沿って西に走ると、ずっと平坦な道なんです。いちいち国境を跨がねばなりませんが、ウズベキスタン中部の平原に出るには、タジキスタン北部を横切るのが一番楽チン!
 ・・・なはずだったのですが!? この日は強烈な向かい風!全力で漕ぎ続けても、なかなか距離が伸びず、目標にしていたホジャンドの手前30kmぐらいのド田舎で日が暮れてしまいました。困り果て、弱り果てていた私を救ってくれたのは、国道沿いのチャイハナ(茶屋・食堂)のオーナー。食事も宿泊もタダで、温かいもてなしを受けました。 『(空腹+疲労)×ウォッカ6杯×風邪=ノックダウン』な夜でした。

 2月11日・・・どんよりした空の下、35kmを走ってホジャンドに到着。シルダリア川を望む、1泊13ドルもする立派なホテルで、長引く風邪で疲弊した体を癒しています。暖かいシャワーって最高です。

 そんなこんなで、現在地はタジキスタンのホジャンドです。この町のバザールは、大きさこそ普通ですが、雰囲気は中央アジアで1番でしょうね!素敵な素敵なバザールを楽しんだので、明日(2月13日)には、再びウズベキスタンに入国します。

 3月初旬まで、忙しい移動が続きますが、滞っていたブログのアップ作業は、2月15日以降、少しずつ再開しますので、お楽しみに☆


酔っ払い警察官、おまけ 

 18日の晩、宿の近くにある売店、事件発生時に仲介に入ってくれたおばちゃんの店で・・・。私としたことが、一瞬の不覚を取っていまいました!!

 店の片隅の野菜コーナーにしゃがみこんで、人参を手にとっていると、背後に人の気配・・・。振り向くと、知ってる顔が立っていました。その男は、握手を求めてきたので、反射的に握手に応えてしまいました・・・。

 その男は、オルスでした!!

心 「あぁ~!!握手なんてしちまった!!」
オルス 「サラーム」(笑顔で)
心 「サラームじゃねぇ~よ!・・・そうだ、オルス! 今ここで俺に思いっきり5~6発殴らせてくれ!そしたら、今回の事件は俺の中で決着するから!」


 どうせ伝わっちゃいないでしょうけど、本気でそう思ってました、私。中途半端に終わった騒動の決着を、自分の拳で終わらせよう! 5~6発と言わないまでも、1~2発ぐらいだったら、こいつ(オルス)も、甘んじて受けるかも知れない!? そう考えましたが・・・、実行には移しませんでした。まぁ、それが常識ってもんでしょう・・・

 オルスの横には、彼の奥さんがいました。奥さんの前で殴られるのも可哀想だし・・・。ってか、容疑を堂々と否認してみせた奴のことですから、私の鉄拳に対して、不当な暴力と訴えるに違いありません。ここで私が彼を殴ったら、私はきっと暴行の容疑で逮捕されるでしょう。

 スッキリしませんが、鉄拳の代わりに、語調の強い英語で、 「お前さんは、自分がやったことがどんなに悪いことか知ってるだろう?今後、同じことを起こしてみろ。その時は、お前は、職も家族も失うことになるぞ。解ってるか?悔い改めるんだぞ!?」 英語を解さないオルスですが、私の血走った目と重い語調だけでも、感じ取ってくれたかな・・・?

 あぁ~!! スッキリしねぇ~!!
 けど、これで終わり!

不本意な決着・・・ 

 1月8日に飯田さんに暴行を加え、賄賂を巻上げて行った酔っ払い警官・オルスは、10日後に捕まりました。が、彼は容疑を否認しました。で、裁判をしなければならなくなりました・・・。

 私たちが裁判に立ち会うのは不可能です。仮に2~3ヶ月でカタが着くとしても、私はそんなに長くキルギスに留まりたくない!まだ世界一周の4分の1ほどしか走ってません、時間がもったいない。飯田さんもしかり、そんなに長くキルギスには留まれない。
 おかしな話です・・・。被害者が、加害者の刑の軽減を願い、裁判を省略したかたちでの罰則を願っているなんて・・・。どうしたものか? 私と飯田さんが助言を求めたのは、日本大使館でした。
 「裁判には付き合えません。しかし、代理人を立てることもできません。」 その旨を領事の若山さんは、ビシュケク市警に伝えてくれました。

 私たちに帰って来た言葉は、『ビシュケク市警としては、事件をあやふやに済ませたくはない。内務大臣まで関わった捜査が、半端に終われば、自分たちの立場はない!』 とのこと。そりゃそうでしょうけど、だからって、裁判まで付き合うわけにはいきません。代理人を立てたことろで、オルスが10年刑務所に入れられるのも、どうかと思う・・・。さくらゲストハウスが変な逆恨みの対象にでもなったら、私たちも客として、申し訳がない。

 結局、警察には、 『あなた方の捜査には不満はありません。しかし、時間的制約、金銭的制約により、裁判を起こすことはできません』といった文書を送ることになりました。 私としては、『これを機に、あなた方警察内部における、不正の撲滅、警官一人一人の意識の改革を行ってください!』と付け加えたかったところですが、言い出せませんでした。

 あ~ぁ・・・、こんな決着で良いのかなぁ~・・・。2週間に及んだ騒動は、なんだか納得のいかないかたちで、終わってしまいました・・・。


 今回の騒動で、ご協力頂いた日本大使館の若山領事始め、ウルマットさん、他の領事担当官の皆さんに申し訳ないのですが、これが旅行者の限界です。旅先でこのような事件に巻き込まれても、裁判となると、消えざるを得ないのです・・・。世界中に、今回の私たちと同じような思いをした旅行者が沢山います。裁判まで付き合う人もいますが、多くは、泣き寝入りでしょう・・・。

 しかし、今回の騒動で、警察内部の監視の目が厳しくなるということは考えられます。「不正はするな!」「日本人、外国人には手を出すな!」「酒を飲んで仕事をするな!」と、口を酸っぱくして、教育して欲しいものです。ビシュケクの新聞には、今回の事件が報道されていました。『警察官が日本人旅行者に暴行の容疑』といった内容だったそうです。オルスの名前は出ていなかったと思いますが、オルスと同じようなことをしたことのある悪徳警察官は、今後、態度を改めるかも知れません。

 中途半端な決着でしたが、これが今後の変化につながってくれれば・・・・。そう願う他ありません。

懲役10年!? 

 1月18日の午後は、捜査官の部屋へ。午前中よりも狭い部屋の中に、私たち3人、大使館の女性通訳さん、捜査官、そして容疑者オルス。非常に嫌な空気・・・。オルスの嘘の言い訳を聞いていると、イライラしてきます。私たち被害者の近くにオルスを置いておくのは、良くないと思うんですけど・・・。

 捜査官は、スッカリ見慣れましたが、右手の中指と左手の人差し指の2本だけで、カタカタカタカタとキーボードを叩き、オルスの調書を取り始めました。オルスの言い訳の内容までは、通訳してもらいませんでしたが、きっと午前中と同じことを言っているに違いありません。素直に謝れば良いのに・・・。なんで、そこまで頑なに否定するんだろう・・・?部屋を出た時、通訳さんがその理由を教えてくれました。

心 「えっ!10年!?刑務所にですか?」
通訳さん 「ええ。警察の偉い人が言ってました。警察や国家公務員の不正に対して、この国は厳しく罰します。」
飯 「そりゃぁ、否定するでしょうな。10年も豚箱入りだったらね。」
ト 「10年は可哀想よ。もっとねぇ、短くて良いのに。」
心 「うん、半年とかで十分ですよ。」
飯 「確かに長すぎますけど・・・。まぁ、奴にスケープゴートになってもらって、10年刑務所に入ってもらえば、今後、他の警察も絶対に悪いことはしなくなるでしょう・・・。それもありかな。」
ト 「長過ぎるよ。あの人に子供がいたら、子供も可哀想。」
心 「僕ら被害者が、被害届けを取り下げないまでも、罪の軽減をお願いしたら、短くなるんと違いますかね?」
通訳さん 「難しいと思います。」


 どうしましょう?10年も刑務所に入っては欲しくありません・・・。しかも、困った事に、オルスは容疑を否認しているので、今後、裁判の手続きが始まるというのです。

 日本の裁判も結審まで時間がかかりますが、キルギスも同じです。どんなに早くとも2~3ヶ月はかかるそうです。そんな長い間、キルギスに留まりたくはありません。裁判は、被害者不在となるので、代理人を立てるようにと警察はいいますが、そんな簡単なものではありません・・・。弁護士を入れると、お金がかかります。証人でもあるトルクンさんに代理人をお願いすると、スムースに裁判が進むかも知れませんが、そんな大々迷惑は掛けたくありません!!

 10年の懲役を免れるべく、オルスも本気です。そりゃぁ、嘘も付くでしょう。その嘘を破ることは簡単ですが、その手続きは裁判を通して行われるのです・・・。

 10年も刑務所には入れないで欲しい! けど、彼を罰しても欲しい!! どうしましょうかねぇ・・・

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写真)調書を書くため、捜査官の質問を受けるオルスを隠し撮り。

容疑者オルスの身柄を確保!! 

やっと呼び出しがありました!「例の警官を捕まえたから、警察署に来て下さい。」と。

1月18日、警察署に向かったのは、私と飯田さんとトルクンさん。さくらちゃんはお留守番。これまで通訳として同行してくれていた日本大使館のウルマットさんの姿はなく、代わりに別の大使館の女性(キルギス人)が着いて来てくれました。
 まず向かったのは、誰の部屋だったか忘れましたが、内部調査課の課長さん(?)の部屋。入ってビックリ!?目の前にあの警官が座ってました。容疑者オルスと被害者・飯田さん、目撃者(被害者でもある)の私、証人のトルクンさん、そして警察のお偉いさん方が一堂に会しました。なんだか奇妙な空間・・・。課長さんが、オルスに質問しました。

課長 「オルス、この日本人たちが、お前さんに暴行を受けて、賄賂を巻き上げられたと言ってるんだが。」
オルス 「そんなことはありません。確かに、私は彼、ヒゲの方の日本人の身元確認はしましたが。暴行や賄賂は知りません。」
飯 「おいおい!とぼけるなよ!腕にしっかりアザが残ってる写真もあんねんで?見るか??」


 容疑を否認したその態度にも驚きましたが、オルスという名前が本名だったことにも驚きました。ちなみに、モエドノフという苗字は、嘘っぱちだったそうです。キルギス語なので、何を言ってるのか解りませんが、警察のお偉いさんたちは、オルスの言葉をハナから疑っているようで、ちょっと呆れた感じで、彼に質問を続けていました。後になって、トルクンさんや大使館の女性に、話の内容を聞いて、私も呆れました・・・。

課長 「オルス。お前さんは何もしてないって言うけれど、だったら、この日本人たちは、内務省や警察に被害の届けを出したりはしないだろう?」

 オルスの言い分はこうです。 自分は職務に従い、怪しい外国人に対して、身分証の提示を求めた。ひとりはパスポートのコピーを持っていたが、もうひとりは持っていなかったので、警察署に連行しようとしたそのヒゲの男が抵抗したので、私は腕を掴んだが、暴力的な行為ではない途中から、連行を加勢してくれたロシア人の男は、数年前に会ったことがあるような気もするが・・・、知らない男だ賄賂を請求した覚えはない。お金を渡したというが、それはロシア人に対してではないか?私は見てもいないし、何のことだか解らない。

 つまり・・・、『自分は何も悪いことはしていない。悪いのは、ロシア系のあの青年だ。あいつが、この日本人たちにお金を請求し、お金を巻き上げていなくなったんだ。自分は、あのロシア系の青年とは全く繋がりはない。』 ということ。都合の悪いこと全てをこの場にいない、あのロシア人に擦り付け、自分は悪くないと言っています。

 では、彼の発言の矛盾点を・・・。 彼は勤務時間外で、酒を飲んでおり、普通に職務を行える状態ではなかった。 ②タジク大使館にパスポートがあると言っても、一度もそれを確かめようとはしなかった。 ③実際に、飯田さんの腕には青アザがたくさん残ってる。 ④私(心)は、オルスとロシア人が握手を交わすのを見ている。(初対面だとしても、握手はするが・・・) その後、「自分も警官だ!」と主張するロシア人に対して、オルスはそれを否定しなかった。知り合いのような態度を貫いた。 ⑤飯田さんが言うには、私(心)がトルクンさんを呼びに行っている間、オルスは、何度か指先を擦る仕草(お金を示すジェスチャー)を繰り返していた。 ⑥私も、飯田さんも、トルクンさんも、しっかりとお金を受け取るシーンを覚えてる。

 何という言い逃れでしょう・・・。仮に彼の言い分が正しかったとしても、彼は、全く知らないロシア人青年が、日本人旅行者からお金を巻上げるのを、すぐ傍にいながら気がつかず、パスポート不携帯で警察署に連行途中だったのに、なぜか途中で中断したということになります。そのことを指摘されると、オルスは、 「あのロシア人が、もう許してあげようと言ったから、自分はこの日本人を釈放することにした」と言いました。おいおい!だったら、言い訳①の『職務に従い』ってのが、おかしくなるぞ?
 

 さらに踏み込むと、新たな問題が浮かびます。それは、あのロシア人。この場にいないということは、あのロシア人には捜査の手は伸びていないのでしょう。あのロシア人は、自分は警官だと名乗っていましたが、実際には警官ではありません。キルギスの人口の数パーセントはロシア系ですが、ロシア系の人が警察官や国家公務員になるのは滅多にないことだそうです。
 警官を名乗り、私に暴行を加え(そんなに痛くなかったけど)、拳銃のようなものを携帯し、罪も無い旅行者からお金を巻き上げた後、本物の警官と仲良く消えていったあのロシア人・・・。何者なんでしょう?カジノの用心棒か何かかな?できることなら、あのロシア人も一緒に捕まえて欲しかったですね。でも、オルスが、関係を否定したので、捕まえるのは簡単ではなさそうです。
 

 午前は、これだけで終わりました。また午後に来るようにとのこと。警察署を出ると、玄関先にオルスがいました。身構える私たちに、オルスは握手を求めてきました。私は拒否しましたが、飯田さんは握手に応えてました。あららら、オルスのパフォーマンスに乗っちゃった!? オルスの隣には、彼の上司がいて、私たちに申し訳なさそうな顔をして立っていました。
 オルスは、握手をしたことで、友好的な関係を築けたとでも思っているのでしょうか?それとも、上司に自分の無実をアピールしただけでしょうか? 何も悪そびれた様子を示さず、演技っぽい余裕さに満ちた顔で、上司と一緒にいなくなりました。

その後の捜査・・・ 

1月10日 朝から警察に呼び出されました。向かったのは、私と飯田さんとトルクンさん、そして、さくらちゃん。通されたのは、お偉いさんのところではなく、捜査にあたる捜査官の部屋。昨日の若い捜査官ではなく、中年の気難しそうな人でした。これまでの調書を読んだ上で、また調書の取り直しです・・・。

 質問の相手は、主にトルクンさん。その間、さくらちゃんの面倒を飯田さんと私で見ます。さくらが泣きでもすれば、捜査官も早めに聞き取りを切り上げるかと思いましたが、全く気にすることはなく、飯田さん、私、トルクンさんそれぞれの調書を取るのに、3時間近くかかりました。さくらはお腹が空いてか?グズり始め・・・、飯田さんは、ちょっとご機嫌斜めでした・・・。

飯 「ねぇ、ウルマットさん。今日、トルクンさんは、通訳として呼ばれたんですか?だったら、失礼な話じゃないですか!?」
ウルマットさん 「いいえ、彼女は、証人ですから。」


 確かに、飯田さんが言うのも解らなくはない・・・。言葉の解らない私たちには、トルクンさんが通訳として使われてるかのように見えました。しかし、実際には、すでに書かれている調書の確認を行う為の証人だったというのです。何回調書を書けば気が済むのでしょう・・・?でも、まぁ、これで調書書きは終了かな??

 明日から本格的な捜査が始まるようです。明日っていうと、11日です。内務大臣は、12日までに捜査を終えると言っていましたが・・・。捜査にあたるビシュケク市警は、10日の時点で、「いつまでビシュケクに留まれる?20日までいれるか?」なんて言ってました・・・。なんだか長くなりそう・・・。

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 その後・・・、翌日だったかな?11日(?)の午前に、もう一度警察署に呼ばれました。が、呼ばれた時間に出向いたのに、また午後に来てくれとのこと。市内で新生児の遺棄事件が発生し、そちらの初動捜査で忙しいらしい・・・。午後に出向くと、調書の内容の再確認などが少しありました。捜査はまだ始まってなさそうです・・・。

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1月12日 容疑者オルス・モエドノフが目撃されました! 場所は、さくらゲストハウスの近所。目撃者は、トルクンさん。

ト 「今日、私、オルス見ましたよ。奥さんみたいな人と歩いてた。私に気がついたはずなのに、あの人、何も言わなかったよ。」
心 「まだ捜査の手は伸びてないようですね・・・」
飯 「今に、ギャフンと言わされますよ。」
心 「内務大臣は、今日12日に決着って言ってたのにねぇ・・・」


 その後、1週間があっという間に過ぎました・・・。一体全体、捜査はどうなっちゃってるんでしょう?私が捜査官だったら、さくらゲストハウスの近所の売店(事件発生時に仲裁に入ってくれたおばちゃんの店)で1日張ってれば、簡単にオルスを捕まられると思うんですけどねぇ・・・。内部調査だから、そういう風にもいかないんでしょうけど。いったいいつまで待たせるつもりなんでしょう??

キルギス内務省・粛正課とビシュケク市警・内部調査課 

ひとつ前のエントリーの続きです。

 1月9日の朝一番で、タジク大使館にパスポートとビザのピックアップに向かいました。これから、キルギスの警察機関に出向くというのに、身分証なしでは話になりません。親切なタジク大使館の領事さんは、営業開始の9時ちょうどに訪れた私たちに、しっかりとビザを用意していてくれました。なんて、仕事のできる大使館でしょう!

 9時45分のアポイントにあわせて、日本大使館へ。大使館に着くと、領事の若山さんと領事担当のウルマットさん、そして飯田さんと私で、キルギス内務省の立派なビルに向かいました。日本の霞ヶ関の○○省□□省にも何度か行ったことがありますが、ちょうど、日本の外務省のビルみたいな雰囲気でした。
 まず通された部屋は、内務大臣の部屋。恰幅の良い大臣の周りに、これまた恰幅の良いお偉いさんたちが並んでいました。内務省の粛正課(凄い名前!直訳するとこうなる)の課長、ビシュケク市警察副署長、といった人たちと、肩書きは忘れたけど、同じようなお偉いさんが他に2人。

大臣 「今回の件は、とても残念に思います。早急に捜査にあたりますので、あと3日間時間を下さい。」
若山領事「飯田さんと伊東さん、まだビシュケクには留まれますか?」
飯 「できるだけ早く出たいところですが、3日間なら大丈夫です。」
心 「私は、あと1週間ぐらい大丈夫です。」


 大臣が、3日間での捜査を宣言しました。つまり、1月12日には決着させるってことです。 『ホントかなぁ・・・?』 どこの国でも、お役所仕事は遅いものですが、キルギスのような旧社会主義国では、特に遅いんですよね・・・。でも、まぁ、あのオルスと名乗る警官が、本物の警官であることは間違いないですし、さくらゲストハウスの近所に住んでる(トルクンさん&売店のおばちゃん談)らしいので、オルスが捕まるのも時間の問題でしょう。もしかしたら、本当に12日までに決着するかも知れません。

 内務省の後に向かったのは、ビシュケク市の警察署。ここでもお偉いさんの部屋に通されました。役職は忘れましたが、警察署長だったかと思います。簡単に事件の経緯を説明した後、署長(?)は、低い声で部下に捜査を指示し、私たちは、また別の部屋に通されました。
 今度は、内部調査課みたいなところの課長さん。若山領事、ウルマットさんが事件の経緯をまた少し詳しく説明し、2つ3つ、私たちにも事実確認の質問がありました。途中で、若山領事は退出し、ウルマットさんを通訳に、私たちへの質問が続きます・・・。

課長さん 「ところで、その奥さんってのは?重要な証人なんだが。」
ウルマットさん 「さくらゲストハウスという日本人男性が経営する宿の奥さんで、日本語も話せる方です。」
心 「あっ、ウルマットさん。あの・・・。トルクンさんは、安定期前の妊婦ですので、私たちとしては、彼女をこの捜査に深く関わらせたくないんですけど・・・。」
ウルマットさん 「そうですか、伝えてみます。」
課長さん 「いやいや、そのトルクンって人が重要なんだよ。必ずこの場に来て欲しい!」


 という訳で、私の希望は通らず、トルクンさんも証人として、捜査に呼ばれることになりました。まぁ、トルクンさんが酔っ払い警官と言い合ってた訳ですから、トルクンさんなしで捜査が進まないというのも当然ですけど・・・。午前の聞き取り捜査はこれで終了。午後2時45分に、大使館の車が、さくらゲストハウスに迎えに来てくれることになり、昼食の為、一旦解散。
 
心 「ずいぶんと大掛かりな捜査ですねぇ。」
飯 「当り前ですよ。あんな警官、逮捕されて、刑務所にブチ込んだれば良いんですよ。」
心 「しっかし・・・、なかなか料理出てきませんねぇ・・・」


 宿の近くのBMWカフェなる小洒落たカフェで昼食を取ったのですが、40分も料理が出てこず、せっかくの美味しい食事を5分で掻き込むハメになりました。慌てて平らげた後、宿に走って戻り、迎えに来た大使館の公用車で、再び警察署へ。もちろん、トルクンさんも一緒です

 ビシュケク市警察署で、午後に通された部屋はまた別の部屋でした。ダルマさんのような丸々としたお偉いさんと、若くていかにも捜査官!といった感じの警察官がおり、また1から証言の取り直しが始まりました。トルクンさんと、大使館のウルマットさんがほとんど受け答えしたので、私たちは、隅に座っているだけ・・・。1時間半ほど、あれこれ質問されていたトルクンさん。後から話の内容を聞いてみると、私たちも知らなかった内容を捜査官に告げたんだそうです。

ト 「私ね、あの警官に言ったんですよ。あなた酔っ払ってるでしょ?って。そしたらね、あの人『自分は夜勤の仕事が終わったから、飲んでるんだ』って言ったんですよ。」
心 「ホントに?じゃぁ、すぐに捕まりますね、あの警官。7日の晩に夜勤だった警官なんて、すぐに解るでしょう?」
ト 「それとね。なんで飯田さんを連れて行くのか?って聞いたら、『自分の奥さんが、この前外国人に1万ソム盗まれたから、その犯人が飯田さんに違いない!』って言ったのよ。」
心 「奥さんがいて、さくらゲストハウスの近所に住んでいて、1月7日の晩に夜勤だった警官って訳ですね。捕まったも同然じゃないですか。」


 この日の聞き取りは終了。さぁて、どうなりますかねぇ・・・?
 
 明日の朝にでも捕まってるんじゃないかな?そりゃないか?? 

在ビシュケク日本大使館とキルギス海外協力省 

ひとつ前のエントリーの続きです。

 1月8日の昼に、飯田さん自ら、日本大使館に電話しました。通常、事件事故は、まず警察に報告するところですが、今回は、その警察が騒動の発端ですので・・・。日本大使館は、「今後、邦人が同じような被害に遭わないとも限らないので、今回きっちりと対処しましょう。」という方針で、私たちを扱ってくれるそうです。

 で、飯田さんと私と疋田さん3人で大使館に行きました。大使館側からは、領事の若山さん始め、領事担当官の薄井さん、領事担当兼通訳のウルマットさん、たまたまカザフスタンから来ていた日本大使館のお医者さん(名前は忘れちゃいました)、何人も出てきてくれました。飯田さんの口から、事情を詳しく説明し、飯田さんと私、それぞれが報告書を書くよう言われました。
 数時間前に起こったことなので、こと細かく報告書を書いていく飯田さん。それを見ながら、サラリと簡単に書き上げた私。私たちの報告書は、ウルマットさんにより、ロシア語に翻訳され、大使館のレターヘッドが入った紙に印刷されました。これを持って、キルギスの海外協力省(だったかな?)に報告に行くというのです。
 今回問題なのは、賄賂を請求されたことだけではなく、酔っ払った警官が腕に青アザがたくさん残るほど、暴力的に連行しようとしたこと。このような警官がいるようでは、安心して外国人がキルギスを訪れられませんよね?

 ロシア語で書かれた報告書がまとまるとすぐに、大使館の方々が、キルギスの海外協力省に向かいました。海外協力省ってのは、キルギスが他国から受ける援助などなどの窓口機関のようなところだそうです。キルギスは、海外からの援助によりインフラ整備、産業の育成が図られているまだまだ若い国。その援助元で、最大なのが日本です。日本のODAが入らなくなると、キルギスは困窮してしまうのです・・・。
 海外協力省に向かった人の中には、若山領事もいました。大事な大事な援助国である日本の大使館から、事務方No.1の領事が出向いた訳ですから・・・、キルギス政府もそれなりの対応を迫られることでしょう。

 で、一旦宿に返された私たちの元に、電話が入りました。 「明日、内務省のお偉いさんと会った後、警察署で本格的な捜査が始まります。」とのこと。
 うぅ~ん・・・、なんだか、話が大きくなり過ぎでないかい・・・?? あまり被害者意識のない(実際に被害はない)私・・・、ちょっと気が重たくなってきました。が、その反面、この騒動を決着させたい気持ちも一杯でした!私は、キルギス入国直後に立て続けて、兵士たちからモノを盗まれていますからね!この国の役人の腐敗を粛正してくれるなら、万々歳です!!

キルギス、酔っ払い警官に絡まれる 

ビシュケクで起こった災難の話をしてませんでしたね。

 事の発端は、1月8日・・・。同宿の“ヒゲさん”こと、飯田さんと一緒に、ビシュケク市内にあるタジキスタン大使館へビザの申請に行きました。トロリーバスで20分ほど、到着した大使館では、親切な領事さんが丁寧に応対してくれました。ビザの発給は、翌日という仕事の早さ!素晴らしい大使館です。申請はスムースに終了!パスポートを大使館に預け、またトロリーでサクラゲストハウスへと帰ったのですが・・・。

 宿のすぐ近くにある『GOIN』という中華系デパートを過ぎ、路地に入ったところで、2人組みの男に声をかけられました。若い方の男が、飯田さんに歩み寄ってきて、握手を求めているので、飯田さんの顔なじみだと思いました。が、違った。警官を名乗り、コートの下の制服や警察証を見せたこの男は、私たちに「パスポートの確認だ!」と言い始めました。パスポートはタジク・ビザ取得の為、今タジク大使館に預けているのでありません・・・。私は、パスポートのコピーを見せるとそれでOKだったのですが、飯田さんが言いがかりをつけられてしまいました・・・。

警官「パスポートがないなら、連行する!」(キルギス語で多分こんなこと言ってる)
飯 「だから、パスポートはタジク大使館にあるって言ってるやろう!!」
心 「こいつ、英語解らないでしょう。僕、トルクンさん呼んできます。」


 宿まで2分ほどのところまで来ていたので、私はサクラゲストハウスのオーナー夫人、トルクンさんを呼びに行きました。日本語ペラペラなので、通訳にと。たまたま玄関先にいたトルクンさんと連れて、すぐに飯田さんのもとへ戻ると、飯田さんと警官は、まだ言い合いしてる。「パスポートは大使館!」「ダメだ!」ってな具合・・・。初めにいたもう1人の男(年配)はもういませんでした。

 すぐに、トルクンさんが仲裁に入りました。キルギス語で2人が何を言い合っているのか解りませんが、どんどんヒートアップしていく会話から、どうも良くないシュチエーションのような気がしてきました。この国では、外国人はパスポートの携帯義務があるんです・・・。でも、ビザ申請してるんだから、ないのは仕方ないでしょうに・・・。どうしたものか・・・?と、しばらく傍観者をしていた私の耳に、意外な言葉が飛んできました。

 「もう!この人酔っ払ってるよ!!」とトルクンさん。えっ?酔っ払ってんの?こいつ??

 トルクンさんと飯田さん、そしてオルス・モエドノフと名乗る警官は、路地から表通りに移動しました。「タクシーつかまえますから、皆で一緒にタジク大使館行きましょう。そしたら、あの警官も納得するでしょう?」とトルクンさん。私は、さくらゲストハウスから持ち出してきた情報ノート(旅行者が書き込んだ旅情報が詰まったノート)をめくり、タジク大使館の電話番号を探しました。警官に電話させて、あの親切なタジク大使館の領事が「Mr.イイダのパスポートなら、ここにあるよ。」と言ってくれれば万事解決だと思ったのです。でも、残念ながら、情報ノートにタジク大使館の電話番号は載っていませんでした・・・。
 で、飯田さんと警官の方を見ると、なにやら更にヒートアップしてる!?警官は、飯田さんの腕を捻り上げ、道路の向こう側に引っ張って行こうとしています!「あ痛たたた!」飯田さんは、正月に雪道で足を捻挫していて、まだまともに歩けないような状態です・・・。警官にグイグイ引っ張れて行くので、私が間に入りました。

心 「おい!待てよ!落ち着け!」
飯 「腕放せよ。逃げへんっちゅうに!」
警官「来い!警察署に連れてく!!」
(多分こんなこと言ってる)

 警官の前に入り、制止しようとしていた私に、新手の男が近付いてきました。その若いロシア系の男は、警官と何か言葉を交わし握手した後、いきなり!私の顔面に平手を食らわしました!?「痛って!!何や!お前は!?」
 いきなり現れて平手ですよ?私も流石に切れかけました。警官と一緒になって、飯田さんを両方から抱えて連行しようとしているロシア系の男の服を掴んで、思いっきり引っ張りました。「おいコラ!待てよ!!」 私の言葉と同時に、ロシア人は、私に蹴りをくれました。『カァ~ン!』とゴングの鳴る音が頭の中に響きましたが・・・、ロシア人の仕草を見て、次の行動に移すのは止めました。この男、上着で隠してはいますが、ズボンのベルトの内側に拳銃のようなものをチラつかせています。「あっ!こいつも警官なのか!?」

飯 「何やねん!こいつは!」
心 「飯田さん、多分、このロシア人も警官です。」
飯 「はぁ?ポリス?」
ロシア人 「イエス!ポリスマン!」


 とうとう道路の反対側まで連れて行かれた飯田さん。そこにタクシーと一緒にトルクンさんが戻ってきて、再びオルス・モエドノフと名乗る警官と言い合いが始まりました。この警官は、やたらとテンションが高く、今にもトルクンさんを突き飛ばしそうな勢い。トルクンさんは妊婦ですから、絶対そんなことさせないよう、私は言い合ってるふたりの間に入ります。飯田さんは、腕を捕まれたまま、ロシア人に英語で色々と訴えていました。どうやら、このロシア人、片言の英語を話すようです。
 警官2人と、飯田さんと私とトルクンさん。5人が大騒ぎしてるのを見て、近くの売店のおばさんが出てきました。警官とトルクンさんの会話をしばらく聞いた後、そのおばさんも仲裁に入ってくれました。トルクンさんが言うには、この売店のおばさんは、オルスと名乗る警官の顔見知りとのこと。

ト 「なんかね、この人、飯田さんはビンラディンの部下だから、警察署に連れて行くっていってるのよ。酔っ払ってんのよ。」
飯&心 「はぁ?ビンラディンの手下??」
飯 「おい!あいつ、ビンラディンの手下だから連行するとか言ってるぞ!」
ロシア人 「はははは・・・(笑)」


 状況はハッキリしてきました。私たちは、酔っ払った警官の小遣い稼ぎに巻き込まれているのです。「見逃してやるから、○○ソム払え!」という結末が見えてきました・・・。売店のおばさんの仲裁は功を奏さなかったようで、オロスと名乗る警官は、再び飯田さんの腕を掴み上げ、ロシア人とふたりで連行しようとし始めました。三度、仲裁に入るトルクンさん。で、少し言い合った後、予想通りの結末に・・・。

ト 「この警官ね、罰金払えってよ。」
飯 「いくらですか?」
ト 「500ソムだって。」500ソム=約1500円。
飯 「そんなん払えません!だったら、警察署行きますよ。」
ト 「警察署なんか連れて行かれたら、何されるか解らないよ!この警官は、刑務所に入れるって脅してるし。」


 で、仕方なく、私の財布から500ソムを出して、トルクンさんの手から、この警官どもに500ソムを渡しました。ふたりの警官の顔が緩んだのを、私は見逃しませんでした。その嬉しそうな姿を写真に収めてやろうと、私のデジカメを取り出したところ、ふたりはムキになって撮影を拒もうとしました。そりゃそうでしょう、違法行為をしているのは、明らかに向こうなのですから。カメラまで取り上げられたら堪らないので、撮影を諦めたフリをして、その場を立ち去りました。背中を向けたまま、カメラだけ後に向けて、シャッターを2度3度切ります。写真にふたりの警官の姿が映っていたはずですが・・・。周囲は雪で覆われていたため、写真は真っ白にハレーションを起こしてて、残念ながら、何も写っていませんでした。

飯 「ムカつくわぁ~!」
ト 「あの人ねぇ、おかしなことばかり言ってたよ。ただの酔っ払いよ。」
心 「写真写ってませんでした・・・、残念・・・。写真があれば、警察に届けて、即逮捕だったでしょうに。」
飯 「あぁ~、腹立つわぁ~!!腕にアザ残ってるがな・・・、ったくもう!」


 で、宿に戻り、オーナーの疋田さんも交え4人で、事件を振り返っている内に、『日本大使館に相談しよう!』ということになりました。

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写真)アザの残る飯田さんと、腕を掴もうとする私

ニィエッ!ニィエッ!!ニィエ~ット!!! 

 ダメ!ダメ!!ダメ!!!って・・・、そんなに強く言わなくたって良いでしょう・・・?

 オシュで宿泊したホテル『SARA』の管理人たちは・・・、お世辞にも愛想良いとは言いにくい人が多かった・・・。言葉が通じないので、いつも大変でした。私が何か頼もうとすると、依頼内容を確認する前に、とりあえず、「ニィエット!!(ノー!)」と一言。食い下がらずに、もう一度お願いすると、 「ニィエット!ニィエット!」・・・。で、最後は・・・、

「ニィエッ!ニィエッ!ニィエ~ット!!」


 些細なこと、例えば「タオルをくれ」とか「お湯がでない」なんてことも、通じていない時は、「ニィエット!」と言われることがある・・・。サービスがないのは、承知していますが、優しくしてくれないのって、なんだか寂しい・・・。 ちなみに、12月29日に、私の新品のMP3プレーヤー&スピーカーが盗まれたのも、このホテルです。
 その時の話はコチラ→http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/page-2.html#entry627


もっとも激しかった『ニィエット!』 3件

ケース1) 12月30日、車でビシュケクに向かうので、自転車とカバン(5個)を預かってくれないかと頼みました。
 依頼の内容は伝わったようですが、上述のパターンで拒絶されました。しばらく、「ダメ!」「お願い!」と戦った後、管理人のおばちゃんがオーナー宅に電話をかけました。何やらロシア語で話した後、電話口に出てきたのは、英語のできる女性。オーナーの娘だそうです。

こころ 「荷物を預かって欲しいんですよ。」
娘さん 「それは難しいです。あなたは昨日、何か大事な物を盗まれたそうですね?残念ながら、
      このホテルは、貴重品の管理ができるようなところではありません・・・。」
こころ 「貴重品って言っても、本当に貴重なものは全て私が携行して、ビシュケクに行きますから。」
娘さん 「でも・・・。ここのホテルは、9人の女性が週に数日ずつ交代で働いていますから、全員に荷物
      の管理を徹底させるのは難しいんです。」
こころ 「それって、誰かが盗むってことですか?」
娘さん 「そうではなくて・・・。誰も、荷物管理の責任を負いたがらないだろうってことです。」
  ここで、管理人のおばちゃん乱入!受話器の向こうと何やら口論・・・?
娘さん 「この女性が、荷物を引き受けると言ってます。でも、その費用を払えますか?」
こころ 「費用・・・?いくらですか?」

 という訳で、2週間の預かり(実際には4週間になりましたが)で、400ソム(1200円!)も払うことになりました。管理人のおばちゃんは、お金を受け取りながらも、嫌そうな顔して従業員室の片隅に、荷物を運び込む私を見つめていました。 『大丈夫なのかなぁ・・・?金払って、中身も盗まれたじゃ笑えんよなぁ・・・。』


ケース2) 1月27日、4週間ぶりに戻ってきたオシュで2泊し、キルギス南部の山岳地帯へと走り出す日。厳しい山岳ライドに備え、不要な荷物は、ホテルに置いて行くことにしました。また「ニィエット!!」だろうな・・・。

こころ 「5~6日で戻ってくるから、このカバン(1個)を預かって欲しいんだけど。」
管理人「ニィエット!ニィエッ!ニィエッ!ニィエット・・・・」
こころ 「やっぱりそう。OK!またお金で解決しようか?この前は4週間で400ソムだったから、1週間100ソムでどう??」
管理人「ノォー!ノォー!ノォー!!」
こころ 「なんで・・・?伝わってないのかな?また、娘さんに電話して!ね?オーナーの娘に。」
  ちょうど、その時、オーナー夫人がホテルにやってきました。片言を英語を話すおばさんです。
夫人  「荷物は1つ?OK、預かりましょう。」
管理人 「ニィエット!」 何やらロシア語で激しくオーナー夫人に抗議しています・・・。
こころ  「ありがとうございます。1週間以内には必ず戻りますから。」

 なぜに、そこまで嫌がるのでしょう?まぁ、私が無理なお願いをしているのでしょうけど、ここまで頑なに拒絶される理由が解りません・・・。オーナー母子は協力的なんですけどね。


ケース3) 2月2日、三度戻ってきたオシュで1泊した翌日、オシュを出発する日。自転車と荷物をセットし、近所に朝食を食べに行っている間、ロビーに自転車を置かせてもらえないかと頼みました。で、やっぱり!!

管理人「ニィエ~ット!! ノォー!ノォー!ノォー!」
こころ 「やっぱりね。もういいよ。勝手に置いてく。盗みたかったら、ご自由にどうぞ。≪時計を指差しながら≫10時までに帰るよ。」

 合計で4泊した宿ですが、最後の最後まで、優しくしてはもらえませんでした・・・。9時40分戻り、自転車を押してホテルを出る際も、「さよなら」の一言もなかった・・・。こんな宿は、初めてでしたね。 腹立たしいとは(少ししか)思いませんが、それより何より、寂しい気持ちで一杯になりました。

 ニィエッ!ニィエッ!ニィエ~ット!!

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写真)ホテル・サラ /ドミトリー:1泊215ソム(約650円)、シャワー・トイレ共同。

オシュのバザールを探検! 

2月1日 キルギスで過ごす最後の1日。オシュのバザールを探検しました。

 オシュのバザールには、肉・野菜・果物・干物・スパイスなどなどの食料品から、日用雑貨、衣料品、家具、家電など、なんでも揃っていました。川沿いに長く広がるバザールには、地元の人々が溢れ返っていました。
 この旅では、これまでカシュガルの日曜バザールや、カシュガル近郊の町の水曜バザール、ビシュケクのドルドイ・バザールを訪れていますが、どこも活気に溢れていました。どのバザールも、その町で暮らす人々の生活に密着していて、その土地の空気が充満しています。

 オシュのバザールの風景をご紹介しましょう。

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写真1)バザール北側の通り。マルシュルートカ(ミニバス)が列を成し、絶えず人々がバザールにやって来ます。

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写真2)豆売りのおばちゃんたち。写真に写ることを嫌がる人は少なく、陽気に話しかけてくれる人が多いんです。

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写真3)肉屋の兄ちゃんたち。落とした牛の頭を持って・・・。

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写真4)巨大なカボチャ売りのおばさん。大きいですねぇ~!!コレを買って帰るのって、大変そう・・・。

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写真5)冬の盛りにメロンはいかが?? 秋に収穫したメロン。皮の色は変色してしまっていますが、実はジューシ-でした。でも、ハミ瓜の方が美味かった・・・。

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写真6)ナッツ&ドライフルーツ売り場の親子。楽しそうに談笑しながら、息子は絶えず商品を食べていました。

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写真7)魚も売ってます。大きな川魚。近郊の湖や川で獲れたものでしょう。

 オシュのバザールは、地元の雰囲気ムンムンで、楽しい探検となりました。

この自販機、何を売ってるの?? 

2月1日、オシュで不思議な自販機を発見しました。一旦横を通り過ぎ、『ん?今の何だったんだ!?』と慌てて戻りました。

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写真)これです。

 何が出てくるんでしょうねぇ?このニヒルなお兄ちゃんのブロマイドでも出てくるのかな?それとも、このお兄ちゃんが歌うラブソングが収録されたCDが出てくるのかな?

 んなわけないか・・・。動かなくなった自動販売機に、コンサートだか何だかの広告が張ってあるだけです。現在、キルギスではコインは全く流通しておらず、この自販機は、随分昔に使われなくなったものだと思われます。

 そういえば、久しぶりに自販機を見た気がします。治安が悪いと言われているオシュで見るとは、ちょっと意外でした。破壊された形跡もないので、昔は普通に使われていたんでしょうね。あっ!よぉ~く見ると、COCA-COLA の初めの『』の字と、Fantaの『anta』って文字が見えてる。取り出し口の形状から察するに、カップタイプの自販機かな?

 今の日本の自販機は、ずいぶん立派なものですが、私が幼かった頃は、こんな自販機もまだ健在でしたよ。お金入れなくても、取り出し口から、中のジュースの瓶が引っ張り出せたりするのもあったような・・・? ボタンを押して缶が落ちてくる瞬間に、自販機を思い切り蹴飛ばせば2本落ちてくるなんて噂もあったっけ?実際に落ちてきたこともあったような・・・・?良く覚えていませんが、なんとなぁ~く昔の記憶が蘇ってきました。

 20数年前を思い出させてくれた、オシュの不思議な自販機のお話でした。

キルギスの郵便ポスト 

 そういえば・・・、ここ数ヶ月、手紙を書く頻度が相当落ちてます。

 12月は中国カシュガルから10枚以上送りましたが、1月は全く手紙を書いていない・・・!?ってことは、キルギスからは1枚も書いてないってこと? いけませんねぇ~・・・。手紙を書く習慣がなくなってしまっています。どおりで最近お金の減りが少ないわけだ!切手や葉書の代金はバカになりませんが、それを出し惜しみするのは勿体ない・・・。せめて、ビシュケクでこのことに気が付いていれば・・・。

 絵葉書を送らなくなっていることに気が付いたのは、25泊したビシュケクを出て、オシュに戻ってきてからのこと。キルギス第2の都市・オシュで葉書と切手を買って投函することも考えましたが、どうもオシュの郵便局は信用できない・・・。本当に届くんだろうか? 実は、10月以降、チベットから投函した手紙の半数近くが届いてないみたいなんですよね。届きもしない手紙にお金をかけるぐらいだったら、そのお金で美味しいものを食べた方が良いのでは?というケチな発想によって、結局、オシュからも手紙を出すことはありませんでした。

 というわけで、キルギスからは1枚も手紙を送っていません。

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写真)これがキルギスの郵便ポスト。青いんですね。郵便局まで写真撮りに行って初めて知った・・・。

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