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キルギス南部山岳地帯リベンジラン! /最終日 

1月31日 リベンジラン最終日!!

 温かい部屋の中での目覚めは、最高でした。私以外誰も泊まっていないチャイハナ。経営者一家を起こさないように、朝の身支度。冷めかけていた暖炉に石炭をくべ、暖炉の上でお湯を沸かします。待っている間に、昨晩、外に置いといた温度計の確認に。過去最低温度を期待していましたが、目盛は氷点下17℃を示しています。 「なぁ~んだ・・・、つまらんなぁ~・・・」

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写真1)夜明けの風景。左手の建物がチャイハナ。

 夜明けと共に、チャイハナ一家も起きた様子。私がオートミールの朝食を準備している音を聞き、台所の奥の寝室から出てきました。「お湯かい?お湯がいるのかい?」 暖炉上の鍋の水は、いつまで経っても沸騰しそうにありません。お言葉に甘えて、台所を借り、大火力でお湯を沸かしました。紅茶も2リットル分作り、胃にタップリとオートミールを流し込み、昨晩の残りのナンを頬張って、準備OK! 一家に見送られ、氷点下13℃の朝の雪原を漕ぎ出しました!

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写真2)今日も天気が良いけど・・・、ちょっと風が強い!

 早めの出発でした。検問所まではあと30km程度のはずですが、今日は厳しいアップダウンがあるので、時間は多めに取っておかねばなりません。まだトラックの往来もない静かな雪原の道の脇で、用を足していると・・・、彼方からトラックが猛スピードで近付いてきました。隠れようのない場所です・・・、もうどうでもいいや。見たけりゃ見て下さいな。
 冷えたお尻でサドルに跨り、走り出して30分ほど、1ヵ月前にマフムードのトラックが炎に包まれた、あの場所にたどり着きました。あの時は、ほんと大変だったなぁ~・・・。とんでもない事態でしたが、喉元過ぎれば、楽しい思い出です。更に西に向かって進むと、徐々に風が強くなってきました・・・。

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写真3)見覚えのある光景

 路面は踏む固められた雪。普通に走っているぶんには滑りませんが、軽いギア比で一気にペダルを回すと、後輪がスリップしてしまいます。タイヤが空転したら、自転車を降り、しばらく押して進みます。何度かそれを繰り返した後、自転車に跨ると、ペダルが!・・・あれ?・・・あぁ!? 
 チェーンが外れていました。私の自転車には、極々稀にあるのですが、最も軽いギアにしたまま、自転車を押していると、チェーンがギアの内側に脱落してしまうことがあるのです。
 すぐに気がつけば、簡単にチェーンにギアをかけられますが、気がつくのがちょっと遅かった。前のギアの内側に落ちたチェーンは、BB(軸)とギアの間の隙間にぴったりと収まってしまっていて、簡単には外れない状態になっていました・・・。こうなったら、チェーンを切って掛け直す(私のチェーンは手で簡単に切れる(外せる)タイプ)か、クランクを抜いて、チェーンを引き出すか、しかありません。選んだのは後者。氷点下8℃、強風が吹きつける中での作業は、20分ほどで終わりました。体は芯まで冷えてしまいました。 

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写真4)走行再開!険しい上り下りの始まり!

 検問所の手前には、峠と名前は付いていませんが、なだらかな丘陵地があります。丘陵地の全体の標高は、3400mぐらい。標高差20~50mぐらいの短い上り下りが連続して続きます。路上の雪は、依然厚く、ブレーキングには気を使います・・・。

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写真5)こんな格好で走っています。目出し帽にゴーグル、顔も完全防寒です。

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写真6)上り下りを繰り返し、西に進むに従って、路面の雪が少なくなってきた。

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写真7)あの山には見覚えがあるぞ!この先、谷へ下れば、あの検問所です!!

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写真8)ここらの道路脇には、かつて中国・ソ連の仲が悪かった時の名残が。道路脇に塹壕(?というのかな?)が点在しています。

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写真9)雪がなくなった下り坂を一気に駆け下りると!? 見えてきた!!あの悪徳検問所!!

 午後3時、ついに、たどり着きました! 悪徳検問所!!

 逸る気持ちを抑えて、静かにゆっくりと検問ゲートをくぐりました。知っている顔を探しましたが、私に声をかけてきた兵士2人は、知らない顔・・・。「どこに行くんだ?中国か?」と聞かれたので、「ここに来るために走ってきたんだ!」と答えます。更に、「1ヶ月前、ここで酷い仕打ちを受けた為に、自転車での走行を諦めたんだ。だから、ここまで戻ってきての!わかる??」 解るわけはないでしょうけど、良いのです、それでも。自転車を停めて、あたりをキョロキョロ見渡してると・・・・、あっ!!

兵士A 「・・・・サラーム」
心 「いたか!?容疑者A!! サラーム!」
兵士A 「イルケシュタム?」
心 「いやいや、中国には行かんよ。お前さんの顔を見に来ただけだよ。


 『今度会ったら打ん殴ってやろう!』と思っていた顔ですが、いざ再会すると、そんな気も失せました。このリベンジランは、ここの兵士・容疑者AやB、私を罵倒したその上官に対する復讐ではなく、私を襲った困難全てに対する復讐・リベンジなのです。困難を乗り越え、未走行区間250kmを走り切ったことに、満足度は十分でした。

 どこか浮かない顔の兵士Aと思い切り力を込めた握手をし、全てが終了!さぁて、どうしましょう?時計は、午後3時を示しています。このまますぐにトラックをヒッチハイクして、オシュへ戻れば、深夜前には到着できるかも知れません。早速、自分でトラック探しを始めました。前回は、悪徳上官に100元も渡してしまいましたからね・・・・。
 20分後、一台のトラックが私を引き受けてくれることになりました。250ソム(約750円)かかりましたが、それくらいどうってことありません。自転車をコンテナの上に載せ、私は運転席の隣へ。前回のトラックドライバー&アシスタントは若い青年でしたが、今回はお腹の大きなおじさんふたり。快調なトラックは、先ほど私が越えてきた丘陵地帯を駆け抜けて行きます。

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写真10)キレイな景色だなぁ~・・・

 1カ月前は、煮えきらぬ思いでただただボーッと眺めていた光景が、今日は輝いて見えました。達成感と心地よい肉体疲労で、とても気持ちが良い・・・。唯一の心残りは、あの兵士の写真を撮り忘れてきたことだけ。故障やトラブルのない今回のトラックは、途中1度の休憩もあり、11時間の走行でオシュの町に到着しました。午前2時半のことでした。

 キルギス南部山岳地帯・リベンジラン!これにて、無事に終了!!

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キルギス南部山岳地帯リベンジラン! /4日目 

1月30日 リベンジラン4日目。一面の銀世界へ突入!!

 昨晩はまともな食事を取れなかった為、朝の目覚ましは腹時計でした。グルグルグル・・・。催促されても、食べるものはパンしかありません・・・。不調のガソリンコンロを復活させるべく、朝から手をガソリンと煤で汚しながらのコンロ分解掃除!30分の格闘の末、青い炎が継続的に燃焼するようになりました。まだ本調子ではありませんが、あと2日程度は問題なく使えるでしょう。今日、明日で、例の検問所まで走れるはずですから!

 朝食を作ろうかとも考えましたが、止めました。パンで腹5分目にして、早めにココを経てば、昼過ぎには峠の向こう側の町・サリタシュに着くはずです。テキパキと荷物をまとめ出発準備。
 テントも畳み終わった頃、どこからともなく5人のおじさんがやってきました!肩に担いだスコップを見て、すぐに解りました。峠の道路整備員たちです。1ヶ月前にトラックでここを通った時、峠道の中ほどに、ブルトーザーと掘っ立て小屋があったのを覚えています。簡単に挨拶を交わすと、1列縦隊で、斜面を下って行きました。
 さて、私も出発です。おじさんたちは、九十九折の道路を最短距離で上から降りてきました。だったら、私も上の道路に出よう!と、荷物を2つずつ担いで、急斜面を上り始めました。下っても道路に出ますが、上に登った方が近いと思ったのです。・・・んが!全然近くなかった!!しかも、足元はガラガラと滑り落ちる砂利の斜面!! あぁ・・・、下ってれば良かった・・・。 

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写真1)6つの荷物を2つずつ、そして自転車、合計で4回この急坂を上りました。

 荷物を運び始めてから、自転車のセッティングが終わるまで、1時間もかかりました。おそらく、下の道路に荷物を下ろしていれば、20分もかからなかったはず・・・。朝から無駄な労力を費やしました。腹5分目しか朝食食べてないのに・・・。
 気を取り直して、走り始めると、すぐに道路整備の掘っ立て小屋が見えてきました。ブルはありません。路面はというと、ところどころ雪が残ってる・・・。ヘアピンカーブを1つ、2つ、3つ・・・とコンスタントに上り続けると、徐々に路面の雪が多くなってきました。頂上まであとカーブ3つとなったあたりで、いよいよ雪、というか氷だけの路面になりました。
 すれ違うトラックは、滑ることなく、ツルツルの路面を下っていきます。『乗っても大丈夫なのかな?』と、氷の上を走り始めると、すぐに後輪がスリップ!バランスを崩して、足を着きますが、足もスリップ!!・・・・あいたたた・・・。雪のない急斜面や崖っぷちに沿って、自転車を押して上りました。峠の頂上に立った時には、すでに12時を回っていました。

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写真2)こんな道を峠道を登ってきました。

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写真3)峠の向こう側は、一面の銀世界!!

 突風吹き荒ぶ峠の頂上で、三脚を使ってセルフポートレートを撮ろうとしましたが、風が強すぎて断念。すぐに下りへと突入しました。峠道の向こう側は、南西斜面に道が延びています。日当たりは悪くなさそうですが、雪が解けていない・・・。まぁ、海抜3500mありますから、仕方がない。
 スリップして崖の下に真っ逆さま!?ってことにならないよう、慎重にブレーキングしながら、下ります。ちょっとでもタイヤが滑ったら、一旦自転車を降り、押して進みます。押すのも大変なんですけどね、踏ん張りが利かないので・・・。
 なんとかかんとか、300mほど下ると、一旦道が平らになり、また短い上りに。この峠道は、2つ小さなピークがあるんです。2つ目の上りは短く傾斜も少ないのですが・・・、雪はこっちの方が多くて、しかもツルッツル!

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写真4)スリップ!転倒!! わざわざ、三脚を設置して、転倒シーンを再現撮影。

 2つ目の下りは、なだらかで長い下り。標高差はさほどありません。峠の南側は、海抜3000m以上の高地です。慎重に下り終えると、路上の雪がなくなりました。「おっ!アスファルトだ!!」喜んだのも束の間、すぐに路面の雪が増え始め、サリタシュに到着すると、町は一面の銀世界に埋もれていました。
 町外れのトラック運転手向けのチャイハナで遅い昼食。時計は、3時を指していました。お腹はペコペコ!マントウを貪り食っている私を、店のおばちゃんがじっと見ています。食べ終わると、何やら催促してきました。 「あっ!?写真??」

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写真5)おっ!アスファルト!サリタシュまであと3km。
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写真6)サリタシュの町並み

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写真7)チャイハナの親子

 さぁて、どうするか・・・?ここサリタシュで宿泊しても良いのですが、まだ検問所までは50km以上あります。明日1日で走れなくもない距離ですが、こんな環境下ですから、無茶な走行はしたくないし・・・。また膝が痛くなるかもしれないし・・・。今日、もう少しだけ、20kmぐらいだけでも進んでおくことにしました。1.5リットルのケミカル・レモンジュースケミカル・メロンジュースを購入し、サリタシュを走り出しました。午後4時、気温は氷点下5℃・・・。

 標高が高いということもあり、峠の南側は、まるで別世界でした。陽がサンサンと射していた午後3時前でも、氷点下。買ったばかりのケミカルジュースは、次第にボトルの外側から凍り始めています・・・。 『うぅ~ん・・・、ヤバイかな?』

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写真8)視界には、雪と山と空だけ!!

 路面は完全に雪で覆われていますが、幸いにもスリップするような状態ではありません。硬くなった赤土の上を走っているような感触です。極端な上り下りがあれば、スリップしますが、比較的平坦な道が続いていたので、時速15km以上で快走!距離を伸ばします。途中、凍っていない川の流れを見つけ、3.5リットル魔法瓶に並々水を補給しました。
 午後5時、そろそろ日没です。どこかキャンプできそうな場所を探しますが、やっぱり、なかなか見つからない・・・。道の右側には、見えませんが川が流れているみたいで、時折氷が動く音がします。左側には、小さな丘が連なっていて、平坦な場所があまりない。あったとしても、雪が深くて入れない・・・・。 『うぅ~ん・・・、ヤバイかなぁ~??』

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写真9)日没間近!早く寝床を探さなければ!!

 ようやくテントが張れそうな場所を見つけました!道路脇の小高い丘のてっぺん!ここなら、道路からも見えにくいし、雪も浅いだろう・・・、きっと。自転車を麓に停め、ひとまず丘の上まで登ってみました。雪は少ないのですが、少々地面がぬかるんでいました。でも、もうここ以外に選択肢はなさそうです。日が沈み、赤く焼けた西の空を眺めた後、ふと東の空も眺めました。すると、「あっ!灯りがある!!」
 彼方に電球の灯りが見えたのです。その灯りを見て思い出した!!『あっ!そういえば!途中にチャイハナがあったな!?』 これも1ヶ月前の記憶です。検問所とサリタシュの中ほど、集落も何もない場所に、1軒ぽつんとチャイハナがあったのを思い出しました。トラック運転手向けのチャイハナです。あそこまでたどり着ければ、キャンプせずに済む!!温かい室内で眠れる!!決まりです。日没後も走り続け、あのチャイハナを目指すことにしました。
 気合を入れなおし、徐々に暗くなる雪道を激走し始めて間もなく、とんでもないことに気が付きました。

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写真10)フロントバッグ上に固定していた、温度計が・・・、えっ!?マイナス17℃!?

 こりゃぁ、絶対にあのチャイハナにたどり着かねばなりません。日没時点で氷点下17℃ってことは、明け方の気温は??氷点下20℃は軽く下回るでしょう。私の装備品は、氷点下20℃くらいまで大丈夫なはずですが・・・、『はず』なので、ちょっと恐ろしい・・・。
 ボンヤリと明るい雪のおかげで、日没後の走行にもさほど問題はありませんでした。丘の上から見えた明かりは、雪原に立つ小さな民家から漏れていました。あの民家の住人に泊めてもらえるかもしれませんが、無視して進むことにしました。チャイハナまでは、おそらく、多分・・・、10kmぐらいのはずです、きっと、・・・願わくば。
 徐々に肌に感じるようになってきた冷たい空気。時折すれ違うトラックからは、クラクションに混じって、大きな声が掛けられました。きっと、「何やってんだ!こんなとこで!死んじまうぞ!!」みたいなことを言ってるんでしょう。大丈夫、このくらいの環境なら、死にはしませんよ、多分。

 午後8時を回った頃、前方に灯りが見えてきました。あれだ!あれに違いない!!道路脇、少し低くなった更地に立つ小さな家。看板はありませんが、チャイハナであることは確実です。自転車を表に停め、大声で中の人を呼びます。何か声がした後に、ドアから出てきたのは、女性ばかり3人。「あの、ここチャイハナですよね??」「そうだよ。」
 いやぁ~!助かりました!!もしもここにチャイハナがなかったら、危ないところでした。チャイハナに居たのは、経営者の一家。母と娘2人。招き入れられるままに自転車ごと中に入ると、「あっ!くっついちゃった!?」氷点下17℃に冷やされた自転車の鉄パイプに、手の平が貼り付いてしまいました・・・。痛くはありません。むしろちょっと嬉しい☆ 『スゲェ~!ホントに寒いんだなぁ~!!』
 夕食は、鶏肉の煮物とナンと温かいチャイを頂きました。食後は、温かい店の片隅に布団を用意してもらい、早めに床に就きました。峠越えと氷点下10数℃の雪原走行。厳しい1日でしたが、終わり良ければ全て良し!!

 明日は、いよいよあの検問所に到着です!!

キルギス南部山岳地帯リベンジラン! /3日目 

1月29日 目覚めは快調☆ リベンジラン3日目の始まりです。

 朝食は、夕食のラーメンの残り汁でお粥を作りました。朝から、ガソリンコンロに火を入れての調理ですが・・・、どうも炎の具合が悪い!? プレヒート(ガソリンを気化させる為の準備過熱)の炎から、真っ黒な黒煙が上がっています。こういう黒煙は、ガソリンの質が極端に悪い時に出る煙です。そういえば、今ボトルに入っているガソリンは、11月に中国で購入したガソリンです。3ヶ月も使ってなかったので、古くなって質が悪くなっているのでしょう・・・。なんとか、あと3日間無事にコンロが使えればよいのですが・・・。要らぬ心配がひとつ増えてしまいました。

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写真1)走り始めてしばらく、川沿いの道をひた走る。川に水汲みに来ていたおじさん。

 今日は冷たい向かい風が強く吹き付けていました。徐々に標高は上がり、海抜2500m近くに達していました。この先の峠は海抜3500m、まだ1000mも標高差があります。今日中の峠越えは早々に断念し、峠の手前の最後の村を目標に走り続けました。

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写真2)正午、ちょっと早い昼食。チキンローストとサラダとナン。

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写真3)トラック運転手向けの食堂です。

 食堂で南から走ってきたトラックドライバーに路面状況を尋ねます。「雪?雪はある?白い、ほら、雪?」私のロシア語が通じるわけもなく、最後は、デジカメで雪の写真を見せて、ようやく質問の意図が伝わりました。 「おう、あるよ!雪ね、あるある。自転車では無理だよ!」皆が口を揃えて言いますが・・・。「大丈夫!大丈夫!ありがとう!」 

 雪原を自転車で走るなんて!? 誰もが私を疑い、止めさせようとします。私が地元民でもそうするでしょうね(笑) 氷点下10数℃の雪原を!自転車で!?どうかしてますよ・・・。でも、無理な話ではないんです!!過去に同じような環境下を走った経験が、今回のキルギス南部山岳地帯の走行でも生きるはずです。気温が下がれば、雪の上でもスリップすることなく走ることができます。むしろ、気温が高くて雪が融けかけている方が、私には走りにくいぐらいです。

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写真4)このあたりは、路上の雪が解けています。

 山々や畑には雪がありますが、道路には雪がありません。路上の雪は解け易いのでしょう。もしかしたら、雪掻きなんかもしてるのかも。私が今走っている道は、一昔前まで冬場は通行不能になっていたようですが、ここ数年は、通年での通行が可能なようです。中国との国境・イルケシュタム国境が通年通行可能となり、毎日大量の中国製品を載せたトラックがこの道を通って、オシュへと向かっていますからね。
 徐々に険しくなる坂道を上り、小さな町を1つ抜けしばらく走ると・・・、見えてきました!もうひとつの町。町の名前は忘れましたが、ここが峠の手前の最後の町です。前回ココを通った時は、夜でした。猛スピードで走るトラックの中から、峠の道の状況、通過する町の規模などを観察していたのです。
 この町には、食堂らしい食堂もありませんでしたし、宿なんてなさそうでした。宿はもともと期待していませんが、この町で1日分の行動食・おやつを調達しておかねばなりません。小さな売店で、1リットルのケミカル・オレンジジュースとクッキーを購入。
 食べ物は、ラーメンとナンとチョコレートクリームがあるので、大丈夫でしょう。町を抜けると、谷間の上り坂に入りました。道路脇の川で給水しようと自転車を停め、河原に下りましたが・・・、給水できない!?川が完全に凍っていて、大きな岩で表面の氷を割っても、全く水は滲んできません・・・。せっかく登ってきた道を500mほど下り、氷の下に水が流れているところまで戻りました。たまたま水汲みに来ていた村人は、そのまま川の水を飲んでいました。煮沸しなくても大丈夫そうです。

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写真5)夕方、日の差さない谷間は、一気に気温が下がります↓

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写真6)路面には所々氷が張っていて、自転車を押して登らねばなりません・・・

 進むスピードが急激に落ちました。日没前最後の2時間で、10kmしか進まなかった。まだ峠の上りは始まったばかりなのに・・・。路面が凍っていたのは、山の北側の斜面、太陽の光があたりにくいところです。幸い、これから登る峠道は、山の東側斜面を九十九折に登っています。もしかしたら、峠の上は雪がないかもしれない??いや、変な期待は止めときましょう、絶対あるはず・・・。

 走行38kmほどで、タイムアップ。暗くなる前にテントの設営です。九十九折の峠道の間の斜面に、道路から見えない場所がありました。少し傾いた斜面にテントを張り、早々に夕食の準備にかかりました。
 いつもの通り、ガソリンコンロのセッティング。プレヒートでコンロを温め、本火を着火!轟々と勢い良く上がった青い炎は、 「ボォ~!ボォッ!・・・ボッ!・・・ボボッ!・・・・プシュー・・・」って、消えちゃった!? 予備加熱が足りなかったのか?と、もう一度試みますが、ダメ・・・。3度目も、4度目も・・・。どうやら、バーナーの中の管に煤が詰まってしまっているようです・・・。その場で分解清掃することも考えましたが、もう面倒だ・・・。手がガソリン臭くなるし、もう暗いし・・・。翌日用の飲料水は、昨晩作っておいた紅茶が1リットル程と、夕方買ったオレンジジュー^スがあるので、沸かさなくても大丈夫でしょう・・・。

 パンにタップリとチョコ味コンデンスミルクを塗りたくって、胃袋に詰め込みましたが、なんか物足りない・・・。調理と夕食と片付けがない夜は、とても長い・・・。午後8時、空腹を我慢しつつ、ちょっと傾いた寝床に入りました。

 リベンジラン3日目。あの検問所まで、残り90kmほど。あと2日で行けるかなぁ~・・・?

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写真7)ここでキャンプしてました。ちょっとテントが傾いてるでしょ? 

キルギス南部山岳地帯リベンジラン! /2日目 

1月28日 リベンジラン2日目。朝目覚めると、筋肉痛でした・・・。あいててて・・・

 恥ずかしい!この1年ちょっとで、1万8千kmも走ってきたというのに、筋肉痛なんて・・・。恥ずかしい! しかし、この3ヶ月で僅か10日間程度しか走っていないことを考えると、仕方がないのかな・・・?
 テントを撤収し、昨夕同様、5回急斜面を上り下りして、自転車のセッティングが完了。峠の頂上目指して走り始めました。痛む筋肉は、膝の側面から腿の側面にかけて。大した痛みではないので、走ってるうちに筋肉が解れて楽になるでしょう。

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写真1)峠の頂上に到着。峠付近は、路面に雪が残り、スリップの危険大なので慎重に走りました。

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写真2)せっかく登ったのに、下りです↓ 谷間の村々をハイスピードで通り過ぎます。

 深い谷間の底では、路面の雪が完全に凍りついていて、ツルツルのアイスバーンになっていました・・・。滑り止めに砂利や土が撒いてありましたが、それでも時折ハンドルを取られて転倒しそうになる!なんとか、雪のない標高まで下りましたが、少々不安になってきました。この先には、海抜3500mの峠と、海抜3000m代の高原地帯が待ち構えているのです・・・。
 いや、不安なことがあろうか!気を取り直して、走ります!! 雪の上でも走れることは、西チベット&アクサイチンで実証済みです!さらに、雪上でのキャンプ対策も万全です。氷点下20℃ぐらいまでなら、生きて翌日の太陽を拝めることでしょう。
 しかし、この道の雪は、アクサイチンで経験した降って間もない雪とは違い、随分前に降った後、何度も何度も車に踏み固められた雪なんです・・・。カチカチに固まった雪は、もはや、雪というより氷です。走れないことはありませんが、1日に走れる距離は、当初考えていた50kmよりも短くなりそう・・・。

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写真3)途中の町で、昼食。グリヤーシュと目玉焼きとナンでお腹一杯!

 朝食はオートミールだけだったので、昼食は豪勢に。膨れたお腹で、走行再開。ここから進路は一旦南に向かい、海抜3500mの峠まで続きます。道の両脇には、集落が点在し、路上で住民に会うこともしばしば。
 「サラーム!」といつも通り、言葉をかけますが、笑顔が返ってこないことも・・・・。ここいらの人々は、フレンドリーじゃないなぁ・・・?いや、私がフレンドリーじゃないんです。疲れと足の痛みで顔が引きつっています・・・。どうしたんだろう?膝の側面の痛み方が、どうも筋肉痛とは違うようです。これは、過去に何度か覚えた痛み・・・。膝の周辺の筋を痛めたようです・・・。

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写真4)田舎の村々を走り抜けます。

 うぅ~ん・・・、どうしよう?大した痛みではありませんが、おそらく無理をすれば痛みが増すに違いありません。思い切って、走行計画を変更することに。オシュ→検問所の230kmを、1月27日~30日の4日間で走り切るつもりでしたが、5日間でのんびり走る事にしましょう。峠越えや雪原の走行があるので、それでも厳しいぐらいですが・・・。

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写真5)日没まで1時間。走行距離は、45km。あと10kmは走りたいな・・・。

 走行距離50kmを超え、日没も迫った午後6時、そろそろキャンプ場所を探さねばなりませんが・・・、今日もなかなか良い場所がありません。小さな町(大きな村)が、5km間隔ぐらいで点在しており、人目に付かない場所がないのです。町のチャイハナなどに宿泊することも考えましたが、それらしいチャイハナがない・・・。
 キャンプできそうな場所が見つかるまで走り続けることに。いよいよ日も暮れ、ライトを尽けての走行になりました。通過する村では、なるべく周囲に気付かれないように、スピードを上げて走り抜けます。2つ3つ集落を抜けた後、比較的大きな村で、とうとう子供たちに見つかってしまいました。 「どこに行くんだ!?」「何人だ!?」と騒ぐ子どもたち・・・。日没後にこんな寂しい山道を走っているのです、できるだけ隠密行動をしたかったのですが・・・

心 「サリタシュ!サリタシュに行くんだよ!ちょっと、黙ってくれ!静かにしろ!!
ガキ「サリタシュ?遠いよ!今日は、ここで寝る、ここで寝る!」
心 「いや、いいよ。行くから!ね?ね?お兄ちゃん行くからさぁ!静かにしてくれ!

 なんとか子供たちを振り切り、ひとけのない村外れの河川敷にたどり着きました。さっきの子供たちは、自分の家だかチャイハナだかに連れて行こうとしていたみたいですが・・・、今日はそんな気分ではありません。民家やチャイハナに泊まると、色んな人々と笑顔で会話をして、夜中まで通じない言葉で会話をしなければなりません。今日は、テントで静かに寝たい・・・・。

 真っ暗な河川敷にライトを当ててみますが、水がサラサラと流れていて、河原にテントを張れそうなところはありません。それに、ここだと、道路から丸見えです。周囲を見渡すと、川向こうの山の斜面に、良さそうな場所が見えました。幸い、川には橋がかかっていたので、対岸に渡り、なだらかな斜面を20mほど上り、テントを設営。昨晩と同じで、道路からテントを見つけることができますが、距離と標高差があるので、わざわざテントを訪ねてくる輩もいないでしょう。時計は、すでに午後9時を回っていました。こんな時間に来る奴は絶対にいない!・・・と思いたい。

 リベンジラン2日目は、歪んだ顔の愛想のないサイクリストと化していました。幸い、夜中も訪問者はなく、静かな眠りにつけました。

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写真6)こんなところにテント張っていました。向こうに村が見えていますが、誰もテントには気がつかなかった様子。翌朝撮影。

キルギス南部山岳地帯リベンジラン! /1日目 

1月27日 さぁ、リベンジランです!!

 昨年末に相次いだ盗難被害により、キルギス南部山岳地帯250kmほどの走行を一時断念していました。12月27日にサイクルコンピュータと水筒、翌28日には登山用腕時計、更に29日にはMP3とスピーカーまで・・・。失った全てを揃え直した私が向かうべき場所は、12月28日に、自転車を降りたあの場所!!中国国境から15kmのあの、悪徳検問所です!! 
 旅立ち以来。ずっと自転車の轍を切らさないように走ってきました。日本→韓国、韓国→中国のように船での移動なら、仕方ありませんが、そこに道があるのに、車移動なんて・・・。あぁ!今、思い出しても悔しい!!あのコソドロ兵士たちに、中断させられた私の旅を、今から走り直そうではないですか!

 理想としては、オシュから検問所までトラックをヒッチハイクして戻って、そこから、オシュまで走った方が『走り直し』という気がしますが、今回は逆ルートで、オシュ→検問所と走る事に。悪徳検問所からスタートとなると、いきなり海抜3300m、氷点下10℃の世界から始まります。ビシュケクで1ヶ月ダラダラしていた私には、厳しいスタートです。海抜800m、気温10℃のオシュから、山を上りながら、徐々に厳しい世界へと帰って行く方が、無難でしょう?


写真1)朝食は、マントウ4個とナン1枚。

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写真2)いざ、オシュを出発!町外れから、町のシンボル、ソロモン王の玉座(岩山)を望む。

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写真3)オシュを出て15kmほど、周囲の山々には雪が・・・。久しぶりの走行に加え、緩やかな上り坂です。足に張りを覚えますが・・・、弱音は吐けません。

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写真4)徐々に標高を上げ、山間の小さな村々では、子供たちに冷やかされながら走ります。

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写真5)走行50kmを越えたところで、峠に差し掛かりました・・・。この先は、海抜2250mの峠です。

 出発が10時と遅かったこと、久しぶりの走行だったこともあり、全然距離が延びません・・・。初日に峠を越えて起きたかったのですが、日没も迫り、峠越えは断念。峠の手前でキャンプできそうな場所を探しますが、狭い谷間には車道と小さな川があるのみで、人目に付かない平坦な場所はありません・・・。海抜2000mほどのところで、道路脇の崖が緩やかになっているところを発見!ここだったら、登れそう!
 20mほどの斜面を上ると、ちょうどよく畳み3畳分ぐらい真っ平らなところがあったので、荷物を解き、急斜面を5往復しました。荷物と自転車を揚げ終った頃には、すっかり日も暮れていました・・・。久しぶりの走行です。テントに入ると、念入りにストレッチ。夕食はラーメンで済ませましたが、たっぷりと胃袋に詰め込みました。

 目指す検問所までは、180kmほど。なんとしても、あの検問所まで行ってやる!!

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写真6)こんなところでキャンプしてました。翌朝撮影。

ビシュケク→オシュ、暴走タクシー 

1月25日 のんびり過ごしたビシュケクを離れ、自転車が待つオシュへと戻りました。

 予定では、24日に出るはずでした。が、1日延期になりました。年明け以降、あんなにのんびりダラダラした生活をしていたのに・・・、出発前日になって、追い詰められなきゃ、仕事が進まないんですよね・・・。23日の晩は、朝方まで原稿書きとネット仕事をしていました。一緒にビシュケクを発つ飯田さんも、2ヶ月に及んだビシュケク滞在記録をまとめるために、徹夜してました。で、ふたりして、「出発延期しましょう。」となったわけです。24日の晩も、あれやこれや色々とやることがあって、ベッドに入ったのは、午前3時頃・・・。

 7時に目覚めました。急いで出発準備!ビシュケク→オシュ間は、12時間以上かかります。8時には宿を出て、遅くとも10時には乗り合いタクシーに乗っておきたい。支度が整うと、疋田家とはお別れです。快適な時間を提供してくれたコブヘイさん(疋田さん)とトルクンさん、そして、可愛いさくらちゃん。ありがとうございました☆ 疋田一家に見送られ、飯田さんと一緒に出発しました。

 乗り合いタクシーの乗り場は、市街の西にある巨大なバザール、オシュ・バザールの隣。タクシー(市内の普通のやつ)で乗り付けると、すぐに客引きに囲まれました。「オシュか?オシュ?OK!OK!」勝手に私らのバッグを担いで、オシュへ向かう乗り合いタクシーのところへ持って行こうとします。おいおい!!
 荷物を取り上げ、複数のドライバーたちと交渉。私は、オシュからビシュケクまで800ソム出しましたが、それは多過ぎ。おそらく500ソムで十分な額のはず・・・。 「500でどうだ!2人で1000ソム!!」 どうせ「そんな額じゃ誰も行かないよ。」なんて言われるんだろうなと思っていたら、あっさりOKが出ました。やはり、ドライバーたちも、2人の客を逃すのが惜しいのでしょう。
 案内された車は、3列シートの乗用車。四駆ではありません、ワゴン車でも。こういうタイプって何と呼ぶのでしょう?まぁ、いいや、とにかく3列シートの最後尾、2人掛けの狭ぁ~いシートに詰め込まれました。他に空席は4席。残りの客が捕獲されて来るまで1時間ほど待ちました。ようやく出発したのは、午前10時頃。ビシュケク市外を猛スピードで飛び出しました。

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写真1)ビシュケクの郊外の小さな町のバザール。

 運転手は、若い兄ちゃん。運転が荒く、スピードもとにかく出す!出す!! あぁ・・・・、酷いのに乗っちゃったなぁ・・・。外れクジを引いてしまったのか?いや、どのクジを引いても、運転は荒いに決まっています。私が意識し過ぎなんですよ・・・。
 走り始めて間もなく、眠気に襲われました。昨日一昨日とまともに寝ていないので、当然です。私が舟を漕いでいる間に、車はビシュケクの南に横たわる険しい山へと入っていました。海抜1000m付近から、一気に3000m級の峠まで駆け上ります。ハイスピードの車は、厳しいカーブを右に!左に!減速することなく走り続けます。車内の客は、右に振られ、左に振られ・・・。眠たいけど、眠れない・・・。
 峠の頂上付近には、若干雪が残っていましたが、除雪が進んでいるようで、私が4週間前にここを通った時に比べれば、安全そうです。しかし、運転手が安全かどうかは別の話。雪が残っているカーブででも十分な減速なしに飛び込むドライバーの気が知れません。大丈夫!滑らないから!という確信があってやっていることではないでしょう。単純に、危険だと認知していないのです。その証拠に、何度か雪にタイヤを取られ、後輪が振れることがありました。頼んますよぉ~・・・・!!

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写真2)2つ目の峠を越えたところで昼食。ほっと一息付けました。

 さぁ、後半戦も危険なドライビングが続きます!! 2つ目の峠を越えると、路面の雪はなくなり、なだらかな丘陵地帯になりました。ただでさえアクセル全開なのに、長ぁ~い下り坂では、どこまでも加速します。車体は、ガタガタと小刻みに揺れ、明らかに150km以上出てる感じ・・・。おそるおそる運転席を覗き込むと、メーターは160kmを示していました。まだ加速してるし・・・。運転手の危険人知力の低さにイライラしていると・・・!?

 キキィ~!! ボンッ!!!

 アッ! キャッ! オォッ!! と車内に短い悲鳴が上がった後、「ハハハッ」運転手が小さく笑いました。

 ハハハじゃねぇよ!!

 <font color="#FF0000">危なかったなぁ!!長く緩やかな直線の下り坂を時速160kmで走行中、左手の横道から本線に入ろうと左折してきたジープに側面から衝突するところでした。ボンッ!!という音は、僅か数cmの間隔で衝突を回避した為、空気の壁にぶち当たった音でしょう。私が座っていた後部座席左側のボディーが、大きな音を立てました・・・。もし避けきれていなかったら、私は即死だったでしょう・・・。
 我慢の限界寸前!イライラ苛々いらいら・・・。この場で、今すぐ、車を降りて、運転手に渡した運賃を腕ずくででも巻き上げ、別の車に乗り換えようかと、真剣に悩みました。もう危ない運転は沢山!! でも、行動には移しませんでした。多分、独りだったら、やっていたでしょうけど、今日は飯田さんと一緒です。気分転換の話し相手がいてくれたおかげで、機嫌も徐々に落ち着いてきました。

 荒い運転の運転手は、その後もハイスピードで運転を続け、午後8時にはオシュに到着しました。ビシュケク→オシュの800kmを10時間で走りました。一般道ですよ?3000m級の峠越えが2つもあったのに・・・。最悪のドライバーでした。でも、これは海外では珍しくないこと。スピードは出るだけ出して、とにかく早く目的地に到着することしか考えていないドライバーも多いのです。

心 「お前、ちょっと度が過ぎるぞ。」(日本語で)
運転手「グッドバイ!サンキュー!」


 車を降りた時の会話です。言葉が通じないので仕方ないですが、私の苦い顔の理由も、彼には解らなかったのでしょう。もうしばらくは、車に乗りたくありません・・・。 

ビクトリノックス?? 

 ビシュケクで、アウトドア用のナイフを買いました。

 ビクトリノックスか、ウェンガーのナイフが欲しかったんです。日本出発時に携行していたウェンガーのナイフは、旅立ちから半年後に、紛失しました。中国・昆明の宿『THE HUMP』のテラスの植木鉢の上に置き忘れてきたのです・・・。
 その後すぐに、アウトドア用のナイフを購入しましたが、栓抜きや缶切りは、長らくもっていませんでした。紛失から半年後、カシュガルで中国製の安っぽいキャンプ用6徳ナイフを買いましたが、すぐに使えなくなってしまいました・・・。缶切りで缶が切れないんです・・・。栓抜きで栓が抜けないし・・・。さすが、25元(約380円)の品。

 で、ビシュケクでビクトリノックスのナイフを買いました。頻繁に買い物に行っていたツムデパートには、ビクトリノックスのナイフが沢山おいてました。各シリーズが揃っており、品数は30以上!値段は、日本よりも安そうです。欲しいのは、ナイフと缶きり、栓抜き、ワインオープナーが付いてるモデル。他のハサミやらヤスリやらは不要です。ショーケースに顔を近づけ、ひとつひとつ眺めていると・・・、あった!! 

 希望通りの、ナイフ・缶きり・栓抜き・ワインオープナーが付いたシンプルなモデル!!

 値札を見ると・・・、386ソムとありました。えっと、386×3だから・・・? えっ!?1160円?? 安い!! 

 店員さんにお願いして、ショーケースから出してもらいました。手にとってみると、なんだか軽い気もしますが・・・、それは小さいからでしょう。今まで持っていたビクトリノックスやウェンガーのナイフは、料理をすることも考えて、大きなものを使ってきました。今は、カシュガルで買った高級料理用・インジサールナイフがありますから、アウトドア用ナイフは小さくても良いのです。
 念の為、ナイフの根元にあるロゴを確認!しっかりとロゴが刻まれています。ナイフを広げる時のカチッ!カチッ!とした手ごたえも、しっかりしています。偽物ではないでしょう!!ポケットから皺くちゃの紙幣を取り出し、ご購入ぅ~! ありがとうございました。

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写真1)こんな感じで売ってます。

 その晩、宿でコブヘイさん(疋田さん)に報告。「買っちゃいました!安かったんですよ!」 山男のコブヘイさんも、こういう山グッズが好きなようで、面白そうにナイフや栓抜きなどを広げていました。店員さんにもらったビクトリノックスのカタログを広げ、「あっ!これ持ってました!」「これ、いいですねぇ~!」「コレ欲しいなぁ~。」「あっ、今日買ったのはコレです!」などと、楽しくやっていましたが・・・。話題が、偽物・本物の見分け方に移り・・・

 急転直下!! 


 カタログに記された本物の証と、私のナイフの特徴を照らし合わせます。造りは上等。私は全く疑っていませんでしたが・・・、確かに、1160円というのは安過ぎる・・・。

疋 「デデェ~ン!! 伊東さん、アウトぉ~!!」
心 「えっ!?何ですか?」

 ナイフの根元にあるロゴが、カタログのデザインと違いました。更に致命的だったのが、ナイフのプラスチック部分に刻まれているロゴが・・・、なんかおかしい!! カタログのロゴと比べると、明らかに間違っているのです・・・。

写真2)■■■後日アップします■■■ このナイフなのですが・・・。ロゴのデザインが少し違うんです。

 偽物であることが判明しましたが、まぁ・・・、1160円なら良いです。造りも本物並みにしっかりしていますし・・・。

ビシュケクで、沢山!お買い物 

 ビシュケクでは、300ドル分も買い物をしました。痛い出費ですが、新しい装備品のお買い物ってのは楽しいものです。


 まず、最重要課題は、昨年末に盗まれたモノの再購入!!

サイクルコンピューター・・・  盗まれたコンピューターは、株式会社キャットアイ様より、ご提供頂いた品でした。物品提供が決まる前から、私はキャットアイ製品をずぅ~っと使っていて、たまたま提供品と同じ型のコンピューターを使っていました。サイクルコンピューターなんて、大した重さでもないので、念の為に、1つを予備としてバッグに入れていたのです。
 新しく購入する必要はありませんでしたが、電池が切れていたので、ボタン型電池CR2032を探さねばなりません。田舎町では、購入に苦労するボタン電池ですが、ビシュケク中心にあるツムでパートで難なく見つかりました。電池交換後、総走行距離の手入力しなければなりませんでした。カシュガル出発時の総走行距離に、12月23日以降6日間の走行距離を足して、入力完了。これでサイクルコンピューターは、失った前の状態に戻りました。


腕時計・・・ 高度計と温度計が内臓されたモデルなんて・・・、日本や欧米なら比較的簡単に手に入りますが、キルギスでは・・・? ツムデーパートやドルドイプラザ、アウトドア専門店など、数軒探し歩きましたが、高度計・温度計両方付いてるモデルはありませんでした。唯一見つかったのは、CASIOのフォレスターという、高度計内蔵のモデル。
 結局140ドル出してコレを購入したのですが、購入を決意するまで1週間もかかりました。品は中級品・・・、どうせなら、今後長く使い続けられる、高級なモデルが良いなぁ・・・、と。 インターネットで購入できないか?とネットサーフしていると、とても良いモノを発見しました!!上述のキャットアイが出している『高度計・温度計機能付きのサイクルコンピューター』です!!これは素晴らしい!!腕時計は、安っぽい腕時計を買って、このサイクルコンピューターを買おう!! 早速、日本の友人に購入を依頼しましたが・・・、1週間後に返って来たメールには、「探しても見つからなかった。絶版品らしいよ?」とのこと・・・。というわけで、この高度計だけ内臓の腕時計を購入した訳です。

温度計・・・ 新しく買った腕時計に温度計が内臓されていないので、アウトドア用の小さな温度計を買うことに。アウトドア専門店を探し歩きますが、温度計がない・・・。デパートにもない、方々探し回ってみつけたのは、ドルドイバザールでした。幅4cm×長さ15cmもある壁掛けよう温度計。もっと小さなモノを探しましたが、これしかない・・・。まぁ、安いモノですし、今後、小さなモノを見つけたら買い直せば良いか。

MP3・・・ カシュガルで購入した1ギガのMP3は、285元(約4300円)でした。とても気に入っていたのに、僅か1ヶ月で盗まれてしまった・・・。 同レベルのMP3プレーヤーを探しましたが、なかなか良い品は見つからない・・・。中国製は、中国で買うのが一番安いに決まっています。失ったMP3と同レベルの中国製は、2倍近い値段でした。ようやく見つけ出したのが、512メガのロシア製MP3。購入価格は2000ソム(約6000円)。電源は単4電池。私の場合、内臓充電池式のMP3の場合、長期間充電できないことがあるので、乾電池式の方が良いのです。

スピーカー・・・ これもカシュガルで購入後、僅か1ヶ月で盗まれました・・・。走行中にMP3で音楽を聞く場合、イヤホンで聞くことは絶対にしません。非常に危険ですから。走行中は、外付けの小型スピーカーをハンドルバーの上に設置し、カーステレオのように軽いBGMとして聞いています。荒野では大音量に感じますが、交通量の多い街中では全く聞こえなくなるぐらいの音量です。このくらいでないと、音楽が、私を周囲の環境から引き離してしまう可能性があります。
 失ったスピーカーは、ハードケースにスピーカーが内臓されているもので、スピーカーというよりもポーチのような形状でした。MP3は、そのポーチの中に入れることができるので、MP3が自転車の振動で壊れることもなく、とても気に入っていました。同タイプの品を探しましたが、見つかりませんでした・・・。購入したのは、ペンケース型の薄っペらなスピーカー。600ソム(約1800円)。電源は、単4電池4つ。小さい割りに、音が太く、まぁこれもお気に入りになりそうです。

乾電池・・・ 失ったポーチ型スピーカーの中には、充電式単4乾電池が8本も入っていました。私が持っていた充電式電池のほぼ全てです。これも買い直さねばなりません・・・。電池を使うのは、MP3やスピーカーだけではありませんからね。ヘッドライトや自転車用ライトにも使います。8つの充電式単4電池を再購入し、出費は、1000ソム(約3000円)。痛い!!高いよ!充電式電池!

魔法瓶・・・ 1リットルと1.2リットルの魔法瓶が盗まれ、手元には、0.8リットルと、1.2リットルの魔法瓶2本が残っていました。2リットルあれば、氷点下の雪原ででも、日中の走行時分には十分な水を運べます。が、この容量では足りない・・・。キャンプの可能性も考えて、朝・夕食分の水を凍らせずに運ばなければなりません。あと2リットル分は欲しい・・・。色々探し回って、見つけたのが、3.5リットルの巨大魔法瓶!!ちょっと大き過ぎですが、衝動買い! 900ソム(約2700円)なり。
 これだけ大きな物を日本で買おうと思ったら、4000~5000円はしそうです。この冬の走行後は、もう使うこともないでしょうから、日本に郵送すれば良い。日本でだったら、使い様はいくらでもあるでしょう?容量が大きいというのは、保温には適しているようです。購入後すぐに実験をしました。魔法瓶に沸騰したお湯を満たし、氷点下10℃の屋外で一晩放置。翌日12時間後に、中のお湯を手にかけてみると、 「あっちぃ~!!」と悲鳴が上がるほど熱々でした。保温能力は十分です。良い買い物をしました。


 失った品ではありませんが、上述の品々の他に、前から欲しかったものを何点か購入しました。

ゴーグル・・・ スキー用のゴーグルです。極寒氷点下10℃の雪原、吹雪の雪原、砂嵐の砂漠などで使用できます。カシュガルで出会ったフランス人サイクリスト・バートが使っていて、良いアイディアだなぁ~と、機会があれば購入するつもりでした。スキー場もあるキルギスなら、ゴーグルも安く手に入るだろうと思っていましたが、安いモデルは、眼鏡の上から装着できない・・・。結局、1300ソム(約4200円)のメガネの上から掛けられるゴーグルを購入しました

温かい靴・・・ ドルドイバザールで購入。詳しくは、こちらをどうぞ↓
http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/#entry633

ビクトリノックス(?)のナイフ・・・ 386ソム(約1150円)って、安いなぁ~?と思ったんですよね・・・。詳しくはコチラ↓
http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/#entry644

 購入したモノの写真は、いちいち載せませんでした。1月以降の日付でアップされているエピソードをじっくりご覧頂くと、 「あっ!これのことか!?」という写真が何枚もあります。探してみて下さい。

やっとこさビシュケク脱出!! 

1月24日、25泊したビシュケクを脱出します!

 2週間程度滞在するつもりだったビシュケク、気が付けば3週間以上が経過していました。ビシュケク滞在が長くなった最大の理由は、例の酔っ払い警官による暴行事件。私は直接的な被害はありませんでしたが、事件捜査が終了するまで付き合うこととなりました。詳しい事件の経緯は、また今度紹介することにしましょう。

 キルギスには日本語環境のインターネットカフェがあまりなく、通信速度もいまいちなので、ブログのアップ作業が大変なので、ほとんどアップできませんでした。ものぐさ癖が付いてしまったのも良くないですね。エピソードの作成はしてるので、ネット環境の良いウズベクのタシケントにでも着いたら、一気にアップします。この1ヶ月ほとんどブログのアップがありませんでしたが、ご勘弁下さいまし。

 ビシュケクを出ると、自転車を置いているオシュへ戻ります。オシュから、キルギス南部の自転車未走行区間(250kmぐらい)を走り直して、2月1日頃にウズベキスタンに入国します。ウズベキスタンはフェルガナ地方から始め、3日程度タジキスタン領のフェルガナ盆地を走り、ウズベキスタン中央部の平原へと抜ける予定です。2月10日頃には、タシケントかサマルカンドに至っていることでしょう。


 さぁ、これからが本格的なシルクロードです。昨年11月から1月までの2ヵ月半は、旅の中休み。長い旅ですからね、メリハリをつけて楽しく旅をしないとね! 

お食事はコバンザメ 

 ビシュケクで3週間以上、寝食を共にしていた“ヒゲ”こと、飯田さんは、とってもグルメな旅人です。こんなに食事に拘って旅をしている人は、今まで出会ったことがないくらい。

 あの店の●●が美味い。 △△△を食べるなら、あそこ。あの■■■カフェは、味はイマイチだけど、雰囲気が良い。などなど。

 ビシュケクでは、味に拘るグルメ +α『カフェレストラン評論家』といった感じでしょうか。全くもって人任せな旅人になっていた私は、飯田さんの外食にいつもコバンザメで同行していました。行くお店はお任せ、注文もほとんどお任せ・・・。

 キルギスのカフェというのは、日本で言うところのカフェ=喫茶店=コーヒー屋さんではなく、食堂やレストランのようなお店です。メニューは、ロシア料理が主流らしいです(とにかく人任せなので、詳しくはありません)。

 私がよく注文して(もらって)いたのは、『ミアッサ・○○○スキー』という肉料理。ロシア語でミアッサが肉です。○○に入るのは、例えば、ヤポンスキーとか、カザフスキーとか。要は、日本風肉料理、カザフ風肉料理ってとこです。面白かったのには、ミアッサ・パリジェスキーという料理。パリ風肉料理です。どこがパリ風なんだか・・・?多分、パリジャンやパリジェンヌが、この料理を注文したら、「これのどこがパリ?」って言うでしょうね。ミアッサ・ヤポンスキーは、醤油を使っていたので、確かに日本風ではありましたが。

 注文の仕方は、メーンのお肉を決めた後、副菜も決めなければなりません。副菜は、ポテトフライ、マッシュド・ポテト、白米、サラダ類などを自由に組み合わせることができます。メニューを解読する努力も怠り続けていた私は、飯田さんに、「今日は、ポテトフライな気分です。」と告げるのみ・・・。嗚呼、情けなや・・・。 


 どんな料理か想像できますでしょうか?写真でいくつか紹介してみましょう。

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写真1)食事にチャイはお決まりです!緑茶と紅茶から選べます。

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写真2)これはスペイン風だったかな?トマトがスペインなんでしょうか・・・?

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写真3)これはガンファンという料理。中華系の料理で、ラグ麺の具を白米にかけた料理。

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写真4)あっ!出た! これがミアッサ・パリジェスキー。パリ風肉料理。マッシュルームとチーズがパリをイメージしてるのかな??

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写真5)通称“ウサギちゃんカフェ”の看板。ウサギ料理を出す店です。味も店内の雰囲気も良かったのですが、薄暗くて料理の写真が撮れなかった。

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写真6)BMWカフェの正面。ビシュケクには、趣向を凝らしたカフェが沢山あります。BMW??

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写真7)BMWカフェ店内。薄暗い店内には、BMWの本物の車のシートと、ホイールを使ったテーブルセットがありました。味はまあまあ。料金ちょっと高い。待ち時間、異常に長い!!40分待たされました。頼んだ料理は忘れました・・・。でも、そこそこ美味かったことは覚えてる。

 以上が、カフェで撮った写真たちです。最後に、もう2つ紹介しましょう。ビシュケクで最も美味いと評判の『ジャララバード』というキルギス料理の店です。さくらゲストハウスオーナーの疋田さんに連れて行ってもらいました。

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写真8)ポロフとサラダ。このポロフが美味かった☆

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写真9)ラグマンです。これまた美味いの☆

 とにかく人任せだったキルギスでの外食。でも、家の中では、結構自分で料理していたんですよ? 親子丼作ったり、冷やしうどん作ったり、鶏がらスープから本格的なラーメン作ったり、キンピラ作ったり、昆布の佃煮作ったり、いろいろと。ビシュケク滞在中に、一体何kg太ったか計りませんでしたが、2~3kgは太ったに違いありません。

 ビシュケク、とても充実した食生活でした。グルメな飯田さんに感謝☆

1年数ヶ月ぶりのトンカツ 

 日本を旅立って、早1年1ヶ月・・・。この間、口にすることができた日本食と言えば・・・

 牛丼、親子丼、豚肉の生姜焼き、厚揚げ豆腐、味噌汁、鯖の味噌煮、てんぷら、刺身の持ち合わせ・・・、あれ!? 

 沢山あるぞ??

 思い出せないぐらい、沢山ありますね。香港やバンコクでは、本格的な日本食を堪能してまったっけ・・・。他にも、中国・大理やチベット・ラサで日本食を何度か食べに行きました。チベット走行中は、醤油と椎茸とワカメと鰹ダシを使って自分で日本風の料理をしていましたし・・・。けっこう日本食食べてますねぇ、私。

 でも、トンカツは旅立ち以来初めてでした。作ってくれたのは、さくらゲストハウスの疋田夫人・トルクンさん。日本で5年間暮らしたトルクンさんの手料理は、完璧な日本食です。「こんど、トンカツでも食べましょうか。」と、年明けぐらいから疋田さんが言っていましたが、『パン粉がない』という理由で先延ばしになっていました。さくらゲストハウスでは、長期滞在の日本人旅行者には、トンカツを振る舞うのが通例になりつつあるらしい。

 1月も下旬となり、さくら滞在も3週間を越えました。「今日、夕食はトンカツにしましょう。パンもカチカチなのがありますから。」という訳で、疋田さんのGOサインが出ました。パンがカチカチというのは、パン粉を作るために放置しておいたロシア風の四角いパンが、カッチカチになっているということ。これを卸し金でパン粉にします。お肉は、もちろん豚肉!イスラーム教の国と言われているキルギスですが、宗教色は極めて薄く、ロシア人の多い都市部では簡単に豚肉が手に入るのです。パン粉を作る作業は、私が買って出ました。

 カチカチのパンを半分に切り、削り始めると・・・、あれ・・・?カビ臭くない?? よ~く見てみると、パンの中はカビだらけ。温かく湿気の多い台所に放置していた為、カビが生えていたのです。パン粉にするべく、2週間も寝かせておいたのに・・・。
 仕方がないので、新しいパンを買いに行きました。まだフレッシュなパンですが、電子レンジでパサパサになるまで温めて、それから削れば、いくらかパン粉っぽくなるでしょう。東京独り暮らし時代に、一度試したことがあります。その時は、上手くできました。 電子レンジにかけて、ダイアルを2分にセット。チン!となったら扉を開けて、中の湿気が抜けるまでしばらく放置、そしてまた2分温める。これを3回繰り返したところで、パンを確認。いくらかパサパサしてきました。このまま何回か続ければ良かったのですが、面倒臭くなってきた私は、一気に6分間温める方法を取りました。台所で本を読みながら待っていると、チンッ!!って。おっ、できたできた!

 ガチャ・・・・っと、レンジの扉を開けてビックリ!! 中から、モクモクモクモク煙が噴出してきました!!

 慌てて中のパンを取り出して、煙の上がるパンを庭に持って出ました。急いで台所に戻り、窓を全開!換気扇もフル回転させて換気。台所にやってきたトルクンさんもビックリ!「なに?焦げ臭いよ?」 煙がなくなっても、焦げた臭いはなくなりませんでした・・・。「すみません。ちょっと、失敗しちゃって・・・。」 パン1斤無駄になってしまいました。
 知ってますか?電子レンジは、食べ物の中心から加熱していくんです。硬い皮のロシア・パンを1斤丸々レンジに入れれば、熱がパン内部に篭って、中心が黒焦げになるのも、当然です。しばらく屋外に放置し、煙が出なくなったパンを割ってみたら、中が真っ黒焦げ焦げでした・・・。

 トンカツの為に!ここで諦める訳にはいきません。今度は、バゲット(日本で言うフランスパン)を買ってきて、再びレンジで乾燥させることに。先ほどの教訓を活かし、30cmほどのパンを小さく10個ぐらいに千切って、レンジにかけました。思い起こせば、日本でパン粉を作った時は、この方法でした。で、3回合計8分温めたら、カリッカリのパンが出来上がり☆
 これを卸し金で、ガリガリガリガリ削ること30分、サラダボールに半分ぐらいのパン粉が出来上がりました!!私と飯田さんと疋田夫妻で、2枚ずつトンカツを食べるとしても、これだけあれば十分でしょう。あとの調理はトルクンさんに任せましょう。

 で、夕食の時間です。台所からトルクンさんの声。「食べましょうか?」

 はい☆待ってました!! 


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写真)トンカツだぁ!!

 手作りのトンカツを、マスタードとトンカツソースで食べる! お口に入れるとサクサクの衣、そしてジューシーな豚肉の歯ごたえ。うぅ~ん・・・、幸せ☆

 日本食レストランで食べる日本食も良いですが、やはり、家庭で食べる日本食が一番ですね!! 

衣料品ならドルドイ・バザールで 

 「それ、ドルドイで買ったの??」

 ビシュケク長期滞在中の旅行者・飯田さんが、アラバエフ大学の先生たちに、このような質問をしているのを何度か耳にしました・・・。


 はて?ドルドイって・・・?

 ビシュケクでは、完全に人任せな日々を送っていました。外出は、いつも疋田夫妻か飯田さんに着いて行ってましたし、独りで買い物に行く時なども、疋田夫妻にどこに行けば良いか?どうやって行くのか?を聞いてから行っていました。自分で地図を広げたり、ガイドブックを読んだりしない、全くもって怠け者の旅人・・・。

 で、ドルドイというのが、何であるかがはっきり解ったのは、滞在2週間目ぐらいでした。ドルドイ・バザールという衣料品を中心に取り扱うバザールのことでした。ドルドイ・プラザという全く別のデパートもある為、いつも混同して考えていました。なるほど、だから、衣料品を指して「これ、ドルドイで買ったの?」だったんですね。

 1月中旬、そのドルドイ・バザールに行きました。独りで。ビシュケク市街の北外れに位置するバザールへ。トラムと徒歩でたどり着いたのは、聞いていた通り、巨大なバザールでした。
 私のお目当ては、『温かい靴』。今後、キルギス南部の山岳地帯など、氷点下10℃を下回る地域の走行が控えていますから。
 氷点下20℃対策の為、カシュガルでつま先ウォーマー付きペダルを開発しましたが、思った程の効果はありませんでした。中国~キルギス国境地帯の山奥で、氷点下10℃程度の環境を走りましたが、つま先の感覚が無くなってしまっていました・・・。氷点下10℃が限界だったってことです。このペダルで、氷点下20℃の雪原を走ると、足の指が凍傷を負ってしまいます・・・。初めから、温かい靴を買っておけば良かったんですよね・・・。

 巨大なバザールの中をあっちへこっちへ。1時間ほど歩き回り、ようやく靴売り場にたどり着きました。トルコ製の高級皮ブーツから、中国製の化繊ブーツまで、温かそうな冬用靴が沢山並んでいました。予算は、1000ソム(3000円)程度です。どうせこの冬しか履かない靴ですから、安物で結構。2ヶ月もてば良いのです。
 革靴は1000万円前後と非常に高いので、初めから無視。合皮か化繊の靴を探します。数軒回り、良さ気なものを発見!!合皮のブーツで、650ソム(2000円)。靴の内側はフワフワの毛がタップリ!これは温かそうだ!! 靴底も溝が深くて、雪の上でも歩きやすそうです。これに決定!! 

 靴を買った後、温度計を探して、また30分ほどバザール内をさ迷いましたが、小型のものは見つかりませんでした。仕方なく、20cmぐらいあるプラスチック板の温度計を購入しました。まぁ、無いよりはマシです。これにて買い物終了!!

 ドルドイ・バザール、衣料品を中心に、家電、家具、日用雑貨、食料も、とにかく巨大なバザール! 人の多さに疲れてしまいました・・・。

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写真1)バザールの外れ。このドルドイ・バザールの店舗は、このようなコンテナを改造して店にしている。

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写真2)バザール内。

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写真3)外には、果物売りのおばさんたち。

お手製・つま先ウォーマーの話 → http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/blog-entry-550.html
コレで万全だと思ったんですがねぇ・・・、アイディアそのものが失敗でした。


さくらゲストハウスのさくら 

 ビシュケクの快適なお宿『さくらゲストハウス』 名前の由来は、オーナーの疋田夫妻の愛娘・さくらちゃん、1歳半。

 こんなに人見知りのない、素直な子どもは初めて会いました。ホント、良い子なんですよ~。他人の子ですけどね、我が子のように、紹介したいと思います。

 さくらが生まれたのは日本。生後半年ぐらいでキルギスにやってきました。「この子は、キルギスで暮らすことが決まってたから、日本風の名前を考えていたんです。」とは、お父さんの疋田良陽さん。平仮名で『さくら』だそうです。
 父は日本人、母はキルギス人で、両親とも、大きく捉えるとモンゴロイド同士です。母のトルクンさんは、タタール人(ロシア、アラル海北部に住む人々。トゥルク系?)の血が入っているらしく、髪の毛や瞳が、薄い茶系の色をしています。で、さくらちゃんはというと、瞳は黒く、髪は・・・、茶色っぽいけど、これは赤ちゃんだからでしょう。母の友人には、「日本人顔だねぇ。お父さん似?」と言われ、父の友人には、「キルギスっぽいね。お母さん似?」と言われるとか。

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写真1)私は、お父さん似?お母さん似?

 1歳そこそこでキルギスにやって来て間もなく、ゲストハウスという、知らない人が絶えずやって来る環境に晒されることとなった、さくらちゃん。幸いにも、彼女は全く人見知りをしない!日本人だろうが、キルギス人だろうが、欧米人だろうが、何ジンだろうが、全く顔立ちの違う人々と接しても臆することはないようです。
 全く人見知りしないと言うと、言い過ぎかな?私がさくらゲストハウスに到着した12月30日の晩は、父・疋田さんと長期滞在でベビーシッター的存在となっていた飯田さんが、「今日のさくら、大人しいね。」というぐらい、私に緊張していたようです。怖がるような様子はなく、私をじっと観察していました。

 で、翌日から徐々に正体を晒していきました。泣き喚いたりすることは、棚の上から転落でもしない限り、滅多にありませんが、旺盛な好奇心で悪戯が止まらない・・・。私と飯田さんが泊まっていた部屋に、忍び込んでは、私たちのカバンの中から、荷物を1つ1つ外に出していく。口に入れたりはしませんが、とにかく色んな物を引っ張り出していくんです。だから、部屋のカギはなるべく締めるようにしていました。カギを閉め忘れると、部屋に忍び込んださくらが、静かにカバンを漁っているなんてことも・・・、しばしば。

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写真2)ギィ~・・・と、静かに戸が開き・・・、怪獣登場!?

 個人差はあれ、1歳半という時期は、言葉を話し始める頃かと思います。さくらもそう。毎日発声練習に勤しんでいます。「アゥアゥアゥアゥ・・・・」「トォトォトォトォ・・・」「マンママママ・・・・」「アブアブアブアブアブ・・・・(下唇を指で弾きながら)」「タァータ!タァータ!」などなどなど。4週間しか共に過ごさなかった私でさえ、日々、さくらの発声能力の進歩を感じ取ることができました。 『あっ!この音、初めて喋ってるな?』 2ヶ月さくらゲストハウスに滞在している飯田さんの目には、もっと明確な進歩が見えているようです。「よく喋るようになったなぁ、さくら!」
 「ママ」などの誰もが一番初めに口にする言葉は覚えました。次は、何が出るんでしょうね?1月上旬、彼女のお気に入りは「トォトォトォトォ・・・」でしたが、「トー」というのは、キルギス語で『山』を意味する言葉だそうです。まさかね、山と知ってて言ってる訳はないか。父は筋金入りの山男、母もそんな夫に連れられインドの山奥を旅したような、山好きの両親ですけどね・・・。

 疋田家では、日本語が共通語なので、やはり日本の赤ちゃんと同じ道をたどるのでしょうか?2~3年後、またさくらゲストハウスを訪れることがあったら、ペラペラと日本語を話すさくらちゃんに会えることでしょう。もしかしたら、キルギス語も少し話すようになってるかも知れませんね。彼女がマルチ・リンガルになることは間違いないでしょう。母語である日本語とキルギス語、そしてロシア語と英語。ロシア語の影響力はキルギスでは依然強く、キルギス人のほとんど全員がキルギス語とロシア語のバイリンガルです。英語は、このゲストハウスにやってくる外国人の影響で、流暢な英語を身に着けるでしょうね。あっ、そうそう、母のトルクンさんは元・英語教師ですし。

 発声練習、つまり口と喉の研究の他に、体の動かし方の研究にも、熱心なさくら。ノリの良い音楽をかけると、膝でリズムと撮りながら体を揺らします。たまに、手を上げて手首をクネクネするような動きを見せることも。これは、母の妹のアイミンチュックが教えたものらしい。キルギスの女性は、手首クネクネダンスが上手なんです。ベビーシッター飯田さん曰く、ダンスのレパートリーも、この2ヶ月で一気に増えたとのこと。
 1月中旬、さくらは自分に備わった不思議なモノに気がつきました。舌です。暇さえあれば、口に指を入れて、自分の舌を触ってる・・・。きっと、彼女にとって、プニプニと柔らかい不思議な舌の触角は、新鮮な発見だったのでしょう。歩きながらも舌を触っていることがあったので、転倒して舌や指を噛みやしないか心配でしたが、この動作は1週間ほどでなくなりました。多分、飽きたんです。


 12月に乳離れという難関を乗り越えたさくらですが、これからオシメ離れという超難関が待ち受けています。日本では何歳ぐらいでオシメを外すんでしょうね?キルギスでは1歳半だったら、もうオシメを外しててもおかしくないらしいですよ。07年の夏には、さくらはお姉ちゃんになります。トルクンさんは、今妊娠4ヶ月なんです。「2人目が生まれる前に、さくらのオシメが外れれば・・・」というのが、両親の考え。どうなりますかね?大変でしょうね・・・。

 他人の子が無条件に可愛いのは、食事やらオシメやら夜鳴きやらの苦労を自分が負ってないから。

 とはいえ・・・

 あぁ~!! 子ども欲しいなぁ~!! 自分の子ども☆


 子どもの前に、まず嫁さんを探さないとね。そんな28歳の私でございます。

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写真3)子どもは、どこででも、コロリと眠りに落ちる・・・。

ビシュケクも長くなりそうです・・・ 

1月12日 なんだか、ビシュケクも長くなりそうです・・・

 11月7日以降、2ヶ月間で5日間しか自転車を漕いでいません。カシュガルは46泊しちゃったし、年末から滞在中のビシュケクも、もう14泊目になりました。

 年が明けて、隣国・タジキスタンとウズベキスタンのビザを取得しました。これで、次の国へと走り出す準備が整ったわけですが、まだビシュケクを離れるわけにはいきません。

 実は、9日にちょっとした事件がありまして。同宿の日本人旅行者・飯田さんが、酔っ払ったキルギス人警察官に、不当な捜査行為というか、越権調査というか、軽い怪我を負わされた上に、罰金と称して500ソム(1500円程度)の賄賂を取られるという事件があり、今その調査のためにビシュケクから動けなくなっています。
 事件の調査は、日本大使館を通じて、キルギス内務省・内部監査局・粛正課(みたいなところ?)の手に渡り、ビシュケク市警によって、その酔っ払い警察官の割り出しが始まっています。
 私もその現場にいましたし、仲裁しようとして、別の警察官に平手打ちを食らったりしたので、なぜか私も『被害者』扱い。その問題の警官が捕まったら、顔を見て確認とかをさせられるのではないでしょうか・・・。その警官の顔、もう忘れかけてるんですけどねぇ・・・。

 捜査をしているビシュケク市警は、17日までにケリを着ける!と言っていますが・・・、どうだか。内務省のお偉いさんは、12日までにケリを着けると言ってたから・・・、すでに5日先延ばしになってますからねぇ。

 まぁ、どう決着するにしても、18日にはビシュケクを出るつもりです。だから、ビシュケク滞在は3週間ってことになるのかな。


 特に、大きなトラブルではないので、要らぬ心配はしないで下さい。旅にトラブルはつきもの☆それが良い経験になるのです。

盗難なんて何のその! 

 2007年も1週間が過ぎてしまいましたね。

 ブログの書き込みが少ないので、私の現状を心配するメールが多くなってきました。ちょいと近況報告を!

 年末にハイテク腕時計やらメーターやらを盗られた為、キルギス南部の走行を断念したと書きましたが、 『一時断念』と言うのが正確な表現です。なにも旅が続けられなくなるようなダメージではありません、全くもって。
 そりゃぁ、失ったモノを再購入するお金は痛いですが、まぁ、買えば済む話ですからね。

 年末年始は、ビシュケクにある日本人経営の宿『SAKURAゲストハウス』で、のんびりダラダラやっています。このゲストハウスのオーナー疋田さんとキルギス人の奥さんには、6年前にバンコクで会ったことがあります。
 当時、私は大学を休学してユーラシア大陸横断を終えたところ。彼らはキルギスから日本まで旅しているところでした。その時は深く話さなかったので、疋田夫妻は私のことを覚えていませんが、私はぼんやり覚えてます。

 疋田さん、福岡県福津市(津屋崎)出身だということを今回初めて知り、ひっさしぶりの地元話に盛り上がっています。一人娘のさくらちゃん(1歳半)が可愛くって可愛くって、ろくに外出もせず、宿でさくらと遊んでいます。

 というわけで、ブログの更新がないのは、旅の継続が難しくて凹んでいるからではなく、単純に怠けているから。もともと正月はビシュケクでのんびりするつもりだったので、モノを盗られたこと以外、全てが予定通りです。

 12日には、次の国・ウズベキスタンのビザが取得できるので、13日か14日に再びオシュに戻ります。オシュから、未走行区間(トラックで移動した250km)を走り直し、25日頃にはウズベキスタン入りの予定です。

 ブログのアップは、10日前後にまとめて行います。ADSL回線のネットカフェまで遠いので、雪の上を歩いて出かけるのが面倒なんですよね・・・。

 そんなこんなで、元気ですので、ご心配なく。

 私はかなり図太いんです。トラブル・ハプニングは『旅という料理』を美味しくしてくれるスパイスみたいなもんですよ。

さくらゲストハウスと私 

 ひとつ前のエントリーの続きみたいなもんです。

 さくらゲストハウスに到着した晩、まず驚いたのが・・・、トルクンさん、日本語がとても上手なこと!!私が初めて疋田夫妻(当時はカップル)に会った時、ふたりは、英語で会話をしていました。あれから6年、トルクンさんは日本語を完璧に操っていました。

 「日本はどちらですか?」という疋田さんの質問に、「福岡」と答えると、 「あら?僕らも福岡にいましたよ。」とのこと!? これには驚きました!おふたりは、旅の最後にキルギスで結婚式を挙げた後、ご両親の自宅がある福岡県福津市で5年間を暮らしたとのこと。福津といえば、福岡市の北隣。5年間ということは、初めの2年ぐらいは凄く近くに暮らしていたということになります。私はこの3年間、福岡から離れたいましたから。

 そういえば、トルクンさんの日本語はどこか福岡鈍りのような・・・。「スーパーで働いてたんですよね。疋田の家では、お母さんも良陽も宮崎弁でしょ?でも、スーパーのおばちゃんたちは、なんとか“と?” とか、みんな福岡弁でしょう?」と、トルクンさん。ご主人のコブヘイさんは、宮崎県都城市出身。どこか宮崎弁の残る口調ですが、福津時代に身に付いた福岡弁が少し混ざっています。トルクンさんが、ご主人の言葉遣いに似てくるのは当然のこと。

 ちなみに、トルクンさんの日本語は、ほぼ完璧です。キルギス語とロシア語と英語を流暢に操る彼女は、日本で暮らし始めて数ヶ月で、ほぼ問題なく日本語を話せるようになったそうです。脳が外国語習得に慣れているのでしょう、その才能が羨ましい・・・。日本語検定も1級を持っており、1歳半の愛娘・さくらちゃんに話しかける言葉は、日本語です。言葉を覚え始める頃の子どもには、言葉の羅列の法則性に気が付き易いよう、ひとつ言語で話しかけるのが良いとされています。さくらちゃんには、まずは日本語を覚えてもらってから、キルギス語という順番のようです。日本語とキルギス語の区別ができるようになってから、それぞれを覚えると、あっという間に習得してしまうはずです。その環境も羨ましい・・・。私の外国語習得能力は、訓練の不足もあって、ここ数年伸び悩みですからね・・・。

 おっと、話が逸れました。疋田夫妻が経営する『さくらゲストハウス』には、私がリラックスしまくってしまう雰囲気が溢れていました。1に、疋田夫妻の人柄。2に、さくらちゃんの可愛さ。3に、同宿の旅行者・飯田さん(食通料理長&酒飲み仲間)の存在。まるで、地元の友人宅に居候しているかのようです。

 おふたりのことは、記憶は薄くとも、6年前から知っている訳ですし☆ 私が博多弁を使ってても何の違和感もなく会話ができる☆

 久しぶりに福岡のローカルトークに花を咲かせました。天神のどこがどうだとか、3号線の何という店がどうしたとか、九州産業大学(私の出身大学)のキャンパスがどうだとかこうだどか。疋田さんのお父さんは、九州産業大学で教鞭をとっておられるんだとか。

 『パン工場』の話でも盛り上がりました。コブヘイさんは、5年間の日本暮らしの内4年間を、福岡市近郊(多分、古賀市)の某パン工場で、身を粉にして働いていたというのです。そして、1000万円貯めてから、キルギスに移住してきたとのこと。私は、そのパン工場ではありませんが、すぐ近くの別のパン工場で旅行資金を作るためにバイトをしていたことがあります。パンの製造工場の仕事って、本当辛いんですよ・・・。ベルトコンベアーの一部と化し、単純作業が延々と続きます。私は、当時2つ3つのアルバイトを掛け持ちしていたので、パン工場は週に1回程度しか行っていませんでしたが、あれを4年続けろと言われたら・・・、お断りしますね、きっと。


 2006年夏にオープンしたさくらゲストハウスには、現在、ドミトリー2部屋(母屋とは別)と、ツインルームが1部屋(母屋内)あります。お客が少ない冬季、ドミトリーは締めているので、私と飯田さんは、ツインルームを使っていました。ベッドは、拘ったというだけあって、とても快適なベッド!「ここのベッドは中央アジアでNO.1だ!」とドイツ人旅行者が絶賛していたというのも頷けます。
 今は、ベッド数13床ですが、この冬に、2階を増築するそうで、2007年のシーズン(春~秋)は、ドミトリー2部屋、ツイン3部屋(だったかな?)、シングル2部屋(だったかな?)で営業の予定だそうです。この春改訂されれるロンリープラネット(オーストラリアの出版社が発行する世界で最も売れてるガイドブックシリーズ)の中央アジア版には、さくらゲストハウスの紹介も載るそうです。まだまだ、途中です。」というコブヘイさんと一緒に、より快適にお客さんが滞在できるようにと、アイディアを出し合ったものです。より良いゲストハウスにしたいという姿勢に感服致しました。

 「夏には、2人目も生まれますし、大変でしょうね。」と、コブヘイさん。現在、トルクンさんは、妊娠4ヶ月。夏には、第2子誕生が生まれます。ちょうど夏の観光シーズン真っ盛りの出産予定。大変でしょうけど、頑張って頂きたいものです。

 さくらゲストハウス、とても素敵な宿です!! ビシュケクにお越しの際は、ぜひとも、お訪ね下さいまし☆

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写真)疋田一家。ドミトリールームにて。

疋田夫妻と私の出会い 

 さくらゲストハウスのオーナー夫妻、疋田良陽(ヨシアキ)さんとトルクンさんに会ったのは、これが初めてではありません

 前回会ったのは、6~7年前のこと。当時、おふたりは結婚前で、一緒に旅をしていたところ。私もやはり、旅行中でした。どこで会ったのか??それは、なかなか思い出せませんでした・・・。それは、お互いにとって、長い旅の中の小さな出会いだったんです。 

 11月に中国カシュガルで出会った日本人バックパッカー(サハラ君)から、 「ビシュケクには、日本人とキルギス人夫婦が経営してる『さくらゲストハウス』っていうのがあるんですよ。快適でお勧めですよ。」という話を聞いた時、急に古い記憶が呼び起こされました。

心 「そのご主人、コブヘイさんって呼ばれてない??」
サハラ君 「確か、そう言ってました。僕はヨシさんって呼んでましたけど。」
心 「知ってるよ!その夫婦、何年か前に会ったことがある!」

 サハラ君にもらった宿のカードに載っていたメールアドレスに、早速メールしてみました。 『数年前、どこかでお会いしている旅行者です。年末年始にお邪魔しますので宜しく☆』と。返ってきたメールは、『記憶にはありませんが・・・、どうぞお越し下さい。』との旨。

 で、昨年12月30日の深夜に、さくらゲストハウスの門から出て来た、コブヘイさんの顔を見て以降、徐々に私の記憶が戻ってきました。おそらく、2000年の秋ぐらいに、パキスタンかインドで出会っているか?もしくは、2001年春にインドかタイで出会っているか?のどちらか・・・。
 到着した30日の晩から、思い出す作業を開始。2000年秋~2001年春にかけて、おふたりがどこをどのように旅をしていたか?共通の旅友達はいないか?などを頼りに、思い出すのです。共通の旅友達・知人の名前は、共にパキスタンで出会った人々ばかりでした。このことから、『きっと、パキスタンのラワール・ピンディあたりで会ったんですよ。』という結論になりました。 

 私の曖昧な記憶によると、あの時、私はどこかの食堂か屋台で、当時の恋人と食事をしており、そこにひょっこり現れたのが、おふたり。私の記憶に強く残っているのは、①「コブヘイです。」という疋田さん(コブヘイさん)の自己紹介。あぁ、確かに林家コブ平に似てるかな?と思いました。そして、②初めて会った『キルギス人』のトルクンさんの容姿です。キルギス人って、こんな顔立ちしてるんだぁ~・・・と小さく驚きました。初めて会ったキルギス人がバックパッカーだったってことも印象的でしたね。
 疋田夫妻には、私の記憶はありません。なぜかというと、私が名乗らなかったから。「こころです」と一度でも名乗っていれば、忘れることはないでしょう。それくらい印象的な名前ですから。

 おそらく、パキスタンで会ったんだろう、ということに落ち着きましたが、どこか納得できなかったので、その後も色々と考えました・・・。

 で!大晦日の晩、狭いサウナ室での会話から、正しい記憶が呼び起こされました。

心 「パキスタンですかねぇ・・・。コブヘイさんたち、2001年の2~3月、バンコクにいませんでした?」
コブ「いましたよ。
心 「いましたか・・・・。あっ!そういえば、その時、何か、バックパッカー雑誌の取材受けませんでした?
コブ「ありましたねぇ。
心 「思い出した!そうそう!あの雑誌に載ってましたよね。あの記事に取り上げられた旅行者の中に、数人知り合いがいたんですよ!コブヘイさんもいたいた!」
コブ「バンコクですかね?きっとそうでしょう。」
心 「そうっスわ。そうそう!ありゃ、カオサンの外れの屋台かどっかですわ!」

 曖昧だった記憶の光景が、徐々に鮮明になってきました。確かに、あの記憶の光景は、バンコクのバックパッカーストリート、カオサン通りの西外れのお寺の裏の屋台の光景です。熱気ムンムンのサウナの中で飲んでいたビールが、バンコクのまとわり付くような湿気と毎晩飲んでいたチャーンビールの味の記憶に結びついたのかも知れません。

 というわけで、私が疋田夫妻と初めて会ったのは、2001年3月のバンコクだということが確かになりました。実に、5年10ヶ月ぶりの再会という訳です。

で、元旦です。 

2007年の始まりは、アラトー広場の花火で盛大に始まりましたが・・・

 年越し後、お酒を飲みながら、トランプで盛り上がり、ひとりずつ脱落していきましたが、私だけは寝ずに日の出の時間を迎えました。カーテンを開けてみると、ボンヤリしか白んでいない・・・。ガラスの結露を拭ってみると、あらら・・・、雪が降ってるじゃないですか・・・

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写真1)残念ながら、厚い雪雲の為、日の出は見えませんでした。

 一昨日の晩もあまり寝ていないので、眠たくて仕方がないはずですが、不思議と眠たくない。明け方から読み始めた日本の漫画に没頭してしまい、朝食の時間まで読み続けました。軽い朝食を食べた後、ソファで2時間ほど仮眠。お昼頃に、他の皆も起きてきました。こういう気だるい元旦の朝も、ずいぶんと久しぶりです。

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写真2)12時20分に撮影。ようやく日の光が射し始めました。

 お昼前から台所に立っていたトルクンさん、何を作っているか聞いてみると、『豚の角煮』とのこと。キルギスは、イスラームの国と言われていますが、中東のような敬虔なイスラーム教国ではありません。この国に来て、一度もアザーンを聴いていないぐらいです。この国がイスラーム化したのは、ほんの100年ちょっと前のことで、その後、宗教がご法度のソ連に組み込まれたので、イスラーム教の歴史は深くはないのです。ビシュケクには、沢山ロシア人が暮らしていますし、ロシア人のいるところには、豚のベーコンや三枚肉など簡単に手に入ります。

 皆さん、起きたところで、昼食です。2時、ダイニングの真ん中にシートを広げ、疋田一家、私と飯田さん、角南さん、小田切さんの7人で改めて年賀のご挨拶。おせち料理という訳ではありませんが、1日がかりで調理した、豚の角煮と紅大根のサラダと豆の甘煮の、最高☆に美味しい食事を頂きました。

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写真3)豚の角煮の美味かったこと!美味かったこと! ドンブリご飯がモリモリ進みました。

 小田切さんと角南さんは、食後にそれぞれの家に帰り、疋田一家と、ゲストハウスの客2人(私と飯田さん)は、その後ものんびりとした元日を過ごしました。


 こういう正月を過ごしたのって、凄く久しぶりです。高校時代から大学時代まで、年末年始はアルバイトしてましたし、勤め始めてからは、年末年始は、海外出張でしたからね・・・。

 素敵な時間をご提供いただいた疋田さん一家と、共に過ごした3人に感謝です。

2007年元日・明けましておめでとう☆ 

2007年元日

新年明けましておめでとうございます。


 12月23日に中国・カシュガルを出発後、4~5日の走行で、キルギス入国後初めの町(村)ヌラに到着。28日にキルギスの本格的な走行を開始しましたが、いろいろあって、結局トラックヒッチハイクと分乗タクシーで、30日の晩、1000kmほど離れた首都ビシュケクに至りました。

 なにがいろいろだったかと言うと・・・。国境とその後の検問所で、相次ぐ盗難被害。大事な魔法瓶2本、標高計・温度計搭載の腕時計、サイクルコンピューターを失い、オシュというキルギス第二の都市までの走行を断念。ヒッチハイクしたトラックに自転車を載せてオシュを目指しましたが、そのトラックの故障が酷く・・・、挙句、走行中にトラック後部が炎に包まれる危機一髪!? なんとか別のトラックでオシュに到着するも、オシュの宿で再び盗難被害。で、オシュに自転車を置いて、吹雪の中をオシュ~ビシュケク間のシェアタクシーに乗り込みましたが・・・、ホワイトアウトしていた峠で雪にタイヤを取られて時間浪費・・・。30日の晩にようやくビシュケクに到着!!

 とまぁ、詳しい話は後々しましょう。

 なにはともあれ、楽しい2006年の大晦日と2007年の元旦を迎えることができました。

 今年も1年、元気に安全に走って旅して、よい時間を過ごしたいと思います☆

2006年大晦日 

12月31日 2006年大晦日です。

 昨晩は、3時まで飲んでいたというのに、目覚めたのは8時。太陽と共に目覚めてしまうサイクリストの良い特性です。まだ他には誰も起きてこないリビングで、のんびりコーヒーを飲んでいると、まず起きてきたのは、トルクンさん。しばらく語らっていると、飯田さんとさくらちゃんも起きました。最後に起きたのは、ご主人の疋田さん。

 さぁて、大晦日です。今日の疋田家のご予定は?聞くと、昼間はお買い物。夜は、ビシュケク在住の日本人の友人を呼んで、サウナパーティーと年越し蕎麦とのこと。素晴らしい!わざわざ急いでビシュケクまで来た甲斐がありました☆ 去年の大晦日は、1人寂しく過ごしましたからねぇ・・・。

 お昼までのんびり過ごし、昼食がてら、疋田家のお買い物に同行しました。すでにビシュケク滞在1ヶ月を越えているグルメ・飯田さんのお勧めで、ツムデパートの前のカフェへ。歩き始めて数ヶ月のさくらちゃんは、大人しくテーブルに着くことができず、とことこと店内を歩き回っています。好奇心の赴くままに、手の届くものには触って回る。そんなさくらちゃんの姿にホノボノしつつも、私は運ばれてくる料理に待ち焦がれていました。

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写真1)ジャーン!ピッザです!!

 私はピザジャンキーなのです。2~3人分はあろうかというピザを1人で1枚平らげてしまいました。これには、疋田夫妻も飯田さんも感心の様子。「自転車乗る人は良く食べますねぇ~」 確かに大食漢というのもありますが、ピザだったら、いつもの1.5倍は食べれそうです。
 食後、デパートを2軒回り、疋田家のDVDプレーヤーと掃除機を購入。途中から、疋田さんの同僚日本語教師の角南さん、キルギス留学中の筑波大生・小田切さんも加わり、一緒にさくらゲストハウス(疋田家)へ。

 日没後、疋田さんは、サウナを炊き始めました。自家用サウナです。ロシアでは、大晦日にサウナに入る習慣があるらしく、旧ソ連圏のキルギスにもその習慣が入っているのだとか。昨日の大雪で、庭にはたっぷり雪が積もっています。熱々のサウナ室から出たら、冷水浴の代わりに、雪浴びができます。 
 妊婦のトルクンさんと、サウナの予定を知らなかった小田切さんは、残念ながらサウナなし・・・。1歳半のさくらちゃんには、まだ早いでしょう。男4人だけで楽しませて頂きました。サウナなんて、いつ以来?ラオスのルアンパバーン以来でしょうか?となると、7ヶ月半ぶりってことです。体が熱々に火照ったら、庭に飛び出し雪を浴び、またサウナに戻る。これを3~4回繰り返し、この1年で溜まった体内の悪いものを全て外に出しました。

 サウナの後は、年越し蕎麦☆ 調理担当は、飯田さん。ビシュケクで購入できる中華食材、干し昆布・干し海老・干し椎茸・醤油に、私が持参した煮干しと鰹ダシ粉末を加え、本格的な蕎麦ツユが完成!!中国製の蕎麦で、立派な年越し蕎麦が出来上がりました☆

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写真2)年越し蕎麦です。

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写真3)年越し蕎麦パーティー!左から、私、角南さん、小田切さん、さくら、疋田さん。飯田さん撮影。

 お蕎麦の後は、ビシュケク市の中心、アラトー広場へカウントダウン花火を見に行きました。ゲストハウスを出たのが遅かったので、途中から駆け足に。一緒に行きたいとグズッていたので連れてきたさくらちゃんは、外に出て間もなく寝てしまいました。氷点下、抱いているさくらの手足がどんどん冷たくなっていく・・・。「おい!さくら!寝るな!花火だぞ!!」

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写真4)なんとか1月1日0時00分には間に合った!アラトー広場に花火が上がる!

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写真5)20分ほど続いた花火。

 小ぶりな花火ばかりですが、炸裂する位置が低くて、なんとも臨場感に溢れた花火でした。物凄い爆音の中でも、さくらちゃんは起きなかった・・・。アラトー広場から、再びゲストハウスまで戻ると、留守番していたトルクンさんと角南さんに年始のご挨拶。「明けましておめでとうございます。」

 シャンペンで新年を祝った後も、日本的な年越しが続きました。5人でトランプ・大富豪(大貧民)をしながら、鶏のローストとシャンペンとワインを舌鼓。途中、私が中国から運んできたお餅で、似非磯辺焼きを造り、皆さん(お世辞で?)美味しいと言ってくれました。いえいえ、不思議な味でスミマセン・・・

 明け方まで、トランプ大会は続き、ひとりふたりと脱落者が出る中、私だけは初日の出を見るために、頑張って起き続けていました。

 こんな年末年始、何年振りでしょう?5年ぶり?10年ぶり?とにかく凄く久しぶりに、日本的な年越しを楽しみました☆
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