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 2006年12月 

オシュ〜ビシュケク、車で雪の峠超え 

12月30日 大雪の中、オシュからビシュケクへと向かいました。

 午前7時、サラ・ホテルのおばさんに起こしてもらいました。目覚まし時計がないので。昨晩のうちに荷物の整理は終えていたので、オートミールの朝食を済ませ、身支度を整えた後、レセプションのおばさんに大事な依頼。荷物の大部分と自転車を置いて行きたい旨を伝えると、ダメダメダメ!!と強く拒否されました。英語を解するオーナーの娘に電話して、通訳してもらいながら、根気強い交渉を続けた結果、400ソムの手数料で預かってもらうことになりました。交渉に時間を要し、宿を出発できたのは、8時半でした。

 オシュの街には、雪が舞っていました・・・。気温が高いので、服にかかるとすぐに融けてしまう雪です。この様子では、ビシュケクまでの山越えは、大変なことになるでしょう・・・。

 昨日下調べをしておいた乗り合いタクシー乗り場へ。値段交渉は難航を極めました。「こんな雪だから、いつも2倍だ!」と強気のドライバーたち。相場は、1人500ソムぐらいだと聞いていましたが・・・、結局800ソムに落ち着きました。私が初めの客だったので、他2〜3人の客を待たねばなりません。窓の外の雪を見ながら、待つこと1時間、ドライバーが乗り込み、急に発車してしまいました。他のお客を迎えに行くとの事。向かったのは、オシュの住宅街。待ち合わせ場所で更に30分待つと、若い女性2人が車に乗り込んできました。これで全員です。

 午前10時、オシュの街を出発!雪が舞う中を、北東に走ります。ウズベキスタン国境をなぞるように走り続け、小さな峠に差し掛かると・・・、案の定、路面は雪でツルツルになっていました。停車してタイヤにチェーンを装着している人々の横を走りぬけ、車は雪道を快走! この車、まさか、スタットレスタイヤ!? んな訳ありません!ドライバーの危険認知能力が低いのか?相当に腕が良いのか?これがキルギスの常識なのか?直線道路では、雪にタイヤを取られようとも、後輪がスリップしようとも、全く減速することなく、目一杯のアクセルで走り続けます。
 助手席の私は、気が気ではありません。自分の車は持ったことはありませんが、その割りに日本ではよく車を運転していた私。ライン取りや減速のタイミングなど、自分が運転しているわけではないのに、考えてしまう癖があります・・・。 『おいおい!そっちに行くのかよ?』『おお〜い!ブレーキ遅いよ・・・』などなど。ドライバーの荒い運転が気になって仕方がない・・・。あるいは、これが快晴の乾いた路面であれば、リラックスして乗っていたのかも知れませんが。時速120kmで雪が残る湿った路面を激走する車では、リラックスのしようがありません。

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写真1)こんな路面をアクセル目一杯で走る乗り合いタクシー。

 タクシーの車種は、アウディのセダンタイプ。メーターは200kmまで目盛があります・・・。頼むから、これ以上スピード出さないでよ・・・。青い顔の私をよそに、後部座席の若いお嬢さん方は、終始リラックスの様子。携帯でお話してたかと思うと、二人で大騒ぎ。急に静かになったかと思うと、お昼寝。私は、気を紛らわそうと、路面は見ずに、周囲の風景を楽しむ事に。

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写真2)2つ目の峠道。積雪量は、20cm以上。路面の雪は踏み固められ、ツルツルすべすべ。

 流石に雪が深くなると、ドライバーもスピードを出さなくなりました。ドライバーがお嬢さんに何か告げると、彼女はビシュケクの家族(と思われる)に電話し始めました。察するに、「ママ、雪が降ってるから、到着は深夜になるわ。」ってとこでしょうか。オシュ→ビシュケク間は、12〜15時間ぐらいで到着するとの噂ですが、もっとかかるとなると・・・、今夜のビシュケク到着は、午前2時とか4時とかになってしまうかも知れません。

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写真3)午後3時半、遅い昼食。峠道のレストラン。

 走り始めて5時間ちょっと、峠道の途中で、遅い昼食となりました。全く英語を解さない学生風の女性2人に、お勧めの料理を注文してもらい、出てきたのはグリヤーシュという具の多いシチューのような料理でした。ガイドブックの写真を見たり、私のデジカメの写真を見たり、楽しい昼食の後、再び危険な雪道へ。

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写真4)ちょっと・・・、やばくないかい?これ・・・??

 尚も上り続ける雪道は、オシュ〜ビシュケク間にある2つの大きな峠の1つ目。登るにつれ、徐々に視界は悪くなり、ついにホワイトアウトしたような状態になりました。つまり、一面に積もった雪と、周囲の真っ白な風景と、降りしきる雪と、薄くかかった霧で、視界の全てが真っ白に・・・。こりゃぁ、危ないぞ・・・、と唾をゴクンと飲み込んだその時! 

 ザッ!ガガガ!!ザザーッ!!

 ・・・と、嫌な音と共に、車が激しく突き上げられました。道路を見失ったドライバーが、車を路肩の雪だまりに乗り上げさせてしまったのです。ギアをバックに入れても、1速に入れても、タイヤは空回りするばかりです。ドライバーは外に出て、車の下の雪を掻き始めました。私も助手席から外にでましたが、足を着いた途端に、1mぐらい滑り落ちました。この雪だまり、道路と崖の間にあったのです。おそらく、右の前タイヤは、完全に崖に突き出した形になっているのでしょう・・・。こりゃ、トラックか何かに轢いてもらわにゃ、出れませんよ、きっと。
 黙々と雪を掻いているドライバーは手袋の素手です。私の皮手袋を貸し、私も少しだけですが、雪かきを手伝いました。ある程度、車体下の雪が無くなったところで、後部座席の2人を下ろし、脱出を試みます。グゥオーン!と元気に音を立てる前輪が、凄い勢いで空回りしています・・・。やっぱり、ダメかな? 

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写真5)こんな状態です。

 悲壮感漂う顔で雪を掻き続けるドライバーと、それを見守る私たち。終日薄暗かった空が、いよいよ暗くなり始めました。日没を迎えたようです。乗り上げてから、30分ほど雪掻きを頑張ったドライバーは、ついに自力脱出を断念。通り過ぎる車を片っ端から停めて、人力で車を持ち上げて脱出する作戦に変更。
 5台の車が止まり、私を含め14人の男が揃いました。全員で落ちかけた車の前方を持ち上げ、うんせ!うんせ!と車を動かします。1分ほどで、無事に車は車道に戻りました。全員と握手を交わし、それぞれがそれぞれの車へと戻って行きました。

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写真6)暗かったので、ちょっとピンボケ。車を動かす男たち。

 脱出後、ドライバーの運転は慎重になりました。そりゃそうでしょう。1つ目の峠を越え、2つ目の峠を越え、時計は午後10時。この様子では、0時にはビシュケク市内に入れそうです。2つ目の峠は、東チベットを思い出すような、険しい峠でした。何度も何度もヘアピンカーブを曲がり、奈落の底へ落ちていくような深い谷へと入る。ここを自転車で走れたら気持ち良いだろうなぁ〜・・・、つまり、最高に苦しいだろうなぁ〜ってこと

 午後11時を回り、いよいよそれらしい町並みになってきました。ビシュケク市街地です。レストランやカフェのネオンサインに加え、クリスマス用の電飾も街をキラキラと輝かせていました。ロシア正教のクリスマスは、1月7日。まだ街は、クリスマスムードで溢れています。
 町外れのボーリング場で、トイレ休憩の後、それぞれの目的地まで走る事に。乗り合いと言えども、タクシーですからね。目的地まで連れてってくれるのです。まず、私の目的地、『さくらゲストハウス』へ。住所を頼りに近くまで来ましたが、詳しい場所までは解りません。ドライバーが携帯電話で、さくらゲストハウスに電話して、道を確認。5分ほどで、ゲストハウスの門の前に到着しました。「長い運転ご苦労さん、ありがとう!」ドライバーは、後部座席の若い女性たちを送りに走り去りました。

 さて、さくらゲストハウスです。迎えてくれたのは、オーナーの疋田さん。疋田さんと会うのはこれが2度目です。私は彼のニックネームしか知らず、コブヘイさんと呼んでいました。私と彼とその奥さんとの出会いに関しては、また今度触れることにしましょう。
 温かいゲストハウス内に入ると、奥さんのトルクンさんと、愛娘のさくらちゃんと、お客の飯田さんが迎えてくれました。長い移動の後でしたが、久しぶりの日本人との会話に盛り上がってしまい、午前3時までウォッカで盛り上がりました。

 日付は、12月31日に変わっていました。私のこの年末は、トラブル続きの大変な締めくくりでした。あと1日、何もなく過ごせますように・・・。

オシュの宿でまたまたトラブル・・・ 

12月29日 流石に3日連続のトラブルは凹みますね・・・。

 未明にオシュの町外れに到着し、街の中心に入ったのは、まだ夜が明けていない午前6時。早朝出勤の人々が通りを寒そうに歩く中、町をぐるりと一周流し、時間を潰します。時計を見ると午前7時になっていました。徐々に明るくなってきたので、宿探しを始めました。
 目星をつけていた、ガイドブックに載っていたオシュゲストハウスは、ガイドブックの説明そのまま、見つけるのが非常に困難だったので、ホテル・サラという簡単にたどり着けた宿に泊まる事に。7時半、出勤したての女性従業員を捕まえて、スムースにチェックインが終了。取った部屋は、最安の3人ドミトリーです。

 部屋に入ると、キルギス人男性2人が、早朝の新客に迷惑そうな声を上げて、布団に包まっていました。容赦ない客室係のおばさんは、電気は付けるは、暖房は切るは、大声は出すは・・・、で、先客の1人はたたき起こされてしまいました。もしかしたら、起こしてくれと頼まれていたのかもしれません。そうじゃなかったら、最低の宿です。

 ヒッチハイクしたトラックの中で、うつらうつらしただけの私。横になるとすぐに眠りそうだったので、グッと我慢して、5日ぶりのシャワーで無理やり目を覚ました後も、必死で眠らないように努めていました。今日は、やらねばならないことが沢山ありますから、日中の貴重な時間を無駄にはできません。
 携行のインスタントラーメンで朝食を済ませた頃、先客の1人がカバンを持って部屋を出ました。時計は8時。そろそろ遠慮なく物音を立てられる時間ですが、まだ1人寝ているので、静かに作業。湿った寝袋を広げ、汚れた衣類を洗濯し終えると、時計は9時半になっていました。この部屋の時計、果たして合っているんだろうか??自信はありませんが、日の出の時間を見た限り、大きな誤差はないようですが・・・。

 10時、活動開始です。まず向かわねばならないのがオヴィール、続いて、銀行。オヴィールとは、入管のこと。日本人は、キルギスタン渡航に際し、ビザなしでOKですが、入国72時間以内に、オヴィールに出頭して、同国に滞在するための手続き(レギストラーツェ)をしなければならないのです。ベッドの上に散乱した荷物を、一旦カバンに収め、部屋を後にしました。先客のもう1人の男は、まだ寝ていました。

 オヴィールまでは、宿から歩いて40分ほど。自転車で行けば10分とかからない距離でしたが・・・。11時に事務所に到着し、片言の英語を話すおじさん係官に、ロシア語の手続き書類を代筆してもらい、「代金は200ソム。午後2時にもう一度来い。」とのこと。ソムは全く持ってなかったので、支払いは午後にしてもらいました。面倒だと聞いていましたが、簡単な手続きでした。

 続いて、真っ直ぐ向かった銀行は、お昼休みに入っていました。再開は午後2時。2時間も時間がありますが、お金もなく、歩き回る元気もない私は、宿で休憩することに。部屋に戻ると、ドアは開いており、あのダラダラ寝続けていた男はいなくなっていました。横になりたいところですが・・・、アラーム機能付きの腕時計もないし、寝たら起きる自身はありません。眠い目を擦りつつ、PC作業と洗濯で暇潰し。
 午後1時半に再び外出。自転車で街を流した後、銀行でトラベラーズチェック200ドルをキルギス・ソムに両替。1ドル=38ソム。1ソム=3円で、とても計算が楽☆ 200ソムの支払いとレギストラーツェの判子を貰いに、再びオヴィールへ。午前の申請と同様、あっという間に手続き完了!さて、次はインターネット!

 オシュは、キルギス第二の都市。インターネットカフェは沢山ありますが、日本語使用可能な環境はなかなか見つかりませんでした。一旦自転車を置きに宿に戻り、どうせ日本語がないのなら一緒だろうと、近所のネットカフェに行きました。2時間ほどで、大事な通信やメールの確認は終了。あとは・・・、明日の移動のための下調べを終えれば、眠れる・・・ 

 街角の店のボルシチパンを食べ比べしながら、街の中心部のバス乗り場へ移動。やはり、ビシュケク行きのバスはありませんでした。ビシュケクまでは800km近くあります。ビシュケクに向かう際は、乗り合いタクシーしかないようです。乗り合いタクシー乗り場に行ってみても、そこに車はなく、暇そうな客引きがいただけ。片言の英語を話す客引きに、「ビシュケクまで車に自転車を積んでいけるか?」と聞いたところ、無理との回答。おそらく、独りで1台チャーターすれば、可能でしょうけど、チャーターは100ドルぐらいするらしい・・・。やはり、ビシュケクに行くには、自右衛門号をオシュに残して行かなければならないようです・・・。
 日が地平線にかかり始めた頃、ようやく全ての仕事が終了。あっ、まだあった・・・・!宿に戻り、ビシュケクに持って行く荷物と、オシュに置いて行く荷物の整理。全ての荷物を仕分けたところで今度こそ終了!!

 で、ホッと一息ついたところで気がついた。 


 あれ?MP3が無いような??

 せっかく荷造りしたカバンを全てひっくり返し、探しますが・・・、ありません!! 今朝までは確かにありました。朝方、眠気覚ましに音楽を聞くかどうか迷った後、MP3プレーヤーを枕元にしまった記憶があります。枕をひっくり返しても出てこない。枕を叩いても出てこない。

 もしかして・・・、盗まれた!?

 どうやらそのようです。カギを掛けずに外出したので、盗まれるのも当然です・・・。レセプションのおばさんに報告に行くと、酷く怒られました

お 「何でカギを掛けなかったんだ!カギを掛けなきゃ、そりゃ盗られるよ!」
心 「カギって言ったって、初めから掛かってなかったし、おばさんもくれなかったじゃん!」
お 「カギならここにあるじゃない!なんでカギを掛けなかったんだ!?」
心 「そもそも、俺が部屋を出た時、もう1人客が寝てたから、締められっこないでしょう?」
お 「・・・・」
心 「ん?もしかして、あの男が盗んだのかもしれない!?」

 もう誰が犯人でもいいよ!あの客でも、ここの従業員でも!もう、どうにでもしてくれ!といった気持ちです・・・

 カシュガルで1ヶ月前に購入したばかりの新しい1ギガのMP3プレーヤーと、外付けスピーカーと、充電用単四電池4本、〆て5800円相当の品を失いました。

 悪いことは、とことん続くものです・・・。これが最後であれば良いのですが・・・。

 キルギス3日目も、やり切れぬ気持ちを抱きつつ、ベッドへ入りました・・・。

東の空の美しい夕焼け!? 

12月28日 長い1日の最後のエピソード。同日付のエントリーは3本、これが最後です。 

まずは、西日本新聞掲載 『地球みちばた見聞録/第25回』 をご覧になって下さい。その新聞記事の補足説明ですので。
http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/#entry596

 運転手は英単語を少ぉ〜しだけ話す、気の良い青年マフムード。助手は、ちょっと寡黙なクアールベク。私はふたりに挟まれて静かに前方の雪道を眺め、相棒は屋根の上でガタガタと音を立てていました。
 悪徳検問所から始まった急な上り坂は、推定で300mほど標高を上げた後、なだらかな地形になりました。地図を見ると、ここが分水嶺のはずです。南のパミールの山々に並走する川が、ここを境に、西に流れるものと、東に流れるものに分かれています。峠というよりも、ちょっと彫が深い丘陵地帯といった感じです。時折50mほどの急なアップダウンがありますが、全体の標高はほぼ一定。
 轟々ともの凄い音を立てて走るマフムードのオンボロトラックは、走り始めて1時間ほどで、路肩に停車しました。どこかの具合が悪いようです。マフムードが車両の下に潜りこみ、何やらトンカントンカンやっています。クアールベクは、タバコを銜えて見てるだけ・・・。ってことは、大した故障でもないのかな? 20分ほどで修理は完了し、踏み固められた雪道の走行を再開。

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写真1)クアールベク(右)と、他のトラックの助手の青年。マフムードはトラックの下で格闘中。

 再び轟々と元気なエンジン音を上げて走るマフムードのトラックですが、ど〜も調子が上がらない様子。時折、首をかしげながら計器類を眺めるマフムード、どうやらエンジンの回転数が上がらないようです。走り始めて10分ほどでまた停車。2度目の修理には40分かかりました。

 再々出発の後は、マフムードニッコリ☆ 計器を見ると、回転数も問題なさそうです。スピードを上げ、走り始めた矢先・・・、またまたトラブル発生か・・・?今度はブレーキの調子が悪いようです氷点下の凍てついた高原に長い間停車していたのが良くなかったのかも??

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写真2)ボンネットを開け、何やら寒冷地用のエンジンオイルみたいなのを注入。

 エンジンの再確認を終えたマフムードは、鉄の棒とボロタオルで松明を作りました。それにガソリンを湿らせて、大きな炎を手にしたまま、車両の下に潜り込みました。後輪の軸のあたりを中心に、炎で何かを熱しています。なるほど、あのあたりの何かが凍り付いているんでしょう、きっと。クアールベクも手伝って、2人で色々なところを15分ほど熱し、作業終了!

 苦労の甲斐あって、3度目の修理以降は、快調な走り!丘陵地帯も越え、なだらかな谷間の道を順調に進んでいました。時計は午後5時を回ったところ。そろそろ夕焼けの時間ですが、前方の空は厚い雲で覆われていました。3度の修理中、何もすることがなかった私ですが、ひとりだけぬくぬくと車内にいるのは忍びなかったので、凍えながらも外で修理を見学していました。再び走り出した車内はすぐに暖かくなり、だんだん眠気がしてきました・・・・。

 ひっつきそうな瞼の向こうには、真っ赤な夕焼けが見えていました。

 『キレイだなぁ〜・・・』

 ボォ〜っとしたままそれを見ていると、どうやらそれはサイドミラーに写っているようでした。 『あっ!進行方向の反対側に日が沈んでるから、前方には見えなかったんだ・・・。ってことは、今、東に向かって進んでるのか??』 ボォ〜・・・ッと考えてみて、あれ?? 

心 「あれ!?夕日じゃないよね!?」

 同じく舟を漕いでいたクアールベクは、私の大声に驚いて、示されたサイドミラーを覗き込みました。何やらキルギス語で大声を上げたクアールベクに、マフムードも驚いた!!トラックは急停車し、慌てて飛び降りた2人は、炎に包まれる車両後部に雪を掛け始めました。私も後に続きます。

 炎は、後輪の軸あたりから上がっており、その先端は、荷台の中ほど、ちょうど頭の上ぐらいまでありました。何がどうして、こんな巨大な炎が上がっているのか?ガソリンタンクでも燃えてるのか?だったら爆発するんじゃないか??恐怖におののきながらも、私にできることは消火活動だけ。マフムードとクアールベクが、逃げ出さないところを見ると、爆発はしないのでしょう、きっと、多分、願わくば。
 私とクアールベクがそれぞれバケツを持ち、道端の雪をタイヤ下に放り込みます。マフムードは、何かの板切れで道の雪を集めて、手で放り込んでいます。炎の勢いが弱まり始めると共に、シューシューと水蒸気が上がり始めました。白い湯気には、鉄とゴムが焼ける臭いが混じっています。大丈夫なんだろうか??
 氷点下の雪原で、汗だくになりながら、雪を何度も何度も何度も掛け続けます。15分ほどで、一旦鎮火したように思われましたが、すぐにまた炎が上がりました。
 なんとか火種が消えたのは、出火から30分後のことでした。火が消えた後も、雪を掛け続け、高温に晒された車両を冷やし続けました。ふと我に返ると、あたりは闇に包まれていました。15分だとか30分だとか、書いていますが、実際には時計がないので、推定の時間でしかありません。もしかしたら、もっと短かったのかもしれませんし、もっともっと長かったのかも知れません・・・。

 一体何が燃えていたのか?燃えカスは何も残っていませんでした。燃えていたのは、ブレーキ用のオイルか何かでしょうか??私には、全く解りません。水蒸気を上げる車両下に潜り込み、痛んだ箇所の確認を終えたマフムードは、私に車に乗り込むように言いました。あの火災の後ですが、まだ走れるようです。途中から消火活動に加わってくれた通りすがりのトラックの運ちゃんが、万が一停車した時の為に、後ろから着いてきてくれました。停車したら、牽引して行けるようにと。

 のろのろ運転で1時間ちょっと、おそらく30kmぐらいを走ったところで、サリタシュという小さな町に到着しました。運転席の時計は、午後9時を示していました。

マフ 「ごめん。今日、オシュはノー。」
心 「仕方ないよ。今夜は、ここに泊まるんでしょ?俺も泊まってくから、明日オシュに行こう。」
マフ 「オシュ、今日、OK。あのトラック、オシュ!」
心 「何?代わりの車を手配してくれてんの?そんな・・・、ありがとう!ありがとう!!」

 急ぐ必要もありませんでしたが、彼の好意を受けることにしました。2台目のトラックは、信じられないくらいのハイスピードで海抜3500mの峠を駆け上り、谷間を激走していきました。途中、シャフトの交換で1時間以上修理に費やしましたが、修理完了後は再び大激走(暴走)で、午後2時にオシュの町外れに到着。
 今から街中に入るのは、恐ろしかったので、町外れの閉店したチャイハナの表のナン焼き釜の陰に身を潜め、朝5時くらいまで仮眠を取りました。

 長い長い1日は、これでようやく終了です・・・。

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写真3)このあたりの直線で炎が上がりました。

キルギス入国2日目に・・・ / 後編 

一つ前のエントリーの続きです。

12月28日 この旅で初めて、自転車と一緒にヒッチハイクしました。

 検問所の兵士の中で、誰が嘘を言っているのか?それはハッキリしています。あの若い兵士の両方です。年長(多分35歳ぐらい)の兵士と、上官は、部下の潔白を本気で信じていることでしょう。もう、これ以上の追求は無駄です。トラックをヒッチハイクして、オシュへ向かうことにしました。

 ここを通過する車の一部は、オシュへの道をとらずに、タジキスタンへ向かいますが、大半はオシュへ向かうはずです。昨晩、ヌラの宿で一緒になったウズベク人商人のおじさんが言っていました。「オシュに行くなら、自転車で走らずに、トラックに乗ればいいのに。ここのトラックのほとんど全部がオシュへ向かうんだよ?この先は雪道で、自転車では無理だよ。」と。その時は、自分で走る気満々だったので、断わりました。
 トラックは、5分に1台は通過するので、私と相棒を乗っけてってくれるドライバーはすぐに見つかりそうです。どうせなら、言葉が通じる方が楽なので、片言の英語でも中国語でも、意思疎通ができそうなドライバーを探すことに。検問所の手前に自転車を停め、検問待ちで停車中のドライバーに話しかけます。言葉が全く通じなかったら、それ以上は話を進めずに、次のトラックを待ちます。

 そうこうしていると、私の胸を突き飛ばした上官が、初見の部下を連れてやってきました。この部下は英語ができるようで、私が何を望んでいるのかを尋ねてきました。

心 「この検問所で腕時計を盗まれたことで、この先の走行は無理になりました。
   だから、トラックをヒッチハイクして、オシュへ向かうんです。」
兵士C「ここからオシュへ?自転車も一緒に?」 (→上官へ通訳)
上官 「だったら、お金が必要だ。ただでは誰も乗せんよ。」
心 「それは私がドライバーに直接交渉することですから、あなたたちには関係
   ありません。(お前は黙ってろ!)」
兵士C「あと30分ほどで、私たちはオシュに向かいます。その車に一緒に乗りま
    せんか?」
上官 「20ドルで乗っけてやるぞ。」
心 「高いから嫌です。そもそも、車って?あれでしょう?ルーフキャリアもない
   セダンタイプに、自転車は積めませんよ
。」

 断わりましたが、勝手に20ドルで乗せて行くつもりの上官。傍らに停めてあったセダンタイプの車のトランクから、荷物を全て取り出し、私の自転車を入れるように求めました。口で言ってもダメなら、示してあげましょう。サイドバッグを外し、自転車をトランクに入れて見せました。入りません。前輪を外して、ハンドルを取れば入るサイズでしたが、そこまでしたくありません。だいたい、20ドルも払う気はありません。
 諦めない上官は、後部座席に自転車を入れるように言いました。入れてみると、入りことは入りましたが、座る場所がなくなった・・・。この車でオシュへ向かうのは、運転手と英語を話す兵士Cと私とこの上官の4人です。これでは2人しか乗れない。

心 「わかったでしょ?だから、トラックを自分で探します。」
上官「わかった。こちらで適当なトラックを見つけてやろう!私の口利きがあれば、
   危ない目にも遭わないし、後からドライバーにお金を追加請求されることもない。
   いくら出せる?」

心 「いくらって・・・、5ドルかな?」
上官「それじゃぁ、誰も行かん!15ドルでどうだ!」
心 「そんなお金持ってないよ!今手元には、1ドル札5枚と、100ドル札しかない。
   あっ、あと、100元札。
上官「中国の金か?それで良い。」

 100元というと、日本円で1500円です。相当高いヒッチハイク料ですが、この際、これで良いかと思うようになっていました。もう気持ちが折れてたんです・・・・。それに、オシュで人民元の両替ができなかったら、無駄になるお金ですから、使える時に使いましょう。おそらくこの1500円相当のお金の8割方は、この上官のポケットに納まり、残りの2割がドライバーに渡るんでしょうけど・・・。
 ニコニコしながら、100元札を受け取った上官は、詰め所内の部下に何やら告げた後、笑顔で車に乗り込むと、にこやかに手を振りながら走り去りました。あの車がパンクかエンジントラブルで、峠を越えられないことを、真剣に祈りました。

 『山の神様!どうか、あの車に命に関わらないような事故を!!』

 で、待つこと30分、私たちを運んでくれるドライバーとやらが現れました。名前は、マフムード。彼のトラックは、私の自転車と同じ深緑色。見るからに古そうなトラックですが、この青年のお世話になることに決めました。コンテナの上に、自転車を固定し、私は運転席の隣に。助手席には、クアールベクという助手が乗り込んでいました。3人と1台を載せたトラックは、午後1時、悪徳に満ちた検問所を後にしました。

 まだまだ、長い1日は終わりません・・・

 次のエントリーへ続く。

キルギス入国2日目に・・・ / 前編 

12月28日 またかよ・・・ 国境から15km地点の検問所で、トドメを食らいました。

 昨晩は、失ったサイクルコンピュータと魔法瓶のことが悔やまれて、すぐには寝付けませんでした・・・。この先、オシュという町までは約250km。地図はあるので、正確な距離は解らずとも、なんとかなるでしょう。魔法瓶は・・・、無いと困る・・・。この先少なくとも3日間は、海抜3000m超の世界です。気温が一日中氷点下だと、魔法瓶なしでは飲み水も運べない・・・。

 結局、あぁ〜だこぉ〜だと考えていても仕方がないので、気合を入れなおして、走り出しました!

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写真1)ヌラの食堂宿。こんなとこに泊まってました。看板も何もない。

 昨晩の夕食と今朝の朝食、そして宿代を米ドルで支払いました。まだキルギス・ソムは持っていないんです。1泊2食で4ドルでした。8時半、ヌラを出て、真西に走り出しました。地図によると、20kmほどのところから、険しい上りになり、海抜3500m前後の分水嶺に至るはずです。凍った川を上流に向かって並走します。気温は、氷点下8℃・・・。水筒には、今朝作ったばかりの熱々の紅茶が入っていましたが、1時間と経たずに冷え切ってしまいました。

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写真2)気温氷点下8.2℃。海抜2965m。

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写真3)小さな村を通過。

 小さな村を通過した後、川を逸れて、上り坂になりました。ここから登りが開始!と思ったら、一旦下りになり、また上りになりました。海抜は依然、3000m前後。しばらくすると、前方に何やらトラックストップのようなものが見えてきました・・・。どうやら、検問所のようです。

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写真4)トラックの左手前方に、何やら見えてきた。

 ヌラから15kmほどで、検問所に到着。知らぬふりをして通り過ぎようとしたら、兵士に止められました。パスポートを確認する!と、検問所ゲートの脇の詰め所に連れて行かれました。自転車は詰め所の目の前の壁に立て掛けています。カギは掛けていませんが、幸い、詰め所の小窓から自転車のある場所が見えていたので、何かあった場合は、すぐに飛んでいくことができそうです。
 狭い詰め所内には、同じく身分証の確認を受けているトラックドライバーが2人と兵士が1人。私とあわせて4人がギューギューに詰まっていました。手続きが終わるまで、2〜3分待たされましたが、その間、私はずっと小窓の外を見ていました。自転車の脇に、2人の若い兵士が立っていたからです。何やら、自転車を触っているような風にも見えます・・・。
 パスポートの記載事項を書き留められた後、パスポートを返してもらい、外に出ました。自転車の脇に立っていた兵士たちは、私と入れ替わるように、持ち場へと戻っていきました。至って自然な感じだったので、何も疑わず、自転車に乗って走りだしました。検問所の前の急坂を立ち漕ぎで100mほど進んだところで、気が付いた!?

 あぁ〜!!!腕時計がない!!!

 タイラップでサイドミラーの軸に固定していた腕時計がなくなっていました。 「待てコラ!お前ら!!」叫びながら、検問所に戻り、自転車の脇にいた兵士たちを呼び止めました。また兵士かよ!どうなってるんだ、この国は!?

 私の腕時計は、高度計と温度計が内蔵された登山用モデル。腕に着けていると、上着の袖の中に納まってしまい、正確な外気温が測れないので、自転車のミラーに巻き着けるようにしています。昨日は、たまたま腕にしていたので、無事でした。昨日の教訓を活かし、簡単に持ち逃げされないように、タイラップで固定したのは、今朝の話です。

心 「おい!お前ら!ちょっと来い!!どっちだ?どっちが持ってる!?」
兵士A「何?」
心 「おい!英語解るか?時計!腕時計!どこだ?」
兵士A「何?解らない。」
心 「腕時計だよ!ここに!ほら!このミラーに着いてたやつだよ!!」

 とぼけてるんだか?もう1人の兵士が盗ったんだか・・・?いや、こいつが知らないはずはない!だって、私はずっと見てたんですもの。2人が一緒に立っているところを!どっちが盗ったにしても、知らない訳がない!
 英語と日本語で大騒ぎしている私の元に、もう1人の容疑者と詰め所内の兵士が出てきました。一番年長の詰め所の兵士に、この若い兵士たちが私の腕時計を盗ったと主張しますが、通じている様子もない・・・。それでも必死に伝えようとしていると、たまたまその場にいたトラックドライバーの中に、中国語のできるキルギス人がいたので、通訳をしてもらいました。事情を理解した年長の兵士は、信じられないと言った顔。若い兵士たちは、疑うな!とばかりに逆切れしています。

 言い合いは平行線・・・。何か物的証拠でも示せれば・・・。デジカメに収めてある腕時計の写真(上の写真2のようなもの)を見せて、「コレ!」と示して見せます。が、何の進展もなし・・・。
 年長の兵士は持ち場に戻ってしまい、若い兵士も1人だけになりまりました。その若い兵士を尚も責め続ける私に、ひとりの男が近寄ってきました。第4の兵士です。身なりからして、上官であることは間違いありません。若い兵士が上官に何か告げると、この上官は、部下のボディーチェックをするよう、私に提案してきました。

心 「こいつは自分が持ってないから、ボディーチェックをしろと言ってるんだ!そうだろう?だったら、探すだけ無駄だよ!」
上官「いいから、調べなさい。」
心 「調べたって何も出てこないって!もうひとりの兵士かもしれないだろう?」
上官「調べろ!」

 どうせやっても出て来る訳ありませんが・・・、空港でボディーチェックを受けるときのように、肩、脇、腰、太腿、足首と服の上からパンパン叩き、上着とズボンのポケットを調べました。

心 「ほらね、何も出てこない。今頃、もう1人の若い兵士がどこか岩の下にでも隠してんだろうよ。」
上官「ないのか?ないんだったら、とっとと立ち去れ!」
心 「あのね、この2人が取った可能性が極めて、き!わ!め!て!高いんだよ?まずは、あんた、部下を疑いなよ。」
上官「とっとと立ち去れ!聞こえないのか!」

 強く私の胸を突き飛ばし、上官はどこかに消えました。まだ諦めはしません。もうひとりの兵士を探しに、詰め所とは別の建物へ向かいました。が、どこに行ったのか?あの兵士はいません・・・。私が再び検問所に戻った時には、全員持ち場に戻っていて、誰も私の相手をしなくなっていました。ボディーチェックをした兵士に近付くと、「どこか行け!」とばかりに、ライフルの銃底で胸を小突かれました。

 私の怒りは極限に達し・・・、大爆発!! 


 心 「●●!●○●●!?○○●○●○●●●!!」

 お聞き苦しいので、何と叫んだのかは、全て伏せておきます。腹の底から出た怒りの声に、兵士の様子に変化が・・・?

兵士A 「ドライバーが盗んだんだよ。」 
心 「あのなぁ、人のせいにするなよ!あの時、お前らの他に、どこに人がいたって言うんだ?」
兵士A 「トラックは、こっちに行ったよ。あのドライバーだ。」
心 「一万歩譲って、あの場に第3の男・トラックドライバーがいたとしよう。で、お前はそのドライバーが盗みを働くのを黙ってみてたのか?誰がそんな話を信じるんだ??」


 また騒ぎ始めた私の回りに、人だかりができました。探していた兵士Bも現れましたが、もはや、これ以上の追求は無駄です。落ち着いて、次の行動を考えるべきタイミングとなりました。

 さて、どうしましょう・・・?サイクルコンピュータはない、魔法瓶はない、時計はない・・・。この先の道は、海抜3000m超の高原地帯。外気温は、朝はどんなに高めに見ても氷点下5℃以下でしょう。キャンプをしたとして、朝夕の食事は雪を融かして調理すれば良いけれど、日中の走行に必要な飲料水を液体のまま運ぶ術がない・・・。

 走った距離も解らない。町までの距離も解らない。水は運べない。標高は解らない。気温も解らない。ない。ない。ない・・・。もはや、走る気力もない・・・・。

 ゲームオーバーです。

 この先は、オシュまでトラックをヒッチハイクして向かう事に決めました。

キルギス入国直後に・・・ / 後編 

  ■1つ前のエントリーの続きです■

 あ〜!!あんにゃろぉ〜!やりやがった!!

 サイクルコンピュータがありません!

 荷台の魔法瓶も2本ともない!!



 犯人は?あの兵士以外に考えられません。私が自転車から離れたのは、たったの20秒程度だったはずです。その短い時間に、あの場にいなかった人間が、自転車に駆け寄って来て、上述の3点を盗むでしょうか?いや、それは考えにくい。やはり、あの兵士だ!! 
 一旦パスポートを受け取りに建物に戻り、パスポートを受け取った後、自転車を押しながら、施設内を探し回りました。あの兵士の顔は覚えています。見つけたら問い詰めてやる!

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写真1)パスポートコントロールと税関の建物内部。外は人と車で溢れているが、建物の中にひと気はない。

 ウロウロしていたら、別の兵士に呼び止められ、税関で荷物チェックを受けるように言われました。「今それどころじゃないんだよ!後で行くから!!」と言っても、通じません・・・。先に税関チェックを受ける事に。先ほどの建物の反対側のドアから入り、税関の役人に自転車を見せて、はいこれで手続き完了。いちいち荷物の確認をするような国ではありません。税関申告書の記入もなし。ただ、私のパスポートナンバーだけをノートに控えていました。
 ノートに記入しているこの兵士を見ると、どうやら偉いさんのようです。肩には、軍服の襟や肩にワッペンが沢山。この上官に、先ほどの盗難の件を報告しなければ! 「おたくの若い兵士が、私の自転車から荷物を盗んだんだ!」 言ってることが通じてるのか?通じてないのか?苦い顔をしているこの上官…、しばらく考えた末、手振りで「行け」と示しました。どうやら通じていないようです。食い下がらず、ジェスチャーで伝えようとしますが、全く理解する気なしの様子。ただ、「行け」と手で示すだけ・・・。

 はぁ〜・・・、いつか起こるとは思っていましたが、まさか、こんなところで・・・。いつも“荷物を盗まれないように気をつけよう”と心掛けていたつもりでしたが、やはり、気の緩みがある時にやられるもんですね。私のあの行動は間違いでした。サイクルコンピュータを見たことない人には、デジタル時計にしか見えないでしょう。それが取り外し可能であることなんて、まず知らないはずです。私はわざわざ取り外し方法を見せてしまったのです・・・。あの兵士は、『この時計、外れるのか?』と試してみたに違いありません。で、外れたからポケットに捻じ込んで・・・、ついでに簡単に取れる荷台の魔法瓶を失敬して…

 あぁ〜!悔しい!!

 あの兵士を探すことは諦めてはいませんが、ひとまず、税関施設を出る事に。自転車を押して回るのは大変です。それに、二次災害、つまりまた狙われないとも限りませんから。税関の外には、土埃舞うヌラの町があります。町というより、税関に付随する施設といった方が良いでしょうか。トラックのコンテナやトレーラーを改造した家々が、不規則に並び、まるで西部劇の町?いや、安っぽい近未来SF映画の核戦争後の西部の町?といった雰囲気です。ようやく見つけた食堂宿に荷物を入れ、自転車を食堂のおばちゃんの部屋に入れ、税関敷地内へ戻りました。

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写真2)夕方の税関敷地内。中国のトラックから、キルギスのトラックに荷物を積み替える作業が続く。

 敷地内に戻って早々、あの兵士を発見しました!なんて幸運!まだツキに見放された訳ではなさそう!!

心 「おいお前!俺のサイクルコンピュータと魔法瓶知らんか?」(日本語で)
兵士「I don't know !!」
心 「おいおい、何を知らないの?」(英語で) 

 可笑しな会話です。私は日本語で話しかけているのに、返事は、英語で『知らないよ!』なんて・・・。『日本語わからない!』という意味で、I don't know と言った可能性もなくはないですが、私には、 『サイクルコンピュータのことなんて、知らないよ!』という風に聞こえます。っていうか、あの時の状況から、この兵士以外に犯人は考えられないのです。

心 「返せよ!盗ったものを返せ!!」(英語で)
兵士「・・・・」

 何かロシア語だかキルギス語だかで小さく呟きながら、建物の奥へと足早に消えていきました。追いかけましたが、どこまでも入り込むとこっちが咎められそうなので、止めました。代わりに向かったのは、上官の部屋。再び、ジェスチャーで大事な物を盗まれたことを主張しますが・・・、やっぱり通じない・・・。怪訝な顔で追い出されました。

 はぁ〜・・・、これ以上やっても無駄だろうな・・・。確信はあっても確証をしめせないのです。広い税関施設のどこかの部屋においてあるであろう、私のサイクルコンピュータや魔法瓶を探し出す術はありません。悔しいけど、諦める事にしました・・・。 

 はぁ〜・・・、痛いキルギスの初日でした。

キルギス入国直後に・・・ / 前編 

12月27日 この旅7ヶ国目の国、キルギスタンへ。入国早々、トラブルです・・・。

 長かった中国に別れを告げ、中国側の国境施設を出ると、目の前には、長い道路が延びていました。これまで越えてきた国境は、一方の施設を出ると、数百m先にもう一方の施設があったのですが・・・、ここは無い!?

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写真1)キルギスの入管事務所はどこ??

 実は、ここの国境、それぞれのボーダーとの間に7kmもの緩衝地帯が置かれているんです。キルギス側の国境施設を目指して、強い向かい風の中を走り出しました。途中、2度中国側のチェックポイントでパスポートの確認を受けました。更に進むと、どうやらここが境界だな?と思われる道路の継ぎ目がありました。中国側はきれいなアスファルト。キルギス側は、ひび割れたアスファルト。

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写真2)解りにくいですけど。右足と前輪がキルギス側。左足と後輪が中国側。

 境界と思われるところを通過してすぐに、キルギス側の検問所がありました。やはり、あそこが境界だったようです。パスポートのチェックを受けに、道路から10mほど離れた掘っ立て小屋へ。自転車は道端に停めていましたが、近付く人がいないかどうか?常に注意を払っていました。
 最後の3kmは再びキレイな道に。キルギス側の国境施設が近付くと、長いトラックの列がありました。中国製品をキルギスやその先のウズベキスタンに運ぶトラックでしょう。しかし、凄い数ですこと!!

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写真3)車列の後ろの数台。荷台には化繊生地や建設資材が満載されている。

 トラックでごった返す国境の税関敷地内へ。自転車を押して、キョロキョロしていたら、背中に大きく『CUSTOM』と書かれたジャケットの兵士に声をかけられました。案内されるままに着いて行くと、パスポートコントロールらしき建物に付きました。自転車を建物の中に入れようとしていると、先ほどの兵士が、そこに停めて行けと言います。仕方ないので、自転車のカギを掛け、貴重品の入ったフロントバッグを外して、更に、サイクルコンピュータを外そうとしますが・・・、なかなか外せない。梃子摺っていると、例の兵士に「バン!」と肩を叩かれ、押し込まれるように建物の中へ入れられました。 

 「バタン!」と豪快に閉められたドアの外の自転車にはカギをかけましたが、荷物が心配です・・・。建物の中には、小さなカウンターがあり、そこには兵士がひとり座っていました。彼にパスポートを渡し、すぐに外に出ました。自転車は!?無事でしたが・・・

 あ〜!!あんにゃろぉ〜!やりやがった!!

 サイクルコンピュータがありません!

 荷台の魔法瓶も2本ともない!!


  後編に続く・・・

私もキルギスに行きたいな・・・ 

 「私もキルギスに行きたいなぁ・・・、ここは退屈だわ・・・。」

 彼女の唐突な言葉に、少し驚きました。

 こう言ったのは、イルケシュタム国境の中国側、小さな商店で働く女性でした。中国語で私に話しかけてきましたが、彼女はキルギス族。顔立ちを見ると、一目瞭然です。漢族の顔ではないし、ウイグル族の顔でもない。どこか日本人のような顔立ちの、可愛らしい女性。

心  「キルギスに行きたいの?」
女性「うん。私はキルギス族よ。中国語が話せるから、キルギスに行けば良い仕事があると思うの。」
心  「そうかもね・・・。こんなに沢山、中国からキルギスに物資が運ばれてるんだもんね。」
女性「仕事あると思うでしょ?」
心  「僕は知らないよ。まだキルギスという国に行ったことはないだから。」
女性「そう。でもね、私はここから向こうには行けないの。」
心  「そうなんだね・・・。」

 なんだか、もの哀しげに話す彼女。この国境の小さな町での暮らしに、退屈を覚えてるのでしょう。確かに、ここは町と呼ぶには簡素過ぎる・・・。もともと人が住んでいなかった(もしくは小さな集落だった)土地に、国境の税関施設ができ、その周りに食堂や商店が建ったというだけの町です。

 彼女は、この町を出て、新疆ウイグル自治区内の都市で生活をしようとは考えないのでしょうか?聞いてみようかとも思いましたが、止めました。キルギスに行きたいって言ってるんですから、きっとその選択肢は考えてないのでしょう。
 カシュガルの北、天山山脈の南縁の地域は、クルグスー・キルギス族自治州というキルギス族の多い地域です。州都はアクスという町だそうですが、アクスはウイグル族と漢族が多数で、キルギス族は少数らしい。3日前に滞在したウルチャットの町もそうでした。田舎の村の住人は、キルギス族が多いんですけどね。昨日、キルギス族の小さな町、ウルグハットを訪れましたが、皆キルギス語で会話をしていて、私が中国語で話しかけると、ビックリしていました。「あれ?あんた何ジン?キルギス族だと思ってたわ!」って。

 新疆ウイグル自治区の中には、ウイグル族のみならず、カザフ族、キルギス族、モンゴル族、タジク族、などなどの少数民族が多く暮らしています。同じムスリムといえども、母語も違えば、生活慣習も違います。この彼女のように、田舎で暮らすキルギス族にとって、ウイグル族や漢族が大多数を占める新疆ウイグル自治区内の都市部で暮らすよりも、キルギス人の国・キルギスタンで暮らした方が、快適なのかも知れません。

女性 「どこまで行くの?」
心  「キルギスから、ウズベキスタン、トルクメニスタン、イラン、トルコ・・・、ヨーロッパ、アフリカ、南米、北米。世界一周だよ。」
女性 「本当!?凄い!!気をつけてね。」
心  「ありがとう」

 自由に国境を越えて、50〜60カ国の国々を巡る予定の私。国境施設に隣接する商店で働いてるけど、国境の向こうに行けない彼女。たまに私は、自分の旅が贅沢過ぎて、周囲に悪い影響を与えているのではないかと、心配になることがあります・・・。

 彼女が、希望の生活を手に入れられることを願いつつ、国境を越えました・・・

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写真1)イルケシュタムの通り。食堂と商店が数軒並ぶのみ。

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写真2)イルケシュタムの国境。出入国管理事務所。彼女の働く商店から僅か100m。

さよなら中国!! 

12月27日 長かった中国の旅は終わりました。

 目覚めはよし!なんだか朝から興奮気味の私。今日は国境越えの日ですからね! 国境を越えるのなんて、2006年6月依頼、約7ヶ月ぶりです。

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写真1)こんなとこでキャンプしてました。

 朝食はオートミール。オートミールもカシュガルで大量に買い込んできたので、沢山食べて、少しでも荷物を減らさないと・・・。たっぷりと胃袋に詰め込んで、10時半、出発です。道は起伏のある山岳地帯です。国境のイルケシュタムは、ガイドブックには、イルケシュタム・パス(峠)と書かれているので、もしかしたら、まだこの先も登り続けることになるのかも?

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写真2)このあたり、ラクダさんが多いんですよ。今日も放牧のラクダの群れに遭遇!

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写真3)この坂の向こうかな??そろそろ国境の施設が見えてきてもおかしくない距離だけど・・・

 緩やかな坂を上り切ると、長い下り坂になりました。 『あららら・・・、下っちゃってるよ・・・』 下り坂の向こうには、純白の雪山が聳えていました。まさか、あの雪山のどこかが、イルケシュタム峠ではないでしょうね??そりゃ、ちょっと厳し過ぎますよ!?

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写真4)下りきると、大きな川に突き当たった。川の向こうには、何やら、国境施設らしき建物群!!

 どうやら、向こうの河岸に見えているのが、国境施設のようです。橋を渡り、川上に少し走ると、見えてきました!建物群!明らかに国境らしき場所です。通りすがりの人に確認。「ここはイルケシュタムですか?」返事は、「そうだよ」。なぁ〜んだ、峠じゃなかったんだ。良かった良かった。地図と方角を確認すると、どうやらこの河に沿って西に走れば、キルギスタンのようです。

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写真5)中華人民共和国・イルケシュタム口岸

 イルケシュタムの町に入ると、食堂や商店が数軒ならんでいました。時計は1時を回ったところ。とりあえず、国境ゲートの確認に行きます。立派な建物の前には、空の車が沢山停まっていましたが、国境施設にはひと気がない・・・。どうやら、昼休みのようです。私も昼食とすることに。手持ちの人民元は、昨日の時点で36元になっていましたが・・・、トラベラーズチェックの束の中から、100元札が見つかったので、今136元も持っています中国最後の食事ですから、豪勢に行きましょうか!

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写真6)中国最後の食事はコレ!豚の角煮20元、白菜炒め10元、白米2元。

 これからしばらく、中央アジア〜イラン〜トルコと、5ヶ月ぐらい豚肉なし生活です。この豚の角煮の美味しかったこと、美味しかったこと!これでしばらく豚なしでも平気でしょう、きっと。たらふく食べた後、小さな売店で4元分のお菓子を購入して、残りちょうど100元。中国の最高額紙幣である100元札なら、キルギスでも両替できるでしょうから、これは使わずキープしとくことに。
 午後3時、国境職員の昼休みが終わる時間に合わせて、国境ゲートへと向かいました。3時15分ごろにようやくやって来た職員たち。私の自転車を見るなり、「自転車で行くの?大変だよ?」と・・・。大変なのは知っています。この先、キルギスに入国すると、4〜5日間は、厳しい山岳地帯の走行が控えています。「大丈夫だよ、心配ありがとう。」 

 出国手続きは、至って簡単でした。荷物チェックも何もなく、ただパスポートに出国のスタンプを貰っただけ。 『あぁ・・・、これで中国ともお別れかぁ〜・・・』 ウイグル人の国境のお役人たちに、さよならを言い、国境施設の反対側に出ました。さぁ、次はキルギスの入国手続きです!!国境越えって、なんでこんなに感慨深いんでしょう。過去に何十回も陸路国境越えを経験していますが、今回は、10ヶ月近い滞在となった中国国の後ですから、特別感慨深く感じます。 

 さよなら、中国!! 濃厚な日々をありがとう!! またいつか、来るよ!!

ワッシンギットン!ヌルヨック! 

12月26日 ワッシンギットン? ヌルヨック?? 

 寒い朝の気温は、氷点下10℃でした。思ったより冷え込まなかった。昨晩残しておいたラーメンの汁は、すっかり凍っていました。とろ火でゆっくり融かし、沸騰したところで、お粥用の乾燥米を入れます。これで、ラーメンお粥の出来上がり。昨晩作った紅茶は、僅かに600ml・・・、朝食の時はほとんど飲みませんでした。

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写真1)こんなところにテント張ってました。海抜3000m。

 走り初めて1kmほどで、峠の頂上に至りました。あとは下るだけ!と思ったら、下り始めてすぐにまた上り。どうやら2つのピークがある峠のようです。2つ目のピークを越えると、長い緩やかな下りになりました。上りながらチビチビ飲んでいた紅茶は、もう残り僅か。幸い、この先、下り終えて20kmほどのところに、ウルグハットという町があります。このまま無給水でも、大丈夫でしょう・・・

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写真2)峠の頂上付近で、巨大な鳥に遭遇!!翼を広げると、2m近くあるように見えました。何でしょう?この鳥。

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写真3)今日も乾いた大地が続きます。あぁ〜・・・、喉乾いてきた・・・。

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写真4)お前さんはいいねぇ。喉、乾かないの?

 すっかり、喉が渇ききったところで、ようやくウルグハットの町に到着。町の入り口に検問所がありましたが、パスポートを見るだけなので 何も臆する必要はありません。逆に、国境が近いということを感じ、気合が入りました。検問所の向こうには、数軒の食堂と商店がある小さな広場がありました。どうやら、ここが町の中心らしい。町っていうか、村ですね。
 村人たちが不思議そうに見つめる中、私が真っ先に向かったのは、商店!!コーラか何かを1リットルぐらいグビグビっと飲みたい!! 擦れた声で、店のおばさん、「そこのコーラ2本ちょうだい!」と言うと、おばさんちょっと驚いた様子。何?なんで??

おばさん 「あんた何ジンだい?あたしゃ、てっきり、キルギス族だと思ってたけど、
      中国語話すもんだから・・・、いや?でも、漢族じゃないね?」
心 「日本人ですよ。おばさんは?キルギス族?」
おばさん 「そうだよ。」


 キルギス人(族)の顔立ちは・・・、うぅ〜ん・・・なんと言えばよいか・・・、日本人に近い顔立ちです。ウイグル族よりも、日本人に近く、漢族よりも日本人に近いかな? 何がどうって、まだ説明は難しいです。キルギスに行って、キルギス人をよぉ〜く観察すれば、その特徴がつかめるようになるでしょう、きっと。
 購入したコーラは、コカコーラだとばかり思っていましたが、一気に飲み干すと、まずぅ〜い!ケミカルな後味がしました。ラベルを見ると、今までに見たこともないような、似非コーラ。不味いけど・・・、2本目も一気に飲み干し、喉の乾きは癒えました。次は、空腹を満たさなければ!
 広場の外れの小さな食堂に入りました。注文したのはラグ麺。待っている間に、ポットのお湯を貰って、ボトル5本文の紅茶を作りました。これで、明日の午前中ぐらいまでは大丈夫でしょう。15分ほどで出てきた大盛りラグ麺を貪り食い、満腹になったところでホッと一息。周囲の人々と会話をする余裕も出てきました。
 食堂の経営者家族は、キルギス族。隣で食べてたお客2人もキルギス族。近所の商店から私を見にやって来た人々も、み〜んなキルギス族。お互いに片言の中国語での会話をしていると、店の奥に座っていた少女が、何やら呟いているのに気が付きました。

少女 「ワッシンギットン・・・、ワッシンギットン・・・?」
心  「ん?なぁに?? ワッシン??何?」
少女 「ヌルヨック! ワッシンギットン!」
心  「ヌルヨック?ワッシンギットン??」
少女 「アメリカ!ワッシンギットン!」

心  「あっ!! アメリカ!ワシントンね! あっ、ニューヨーク!!」

少女 「アメリカ?」
心  「あのね、お兄ちゃん、アメリカ人じゃないんだよ。日本人、日本人。」

 彼女が、本気で私をアメリカ人だと思っていたのかどうかは解りませんが、このような滅多に外国人が訪れないような地域では、コッテコテの日本人顔であっても、英語を話したというだけで、アメリカ人と言われることが間々あります。
 それにしても、ワッシンギットンって・・・、よく聞けば、ワシントンに聞こえなくなくもありませんが、彼女の発音はスタッカートが聞いていて、ワシントンだとなかなか気が付きませんでした。英語のスペル『WASHINGTON』と『NEW YORK』をキルギス語の発音で読み上げると、こうなるのかな?ただたんに、彼女が勘違いしているのかな??

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写真5)キルギス族の子ども達。一番左の子が、ワッシンギットンの子。

 お腹も満たされ、飲み物も補給し、楽しい交流で心も和んだところで、走行再開!再び西に向かって走り出しました。道は、狭い谷間に入り、緩やか〜な登り続けています。走りは快調!この調子だったら、国境の町までたどり着けるかも??国境までは、70kmほどのはずです。走行距離は、50km近くに達していました。
 午後5時半、吉根(ジーコン)という村に達しました。ここもキルギス族の村です。国境手前最後の村らしいので、ここで宿を取ることも考えましたが、それらしい建物が見当たらない・・・。この先は、ひとけのない山道でしょうから、今夜もキャンプにしましょう。

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写真6)ジーコン手前で、周囲の山々も、雪化粧に変わった・・・。上りが厳しくなり、国境到達は早くも断念。

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写真7)羊を追い、馬を操る村人たち。キルギスですねぇ〜!!

 ジーコンを過ぎると、国境の手前最後の峠(2950m)に差し掛かりました。標高差は200mほどで、なんなくクリア。峠の向こう側には、何もない平原と雪山が聳えていました。もう時計は7時です。道路から300mほど平原に入ったところにテントを設営。日没後の気温は、氷点下8℃。まぁ、このくらいなら今夜も大丈夫でしょう。
 夕食は、またラーメン。カシュガルで欲張って大量に高級ラーメン『今麦郎』や『五谷道場』を買い込んできたので、キルギスの厳しい山岳コースに達する前に、少しでも荷物を減らそうと考えてです。本当は、キルギスの山奥で食べるつもりだったんですけどね・・・。

 雪山と星空をしばし眺めた後、寝袋に飛び込みました。国境まではあと20kmです。

雪を溶かして・・・ 

12月25日 雪を溶かしました。

 ちょっと寝坊しましたが、目覚めは上々。朝からテキパキ準備して、荷物を整えたところで、開店間もないインターネットカフェへ。2時間ほどで、全てのネット仕事を終わらせました。時計を見ると・・・、あらら、もうこんな時間?
 もう午後1時近くになっていました。慌てて宿に戻り、チェックアウト。自転車をセッティングしていたら、従業員の女性に色々と中国語で質問されました。あまり漢語は上手ではありませんが、とてもフレンドリーな女性。ウイグル人かな?と思って聞いてみたら、キルギス族だって!! そうだそうだ!このあたりは、クルグスー・キルギス族自治州なんですよ、そういえば。

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写真1)漢族の女性従業員が撮った、私とキルギス族女性従業員。

 今、その南縁をなぞるように走行中の天山の山々周辺には、キルギス族が多く暮らしています。山の北側はキルギスタンですからね。田舎の村々にはキルギス族が多いようですが、町には少ないみたいです。
 午後1時半、ようやく出発!町のスーパーで『タンユェン』という団子の冷凍品(最近のお気に入り)を20元で購入し、ウイグル食堂で昼食も済ませてしまってから、町を出ました。随分と出発が遅くなりましたから、今日は、日没までノンストップです!!

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写真2)今日も天気は晴れ! ちょっと肌寒いけど、快適な走行です。

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写真3)徐々に標高を上げ、小さな峠の手前、カンスーという町を通過。

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写真4)周囲の山々の美しいこと! 『風の谷のナウシカ』のコミック版に出てきそうな、荒涼たる風景です。(って、解りますか?)

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写真5)走りに走って・・・、午後7時、日没です。

 日が暮れるまで走り続け、52kmを走りました。ちょうど、周囲に何もないような寂しい山の中でした。海抜3000mほどの峠の頂上の僅かに手前。ここなら、朝日も早く当たりそうだし、ここでテントを張りましょう。自転車を止め、道路脇のちょっと低くなったところ降ります。汗が引き始めると、急に寒気がしてきました。気温は、氷点下6℃。こりゃ、夜は相当冷え込むな・・・。 
 テントを張り終え、荷物を投げ込み、さぁ、次にするべき事は、水の調達。実は、まったく飲み水がありません・・・。途中、何度か小川を見ましたが、給水することなく、走り続けてきました。日没直後、前方の風景の中に、雪に覆われた斜面が見えたので、「雪を溶かせば良いか!」と、楽観視していました。

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写真6)雪を鍋とバケツにいっぱい集めました。

 どんどんと冷え込むテントの前で雪を鍋に放り込み、ゴウゴウと強い火力で加熱します。10分ほど経って、鍋を開けてみると、「おっ!融けてる!融けてる!!」 ・・・けど、「汚いなぁ〜!!」 鍋の中の水は、灰色に濁っていて、小さな植物の枝葉が沢山浮かんでいました。次から次に雪を鍋に注ぎ足して、鍋一杯のぬるま湯ができました。一旦火から下ろし、ろ過して、もうひとつの鍋に戻します。雪を溶かした鍋の底には、粘土質の細かい粒子が溜まり、ろ過器のフィルターも灰色の粒子で目詰まりしていました・・・。どうやら、ここいらの雪は・・・、11月末にカシュガルでも雪が降りましたが、あの時に降ったものなのでしょう。3週間以上残っていた雪は、周囲の埃と粘土質の泥水をたっぷり含んだ、ちょっと汚い雪でした・・・。

 いつもなら鍋3杯分ぐらいの水を作って、翌朝の朝食、翌日の飲料水(お茶・紅茶)分も確保しますが、今日は鍋1杯分だけ。ボトル1本分だけの紅茶を作って、残り1リットルのお湯で、ラーメンの夕食。ラーメンの汁は捨てずに、翌朝の朝食に回します水を節約する為の知恵です、知恵。

 冷え込む夜は、深夜で氷点下9℃になっていました。明朝は、氷点下14〜15℃になるかも知れません。寝袋2重、上着2重、下着タイツ2重、靴下2重の完全防備で床に就きました。

カシュガルの俺の部屋 

少し大きい文字 カシュガルは7週間近い超長期滞在となりました。その間、ずっと同じホテルに泊まっていました。

 バックパッカーから、ビジネスマン、ツアー客まで幅のある客が泊まる西満(シーマン)ホテル。かつて、ロシア領事館として使われていたところで★★★三ッ星ホテルだったっけな? 星付きの良いホテルです。今のところ、この旅で一番規模が大きく、立派な建物のホテル。広々としたロビーの内装は、中央アジア的(ペルシャ的)装飾が施された柱や壁飾り。フロントには、世界主要都市の時刻を示す時計が6個。フロントのスタッフは(愛想ないが)流暢な英語を操り、客室かかりは愛想も良く印象が良い。

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写真1)色満ホテルの正面玄関

 そのホテルの部屋代ですが・・・、私が泊まっていたのは、最も安い部屋で、20元(300円)です。

 外国人バックパッカー御用達のこのホテルには、外国人用のドミトリーがあるんです。初めの1週間ほどは、3人部屋ドミトリーに泊まっていました。が、その部屋にはコンセントがなく、PC作業をする私は、いちいち部屋の外で電源を探さねばなりませんでした。ホテルの建物が古いので、廊下やロビーにもコンセントはない・・・。そこで、コンセントがある2人部屋ドミトリーに引越しをしました。部屋には窓がなく、ちょっと息苦しいのですが、記録や記憶の整理をするにはある意味よい環境。部屋に缶詰して、PC作業と執筆をしてました。

 ちょうど良い高さの机の上には、PCとコーヒーカップ、書類、お菓子などなどが散乱し・・・、完全に『俺の机』状態。初めの数日は、小ぎれいに使っていましたが、もうひとつのベッドに客が来る気配はないので、次第に、『俺の部屋』化していきました・・・。自転車も部屋に入ってるから、『俺らの部屋』かな。私と相棒・自右衛門号の部屋。

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写真2)ほら・・・、こんな感じ。色満ホテル2号棟315号室『俺の部屋』

 私はバックパッカー3人分ぐらいの荷物を持ち運んでいる上、それらが6つのバッグに別かれて入っているので、いちいち荷物をバッグに片付けたり、出したりが面倒なんです。一度広げたら、宿を出る前日まで広げっぱなしであることが多い。他の旅行者を見てみると、私のような『爆発タイプ』と、『整理整頓タイプ』に極端に別れてる気がします。爆発というのは、私が勝手に使ってる表現ですが、このように荷物や衣類を散乱させることを英語の俗語では、『爆発:explosion』というんです。昔は、私も整理整頓タイプの旅人だったんですけどね・・・。

 完全な個室として使っている部屋ですが、それでも問題はありません。この時期、カシュガルを訪れる観光客なんてごく僅かですから。11月初旬は、けっこう欧米人や日本人観光客が泊まってたんですけど、11月末からは、いても3〜4人程度。バックパッカー向けのドミトリーは、20元のシャワー・トイレなしと、30元の風呂・トイレ・テレビ付きの2種類。チェックインの際に、「見比べたい!」という人が多いようで、私が初めに泊まっていた20元の部屋と、30元の立派な部屋を見比べてる人が多かった・・・、のですが・・・。なぜか、12月に入ってから、私の部屋と、30元の立派な部屋を見比べる人が多くなった・・・。もしかしたら、これはホテル側の作戦なのかもしれません。 

客  「一番安い部屋はいくらだい?」
受付「20元ですけど・・・、30元のバス・トイレ・TV付きの部屋もありますよ。」
客  「20元の部屋でいいよ。どうせ2〜3泊しかしないんだし。」
受付「そうですか・・・、じゃぁ、両方見比べてはどうですか?20元の部屋は315号室、30元の部屋は300号室です。」

 ってね・・・。で、バックパックを背負った旅行者が、私の部屋を訪れる。

客  「おっ・・・ぉぉ・・・、君がこの部屋に独りで泊まってるのかい?」
心  「あ、はい・・・。あっ!あなたのベッド片付けますんで、どうぞ!どうぞ!」
客  「あっ・・・、あぁ、いいよいいよ、気にしないで。30元の部屋に泊まるから。」

 となる訳です。私が占有しているおかげで、ホテル側は10元の得をしました。きっとこういう作戦なんです。


 長く過ごした部屋を出るのは、少し気が重いものです。荷物をまとめ、すっきりした部屋を見渡すと・・・、なんだか引越しをする時みたいに切ない。次に、この町に来ることがあったら、例え、奥さんと一緒だろうが、子ども連れだろうが、この部屋にまた泊まりたいですね★

どうでもいいけど、クリスマスイブですね 

12月24日 私にゃ全く関係ありませんが、クリスマス・イブですね。

 道路脇の木立の中で目覚めたのは10時(ウイグル時間8時)、日の出の後です。まだ薄暗い内に出発してしまえば、誰にも見つからないだろうと考えていましたが、もう明るいから・・・。氷点下6℃、まだ気温が上がらぬ寒い朝に、早速、訪問者が現れました。近所に住むウイグル人の老人。私はテントの中で起きていた惨事に、慌てふためいていたところでした。昨夕、夕食を摂った食堂で魔法瓶に汲んでおいた水が、漏れ出して、テントの中に大きな氷が張っていました。幸い、寝袋は濡れていませんでしたが、シュラフマットやカバンには、氷がビッシリ付いている・・・。
 テントの前で見学しているおじいさんに、挨拶だけして、ぶつぶつ言いながら、氷を落としていました。ようやく、氷が片付いた時、ふと外を見ると、おじいさんの姿はありません。オートミールを掻き込んだ後、コーヒーを飲もうとしたら・・・、また災難!今度は、コーヒーをテントの中にこぼしてしまいました、500mlの大きなマグカップに並々注いでコーヒーを・・・

あぁ〜!もう!!最悪だぁ〜!!

 そんなこんなで、出発準備が整ったのが、12時過ぎでした。車道に戻ると、先ほどの老人がたまたま通りかかり、出発を見送ってくれました。目指すは、昨日辿りつけなかったウルチャット!距離は多分、40kmちょっとです。もっと先まで進んでも良いのですが、キルギスに入国すると1週間以上ネット環境がないので、ウルチャットでネットカフェに行っておかねばなりません。寝袋やテントも湿ってるし、今日は、ウルチャットの宿で快適に眠りたい・・・

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写真1)徐々に険しくなる周囲の山々。天山山脈南縁を西に走ります。

 昨日は重かったペダルですが、今日もやはり重い。両腿&両ふくらはぎが、筋肉痛になっています。1年以上旅しているサイクリストがですよ・・・?恥ずかしい・・・。カシュガルで煩っていた腱鞘炎ですが、ハンドルを握っている分には、全く痛みはありません。もう完治してるのかも?
 走り始めて20kmほどで、漢語でウルチャット(ウーチャと発音)を意味する大きな石碑が建つ、町に到着しました。これがウルチャット? …ではありません。ここは、中国・キルギス間の2つの国境、イルケシュタム国境とトルガルト国境の分岐点。北に向かうとトルガルト。西に向かうとイルケシュタムです。トルガルト方面は、未開放地域を通過するため、この町で税関手続きを行わねばならないようです。町には、沢山トラックが停まっていて、トラックの運ちゃん向けの食堂や宿も沢山ありました。

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写真2)昼間っから、ケバブを食べる。

 この小さな町で昼食。ラグ麺と骨付きマトン・ケバブ2本で、15元もしました。せいぜい10元ぐらいだろうと思っていましたが・・・、高いなぁ! 中国滞在もあと3日程度、そろそろ手元の人民元を上手く努力をしなければ、国境を越える前に、お金が尽きてしまう・・・。
 食後、ウルチャットへ向け走行再開。残りは30kmぐらいとのこと。路面は相変わらず良いのですが、徐々に登りがきつくなってきました。海抜は、1900mから、2400mに。500mを緩やかに上り↑、上りきったら、また下りに↓

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写真3)周囲の山々は、木が一本もない乾いた岩の山。

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写真4)乾いた風景にラクダが良く似合う

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写真5)路面は良好。若干の向かい風があったため、長い下りでも時速40km程しかでない・・・。

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写真6)荷物満載の自右衛門号。カバンに入りきらないものが、前後の荷台に縛り付けてあります。

 交通量はあまり多くはありません。時折、『中国海関』と書かれた巨大なコンテナトラックが横を通ります。これは中国税関のトラック。国境周辺の税関施設を結んでいるトラックかな?? 通過する村々に人は少なく、地元民との交流がほとんどない走行が続きました。ハローやニィハオの声も聞こえない・・・。中国の辺境を走っているという印象を強く感じます。
 午後5時、52kmを走ったところで、ウルチャットに到着。ウルチャットは、随分と大きな町のようです。ここいらの県府ですから、インターネットカフェも、宿も困らないでしょう。町の中心に入ると、すぐに網巴(ネットカフェ)の看板と、招待所・旅館などの宿泊施設の看板が目に入りました。
 安そうな招待所に飛び込み、値段交渉。50元と言われたところを、値切って値切って、30元にしましたが、宿の親父さんが「公安に外国人が泊まる旨を報告・手続きに行くから、5元くれ」と。なんで5元なのかは、聞きませんでしたが、おそらく口利き料ってとこでしょう。まぁいいや、5元ぐらい。手元の人民元は、残り150元になりました。まだまだ余裕があります。

 夕暮れ時、買い物がてら、町を歩いてみました。どこも新しい中国風の建物ばかりで、ウイグル情緒のある建物は一切ありません。もともと何もなかったところにできた新しい町なのでしょう。町を歩いている人も漢族が多い・・・。
 夕食は、町の中華食堂へ。中国語で注文し、黙って食べていたので、誰も私を外国人だと思わなかったようです。食事をして、スーパーでこの先2〜3日分のおやつを買って、手元には、120元。まだまだ余裕? 9時頃からインターネットカフェに篭りましたが、全ての用事は済みませんでした。また明朝行かなくては・・・。
 宿に帰る途中、深夜まで営業していたスーパーに入り、ヨーグルト味のお気に入りのアイスクリームを購入。ブラブラと店内を歩いていたら、800mlサイズの魔法瓶を発見!自転車のボトルケージに納まりそうなサイズです・・・。値札を見ると、58元と書いてある・・・。5分ほど迷って、ご購入ぅ〜!! 手元のお金は、55元に・・・。

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写真7)ウルチャットの町中心には、いかにも、最近開発が進んだ町です!という風な味気ない中国風の広場が・・・。

 宿に戻ったのは、深夜を回ってから。到着後すぐに部屋で広げていたシュラフやテントはすっかり乾いていました。荷物をまとめて、ちょこっとパソコンを弄っていたら、時計は3時(実質的な時間=ウイグル時間では1時)になっていました。明日も移動なので、慌てて床に就きました。 zzzZZZ・・・

さよなら・カシュガル!! 

12月23日 47泊したカシュガルを出発!!

 昨晩も遅くまでネットカフェに篭っていた上、久々の移動で荷造りに手間取ったので・・・、起きたのは12時半(ウイグル時間10時半)でした。慌てて身支度を整え、中途半端で投げ出していた荷造りを終わらせ、14時ちょうどにチェックアウト。長い間お世話になっていたルームキーパーのお姉ちゃんたちに、お別れを言って、カシュガルで捨てていく不要な物でまだまだ使える物をカギ番の兄ちゃんにあげて、ホテルを出発!!

 カシュガル最後の食事を摂りに、向かったのは、当然!いつもの美食街。ポウズ屋のおばちゃんは、残念ながら不在。2〜3日前に真っ赤な顔してゴホゴボ言いながら仕事してましたから・・・、風邪だったのでしょう。隣の快餐の兄ちゃんは、いつも通り愛想良く、出迎えてくれました。やはり、最後も豚足を追加しました。チベットでボロボロになっていたお肌も、この7週間で随分キレイになりました。豚足のコラーゲンのおかげでしょう☆ 満腹になったところで、 「再見!ありがとね!!」

 満腹になった後向かったのは郵便局。日本の実家宛に、7kgぐらいの小包を送りました。これでずいぶん荷物が減ったと思うでしょう? そうでもないんです。カシュガルで買い足した物が大量にあり、自転車は、過去最重量です・・・。更に、余っていた中国の切手を使い切るべく、絵葉書と封筒を計4通送りました。これにて全ての用事が終了。

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写真1)カシュガル出発前に、立ち寄った最後の場所は、やはりココ。

 最後に、エイティガール寺院前の広場で記念撮影。時計を見ると午後2時(ウイグル時間12時)を回っていました。ちょっと遅いけど、出発!!午後8時の日没までに、80kmを走れるかな??目指すは、ウルチャットという小さな町!
 適当にカシュガル市街地を西に走り、静かな郊外の住宅街を抜け、勘を頼りに走っていると、大きな国道らしき道にあたりました。たまたまいた警官に「ウルチャットはどっち?」と聞くと、真北へ伸びる国道を指差します。ウルチャットまでは、北を迂回する国道と、北西に真っ直ぐの省道がありますが・・・、国道の方が走りやすいという風なことを教えてくれました。
 滑らかな真新しい舗装の国道を走り出し、走行10kmを越えたところで、嫌な予感・・・。進行方向が北から徐々に東よりになって・・・、ついに真東になりました。そういえば、この国道314号線は、カシュガルの北をかすめていたような・・・?カシュガル市街を西に走り出し、郊外に出たところで北に走り、更に東に走り・・・、カシュガル市街のすぐ真北に至りました。エイティガールから真北に来ていれば、3〜4kmの距離です。15km以上、無駄に走ってしまいました。はぁ〜・・・、今日のウルチャット到着は無理だな・・・。

 気を取り直して、国道を走り続けます。国道の料金所で、 「自転車通行禁止!」と止められましたが、そんなわけはない。今まで、止められたことは一度もありません。料金所のお姉さんは、新人っぽかったので、サイクリストを見たのは初めてなのかも?制止の指示を無視して、北へ。

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写真2)国道314号線。あれ・・・?東に向かっているような・・・

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写真3カシュガル郊外の北側には、ゴツゴツとした岩の山々が横たわっている。

 小さな峰を右手にみながら、徐々に進路は西寄りに。久しぶりの走りは、快調!!・・・・ではありません。やっぱり、運動不足ですね・・・。なんとなくペダルが重い。目では感じられない程度に、緩やかぁ〜・・・に登っているのですが、それを差し引いても、ペダルが重い・・・。
 走行30km地点で、ウルチャット・キルギス国境方面の分岐点に差し掛かりました。国道から、省道に入り、進路は真西へ。日が傾き、薄暗くなってきたところで、小さな町に至りました。探せば宿もありそうなところですが、夕食(ラグ麺3元)だけで、後にしました。15kmのロスがあるので、実質カシュガルから25km程しか進んでいないんです。もっと、走ろう!!
 いよいよ日が暮れた田舎道を、ライトの灯りだけを頼りに走ります。空には、2日目の弱々しい光を放つ、下弦の月。ライトの届く範囲のものしか見えないので、ゆっくりと走り続けました。
 午後9時を回り、テントを張る場所を探し始めましたが、なかなか見つからない。道の両脇には、何も植わっていない冬の畑が広がり、民家も点在しています。人目に付かない場所なんてない・・・。そもそも、この暗さでは、人目に付かないような場所は、私の目にも入らないんです。
 仕方なく、道路脇の木が多いところで隠れるようにテントを張りました。道路までは20mほどしかありません。テントを張った後、念のため、道路から見えないかどうか?車道に戻って確認。オレンジの派手なテントが、視界に入りますが、こんな何もないような郊外ですから、車はスピード出して走ってくるに違いありません。わざわざ停まってまで見に来る輩はいないでしょう?
 ・・・なんて思っていたら、目の前に現れた2台のバイク。乗っていたのは、若いウイグル人青年3人でした。あっちゃ〜・・・、車道で見つかっちまった・・・。「何ジンだ?何やってんだ?」などなど、陽気に聞いてきますが、冷たく返します。「頼むからさぁ、あっち行ってくれ。な!あっち行けよ!!」 テントが見つかると、厄介です・・・。
 ようやく3人を追い払ったところで、テントへ。たまに聞こえる車の音を気にしながら、寝袋に入っていると、車が停車した音・・・。続いて、何やらウイグル語が飛んできました。無視していましたが、パキパキと枯葉を踏む音が近付いてきます。慌ててテントから顔を出すと、さっきとは違う3人組の青年。テントを触ったり、自転車を触ったりしながら、私に色々質問してきます・・・。良くない状況です。中国語で、丁寧に状況を説明し、ここでキャンプをするから、静かに寝かせてくれと懇願します。が、興味深々な若者たちは、すぐには去りません。 

心 「わかったよ!!お前らが、行かないんだったら、俺がどっか行く!! ほら! テント畳むから、どいてくれ!!」
 本気でこの場を去るつもりで、テントの撤収を始めました。その方が良いの考えてです。彼らに悪意はありませんが、万が一悪意のある輩がテントを見つけたら?こんなに簡単に見つかるようでは、危険です・・・。テントのポールを抜いたことろで、青年たちは、何か自分たちが悪いことをしていると感じ始めたのか?私に謝りながら、「OK!OK!ここで寝て!ここで!」と言い始めました。彼らは立ち去り、また独りになってから、しばし考えた・・・。『まぁ、いいか。大丈夫だろう・・・』

 結局この場所でテント泊となりました。久しぶりの移動に、久しぶりのテント泊。深夜の気温は氷点下3℃でした。疲れと、緊張が解けた心の緩みで、深い眠りに・・・zzzZZZ

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写真4)翌朝撮影。この木々の一番向こう側にテントを張ってました。こりゃ、見つかるよね・・・。