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 2006年10月 

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仔牛も好きです 

仔牛も好きです☆

臆病なヤクに比べると、牛はいくらか度胸がありますね。

 度胸というよりも、好奇心かな?特に、仔牛は怪しいサイクリストにも平気で近づいてきて、ずっと着いて来ることさえあります。

 以前、雲南の山奥でキャンプした際、夜中に放牧の牛たちに睡眠を邪魔されたことがあります。牛たちにとってみれば、いつも何もない場所にテントが出現したんですから・・・、気になるのは当然でしょう。
 東チベットでは、生まれて1~2ヶ月の仔牛が、私の自転車の後を500m以上走って着いて来たことがあります。心配になって自転車を停めると、一緒に停止、母牛のところに帰る気配がないので、私がUターンして、仔牛を連れて帰りました

 同じ牛科の動物なのに、面白いですね。臆病なヤクと好奇心旺盛な牛。牛の場合、仔牛の時が一番無邪気なので、私は仔牛が大好きです

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写真)イヤリングをした可愛い仔牛。近づいても逃げない。 
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ヤクが好きです☆ 

ヤクが好きです☆大好きです。


写真1)ヤクの放牧

 チベットの光景に欠かせない動物がヤク。チベットの荒々しくも美しい大自然にホルスタインは似合いません
 放牧されているヤクは、とてもとても臆病で、主である遊牧民以外、近寄ることができません。20mほどの距離が限界、それ以上近づくと大慌てで逃げていきます。荷物満載の自転車で現れる私は、怪しさ満点なのでしょう。絶対に逃げ出します

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写真2)みんなコッチを見てる・・・。あと2~3m近寄ると、一斉に逃げ出します。

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写真3)川辺の草を食むヤク。そんなとこにいるんだから、俺は近付けっこないよ!そんなに警戒するなよ・・・。

 臆病なヤクさんたちですが、馴らされれば馴れるもんです。トレッキングや登山の荷役に使われるヤク、農作業や観光の見世物に使われているヤクは、近づいても平気です

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写真4)エベレストベースキャンプにて。重い荷物を背負わされて、ちょっと虚ろなヤク君。


写真5)エベレストベースキャンプにて。荷物の下の肌が痒いのか、荷物ごと角でゴリゴリ掻いているヤクさん。

 荷役として険しい岩山に入るヤクたちは、体も大きく立派なフサフサした毛のヤクが多く、貫禄十分ですが・・・、貫禄というより、可愛さの方がたっぷりです。なんだか皆、虚ろな表情をしていて、動きも散漫、ヤク使いたちが口笛や棒切れで誘導しながら歩くのですが、のっそのっそと歩く様は、なんとも和やかなものです。

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真6)水を飲む荷役のヤク。『ズズズズズォー!』っと大きな音がするから振り向いたら、ヤクでした。

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写真7)自分が食べる干草(山での食料)は自分で運びます。あぁ~っ!!他のヤクの干草食べてるよ!!

 そんなこんなでヤクが大好きです。フサフサした毛、大きな体、虚ろなお目目。きっと、日本でペットとして売り出したら、人気でると思うんですけどね。ちょっと、大き過ぎかな?

エベレストベースキャンプのゴミ問題 

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写真1)ベースキャンプの奥に聳える美しきエベレスト

 エベレスト山域への入域料(国家公園入場料)は、65元です。日本風に言うなら、国立公園の入場料ってとこでしょう。

 国立公園内にあるエベレストベースキャンプ。間近に神々しいまでに美しいエベレストを控え、美しい場所・・・、のはずです。

 が、足元を見てみると・・・

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写真2)ゴミ!ゴミ!ゴミ!!

 けっこう落ちてるんですよね、ゴミが。ビール瓶の破片。ビール瓶の蓋。ペットボトル。空き缶。ビニール袋。紙くず。

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写真3)こんなものも・・・

 ちょっと変わったゴミでは、羊の足なんてものも。これは、ゴミと言っても、ベースキャンプにいる野良犬が食べるでしょうから、まぁ、いいのか・・・

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写真4)おい!犬!昼寝してる場合じゃないぞ!あっちに羊の足が落ちてるぞ!


 さて、ゴミの話です。中国という国では、どこに行ってもゴミが落ちています。数十年前の日本がそうであったように、多くの人々はゴミをそこらへんに捨てることに何の抵抗もないようです。意識の問題です。捨てたゴミがその後どうなるか?というところまで意識がいかないのです。
 キャンプ主体のチベットでの移動中、私は自分が出したゴミは、必ず町まで運んでから捨てています。途中の小さな村なんかで、ゴミ捨て場らしき場所にゴミ袋を捨てると、そのゴミ袋は、ゴミ捨て場から、そのまま空き地や裏山に持って行かれて、捨てられます
 ゴミの問題は、途上国ではどこもででも目にします。意識が低いところでは、何が土に返って、何が土に返らないのかも、全く知りません。あちこちに散乱しているガラスの破片を見る限り、チベット人(チベット在住の中国人も含む)は、ガラスは土に返ると思っているのではないでしょうか。あるいは、全く意識なく、捨てているのかも。

 エベレストベースキャンプを訪れるのは、外国人観光客と都会の中国人観光客、そして、観光客目当ての仕事をしているチベット人。この中で、ゴミを捨てないのは外国人と半数程の中国人観光客。半数の中国人観光客とチベット人の多くは、ゴミを捨てることに抵抗がないように見受けられます。

 私が支払ったエベレスト山域の入域料は、何に使われているのでしょう?この地域で働く国家公務員(兵士・警備員・公園監視員)の給料でしょうか。それとも、中央政府が持って帰るんでしょうか・・・。もう少し、環境美化にお金を使って欲しいものです。

 中国に環境美化なるものを求めるのは、早過ぎるのでしょうか・・・。あと数年後、いや十数年後だったら、いくらか意識が芽生えているかも知れませんね。

エベレストベースキャンプの次は・・・? 

 9月4日の晩から、6日の昼過ぎまで、エベレストベースキャンプでのんびりしました。

 ベースキャンプの標高は5170m(諸説あり)、のんびり休養する高度でもありませんが、何てったってそこは、エベレストベースキャンプですからねぇ~、美しいエベレストの姿を拝むのには最高の場所です。

 5日は、のぉ~んびり。朝食は、英国人登山グループのコックさんから、ポリッジと紅茶をお裾分けしてもらいました。彼らのお客さんはというと、高度順応の為、5時間のウォーキングに行っているとのこと。数人のネパール人シェルパもそれに同行し、キャンプに残っていたのは、チベット人ガイドのアジャイ青年と、ネパール人シェルパのアショク青年の2人。彼らのキッチンテントにお邪魔して、紅茶を飲みながら語らいの時間。

アジャイ 「僕は、今回ベースキャンプでお留守番なんだ。」
アショク 「俺は、明日から同行。7000mはキツイよなぁ~」
心 「へぇ~、7000mまで登るんだぁ~!」
アジャイ 「僕はこの夏2回行ったよ・・・。もう今年は行きたいないね。」
心 「へぇ~・・・、大変な仕事だねぇ。」
アジャイ 「1m近い雪の中を歩くんだよ。」
アショク 「僕もあと何年かしたら、アジャイみたいに書類持ってベースキャンプ勤務かな。」
心 「えっ?君も山は苦手かい?シェルパ族が何言ってんだよ。」
アショク 「いいや、俺は平気だよ!」
アジャイ 「ところで、心は日本でどんな仕事したんだい?」
心 「俺は旅行会社。アジャイみたいな仕事もしてたよ。」
アショク 「んじゃぁ、アジャイはあと何年かしたら、自転車旅行家かな。」

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写真1)ベースキャンプの朝。アショクが写ってる。

 なぁ~んて話をしてたら、いつの間にかお昼を回り、時計は午後3時。アショクは夕食の準備に取り掛かりました。3時半には、英国人グループが帰ってきました。彼らは、明日(6日)から5日間かけて、ベースキャンプより先の登山ルートを歩きます。私も、この2つ先のキャンプ『キャンプ2』まで歩いてみたいのですが・・・
 この先を歩くには、正式な登山許可証が必要なのです。エベレストベースキャンプに来る為の『入域許可証』は65元でしたが、なんと、この先の登山許可証は、1日100ドルするそうです!!

 キャンプ2に行きたい・・・、標高6000mの世界を体験したい・・・。その旨をアジャイに話すと、「ここの国立公園監視員は皆僕の友達だから、タダで行ける様に交渉してみようか?」と。『ぜひ!お願いします!!アジャイさま!』

 翌6日、朝からアジャイが係員の友人のところに行ってくれました。20分ほどで帰ってきたアジャイ、開口一番「ごめん、タダにはならなかった」と・・・。1日あたり100元まで値下げしてくれたそうですが、私には1日100元(1500円)も高い・・・。監視員の目を盗んで、勝手に行っちゃうという手もありますが、自転車でキャンプまでやって来た私は、ちょっとした有名人になってしまっているようで、隠密行動も取り辛い。アジャイの顔も立てなきゃなんないし・・・。キャンプ2、標高6000mの世界は諦めることにしました。

 午前10時、キャンプ全体に日が当たり始めた頃、英国人登山グループのサポート隊が出発準備を始めました。登山客は夜明けと共に出発済みです。荷役のヤク10頭に、チベット人のヤク使い3人、後発のシェルパ3人。荷造りが終わったところで、お別れの挨拶。アショクは鼻歌交じりで元気に出発しました。それを見送る私と留守番のアジャイ。

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写真2)5日の夕方、1日遅れでベースキャンプに到着したヤクたち。
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写真3)荷物を載せられたヤク。

 さぁて、どうしようかなぁ~。標高6000mの世界は諦めなきゃいけないし・・・、もう1日ここでのんびりして下山するか・・・?いや、今日もう下山しちゃうか・・・?

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写真4)下ろう!フル装備の自右衛門号とエベレスト。

 午後2時、エベレストベースキャンプをあとにして、8km下のロンブク寺へ向かいました。ロンブク寺からも大きなエベレストが見れます。まだまだ1日エベレストが楽しめます。今夜も素敵な月夜のエベレストが見れるかなぁ~。

美しきエベレスト 

9月5日、凍てついたテントを這い出してみると、目の前に神々しく輝く純白の雪山!このシルエットは正しく、エベレストです!!

 雲ひとつない空に聳えるその姿は、世界最高峰に相応しい堂々としたもの。頑張って走ってきた甲斐があったな・・・。誰でも四輪駆動車で簡単に来れてしまう標高5150mのベースキャンプ、しかし自転車で日本からここまで走ってくるのは容易ではないでしょう?遅れてやってきた達成感に、思わず声が出てしまいました。

「来て良かったぁ~!!エベレスト最高☆」

 エベレストベースキャンプには、9月4日と5日の2泊しました。この間、一度も雲に隠れることなく、その美しい姿を見せてくれていました。頑張ってここまで走ってきた私への、山の神様からのご褒美だったのかも。


 以下、エベレストの写真を掲載します。EBCは、エベレストベースキャンプの略です。

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写真1)EBCより初めて見たエベレストの姿。

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写真2)やったぞぉ~!エベレストまで走ったぞぉ~!!

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写真3)ベースキャンプのテント街とエベレスト。

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写真4)幻想的な月夜のエベレスト

エベレストベースキャンプまで、ラストラン!! 

 9月4日、目覚めると、テントの内側には凍った結露。外に置いていた水も凍っていました。

 峠の斜面が朝日をさえぎって、標高5150mにいるのに、なかなか日が当たりません。ヒマラヤを見ると、朝日を受けたエベレストが真っ白に光っています。
 寒い中、ポリッジの朝食を摂っていると、早朝に新定日を発ったランクルが続々と峠に到着しました。英国人グループ(7人)にいろいろと聞かれている内に、テントにも日が当たり始め、大急ぎで出発準備。エベレストベースキャンプ(5150m)までのラスト・ランです。

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写真1)出発準備完了!

 峠の下りはグネグネと蛇のように曲りくねった、九十九折とは正にこの峠道を言うのでしょう!何回曲がっているんだろう・・・?グネグネグネグネと下り終えると、道は小さな川に沿った谷間に入りました。
 谷間を更に下ると、ヒマラヤの美しい展望はしばらくお預け。路面には、ランクルが刻んだ独特の波が・・・。一定感覚でどこまでも続くこの波(こぶ)は、容赦なく自転車を突き上げ、深い砂利がハンドルを取ります。なかなか手ごわい悪路・・・、しかし、あのヒマラヤを見た後ですから!ヤル気は十分!!1日で80km走って、今日中にエベレストベースキャンプに着くんだ!!

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写真2)これぞ!九十九折の道!!

写真3)谷間の道で、ヤギの横断を待つ。

 タシゾムという村で昼食の後、道は緩やかな登りに入りました。標高は4,500m台、すでに5000m級の峠をいくつも経験している私には、どうってことない高度です。息を切らさず、走れますが、ランクルには苦しめられました。誰でもお金と時間があれば行けてしまうのが、チベット側のエベレストベースキャンプ。9月上旬はまだ夏休みシーズン、中国人のみならず、世界中からの観光客を乗せたトヨタのランクルが、土煙を上げてすぐ脇を走り抜けて行くのです。
 少しでも減速してもらおうと、後方に手を振って合図しますが、気がつかない人たちは気がつかない・・・。全く減速することなく土煙を浴びせて、走り去って行きました。後部座席の人影を見ると、車内で私に向かって手を振っている・・・。『あのねぇ、手を振って挨拶した訳じゃないんですけど・・・』

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写真4)路面の波状のこぶ。走りにくいったらありゃしない!

 しばらく開けた谷間を走ってきましたが、午後5時を回り、エベレストから続く狭い谷間に入りました。進路は西よりから南よりに。谷間に入った途端、新たな障害が出現!向かい風です。ガタガタの悪路と強い向かい風、標高は徐々に上がって5000mまであと少し。一番大きなギアにして、ゆっくりゆっくり上り続けますが、大きな石にハンドルを取られ、20~30m毎に転倒しそうになる・・・。あぁ、シンドイ・・・。初めてではないでしょうか?『もう漕ぎたくない!今すぐここでキャンプしたい!』なんて思ったのは・・・。

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写真5)谷間の道を進む。徐々に標高は高くなる。

写真6)向かい風と大きな石にハンドルを取られ、フラフラと走行。

 午後6時を回っても、チベットの空は明々。広大な国土を有する中国ですが、時間は1つだけ。つまり、北京の時計が、中国中で使われているのです。チベットは、実際のところ、北京と2~3時間の時差があるので、午後9時近くまで空は明るいのです。長い長い夕方、ただ無心にペダルを回し続けていると、賑やかな場所に到着しました。ベースキャンプまで8kmのところにあるチベット仏教の僧院・ロンブク寺。ここから先、一般車両の乗り入れは禁止となり、一般観光客は馬車や徒歩でベースキャンプへと向かいます。時計を見ると、まだ7時前!行ける!!あと8kmだ!!
 最後の力を振り絞って、標高5000mのロンブク寺を出発。残すは8km、標高差は150mのみ。西日の射さない深い谷間を走り、最後の険しい坂を登り切ると、目に飛び込んできたのは、夏の間だけ立つテント街。食堂兼簡易宿泊所が20軒程並んでいまいた。ここがエベレストベースキャンプ!テント街の向こうに聳えているはずの世界最高峰は雲の中・・・、残念


写真7)ロンブク寺より先は、一般車両通行禁止。
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写真8)最後の登りがキツかったぁ~・・・

 ベースキャンプには、キャンプ・スペースとテント街があり、自前のテントを持っている私は、当然テント・スペースへ。10張りぐらいのテントが並んでいる草地の隅に自転車を停めると、「COCO!凄いな!今日着いたのか!!」という声。「ん?・・・誰?」
 今朝、パン・ラ峠で話した英国人登山グループのおじさんでした。彼らは、ここから更に先にあるアドバンスドベースキャンプ(7000m超)まで登るんだそうです。カトマンズ発のツアーらしく、スタッフは1人を除いて、残りの5人はネパール人シェルパ。さすが、登山先進国ネパール発のツアー!キッチンテントにダイニングテント、お客のテントも1人1張り。私がテントを張り終えると、温かいコーヒーとクッキーを差し入れしてくれました。夕食にも誘われましたが、自分で持って来た食材をここで消費しなくては、自転車が軽くならない旨を伝えると。「そりゃそうだ。」と納得した様子。食後、彼らのダイニングテントで紅茶を頂き、10時半、早々に寝床に潜り込みました。

 エベレストはまだ雲の中・・・。明日は見えるかなぁ~・・・

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写真9)エベレストBC到着時、世界一の高峰は雲の中。

ヒマラヤの展望台 

9月3日 朝から嫌なことがありましたが・・・、忘れましょう。(あぁ~・・・、イライラする・・・。)

 午後1時、新定日の分岐点まで戻り、『エベレスト山域入山許可証』(のチケット)を買いに行きました。国家公園事務所の立派な建物に入ると、エベレスト?かな・・・?というなぞのモニュメントが出迎えてくれました。
 チケットカウンターに向かい、チケットを購入。65元なり。通常、ランクルなどでエベレストベースキャンプに向かう場合、車両入域料400元(1台につき)も取られますが、私の愛車は排ガスを出さないので無料。
 窓口のおねぇさんに「今日、ヨーロッパ人のサイクリスト夫婦が来なかった?」と尋ねてみますが、「いいえ、自転車はあなただけよ。」とのこと。午前中に、マイヤ&マルセル夫婦がここに来ていないかと思って聞いてみましたが、彼らはまだ新定日に到着していないようです。

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写真1)出発前、宿で、ラサで会ったオランダ人サイクリスト夫婦に再会。ヤコブおじさんとエリーおばさん。
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写真2)エベレストって・・・、こんな形なの??

 チケット購入完了!さぁ、いよいよ世界一の高峰・エベレストへ向かいます。今日は、9月の3日、旅立ちから10ヶ月目の初日です。なかなか良い日じゃないですか!今朝のトラブルのイライラも吹き飛びました(後に再燃しますが・・・)。
 新定日の分岐点から舗装道路を走ると、すぐに検問所が見えてきました。『外国人旅行許可証』の提示を求められないかと心配しましたが、ここではパスポートのチェックのみ。もはや、旅行証は必要ないのかも
 検問を過ぎると、再び道はオフロードに。細かい小麦粉のような土が積もる路面からは、とんでもなく砂埃が上がります。トラックが通った時なんかは、もう地獄・・・。砂埃で全身薄っすら白くなった頃、ベースキャンプ方面への分岐点。まっすぐ国道を走り続けると、ネパール国境へと繋がっていますが、私は南へ。標高5150mの峠へ向かいます。

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写真3)さぁ、この先は峠!!

 程なく小さな村が見えてきました。その先には、険しい峠道。この峠、パン・ラ峠の頂上からは、エベレストを初め、ヒマラヤの高峰がずらりと見えるらしい。今夜は、この峠の頂上でキャンプします。村の入り口でチケットを確認された後、村の井戸で夕食と翌日用の水を確保し、峠道を走り始めました。
 右に左に右に左に、右に左に右に左に・・・、九十九折の坂道がどこまでも続きます。時折、前から観光客を乗せたランクルがやってきて、土煙を浴びせて走り去って行きます。たまに、停車して欧米人旅行者が「がんばれ!」「尊敬するよ!」「あと400mの登りだよ!」などの、励ましの言葉をかけてくれます。
 励ましの言葉は気持ちが良いもんですが、気分を害する旅行者も・・・急にランクルが停まるもんだから、何か声を掛けられるのかも?と乗客の方を見ると、ただ無言で私の写真を撮って、走り去っていく・・・。そんな観光客のほぼ100%が、中国人観光客!普段は気にならないのですが、今日は午前中に中国人青年ともめたので、無礼な旅行者の行いを流すことができません!

 「おい!待てよ!無礼な奴だな!!」 叫んでみても、ランクルは走り去って行きます・・・

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写真4)道はどこまでも登る↑
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写真5)3kgの野菜、1kgの米、6リットルの水を積んだ自転車は、いつもよりも重い!!

 日没間際、標高は5000mを突破。上を見ると、タルチョがはためいているのが見えます。あと少し・・・。あと少し・・・。日が当たらなくなった峠道には、冷たい風が吹き荒んでいました。あと少し・・・。あと少し・・・

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写真6)着いたぁ~!!5150mのパン・ラ峠頂上。18kmの登りでした。

 峠のタルチョの前で写真撮影の後、タルチョの下を潜って、反対側へ・・・。おっ!おぉ~!!峠の南側に出ると、目の前には純白のヒマラヤの山々が広がっていました。寄ってきた峠の土産物屋たちの声も耳に入らず、ただ出てくるのは溜め息と感動の雄叫び。

 スッゲェ~!!!

 標高7000m付近に薄い雲がかかっていましたが、エベレスト(8850m)やマカルー(8463m)、チョーオユー(8201m)は、頭ひとつ抜け出しており、西日を受けた山頂がキラキラと輝いていました。登って来て良かったぁ~!!早速、テント設営作業。峠の土産屋の子供たちが濾過器を渡して、飲み水を作らせて、私は野菜のカット。人参と玉葱タップリのインスタントラーメンを平らげた後、早々に寝袋に入りました>。『明日は、あの雪山の麓まで走るんだ。』疲れきっているはずなのに、妙に興奮してなかなか寝付けません・・・。

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写真7)日没後、西日を受けた8000m峰たち

くらしたかぁ~!! 

この書き込みは、愚痴みたいなもんです。あまり真剣に読まないで下さい。


 誰かを『くらしてやりたい!』なんて思ったのは、凄ぉ~く久しぶりのことです

 『くらす』とは、「暮らす」でも「クラス」でもなくて、博多弁で・・・、何て訳したらいいのかな・・・?『やっつける』って意味かな? う~ん・・・うまく標準語にあてはまる言葉を見つけられませんが、要は、鉄拳を見舞って相手に制裁を食らわすことです。

 9月3日、新定日(シェーカル)の町へと行きました。新定日は、エベレスト観光の拠点のひとつですが、町の中心は中尼公路から8kmほど入ったところにあり、普通、旅行者は立ち寄らない場所です。中尼公路沿いのジャンクションに、観光客向けの宿が立ち並んでいるので、わざわざ新定日まで行く必要もないのです。

 なぜ私が新定日まで行ったかというと、ネットカフェに行くため。新定日は、定日県の首府なので、ネットカフェがあります。エベレスト方面に向かう前に、必要な通信を済ませておかねば、この先2週間はネット環境がありません。

 8km走ってたどり着いた町のメーンストリートで、『網巴』の文字を探します。1軒見つけた後もしばらく町を流しましたが、どうやらあの1軒しかないみたい。その1軒の前に自転車を止めると、通行人が何人か寄ってきました。それを見た暇そうな子どもたちも寄って来て、7~8人の人だかりが・・・。このまま自転車を外に停めておくと、人を集めてしまいますし、盗難の恐れもある・・・。用心のため、自転車を担いでネットカフェの中まで入れちゃいました。
 店員は「外に出せ!」と何だか不機嫌そう・・・。「店内はこんなに広いじゃないか?邪魔にはならんだろう?」と店の隅に自転車を停めて、店先の人だかりを散らしに行きました。店内に戻って来ると、店員から驚きの言葉が!?

店「1時間20元!」

心「何が20元?」

店「インターネット!」

心「そんなわけないだろう?ラサもシガツェもラツェも3元だったよ。ここが辺鄙な場所なのは解るけど、せいぜい出せても5元だね!」

店「払えないんだったら、ラツェに行きな!うちは20元なんだよ!」

 腸が煮えくり返りそうな物言いですが、ここはグッ・・・ッと我慢して、「わかった10元出してやろう!」と歯を食いしばりつつ、PCを扱い始めました
 30分ほどで大方の通信を済ませ、ふと店員の方を見ると、他の客が支払いをしているところでした。近くに寄って行って、支払いの様子を見ていると、3元しか払っていない・・・。その客は、私よりも先に来て、私よりも長く使用していたことは明らかです。怪訝な顔をしている店員を無視して、親機(ネットカフェ全体のPCを管理している親機)の画面を見ると、1時間3元の表示が!?

心「ほら!3元って!」
店「20元!!」
心「いや、おかしいって!お前数字読めるか?ほら、3元って!サ!ン!クワィ!チェン!!」
店「20元!!」


 はい、はい、はい、はい、はい、はい・・・。何かが切れた感じがした後は、大声での怒鳴り合いに発展。相手が手を出してきたら、鉄槌を見舞うつもりで構えていました。そしたら、このクソガキ!自転車のハンドルバッグを叩きやがった!

 ゴングは鳴りました。さぁ、左で軽いジャブから、右ストレート!なんて考えていたら、目の前に割って入った緑色の服。人民解放軍の兵士です。チベットの田舎のネットカフェには、解放軍兵士がウジャウジャいます。故郷の友達や家族や恋人とチャットをしているんでしょう。あれよあれよと2~3人の兵士が仲裁に入ってきました。邪魔すんなよ・・・、俺は今からこの金にガメツイ小僧をくらしてやるところなのに。

 兵士に止められようが、その後公安に取り調べを受けようが、そんなことはどうでも良かったのです。とにかく、このナメたガキに鉄槌を食らわしたかった・・・。

 のですが、騒ぎが大きくなりすぎて、店の前にも人だかりができていたので、徐々に我に帰ってきました。結局、請求金額の12元(正規料金の4倍)を払い、イライラしたまま店を後にしました。
新定日を後にして、エベレスト方面へ30kmほど走り、『俺もまだまだ修行が足りんなぁ・・・』などと反省し始めた時、ハンドルバッグの異変に気が付きました!バッグの上面にマジックテープで付けられるようになっているマップケースが裂けてる!!あのクソガキが叩いた時に裂けたのです。このマップケースは、クリアファイルを加工して昨晩作ったばっかりの新品・・・。

 あんのクソガキぃ~!!やっぱり、くらしとけば良かった!!

中尼公路最高/ラクパ・ラ峠越え 後編 

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写真1)着いたぁ!!ラクパ・ラ峠、5250m!!

 峠には、大きなゲートがありゲートの両脇にタルチョが沢山はためいていました。ゲートをくぐったところで待っていたのは、同じ赤い登山ジャケットを着た30人の欧米人グループ。
 2列に並んだ出迎えの列の真ん中を走り抜け、停車すると囲まれました。この人たちは、英国からチョーオユ(8201m)を登りに来た登山隊で、峠の頂上手前で私を追い抜いた数台のランクルの乗客たち。英語で質問の嵐です。数人と20分程度、のんびり語らった後、登山隊同行のドクターが、唐突に私の指を掴んで、パルスオキシメーターを挟みました。

「90!?凄い!この標高で90もある!!」

 何が『90』かというと、血中酸素の濃度の数値です。単位は判りません。パルスオキシメーターというのは、指先に挟むだけの小さな装置。心拍数や血中酸素濃度を測る機械です。私が以前勤めていた『西遊旅行』の登山・トレッキングツアー、高所へ行くツアーでは、必ず添乗員が携行していました。私はこれを使うような高所ツアーに縁がなかったので(私の担当は砂漠でしたから。)、この数値がどういうことを示しているのか、よく判りませんでした・・・。

心 「90だと、どうなんですか?」
Dr.「さっきから、うちのアタック隊のメンバー全員の数値を調べてるんだけど、皆、君よりも数値が低いんだよ。アタック隊は、これから数日かけて高所に順応して、君ぐらいの数値にもっていくんだ。」
心 「つまり?」
Dr.「君は、私たちの隊と一緒にチョーオユに登れるってことだよ。」
心 「えっ?連れてってくれるんですか!?」


 チョーオユに登れる訳はありませんが、このドクター(多分、リーダー)は、私をチョーオユベースキャンプまで招待してくれました。標高6000m超の最終キャンプまででも、ついて来て良いとのこと。しかし、チョーオユのベースキャンプは、目指すエベレストベースキャンプから3~4日の距離。おまけに、そこから先まで同行するとなると、10日程度の時間を見なければならないでしょう・・・。どうしようかなぁ~・・・、本格的な登山したことないしなぁ、やってみても面白いかも・・・。

心 「行くかどうかは、エベレストBCに行った後に考えます。ありがとう。」
Dr.「君みたいな、冒険者は大歓迎だよ。」


 峠で写真撮影と一休みをしている間に、英国チョーオユ登山隊の皆さんは、ランクルを連ねて行ってしまいました。「さぁて、俺もそろそろ行こうかね!」

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写真2)ラクパ・ラ峠頂上付近。
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写真3)峠にいたチベタンの子供たち。

 峠を出発したのは、午後3時半。ここまで30kmちょっと走ってきましたが、この先は、50km、オフロードの長ぁ~い下り。峠の頂上から、緩やかな下りに入ります。路面は相変わらずのガタガタ。もしもこれが50km全部舗装道路だったら・・・、1~2時間で新定日(ニューティンリ)に到着できるのでしょうけど、ガタガタなので4時間近くかかりそう。
 路面の石に注意を払いつつも、周囲の風景に目を奪われます。なんとも素敵な風景。道の傍には、綺麗な透き通った川が並走し、その向こうには険しい岩山、更に奥には綺麗な雪山。しかし、その美しい光景を楽しみ過ぎると、転倒の恐れアリ・・・。峠の下り道には、道路工事の区間が延々と続いており、古い砂利舗装の両脇を、コンクリで固める作業の真っ最中。コンクリの壁(枠)ができあがると、路面に砂利を入れて均し、最後にアスファルトを入れるのでしょう。

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写真4)こんな感じの作業現場が延々と続きます。

 作業員たちに手を振りつつ走ること20kmほどで、作業員たちもいなくなりました。道は、緩やかぁ~な下り。傾斜が緩やか過ぎて、漕がなければ進みません。路面からは、石の『小さな突き上げ』と、路面全体が波状になった『大きな突き上げ』の2種類の振動があり、走行速度は上がりません。時速15km以下で、のんびり走り続けます。

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写真5)西日が射し始めた頃、そろそろ下り終わりかな?

 さすがに標高5250mの峠を越えただけとあって、大した走行距離でもないのに、クタクタです。走行70kmを過ぎたあたりで、ようやく下り終わったようです。平坦になった道を更に数km走り、午後7時半に新定日に到着。正確に言うと、新定日は、中尼公路から7km入ったところにあり、私が到着したのは、その分基点。
 新定日は、エベレストベースキャンプ観光の基点のひとつ。分岐点には、観光客向けのゲストハウスが立ち並び、立派な宿場町となっています。商店などはあまりありませんが、一般の旅行者には必要十分の設備が整っています。私は、キャンプ用食料の買い出しと、ネット通信の為、新定日の町まで行く用事がありますが、この日はもうエネルギー切れ。7kmの距離ですが、走れません。分岐点の宿にチェックインして、明日の午前中、新定日へ行くことに。

 ラクパ・ラ峠越え、やはり1日で80kmを走りきるのはシンドかった・・・ 

中尼公路最高所/ラクパ・ラ峠越え 前編 

 9月2日、ラツェを出ると国道318号線は南にカーブし、海抜5250mのラクパ・ラ峠へと続いています。

 中尼公路とは、中国とネパール(中国語一文字で書くと『尼』)を結ぶ道のこと。海抜5250mというと、現時点での私の最高到達高度になります。ラツェの標高が4000mぐらいなので、1250m登ります。
 朝8時半、早めに出発準備完了。今日は、80kmを走って新定日(ニュー・ティンリ)を目指します。厳しい峠越えがあるので、早めに出発です。宿を出る前に、マイヤ&マルセルに声をかけようと思ったら、マイヤが私のところにやってきました。「マルセルが熱っぽいから、私たちはのんびり行くわ。」とのこと。冷たい早朝の空気の中、ラツェの町を後にしました。

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写真1)ラツェの町外れ。9月初旬は、もう秋の気配。

 ラツェから5kmほどで、国道318号と219号(カイラース、アリ方面)の分岐点。分岐点には警察の検問所がありますが、検問をしている様子もない・・・。そしらぬふりして検問突破しちゃいました。左手に折れると、すぐに道は緩やかな登りになりました。このあたりはまだアスファルト舗装。快調に登って行きます。

 検問から12kmほどで、アスファルトの舗装がなくなってしまいました。どうやら、ラサから続いたアスファルト舗装は、ここで終わりのようです。この先、エベレストベースキャンプ、カイラース方面はほぼ未舗装道路。過酷なチベットサイクリングの始まりです

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写真2)舗装が切れた先は、現在舗装工事の真っ最中。

 舗装工事は、アスファルトを入れる1つ前の段階。平らに均した砂利の路面の上に、粘土質の土・砂利を敷いて、ローラーで均した道で、未舗装とはいえ、走りやすい。このままこのような路面が続いてくれれば良いのですが・・・・。
 やはり無理でした。走りやすい未舗装道路は3kmほどで終わり、ガタガタの悪路になりました。時折、砂利にハンドルを取られながらも、ゆっくりゆっくり登り続けていると、前方に停車した車の列。車列の脇を通って、前に出ると、工事現場の誘導員みたいな人に止められました。「危ないよ!」って・・・、「何が?」 しばらく様子を伺っていると・・・、 「どぉ~ん!どぉ~ん!!どぉ~ん!!!」と発破の音!?

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写真3)前方で崖の爆破作業中。

 4~5発の連続爆破が、30秒間隔ぐらいで、何度かありました。静かになったところで、待たされていた車が一斉に走り出しました。7~8台の車が巻き上げる土煙が治まってから、私も発進!!100mほど走ったところで自転車を停め左手を見ると、山の斜面が抉られています。が・・・、道路の建設に邪魔になる山でもないし、道路敷設作業に必要な石を掘り出しているのかも。
 なんとなく納得できたところで、再びペダルに足を掛けると!?

 「どぉ~ん!どぉ~ん!!どぉ~ん!!!」

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写真4)えっ!?

 また発破が始まりました。轟音の直後、私の周囲から聞こえる小さな音「バラッ!バラッ!バラッ!」。弾けた石が降り注いでいるのです。大きさは、豆粒サイズのものから、みかんぐらいのサイズまで!?おいおい!危ないよ!!
 石の雨の中、急いでその場を逃げ出しました。200m程走ると、工事現場の作業員たちの宿泊用テントがあり、そこから顔を出してる連中が、ニコニコしながら私を見ています。おぉ~い!!発破再開する前に教えてくれよ・・・

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写真5)トラクターで峠を越えていたチベタンたち。

 テント通過後、再び発破が始まりました。トラクターでやってきたチベタンたちは、車両停止線(線なんてないけど)にトラクターを停め、荷台の人々は崖に身を預けて、石の雨から身を守っています。でも、このあたり・・・、石降ってないよ?見てると、空に石を放り投げて、仲間同士で遊んでるみたい。無邪気な大人たちです。

 発破作業の工事現場を過ぎると、徐々に視界が開けてきました。どうやら、ラクパ・ラ峠は緩やかな頂のようです。標高は5000m間近、5000mを越えると、そこから先は、私の最高到達高度を更新し続けます。5050mで一旦自転車を止め、あたりを見渡すと、『おぉ~!遠くの山まで見えてる!!』 西の方、かなり遠くの山々まで見えています。空を見上げると、すぐ近くを流れている雲。いつも思いますが、手を伸ばせば届きそう・・・。届くわけないだろうけど、ちょっと大きなクレーン車でもあれば、届くんじゃなかろうか?
 峠の頂まで最後の数kmは、緩やかな登り坂。時折、後ろからやってくるランクルに手を振りながら、のんびり雲を楽しみつつ、登って、登って、登って・・・

 後編へ続く

ラツェの宿で 

9月1日、シガツェ~ラツェ(拉孜)の移動2日目。

 テントを畳んで、のどかな田園風景の中をしばらく走る。走行35kmあたりで、ユロン・ラという4500mほどの峠に差し掛かりました。峠の上り始めですでに4000mを越えているので、登るのは300mほど。大したことありません。峠道は、舗装工事の途中で、車は30~40分毎の片側交互通行。しかし、自転車の私は関係ありません。グングン登って、ギュンギュン下る!!
 峠の反対側も、のどかな田園風景。更に30kmほどを走って、ラツェという町に到着しました。ラツェの宿は、『西蔵拉孜農民旅館』。マイヤ&マルセル夫婦が教えてくれた宿にチェックイン。

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写真1)西蔵拉孜農民旅館。チベットの一般的なホテルは、このような作りです。

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写真2)西蔵拉孜農民旅館。入り口を潜ると駐車場。それを囲むように部屋が並びます。

 宿に到着すると、いつもの作業。テント、寝袋の天日干し。洗濯。食器の洗浄。それらの作業をしていると、階上のテラスから、聞き慣れたドイツ語の会話が聞こえてきました。あれ?この声は・・・
 マイヤ&マルセル夫婦でした。彼らは、私よりも1日早くシガツェを出発しましたが、彼らは途中のサキャという町に寄ってきたので、この宿に到着したのは私と同じで今日。

 どうやら、この先も、エベレストベースキャンプまでは、マイヤ&マルセルと同じペースでの移動となりそうです。

かくれんぼ 

 チベットでのキャンプは、ところにより、テントを張る場所に苦労します。

 自転車旅行でいうキャンプは、レジャーではなく、単に、夜を明かす為のものです。まぁ、ある意味最高のレジャーですが

 防犯対策の為、テントは人目に付き難い場所に張るのが定石です。これは万が一の話ですが、モノを盗む目的でテントに近づいてくる怪しい人がいるかもしれないでしょう?まぁ、そんな輩はチベットには殆どいないだろうと思いますが。

 日没前、テントを張る場所を探します。理想的な場所を求めて、5~10kmほど自転車を流しながら、あたりをキョロキョロ。幹線道路から見えなくて、水のあるところがベストなんですけど・・・。中央チベットの幹線道路沿いは、民家や畑が多く、人目に付かない場所はなかなかない。ましてや、川の近くには、地元民も集まり易い・・・。

 チベットでは、テントが見つかると、ほぼ確実に地元民の訪問を受けることになります。幹線道路から1~2km離れていたって、関係ありません。「あっ!あれなんだろう?」と思うのでしょう、きっと。地平線の彼方からテクテクテクテク歩いてきます。大抵は、子供が始めに見つけます。ヤク飼いや羊飼いの子が多いかな。広い草原で暮らす彼らにとって、見慣れないオレンジのテントが好奇心を擽らない訳がない・・・。

 テントにやってきた彼らは何をするのか?特に何もしません。ただじっとこちらの様子を観察しています。交わす言葉は、初めの「タシデレ」ぐらい。テントの設営時や撤収時の場合は、手伝いたがる子供もいます。私はそういう時は、自由に手伝わせています。が、ただ静かに観察されるのは苦手です。

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写真1)8月31日、幹線道路から200mほどの小さな岩山の陰にテント設営。
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写真2)夕食はインスタントラーメンで済ます。この夜は、チベタンの訪問者なしでした。

テントに地元民がやって来た時のエピソードはこちら→
『ラサへの道!!/4日目』http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/blog-entry-355.html
『ラサへの道!!/5日目』http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/blog-entry-358.html
『シガツェ~ギャンツェ間バス移動』http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/blog-entry-433.html

 一見、誰もいなさそうな山岳地帯・草原なんですけどね・・・。誰にも見つからずに夜を明かすのは、けっこう難しいものです。 

国道318号線 

8月31日 タシルンポ寺見学後、午後1時にシガツェを出発。真新しい舗装道路を軽快に走行!

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写真1)滑らかな路面を軽快に走行!

 ラサからシガツェ、ラツェを経て、ネパール国境の町・ダムと続く、この道路は国道318号線。私が東チベットのマルカム(雲南・西蔵公路と四川・西蔵公路の合流点)からラサまで走った道の続きです。
 シガツェを出てしばらく、緩やかな起伏のある土地が続きました。道路は、標高差50mぐらいの短い登り下りを繰り返し、谷間の小さな平地を結びながら、西へ西へと伸びています。

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写真2)トラクターと3kmほど並走。登りで追い抜かれ、下りで追い抜く。

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写真3)8月のチベットは少雨ながらも雨季。こんながけ崩れも。

 シガツェから50kmを過ぎた辺りで、道路脇にある大きなモニュメントに気がつきました。

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写真4)国道318号線、上海人民広場から5000km地点のモニュメント。

 この国道、なんと!上海の中心部にある人民広場から、延々5000km、チベットの奥地まで延びているのです。まぁ、中国は世界で3番目に広い国土を持つ国ですから、数千kmの長さの国道なんて、他にもいくつかあるでしょう。ただ、この国道318号線は、ある意味で特別な国道でもあります。その特別な理由は、以前、西遊旅行の元・同僚、飯島さんから聞きました。

 この318号線は、世界最先端の都市になりつつある上海から始まり、内陸中国の大都市・重慶市を通過し、四川省を横切り、チベットを横断し、ネパール国境まで延びているのです。もしも、この道を東から西に、ゆっくりと、人々の暮らしを観察しながら走っていくと、現代中国が全て(は言い過ぎかな?)が見れます。
 世界一発展著しい都市・上海。沿岸部と内陸部の経済格差の拡大。内陸部の開発の旗印である重慶市。最貧省として多くの出稼ぎ労働者を送り出す四川省。独立運動の抑制に一応の成功を収め、西部大開発の大号令の元、中国経済への摂り込みが進むチベット。それら全てを見ることができます。中国の全てではありませんが、中国が抱える問題の多くを見ることができるのは、間違いないでしょう。この道を走れば、中国研究の論文が何本も書けちゃいます。

 国道318号線、興味がある方は、上海からチベットまで5000km、自転車でのんびり走って見てください。たったの5000kmです。3ヶ月もあれば走り切れますよ


タシルンポ寺で感じたこと 

 8月31日 シガツェの街には、3泊(8/28~30)しましたが、街のシンボル的存在・タシルンポ寺をまだ訪れていません・・・

 シガツェでは、丸2日パソコン作業に費やし、大半の時間を宿とインターネットカフェで過ごしていました。食事以外で出かけたのは、シャワー屋とスーパーだけ。それでは、シガツェの街を去ることができません。タシルンポ寺に行かなくては!

 タシルンポ寺は、チベット仏教ゲルク派6大寺のひとつで、座主は、パンチェン・ラマです。(パンチェン・ラマの説明は、こちらhttp://whereiskokoro.blog34.fc2.com/blog-entry-387.html) 1989年に亡くなったパンチェン・ラマ10世は、中国中央政府に協力的な立場を取っていた(取らされていた)為、このタシルンポ寺は、文化大革命の騒乱の最中も、破壊されずに残りました。現在、チベットにある大僧院の中で、破壊されずに残っている、数少ないお寺なのです。
 31日の朝、早めに出発の準備を整え、自転車に荷物を搭載した状態でレセプション裏の部屋に置かせてもらい、カメラだけを持って宿を出ました。宿からタシルンポ寺までは、歩いてすぐ。正面入り口前には、中国人観光客がウジャウジャといて、そのドサクサ紛れで、門を潜ろうと思いましたが、チケット係りに止められてしまいました。どうも、最近の私はチベット人に見えないらしい・・・

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写真1)タシルンポ寺。正面入り口から。

 チケットを買って、中に入ると、大小様々な建物がギッシリと並んでいます。巡礼路に従って、まずは、一番左手の大弥勒殿(世界最大の弥勒仏があるお堂)へと向かいます。その途中の参道で、キラキラと綺麗な装具で飾られた白馬を引いたおじいさんに遭遇!おじいさんも綺麗に正装しています。なにやら興味を惹かれて、おじいさんに着いて行くことに。狭い路地を早足で歩くおじいさんと白馬。周囲の建物に気を取られているうちに、見失ってしまいました・・・、残念。一体、あのおじいさんは何しに来た人なんでしょう?巡礼者にしては、派手過ぎです。

 派手なおじいさんを諦め、再び大弥勒殿へ向かいます。カメラを首から提げていますが、お堂の中では撮影できません。このタシルンポ寺のお堂では、『撮影禁止』ではないのですが、『カメラ撮影料800元』なんて、とんでもない金額が提示されいるので、実際のところ撮影禁止同然です。こんな金額払う人がいるわけない!

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写真2)巨大弥勒仏。

 大弥勒殿に入ると、高さ26.7mの超巨大な弥勒仏の座像が!でかい!!とにかくでっかい!!撮影禁止ですが、隣に立っていた中国人が写真撮っていたので、私も撮っちゃいました。ちなみに、弥勒仏は、チベット語では『チャムパ』といい、仏様が亡くなって56億7千万年後に、この世に現れるという未来の仏だそうです。私は仏教徒を自称していますが、そこらへんの教義にはあまり詳しくありません。釈迦牟尼、仏陀の言葉は受け入れやすいのですが・・・。

 巨大弥勒仏の後は、小さなラカン(お堂)を覗きつつ、パンチェン・ラマ10世の霊塔殿へ。この霊塔は、パンチェン・ラマ10世の死後、中国政府の援助(黄金を500kg寄進!)で完成した煌びやかな霊塔です。絢爛豪華な霊塔殿内部は、仏教絵画の最高傑作が壁一面に描かれています。この10年ぐらいで再建されたお堂や壁画を沢山みてきましたが、それらに描かれていた仏画に比べて、完成度が高いことは素人目にも明らかです。最高の絵師がこの霊塔殿の壁画制作に携わったのでしょう。

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写真3)パンチェン・ラマ10世霊塔殿内部。撮影禁止ですが・・・。

 10世霊塔殿の後も、小さなラカンをいくつか覗いて、4世霊塔殿、1~3世霊塔殿、5~9世霊塔殿と回りました。さすが、破壊されていないお寺とあって、それぞれの建物内部は、良い感じに煤けていて、見るからに古く、ありがたく見えます。最後の5~9世霊塔殿は、1989年にパンチェン・ラマ10世が落成法要を行った霊塔殿で、パンチェン・ラマ10世は、この法要の場で「チベットは過去30年間、その発展のために記録した進歩よりも大きな代価を払った」との中国政府批判のスピーチを行い、その5日後に心臓発作で亡くなりました。まだ50歳だったそうです。

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写真4)5~9世霊塔殿と、その前の中庭。

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写真5)5~9世霊塔殿の中庭脇に掲げられた書。『護国利民』書いたのは、江沢民・前国家主席。

 全ての霊塔殿を見終わった後、僧院裏手の斜面に登り、シガツェの町並みを眺めながら、パンチェン・ラマ10世という人物について、少し考えました。ダライ・ラマ14世同様、彼もまた激動のチベットの中で、故国の為、チベットの人々の為に、心血を注いだ人物です。晩年は、環俗し子供も儲けた彼ですが、チベット人の彼に対する信仰は変わりありません。しばらく風景を眺めた後、再び、パンチェン・ラマ10世の霊塔殿に向かいました。今度は、静かに手を合わせて、静かにお寺を後にしました。

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写真6)僧院裏手の斜面より、シガツェ市街を望む。

 タシルンポ寺・・・、絢爛豪華で真新しい霊塔があり、かつ歴史を語る古いお堂があり、中国政府の「チベット人の機嫌取り」があり、かつ、チベット人の「本当の信仰」がある、とても印象的な場所でした。

ギャンツェからシガツェへ戻る 

 8月28日 シガツェ~ギャンツェの移動はミニバスでした。帰りは走って帰ります。

 9時に目覚めました。寝坊です!!なんてことでしょう。『8時半頃起きるだろうから、9時頃一緒に宿を出て、朝食を摂ってから走り始めよう。』と、マイヤ&マルセルに提案したのは、私です・・・。「ごっめぇ~ん!!寝坊しちゃった!!あと20分ちょうだい!」
 大慌てで朝の身支度を整え、自転車に荷物を搭載し、出発の準備が整ったのは、9時半。30分の遅れです。マイヤ&マルセル夫婦と一緒に宿を出て、町の中華食堂で中国風に包子(ポウズ)とお粥(シーファン)の朝食。サイクリストは朝からモリモリ食べます。午前中の走行に必要なエネルギーを摂取しないとね。

 朝食を済ませ、走り始めると別々に。私が前を走り、途中で休憩をしているとマイヤ&マルセルが追い付いてくる、というお決まりができつつあります。ギャンツェからシガツェ方面へは、町を出て7kmの未舗装道路。舗装道路もあるのですが、その道に通じる橋が架け替え工事中のため、未舗装の道を走らねばならないのです。ガタガタの悪路ですが、嫌ではありません。これが何百キロ何千キロも続くのなら、ウンザリでしょうけど、たったの7kmです。ニンチュ(川)を渡り、小さな村を通過すると、キレイな舗装道路に出ました。

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写真1)未舗装道路を走る。

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写真2)村外れの光景。

 舗装道路になったところで、マイヤ&マルセルが追い付いてきました。ここからシガツェまでは90km弱。時速20km近くで走れるから・・・、5時間ぐらいかな。ってことは、途中で昼食の休憩が必要だ・・・。「どこか適当な食事場所を見つけたら、休憩にしよう。」とてもアバウトな約束ですが、彼らとはいつもこんな感じ。いつものように、独りで走り始めました。
 峠のない平坦な90kmです。見通しの良いところでは、2~3km離れていたって、お互いの姿を確認できます。常に私が1kmほど前を走るかたちで、30~40kmを走りました。たまに、トイレや写真の為に停車すると、遥か後ろに2人の姿が見える。40km過ぎのパナムという町で、一旦彼らを待ち、休憩するかどうかを確認。まだ時計はお昼前、「まだ大丈夫!」ということなので、再び走り始めました。

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写真3)ここいらの麦畑は、今が刈り入れ時期。

 正午を回り、マイヤ&マルセルのエンジンがかかってきたのか、今度は私が彼らを追いかける格好に。やはり、2人で交互にシールド(風除け)をこなしながら走る彼らは、舗装道路の高速走行では、私よりも速いようです。時速25km以上をキープしたまま、グングン走っています。徐々に私のエネルギーが切れてきて、追いかけるのがシンドクなってきた時、急にマイヤ&マルセルが停車しました。「お腹ペコペコ」と、マイヤ。「いつも初めにお腹が減り始めるのは、マイヤだな。」と、マルセル。
 食堂も商店も何もない場所で、昼食となりました。それぞれ、かばんに入っているパンや干し杏、干し肉、ビスケットを出し合って、軽い昼食。食後は、また元気に走り始めました。午後になり、追い風が吹き始め、走行速度は30kmに。元気に走って、午後3時過ぎにはシガツェの街に着きました。朝食を済ませてから、シガツェ到着まで5時間15分でした。昼食休憩も含めてこの時間だから、かなりのハイペースです。
 3人揃って、シガツェの宿探し。マイヤ&マルセルは、チベットを西から走ってラサまで行っているので、この街は一度泊まっているんだろうと勝手に思っていましたが、前回は素通りだったらしく、宿には泊まってないとのこと。ガイドブックを頼りに、メジャーどころを当たりますが、どこも高い!ドミトリーで最低でも40元、ダブルルーム希望のマイヤ&マルセル夫婦は、120元から。ブーブー言いながら、宿を探し回っていると、偶然通りで、ラサで会った日本人ツーリストに再会しました。彼らが泊まっている宿がどうやら安そうなので、その宿へ。ひとりあたり35元と、特別安い訳ではありませんが、バスルーム付きのホテルだったので、ここに決定!!
 
 ギャンツェ~シガツェ、結局96kmを走ったというのに、あまり疲れていません。全く登りがなかったし、追い風もあったしなぁ~。楽な1日でした。

現在、カシュガルへ向けて走行中!! 

 10月20日、予定以上に長居したアリ(阿里)を出発!!現在、新疆ウイグル自治区の町・カシュガルを目指して走行中です。

 2週間ちょっとで、1300km離れたカシュガルに到着の予定です。3ヶ月間旅してきたチベットともお別れ・・・、ちょっと寂しいな。

 チベットと新疆の境には、『アクサイチン』という海抜5000mの無人地帯が広がっています。海抜4000~5000mの地域では、すでに朝晩の冷え込みは氷点下!アクサイチンは、マイナス10℃を切っているという話です。寒さにはいくらか耐性がありますが、マイナス10℃以下でのテント泊はナカナカ厳しそうです・・・。

 本日(10/20)以降、2週間はネット環境がありません。ブログのエントリーは、10月24日まで自動更新されますが、それ以降は1週間ほどエントリーが止まります。また、メール等の通信はできませんので、ご了承下さい。

 では、チベット高原最後の難所・アクサイチンを無事に抜け、まだ暖かいタリム盆地のカシュガルまで、元気に走りまっす!!

ワールドJOINT倶楽部10月号、本日配布開始!! 

お知らせ

私の旅行記[伊東心の心の旅]を掲載して頂いているワールドJOINT倶楽部の10月号が本日20日、配布開始です

今回の[伊東心の心の旅]は、雲南省-チベット/ラサの部分です。九州の皆さんは、冊子をゲットしましょう!! 入手可能な場所は、ホームページでご確認を。九州以外の地域にお住いの方は、ホームページから紙面をダウンロードできます。ホームページはこちらhttp://www.worldjc.com/wjc/default.html

今回の号には、私の大学の後輩/山本泰江さんの記事も載っています。山本さん、私のブログ見てたら連絡下さい!!


ワールドJOINT倶楽部は、偶数月の隔月発行でしたが、11月より毎月発行になります。私の旅行記の内容も2倍に濃くなるということです。


それでは皆さん、ワールドJOINT倶楽部2006/10月号、見てくださいまし。

古き良き町・ギャンツェ 

 8月27日、のんびりギャンツェの町の観光

 だらだら寝るつもりが、8時に起きちゃったので、町の食堂で朝食を済ませ、朝から自転車のメンテナンス(後リムの振れとり)と洗濯、キャンプ用品の天日干し。一通りの仕事が終わった頃、隣の部屋のマイヤ&マルセル夫婦が起きてきました。

マイヤ 「今日はどうするのCOCO?」
心 「やっつけ仕事は済んだから、昼ごはん食べてお寺とチベタンの旧市街を見てくるよ。」
マイヤ 「私たちもそうするつもり。ひとまず私たちは朝ごはんね。」

 5日前から一緒の彼女たちですが、お互い気ままに行動し、無理して一緒に行動することなく、ちょうど良い距離を保っています。自転車で走る時は、自分のペースで走れるし、町歩きも自分のペースでできる。食事やお茶の時間は、3人一緒にのんびり。こういった旅仲間が理想的ですね。

 さて、町歩き。カメラだけ首にぶら下げて、ギャンツェの町を歩き始めました。ギャンツェの町の中心には、ギャンツェ・ゾン(城)という険しい岩山に立つ城砦があり、その北西には、パンコル・チューデという大きなお寺があります。ギャンツェ・ゾンの北西がチベット人街、南東が中国人街、とクッキリと町が色分けされており、チベット人街は、チベットの伝統的な家屋が立ち並んでいます。チベットらしい雰囲気が残る、とても素敵なところです。
 チベット人街を抜け、パンコル・チューデに到着。この寺は、ギャンツェ・クンブム(パンコル・チョルテン)と呼ばれる巨大な仏塔で有名。寺の門をくぐって、入場料を払うと、ひとまず本堂へ向かいました。

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写真1)寺の庭には犬が沢山!数十匹いるんじゃないだろうか?

 本堂の中は、薄暗く、場所によっては手探りをしないと歩けないほど。懐中電灯を持ってこなかったことを後悔しましたが、もしかしたら、持ってきていても使わなかったかもしれません。本堂の各ラカン(お堂)には、バター灯明の仄かに明るい光が揺らめき、その軟らかい光の奥に、仏像や菩薩像が静かに鎮座しています・・・。ここの本堂は、文化大革命の時も破壊されなかったらしく、古い建物がそのまま残っているのです。しばらく、キラキラした新しいお寺(再建されたお寺)ばかりを巡ってきたので、この薄暗いお寺は、ある意味新鮮に感じられました。ガイドブックには『チベットにはしては珍しくワビサビ系』と評されていますが、正しくワビサビ系。やはり、日本人にはこのようなお寺の方がしっくりくるのかも知れません。私は、ここの本堂がとても気に入りました。
 本堂の屋上に登ると、眼前にはギャンツェのチベット人街、その奥には堂々と聳えるギャンツェ・ゾン。そして、右隣を見ると、パンコル・チョルテン。チョルテン、デケェなぁ~!!

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写真2)バター灯明に照らされた仏像(菩薩像?)

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写真3)本堂屋上から望む、ギャンツェのチベタン街とギャンツェ・ゾン

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写真4)本堂屋上から臨む、ギャンツェ・クンブム(パンコル・チョルテン)。あっ!マイヤ&マルセルがいる!!

 ギャンツェ・クンブム(パンコル・チョルテン)も、文化大革命で破壊されなかった珍しい建造物。『クンブム』とは、10万の仏の意味だそうで、チョルテン内には無数の仏像と壁画が描かれています。地上42m、8層からなり、1層目から順に登っていくと、修行者が解脱へと至る過程を辿ることができるらしい。では、その過程を体感すべく、全ての仏像と壁画を見てしまおうじゅぁないですか!
 全部で75あるという部屋をひとつずつ見ながら、1層~8層まで1時間上かけて登りました。途中から、疲れてしまって、仏像・諸尊像の変化に気がつかなくなりそうでしたが、それでも徐々に穏やかに、そして深くなっていく表情が見て取れました。上層の仏像・諸尊像の姿には、どこか透明な感じを受けるんです。

 見学を終え、お寺を出ると、次はギャンツェ・ゾンの見学・・・、ですが、ゾンはもういいや。パンコル・チューデで十分お腹一杯になりました。ゾンには向かわず、チベット人街をブラブラと歩くことに。一本路地を入ると、石畳の道に横たわる牛たち。当然、道は牛の糞だらけ。路地裏を歩くチベタンの老婆。私に着いて歩くチベタンのハナタレ坊主。良い雰囲気だなぁ~。
 チベット人街のはずれ、ギャンツェ・ゾンへと続く険しい岩山を登りました。この街の標高は4000mぐらい。大した高度でもないですが、やはり登りは息が切れる・・・。ゼェゼェと一気に登ったところで、「だるまさんがころんだ!」と後ろを向くと!?おぉ~!!登ってきて良かった!

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写真5)軒先に繋がれた牛たち。
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写真6)岩山からの光景。チベット人街が一望!奥にはパンコル・チューデ(寺)

 ギャンツェの町歩きに満足して、宿に戻るとマルセルが自転車の整備をしていました。この夫婦は、完全分業制。洗濯と食事の片付けは、マイヤ。自転車のメンテナンスと食事の準備は、マルセル。ボケはマイヤ。突っ込み(乗り突っ込み)はマルセル。とても楽しい夫婦です。
 マルセルの作業が終わるのを待って、一緒に夕食に出ました。今夜は彼らの奢り☆ 先日私がマルセルにあげたフィルム(プロビア3本)とチーズのお礼だそうです。町で唯一の外国人向けレストラン(タシレストラン)で、ちょっと贅沢な食事をしてしまいました。奢ってもらう身分なのに・・・、ちょっと悪いことしちゃったかな。

 ギャンツェ、とても雰囲気のよい町でした。古き良きチベットが残る場所。

シガツェ~ギャンツェ間バス移動 

 8月26日 昨晩からの雨は、夜が明けても降ったり止んだり・・・。

 『8時半に起きて、朝食と片付け、出発準備が整い次第出発!』とマイヤ&マルセルには言っていましたが・・・。雨が止まないから、出発したくない・・・。8時半に起きて、朝食(麦粥)を食べた後、ゴロゴロと寝袋のなかで過ごしていたら、あっという間に10時になっていました。聞き耳を立てても、5m隣のテントが片付けられている様子もない。

 「COCO!起きてる?」 とマイヤの声。 ※COCOは私の英語のニックネーム。

 「起きてるよ!でも、雨が止んでから出発しようよ!」

 雨が止むのを待っていたら、外から子どもの声が聞こえてきました。『またか・・・』。テントから顔を出すと、昨日のスイカ売りの少年。彼は昨晩も私たちのテントを訪れ、テント設営と夕食の準備を見学していました。チベットではよくあることです。チベタンにテントが見つかると、必ず見学者が現れます。この朝は、スイカ売りの少年と、その友達1名、近所のおじさん、合計3名が私のテントを囲んでいました。何をするでもなく、私の次の行動を待っています。

 「雨が止むまで、テントから出んからさぁ、あんたたちもどこかで雨宿りしときなよ。」

 私の日本語を解したのか?そんなわけないか。ふとテントから顔を出すと、彼らの姿はありませんでした。午後11時、ようやく雨も上がり、大急ぎでテントの撤収と出発準備。テントを畳み始めると、またさっきの3人が現れて、撤収作業を見学しはじめました。私はこのようなチベタンの見学者に、比較的友好的に接しますが、すでに2ヶ月間このような状況を体験しているマイヤ&マルセルは、少々ウンザリしている様子。彼らは私よりもテント泊の機会が多いのです。

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写真)見学者3名。右端の子がスイカ売りの少年。

 自転車に荷物を積み終わると、見学者たちも解散。スイカ売りの少年に見送られて、シガツェへと走り出しました。天気は徐々に回復し、時折強い日差しが射しますが、すぐに次の雨雲が流れてきて雨を降らす・・・。レインコートを着ると暑いけど、着てないと濡れてしまう。
 私は雲の流れを見ながら数分で止みそうな雨の場合、レインコートを着ずに全速力で走行!雨雲から逃げる作戦を取りました。マイヤ&マルセルは、雨が酷くなると、その都度レインコートを着て、日差しが強くなると脱ぐという方法。当然、私との距離は広がり続けます。

 雨はありましたが、平坦な舗装道路を軽快に走り、午後3時過ぎには、チベット第2の都市(多分、現在では第3の都市。八一の方が大きいと私は思います。)であるシガツェに到着。街の入り口で停車し、10分ほど遅れてやってきたマイヤ&マルセルと共に、ギャンツェ行きのバスが出るバスターミナルを目指します。シガツェ~ギャンツェは90km程の距離、バスは多分、夕方まで発着しているでしょう。
 シガツェのショッピングストリートを走っていると、知ってる顔を見つけました。「ナイジェル!!」ラサでよく一緒に食事していたイギリス人サイクリストのおじさんです。マイヤ&マルセルとも面識があり、しばらく通りで立ち話。ナイジェルは、崖崩れの情報を知らずに、ナンカルツェ~ギャンツェの道を走り、崩れた道路に道を塞がれ、復旧作業が終わるまで4日間、崩れた道路の手前でキャンプをしながら待ったとのこと。さすが!すでに世界を4年以上回っているツワモノサイクリスト!やることが度を越しています。というか、このおじさんおかしいよね。私たちは彼のそういうところに惹かれています。ナイジェルとは、シガツェでお別れ、私たちはギャンツェへと向かいます。

 ギャンツェ行きのバスを探すのは、中国語を解する私の役目。マイヤ&マルセルは中国語チンプンカンプン。バスを期待していましたが、ミニバス(バン)しかないとのこと。ミニバスの小さなルーフに自転車3台を載せるのは難しい・・・。90km程度の近距離バスは、満員になるまで発車しません。客を集めている途中のミニバスドライバーに声をかけ、値段を聞くと50元とのこと。ちょっと高いなぁ・・・。やはり、自転車があるからでしょう。根気強く値下げの交渉。30分以上粘りに粘って、30元までまけさせました。
 「COCO、よくやった!ありがとう。」とマルセル。自転車をルーフに固定するのは、マルセルに任せました。ドライバーが出発を急かしますが、スポークやフレームを痛めないよう、丁寧に慎重に紐をかけていくマルセル。以前、バスに自転車を載せて、痛い目に遭ったんだそうです。

 午後5時、ようやくミニバスは出発。キレイな舗装道路をギュンギュン飛ばしていきます。そこ退け!そこ退け!とクラクションは鳴りっぱなし。気にしだすとウルサイのでしょうが、私はコックリコックリ舟を漕ぎ始めたので気になりませんでした。1時間半ほどで、ギャンツェの手前の村に到着。そこから7kmほどは、ガッタガタの悪路を走行。ルーフの自転車が心配でしたが、マルセルがしっかり固定してたから大丈夫でしょう。
 午後7時、ギャンツェに到着。自転車を下ろし、3人揃って宿探し。初めに入った宿にチェックインし、夜は忙しく、シャワー屋と夕食とインターネットカフェ。60km走行の後のバス移動、とくに大変なものでもないのでしょうけど、公共交通機関に乗り慣れていない(昔の旅では慣れまくってましたが)私には、ちょっとしんどい1日でした。

シガツェへ、雲の谷を走る 

 8月25日 昨日たどり着いた尼木(ニェモ)の町でネットカフェに行くつもりが、一晩中停電だった為、インターネット使用できず・・・。わざわざ国道から11kmも入ってきたというのに・・・

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写真1)尼木の宿は良かった。大きな4つベッドの部屋が30元。湿った装備品を室内で乾かす。

 尼木から国道に戻り、昨日同様、ヤルン・ツァンポ沿いの小さな峡谷をひた走ります。走行40kmほどで、仁布(リンブン)への分岐点に。分岐点に出来た新しい町の中華食堂で昼食を摂っていると、マイヤ&マルセル夫婦がやってきました。彼らは昨日、私より1時間遅れでカンパ・ラ峠を発ち、尼木手前15kmほどのところでキャンプをしたとのこと。
 食後3人で一緒に走り始めました。が、なにも並んで走る必要はありません。この先のタドゥルカという町を過ぎて20kmほどのところに、ギャンツェへのショートカットがあるという噂なので、タドゥルカ通過20km地点まで、思い思いに走ることに。

 仁布分岐点を過ぎると、徐々に峡谷が開けてきて、ヤルン・ツァンポの川幅も広くなってきました。このラサ~シガツェの道は、チベットの大動脈。舗装状況は上々で、途中に村も沢山あり、食事や休憩には困りません。サイクリングガイドによると、「退屈な道」とされていますが、退屈なんてことはない!穏やかなヤルン・ツァンポの水面、川の奥の険しい岩山、道路沿いの小さな村々。何より素晴らしかったのが、雲!!この日は、空を漂う綿雲が強い日差しに照らされて、幻想的な空が広がっていました。手を伸ばせば届きそうなところを流れていく雲。チベットならではの美しい光景です。

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写真2)穏やかな風景の中を走る。

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写真3)タドゥルカの子どもたち。もう少し笑ってくれよ。

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写真4)この坂を登り切ると、多分雲の上に乗れる。そんな気がする・・・。

 傾斜の少ないヤルン・ツァンポ沿いの道、のぉ~んびり風景を楽しみながら走り、気がつけばタドゥルカ通過20km地点になっていました。このあたり、左手にギャンツェへ通じる近道があるはずなんだけどなぁ・・・。左手(南)には小高い岩山が連なっており、どこにも道は見当たらない。道があったとしても、あの山を越えるんだから、険しいオフロードに違いない・・・。このまま舗装道路をシガツェまで走って、シガツェ経由でギャンツェへ行った方が楽に違いない・・・。
 目線を近くに戻すと、国道沿いにはスイカ畑が広がっていました。ニィエムという町のあたりでは、国道沿いにスイカ売りの露店が沢山ならんいました。6元の小ぶりなスイカ(500gあたり2元)を買い、後からやってくるマイヤ&マルセル夫婦を待つことに。

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写真5)スイカ売りの少年。 

 道路脇で待っていると、スイカ売りの少年が寄ってきました。私がスイカを食べる様子をずっと見ているので、ひとつ大きなかけらをあげました。2人で並んでスイカの種飛ばしをしていると、私から30分遅れでマイヤ&マルセルが到着。開口一番「おいしそうだな!」とマルセル。すっかり仲良くなったスイカ売りの少年の露店でもう3玉購入して、今日はこのあたりでキャンプをすることになりました。

 「ギャンツェまでのショートカットは忘れよう。シガツェまではあと60km。舗装道路だし、明日の午後3時には着くだろう。シガツェからギャンツェまでバスがあるから、バスに自転車を載せてギャンツェに行って、帰りはギャンツェ~シガツェを走って帰ろう。なにも同じ道を自転車で往復することはないだろう?」
 と、マルセルの提案。そうだな・・・、シガツェ~ギャンツェは舗装道路だし、舗装されたキレイな道を往復するのは簡単だけど、時間の無駄だ。よっし、明日もマイヤ&マルセルと同行しよう!

 スイカ畑の間の空き地にテントを張り終えた頃、急に空が怪しくなってきました。夕食の準備に取り掛かった頃には、強風と雨粒が・・・。私のテントは前室が狭く、濡れずに料理をすることは難しい・・・。マイヤ&マルセルの大きなテントに転がり込んで、一緒に調理と相成りました。ラサで買ってきた洋風チーズを提供すると、2人は大喜び!「スイス人にとってチーズは、日本人の味噌スープみたいなもんだよ。」と日本通のマルセル。彼はアンディ・フグに空手を教わっていたほどの空手&柔道青年だったんだそうです。

 日本人が作ったスイス風(ドイツ風)『ポテトフライ&焼きチーズ』と、スイス人が作った『タマゴ炒飯』の贅沢な食事となりました。そういえば、誰かと一緒にキャンプをするのって、チベットで初めてだなぁ

キャットアイのホームページを見てね!! 

お知らせです。

今回、物品サポートを頂いている株式会社キャットアイさんのホームページに、私の旅コラム[伊東心の自転車紀行]を開設していただきました。

キャットアイさんのホームページ
http://www.cateye.co.jp/

コラムのコーナー(下の方)
http://www.cateye.co.jp/newshtml/news.html


自転車にライトやリフレクターを付けずに走っいる、[危ない自転車]のあなた!! キャットアイさんのホームページを見て、自転車用の明るいライトを買いにいきましょう!!

スポーツサイクルに興味がある方は、サイクルコンピュータを搭載して走ると、自転車ライフが更に深まりますよ!!

危ないところでした・・・ 

危ないところでした・・・。危うく、殺されるところでした。

 8月24日、ヤムドゥク・ユムツォ(湖)の展望台、カムパ・ラ峠を一気に下り、ヤルン・ツァンポ(川)沿いの国道を西に向かって、快調に走っていました。

 峠を発って70kmほどで、道路は小さな峡谷に入りました。左手にヤルン・ツァンポ、その奥に険しい崖。右手にも険しい崖。あまり良い景色ではありませんが、路面はキレイだし、風もないので元気に走れます。

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写真1)こんな道です。

 走行は80kmを超えようとしていますが、走り始めの25kmは下りだけだったので、まだまだ体力は残っています。自転車を止め、ガイドブックと地図で現在地とこの先の町を確認。100km地点の尼木(ニェモ)という町に宿泊することを決め、再びペダルに足を掛けたところ!?聞き慣れない音が!

ガッ!ガラッ!!  ガラッ!!

 聞き慣れないけど、想像に容易いこの音・・・!!落石だ!!

 なんの対応も取れないうちに、目の前にラグビーボール大の石が落ちてきました。その石は勢いあまって、道路の反対車線まで転がって行き、その直後にこぶし大の石がゴロゴロと落ちてきました。私の自転車のほんの1~2m先です。

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写真2)これが一番初めに落ちてきた石。

 危なかった・・・。自然な落石で、こんなに際どいのがあるなんて・・・、普段の行いが悪いのかなぁ・・・?いや、もしかしたら、誰かが上から悪戯で石を落としたのかも!?

 そんなわけありませんが、もしかしたらもしかするかも知れません。どうせ誰も見てないんだし・・・。

 「危なかろうが!コラ!! 誰や!!誰かおるとか!?」

 と怒鳴ってみると・・・

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写真3)あっ!お前かぁ!?

 いました!犯人が!石を落としたのは、ヤギでした。15m程の高さの崖の上に数頭のヤギ・・・。あぁ、危なかった。危うくヤギに殺されるところだった。

トルコ石の湖 

 8月24日 昨晩の嵐の中、親切なチベット人青年たちのおかげで、安らかな眠りに就けました。

 未明に再び風が強くなり、私の顔の傍でトタン板のテントのドアが『バタンッ!バタンッ!』と激しく鳴り、何度も目を覚ましましたが、風が止んでからは再び深い眠りに・・・zzzZZZ。
 目が覚めると、まだ雨は残っていますが、どうやら天気は回復しそうな気配。いつまでも寝ているテントの住人たちを起こさないよう、静かぁ~に荷物を運び出し、隣の売店のベンチで雲が晴れるのを待ちました。

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写真1)早朝の風景はこんな具合。ここは海抜4500m以上、峠も湖も雲の中です。

 起きて30分程は独りで静かに過ごしましたが、9時を回ると徐々に人が増えてきました。どこからともなく、ヤクやチベット犬を連れた人々が現れ、私が佇んでいる売店で、皆が皆、インスタントラーメンの朝食を取り始めました。私も彼らに交じって、インスタントラーメンの朝食。
 売店の外を見ると、周囲のテントからは、お土産が詰まったブリキのトランクが運び出されています。みんな商売の準備に取り掛かっているというのに、私がお世話になったテントの青年たちは、まだ寝ているみたい。

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写真2)雲が晴れ、美しい湖面が見え始めた!

 10時前、美しい湖面が見え始めました 雨雲が多く残り、トルコ石色に見えるには太陽光が不足していました。が、それでも十分美しい!このまま雲が晴れるかと思いましたが、30分ほどで再び湖は雲の中に消えました
 10時を回ると、次々に観光客を載せたバスやランクルが到着。土産屋たちは両手に持てるだけの土産品を抱えて客に見せ歩き、ヤクとチベット犬を連れた人々は、カメラを向けた観光客に撮影料を請求しています。なんとも逞しい商売人たちですが、昨晩からここに泊まっている私には、全く商売っ気なし。たまに休憩がてら、私の傍にやって来ては、お喋りだけしてまた仕事に戻って行くといった具合。
 11時以降は、再び湖面が見えるようになりました。出発準備の整った自転車を道路脇に停め、しばらく峠の光景を観察することに。

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写真3)峠の光景はこんな感じ。
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写真4)やってくる観光客は、中国人が大半。外国人が少し。

 ヤクやチベット犬を連れた人々は、湖の撮影スポット付近を歩き回り、「ヤクと撮らない?」「チベット犬と撮らない?」と観光客に話しかけています。こんなので商売になるのかな?と思いきや、中国人はこういうのが好きらしく、多くの人がお金を払って、ヤクと記念撮影をしていました。
 私が自転車を停めて佇んでいた場所も、湖面の撮影スポット。別に撮っても欲しくないのに、中国人観光客にカメラを向けられる・・・。「どこから来たの?」「何ジン?」みたいなことを話しかけてくれれば、まだ良いのですが、無断で私の写真をバシバシバシバシを撮りまくって去って行く中国人観光客には腹が立ちました。

 俺はヤクか!?チベット犬か!? 金取るぞ!金ぇ!!

 撮影料を取っていれば、けっこうな額を稼げたのではないでしょうか。さて、時計は12時を回ったところ・・・、そろそろ峠を下りたい時間。しかし、どちらに下るかが決まっていない・・・。予定していたルートは、湖畔に下り、ナンカルツェという町からギャンツェへと走るルート。しかし、ナンカルツェ~ギャンツェ間の峠道で崖崩れがあり、現在車両通行止めとの噂なのです。
 ナンカルツェは行かないとしても、ギャンツェには行きたい。来た道を戻り、別ルートからギャンツェに行くことは可能です。自転車だから、崖崩れの道を通ることも可能かも知れないけど・・・・。

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写真5)客が減るお昼時、土産屋たちはビリヤードで暇潰し。

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写真6)半日遅れで、マイヤ&マルセルが峠に到着。

 どちらに下ろうかと頭を捻っていると、半日遅れでマイヤ&マルセルが峠に到着しました。彼らは昨晩、あの嵐の中でテントを設営し、テントを打つ激しい雨音(雹音?)の中で眠ったんだそうです。彼らが一通り、湖の景色を楽しんだ後、この先のルートの相談。彼らは、Uターンしてシガツェ経由でギャンツェに向かうとのこと。やっぱり、そちらの方が楽そうなので、私もUターンすることに決定。

 午後1時、マイヤ&マルセルより一足先に峠を出発することに。昨晩、泊めてくれたテントのチベタン青年を捕まえて、お礼にチョコやお米を渡そうとしましたが、受け取ってくれませんでした。「雨が降っていたから」と
、純粋な好意で泊めてくれたことに気が付き、胸がジーンとしました。「ありがとう!ありがとう!!ほんと!助かったよ!ありがとう。」

 最後に湖の湖面を見ると、けっして最上の美しさではないのですが、さっきよりも美しく感じられました。ヤムドゥク・ユムツォ、再び訪れたい場所のひとつになりました。

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写真7)獰猛で知られるチベット犬も、飼いならされていれば可愛いものです。

カンパ・ラ目指して!! 

8月23日 今日からラサの街では『ショトン祭』という夏祭りが始まりますが・・・、私が目指すのは、カンパ・ラ(峠)のてっぺん!

 カンパ・ラは、チベット4大聖湖・ヤムドゥク・ユムツォ(=トルコ石の湖)の展望台、ラサから100kmぐらいのところにある、標高4750mの峠です。
 今日から、ショトン祭・・・、ってことは?カンパ・ラに行っても、観光客少ないんじゃないかな・・・?もしかして、ヤムドゥク・ユムツォの展望を独り占めできるかも!?

 さぁ、決まりです。独り占めしましょう!のんびりゴンカルの宿を出発、ゴンカル空港でネットカフェに寄って、早めの昼食も済ませ、ヤルン・ツァンポ沿いの平坦な道を西に向かってひた走ります。路面は良好☆ まだ舗装が済んで何ヶ月かしか経っていないのでは?中央線もきれいそのもの。


写真1)キレイな道路とヤルンツァンポと自右衛門号

 ヤルンツァンポにかかる曲水大橋という橋の手前まで来たところで、自右衛門号の小さなサイドミラーに、サイクリストの姿が映りました!振り返ると、どこかで見たような外国人カップル・・・?以前、ラサの路上で少しだけ話をしたスイス人夫婦でした。
 橋の手前で、おやつ休憩と相成りました。3人で路肩に腰掛けて、干し肉やピーナッツやパンやチョコレートのおやつ。サイクリストはよく食べます。このスイス人夫婦、名前は、マルセル(夫)とマイヤ(妻)、私より少しだけ年上の新婚夫婦。スイスから1年4ヶ月掛けて自転車でユーラシア大陸を渡って来たんだそうです。この旅行は、彼らのハネムーン。

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写真2)おやつ休憩中、傍を通り過ぎるチベタンのおばさんたち。どこへ行くのかな・・・?

 おやつ休憩の後、自転車3台連なって、一緒にカンパ・ラを目指して走行。ゴンカルから47km走ったところ、カムパ村を過ぎると、ヤルンツァンポに別れを告げて、道は登りに入りました。私よりも10kmほど多く走っているマイヤ&マルセルは、ペースを落として私の後方を走行。まぁ、一緒に登る必要もありません。「峠の頂上で待ってるよ!」

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写真3)さぁ!登り開始!

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写真4)路面は良好☆グングン登る!!

 グネグネと続く九十九折の峠道ですが、路面は相変わらず良好そのもの☆快適に登れます。そういえば、8月上旬にラサで会った旅行者の中に「ヤムドゥク湖は、道路工事で行けませんでした。」という人たちがいました。ということは、この道路は、2~3週間前に舗装が完了したばかりのピカピカの道路!?時折、見晴らしの良いカーブで後ろを振り返りますが、マイヤ&マルセルの姿はない・・・。どこかでビバークするつもりかな?私の目標は、峠のてっぺん!このまま上り続ければ、8時前には頂上に着くでしょう。

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写真5)あれ・・・?

 時計は7時を回り、上り始めからの走行距離は18kmとなりました。この登りは23km続くらしい、ということはあと5km・・・。時速7~9kmで登っているので、あと40分ぐらいかな?と思ったところで、ふと空を見上げると・・・、あっ・・・、来る!
 雨雲です、峠の頂上付近から、黒い雲がこちらに流れてきています。こりゃぁ、峠のてっぺんは雨だろうな・・・。しかし、まぁ、心配しててもしょうがない!念のため、レインウェアを用意して、上り続けます。幸い、私が走っているところには、雨が落ちてこない。すぐ左手、数百mのところには、雨がザーザー降っているのに。標高4500m付近の雨というのは、いつもこんな具合です。
 雨に降られないのは良かったのですが・・・、雷まで鳴り始めたもんだから、大変!! ほんの200~300m先に立て続けに雷が落ち、もう心臓バクバク!!明らかに、この路上にある金属は自転車のみです。生きた心地がしませんが、逃げる場所もない。木もなければ、窪みもない、とにかく登り切るしかないのです。命からがら、なんとか峠にたどり着いたのは、午後8時ちょうど!

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写真6)峠の向こうには、ヤムドゥク・ユムツォの湖面が!

 峠の頂上に着くと、立ってられない程の強風が吹き荒んでいました。こんな中、テントを張れるのか?と思っていたら、今度は、大粒の雹まで降り始めた・・・。こりゃぁ無理だ。どうしたものかとあたりを見回すと、峠の頂上付近には沢山のテントが並んでいました。キャンプ用のテントではありません、チベタンのテントです。
 強風と雹の中、立ち尽くしている私を見かねて、中から数人のチベタンが出てきました。「うちのテントに来い!」と言ってくれています。数人と言葉を交わし、3軒テントを覗いてみて、その中の1軒に決めました。若いチベタンが4人で暮らしている比較的大きなテント。「すんません、今晩一晩だけお世話になります。」

 テントの中には、土産類が段ボール箱に山済みになっていました。どうやら彼らは、峠の土産屋のようです。峠からの湖の展望を独り占めするつもりで、頑張って登ってきましたが、峠の頂上には、彼らのような土産屋が沢山住んでいたわけです。ちょっとガッカリしましたが、この嵐の中、彼らがいなかったら、私はどうしていたのでしょう・・・?
 急にやってきた外国人に、ヤクミルクのシチューを振る舞い、当然のようにお茶を出してくれるチベタンの青年たち。彼らは、夏の間だけ、この峠のテントに寝泊りし、やってくる観光客相手にお土産を売っているんだそうです。温かいシチューを平らげると、急に眠たくなってきました。いつまでもお喋りにふけっている彼らの傍でコックリコックリしていると、「客人が寝るぞ!」と急に、彼らも寝る準備を始めました。折り畳みベッドを広げ、4人分の寝床ができあがりました。が・・・?私はどこに寝るの??

 結局、この晩は、彼らのベッドの下に腰から下を滑り込ませて、土の上に寝ました。テントを打つ雨の音は、深夜近くになっても止みません。時折、大きな音になった時は、霙や雹が交じっていたのでしょう。明日は、晴れるのかなぁ・・・?ちょっと心配しつつも、寝袋に入るとあっという間に眠りに落ちました。

立体曼荼羅・サムイェ寺へ 

 ラサを出て、始めの目的地は、サムイェ寺。ヤルン・ツァンポ(川)の北岸、ラサの西→南→東と走って120kmほどのところ。

 このサムィエ寺は、チベット最古の僧院としても有名ですが、僧院全体が仏教の世界観を現す『立体曼荼羅』になっていることでも有名です。ラサから西に向かう私にとって、100kmぐらいの遠回りになってしまいますが、サムィエの立体曼荼羅を見ずには、西へと走り出せません。

 8月21日にたどり着いたゴンカルという町に荷物を降ろし、22日に軽い自転車でサムィエまでの65kmを走りました。自転車が軽すぎるというのも、おかしなもので・・・、気持ち悪いんですよね。ぐんぐん加速できちゃうことに違和感を覚えます。このあたりのヤルンツァンポ河岸は、標高3600m以下、時速25km以上をキープして、快調に東へ東へと走りました。

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写真1)麦の脱穀作業中かな?

 途中、なにやら尖った植物のトゲを踏み抜いて、前輪がパンク!予備チューブと空気入れだけは持って来ていたので、路上で交換。実は、この植物、昨日のラサ~ゴンカル間でも、前輪をパンクさせています。ラサで交換したタイヤが弱い(柔らかい)のかな?これまでチベットを走ってきて、こんなパンクは初めてです。このトゲトゲ植物がこの地域だけに植生しているわけでもないでしょうし・・・、やはり、変えたタイヤに問題があるのでしょう。

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写真2)トゲトゲ

 走行が50kmに達したあたりで、サムイェ行きの船着場に到着。2時間ちょっとの走行でもうヘトヘトです。というのも、昨晩の異常なお腹の痛みをぶり返さないよう、サラサラとして軽いものしか食べていないから・・・。もう限界です、お腹が痛いのも嫌ですが、空腹はもっと嫌!食べてナンボのサイクリストです・・・、ガッツリ食べちゃおう!

 とはいえ、船着場の売店にあるようなものは、カップラーメンぐらい。トマトスープのお気に入りのカップラーメンがあったので、2杯一気に平らげました。お腹が満たされたところで、渡し舟探し。船頭たちも昼食の最中だったようで、しばらく待たされました。

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写真3)こんな船で対岸へ。

 すでに時計は1時を回っていました。お客は私とチベタンのおじさん1人だけ。観光客や巡礼客は午前中に対岸に渡ってしまいます。人数が少ないからと、余計なお金を請求される覚悟をしていまいたが、私の運賃が15元、自転車が5元の合計20元でした。ボっている様子はありません。
 ゆっくりと進みはじめた船は、1時間もかけて対岸に渡ります。静かな水面をゆっくりゆっくり進むもんだから、だんだん眠たくなってきた・・・。昨晩熟睡できなかった影響もあるでしょう。40分ほど、太陽の下で昼寝。起きたら、対岸はすぐそこでした。

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写真4)静かなヤルンツァンポの水面。

 対岸に着いても、そこにサムィエ寺がある訳ではありません。ここから10km以上、オフロードを走らねばなりません。戻りの船は、4時が最終らしいので、こちら岸で過ごせる時間は、最大でも1時間50分しかありません。往復24kmのオフロードを考えると・・・。お寺見てる暇ないじゃん!?

 とにかく、サムイェを目指します。河岸の土壌というのは、どうも砂っぽい・・・。ハンドルを取られつつも、必死でペダルを踏み続け、25分でサムィエ寺に到着。僧院全体を見学していたら、帰れなくなってしまいます。いっそのこと、ここで一泊することも考えましたが、私が帰らないと、荷物を置いているゴンカルの宿の管理人さんは心配することでしょう・・・。
 とりあえず、立体曼荼羅の全容を見るべく、僧院近くの小高い丘に駆け上りました。高いところに着くまで、一度もサムイェを見ず、もういいかな?というところで、視線を上げると!?

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写真5)立体曼荼羅のサムイェ寺。

 おぉ~!!確かに、曼荼羅っぽい!!

 でも・・・、期待していた程じゃない・・・。寺の周囲にホテルやら何やらが建ってしまって、曼荼羅の形が掻き消されているようです。周囲100mぐらいには建物を建たないようにしとけば良かったのに。
 しかし、まぁ、曼荼羅は曼荼羅!満足したところで、丘を降りると、時計は3時20分・・・。もう船着場に向かわねばならない時間です。なんて勿体ない、サムイェ滞在でしょう。ただ、丘の上から全体を見ただけです。

 でも、仕方ないんです。宿に帰らないと・・・。昨晩、腹痛で青い顔をしていた私を知っている宿の管理人さんは、きっと私を心配するでしょう。

 自転車にまたがり、船着場へ向かおうとした所で・・・、あれ!?・・・あぁ・・・。前輪が三度のパンク!タイヤを外側から見たところ、トゲが刺さっている様子はありません。が、例のトゲトゲ植物が刺さったんであろうことは明らか。スペアチューブはもうありません。日帰りライドだったので、パンク修理キットも持ってきていません・・・。
 でもでも、とにかく走るしかないんです。ポンプで空気を入れては、5kmほど必死に走り、再びポンプで空気を入れて、5km必死に走る・・・。幸いチューブの穴は小さなものだったようで、空気が抜けるスピードは凄く遅い。なんとか、4時前に船着場に到着。離岸しかかっていた船を呼び止め、運賃30元+自転車10元を請求する若い船頭を怒鳴りつけ、堂々と乗船。
 「お前なぁ!ボルなよ!!定価は20元だって知ってるんだぞ!親方に言いつけるぞ、コラ!!」

 なんとかかんとか対岸(南岸)に戻ってきましたが、もうこれ以上穴のあいたチューブで走るわけにはいきません。帰りは、バスでゴンカルまで帰ることに。40分ほど待って現れた、ツェタン~ラサ間のバスのルーフに自転車を載せ、私は車内へ。1時間半ほどで、ゴンカルに帰れました。

 なんだか、慌しいサムイェ寺観光でした。観光したのかなぁ・・・?観光したとは言えませんね。またチベットに来る機会があったら、再訪することとします。

お腹が痛いぃ~!! 

 こんなに痛いのは初めてです。何が悪かったんだろう・・・

 8月21日、長いしたラサを出発し、向かったのは、ラサの空港(ゴンカル空港)の近くにあるゴンカルという町。午後1時半にラサを出て、平らなキチュ(ラサ川)沿いの道を元気に走り、ラサ大橋とトンネルに差し掛かったあたり(走行55km前後)で、お腹に異変が・・・。人目のないところなので、堂々とオープントイレット。

 その後、20kmほどを元気に走り、もうお腹は大丈夫かな?と思ったら、その夜にきました。ゴンカルの宿は、古びた招待所、そこの超汚いトイレに何度も何度も駆け込む・・・。

 お腹を下すだけだったら良いのですが、この晩は、お腹が捩れるような痛みがありました。夜中に何度も痛みで目覚めては、「あぁ・・・、こんな見知らぬ土地で朽ち果てるのか・・・。」と涙目になっていました。

 翌朝、あまり寝た気はしませんが、お腹の具合はどうにか回復している様子。朝食は、お粥だけにして、その後も様子を見ながら、徐々に固形食にしていきました。

 一体あの痛みはなんだったのでしょう?そもそも、お腹が痛くなるようなモノは食べてないはずなんですけどねぇ・・・

生きてますよぉ!! 

 8日にブログを再開する予定だと公表していたので、多くの方から、『無事??』『生きてる??』というメールを頂きました。

 今日12日、アリに到着しました。心配をおかけして申し訳ございませんでした。


 西チベットの旅は予定通りには行かんのですよ。

 特に、私の場合は、自転車ですからね。


カイラース山の巡礼は、3周してきました。いくらか悪いカルマも減ったことでしょう。

明日からブログの書き込み、一気に再開です!!
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