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サイクリング向けの曲を探しています 

 1つ前のエントリーで、ペダルが良く回る曲について、ちょこっと紹介しました。

 『ペダルが回る曲』っていうとピンとこないかもしれませんが、要は、サイクリング中にパワーが沸いてくる曲ってことです。スポーツ選手の中には、試合の前に、精神集中やテンションをあげる為に特定の音楽を音楽を聴いていたりするでしょう?あれと同じですよ。

 私が旅行中に必ず持ち運んでいる曲がいくつかあります。1999~2001年のヨーロッパ・アフリカ・アジア旅行、そして今回の自転車世界旅行でも持ってきました。

 奥田民雄の曲は欠かせませんね。アルバムで言うと『股旅』に入っている曲たちが一番良いです。私の旅の時間に最も適合する曲たちです。

 最近海外で出会う日本人バックパッカーは知らない人が多いのですが・・・、ゴダイゴ!!若い人は知りませんよね・・・、って私も若者ですが、夏目雅子らの『西遊記』を知っている世代なら、聞いたことあるはずです。ゴダイゴの曲は、インド大陸で聴くと心に染みます。2000年にパキスタン、アフガニスタン、インドあたりを旅していた時は、『ガンダーラ』が心の芯まで響きました。

 あっ、そういえば、ゴダイゴ再結成らしいですね。

 いつも持ち運んでいる曲ではありませんが、今持っている曲の中では、ウルフルズブルーハーツ(ハイロウズ)あたりが、けっこうペダルが良く回ります。

 英語の曲は、あまり聞きません。旅行中は、日本語の歌詞に飢えているのです。英語だったら、どこの国でも、大きなCDショップに行けば、有名どころが何でも手に入りますから。


 さて、ここでちょっとお願いです。

 私のペダルを良く回してくれそうな曲を探しています。何かお勧めのモノがあれば、教えてください。

 ペダルがガンガン回るような曲、落ち込んだ気持ちを盛り上げてくれるような曲、疲れが吹っ飛ぶような曲、そんな曲が欲しいです。

 故郷に帰りたくなる系の曲は要りません。
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MP3を買いました 

 私はサイクリング中に音楽を聴くことがあります。ハンドルバッグには、スピーカー内臓のMDプレーヤーを積んでいて、ひと気のない田舎道では、大音量で音楽を聴きながら走ったりもします。音楽なしで走るのも良いのですが、いつも無言だと結構シンドイもんです。

 MDプレーヤーなので、音楽を持ち運ぶのはMDです。一枚に80~200分ぐらいの音楽が入りますが、MDそのものを10枚ぐらいしか持っていないので、3日ほどで10枚のMDが一巡してしまっていました。そろそろこの音楽たちにも聞き飽きてきた頃・・・。

 この先の西チベットでは、延々と無人地帯が続きます。音楽なしでは走れたもんではありません。持ち運ぶ音楽を増やすべく、一大決心して、MP3プレーヤーを購入しました。
 中国製の聞いたこともないメーカーですが、256kbの内臓メモリーで300元ぐらい(4500円)でした。あまりこの手の買い物をしない私には、高いのか安いのかすら判らない・・・。日本だともっと安く買えるのかな?256kbというメモリーは少ないと思いますが、私はノートパソコンを持ち運んでいるので、内臓メモリーは小さくても構いません。

 さて、MP3を買ったものの、中には何も音楽が入っていない・・・。日本人観光客を捕まえては、「あなたのMP3の音楽をコピーさせて下さい。」とお願いしてみることに。

 みんなMP3持ってるんですけどね・・・、『POD』とか、日本で買える高級な大容量MP3は、専用のソフトがないと曲の出し入れができないんですって・・・。私は、MP3もパソコンも持っているのに、音楽が手に入らない・・・。

 そんな私を救ってくれたのは、中国・北京在中でこの夏、カシュガルからラサまで自転車で走ってきた日本人・鈴木さん!鈴木さんからは、小型のスピーカーを貰ったばかりか、1ギガ分(250曲以上)の日本の曲をコピーさせてもらいました。

 これらの曲がナカナカ良いんですよ~!80~90年代のちょっと懐メロ系が多く、きちんと聞いたことなくても知っている曲ばかり。90年代の曲というと、私が中学高校の頃の流行曲です。青春時代を思い出させてくれるような曲も沢山あり、サイクリングには良い音楽ばかりです。

 ブルーハーツの曲は良いですねぇ~。以前、日本から送ってもらったMD(末の妹が編集)にもブルーハーツ&ハイロウズが入っていましたが、鈴木さんから貰ったものにも、何曲も入っていました。ブルーハーツのヒロトが歌ってる曲は、なんだかガムシャラにペダルが回せるんですよね。マーシーがボーカルの曲は、そうでもない・・・。声質の違いからでしょうか?ヒロトならOK。

 爆風スランプの『ランナー』なんかも入っていて・・・、ド!定番ですけど、これまた良くペダルが回ります

 中島みゆきの『地上の星』(NHK・プロジェクトⅩの曲ね)なんかも、ヤバイです!ペダルは回りませんが、なんだか自分が大きなことに挑んでいるような気がしてきて、ヤル気が湧いてきます。

 他にも、ペダルが良く回る系の曲、気合が入る系の曲が沢山あります。ありがとう鈴木さん☆この曲で、西チベットを乗り切ります!!

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写真)MP3と鈴木さんに貰ったミニスピーカー。2つくっ付けてもタバコの箱ぐらいの大きさ。 

ラサでお買い物 

 大都会ラサでは、大抵のモノが手に入ります。良い自転車のパーツはありませんけどね。

 さて、長居したラサで最も良く足を運んだ場所のひとつがバルコルにある大きな2階建ての大きな市場。

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写真1)ココ

 1階は、広い肉コーナーとバターコーナー、野菜コーナーとごちゃごちゃした食品コーナー。2階は衣料品や日用雑貨がゴチャゴチャとならんでいます。ここに出店してるのは、全て個人商店。小さなお店がぎっしりと並んでいて、隣り合うお店は大体同じものを扱っています。

 中国製のB級品だったら、なんでも手に入ります。私は、日用雑貨や食料品を買うときは、毎回ココに行っていました。用事がない時でも、フラフラ歩いてるだけで楽しいもんです。


 ここで手に入れたモノの中でで、私のヒット商品を紹介しましょう。

ワカメ・・・なんでこんな海から遠く離れた場所で!?と思うでしょうけど、もちろん中国海岸部から持ってこられたものです。ワカメがあれば、なんちゃって日本食の具になります。でも、このワカメ、やたらと汚れてるんですよね。泥とか得体の知れない汚れが沢山着いてる・・・。

干し椎茸・・・これもやはり、なんちゃって日本食の具になります。ダシをとるのにも最適☆

圧縮干粮・・・チベットで食べ始めた高カロリーの携帯用食料。中国人民解放軍が開発・製造。タバコの箱をふた回り小さくしたぐらい携行食糧です。本来は兵士の為に作られたものでしょう。2つ食べると1日に必要な熱量に相当する2600kcal が摂取できるという恐ろしいもの。1日に4000~5000kcal を必要とする私たちサイクリストの中には、この圧縮干糧を食べている人が多いです。私も、ラサで大量に買い込みました。

ポット・・・中国の宿や食堂に必ずある魔法瓶です。シンプルでシックなものもあれば、なかなか可愛いデザインのポットもあるんです。2リットルぐらいの小さめのモノを2つ購入して、日本の家族に送りました。割れずに届くと良いのですが・・・。

電熱コイル・・・バックパッカーの便利グッズ。コップの水が数十秒でグツグツ沸いてしまうという強力なコイルです。中国の宿ではお湯が無料でもらえるので、あまり使いませんが、この先の国々では有効なグッズです。私は以前、このコイルで風呂を沸かしたことがあります(中国とインドで)。1時間ぐらいでお風呂が沸きました。かなり強力です。

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写真2)圧縮干粮。これで成人男性が1日に必要なカロリーが大体とれます。高くても1袋(2ピース)で1元。

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写真3)電熱コイル。これは3元でした。


装備もイメチェン☆ 

 自転車のメンテナンスに合わせて、装備品も少しイメチェン。今後、2ヶ月以上続く過酷なロードに備え、装備品も整え直しました。

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①後ろの荷台に積んでいるバックパック用に完全防水の袋を購入。40リットルの真っ黒な防水バッグ、80元なり。

②フロントバッグを変えました。以前は、オーストリッチ(型番忘れました)を使っていましたが、フックと掛け紐が痛んでいたので、ラサで中古のドイター・ラックパック2をゲット!
 売ってくれたのは、ヒマラヤ一周ライドをラサで完結したばかりの日本人サイクリスト・今井君。グッドタイミングで買いたい私と売りたい彼が出会いました。250元で買い取りましたが、私のオーストリッチも100元で貸し自転車屋に売りつけたので、差し引き150元の買い物でした。
 ドイターのバッグの下に、以前から持っていたバックパック用の外付け袋を付けました。荷物の搭載能力は全体で10リットルぐらい増加!

ハンドルバッグの下に2.5リットルの水タンクを積みました。今後、西チベットではキャンプ主体の移動になるため、大量の水を運ぶことになります。このタンク(2.5ℓ)の他、水筒7本で5.2リットル、全て合わせると最大7.7リットルの水を運べます。

④荷台にタルチョ(ルンタ)を付けました。タルチとは、チベット仏教に欠かせない五色の旗です。5つの旗はそれぞれ自然界の5元素を表し、すべての旗に経文が書かれています。タルチョがはためく度に仏法が世界に広がるというありがたいもの。チベットでは、峠道や橋、聖地・聖湖、民家の屋上、遊牧民のテントなど至る所にタルチョがはためいています。私の自転車も安全祈願を込めて、タルチョをはためかせて走っています。

⑤隠していたサイドバックの文字をオープンにしました。外国人だと思われやすいアルファベットの文字は隠すようにしていましたが、この先は、もう外国人と思われようが気にしません。堂々と走るのです。
 後輪右側のサイドバックには、『 Around The World 』と書いています。写真には写っていませんが、逆側のバッグには、これまでに走行した国名が英語で書かれています。JAPAN, KOREA, CHINA, VIETNAM, COMBODIA, LAOS, THAILAND の7カ国に加えて、新たに『TIBET』と書きました。私は、チベットもひとつの国として数えます。もし、中国公安局がこの文字を見たら、文句をつけてくるかもしれませんが、一向に構いません。だいたい、中国の人はあまりアルファベットを読まないので、気が付かないでしょう。

 あと、小さすぎて見つけにくいのですが、ハンドルバッグの前にヤクの頭蓋骨をデザインしたお守りを付けています。

 全体に黒系の装備が多くなりまいしたが、走っている時は五色のタルチョがハタハタとはためいているので、目立っているに違いありません。

 なかなかカッチョ良くなったと満足しています。

自右衛門号、ラサでイメチェン☆ 

 ラサで過ごした26日間で、私はじっくりと休養することができました。

 相棒の自右衛門号もメンテナンスばっちりで、ピカピカになりました。メンテナンスには丸3日をかけ、分解清掃&パーツ交換。アクセサリー系にも手を加えてみました。

 以下、写真と変更点です。
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フロントキャリアの先っちょにライト取り付け可能な鉄パイプを溶接してもらいました。今後、冬にかけて、日が短くなるのでライトを使う機会も増えるだろうと思って。

②タイヤを交換しました。ラサまでは、前/スペシャのへミスファー(オン&オフ両用)、後/ボントレガーのセンタースリック(オン用)を使っていましたが、今後の西チベットではオフロード主体になる為、前/マクシスのダート用タイヤ(オフ用)、後/スペシャのへミスファーとしました。

ビニルテープで隠していた『JACC(日本アドベンチャーサイクリストクラブ)のステッカー』やフレームの『JAPAN』の文字を隠すのを止めました。もうこの先は、日本人であることを隠さずに、堂々と走ります。

④前後輪の泥除け(マッドガード)の先に付けていた延長部分を作り直しました。5ヶ月前に香港で作った時と同じように、長靴を加工して作りました。前回は黒長靴から。今回は車体に合わせて緑系の長靴から。

⑤ケーブル類を全て交換しました。ブレーキケーブル2本とシフトケーブル2本。

⑥チェーンを交換しました。日本から持って来てもらったチェーンに交換!ありがとう飯島さん!

⑦スプロケットも交換しました。これも日本から持って来てもらった新品!ありがとうございます、飯島様!

⑧後輪のリムを交換しました。こいつは苦労しました。詳しくはコチラ→http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/#entry389

⑨ペダルを交換しました。日本から使いい続けていたペダルは軸が磨耗して、キリキリ鳴くようになっていました。今後、登山靴でペダルを踏むことも考えて、幅の広いペダルに交換しました。

 さぁ、これでバッチリです!次に自転車の本格的なメンテナンスが可能なのは、カシュガル。10月末の到着予定です。カシュガルまでの3500km、2ヶ月間は、今回のメンテナンスで耐えられるようになっていることでしょう。

 頑張ってくれよ!自右衛門号!!

リム交換 

 リムって解りますか?解りませんよね・・・。自転車の『車輪の輪っか』って言ったら解りますか?

 ラサ到着翌日から、自転車のメンテナンスに取り掛かりました。雲南省から2000km以上、山道を走ってきました。久しぶりに分解して、フルメンテナンスです。

 とりあえず、汚れを落とすべく、車体の水洗いと泥・油落とし。ピカピカになったところで、各部を注意深く目で確認。新しくついたらしきフレームの傷やケーブルの解れを発見しました。そして、とんでもないモノを発見!!後輪のリムにヒビが入っていたのです・・・。


写真1)ヒビの拡大写真。ニップルの穴周辺にヒビが!

 36個ある穴のうち、5箇所でヒビが見つかりました。リムも消耗品ですから、いつかヒビが入ると思っていましたが、まさか、こんなに早く入るとは!?走行6000km、使用期間4ヶ月ですよ?
 しかも、想定していた箇所とは全く違う場所にヒビが入ったことも驚きでした。リムの側面、つまり、ブレーキシュー(ブレーキのゴムパッド)があたる部分にヒビが入るという話はよく聞きますが、ニップル穴が裂けるとは・・・。搭載している荷物が重すぎるのでしょう。あるいは、スポークの張りが強すぎたのかも・・・。

 困りました・・・。予想していなかった部品の交換が必要となったわけです。使っていたのは、MAVIC(マヴィック)という高級なメーカーのリム。これに相当する良いパーツがラサで入手できるのでしょうか?色々考えました・・・。

 このヒビは昨日今日入ったものでもなさそうだし、あと数日でこのリムが使用不能になる訳でもないだろう・・・。となると、2~3週間なんとかこいつでカトマンズまで走れれば、カトマンズでは確実に上等なパーツが手に入るじゃないか?
 でも・・・、カイラース山方面に行きたいし(カトマンズに抜けると、チベットには戻って来れない)。そうだ!日本から上等なリムを空輸してもらうか?あるいは、出張でラサに来る飯島さん(西遊旅行の元・同僚)に持って来てもらうか?


 結論が出ないまま、3日間かけて、とりあえず、リム以外のメンテナンスを先に済ませました。で、最後の最後に出した結論は、『ラサで手に入る最高のモノを探す!』ということ。

 早速、市内の自転車屋を巡りました。ラサ市内には、スポーツサイクルの専門店はなく、街乗り自転車のお店がちょこっと専門的なパーツを置いているに過ぎません。中国の大きな街には、必ずGIANT(台湾の自転車メーカー)の直営店がありますが、ラサにはない・・・。
 北京東路にある5軒の自転車屋に的を絞って、『店にある最高のリムを見せてくれ!』と頼みました。
 1軒目はリムのバラ売りはしてない、ダメ! 2軒目が出してきたリムは中国製の安いリム・・・、ダメ! 3軒目が出してきたのは、SUNRIM(米製)の良いリムだったけど、スポークの数が合わず、ダメ! 4件目は、やはり中国製の安安リム、ダメダメ!!
 5件目に全ての望みをかけてます。「おたくにある最高級のリムを見せてくれ!」 店員が見せてくれたのは、3件目の同じ型のSUMRIMの32穴。リムの強度は使えそうなレベルですが、このリムを使うには、ハブ(車輪の軸)も交換しなくてはなりません。現在使用中のハブは、SHIMANO‐XTの36穴。中国製の安物のハブを使わなきゃいけないのか・・・。諦めて、ハブごと交換することを考え始めた時、店員から思わぬ言葉。

店員「あんた、本当に買う気あんの?さっきから、隣近所の店で同じことやってるでしょう?買う気がない客にわざわざ倉庫から持って来たりはしないよ。」
心 「なんだよ!倉庫にまだ他のモンがあるの!?だったら見せて下さいよ!!買うか買わないかは、見てから決めるよ。金ならホラ!何千元だって持ってるんだよ!」


 銀行のATMから降ろしたばかりの大金を目にして、安心したのか、片言の英語を話す店員の兄ちゃんは、店長の携帯に電話をしました。電話が終わると、店長が家の倉庫から持って来るから待ってろ、とのこと。
 30分後、車で現れた店長は、これまで見たことのない5種類のリムを持っていました。1本ずつ確認。ただ肉厚なだけの中国製リムに混じって、台湾製らしき比較的まともなリムが1本ありました!『KEEN』という見たことも聞いたこともないブランド名ですが、造りは悪くありません。「これちょうだい!!」 粘った甲斐がありました。180元もしましたが、なんとか使えそうなリムをゲット!!

心 「じゃぁ、早速、このリムでホイールを組んでくれ!できるよな?」
店員「えっ?うちで組むの? う・・・ん、できるよ。やってみる。」
心 「やってみる?・・・おいおい、頼りないなぁ、できないんだろう?もういいよ、自分で組むから。必要なスポークとニップルを40本ずつちょうだい!」

 なんだか頼りないので、自分でホイールを組むことにしました。自分でホイールを組み上げたことはありませんが、組み方の注意点などは勉強しました。なんとかなるでしょう。

 翌日、6時間掛けて、ゆっくりじっくりとホイールを組み上げ、なんとかリムの交換完了!これでカイラース方面へ走り出すことができます!!なかなか大変なメンテナンスでした。

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写真2)KEENって・・・?知らないなぁ・・・

熱烈重祝? 

 『チベットは武力によって中国に併合された国である』と私は考えています。これまでも、ブログ上でそう言ってきましたが、何を言っているのか解らない方もいるかもしれないので、ちょっと歴史について述べてみましょう。

 チベットという国は、6世紀末に初めて統一され、中国の歴史には『吐蕃』という名で登場します。当時の中国の王朝は『唐』。8世紀、吐蕃は、唐の都・長安(現在の西安)に攻め入るほどの強国でしたが、唐と和睦を結び、国境線を確定。「お互いの領土を侵さない」という誓いを記した『唐蕃会盟碑』なる碑文は今なおラサの中心・ジョカン寺前に残っています。
 吐蕃以降、チベットは、中国やモンゴルの王朝の影響下に入りますが、自らの国王(17世紀以降はダライ・ラマ法王)を頂くひとつの国家として、長らく存在し続けました。

 20世紀に入り、チベットは国際社会のパワーゲームに巻き込まれます。隣国インドを統治する英国と、南下し続けるロシア、そして中国・清朝の間で翻弄されますが、最終的には、1913年、清朝が滅んだことを機に独立を宣言。
 その独立国チベットが侵されたきっかけが、1949年、中華人民共和国による『チベット解放』宣言です。圧倒的な武力を背景に、1951年に『17条協定』が結ばれ、チベットは完全に中国の支配下に入りました。チベット各地で反乱が起こりましたが、中国は全てを武力で制圧。チベット全土で多くの町や僧院が破壊されました。
 1959年3月、中国がダライ・ラマ14世を拉致しようとしているという噂が流れ、ラサは騒乱状態に。14世は騒ぎが大きくなることを避けるため、ノルブリンカ離宮を抜け出し、インドに亡命。しかし、中国はこの騒乱を武力で鎮圧し、約10万人のチベット難民がインドやネパールに流出しました。

 信仰の対象であり、国家の中心であったダライ・ラマ14世を失ったチベットの人々に更なる災いの波が押し寄せます。1960~70年代、中国全土に吹き荒れた『文化大革命』により、チベットでは数ヶ所を残して、全ての僧院が破壊され、高僧は投獄されたり還俗させられたのです。後に「文革は間違いだった」とされ、1980年代に僧院の再建が始まりました。今日、私たちが訪れることができる僧院の多くが再建されたもので、今なお作業中の所も多くあります。

 ダライ・ラマ14世は、北インドのダラムサラに亡命政府を樹立。共に亡命した高僧たちは、インド各地に僧院を建設、チベット仏教・文化の保存・復興、世界布教に貢献しています。ダライ・ラマ14世は1989年に非暴力主義を評価され、ノーベル平和賞を受賞。今なお、国際支援を訴えながら、中国政府との交渉を求め続けています。

 中国は『西部大開発』の大号令のもと、着実にチベットを中国経済に取り込むことに成功。西部大開発とは、中国沿岸部に比べ経済的発展の遅れている内陸部(西部)の開発を進めよう!という巨大国家プロジェクトで、2000年にスタート。大規模なインフラ整備と観光開発、自然開発などが進められています。2006年7月には中国主要都市とラサを結ぶ鉄道(青蔵鉄道)が開通、巨額の中国資本と中国人がチベットに流れ込み続けています。
 一方で、思想や発言のコントロールは今なお行われており、明らかに違和感と矛盾に溢れているチベット自治区ですが、対外的には、何も問題がないかのように公表され続けています。

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写真1)チベット東部、川蔵公路の道路わきに書かれたスローガン『西部大開発』

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写真2)今年はチベット自治区成立40周年なんだそうです。

 熱烈重祝西蔵自治区成立40周年!?熱烈にお祝いしているのは、中国政府だけでしょう?お祝いしているチベット人がいるのでしょうか・・・?

ダライ・ラマとは 

 ダライ・ラマって聞いたことありますよね。現在のダライ・ラマは14世。亡命チベット政府のトップであり、チベット人の心の支えであり、1989年にノーベル平和賞を受賞した人物です。

 まぁ、旅行に興味が無い人、チベットに興味が無い人が知らなくたって不思議ではありませんが、チベットに旅行に来ている人で知らない人が多いことには驚きました。私のブログの中では、当然のように出てくる人物なので、きちんと説明しておきましょう。

 『ダライ・ラマ』とは、チベット語で『大海の師』を意味する言葉で、初めてダライ・ラマと呼ばれたのは、16世紀の人物、ダライ・ラマ3世(ソナム・ギャンツォ)です。

 ダライ・ラマは『観音菩薩の化身』とされ、繰り返しこの世に転生し続ける存在です。菩薩とは、輪廻の輪から解脱できるのに、人間界で苦しむ人々を救済する為に、敢えて輪廻の輪の中に留まっている存在。観音菩薩の化身であるダライ・ラマは、人民救済のために生まれ変わって再びこの世に現れるのです。初めてダライラマと呼ばれた3世以降、11回ダライ・ラマは転生してきたということになります。現在のダライ・ラマは14世です

 転生とは、文字通り、転じて生まれること、生まれ変わりのことです。ダライ・ラマが亡くなると、その生まれ変わりを探さなくてはなりません。大抵は、亡くなる前に残した予言や遺言によって、転生者の所在地が割り出され、亡くなったタイミングと生まれたタイミングが合致する少年が見つけ出されます。複数の候補者がある時は、前世の、つまり、亡くなったダライ・ラマに縁のある人物や物をヒントにして、生まれ変わりを探すんだそうです。
 見つけ出された転生者は、ラサに連れ帰られ、側近たちに英才教育を施されながら、立派な指導者へと育てられていきます。ダライ・ラマがまだ幼い時は、摂政が政治を代行します。

 ダライ・ラマは、5世(1617~1682)以降、仏教の最高権威としてのみならず、チベット民族・国家の最高権力者として、聖俗両面でチベットに君臨してきました。しかし、国家の最高権力者となったことで、弊害もあったようです。9世~12世のダライ・ラマは、幼少期に政治を代行する摂政や側近たちのパワーゲームに巻き込まれたのか、10~20代の若さで不自然な死を遂げています。

 現在のダライ・ラマ14世は、1935年生まれの71歳。1959年にインドに亡命し、北インドのダラムサラに亡命政府を樹立。チベットの外から、チベット人民を救う手立てを探り、中国政府に交渉を求め続けています。が、中国政府はダライ・ラマ14世を蔑ろにしていて、現在の中国・チベット自治区内では、ダライ・ラマ14世の顔写真を持つことすら禁じられています。公共の場所はもちろんのこと、個人的にチベタンが持っている写真ですら違法だというのです。多くのチベタンが、ダライ・ラマ14世の写真を隠し持っているとのことですが。
 チベット自治区内では、徹底した思想弾圧と報道規制が敷かれていて、ダライ・ラマの亡命政府が発表する声明は全く入っては来ません。そして、チベット自治区内での情報も、中国政府の具合の良いように捻じ曲げられて、対外的に発表されています。
 ダライ・ラマ14世が求め続けているのは、チベットの分離独立ではなく、チベットにおける信仰の自由、生活の保障、自然保護などです。漢民族の移入が止まらず、ますますチベットの漢族化(中国化)が進む今日、ダライ・ラマ14世の要求は、チベット人の要求そのままなのではないでしょうか。

 ダライ・ラマ14世の写真を飾れない現在のチベットで、最も良く目にする写真は『パンチェン・ラマ10世』の写真です。パンチェン・ラマは、阿弥陀如来の化身とされ、ダライ・ラマに次ぐ、宗教的権威です。
 さて、このパンチェン・ラマですが、よく見る写真の10世は1989年に亡くなっており、現在は11世の時代。しかし、この11世は転生者認定の段になって、チベット亡命政権と中国政府でひと悶着あり、それぞれが1人ずつ11世を認定するという事態に陥りました。チベット亡命政権、つまり本来パンチェン・ラマの転生者を認定するべき、ダライ・ラマが認めた11世は、中国政府によって世間の目から消され、今なお行方不明のまま。現在、公の場に登場するパンチェン・ラマ11世は、中国政府が認定したもう1人のパンチェン・ラマです。

 チベタンは誰でもパンチェン・ラマ10世の顔は知っているでしょう。至るところに飾ってありますから。しかし、ダライ・ラマ14世の顔を知っているかというと、みんながみんな知っている訳ではありません。顔写真を隠し持っていたとしても、それはダライ・ラマ14世が亡命した当時の20代の若い顔写真かも知れません。
 たまに、ダライ・ラマ14世の顔写真を沢山持ち歩いて、チベタンにこっそり配っている旅行者がいます。そんな旅行者から、「喜ぶと思ってあげたのに、『これ誰?』って聞かれたんだよ!」という話を聞いたことがあります。彼らが配った写真は60代後半、最近撮られたダライ・ラマ14世の写真です。チベタンがわかないのも無理はありません。
 しかし。『喜ぶから』と、容易にダライ・ラマ14世の写真を配りまくるのは恐ろしいことです。写真を持つことが違法なんですから、配った方も、貰った方も、警察に見つかればタダでは済みません・・・。写真をあげることが悪いことだとは思いませんが、場所とタイミングを良く考えなければなりません。

 ダライ・ラマに関連する話はこのくらいにしましょうか。なんとなく解りましたでしょうか?

チベット用語の説明 

 6月末に雲南省北部のシャングリラ県に入って以降、2ヶ月以上チベット文化圏を旅しています。この先も2ヶ月ぐらいチベットです。

 以前の書き込みで、そして、今後の書き込みで、当然のように使ってきた(使うであろう)言葉の中で、しっかりと説明が必要なものをいくつか紹介しておきます。

タルチョ・・・チベットの風景に必ずある五色(または白一色)の旗。民家の屋上や庭、遊牧民のテント、あるいは峠や聖山・聖湖などにはためいています。旗には経文が印刷されていて、旗がはためくたびに、風が仏法を世界に広めてくれるというありがたいもの。5つの色は、物質世界の5元素、つまり『五大』=地・水・火・風・空を意味し、それぞれ、地=黄、水=青、火=赤、風=緑、空=白を表しています。

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写真1)これがタルチョ。ガンデン寺のリンコル道で撮影。


マニ車/マニコル・・・円筒の内部に経文を納めたもので、1回まわすと経文を1回唱えたことになるというありがたいもの。チベットのお寺には、必ずマニ車が並ぶ参道があり、巡礼者たちはマニ車を回しながら進む。携帯用のマニ車もあり、チベットのお年寄りはほとんどこれを回してます。20cmくらいのものから、1mぐらいある大きなものまで、携帯用といえどもサイズは様々。回す方向は、もちろん時計回りです。

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写真2)お寺のマニ車。ジョカン寺内部にて。

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写真3)一心不乱にマニ車を回し続けるおばあさん。バスの中でも回すのを止めません・・・。


五体投地・・・正しくは、『五体投地礼』、チベット語ではキンチャ。全身を投げ出し、身(体)、口(言葉)、意(心)全てによって仏法への帰依を示すチベット仏教における祈りの定番フォーム。仏像の前、高僧の前、聖地へ向かう巡礼道などで行われています。

 ①まず胸の前で合掌(掌をくっつけない蓮華合掌) → ②合掌した手を頭のてっぺんへ(体による祈り) → ③合掌した手を口元へ(言葉による祈り) → ④合掌した手を胸へ(心による祈り) → ⑤合掌をといて、両手両膝を地面につく → ⑥うつぶせになって体を伸ばす →⑦腕を伸ばしきったところで合掌 → ⑧起き上がって①へ戻る。
 これらが一連の動作です。巡礼者の中には、五体投地で進む人もいますが、その人たちは、上記の①~⑦の動作を延々と繰り返し、少しずつ少しずつ進むのです。ラサのジョカン寺の周りを五体投地で回っている巡礼者の中には、⑤と⑥の動作のところで、勢い良く前方にダイブして、距離を稼いでいる人もいました。ジョカン寺周辺は、滑らかな石畳になっているので、けっこう豪快に進んでいましたよ。

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写真4)ジョカン寺前、ラサ巡礼に来た人々の最大の目的地はこのジョカン寺。毎日数十人の巡礼者が、正門前で、五体投地を行っています。


ラマ・・・チベット仏教において、『師』『先生』を意味する言葉。自分が教えを受けている僧侶や、高僧一般のことをこう呼びます。中国語では、全てのお坊さんをラマと呼びますが、これは間違いです。さらに言うならば、日本では、たまにチベット仏教のことを『ラマ教』と言うことがありますが、これは大間違い。チベット仏教は、仏教の一つの形態であり、チベット仏教と呼ぶのが最も的確です。ラマその人が信仰の対象になっているわけではありません。
ちなみに、ダライ・ラマの『ダライ』は大海という意味だそうで、全体で『大海の師』という意味になります。

武器マニア・ベンジャミン 

 チベットの犬対策で、棍棒を作った私。このアイディアは、サイクリスト仲間、英国人サイクリストのベンから貰いました。

 チベットで犬に咬まれたり、追いかけられたりするサイクリストはかなりの数です。咬まれたが為に、狂犬病注射を定期的に打たなければならなくなり、旅のルートが変わってしまった人も知っています。

 雲南省で2週間以上、ベンと一緒に過ごす時間があり、その間、いつもチベット犬撃退法について、アイディアを出し合っていました。いろいろ案が出た結果、私は振り回しやすい50cmの棍棒を製作。そして、ベンは、2種類の武器を製作しました。

 彼が作ったのは、古い自転車のタイヤを切って、握る場所をつけた『タイヤの鞭』と、古い自転車のチューブを切ってY字の棒に結びつけた『チューブのパチンコ』のふたつ。他にも色々トライしてたみたいですが、結局出来上がったのは、これだけ。

 できることなら、棍棒を使いたくない私。ベンは、彼が作った鞭とパチンコを試してみたくて仕方がないみたい・・・


 ベン&シーナは、8月中旬にはカトマンズに到着した模様。ベンから犬と戦ったという内容のメールが届いていないので、多分使わなかったのでしょう。良かった良かった。

狼は棒に当たる? 

 結局、雲南省・徳欽~ラサ間の移動では、犬撃退用棍棒は使用しなかったわけですが・・・。これから先、西チベット・カイラース山への移動では、使用の機会があることでしょう。西の方は、遊牧民も多く、犬は鎖に繋がれていないことが多々ありますから。私が知っているサイクリストやバックパッカーで犬に咬まれた人の大半が、カイラース山方面で咬まれています。

 覚悟はあります。咬まれる覚悟ではありません。犬と戦う覚悟です。殴るのは可哀想ですが、咬まれる訳にはいきません。とはいえ、片っ端かた殴りつける訳ではありません。犬が追いかけてきたら、まず、自転車を停めて、棍棒を構えて犬を威嚇。その後、犬と距離を取りながら縄張りの外まで、自転車を押して行くのが効果的でしょう。自転車に乗って走ると、足に咬み付いてきますから。不意に犬に追いかけられたら、しかたない、走りながら棍棒で戦うつもりです。

 まぁ、犬への対処法は色々と伝え聞いていますから、大丈夫でしょう。

 でも、狼って・・・、棒じゃ戦えないよな・・・

 西チベットでは、野生の狼が生息しています。人家のない地域で、キャンプをしていたサイクリスト仲間は、狼の遠吠えを聞いたそうです。たまぁ~に、狼に襲われる人もいるんだとか?本当かなぁ・・・。

 狼は非常に慎重で賢い動物なので、ひょっこり現れた怪しいサイクリストに近づいたりはしないでしょう。そう願います。

犬も棒に当たる? 

 チベット入りを前に、凶暴なチベット犬対策として、棍棒を作りました。スチール製の50cmぐらいの棒、これはトイレのカッポンカッポン(何ていうのアレ?トイレの詰まり取り?)の柄です。もちろん、新品ですよ。これだけでは、軽くて攻撃力がありません。そこで、棒の先に2cm角のナットを4個固定しました。この部分で叩かれたら、人間でも痛みで悲鳴を上げるでしょう・・・。

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写真1)これが犬撃退用棍棒

 完成した棍棒は、自転車のフォークに固定できるようにしました。走行中でも、3~4秒で迎撃体制に入ることができます。

 しかし・・・、私を咬もうとしている凶暴な犬と言えども・・・、できることなら殴りたくはありません。きっとこの棍棒はかなり痛いはずです。ラサまでの17日間は、一度も使われることがありませんでした。この先も使うことがないよう、祈っています。

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写真2)こうやって固定してます。

ギャンツェです。 

ラサを出て1週間、この間5日走って、現在地はギャンツェという古い城塞とお寺が素敵な町です。

走り始めて再実感。良いですね、チベットは 自然が最高です

とりあえず、現在地の報告でした。明日は、シュガツェまで走ります。シュガツェで沢山エントリーします。

HOW OLD ARE YOU?? 

 最近、歳を聞かれる頻度が増した気がします。

 ラサで過ごした4週間、一度も宿を変えることなく、吉日ホテルという外国人が多く宿泊する宿に泊まっていました。

 部屋は201号室、4人ドミトリーで外国人専用。大抵の旅行者は数日で出てしまうので、毎日のように新しい旅行者がやってきて、当然、挨拶を交わします。

「こんちは!今日はどこから来たんですか?」と会話を始め、1~2分もすると話題は私の自転車旅のことに。ベッド脇に転がってるタイヤや、ドアの前の自転車に気が付けば、まぁ当然の展開です。一通り驚きの言葉を聞いた後、大抵の人は同じ質問で締めくくります。

ところで、あなた今何歳なの?」

 まだ27歳ですが、28歳と答えています。私の誕生日は11月ですが、夏前ぐらいから、誕生日が過ぎたものとして1歳多く答えています。だから、実際に11月の誕生日を迎えた時には、「あれ?29歳になったんだっけ?」みたいなことになっちゃいます。

 歳を告げると大抵の人は驚きます。「えっ!もう少し下かと思ってた!」 ハイハイ、若く見えて悪かったですねぇ!んでもまぁ、これも慣れっ子です。大抵私は22~24歳に見られているようです。過去の旅の話や今回の旅の計画を聞いていると、「あれ?この人思ってるよりもいくらか年上なのかも?」と思うのでしょう。

 西洋人がアジア人の年齢が判らないのは、よくあることです。が、たまに出会う日本人旅行者でさえも、私を随分若く見ていることがある・・・。20歳前後の学生にタメ口で話しかけられるのにも慣れました。学生同士だと思ってるんでしょう。しかし、まぁ、初対面なんだから、もう少し丁寧な言葉を使って良いんじゃない?そこらへん厳しいですよ、私は。九州男児ですから。

 あっ、話が逸れました。歳の話でしたっけ。私は、今、20代後半のこのタイミングで、このような旅ができることを幸せに感じています。20歳前後のころも沢山旅をしまいたが、その当時よりも、いくらか大人になっているので、一歩踏み込んだ体験ができているような気がします。

 28歳、伊東心、精神的にも肉体的にも絶好調で旅を続けています!!

八宝茶 

 ラサでハマッていたお茶です。

 八宝茶、または碗子(ワンズ)と呼ばれるお茶です。ウイグルや中国西域のイスラーム圏のお茶らしいのですが、ラサで初めて飲みました。

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写真)八宝茶

 八宝というからには、八種類の具(?というのかな?)が入っているのでしょう。数えてみました。まず、お茶っ葉、これは緑茶です。干しなつめ菊の花氷砂糖干し葡萄龍眼。あとは・・・、なにやら判らないものが何種類か。ラサのムスリム街のレストランで店員さんに全て聞いてみたのですが、もう忘れました。
 甘くフルーティーな風味が何とも形容し難いのですが、とにかく美味しいのです。ムスリム街のレストランで、すっかり気に入って、このお茶を飲みたいが為に、その店に3~4度足を運びました。
 自分で作れないものかと原料を探していたら、スーパーでパック入りのモノを発見!喜んで試してみましたが、あのお店の美味さには程遠く、なんだかガッカリ・・・。

 ウイグルに行ったら、また美味しい八宝茶が飲めるんだろうなぁ~。10月には新疆ウイグル自治区入りです。楽しみだなぁ~

タシ2の家族 

 タシ・レストラン2――― ラサでの休養期間、おそらく最も長い時間を過ごした場所でしょう。

 ラサで宿泊していた吉日ホテルの敷地内にあるレストランです。ラサにはタシ・レストラン1とタシ・レストラン2があり、どちらも同じ経営者。『1』と『2』では、メニューも同じですが、私はタシ2の方が好きです。自分の部屋から1分もかからずに行けるというのが最大の理由ですが、通っている内に、タシ2の一家と仲良くなったのも理由です。

 私のラサでの1日は、いつも8時に始まっていました。いつまでも寝ていたいのですが、8時になると客室管理のおばさんたちが、部屋のポットのお湯を交換にやって来るのです。お客が寝ててもお構いなし。お湯の交換の後、20分ほどで今度は部屋の掃除にやってきます。休養期間といえども、いつまでも寝ているのは勿体ない!客室係のおばさんが良い目覚まし時計代わりでした。

 8時に起きて、眠い目を擦りながらシャワー室へ。夜の内に浴びていても、朝シャワーの習慣がついていました。すっきり目覚めた後は朝食!タシ2で摂ることもあれば、近所の中華食堂で包子(ポウズ)とお粥の中国風朝食を摂ることも。
 午前中は、あまり外出しません。お昼までの2~3時間、ほぼ毎日、タシ2で過ごしていました。パソコンを持ち込んで原稿を執筆する日。絵葉書を持ち込んで手紙を書く日。走行資料やガイドブックを読み漁る日。顔馴染みの旅行者とおしゃべりをする日。
 タダで座っているわけではありませんよ。1杯1.5元のミルクティーをいつも飲んでいました。小腹の空いている時は、6元のチーズケーキや5元のツァンパ。毎日毎日ミルクティーを頼むもんだから、2週目以降は、入店するとミルクティーが勝手に出てくるようになりました。コーヒーを飲みたい気分でも、ミルクティー・・・、まぁ、いいか。

 タシ2の従業員は、チベタンの一家。片言の英語を話す母親と娘さんが注文を取ります。英語さっぱりの息子もいますが、特に手伝いをするわけではなく、学校が終わるとここに帰ってきます。この少年、私がラサに到着した時は、左腕を骨折して包帯で首から吊っていましたが、3週間後には治ってしまっていました。子どもの怪我は治りが早いですよね。

 ある日、『タシ・ピザ』なるビザパンを頼んだ時のこと。ピザに乗っているチーズが美味しかったので、「このチーズを1kgほど欲しいんだけど?」と言うと、翌日1kg仕入れてくれていました。どこか外国から輸入しているチーズのようで(ネパールかな?)、中国・チベットで食べたチーズの中では、珍しく納得のゆく良いチーズでした。1kgを30元で買取り、私のラサ出発まで冷蔵庫で保存しておいてもらうことに。
 出発の前日、預かってもらっていたチーズを受け取りに行くと、半分のサイズになっていました・・・。在庫が切れたから半分貰ったとのこと。まぁ、いいか、500gあれば十分です。半額15元は返してもらいました。

 タシの料理は、外国人相手にしては格安で、外国人に人気です。私のお勧めは・・・、『ツァンパ』かな。ツァンパとは、チベット人の主食で、煎った大麦を挽いた粉です。ツァンパは食べる場所によって、なぜか味がマチマチ。大抵は美味しいと思えるものではないです・・・が、タシのツァンパは仄かに甘くて美味しい!日本の黄な粉を食べているかのようです。あぁ!あのツァンパを別けて貰ってくれば良かったな・・・。西チベットでの非常食として。

 タシ・レストラン2、お茶を飲みながら、のんびりするには最高の場所でした。

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写真)タシ2の一家。

ジョカン寺参観 

 8月21日、ラサ滞在26日目、つまり・・・、ラサ最後の日にようやくジョカン寺に行きました

 ジョカン寺とは、ラサのチベット人居住区(もともとのラサ)の中心にある、チベット最古のお寺です。
チベット中のお寺の中で、最も有名なお寺でしょう。聖都・ラサに巡礼にやってくるチベット人の最大の目的地がこのお寺です。

 ジョカン寺のぐるりと取り巻くバルコルは、巡礼路であり、地元のチベタンの買い物場所であり、観光客向けの土産物屋街でもあります。ラサ到着以降、毎日のようにバルコルを歩いて(もちろん時計回りにグルリ!)いましたが、なかなかジョカン寺には足が向きませんでした。

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写真1)バルコルの土産屋街。チベタンは皆こちらに向かって歩いてきます。向こうに歩いているのは、中国人か外国人。

 私は、大好物は最後まで残しておくタイプです。ショートケーキの苺ちゃんは、最後ってことです。まぁ、それがジョカン寺を最後にしたことと関係があるかというと、全くありませんが、やはり、ジョカン寺を見ずして、ラサは離れられません

 21日の午前8時半、ジョカン寺の前へ。いつものように香台からはモクモクとお香(サン)の煙が立ち昇り、あたりは白い靄に包まれていました。そして、入り口正面では、いつものように五体投地の巡礼者たち。入り口をくぐると小さな中庭・・・、さぁ、ここから先が勝負です。

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写真2)ジョカン寺正面、午前8時半
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写真3)ジョカン寺入り口正面で、五体投地の祈りを捧げる巡礼者たち。

 ジョカン寺の入場料は50元だったか?60元だったか?他のメジャーな寺・僧院と変わらない金額です。外国人なので、払うべき代金ですが、チベタンは無料・・・。だったら、私も無料で入りたい!私も仏教徒なんですし
 本堂の周りをぐるりと2周して、様子を探ります。巡礼チベタン用のゲートと、外国人(漢民族も含む)用の並ばなくて良いゲートがありました。では、私はチベタンということで、チベタンの列へ。長ぁ~い列に並んでいると、前後のチベタンたちは、不思議そうな顔をして私を見ています。バレバレですが、構いません。チベタン男性のお洒落アイテム・カウボーイハットを目深にかぶり、ひたすら列が進むのを待ちます・・・。
 本堂入り口まであと少しとなったところで、カウボーイハットを脱ぎます。お堂の中では、帽子を脱ぐのが常識です。入り口まで来ると、巡礼チベタンの列の隣を、60元を払って本堂へと入っていく観光客たちが颯爽と歩いています。私は、最後までチベタンと共に巡礼を果たすのです・・・、辛抱強く列に並び続けます。

 中国人観光客が大声で騒ぎながら、本堂へ向かう中、私たちチベタンの列は、ゆっくりゆっくりと本堂の中へ進み、本堂の中でも時計回りにゆっくり進んで行きました。周囲のチベタンたちは、とても有難そうに神仏を拝み、お布施のバターや1角札(0.1元)を捧げながら歩いています。私も仏様や菩薩に手を合わせながら歩きました。

 ジョカン寺の本尊は、釈迦牟尼像。入り口の門を潜ってから、ここまでたどり着くのに1時間半以上かかりました。釈迦牟尼像の前で、私としては珍しく、お布施をして、2階へ。2階はそれ程混雑しておらず、テンポ良く仏像・菩薩像を見て回りました。1階に下りて来ると、相変わらず巡礼チベタンの列が・・・。最後までチベタンと一緒に回っては、時間がなくなりそうです。私は、今日ラサを出るんです。
 列から抜け出して、本堂を後にし、もう一度本堂の外側をぐるりと回って、正面の門の屋上に登りました。屋上からは、正面広場の風景と小さくポタラ宮殿も見えて、景色はナカナカ☆

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写真4)ジョカン寺入り口の屋上から、本堂の屋根。
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写真5)ジョカン寺入り口の屋上から、ポタラ宮殿を望む。

 午前10時半、2時間かかったジョカン寺拝観を終え、宿に戻りました。さぁ、これでラサを出れるぞ!と思ったら、なんだか寂しくも思えてきました・・・

 ジョカン寺、聖都ラサの最後に相応しい、とても信仰深い場所でした。

青蔵鉄道 

 8月21日、長居したラサを出発。市内を西に走っていくと・・・、あっ!

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写真)青蔵鉄道の鉄橋

 あらららら・・・、忘れてた!

 7月に開通した青海省・ゴルムドとチベット・ラサを結ぶ『青蔵鉄道』の高架下を通過しました。ラサにいる間に、鉄道の駅を見に行こうと思っていたのに・・・、ここに高架があるということは、この先が駅か・・・。どうしよう?駅を見に行こうかなぁ・・・?

 まぁ、いいか!別に、電車に乗れるわけでもないし。
 青蔵鉄道はどうも好きになれないし。


 青蔵鉄道は、建設計画発表当時、2007年完成予定だったといいます。が、人海戦術の国・中国は計画よりも1年早く敷設工事を完成させてしまった!おかげで、この2006年の夏のチベットは、中国人観光客の大津波が押し寄せ、連日の大混雑でした。
 この鉄道に乗ってやってくるのは、観光客だけではありません。鉄道開通により、これまで以上に物資や資本が流れ込み、チベットの漢民族化が加速すると思われます。当然、この鉄道開通を快く思っていないチベット人は沢山います。私がラサで話した英語を話すチベット人の中には、「建設途中に誰かが爆破してくれると思ってたんだけどなぁ・・・、完成しちゃったね・・・。今からでも遅くない!あんな鉄道破壊していしまえばいいんだ!」なんて過激な発言の青年も。

 青蔵鉄道の開通により、中国本土の主要都市と結ばれてしまったチベット。今後、ラサを基点に数本の支線が建設されるんだそうです。チベットの大地には、天然資源(鉱物)が沢山眠っているので、それを掘り出して運搬するための鉄道でしょう、きっと。天然資源開発と掘り出しによって生まれる雇用を目当てに、更に多くの漢民族がチベットへやって来るんでしょうね。

 中国のチベット支配(植民地経営)は、と~っても上手く進んでいます。
 

ラサを出ます 

ラサ到着から26日が経ちました。この間、全くラサから出ていません。のんびりしていたのに、ブログの書き込みが間に合ってなくて、申し訳ございません。

今日、これからラサを出ます。

ひとまず、エベレストを目指して走ります。その後は、聖地カイラース!!そして、新キョウ/ウイグル自治区/カシュガルへ。70日3500kmの超過酷なステージです。

ラサを出て、数日間はネット環境がありますので、追い付いていないブログのエントリーを済ませてから、無人の荒野へ走り出したいと思います。

さて、行くか!!

ポタラ宮殿を眺める 

 ポタラ宮殿 ― ラサの象徴、いや、チベットの象徴ですね。1645年にダライ・ラマ5世によって造営が始まり、5世の死後も、摂政によって14年間造営が続けられ完成したんだそうです。正面右側の白い建物(白宮:ポタン・カルポ)が政治部門の中心&法王の居住スペース。左手の紅い建物(紅宮:ポタン・マルポ)が宗教部門の中心。1959年のダライラマ14世インド亡命まで、チベットの政治・宗教、全ての中心でした。

 チベットの中心であったポタラ宮殿ですが、ラサの中心地にあったわけではないそうです。ポタラ宮殿は、ラサ市街の西はずれに建てられました。

 が!2006年のラサでは、ポタラ宮殿は街の真ん中に建っています。中国人が築いた新しい市街地がポタラの西の地域へ拡大を続けた結果、ポタラ宮殿がちょうど街の中心付近になってしまったわけです。新市街はまだまだ西&北に拡大を続けています・・・。

 ラサで過ごした4週間、ほぼ毎日ポタラ宮殿を見ていました。ポタラ前まで行かなくとも、ホテルの前の通りからでも見えるのです。しかし、やはり目の前で見るのが一番良いです。

 色々な角度から撮ったポタラ宮殿の写真をピックアップしてみました。


写真1)午前6時半、未明のポタラ宮殿。こんな早朝から、ポタラ宮殿に向かって五体投地を行う巡礼者の姿が。

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写真2)昼間、ポタラ宮殿前の広場から。ポタラと向き合う広場には、中国国旗が高らかと掲げられている。

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写真3)昼間、ポタラ西側の小さな丘の上から。よくポストカードに使われるアングル。

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写真4)夜、ポタラ宮殿前の広場から。

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写真5)ジョカン寺の屋上から。

 青く深いラサの空に聳えるポタラ宮殿。何度見ても、見上げる度に感動するんですよね。『あぁ~、俺は今、チベットに立っているんだぁ~・・・』って思いに浸れます。



中国語堪能な外国人 

 これまた多くて驚きました。

 4週間近くを過ごしたラサ。私の大事な『やるべきこと』は、英語と日本語をとことん話すことでした。

 日本語の話はひとつ前の書き込みを読んで下さい。


 吉日ホテル201号室の主と化していた私。外国人専用の4人ドミトリーで、他の3つのベッドは回転良く、数日でお客が入れ替わっていました。新しく客が来ると、当然のことながら挨拶と自己紹介。何分間かの話だけで終わる人もいれば、一緒に食事に行ったり観光に行ったりする人もいます。

 201号室だけで、20人ぐらいの客が泊まっていったでしょうか。ほとんど全員と言葉を交わし、旅行の予定などを話すのですが、驚いたことに・・・。「8月末には、青島に帰るわ。」「電車で北京から来たんだ。」「9月からは広州の学校に通う予定。」「昨日の晩まで上海のオフィスで働いてたんだ。」なんて会話が、多いこと!多いこと!!
 半数以上が、中国在住の外国人でした!!北京や上海、広州の外資系企業で働いている人。英語教師として働いている人。語学留学中の人。夏休みを利用して、チベットを旅行しているという人がほとんどでした。外資系企業や英語教師で働いている人たちは、それ程中国語は上手ではありませんが、語学留学中の人は流石です。日本人、韓国人、アメリカ人、イギリス人、アイルランド人、カナダ人、ガーナ人、みんなペラペラ中国語を話していました

 発展著しい中国経済の吸引力って、凄いですよね。中国にはビジネスチャンスがあり、中国語には将来性があるってことでしょう。

 日本人、韓国人を除く、欧米&アフリカ人に聞いてみました。『中国語の何が難しい?』みんな即答するのが、『漢字』です。あんな何千文字もある漢字を流暢に読めるようになれ!っていうのは無理な話です。幸い、私たち日本人は漢字慣れしているので、簡体字をちょこっと勉強すれば大抵の文章が読めるようになります。


 私は中国(チベット含む)を旅し始めて、合計で5ヶ月半が経過しています。中国語能力は、初めの2~3ヶ月で、大学で勉強していたレベルまで戻りましたが、それ以降は、伸び悩んでいます。これ以上先は、テキストや会話集を使って、意識的に『勉強』しなければ伸びないでしょう。現状が、旅行者の限界!これ以上頑張るつもりはありません。旅の生活では、そこまで手が回らないんです。

日本語堪能な外国人 

 こんなに沢山いるとは・・・、驚きました。

 4週間近くを過ごしたラサ。私の大事な『やるべきこと』は、英語と日本語をとことん話すことでした。

 体の休養に加えて、精神も休養させなければなりません。長期旅行に慣れてしまっている私にとって、新しい環境や移動はそれ程ストレスになるものではありません。が!長~い移動が続き毎日毎日転々とするのは、やはりストレスです。つまり程度次第ってことです。
 ストレスといえば、言葉の壁もストレスになります。いくらか中国語を解する私ですが、中国人・チベット人とのコミュニケーションは20~30%ほどしか成り立っていません。英語はというと、80%ぐらいでしょうか。ずっと英語で旅ができたら、そんなにストレスも溜まらないんでしょうけど、英語を話す中国人・チベット人なんて、滅多にいません。

 しばらく中国語だけの生活をしていると・・・

 「んあぁ!!英語か日本語が喋りてぇ!!」

 となるわけです。伝えたいことが伝わらない、聞いてることが解らない、というのはストレスです。他の日本人旅行者の話を聞いてる感じ、私はそんなに言語に関するストレスは強くないようですが、英語・日本語無しの期間がバックパッカーの何倍も長いので、ただ単にその環境に慣れているだけでしょう。

 だから、ラサでは、喋りたいだけ英語と日本語を喋りまくっていました。

 英語はたまに喋っておかないと、感覚が鈍ってしまいます。私の場合、思考がそのまま英語になって口から出なくなったら黄色信号!頭の中で日本語→英語と変換しているようでは、英語能力が鈍っている証拠。

 日本語はというと、母語ですから、長らく喋っていなくても感覚が鈍ることはありません。博多弁の感覚は鈍っているかもしれませんが。

 で、その日本語のことです。韓国人で日本語を勉強している人が多いのは何年も前からのこと、別に驚きはしませんが、この夏のラサでは、英国人、フランス人、アメリカ人、カナダ人、中国人、香港人、オランダ人、と、実に多くの日本語話者に出会いました。
 7月末、ラサに到着してすぐの頃、日本人旅行者は私だけなのに、私を含めた4人の外国人旅行者の共通語が日本語だった、なんておかしなこともありました。日本語が母語の私が英語で話しかけて、英語が母語のカナダ人が日本語で返すなんていうことも。

 なんでこんなに日本語が堪能な外国人が多いのでしょう・・・?

 日本語の国際的な通用度が増しているのでしょうか?それも若干、極々僅かあるかも知れませんが、大きな理由は、ここが中国だからではないでしょうか。日本に興味がある欧米人は、中国にも興味がある人が多いのです。また、日本在住の外国人が夏休みで近場の中国に旅行に来ている、という場合もあります。私が出会った日本語を話す欧米人たちは、前述のいずれかに当てはまります。以前、日本で暮らした経験があり、今は中国で暮らしている人。今、日本で暮らしていて、夏休みで中国を旅行中の人。

 ラサでは、日本語を話す外国人旅行者や、日本人旅行者と、トコトン!日本語での会話を楽しみめました☆

 

チベットを旅行する方法 

 私には縁の無いモノなんですが、チベットを訪れる一般の旅行者にとって、無くてはならないのが『掲示板』です。

 チベットの旅行には、なにかと面倒なものがあります。何が面倒かって、まず『移動』です。広い国土に道路は少なく、公共交通機関もまだまだ発達していないので、効率良く旅をしようと思ったら、ランクルなどをチャーターして数日間のツアーを組むことになります。これは中国人観光客も、外国人観光客も同じことです。

 外国人観光客に限って言うと、『外国人旅行証』なるものが面倒です。これは、中国政府が、外国人の自由旅行を制限するために設けた厄介な手続き。要は、ラサ地区以外の町や村に行くために、事前に許可を申請しなければならないというもの。これは原則的にツアーに参加していないと受理されない許可証です。原則的には、この許可証なしでは、長距離バスのチケットも買えません。まぁ、最近は規制が緩くなってきているので、許可証なしでも何とかなると言えば何とかなります。私はもちろん、許可証なんて持ってません。

 で、なんで掲示板かといいますと。ツアーを組むには人数を集めなければならないから。例えば、エベレストベースキャンプまで行くツアーを手配するとしましょう。ランクルのチャーター代は、4~5日で4000元くらい(だいたいです)。1台に4~5人乗ることができるので、2人でチャーターするよりも4~5人でチャーターした方が、1人当たりの出費が抑えられるというわけです。掲示板には、『エベレストベースキャンプ行き、4泊5日ツアー、あと2名参加者求む!』みたいなことを張り出すわけです。

 ひとりで気ままにどこにでも走って行けちゃう私には、縁が無い訳です。でも、掲示板を見るのは面白いもんです。

 多いのはやはり、エベレストを絡めたシュガツェ地区4~5泊のものでしょうか。あと、チベット最大の聖地カイラース行き。他には、ナムツォ(湖)行き、ネパールカトマンズ行き、ヤルン・ツァンポ大峡谷行き、雲南省シャングリラ行き、などなど。変わったものでは、『8月10~15日の間で、北京行き列車チケット求む!』とかもありました。
 中国人観光客が溢れていたこの夏のラサ、掲示板に張り出されているメッセージの多くが、中国語のもの。全体の半分ぐらいでしょうか。残りは、英語と日本語と韓国語。英語のものは、欧米人が書いたものと、日・中・韓の旅行者が書いたものと、見れば大体解ります。日本人旅行者は、絶対数としてかなりの数いるはずなのですが、あまり日本人の書いたメッセージは見ませんでした。掲示板なしでも、仲間が見つかるってことでしょうか。

 メッセージには、携帯の番号や宿泊している宿の部屋番号などが書かれています。そこに連絡するか訪ねるかして、お互いの都合や人柄を確認した上で、ツアーに参加するかどうかを決めているようです。特に、10日以上かかるカイラース方面のツアーでは、人柄と相性は重要です。相性の悪い人と、1日中車内で隣り合いたくないでしょう?

 なんだか、楽しそうだなぁ~・・・。私も何か張り出してみようかと思いましたが、何も求めるものはない・・・。

 一緒に世界一周するサイクリスト募集☆ って張ってみたら、誰か来たかな?来るわけないか・・・

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写真)吉日ホテルの掲示板。ラサ市内の主要なホテルには掲示板があり、メッセージを出す人は、複数の掲示板に張り出している。

オシム・ジャパンのエースストライカー候補 

 2006年ワールドカップ・ドイツ大会の熱はもう冷めましたね。サッカー日本代表は、2010年の南アフリカ大会に向けて、オシム新監督の下、新しいチーム作りがスタートしています。

 オシムさんって人は、どうも変わった人のようですね。しかし、その指導法や描く理想のチーム像などは、信頼できるようです。スピードがあり、どこよりも走れるチームを作りたいんですってね。

 そんなオシム・ジャパンでエースストライカーになれそうな人材を発見しました。彼です。

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写真1)前線で積極的なプレスから、パスカット!
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写真2)ボールを持ったら、一気にゴールを目指しダッシュ!!

 私の撮影が追い付かない程のスピードです。標高3650mのラサで全力疾走できる彼。確実に、90分間走り続けるだけの体力があるでしょう。

 問題は、彼がお坊さんであるということ。それと、チベット人であるということ・・・。


 さて、冗談はこれくらいにしましょうか。チベットで流行っているスポーツの話です。中国本土で人気のスポーツと言えば、バスケットと卓球でしょう。どこの町に行っても、バスケや卓球をしている子どもを見ます。テレビをつけても、試合の中継をやっています。

 チベットは中国の一部となっていますが、チベット人はバスケや卓球はしません。たま~にやってる人を見たとしても、それはチベットに移住した中国人です。やはり、中国人が好きなスポーツはチベット人は嫌いなのでしょうか?あるいは、標高が高いため、激しいスポーツは流行らないのでしょうか?
 私が思うに、その両方だと思います。たまにサッカーをやっている子どもたちを見ますが、街角サッカー程度で、広いフィールドを使ってのフルゲームは見ません。卓球台をほとんど見ない代わりに、至るところで、ビリヤード台を見ます。中国本土にも沢山ビリヤード場がありますが、チベットはその何倍もあり、人気もあります。ラサの街角で、田舎町で、草原で、あちこちでビリヤードをやってるチベタンを目にします。ビリヤードは、スポーツというより娯楽の度合いが強いので、卓球と比べるのはどうかとも思いますが。

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写真3)青空ビリヤード場

 私は、バスケットは苦手です。卓球も苦手です。サッカーは大好きです。ビリヤードも好きです。

 というわけで、やっぱりチベットが好きです。

これなぁ~んだ? 

 チベットでよく目にするモノです。

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写真)これ

 何でしょう?お手製のパラボナアンテナ?意味不明な現代アート?? やかんが乗ってるから解り易いかな?

 これ、太陽光でお湯を沸かす為のパネルです。強烈な日差しのチベットならではのモノです。たまにやかんを注視してみると、グツグツと湯だっているものがあります。そんなに熱いのかな?と、やかんの下に手を翳してみると、「アッツ!!」けっこう熱いです。小学校の頃、虫眼鏡で集めた光で黒い紙を燃やす実験しませんでした?うまく光を集めれば、紙ぐらい燃えるかも知れません。

 燃料の乏しいチベット高原ですが、太陽光はタップリ。生活の知恵ですね。

あれっ・・・?そういやぁ・・・ 

8月13日

 今、チベットは20時20分です。で、今、気が付きました・・・。

 今日、俺一歩も外に出てない!!

 なんてことでしょう。ホテルの敷地から一歩も外出してないんですよ・・・。良くないですね。日没は9時だから、今から夕方の散歩に行ってきます!!

ラサから先は・・・ 

 ラサも今日で17日目になりました。

 のんびりし過ぎで運動不足になっていやしないか心配なくらいです。

 この長い休養は、この先の移動に備えるための大事な準備期間です。バックパッカー用語で言うところの『沈没』(怠けてしまって同じ町でゴロゴロし続けること)ではなく、色々とやるべきことがあるんです。まぁ、最大の『やるべきこと』はゴロゴロすることですけど・・・。

 ラサから先は、西チベットにあるチベット仏教最大の聖地・カイラース山(カンリンポチェ)に向かいます。
 カイラースの後は、新疆自治区のカシュガルまで更に西進。ラサ~カシュガル間の道は約3000km、その大半が未舗装です。そして、その大半が標高4000m前後の高所・・・。おそらく、世界で最も過酷な道のひとつです。カシュガルまで真っ直ぐ走り続ければ、45日ぐらいで走れるらしいのですが、私は途中でエベレストベースキャンプに行ったり、カイラース山を巡礼したり、1~2日の休養を取ったりするつもりなので、70日間と見ています。

 70日間の過酷な移動に備えるため、ラサでは、自転車を完璧に整備して、アウトドア系の装備を整え直して、各所に郵便&小包を送ってインターネット&パソコン仕事をやっつけて、毎日美味しいものを好きなだけ食べて、日本語と英語を好きなだけ喋って・・・、そして、余った時間は怠けることに費やしています。あっ、もちろん、観光もしてますよ。

 ラサから先は、この旅最大のステージです。目指せ!カイラース!!そして、カシュガル!!

 8月15日までにはラサを出発したいと考えていますが・・・、小泉首相靖国参拝に対する漢民族の反応を見てみたい(怖いもの見たさ/ある意味良い勉強)ので、もしかしたら、もう少し長く滞在するかもしれません。

ガンデン寺の大タンカご開帳 

8月9日、ガンデン寺の大タンカご開帳を見に行きました

 ガンデン寺は、7月26日に宿泊した場所(詳しくはこちら→http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/page-3.html#entry381)ラサから60km程の山の上にある大僧院で、チベット仏教ゲルク派の総本山です。
 タンカとは、軸装した仏教絵画のこと。神仏や曼荼羅を描くことが多く、小さなものは土産屋などで沢山売っています。

 で、大タンカですよ!!『大』ですからね、大きいんでしょう!

 夏のこの時期、チベットでは大きなお祭りが沢山あります。7月は、北や東の草原でホースレース(馬術競技)が行われたり、8月はラサでショトン祭りという大きな祭りがあります。ガンデン寺の大タンカご開帳もそういった夏祭りのひとつです。

 ラサからガンデン寺まで、毎朝数台の巡礼バスが出ていますが、この日は祭りとあって、何十台もバスが出ていました。私は、同宿のカナダ人女性と朝6時半にラサを出ました。文章で色々と説明するよりも、写真で見てもらった方が解りやすいでしょう。

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写真1)8時、早朝だというのに沢山の人々。ガンデン寺への山道を歩く。

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写真2)ご開帳は11時。それまで人々は思い思いに時間を過ごす。ピクニック気分で草原でおしゃべりをする人々。お堂を参拝して回る人々。私たちは、リンコル(僧院の外周を回る巡礼路)を歩きました。

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写真3)11時、タンカ台の前に正装した僧侶が並び、お経とホルンで賑やかなファンファーレ。周囲にはお香(サン)が立ち込めていました。

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写真4)さぁ、タンカが上がり始めました!

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写真5)大勢の僧侶の力で、巨大なタンカが吊り上げられていく。

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写真6)上がりきったところで、今度は静かに前面の黄色い幕が開かれる。

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写真7)ご開帳ぉ~!! 幕が開いた途端、五体投地をするチベタンも沢山いました。

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写真8)正面から。タンカ台に向かって、カタが沢山投げ込まれる。私も投げましたが、手前の壁に引っかかってしまった・・・。

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写真9)タンカを見る人々。なんだか皆嬉しそう☆

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写真10)2時間もしない内に、再び僧侶が現れ、大タンカを片付け始めました。チベットの夏の天気は変わりやすいですからね、雨でも降ったら大変でしょうし。

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写真11)テキパキと片づけが進み、あっという間に巻き上げられたかと思うと、20人ぐらいの僧侶に担がれて、本堂へと持っていかれました。熱心なチベタンは、そのタンカに触ろうと大騒ぎしながら、タンカを追いかけていました。

 以上、ガンデン寺の大タンカご開帳でした。仏教的なお祭りですが、どこか皆楽しげで、私も楽しむことができました

セラ寺の問答 

 チベットのお寺の問答って、どんなものか知っていますか?面白いんですよ~!!

 日本の禅問答も面白いそうですが、チベットのお寺の問答は、それに輪をかけて面白い!!この問答というものは、宗教的な知識と理解を深めるための大事な修行のひとつなのです。

 8月8日、有名なセラ寺の問答を見に行きました。セラ寺というと、100年前に河口慧海多田等観らも勉強していた、ラサの大僧院です。河口慧海も好きだったという『問答』の修行は、毎日3時頃から、観光客も見学できます。

 ラサ市中心部から、セラ寺までは5~6kmぐらいかな?自転車ですっ飛ばして、20分くらい。3時の問答開始に合わせて、セラに到着。拝観料50元を払って、広大な僧院の敷地内へ。入り口のチケット売り場で、偶然顔見知りの日本人旅行者と再会し、一緒に問答が行われる
中庭に向かいました。
 ゾロゾロゾロと中庭に入ってゆく観光客の列。思っていた以上にギャラリーが多いようです。観光客は、中庭の外壁に沿った通路に陣取り、僧侶たちがやって来るのを待ちます。私たちも適当な場所を見つけて待機・・・。

 3時過ぎ、袈裟と同じ小豆色の座布団を手にしたお坊さんたちが中庭に入ってきました。ゾロゾロゾロゾロとまぁ、結構な人数です。いつもの決まった場所でもあるのか?皆、配置に就きました。さぁ、始まるぞ・・・。

 さて、この問答ですが、どういったものかと言いますと・・・。もちろん、話題は仏教についてです。チベット語で行われるので、私たち外国人(中国人も含む)には、全く何を話しているのかはわかりません。そんなチンプンカンプンの問答ですが、外国人観光客には人気があるんです。何が面白いって、そのスタイル!!

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写真1)質問後のお決まりのアクション!!振りかぶってぇ~・・・『パンッ!』

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写真2)回答を聞き、次の質問を浴びせる。

 立っている人が質問を投げる人(質問者)。座っている人が答える人(回答者)です。質問者は、質問の最後に、大きく手を振りかぶり、回答者の目の前で、力いっぱい両手を叩きます。「パン!!」回答者が答え始めるまで、叩き終わったままの体勢で待ち、答えを聞いた後は、再び次の質問を投げかけます。質問の最後は、決まって「パンッ!!」
 通常1対1の問答ですが、たまに1対2だったり、3対1だったりもする。上に掲載の写真1と写真2の場合、質問者は1人、回答者は座っている3人の内、真ん中の人。手前と奥の人は、ギャラリーです。
問答が白熱すると、ギャラリーも割って入ることがあります。

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写真3)若い僧侶が、急に立ち上がり、問答に参戦!!

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写真4)三つ巴の問答に発展!?

 一体何について問答しているのでしょうか?宗教的な話なのでしょうが・・・、時に、顔を真っ赤にして反論したり、反論できずに困った顔をしたり、急に笑い出したり。ギャラリーがカメラを構えて見学する中でも、集中して問答に没頭しています。あぁ・・・、チベット語が解ればなぁ・・・。

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写真5)全体の風景

 問答は1時間半近く行われ、その間、私が見ていたお坊さんたちは、ずっと問答を続けていました。発想の転換や展開、的確な回答、核心を突く質問、などなど。宗教的な理解と知識が深くなければ、この問答は成り立たないでしょう。私が見ていたお坊さんたちは、いくらか歳を重ねているようなので、いつまでも白熱した問答が続きました。が、近くにいた若いお坊さん同士の問答は、なんとも緊張感にかけるテンポの悪い問答でした・・・。

 1時間以上、同じお坊さんたちを見ていました。質問者のお坊さんは、なんとなく中村獅童みたいな目元なので、勝手に『中村獅童』と呼んでいました。手を叩く時の動作が、ある意味、歌舞伎の仕草のようで、ますます中村獅童。

 午後4時半、中庭の通路に沢山いた観光客の姿は半分以下に減っていました。問答をしているお坊さんたちの数も半分ぐらい。どうやら終わりの時間が近いようです。どのように終わるのか?興味があったので、最後まで中庭に留まりました。

 一部のお坊さんたちは、相変わらず白熱した問答を繰り広げていました。そんな中、少し歳のいった偉そうなお坊さんが歩き回っているのを発見!手には何やらスコアボードのような紙が・・・もしかして?成績表!?表の隅には、名前のようなモノがぎっしりと書かれており、問答が終わっているお坊さんたちに何かを確認しては、×とか○(レ点)を書き込んでいました。察するに、どちらが問答を制したかという、『勝敗表』のようなものでしょう

 4時40分頃、全てお坊さんの成績を確認し終わったようで、ゾロゾロとお坊さんたちが、中庭から宿舎に帰り始めました。中村獅童らも、帰って行きました。

あ~!面白かったぁ~!!

悲しい旅 

旅立ちのきっかけは何です?よく聞かれる質問です。独り物思いに耽る時間がたっぷりあったラサまでの3週間サイクリング。無尽の荒野で、旅に出た理由についてじっくり考えてみました。

 私自身の旅立ちのきっかけですが、実は、よく解っていません。この自転車旅行を思い立ったのは、22歳の頃、パキスタン滞在中です。が、もっと遡って考えてみると、18歳で始めた独り旅のきっけは何だったのか?15歳で英国にホームステイに行ったのはなぜだったのか?

 う~ん・・・、難しけど、一言で表ならば、『ゆっくりと時間の経過を感じながら、自分の力で地球を旅してみたかっから』でしょうか?3週間考えてもこんな感じです。

 さて、旅先で出会う人々について。たまに、旅立ちのきっかけや旅哲学について語り合うことがあります。きっかけや哲学は人それぞれ、十人十色。共感を覚える人もいれば、そうでない人もいる。

 共感を覚えられない『旅のきっかけ』って? この夏、ある旅人から聞き出した『きっかけ』は、とても考えさせられるものでした。その人の旅の理由・きっかけは、『現実逃避』
「毎日の忙しい仕事にストレスを抱えていて、現実逃避で10日間、南の島を旅してきました。」なんて言ってる日本のサラリーマン・OLとはレベルが違います。本当に、逃げているのです。
 問題から逃げ出して、長い旅に出ましたが、旅先でもその問題は付きまとってくる・・・。それから更に逃げる為に、国を変え、旅を変え、その問題と向き合わなくて良いように、逃げ続けているのです。

 何と悲しい旅でしょう・・・。

 旅に出る理由は、人それぞれで結構です。旅のスタイルも人それぞれで結構。だけど、ネガティブな旅は勧められたもんじゃないですね。現実逃避的な旅は止めましょう。
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