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 2006年07月 

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初転法輪 

7月29日 初転法輪を祝う仏教行事に参加してきました。

 『初転輪法』といって、解りますか? 仏様が悟りを得た後、初めて、その教えを人々に説いた時のことです。法の輪、つまり、仏の教えが、初めて回り始めたことを意味する言葉です。インド北部・バラーナスィ近くのサールナートでその始めての説法は行われました。

 さて、難しい話はこれまでにして、今日はその初転法輪の記念日なんだそうです。熱心な仏教徒が多いチベットです。こんな大事な日に、行事が行われないわけがありません。

 のんびりとした朝を過ごしていたら、今日ラサを出発するティナから、朝食に誘われました。宿のレストランに行ってみると、同室の米国人・マイク他、同宿の旅行者たちがテーブルを囲んでいました。
 「あっ!もしかして、君が例のサイクリスト?」
 「えっ?あぁ!そうです。例のおかしなサイクリストです。」
 どうやら、昨晩、彼らと飲んでいたティナが、私の話をしていたのでしょう。みんなが私のことを知っていました。6人で賑やかな朝食を摂りながら、それぞれの今日の予定を聞いていたら、マイクから、この『初転法輪』の話が出たのです。
 大きな仏教行事があるんだったら、ぜひともお寺に行こうじゃないか!ということで、米国人マイクと、英国人夫婦マーティン&ケィティと、私の4人でラサ市郊外のデブン寺に出かける事になりました。11時半に始まるという行事に合わせて、10時45分に宿を出発。
 路線バスでお寺の麓まで向かいましたが、どうも間に合いそうにありません・・・。寺は山の中腹にあるのです。路線バスに乗り合わせていたチベタンたちと一緒に、トラック飛び乗り、デブン寺に到着したのは、11時40分。ちょっと遅れましたが、儀式が始まるのは12時からとのこと。良かった!まだ時間はある。
 と思ったら、ありませんでした。寺の入り口から、儀式が行われる本堂までが遠いのです。巡礼者たちが辿るルートに従って、お堂をいくつも潜り抜けて、やっと本堂に到着したら、もう儀式は始まっていました。

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写真1)チベタンと共にトラックに乗り込みデブン寺へ。

 この寺に属しているという3百数十人のお坊さんたちが、一同に会し、本堂にゾロゾロと入って来ました。何が始まるのか解りませんが、とりあえず、本堂の隅で黙って見ることに。周りには、多くの観光客に混じって、巡礼のチベット人の姿も。
 何の前触れもなく400人の読経が始まりました。お坊さんそれぞれが小さな声なので、全体でも大して大きな声ではありません。なんというか、ダラダラと?読経が続いています・・・。何が行われるんだろう?私を含め、外国人観光客は、カメラを構えて『何か』が始まるのを待っています。

 が、何も変化はありません。読経が続いています。チベット語やサンスクリット語が解れば、どんなお経が読まれているのか解るんでしょうけど、そんなもの解りません。内容は解りませんが、お坊さんが何百人も並んでいるのは、滅多に見れるものではありません。読経の邪魔にならないよう、少し離れたところから写真撮影。

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写真2)本堂に集まったお坊さんたち。

 読経が始まって30分が経ったでしょうか、相変わらず静かな経文が続いていたかと思うと、急に若い坊さんが20人ほど立ち上がり、本堂の外に走り去って行きました。訳もわからず、彼らが飛び出して行った出入り口の方へ向かうと、飛び出した坊さんたちが、大きなポットを抱えて飛び込んできました。何もそんなに慌てなくても・・・。
 ポットの中身は、バター茶でした。読経が一時中断され、お坊さんたちのお茶休憩?みんな手元に置いといたお椀でバター茶を啜っています。私たち参列者にもお茶が振舞われました。独特の香りが外国人には受け付けられ難いバター茶ですが、私は流石に慣れてきました。熱々の時に飲んじゃえば、けっこうイケルものです。
 巡礼のチベット人と肩を並べて、バター茶を啜りながら、再び始まった読経を聞きます。時折、チベット人おじさんに話しかけられますが、どうも言ってることが判らない・・・?それもそのはず、おじさんは私をチベット人だと思ってチベット語で話しかけているのです。そりゃぁ私の顔は真っ黒だけど、これは自転車焼けなんですよ。

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写真3)バター茶の入ったポットを持って飛び込んで来た若い坊さんたち。

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写真4)参列者にもバター茶が振舞われる。

 読経は1時間以上続きました。マイクは退屈してきたのか、お堂の外に出てしまいました。私も出ようかと立ち上がったところ、また走り去る若い坊さんたち!?今度は、蒸しパンと野菜スープを持って帰ってきました。今度は昼食のようです。参列者にも振舞われます。もちろん、私も美味しく頂きました。

 昼食の後も読経が続きましたが、終りが近いのか?参列者からのお布施が全てのお坊さんに均等に配られ始めました。1元札の束を持った数人の寄進者、お坊さんが1人に1枚ずつ順々に渡して歩きます。お布施の配布が終わったあと、いよいよライマックス。今までになく大きな声とリズミカルなお経で儀式が締めくくられました。

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真5)お坊さん全員に配られたお布施

 午後2時、約2時間続いた行事が終わり、お坊さんたちはそれぞれの宿舎に帰っていきました。読経だけで、派手さはありませんでしたが、チベット人の中でお茶や食事を楽しみ、なんだか有り難い行事でした。
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河口慧海をご存知だろうか? 

 河口慧海という人物をご存知だろうか。今から100年以上前に、チベットを旅した日本のお坊さんです

 私が尊敬する旅人のひとり。彼のチベット旅行を記した著書『チベット旅行記』は、7年前に1回、そして今回の旅の途中にも1回読み直しました。

 日本に伝わっていない仏教の経典が、チベットにあると知った慧海氏は、完全な鎖国状態にあったチベットへ。中国人僧と偽って潜入し、(初回のみで)3年間チベットに滞在しました。カイラース山の巡礼に始まり、ラサではセラ寺の名医として活躍したそうです。

 彼の何が凄いかというと、その用意周到さ!明治時代の一般のお坊さんがですよ?英語やパーリ語(上座部仏教の経典に用いられる言葉)を事前に学び、インドやネパールでは、チベット入りを前に、チベット語を完璧にマスター。言葉を万全にした上で、チベット潜入のルートも綿密な下調べの末に選択、無事にチベットへと入っています。

 探検家としてではなく、当時盛んだった国事探偵(国家のスパイ)としてでもなく、純粋に仏教を学びたいが為だけに、ここまでするとは・・・、信仰のなせる技でしょうか?いや、信仰云々以前に、彼の行動力があったかたこそでしょう。本当に凄い人です。

 彼のチベットの旅については、『チベット旅行記』を読むのが一番手っ取り早いです。文庫本で5冊分の量がありますが、読みやすいので、あっという間に完読できちゃいますよ。


 河口慧海を知って以来、聖地カイラースに特別な感情を抱くようになりました。あそこに行ってみたい・・・。

 よしっ!行こう!!カイラース!!

バックパッカー哲学 

 チベットは考え事をするのにはもってこいの場所みたいです。無人で無尽の山道は、哲学的思索を呼び起こします。

 さて、バックパッカーについてです。バックパッカーと呼ばれる旅のスタイルをご存知でしょうか。バックパック(リュックサック)を背負って、団体旅行ではなく、自分で日程やルートを決めながら旅をする人々・スタイルのことです。一般に、貧乏旅行者と呼ばれる人々は、このスタイルが多いです。なぜかって、このスタイルが一番お金がかからないからです。

 バックパッカーの定義とは?上で簡単に説明しましたが、私は、『バックパックを背負っていること』と『自分で自由に旅程を決められること』の2点だと解釈しています。違いますか??
 以前の旅では、私もバックパッカーでした。18歳から22歳まで、それ一筋でしたね。バックパッカーを始めた当初は今ほど、「バックパッカー!バックパッカー!」と騒がれていませんでした。日本の若者がバックパッカー信仰に目覚めたのは、この7~8年のことではないでしょうか。

 時折、悲しいバックパッカーに出会うことがあります。日本人ですよ。「バックパッカーたるもの、安宿に泊まらなくっちゃならない!!」「バックパッカーたるもの、小ぎれいなレストランで食事をしてはいけない!」みたいなことを言う若者・・・。誰が決めたんだろう?そう辞書に書いてあるのかなぁ・・・?

 日本人のバックパッカーに、時折見られる傾向です。『いかに安く上げるか?』といったところで勝負している人々。旅の予算は、人それぞれなんだから、全員が最安である必要はありませんよね。


 更に言うならば、『いかに旅慣れた風に見せるか?』というのに重きを置いている人もいます。これも見ていて悲しくなる・・・。現地で購入した外国人向けの(欧米人好みのするエスニックな)服に身を包み、頭にタオルを巻いて、ビーチサンダルをパタパタ鳴らしながら、通りを歩く若者。う~ん・・・、もうちょっと良い服を着ても良いんじゃないかい?まぁ、服装は人それぞれ趣味があるから、うるさくは言いませんが、地元民が正装して出掛けるようなレストランや寺院には、それなりの格好をして出掛けましょうね。


 なんだか、偉そうに語っている私27歳の若造ですが、私が他人の旅をとやかくいう資格はありません。旅は人それぞれで結構です。

 もぉ~いぃ~くつ寝ぇるぅ~とぉ~♪8月です。学生さんの旅行シーズン真っ盛り!! この夏は、どんな若者に出会えるのだろう・・・、ある意味楽しみ☆ 

ノートパソコン 

 5月に購入したノートパソコンを紹介してませんでしたね。ライターとしての仕事やブログの書き込みを楽にする為に購入しました。

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写真1)パソコンで~す!!缶コーラのサイズと比較して下さい。小さいでしょう?

 機種は、パナソニックの『LET’S NOTE CF-R4』です。B5サイズで、重さはたったの990g!! 本当に軽いです。CD/DVDドライブは、外付け(400g)ですが、それでも合計1.4kg以下です。もともと、持ち運びが多いユーザー向けに開発されたPCですが、まさか、世界旅行中のサイクリストが使っているとは、開発者も予想していないでしょう。

 自転車旅行でノートPCを持ち運ぶとなると、かなりの覚悟と対策が必要です。自転車は激しく揺れますし、転倒もします。雨の中を走ることもあるし、炎天下の中を走ることもある・・・。

 私は、このPCを2重にソフトケースに入れ、更に密閉可能な大型タッパウェアーに入れ、それを衣類で保護しつつ、完全防水のサイドバッグに入れています。サイドバッグの使用位置は、後輪の右側。私の自転車の中で最も揺れの少ない場所だと思います。

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写真2)これが耐振動・耐埃・耐水の特別保護ケースセット。一番右はパソコン。

 これまで2ヶ月間、脳みそがシェイクされるような激しく長い悪路のダウンヒルや、雨のサイクリングを経験しましたが、パソコンは無事です。これだけ厳重に運んでいれば、走行中に壊れるということは、あまり考えられないでしょう。けどまぁ、あと1~2年、もってくれたら万々歳です。

 ちなみに、このPC、私が日本のインターネット販売で購入し、パソコン通の兄がセットアップ、母と西遊旅行の元同僚・飯島氏の手を経て、旅先の私に届きました。皆さん、ご協力ありがとう☆ 

新しい味 

 ビールが好きです。ビールは、最もハズレの少ないアルコールなので、旅先ではどこの国ででも、よく飲んでいます。ワインとか地酒類には、ハズレが多いんですよね・・・。たまに、大当たりもありますけど。

 さて、ビール。冷たければ、大抵のビールを美味しく飲むことができます。東南アジアの田舎町なんかでは、常温のビールに氷を入れて飲むことがあります。が、ビールは基本的に、ビールだけで飲むものです。

 しかし、そんな私の常識が覆される事件がありました!?

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写真)ビールとスプライト

 写真は、雲南省でポピュラーなビール『大理ビール』と、おなじみ『スプライト』です。こいつを割って飲むのです。ドイツあたりで飲まれている方法だそうです。甘口でアルコール度数も2%程度に下がるので、ガブガブがぶがぶ飲めてしまいます。名前は・・・、えぇ~っと、忘れました。サイクリストが走行後に飲む定番なんだそうです。

 6月以降、ビールのスプライト割りをガブガブ飲んでいました。甘さと仄かなアルコールが、走った後に格別です。 

独り旅・継続 

 さて、ラサに到着しましたが、ここで再合流するはずだったカリーナの姿はありません。

 彼女は、私から先行すること3週間、7月2日に飛行機でラサに到着しました。そして、7月20日に、ラサを出発してしまったのです。
 彼女は、彼女自身が抱える大きな問題のため、私とドイツまで走れなくなったばかりか、ラサで私を待つこともできず、かと言って、独りでラサからネパール・カトマンズまで走ることもできず・・・、自転車を降りて車でカトマンズに向かったのかな?もしかしたら、自転車で走ってるのかも知れません・・・

 彼女の問題は、私にはどうすることもできません。彼女自身にも問題解決の方法が判らないのですから・・・。独りでカトマンズまで走ってやしないか、心配です・・・

 6月初めに出会ってから、お互いに強く好意を覚え、二人で旅をすることを決めました。スタートして僅か6週間、しかし、実際に一緒に過ごしたのは4週間未満でした。7月18日付けで届いたメールを以って、二人旅は終了しました。

 私は今後も2ヶ月間はチベットを走ります。チベットでは、筆舌に尽くし難いほどの大自然の中を走るので、たまには孤独を感じることもあります。が、これまで半年以上独りで走ってきた私には、それほど苦ではありません。何より、圧倒的な大自然に、まさしく『圧倒』されている内に、1日が終わってしまうのですから。

 ただ・・・、この素晴らしい景色、星空、地元の人々との交流、それら諸々を一緒に共有できる人がいなくなったということは、勿体ないことだと思います。

 さぁて、独り旅・継続です。

ラサ到着!! 

7月27日 チベットの首都・ラサに到着しました。

 7月11日に雲南省・徳欽を出発、その日に中国/チベット間の境界を跨ぎ、17日間で1516kmを走りました。途中、1日休養日を入れたので、実質16日間の走行。かなりのハイペースですが、体力的には、全く問題ありません。この7ヶ月半で鍛え上げた体は、期待以上にタフでした。

 ラサ市は、漢化(漢民族化)が激しく、漢民族の中国人観光客も多い・・・。チベットの都が中国に喰われていく様がありありと見て取れて、ちょっと悲しい気分を覚えました。

 この街には、10日間以上滞在することになると思います。明日、28日から、怒涛のブログエントリー開始します。お楽しみに。

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写真)ポタラ宮殿前にて。ガッツポーズ! この後、中国人観光客に囲まれ質問の嵐・・・。

ラサへの道!! / 17日目で到着だぁ!! 

7月27日 さぁ!ラサ入りの日です!!

 夜中、屋根を打つ雨の音が聞こえていたような・・・?目覚めると、7時半を回っていました。寝坊です。7時半には出るつもりだったのですが・・・
 私を起こしてくれたのは、ラサからやってきた巡礼者たち。6時にラサ市内を出発する始発の巡礼バスで到着した人々が、階下の食堂でワイワイと朝食を取っている音で起きました。慌てて身支度を整えて、自転車をセッティング。宿の外に出ると、先ほど到着した巡礼の人々は、食事を終え、リンコルを始めたところでした。歩いて回る人もいれば、五体投地で回る人も。昨晩の雨で湿った地面に体を投げ出し、石だらけのリンコル道を進んで行きます。凄いなぁ・・・。

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写真1)五体投地でリンコルを進む巡礼者たち。

 8時15分、ガンデン寺を出発。ここからラサまでは、60kmほど。時速20kmで走ったとして、3時間、11時半ぐらいか・・・。予定では10時半ぐらいまでには宿に入っておきたかったのです。というのも、この夏のラサは異常な観光客の量で、人気の宿は午前中に全て部屋が埋まると聞いていたからです。7月の青蔵鉄道開通と近年の中国人の国内旅行ブームが重なり、とにかくラサは凄いことになっているらしい・・・。
 昨日2時間半かけて登ってきたジグザグ道を一気に下り、キチュ(ラサ川)沿いのなだらかな道を全力で漕ぎ続けます。時速は30km近くをキープ。ラサに到着してしまえば、明日からは休養の日々です。多少無理したって構いません。全力でとにかくペダルを踏む!踏む!踏む!!

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写真2)羊の群れとすれ違う。いつもならノンビリ眺めるところですが、今日は素通り。

 チベット入りして17日目、途中休養日を1日入れましたが、ほぼ走りっぱなしの日々でした。しかし、体はそれ程疲れていません。ラサはもう目の前!その気持ちが踏み込むペダルにいつも以上の力を与えてくれます。片側1斜線の国道318号線(川蔵公路)を走る車は多く、久しぶりに排気ガスの臭いの中を走りました。

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写真3)あれ!?あれって?ポタラ宮殿じゃん!!

 ラサ中心まであと10kmほどとなったところ、畑の向こうにラサの町並みが見えてきました。さらに、よ~く見てみると!?ポタラ宮殿が見えているじゃないですか!!おぉ!チベットのシンボルだぁ~!!俄然気合が入ります☆このペースで行けば、11時にはラサ入りです。
 午後11時、ラサ川に架かる橋を渡り、ラサ市内に入りました。やたらと興奮してしまって、「ヒュー!」とか「ワォー!」とか叫んでいたかも知れません。3週間かかると思っていた道のりを17日で走破しました。途中、警察や犬や高山病などの問題も一切なし!完全勝利ですよ。

 中国語の看板が沢山架かる通りをいくつか走り抜け、ラサ市中心部のチベタンエリアを通り抜け、目指すはポタラ宮殿!街の中心を東西に貫く北京路(北京東路・中路)を走ると、見えてきましたよ、ポタラ!!

 ポタラ宮殿前の歩道に自転車を停め、通りすがりの欧米人観光客を呼び止めて写真を撮ってもらいました。快く引き受けてくれたのはベルギー人カップル。記念写真の後、彼らからの質問を受けていると、私の周囲には10数人の中国人観光客・・・。私に何の断りもなく、バシバシ私の写真を撮っています。まぁ、こういうのには慣れてますけどね、その後に、投げかけられた言葉が良くなかった・・・。

「Welcome to China !!」

 と、にこやかに言葉を掛けてきたのは、北京から来たという中国人一家の奥さん。なんて、見当違いな言葉でしょう!感動のゴールだったのに、雰囲気ぶち壊しです。

「すみませんが、あのね、今日、俺はチベットの都・ラサに到着したの!確かにココは中国の一部かもしんないけど、俺が中国に到着したのはもう半年も前だし・・・。だいたい、あんたら、『ようこそ中国へ』って言葉、おかしいと思わないの?見当違いも好い加減にしてくれよ!」

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写真4)記念写真

 とまぁ、英語で一気に抗議しましたが、理解してくれたのはベルギー人カップルだけでした。中国人ギャラリーを追い払い、しばらくポタラ宮殿を眺め、再び胸に熱いものがこみ上げてきたところで、宿探しに出発!
 ジョカン寺周辺の外国人向けの宿を10数件周りましたが、ほとんど「没有」 ないよ)の一言。空き部屋・空きベッド無しです。最後にたどり着いたのが、北京東路沿いの吉日旅館(キレーホテル)、ドミトリーで40元なり。この夏は、どこの宿も連日フルなので、価格設定はかなり強気です。「2~3週間連泊するから安くして!」とお願いしましたが、通りませんでした。 
 熱々のシャワーを浴び、部屋で荷物の整理をしていると、同室の旅行者が部屋に帰ってきました。中国系アメリカ人のティナ。夕食は、彼女を誘って、外国人向けのレストラン『タシレストラン』へ。標高の高い地域では深酒は禁物、ティナはビール一杯だけでしたが、私はラサ到着の祝杯でビール2本 部屋に戻ると頭がグルングルン回っていました。走った日に飲むビールは良く回りますね。まぁ、お祝いだから、良しとしましょう。


 が初めてチベットを旅したいと考え始めたのは、1998年、19歳の頃。大学2年目の夏に、どこに行こうかとれようと色々調べ始めた時、ふとチベットという場所が浮かびました。その頃は、パーミットやら手配旅行やらと、何かと制限が多い時代だったので、本格的に検討する前に諦めてしまいました。まだ私は旅の初心者だったんです。
 その3年後の2001年、インドのダラムサラで、ダライ・ラマ14世に初めて会って、いよいよ固まったラサ訪問の目標。彼は、外国人旅行者のチベット旅行は、「我々の国を知る良い機会。ぜひ訪れて下さい。」と言っていました。現在のチベットは、中国の一地方として、急激な漢民族化が進んでいます。青蔵鉄道の開通は、そういった流れの象徴的な出来事です。この夏、大きな変化の中にあるチベットを訪れることができたのは、ある意味で、良いタイミングなのかも知れません。

 チベット入り17日目、ラサ到着!!この先、3ヶ月はまだまだチベットの旅が続きます。チベットをとことん楽しむぞ!!

走行距離65km/最高地点:4300m/最低地点:3680m/宿泊地点:3680m

ラサへの道!! / 16日目 

7月26日 ラサまでは残り70kmちょっと。1日で走れる距離ですが、今日はまだラサまで走りません。

 メルドゴンカルの町から、ラサ方面に30km走り、そこから山道を10km登ったところにあるガンデン寺という大きな僧院に立ち寄ることにしました。朝一番で漕ぎ始めれば、ガンデン寺に寄ってからでもラサに辿り付けますが、そんなに慌てる必要もありません。ガンデン寺には宿坊があるので、今日はガンデンに泊まるつもりで、ゆっくり出発。

 朝8時、ラサまで真っ直ぐ走るという同宿の中国人サイクリスト2人を見送り、私は9時半までゴロゴロ。朝食後、10時過ぎにメルドゴンカルを出発。ラサまではキチュ(ラサ川)に沿った緩やかな道が続きます。下流に向かって走りますが、あまりに緩やかな流れなので、標高差はほとんどありません。
 メルドゴンカルを出て10kmほどのところで、前方から走ってくるサイクリストを発見!停まって待っていると、中国人サイクリスト。58歳、60歳のおじさん2人と20代の青年。ラサから走り始めた初日というだけあって、顔もまだ日焼けしてないし、自転車もピカピカ おじさんたちは雲南省へ。青年は四川省へ向かうそうです。

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写真1)ラサから60km走ってきたサイクリストたち。まだまだピカピカ。

 更に10kmほど走ったところで、今度は、後方からサイクリストが!北京から2ヶ月かけて走ってきたという20代の3人組。英語が堪能で色々お喋りしながら走っていましたが、どうも話しながらの走行はきつい・・・。彼らの荷物も私の4~5分の1程度、ガンガンペダルを踏み込めるので、私よりも速いんです。「荷物の量が違うから、君らには着いていけないよ。」と告げると、「ちょっと君の自転車乗ってみてもいい?」と。試しに自転車を交換してみると、「なんじゃこりゃ~!?どうやってこんな重い自転車乗ってんの!?」と絶叫してました。どうやって?って・・・、慣れですよ、慣れ。

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写真2)北京から2ヶ月でラサへ向かう彼ら。えらく早いなぁと思ったら、途中でバスとか電車とか乗ってきたらしい。

 3人組とのお喋りも尽きた頃、ガンデン寺へ向かう分岐点が近づいてきました。彼らに別れを告げ、国道を逸れ、未舗装道路に入りました。分岐点からガンデン寺までは10km、約600mの登りです。目の前の山肌には、ジグザグに険しく登る道が見えています・・・。時刻は12時、まぁ、2時には到着するでしょう。

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写真3)ジグザグジグザグ半分ぐらい登ってきました。

 ガタガタの路面を時速5kmぐらいで登って行きます。数日間、快適なアスファルト舗装が続いていたので、久しぶりにオフロードを走るような気がします。快晴の空からは、強烈な太陽光。時折すれ違う車やバイクが巻き上げる土ぼこりが全身を覆います。ガンデン寺はすぐこそに見えてるのに・・・、遠いなぁ・・・。

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写真4)放牧の羊たちも熱いんです。日陰を見つけて一休み。

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写真5)ガンデン寺はすぐそこ!

 午後2時半、ガンデン寺に到着。入り口の脇には、チケット売り場がありましたが、自転車で日本からやってきて、この坂道を登ってきた私に感動したチケット係りのお坊さんは、なんと!タダで入れてくれました。いやはや、ありがたい。40元得しました。
 敷地に入ると観光客の姿が。ラサ市内からランクルやバスでやってきた人々です。さきほど、私に土煙を浴びせた人々もこの中にいるのでしょう・・・。ガンデン寺の見物をする前に、先に宿にチェックイン。寺や僧院に併設の宿泊施設は、やはりお坊さんが管理しています。通りすがりのお坊さんを呼び止めて、宿坊まで案内してもらいました。宿は、入り口脇の大きな建物。ドミトリーで15元なり。他にチベタンの巡礼者などが部屋にいないかと期待しましたが、8人ドミに客は私だけ。他の部屋には、フランス人親子の旅行者がいました。

 部屋に荷物を運び込み、遅い昼食はインスタントラーメン。雲南~ラサの長期移動に備えて買い込んでいた食料は、半分近くが余っていました。結局、キャンプをしたのは2泊だけでしたからね。お腹が満たされ、ちょっと横になるとウトウト・・・。起きたら4時でした。たかだか30分程度の昼寝でしたが、気持ちが良いもんです。さぁ、そろそろお寺の見学をしないと、建物が閉まってしまいます。

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写真6)ガンデン寺。標高4300m地点。

 午後4時を回り、歩き回る観光客の数は激減していました。歩いているのは、巡礼のチベタンとお坊さんだけ。観光客は、宿坊に泊まっている私とフランス人親子の3人だけ。貸切状態です。大きなお堂を3つ覗きました。誰もいないお堂の中は薄暗く、バター灯明の匂いが充満し、煌びやかな仏や菩薩、高僧たちの像が静かに並んでいました。
 一見古そうに見えるこれらの僧院・お堂ですが、実はまだ新しいものです。1960年代、中国に吹き荒れた文化大革命により、チベット中の僧院・お寺が破壊されました。この20年ほどで再建が進んでいますが、まだまだ在りし日の姿には程遠いところも多いのです。ここガンデン寺もまだ再建途中。

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写真7)お堂の壁画を描く絵師たち。

 一通り建物を見学した後、ガンデン寺をリンコルしました。リンコルとは、お寺や僧院の周りにある巡礼道のことで、それを回ることを意味します。チベット仏教は全てが時計回り。お寺を巡る時も、聖地・聖山を回る時も、お経の入ったマニ車を回す時も、全て時計回り。宗教的なものに限らず、チベット人で混雑する街の市場やお祭りの会場ですら、自然と右回り(時計回り)に人の流れができています。もう体に染み付いているんでしょうね、右回りが。

 タルチョやマニ石で飾られたリンコル道を歩きます。他に人はいません。ガンデン寺は標高4300mの山頂付近にあるので、リンコル道からの景色は最高!600m下にはキチュ(ラサ川)とその周辺の田園地帯が見えています。目線を上げると、周囲には、標高4000~5000mの山々。天気が良かったので、遠くまで見渡せました。1時間半ほどかけて、ガンデン寺と山をぐるりと一周。

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写真8)リンコル道より、眼下のキチュを望む。

 宿に帰ると、フランス人親子が宿を管理するチベタンと何やら揉めています。中国語で通訳に入ってあげると、食事のことでした。宿には食堂が併設されていますが、今夜はモモ(チベットの蒸し餃子)しかないとのこと。「今日は、ヤク肉のモモしかないんですって」親子に告げると、仕方なさそうにモモを注文していました。私もモモを注文し、3人でお皿に山積みにされたモモを平らげました。

 日が暮れた頃、ガンデン寺の山に問答の掛け声が響き始めました。チベット仏教の問答は、アクション込みのとても騒々しいものなのです。問答のことはまた今度紹介しましょう。
 真っ暗な空を見上げると、あれ?なにやら雨の予感。星が全く見えません。明日は、日の出と共に出発する予定です。屋明けまでに雨が上がってくれることを期待して、早めに床に就きました。

 チベット入りから16日目、明日にはラサ到着だ・・・。興奮して、なかなか寝付けませんでした。

走行距離:39km/最高地点:4300m/最低地点:3700m/宿泊地点:4300m

偽ペプシ 

 コーラはコーク(Coke)派ですか、ペプシ派ですか?

 私はペプシ派です。普段、日本ではコークを選びますが、旅行中は、ペプシばかりを飲んでいます。大した味の違いはないのですが・・・・、なぜか毎回ペプシ。

 さて、そんな具合でペプシマンの私です。ここ中国・チベットでもペプシを飲みます。走行中の飲み物は水が主ですが、商店に寄った時なんかは、ペプシで小休憩。7月25日、ラサまであと100kmを切ったあたり、みちばたの商店でコーラを購入。

「給我一瓶百事可楽!」 ペプシコーラ1本下さい!

商店のおばさんは、冷蔵庫からペプシコーラを取り出しました。

おぉ!スゲェ!!冷蔵庫だ!・・・おぉ~!冷えてる!! えぇ~っと、多少銭?(いくら?)」

「2元」

えっ?2元!?そんなに安くていいの? ハイ!2元!!」

 ペットボトルのコーラは大抵3~4元します。冷えたペプシコーラを2元で飲めるなんて!良い買い物をしました。飲み干してから出発しようと思っていましたが、自転車の周りに人だかりができていたので、冷えたコーラを背中のポケット(サイクルシャツには背中にポケットがあるんです)に入れて、早々に立ち去ることに。地元民との交流は大切ですが、今は、この冷えたコーラを楽しむことの方が大切です。

 走り始めて、片手でペットボトルのキャップを開ける。器用に開けるんですよ、私。さぁ、冷たいコーラ!飲んじゃう
もんねぇ~!!

 「グビッ!グビッ!ンゴクン・・・、 あぁ・・・またやられた・・・」

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写真)2元のコーラ

 これペプシじゃねぇ~じゃん!!

 そうなんです。ペプシコーラの類似品でした。味はケミカル飲料であるコーラの中でも、トップレベルのケミカル味。冷えていても、不味いモノは不味いですよね。しかし、買ったものは飲まなきゃ勿体ないし・・・。常温になる前に飲んでしまわなきゃ、常温では飲めたものではない・・・、一気!!

 中国では、ペプシコーラやコカコーラの類似品が沢山あります。中国本土では、『非常可口』というコカコーラの類似品がありましたが、これはまぁなんとか飲めました。

 皆さん、類似品には気をつけましょうね。

ラサへの道!! / 15日目 

7月25日 ラサ手前最後の峠を越える日、目覚めはイマイチ・・・

 昨晩、早めに床に就いたのに、なかなか寝付けませんでした。宿は、『芒康兵館』という簡素な宿。兵館というと日本語では『ホテル』に相当する宿泊施設ですが、ここは広い部屋にベッドが並んでいるだけ・・・。夜中に到着したチベタン商人が、トラクターで運んでいた雑貨を部屋に運び込み、朝方に再びドカドカと大きな音を立てながら、積み込みを始めました・・・。私は、大抵どんなにうるさくても眠れるんですがね・・・、この夜はなぜか眠れませんでした。8時半、宿を出発。町の食堂でインスタントラーメンの朝食。

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写真1)芒康兵館の中。電気なし。水道なし。シャワーなし。トイレなし。

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写真2)芒康兵館

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写真3)松多の町に水道はなく、朝一でみんな山水を汲みに行く。

 なんだかまだボケーッとしていますが、松多の町を出発!走り始めてすぐ、中国人サイクリスト2人組に追い付きました。四川省から走ってきたという大学4年生。中国の学校は6月で終わるので、彼らは卒業したての卒業旅行中といったところでしょうか。英語もしゃべります。ぼちぼち話しながら一緒に走っていましたが、どうもペースが合わない。荷物が私の5分の1ほどしかない彼らは、加速が良いのです。峠の頂上で会うことを約束して、別々に走り始めました。

 緩やかな道は、徐々に標高を上げ、目の前に山が見えてきました。これがラサ手前最後の峠、ミラ峠か・・・。標高はちょうど5000m。えっちらほっちら走り続け、先を走っていた中国人サイクリスト君たちを追い付きました。「大丈夫かい?先行くよ。」ちょっと余裕を見せつけようかと、わざとらしく追い抜いたものの・・・、彼らも負けてはいません。すぐに抜き返されてしまいました。荷物が軽いからなぁ・・・。彼らは八一~松多間をバスで移動してきています。「そんな甘いサイクリストには負けたくない!!」けど・・・、追い付けない。

 標高4700mを超え、緑の河原に遊牧民のテントが見え始めました。視線を上げると、峠の頂上付近も見えているみたい。舗装道路の5000mは大したことなさそう。時速7km程度ですが、テンポ良く走り続けます。

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写真4)青空ビリヤード場。

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写真5)遊牧民のテント。転がっているのは、平たく伸ばしたヤクの糞。乾燥させて燃料としてつかう。

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写真6)遊牧民が飼っているチベット犬。獰猛極まりない!

 いよいよ峠に差し掛かり、標高は4900m。あと100mの登り。視線を上げると峠のタルチョが見えてきました。緩やかな登りをゆっくり登っていると、前方からマウンテンバイクの欧米人が5人駆け下りてきました。荷物は無し。おそらくラサ市内からサイクリングツアーでやってきた人たちでしょう。私が登ってきた坂道を「ヒュ~!!」と雄たけびを上げながら風のように下って行きました。唖然としましたが、これもラサが近い前兆だと思うと、気合が入ってきました。峠のてっぺんまで、一気!!

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写真7)標高4950m。てっぺんまであと少し。

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写真8)どぉ~ん!!ミラ(米拉)峠です。

 ミラ峠に到着すると、何やら人の気配。車が沢山停まってる・・・。車の列を抜けると!峠の展望台付近に、数十人、いや、100人近いかな?とにかく沢山の中国人観光客。マイクロバスとランクが何台も停まっていたので、ツアーか何かの客でしょう。当然のことながら、私に向かって色々と質問を浴びせてきます。目立つ形をしているので仕方がないのですが、なんだか答えるのが億劫・・・。中国人観光客が沢山いると、どうしても気が引けてしまうのです。『チベットに中国人が溢れてる・・・』って。
 私を囲むアマチュアカメラマンたちの輪を見つけて、今朝の中国人青年たちが寄ってきました。彼らは長いことここで待っていたようです。時間は13時、せっかく待っててくれたんだし、一緒に昼食を、ってことになりました。さぁ、下りは私の方が早いぞ!

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写真9)先に行くよ~!

 超重量の私の自転車は、下りは圧倒的な加速力を誇ります。見通しの良い下りでは、時速60kmもすぐに突破。中国人サイクリスト君たちを後に、一気に下る!!初めの町で待つという約束なので、スピードをあわせる必要はありません。天気は快晴!気持ちの良いダウンヒルです。時折、停車して写真撮影。しばらく下りっぱなしの道を軽快に走り、初めの町が出現!みちばたに自転車を停めて、彼らを待ちます。

 15分ほど待って、ようやく合流。どうやらブレーキの調子が悪いらしく、慎重に下ってきたようです。昼食はチベット人が経営する食堂へ。チベット人が中国人を嫌っていることを自覚している彼らは、当初、チベタン食堂で食事をすることを躊躇っていましたが、私が無理やり希望を通してしまいました。チベタン食堂にメニューはありません。2~3種類しか料理がないのです。この日あった料理は、ヤク肉のスープだけ。薄く平たいパンと一緒にヤクの肉を食べました。味付けは塩だけ。ヤクの独特なニオイがスープ全体に染み出していて・・・、『あぁ・・・、中華にすれば良かった。』と思いました。チベタン食堂の雰囲気は好きなんですがね。料理はイマイチかな・・・。

 食後もそれぞれ自分のペースで走行。宿泊する町は一緒なので、中国人サイクリスト君たちは先に行きました。私はのんびり田園を楽しみながらの走行。午後6時、メルドグンカルの町に到着。彼らが探しててくれた宿に、一緒にチェックイン。宿帳への記入も不要で、楽させてもらいました。夕食は、町の中華食堂へ。中国人がチベットに溢れていることには、時として嫌悪感を覚えてしまいますが、美味しい中華料理が食べられることは有り難いですね。

 ラサ手前最後の峠を突破!ラサまであと少しだ~!!

走行距離:115km/最高地点:5000m/最低地点:3800m/宿泊地点:3800m

ラサへの道の花 

7月21日~24日の4日間で撮影した、みちばたの野花の写真を紹介しましょう。

 ちょっとした気分転換で始めたフラワーウォッチングですが、やり始めてみると・・・、ハマッてしまいました。「あっ!あれ新種だ!」「おっ、こいつはキレイ!」「これは・・・、前に見たっけなぁ?」なんて言いながら、デジカメで可憐な野花たちを撮る!撮る!撮る!!

 4日間経って、デジカメの写真を確認してみると・・・・。なんと!?75種もあったのです!!

 花弁や葉っぱの形、色などで勝手に判別して、75種類ってことです。全ての写真を掲載すると、大変なことになるので、スクラップ写真を作ってみました。

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写真)7月の東チベットの花々です。

 今後も、9月くらいまでは花が見られることでしょう。100種突破目指して、フラワーウォッチングを続けていきたいと思います。

ラサへの道!! / 14日目 

7月24日 昨晩、遅くまで飲んでいたので朝がシンドイ・・・。

 午前4時半、同室のアヴィ(イスラエル人♂)が真っ暗な中を出発しました。ヒッチハイクでラサを目指す彼は、警察の目を盗みながら移動しなければならないのです。アヴィによると、ゴンポギャムダの町のはずれには検問所があるらしく、未明に突破しないと捕まる可能性があるとのこと。しかし・・・、あんなに堂々と街中を歩いていたんだから、検問も何ももう関係ないと思うんですけど・・・。欧米人は大変だなぁ・・・。

 アヴィを見送った後、再び床に就き、目覚めたら8時でした。窓の外を見ると、けっこうな雨・・・。のんびり準備して止むまで待とうと思っていましたが、9時を回っても全く弱まる気配なし。同宿の中国人サイクリスト・マーキュリーが、部屋にやってきて、今日は午後から走り始めるつもりとのこと。彼が数日前まで一緒に走っていたフランス人サイクリスト夫婦が、昼過ぎにはゴンポギャムダを通過するはずなので、その夫婦を待って、一緒に走らないか?との提案を受けました。どうしよう・・・?

 結局、ひとりで走り始めることにしました。例の夫婦がこの雨の中、予定通りゴンポギャムダに到着するという確証はないし・・・。レインウェアに身を包み、大粒の雨の中を出発!!出発時から雨が降っているのは、久しぶりです。ゴンポギャムダの町を抜けると、検問所らしき建物がありました。しかし、この検問所・・・、『木材検査駅』と看板が出ています。これは違法伐採による木材の積み出しを管理する検問所。警察ではなく、『森林局』みたいなところがやっている検問所です。アヴィは、漢字が読めないので「検問所」は全てが警察管理の検問所と思っているのかも知れません。この手の木材検査駅は、ほぼ機能していない(係官がいない)のですがね・・・

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写真1)新しいチベット人の村

 雨は徐々に弱まり、12時には上がりました。昨日に引き続き、川沿いの緩やかな道を走ります。時折、チベット人の村を通過しますが、なんとも味気ない村・・・。国道の両サイド、同じような造りの真新しい家々が並んでいます。これらの新しい集落は、この数年で建設された新しい村。大抵、村の中心には石碑があって『○○村』という名前と、『福建援助』『広東援助』といった文字が彫ってあります。中国南部の金持ち省、福建省と広東省、そこからの援助で建設された新しい村というわけです。

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写真2)アスファルトの平坦な道が続く

 雨は上がりましたが、天気はいまいち。たまに小さな雨粒を感じましたが、まぁ、レインウェアを着るほどでもない。緩やかな道が続きます。昨日の八一以降、車の量も増え、なんだか標高3000~5000mのチベット高原を走っているという気分が薄くなってきました・・・。気分転換に、21日から続くフラワーウォッチングに時間を割くようになりました。時折、自転車を停めて、周囲を散策、新しい花を探します。4日間続けているというのに、まだまだあるもんです。すでに何十種も撮影しているため、初めて見る花なのか、見たことある花なのか、よく判らない・・・。曖昧なものは全てカメラに収めることに。

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写真3)松多温泉!?

 のんびりと走ったつもりですが、午後7時には、目標としていた松多(ションドール)の集落に到着。町の手前2kmほどのところで、『松多温泉』という看板を発見!!温泉だぁ~!こりゃぁ、入らなければ!!
 松多の宿に荷物を下ろし、瓶ビール1本とお風呂セットを持って、自転車で温泉へUターン!河原に建つ木造の温泉小屋へ。勢い良く小屋のドアに手をかけると!?・・・あっ、鍵がかかってる

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写真4)河原の温泉小屋

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車輪5)鍵かかってるじゃん・・・

 隣に民家があります。どうやら、この民家の住人が管理人っぽい・・・。大きな声で騒いでいると、鍵を持ったおじさんが現れました。やはり☆管理人のおじさんに値段を聞いてみると、5元とのこと。鍵を開けてもらって、自転車ごと中に入り、内側から鍵を閉めると、外からおじさんの声。「貸切なら10元だよ。」 えっ・・・? 10元ってちょっと高い気もしますが、この温泉なら、10元出しても良いや!小屋には、直径7~8mの円形の湯船があり、お湯は湯船の底から湧いています。日本の温泉みたい

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写真6)特別公開☆私の入浴ショット

 豪快に飛び込むと、熱つっつつっつつつ!!お湯加減は、日本の温泉ぐらい。始めは熱く感じましたが、ゆっくり浸かっていると、心地良く感じてきました。10分ほどじっくり温まってから、一旦お湯からあがり、ビールを開封、乾いた喉に『ラサ・ビール』が染み込んでいきます。うんめぇ~!!
 髪と体を洗い、ビールを飲み干した後、再び湯船に。のんびり浸かるつもりでしたが、外から何やら人の気配・・・。どうやら、順番待ちをしている人がいるみたい。貸切って言ったって、1時間も貸してくれるわけはありませんよね。すでに30分が経過しています。そろそろ出なきゃな・・・。湯船の淵に足を掛け、お湯から上がろうとしたところ!?あれっ・・・

「バチャ~ン!!」

 勢いよくお湯の中へ、ダイビング!のぼせてしまったのです・・・。久しぶりの温泉でアルコール、しかも、ここは標高4200m!通常、標高の高いところでの入浴は短時間で済ませるのが常識です。軽いめまいだけだったので、なんとかお湯から上がり、服を着て外に出ました。私の後に待っていたのは、中国人観光客らしき親子。もし、この親子が来ていなかったら、私はもっと長風呂をしていたかもしれません。あれ以上入っていたら、危険だったでしょう・・・。

 日が沈みかけ冷たい風が吹く4200mの河原を、松多まで帰りました。芯まで(脳みそまで)温まっていたので、体は冷えることなく宿に到着。電気のない宿で、インスタントラーメンの夕食を摂り、早めに就寝。

 教訓!!標高4000m以上の温泉でビールを飲むのはやめましょう☆

走行距離:106km/最高地点:4200m/最低地点:3400m/宿泊&入浴地点:4200m

中国人サイクリスト・マーキュリーとチベット問題 

さて、7月23日の夜の話です。

 宿の階下で発見した、中国人サイクリストの自転車。荷台には大きな札が掛かっていて、『Tell the people! Hope is alive! Hope is strong!!』というメッセージが書いてあります。数日前にも目撃したこの言葉・・・。直訳すると、『人々に教えるんだ!希望はまだ生きている!希望は強いんだ!』という意味。私は、この言葉が、チベットの独立運動を鼓舞するようなスローガンに思えてなりませんでした。

 中国人は一般に、「中国共産党が、チベットという独立国を武力で中国の一部にした」ということは知りません。「もともと中国の一部だったチベットという土地で、農民を支配していた封建領主たちを追い払って、チベット人民を解放した」と思っています。そのように教育されているのですから、まぁ、前者のような考え方はできないでしょう。では、このメッセージを書いた中国人って?チベットの独立を支持してるってこと???こりゃぁ、この中国人に直接聞いて確かめるしかありません!!

 宿のおじさんに、彼の部屋番号を聞いて、夕食後部屋を訪ねてみました。しかし、部屋は無人・・・。メモに私の部屋番号を書いて、ドアに貼り付け、彼から訪ねてくるのを待ちました。どんな中国人なんだろう・・・?いろいろ彼の意見を聞きたいな~!

 午後9時半、ドアをノックする音!彼です。招き入れると、カウボーイハットをかぶった、若い中国人青年。おぉ、彼がチベットの真実の現代史に目覚めた中国人かぁ~・・・。同室のアヴィも交えて、3人でビールを飲みながらのトーク。自己紹介や旅の軌跡・予定について語り合った後、私が一番聞きたかった質問。

 心「ところで、マーキュリー(彼の英名)、あのメッセージなんだけど・・・。君が自転車に掲げてている、あのメッセージ!意味を聞かせてくれないかい?」

 ワクワクしながら、返事を待ちます。比較的流暢に英語を操るマーキュリー青年、ちょっと考えた後、静かに説明を始めました。

 マ「あれは、僕の人生観を表したものなんだ。希望を持って、人生を楽しむことが大事だと思ってね。以前、英語の勉強をしている時に、たまたまインターネット上で見つけた言葉なんだ。」

 って・・・、あれ?チベット問題関係ないの??

 心「俺はてっきり・・・、君は中国政府のチベット政策を批判的に見ていて、あのメッセージは、チベット独立論者に向けた言葉なんだと思ってたよ。」
 マ「えっ?そんなんじゃないよ。かっこいいから気に入ってるんだ、あの言葉。」

 あぁ・・・、そうなんだ。中国人のチベット問題に対する意識を聞けると思って期待していましたが、どうやら私の思い違いだったようです。

 深夜まで旅の話で盛り上がった後、連絡先を交換して、彼は部屋に戻って行きました。「違ったね」アヴィが笑顔で話しかけてきました。うん、違いました。まぁ、違うなら違うで良いか・・・・。何も彼が間違った解釈をしているわけではありません。

 私は、チベットは武力によって中国に併合された国であると考えています。おそらく、世界的にみて、私と同じ考えの人が最大勢力、次が何も知らない・興味がない人たち、最小勢力は『チベットはもともと中国の一部だった』と考える人たちでしょう。中国国内に限ると、それらの順位は逆転しますけどね。
 私とマーキュリーの意見が違うからといって、彼に私の考えを押し付けようとは思いません。中国の若者も、いずれ真実の歴史に気が付くのではないでしょうか。そう期待しています。

ラサへの道!! / 13日目 

7月23日 連泊したおかげで、朝から体が軽ぅ~い!!

 8時半、宿を出発。八一の町外れで朝食を摂った後、快調に走り始めました。この先、ラサまでは400kmほど、全区間アスファルト舗装されているので、1日100km以上走れます。元気に走れば、3日でも走れそうな距離・・・。しかし、急ぐのは勿体ない!のんびり走るとしましょう。今日の目的地は、130km先のゴンポギャムダ(工布江達)。えっ?130kmは走りすぎ??ほとんど平坦な道だから、それくらい走れます。

 八一を出てすぐ、空のご機嫌が悪くなってきました・・・。暗く曇った空からは、時折小さな雨粒が降ってきます。ここいらの標高は3000mぐらい。標高4000m以上の高所では、雨が降っている範囲がはっきりと判るのですが、3000mぐらいだと、雨の境目が曖昧・・・。まぁ、酷い雨でもないので、気にせず走り続けました。とはいえ、天気がイマイチなので、あまりウキウキはしませんね・・・。

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写真1)おっ!?前方に『動く牧草の塊』を発見!!

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写真2)おっ!?初めて、道路標識に『拉薩(ラサ)』の文字!!

 ラサまで326kmかぁ~・・・、多少プラスして350kmってとこかな。八一からの道は、川に沿った緩やかぁ~な登り。130kmで450mの登りです。まぁ、登ってないに等しい。舗装道路には、車が結構走ってる・・・。久しぶりに、排ガスという毒を吸いました。首都ラサと第二の街・八一を結ぶ国道ですからね、仕方ないか。なんとも単調なサイクリングが続きました。昼食は、道路わきでインスタントラーメン。

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写真3)玄関のドア開けて、こんなのが目の前にいたらどうします?

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写真4)こんな空、こんな道、こんな感じです。

 なんてことでしょう・・・。八一以降の道は、楽過ぎるんです。なんとうか、『普通の道』なんですよね。チベタンの古い町を見る機会も少なくなってきました。国道沿いの小さな集落は、最近立て替えられた真新しい家ばかり。せめて道路が悪路だったら、いくらかヤル気が出るのですが・・・。どうも、過酷な道に慣れすぎてしまったようです。 

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写真5)ゴンポギャムダが見えてきた。

 午後6時、ゴンポギャムダの街に到着。130kmあったのに、予想よりも早い到着。早速、宿を取って、街へ繰り出しました。雨が降り始めたメーンストリートを堂々と歩く欧米人を発見!!外国人がこんな街中を歩いていて大丈夫なんだろうか・・・?「ヘイ!ガイ!何やってんだい?」大きなバックパックを背負った大きな男は、イスラエル人バックパッカー。ヒッチハイクで、雲南省から登ってきたというアヴィ
 このような地方都市で、外国人が泊まれる宿は限られています。誤って外国人が泊まれない宿にチェックインしてしまうと、警察に通報がいく場合もあります。さて、アヴィはどうするの?1週間以上テントで寝泊りを続けている彼、なんだか可哀想なので、私の部屋に来るように誘いました。私の名前(伊 東心)でチェックインしているので、彼が自分の名前で泊まるよりも問題は少ないでしょう。インターネットカフェでメールチェックを済ませ、一緒に宿に戻りました。
 宿の受付(登記室)で、宿泊者台帳を管理しているおじさんに、一言。「友達に会ったから、彼も俺の部屋に泊まることにするよ。」何ジンであるかは、告げませんでした。これでOK!と思ったら、アヴィがひょっこり顔を出して、「ニィハオ!ニィハオ!よろしくね!」とおじさんに挨拶・・・。おいおい、俺の芝居はなんだったんだ?

 部屋に戻り、それぞれの旅の軌跡と、この先の旅の情報交換。イスラエル人バックパッカーは、数年単位で旅をしている人が多く、ちょっと変わったスタイルの人も多いのです。彼もちょっと変わった方かな・・・?またいつか彼については、詳しく紹介しましょう。

 夕食を食べに出て、再び宿に戻ると、階下の私の自転車の隣に、もう1台自転車が!?どうやら中国人サイクリストのモノのようです。装備品を見れば、大体どこの国のサイクリストであるかが解るようになってきました。自転車のメーカーが最大のヒントですが、使用しているパーツの構成、バッグのメーカーなどによっても、大体の判別がつきます。『あっ、これは、ドイツ人だな?』『これは、フランス人!』『これは・・・、アメリカ人かカナダ人だな。』って。
 さて、この止まっている自転車ですが、中国人サイクリストのモノであることは確か・・・。でも、解らないのがこのメッセージ。『Tell the people! Hope is still alive! Hope is strong!!』
と英語で書かれた大きなメッセージ。実はこのメッセージ、数日前、八宿の町外れの壁に書かれていたのを見ているのです。その時は、チベット独立指示派の欧米人が、書いたものかと思っていました。だって、『人々に教えるんだ!希望はまだ生きている!希望は強いんだ!』って意味ですよ?チベットの独立運動を鼓舞するようなスローガンに聞こえませんか??

 この中国人に会ってみたくなりました。単調だった1日の最後に、なんだか面白い出会いがありそう!!

走行距離:131km/最高地点:3400m/最低地点:2700m/宿泊地点:3400m

ラサへの道!! / 12日目・ちょっと休憩 

7月22日、チベット入りして初めての連泊。中国人の街・八一で1日のんびりしました。

 八一は、『はぁー』ではなく『8・1』、BAYIと発音します。8月1日は、中国人民解放軍の建軍記念日。その名の由来通り、この街は人民解放軍が築いた街なのです。駐屯地の周りに築かれた街が、どんどん大きくなって、ここいらで最大の街になりました。

 インターネットで検索したサイクリストの旅行記などでは、ことごとく『ここには滞在するな!警察に捕まるぞ!』みたいなことが書いてありました。確かに、街の手前に人民解放軍の検問所があったり、パトカーが若干多いような気もしますが・・・、私には安全な街です。
 なぜかって?中国人がやたらと多いからです。見た目が目立つ欧米人ならともかく、私たち日本人なら、かえって目立たない場所なんです。

 22日、午前中は眠れるだけ眠るつもりでしたが、昨晩24時頃に部屋にやってきた中国人のおじさんが、早朝6時前に起きて、ガサガサと物音を立てるもんだから、日の出前に一度起こされました。泊まった部屋は、多人房というドミトリーだったんです。多人房に泊まるのはいつものことですが、大抵は、宿主の配慮で、私独りで使わせてくれます。が、ここは違うみたい。他にも沢山空き部屋があるのに、わざわざ同じ部屋に入れるなんて・・・。午前9時頃には、出て行ったお客のベッドを掃除しに来た宿の娘に再び起こされました。あぁ・・・、もうこれ以上は眠れないかな。

 10時から1時間かけて、3日分の汚れた衣類を洗濯。11~16時は、部屋に閉じこもって、パソコン作業や走行資料の確認。16時から19時までは、遅い昼寝。昼寝をしたのなんて、何日ぶりでしょう?覚えている限り、ベトナム・ハノイ以来、2ヶ月ぶりぐらい。

 19時半から、夕食と散歩を兼ねて、八一の中心部を歩きました。宿は、町の北外れにあります。中心部へと向かうと、あれ、まぁ、おぉ!・・・色々ありますねぇ。デパートにお洒落なカフェ、飲食店や衣料品店、家電屋も一通り揃っています。相当な都会です。中国の都市で、これだけの規模となると、ケンタッキーフライドチキンやピザハットがあってもおかしくないのですが、さすがにありませんでした。なんでもありそうな商業エリアの外側に、人民解放軍の施設や住宅地。これだけでも驚きですが、なんと!市街地の南側に、更に巨大な新市街を建設中なのです。

 インターネットで、誰かがこの街をこのように言っていました。『中国人が築いたチベットで最大の中国人の街』 確かに、その通りです。ある意味、区都ラサよりも大きな街です。中国人が中国人の為に新しく築いた街としては、ってことです。

 街を歩くのは、中国人が大半。チベット人は少数派です。この街のみならず、現在、チベット全土の都市人口は、先住のチべット人よりもこの20年で移住してきた中国人、つまり漢民族などの方が多いのです。チベット人にとっては、自分たちの土地を奪われたも同然なのではないでしょうか・・・

 チベット問題の縮図を見た思いです。

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写真)八一市街地・南に建設中の商工業地区。逆光ですみません。 

偽札!? 

7月21日 中国を旅して4ヶ月以上が経ちますが、初めて人民元の偽札を掴まされました・・・。

 中国で人民元の偽札が出回っていることは、知っていました。買い物などの支払いの際、100元札や50元札を渡すと、店員さんが『透かし』をチェックしたり、ブラックライトに当てたりしているのをよく見るからです。

心 「そんなチェックしなくても平気ですよ。その100元札は、中国銀行のATMで下ろしたものですから。」
店員「そうだろうけど、習慣でね。」

 なるほど、確認する習慣を付けておかないといけないんですね。そんなに出回っているんだろうか・・・?と思っていたら、今日、偽札が私のところに回ってきた訳です。

 その偽札は、20元札でした。20元ですよ?日本円で280円程度の紙幣です。まさか、こんな小額紙幣まで偽札が出回っているなんて、知りませんでした。100元、50元ならまだしも・・・。

 夕方、八一の街に到着。街外れの国道沿いの旅館にチェックイン。宿のおやじさんとは比較的中国語が良く通じ、旅の経過や今後の予定なんかを楽しげに語らった後、宿代の支払い。100元札から、20元
を支払いました。お釣りがなかったおやじさん、近所の商店まで両替に行きました。帰ってきたおやじさんから、20元札3枚と、10元札2枚を受け取り、合計金額が80元であることを確認して、ポケットにねじ込みました。

 で、例の20元札が偽札だと発覚したのは、その晩。近所の商店で買い物の支払いをした時です。38元の支払いに20元札2枚を渡すと、店員さん、ニコニコしながら1枚を返してきました。「これ、偽札だよ。」
 「えっ!?」 確かに、良く見ると『透かし』が不鮮明で、表の毛沢東の顔色も薄い・・・。店員さんは、レジに添え付けの紙幣確認用の機械で、ブラックライトを当てて見せてくれたり、紙幣に入っている磁気テープの読み取りを見せてくれたりしました。そんなことしなくても、印刷の甘さを見れば、一目瞭然ですよ・・・。

 さて、この20元、どうしてくれよう?20元と言えば、今の私の1日分の食費になります。朝は5元、昼も5元、夜は10元。記念品として日本に送っても良いかな?と考えましたが、食事代の方が大事です。食いしん坊ですから。
 宿に戻り、おやじさんに苦情!「おじさん、これ、さっきおじさんから貰った20元!偽札だってよ!!」おかしな顔で私を見つめるおやじさんの言葉は意外なものでした。「大丈夫だよ。誰か受け取ってくれるって。」 

えっ、そういうもんなんスか?

 その晩、部屋で今後の予定などを計算していました。どうやら、予定以上に早く進んでいるようで、ここ八一で連泊して休憩を入れても、27日にはラサに到着しそう・・・。

 というわけで、偽札20元は、翌22日の宿代として、おやじさんに渡しました。おやじさん、紙幣を確認せずに、引き出しに入れちゃいました・・・。なんだか悪い気もしましたが、もとはと言えば、おやじさんから回ってきたモノですからね。

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写真)上が偽札。下が本物。印刷が薄く、透かしも不鮮明。 

ラサへの道!! / 11日目 

7月21日 ちょっと気分転換に、フラワーウォッチングをしながら走ってみました

 のんびりした朝。8時に起きて、9時半出発!昨晩は、近所の子供たちがウロウロしていて騒がしかった東久(ドンジュ)村は、静まり返っていました。みんな仕事なり学校なりに出掛けたのでしょう。お天気は、まぁそこそこ。快晴ではありませんが、適度に雲があって、適度に日差しがある。今日の目標は、林芝という町まで90km弱。資料によると、緩やかな登り(標高差2000m、距離50km)と、一気の下り(標高差1500m、距離35km)とのこと。舗装道路だし、昼食が取れそうな町も途中にあるし・・・、悲惨な走行にはならないでしょう・・・。というわけで、ちょっと気分転換に、道端の野花を写真に撮りながら走ることにしました。

 東久村を出て、10kmほどのところから撮影開始!とにかく、撮ってない花を見つけたら停まって写真撮影。「あっ!これ!!」「あっ、これも!」「あっ、あれは初めて見る!」なんてやってたら・・・、ぜんぜん前に進まない・・・。1時間で7kmしか進んでいない。それでは、林芝到着が遅くなってしまいます。ルールを変えて、5~10km毎に取る休憩の際に、自転車を停めた場所周辺の野花を撮影することに。これで進むスピードが速くなった。

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写真1)東久(ドンジュ)村の108道班。宿泊費10元、もちろんシャワーなし。

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写真2)走り始めて30km程で、周囲の景色は、ヨーロッパアルプスのように変わりました。

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写真3)1時、魯郎(ルナン)という町に到着。町の入り口に検問がありましたが、無人だったので堂々と突破。

 魯郎で昼食の後、いよいよ登りらしい登りが始まりました。3000mを越え、3500mを越え・・・、立ち漕ぎでガンガン登るには空気が薄くなってきた・・・。時速7km以下のスローペースでゆっくりとペダルを踏み込みます。ふと、空を見上げると・・・、あ!雨が降る!!前方の山に雨雲がかかっているのです。次第に空は黒くなり、雨が降り始めました。雲が通り過ぎるのを待とうと、大きな木の下で雨宿り。しかし、一向に止む気配はありません。どうも、雨を降らせているのは、ひとつの雲ではなく、長く連なった雲の列のようで・・・。仕方ない!レインコートを着て、雨の中を走ることに。
 徐々に強まる雨の中、スローペースで上り続けます。雨の峠越えは初めてではありませんが、こんなに長く振り続けているのは初めて。標高4000m以上の山で降る雨は冷たく、気温は10℃近くまで下がっていました・・・。寒いけど・・・、きっと止むよね・・・。

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写真4)進行方向を横切るように、雨雲の列が流れてくる・・・。

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写真5)4500mの峠。結局雨は止まないまま到着。


 峠で一枚上着を着込んで、長い下りに突入。舗装道路の下りは快適なのですが、雨が降っているから、スピードが出せない・・・。時速30km以下で慎重に下ります。下って、下って、下って、標高3500mまで来たところで雨は止みました。最後は、時速50~60kmのハイスピードで、平野まで一気!!下り終わったところは、ヤルツァンポ川沿いの豊かな平野でした。

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写真6)チベットの大河・ヤルツァンポ川が造った豊かな平野。

 宿泊を予定していた林芝の町は、思っていたよりも小さく商店もあまり見当たらなかったので、更に18km走って、八一の町へ。八一は、人民解放軍(八月一日は解放軍の日)が築いた近代的な中国の町。軍隊の町とあって、警察の目も厳しいとのことですが、お構いなし。堂々と旅をしていれば、怪しまれることはないでしょう。八一のはずれの宿にチェックインし、夜は久~しぶり!!に!銭湯に行って、のんびり湯船に浸かりました。はぁ~・・・、極楽極楽!!雨の峠越えの苦労も忘れてしまいましたよ。

 あっ!忘れてた!!道端で撮った野花の写真!! 21日以降も撮影が続いたので、7月24日付けのエントリーにアップします。

走行距離:○○○km/最高地点:4500m/最低地点:2300m/宿泊地点:2700m

ラサへの道!! / 10日目 

7月20日 昨晩ネットカフェに行った時に見た、ちょっと悲しいメールのおかげで、少し気持ちが重い・・・。でも、まぁ、走ってれば気持ちも晴れるかな・・・。

 朝8時、荷物を持ってホテルのロビーへ。自転車に荷物をセッティングしていたら、何やら私に向かって話しかけてくる女性・・・。いつものように片言の中国語(北京語)で返そうと思ったら・・・、あれ?この女性、広東語しゃべってる!?朝からピンチです。このホテルの人々は、私を香港から走ってきた香港人サイクリストと思い込んでいます。この女性は、どうやら広東省出身の旅行者のようです。ここで下手に振舞えば、「香港人ではない!じゃぁ何ジン?」ということになっちゃいます。
 「ネィホウ!ネィホウ!」とニコやかに広東語で挨拶した後、北京語で「あなた英語できますか?」と質問。『できる』という返事が返ってきたら、英語で言い逃れようと思っていましたが、返ってきた返事は『少しだけ』 うぅ~ん・・・、仕方ない。真実を述べるよう。私の片言の北京語で上手く伝わるだろうか・・・?
 「私は、日本人なんですよ。外国人はチベットを無許可で旅行できません。だから、私は香港人であると言っているのです。」
 小さな声で告げたので、レセプションに座っている人々には聞こえていないでしょう・・・。うまく伝わったかな?と彼女の顔を見上げると、「えっ?日本人?」って・・・、あぁ・・・・そんな大きな声で言わないで下さいよ・・・。周りが何か言い始める前に・・・、逃げろぉ~!!慌てて自転車に跨り、「再見!良いホテルだったよ!」と、レセプションのおねぇさんに手を振って出発! 

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写真1)波密のメーンストリート。

 街外れの食堂で朝食を取り、ドキドキしたまま波密の町をでました。ドキドキが治まると、また重たい気持ちに・・・。実は、先行してラサに宿泊しているカリーナ嬢から、「これ以上待てません、先にカトマンズに向かいます。」というメールが届いていたのです。先に行くって言ったって、私はここからラサまでまだ1週間以上かかります。ラサ到着後、またすぐに出発したって、彼女に追い付くことは不可能。次に会える場所はカトマンズってことです。これは、私たちの二人旅が終わったということを意味します。

 さぁ~て、走っていれば気持ちも晴れるはず・・・。私は、走りながら色々と考え事をするのも好きですが、今日は思考を停止して、景色を眺めながら、何も考えずにペダルを回します。しかし、景色が良い峠道ならともかく、今日も下りばっかり、しかも、視界の悪い森の中・・・。どうしても、色々と考えてしまいます。はぁ~・・・
 何も考えないよう、瞑想に近い状態まで心を鎮めて走っていると、前方からサイクリストが2人近づいてくるではないですか・・・!?瞑想(みたいな)状態から覚めて、2人を呼び止めると、欧米人の女性!黄色いサイクルシャツに身を包んだ2人は、5年かけて世界一周(50カ国)を走っているというベルギー人。今2年目で、ヨーロッパからアジアまで走って来たところらしい。

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写真2)イングリッドとニコル

 良く見ると、彼女たち、荷物がない!?不思議に思って聞いてみると、彼女たちはネパールからチベットに入った為、車を手配した『サイクリングツアー』の形式でしか中国入国を許されず、仕方なく知人のチベット人に頼んで車で伴走してもらっているとのこと。知人といえども、お金は払っているのでしょう。大変な旅行だ・・・。
 彼女たちと10分程度の立ち話。この先の道路情報を交換しあい、お互いの旅の予定を語り合う内に、沈んでた気持ちも回復しました。そうだよ!俺は、長年の夢を達成するべく、旅をしているんだよ!沈んでいたら勿体ない!楽しまなきゃ☆

 偶然出合った同じ『世界一周サイクリスト』たちのおかげで、復活☆ 私とは逆の東回りで世界一周を目指すイングリッドとニコル。アメリカ大陸での再開を約束して、別れました。さぁ~!彼女たちの話によると、この先数キロで川を渡らねばならないとのこと。渡ってやろうじゃないですか!

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写真3)ウッワ・・・。本当に川だ・・・。

 昨日渡った渓流は、川とは呼べないレベル。今日のこれは立派な川です。丸い石がゴロゴロしているので、裸足では入れない。靴を履いたまま、水に入ります。浅いところを選んで歩きましたが、やはり膝あたりまで水浸しになりました。反対側に辿り着いた後も、足を温めることなく、再び自転車に跨りました。またすぐに川があると言うのです。

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写真4)ウゥ~ワァ~・・・、こっちの方が酷い・・・。

 どうせ靴はビショビショです。勢い良く水に入り、自転車を押します。幸い、私の重ぉ~い自転車は、このぐらいの水流でも流れることはありません。ニコルの自転車は、ここで流されかけたそうですが。反対側に辿り着き、道ばたの岩に腰掛けて休憩。足を揉んで温めて、靴下を乾いたものに交換。靴が濡れているので、すぐに靴下も濡れますが、いくらかマシでしょう。濡れた靴下は荷台で乾かして、乾いたらまた履き替えます。2~3回それを繰り返したら、靴の湿気もなくなることでしょう、多分。

 川沿いの緩やかな道を下り続けます。標高は、波密の2700mから、川蔵公路(四川省~ラサの国道)で最も低い2050mまで下ります。標高が下がるにつれ、気温も高くなってきました。気温だけなら良いのですが、困ったものも増えてきた。ハエとブヨです。温かい森に虫が多いのは当たり前ですが・・・、イライラするんですよ!周りをブンブン飛び回られると!!時速15km以下では、いつまで経っても着いてきます。スピードアップして振り切っても、スピードを落とすと、また別のハエたちが寄ってくる・・・。今朝の考え事はどこへやら。必死になって走っていたら、走行距離は伸びて行きます。

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写真5)オフロードに突入!

 舗装が切れて、オフロードに突入。聞いていたので、驚きはしません。この未舗装区間は、数キロで終わるというので、一気!!再びアスファルトになったところに、トンメという小さな町がありました。イングリッド&ニコルは、ここで宿泊することを勧めていましたが、まだ日没まで5時間あります。もっと進もう。遅い昼食の後、予定を変更して、47km先の東久(ドンジュ)村を目指すことに。

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写真6)吊り橋を渡る

 町外れで再びオフロードに入ると、すぐに大きな吊り橋にたどり着きました。橋の両側には、人民解放軍の兵士が。でも、心配することはありません。単なる兵士です。彼らに私を連行することはできません。簡単に挨拶をして、橋を渡り、川沿いのオフロードを快調に走行。このあたりが、標高2000m代の川蔵公路最低地点。道幅はトラック1台分しかなく、登り下りも無茶苦茶激しい!チベット入り以来初めて、漕いでも登れない傾斜でした。広い道路を作れるだけの十分な場所がなく、地形に合わせて無理やり道路を作ったといった感じ。『落石注意/流砂注意』という看板があちこちにあり、雨季にはよく通行止めになる区間なのです。

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写真7)道路拡張工事中。

 未舗装区間は、どこまで続くのか・・・?今朝聞いたはずだけど、走っている内に忘れちゃいました。2050mの最低地点通過後、再び道は登りに。しかも、オフロード。時速10km前半で上り続けますが、どうやら日没が近いみたい。深い谷の底が、徐々に薄暗くなってきました。東久村まであと15km・・・。どうしよう、ここらでキャンプするな・・・。

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写真8)また川とかあるし・・・・

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写真9)靴がいつまでも乾きません・・・

 本日3本目の冷たい川を横切って、しばらくすると舗装道路になりました。これなら、行ける!濡れたままの靴で、漕ぎ続けます。川沿いを登り続け、日没30分前の8時15分に、東久村に到着。宿は、道班と呼ばれる簡易宿泊所しかありませんでしたが、まぁ、キャンプよりは快適でしょう。食堂もなかったので、インスタントラーメンの夕食。

 気持ちのせいでしょう。けっこうシンドイ1日でした。

走行距離:134km/最高地点:2700m/最低地点:2050m/宿泊地点:2300m

ラサへの道!! / 9日目 

7月19日 地図と資料から見た感じ、今日は大半が下り。今日も楽な1日になるのかな~・・・?

 朝7時半、宿の隣にある町役場のスピーカーから、軽快な朝の音楽が流れてきました。中国語なので歌詞の内容は解りませんが、多分、「今日も1日国家のために尽くしましょう」的な歌なのでは?リズムに合わせて、軽快に歯を磨き、顔を洗って、準備が整ったところでラウの町を出発!

 湖の辺の平坦な道を走ります。日の出と共に、徐々に雲が晴れ、美しい山々が姿を現し始めました。ガイドブックや資料では、ここいらの景色を『スイスアルプスのような美しい景色』と形容しています。私はブログ上で「スイスアルプスのような」とか、「ヨーロッパアルプスのような」といった表現を使っていますが、実はまだスイスには行ったことがない・・・。本当にこんな感じなのかなぁ?まぁ、いいか、行けば解りますよね。来年の夏にはヨーロッパですから。

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写真1)ガンツォ(湖)のほとりの村

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写真2)ガンツォ(湖)と牛

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写真3)ガンツォから、再び川が流れ始める。

 のどかな風景の中をのんびりサイクリング。しばらくすると、轟々と水が流れる音が聞こえてきました。湖の水が再び川となって流れ出しているのです。湖の標高は3850m、ここから川に沿って、標高2700mの波密(ボミ)まで下ります。さぁ、下りはどんな路面でしょうかねぇ~?

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写真4)あぁ・・・、やっぱり・・・。

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写真5)こんな谷が続きます。

 湖畔の道は、真新しい舗装道路だったので、もしかしたら、谷間の下りも舗装工事が完了してるかも?なんて甘い期待をした私が馬鹿でした。石がゴロゴロの悪路です。幸い、傾斜がそれ程ないので、ハンドル操作には苦労はありませんでした。が、走りにくいことには変わりない。未舗装になって数キロで、人民解放軍兵士と遭遇。スコップを手にして、路面の大きな石を取り除いたり、土を均したりしています。これは彼ら解放軍兵士の仕事のひとつ。ここいらの道路は大事な『軍用道路』でもありますからね。関係改善が進んでいるとはいえ、隣国インドとの国境線は、すぐ近くです。
 解放軍兵士は、漢民族ばかり。「ニィハオ」と挨拶しながら、悪路を進みます。左手には轟々と流れるパロルン・ツァンポ(川)。川があるけど、道ばたに緑はない・・・。乾ききった路面からは、土ぼこりが上がる・・・。乾燥した路面に悪態をつきながら、走っていると・・・、水だ!?

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写真6)道路を横切る川・・・

 パロルン・ツァンポに注ぎ込む渓流が、道路を横切っています。ここいらの道路ではよくあること。雨が降る季節と雪解けの季節意外は、チョロチョロと水が流れ込むだけなので、わざわざ橋を架けずに、路面をコンクリでしっかり固めるて、道路が流されないようにするのです。今は雨期ですから、水量もちょっと多い・・・。どうしよう?自転車に乗ったまま水に入って、バランス崩して転倒でもしたら、全身水浸しです。
 しばらく考えた末、裸足になって、自転車を押すことに。川床(=路面)は、コンクリなので、靴なしでも平気なはず。恐る恐る水に入ると・・・、ウッヒャ~!?冷たい!!水深は、20cm程度ですが、流れが強いので、水がひざの上まで跳ね上がって来る!幅10mほどの流れを横切っただけですが、足は芯まで冷えてしまいました。日向で足を温め、再び靴を履いて、土ぼこりの悪路へ。

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写真7)足が・・・・、足がぁ~・・・・、チベタイ!

 未舗装の石ゴロゴロ悪路は、40kmほどで終わりました。スムゾンという町の手前から、きれいなアスファルト舗装に。スムゾンで昼食の後、道は森林地帯に入りました。立派な木々が生い茂りる森。久しぶりにこんな場所を走りました。下りとはいえ、若干の登りもあります。が、標高が3000m近くまで下がっていたので、快調にペダルを回すことができました。
 宿泊予定地の波密は、欧米人サイクリストの間では、「宿泊に危険な場所」と言われていますが・・・、もうそんなの気にしません。私は堂々と走り続けるのです。波密の手前10kmほどのところで、雨の気配。ふと、左手の空を見ると、雨雲がすぐそばに迫っています!雨雲を振り切るべく、スピードアップ!!必死になって漕いで、漕いで、恋で、なんとか雨に降られる前に、波密の町に到着。のんびり宿探しをしていたら、雨雲が追い付いてきました。大粒の雨が降り始め、慌てて近くの宿にチェックイン!兵館(ビングァン)と呼ばれる、日本では「ホテル」に相当する宿泊施設。シングル部屋で50元もしました。普段止まっている旅館や招待所(公営ホテル)は、10~20元程度です。

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写真8)雨雲だ!逃げろぉ~!!

 このようなしっかりした宿にチェックインする際は、宿泊者台帳の記入が必要です。堂々とチベット旅をしているとはいえ、正直に日本人サイクリストとして台帳を記入すると問題がありそう・・・。そこで、ちょっと小細工。
 氏名の欄には、いつも『伊 東心』を書いています。こうするだけで、中国人風の名前になるのです。中国人は、日本人の名前は苗字2文字&名前2文字の4文字が普通だと思っています。私の名前は、漢字3文字。苗字を1文字に見せかけるだけで、中国人になれちゃう☆ 『伊』という苗字も、『東心』という名前も、あまり聞きませんが、全く可能性ゼロということはない。中国は広いですからね、ここいらでは聞かない名前でも、他の地方にはあるのかも?と地元民は思うことでしょう。
 住所欄は、ただ単に『福岡』と書いたり、嘘をついて『中国香港』と書いたりしています。今日は、香港と書きました。IDナンバーの欄には、普通に日本のパスポート番号を書いています。これで、堂々とホテルに宿泊できるわけです。私の顔は、東アジアならどこの国民にでも化けられるようなので、誰も「日本人じゃないの?」なんて疑うことはありません。

 堂々と宿にチェックインした後、堂々と町に繰り出し、シャワー屋に行ったあと、町の食堂で夕食。たまたま食堂で隣り合った警察官には、波密から先、八一という町までの道路状況を尋ねました。親切に教えてくれた警察官は、私を香港人だと思い込んでいたようです。食後、ネットカフェに出かけ、午後11時に宿に戻りました。

 どんどん大胆になってますね、私。嘘をつきつつ、ビクビク走るよりも、バレても良いや!ぐらいで走ってた方が安全なようです。このままラサまで行っちゃおう!!

走行距離:132km/最高地点:3850m/最低地点:2700m/宿泊地点:2700m

親切な案内 

 中国の警察署は、『公安局』と呼びます。そして、交番は、『派出所』です。まぁ、日本と似たようなものですね。

 田舎道を走っていると、よく『派出所はコチラに何百m』みたいな案内を目にします。小さな町や村を通過する時は、必ずと言ってよい程あります。よその地方から来た人が、トラブルにあった場合、このような案内は親切で良いですよね。

 7月18日に宿泊した、チベット・ラウの町の派出所は、解り易かったなぁ~。案内がとてもとても親切なんですよ!

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写真1)右手に派出所があります。案内板には、警察のマークが。

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写真2)案内板を良ぉ~く見ると・・・!?

 派出所まで、1.5メートルって!?!?

 確かにそうだよ、そうですよ。多分、案内板から、派出所の門まで、1.5mでしょうよ。

 なんて親切な案内なんでしょう。感動しました。 

久々に戦争ドラマを見ました。 

7月18日 久しぶりに中国の戦争ドラマを見ました。

 もちろん、『戦争』とは、抗日戦争(日中戦争)のことです。中国の放送局は、毎日のようにこの手のドラマを流しています。

 宿の近所の食堂で夕食を注文して、ボケーッとテレビを見ながら、料理を待っていました。たまたまやっていたのが、戦争ドラマ。見ててもつまらないから、チャンネルを変えようかと思ったら、別の客から「見てるから変えるな!」と言われました。あら、ごめんなさい、他に客がいたのね。

 まもなく、他にも数人のお客、多分地元民(漢民族)がやってきて、みんなでガヤガヤ言いながら、ドラマを見始めました。そんなに面白い内容なのか・・・?私が見る限り、お決まりの展開です。さぁ・・・、出るぞ、出るぞ・・・、「バカヤロウ!」 ・・・ほらね。お客たちも「バカヤロウ!」と真似してるし・・・。

 あぁ・・・、これだから、反日感情が薄まらないんですよ・・・。反日感情を扇動することが国策なのでしょうか。21世紀をリードするであろう大国・中国、国際的に成熟した国家にならないことには、主役の座を逃してしまいますよ? 

 まぁ、日本の国際的リーダーシップもまだまだ未熟だと思いますが・・・。

 いい加減にしてくれ、中国のテレビ局&中央政府!!

ラサへの道!! / 8日目 

7月18日 もうコソコソする必要はないでしょう。堂々と行きましょう。

 八宿の町には、ネットカフェがあります。朝8時から開くので、食堂で堂々と朝食を取った後、堂々とネットカフェに行って、小一時間堂々と日本語のサイトを閲覧してきました。コソコソと旅するのには、疲れてきちゃったんです。堂々とラサまで走ってやりましょう。

 9時半に八宿の町を出発。今日は、標高3200mから4480mの峠まで、68kmの緩やかな登りと、22kmの緩やかな下りです。なんだか、楽そう。天気も良いし、のんびり走り始めました。道路は、アスファルト舗装☆ もしかして、このままラサまで続いてるのかな・・・?甘い期待をしながら、快調に走って行きます。すれ違った村人に挨拶をしながら、気持ちの良いサイクリング。堂々と走って、堂々と宿に泊まることを心に決めたからでしょうか?なんだか気持ちも楽になりました。

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写真1)八宿のメーンストリート。

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写真2)駆け寄ってきた子どもたち。この子らは、オネダリなしでした。

 緩やか~な道は、昨日、轟々と音を立てて流れていた川に沿って、徐々に標高を上げてゆきます。濁って飲めなさそうだった川の水も、上流では澄んでいて、川岸には緑も多い。
 快調に走り続け、午後1時、道路わきで昼食。八宿の宿で汲んできた水道水を沸かし、インスタントラーメン。茹で上がった麺を食べ始めたころ、近くの農家の子どもがやってきました。何を欲しがるわけでもなく、不思議そうに私の食事風景を見ている・・・。まぁ、こういうのにも、もう慣れてきました。「不思議だよね、なぁ、僕!見たけりゃ、ずっと見てても良いよ。」

 食後、走り始めてすぐ、仲間と逸れた仔牛を救助しました(詳細はこちら→http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/blog-entry-364.html) グローブが少し牛臭くなりましたが、気にしません。標高は4000mを越え、周囲の山には雪が見え始めました。

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写真3)標高4000mにも慣れました。

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写真4)道行く人々に元気に挨拶!

 標高は、4300mを越え、そろそろ峠かな?と思い始めた頃、空を見上げると・・・、あぁ、雨雲だ・・・。峠の雨は、何度も経験しましたが、これには慣れませんね。冷たい雨が降り始めました。雲の流れは見えています。数キロ走れば、雨が止むはずです。標高4400mの峠道を全力で疾走!全力と言っても、時速12~13kmですけど、なんとか、雨雲を振り切りました。
 この峠、結局最後まで緩やかぁ~な道が続きました。あまりに緩やかなので、どこが頂上なのかも解り難い。しかし、チベットの峠には、必ずタルチョがはためいているので、どこが一番高い場所であるかは一目瞭然です。タルチョ群を過ぎると、道は微かに下り始めました。道路わきには、小さな湖、きれいだなぁ~。その湖畔をボーっと眺めていると、何かがこちらに向かってきているではないですか?よ~く見てみると、自転車に乗った少年!?なんでこんなところに?周囲に家なんて見当たりません。遊牧民のテントもない・・・?まぁ、どこかにテントがあるのでしょう。遊牧民といっても、自転車やバイクを持っていることはありますからね。

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写真5)峠の雨。

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写真6)おい、ボウズ!どこから来たんだ!?

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写真7)緩やかな下りの始まり。

 さぁ、下りです。が、あまりに緩やかなので、漕がなければ前には進みません。美しい風景の中をのんびりペダリング。ヨーロッパアルプスを思わせるような、美しい景色です。徐々に傾斜が出てきましたが、同時に向かい風も強くなり、やっぱり漕がなきゃ進まない・・・。
 向かい風の中、ゆっくりと下って、下って、下って・・・、並走している川も徐々に水量が増えてきました。細い谷の底を轟々と流れています。この川が湖に注ぐところが、今日の宿泊地です。午後6時、ガンツォという湖の畔のラウに到着。小さな町ですが、ガンツォ周辺の観光拠点となっているため、宿や食堂は沢山あります。数件の宿から選んだのは、『自治政府招待所』町役場の敷地内にある宿です。宿の駐車場には、パトカーが沢山停まっていましたが、気にしな~い。

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写真8)万年雪?谷の底に溜まった雪。

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写真9)狭い谷底を川と道路が並走。

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写真10)ラウの町に到着。

 とても楽な1日でした。気持ちの持ち様ですかね?

走行距離:92km/最高地点:4480m/最低地点:3200m/宿泊地点:3850m

仔牛を救う 

7月18日 悲しい鳴き声を上げる仔牛を見つけました・・・

 昼食後、走り始めてすぐに、悲しげに鳴く仔牛の声を聞きました。どこから聞こえて来るんだろう??ふと、道路右手の壁を見上げると、あっ!いた!!

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写真1)ゥモォ~・・・・

 おいおい、お前はなんでこんなところにいるんだい?道路から2mぐらいの高さのところで、降りるに降りれず、悲しく鳴いている仔牛・・・。自転車を停めて、壁をよじ登り、仔牛のそばへ。周囲を見渡すと、どうやら50mぐらい手前の壁が低いところから、登ってきたようです。壁の低いところまで誘導したら、飛び降りれないかなぁ・・・?

 仔牛の背中を叩きながら、壁が低くなっているところまで、誘導しました。まだ生まれて間もないからかな?人間を全く怖がりません。石がゴロゴロしてる足場の悪い場所をフラフラと歩き、壁の端まで着ました。

 が!あれ?ここでも結構高いなぁ・・・。私の腰の高さぐらいあります。この子にジャンプさせるには、ちょっと高過ぎるかな・・・。ってことは、ここから登ったわけじゃなさそうです。一体どこから?

 どうしたものか、しばらく考えましたが、別の場所を探すのも面倒なので、仔牛を持ち上げて降ろすことに。お腹の下に両手を入れて、大きく深呼吸・・・「ヨッ!」っと持ち上げると、あら、結構軽い!?大型犬くらいの重さでしょうか。犬みたいに暴れないので、運ぶのも簡単!

 ゆっくりと道路に運んで、降ろして上げると、仲間のもとへと歩いて行きました。良かった、良かった。

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写真2)仲間の下へ。 

ラサへの道!! / 7日目 

7月17日 昨晩、日本人であることが知れ渡ってしまったので、ひと気が少ない早朝に出発することに。

 目覚まし時計が5時半に鳴り響きました。が、止めた後に2度寝・・・。再び起きたら、6時40分!?顔も歯も磨かず、慌てて自転車に荷物を積み込みます。
 7時ちょうど、宿を出発。分岐点にある検問所に、まだ人の姿はありません。おそらく、こんな早朝に出発しなくとも、検問に引っかかることはないでしょう。が、昨晩の噂話(こいつは日本人!)が広まっている可能性があるので、仕方ない・・・。早朝の検問突破と言っても、私の場合は日の出後に通過しました。わざわざ日の出前にやらなくとも、7時半~8時くらいにならないと、警察官も出てきません。見た目がとても目立つ欧米人サイクリストたちは、地元民の目すら気にするようで、4時とか5時に出発する人もいるぐらいです。

 さて、久しぶりに早起きしました。バンダの分岐点からは、いきなり上り坂が始まります。標高4050mから4600mへ15kmほどの上り坂。途中、車道から見えない場所を探して、停車。ペットボトルに入れていたオートミールの朝食と、洗顔&歯磨き。トイレも済ませて、朝の身支度完了。再びペダルを踏み込み、峠のてっぺんを目指します。

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写真1)バンダ分岐点の検問所。多分、日中も検査してないと思います。詰所に警官の姿はない。

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写真2)峠道から見たバンダ周辺の風景。標高4000m以上の平野。

 のんびりゆっくり登って、10時に峠に到着。さぁ、今日のメーンイベントの始まりです!!この峠、登り(東側)は緩やかな坂なのですが、下りは激しいのです。『72のヘアピンカーブ』と呼ばれる、川蔵南路の難所です。その名の通り、72のヘアピンカーブが続き、その落差は1800mにもなります。
 アスファルト舗装された道を、ヘアピン地帯に向けて下り始めます。「舗装道路だから、スピードの出し過ぎにさえ注意してれば、ヘアピンも大したことないだろう。」な~んて考えていたのが間違いでした・・・。下り始めてすぐにオフロードの悪路に!?『えっ・・・、マジっすか・・・。』地獄のダウンヒルの始まりです。

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写真3)天気良くって、テンション上↑ ・・・でも、この後、地獄↓

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写真4)ヘアピンカーブ。これはほんの一部です!

 ガタガタの悪路。これまで走ってきた悪路の中でも、トップレベルです。コブシ大の石が転がっているところもあれば、砂や土が深いところもある。ハンドルを取られないように、慎重に走行ルートを探します。1m間隔で波打った路面は、自転車全体を激しく上下に揺さぶり、荷台のカバンが飛び上がりそう・・・。トドメは、土埃すれ違う車や追い越していく車が巻き上げる土煙で、一瞬視界がなくなります。車が近づいてきたら、自転車を路肩に止めて、土煙が治まるまで待たねばなりません。
 悪路にうんざりし始めたのは、まだ3分の1も下っていない頃・・・。すれ違う車にも手を振らなくなりました。ちょうどその時、坂道を駆け上って来るバイク旅行者とすれ違いました。無表情で軽く会釈をしただけで通り過ぎたところ、バイクが停車する気配。そして、私を追いかけてくる気配・・・。何だろう?と思ったら、バイクの運転者は、日本人!!私が日本人だと察して、追いかけてきたのです。
 バイクに跨るのは、中国を一周中の小坂さん。現在、成都で語学留学中のおじさんです。小一時間、お菓子を食べながらの立ち話。まさか、こんなところで日本人と会うとは。

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写真5)中国製のバイクを駆る、小山さん。

 久々の日本語での会話に気分もリフレッシュ!再び、ヘアピンカーブに挑みます。下れど、下れど、カーブは続く・・・。漕がなくても良いから、楽と思ってもらっては困ります。荒い路面に神経を集中し、最適の走行ルートを選びながら、ブレーキを入れつつ、ハンドルを操作しつつ、体重移動をこまめに行うんです。神経を使うので、
上り坂よりもかえってしんどいです、私には。
 下って、下って、口の中がジャリジャリになって、下って、下って、土埃を全身に浴びて、下って、下って、下って・・・。ようやく谷底にたどり着きました。谷の底には、サルゥイン川という濁流が流れていました。平坦になった砂と石の悪路を漕いで進みます。ふと、背筋を伸ばして、頭を振ってみると・・・、あれ?頭が痛い!?高山病ではありません、もう2700mまで下っているのですから。これは、日射病の予兆です。朝から雲ひとつない快晴が続いていました。強烈なチベットの日差しを浴び続けると、このようなことになります。ちなみに、この時の日向の気温は、39℃!!4月の東南アジア以来の気温です。

 日射病・熱中症にならないよう、水をガブガブ飲んでいるもんだから、いつもより水の減りが早い。当たり前。毎朝用意する5.5リットルの水が、午後2時前に残り1.5リットルになりました。宿泊予定地の八宿までは、まだまだ40km以上あるのに・・・、足りません。
 ちびちび水を飲みながら、飲めそうな川の水を探します。すぐ隣には、濁った川の水が轟々と音を立てて流れています。が、あの濁った水は、濾過ポンプで濾過しても、土臭そう・・・。もっと透き通った山の水はないものか?こういう時に限ってないんですよね。あたりは乾いた岩山。人家もなければ、緑もない・・・。
 手元の水が底をついた頃、ようやく透き通った水が流れる川を発見!僅かな流れですが、見るからにきれいな水が、濁った本流に向かってチョロチョロ流れ込んでいます。自転車を停めて、昼食と水補給。3リットルの水を濾過して、1リットルをラーメンに使用。残りの2リットルで紅茶を沸かしました。

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写真6)この水は飲みたくない・・・

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写真7)あった!命の水!!

 はぁ~、水はありがたいですねぇ~。お腹も満たされ、体の水分も戻り、悪路も舗装道路に変わり、残りの20数キロは快調に走行!午後7時半には、八宿の町に到着し、宿にチェックイン。シャワー屋で全身の土埃を落とし、体もすっきり。

 今日は、朝が早かったこともあり、1日が異常に長く感じました・・・。疲れた。

走行距離:97km/最高地点:4600m/最低地点:2700m/宿泊地点:3200m

ラサへの道!! / 6日目 

7月16日 2度寝、3度寝していたら、8時!?慌てて出発準備!が・・・、結局出発は正午となりました。

 昨日洗って干してた洗濯物が・・・、全く乾いてない!!乾いてないというか、夜露でまた濡れてしまったよう・・・。乾くまで出発できません。朝の町を散歩したり、部屋でゴロゴロしたり。ようやく日が射してきたのは10時!中国という国は、EUと同じ面積を有しながら、標準時間はひとつだけなんですよ。だから、西の方にあるチベットは、実際の時間よりも2時間ぐらい太陽の動きが遅いのです・・・。
 正午にやっと出発準備完了。宿のおかみさんは、「今日は休養日なのかと思ってた。」とのこと。いいや、これから走るんですよ。今日の移動は、峠越えなしの108km。標高3800mから、4050mへ上がるのみです。昼過ぎに出ても余裕でしょう。

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写真1)左貢の目抜き通り。といっても町に一本しか通りはない・・・。

 さて、出発!アスファルトの道は、快適そのもの!路面抵抗が少なく、ちょっとペダルを踏み込めば、時速25kmまで加速します!・・・んが!?高速移動はできません・・・。富士山山頂と同じ標高の道を走っていることを忘れてはいけません。時速20km以上を3分も維持すれば、息が上がります。ハァハァゼェゼェ・・・。
 ○○?川を上流に向かって並走します。地形によっては、標高差50mぐらいの上り坂がありますが、大したもんでもありません。あぁ~、アスファルトって最高

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写真2)川沿いの集落

 快調に走り続け、40kmを過ぎたところで昼食。ちょうど良いタイミングで飲食店がある町を通過できました。注文したのは、最近ハマッているラーメン。『メンティャオ』と発音しますが、漢字はわかりません。標高の高い地域では、料理に圧力鍋を使っています。なぜだか解りますよね?気圧が低いので、お湯が100度以下で沸騰してしまうのですよ。ぬるま湯で料理しても、おいしくないのです。プッシュー!!っと、圧力釜が叫び始めたら、麺が茹で上がった合図。しばらくしたら料理が運ばれてきます。

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写真3)食堂の台所。圧力釜が大活躍。

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写真4)これがメンティャオ。店によって味付けは様々ですが、麺は共通。小麦粉のちょっとモッチリした麺です。

 腹ごしらえの後、走り始めるとすぐに標高4000mを突破しました。ついつい飛ばしがちですが、時速15~20kmぐらいをキープして、息を切らさないように走り続けます。通り過ぎる集落からは、「タシデレ!」「ハロー!」の気持ち良い挨拶。馬に乗った青年を追い抜いたり、自転車に乗った地元民と話しながら走ったり、楽しいサイクリン
グが続きます。

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写真5)標高4000m突破!平坦な道ですけどね・・・、空気は薄い。

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写真6)自転車の青年。映りが良くない!俺はもっとハンサムだ!と少々不満のご様子。

 午後5時を回り、徐々に日が傾き始めた頃、遥か彼方に五体投地で進む人影を認めました。巡礼者です。五体投地とは、チベット仏教の最も深い礼拝の方法と考えて下さい。『頭の上と顔の前、そして胸元で手を合わせた後、体を地面に投げ出して、額を地面に着け、もう一度手を合わせる。』これが一連の動作です。五体投地で進む?って疑問に思いますか?映像を見たことがある人は解るでしょうけど、ない人には理解が難しいでしょう。聖地へと巡礼に向かう人々の中には、五体投地をしながら、目的地まで行く人がいるんですよ。う~ん・・・、説明が難しいなぁ。つまり、一度の投地で進む距離は、自分の身長と同じ長さだけってことです。いったい一時間に何百m進むのでしょう?1km越えるかなぁ・・・?身を投げ出す動作をしなければならないので、荷物は持てません。装備品といえば、木製の手板と皮製のエプロンぐらいでしょうか。これらは投地の際に、いちいち体を傷つけないようにするためのものです。

 この巡礼者はどこに向かうのでしょう?私が走ってきた方角に、有名な聖地はないと思いますが・・・。とにかく呼び止めて、持っていたゆで卵とクッキーを渡しました。食料も持ち歩かない巡礼者は、道中、施しを受けながら旅をするのです。持ち歩けないから、その場で食べる。片言の中国語で簡単な会話をしましたが、結局どこへ向かっているのか解らず終いでした。

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写真7)五体投地で進む巡礼者。

 午後7時半、どうやら目的地のバンダ(チベット名/ポムダ)は近いようです。バンダは国道の分岐点に近い町。110kmを走ったところで、分岐点に到着しました。数件の宿と食堂があったので、バンダの町までは行かず、分岐点の旅館にチェックイン。
 荷物を部屋に入れて、階下の食堂に行ったら、中国人大学生の旅行者3人組がいました。英語が堪能な青年がいたので、久々に英語での会話。一緒に食事をしながら、旅の話を楽しんだ後、ふと、食堂の外を見ると、地元民がニタニタしながら、5~6人こちらを眺めています・・・。英語を話していることで、外国人だとバレてしまい、「なに人だ?なに人だ?」と騒いでいるのです。日本人であることがバレるのは嫌なんですが・・・、宿のおかあさんが自慢気に「日本人だよ!自転車で旅してるんだよ!」って言ったものだから・・・、観衆は大興奮!あぁ・・・、困ったなぁ・・・。こんな小さな集落で話題の人になってしまっては、警察の耳に入るのも時間の問題です・・・。今夜はもう遅いから、いちいち警察が訪ねてくることはないでしょう。でも、明日の朝、のんびりしてたら、見つかってしまうかも知れません・・・。仕方ない、明日は、日の出と共に出発することにしよう。

 標高4000m付近でも、平坦だったら、けっこう元気に漕げるもんです。自分の体力に改めて関心した1日でした。

走行距離:110km/最高地点:4050m/最低地点:3800m/宿泊地点:4050m

ラサへの道!! / 5日目 

7月15日 目覚めて、テントの外に出たら、あたりは真っ白!!

 霧?というより、雲の中にいるのです。ここは標高4070m。目覚めは良し!寝ている間に高山病の症状が出ないかと心配してましたが、全くその気配もない。雲が晴れるまで、テントの中で荷物整理。

 しばらくすると、外から声が聞こえてきました。また、お隣の遊牧民青年かと思ったら、また別のチベタン。しかも、今度は5人も!手には何やら鍬のようなモノを持っています。どうやら、薬草を掘りに山に出掛けるところのようです。
 冷たい川の水で洗顔・歯磨き、朝食はオートミールとコーヒー、食器やストーブを片付けて、テントを撤収。それら全ての動作を見守る5人の地元民たち・・・。荷物を自転車に装着し終わった頃、青空が見え始めてきました。出発準備OK!私を観察していた地元民たちも山仕事に出発しました。

 昨日に引き続き、川に沿った緩やかな上り坂を走り続けます。水量が徐々に少なくなっていっているような・・・?気のせいかな?いや、気のせいではありませんでした。どうやら、この川の水源まで遡れば、峠に達するようです。標高は、4400mを越え、自己最高・高度記録を更新し続けます。まだまだ、登る・・・。

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写真1)薬草探しに出掛ける地元の女性たち

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写真2)午前10時半、標高4400m突破!最高所記録更新中。

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写真3)見えますか?白や黒の羊の群れ。標高5000m付近で放牧中。

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写真4)いよいよ川幅も狭く、水量も少なくなってきました。河原の黒いテントは遊牧民のテント。

 11時半を回って、ようやく4500mを越えました。まだ峠まで500m以上ある・・・。通りかかった遊牧民のテント村(5~6梁)では、子供たちが駆け寄ってきて、お強請り攻撃!逃げようにも逃げられません。私が自転車で逃げるよりも、子供たちが走った方が速いのです。標高4500mの緩やかな上り坂ですよ?時速7kmがやっとです・・・。なんとか子供らを追い払ったものの、洗濯バサミを盗まれていました。

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写真5)この中の誰かが、私の洗濯バサミを3個盗んだ!

 標高4700mを越えると、いよいよ呼吸が荒くなってきました。500m走っては、深呼吸&水分補給休憩。亀のごとくゆっくりゆっくり進んでいたら、急に天気が悪くなり、冷たい雨が降り始めました。待てばすぐに止みますが、雨宿りする場所がない。もうここには樹木がありません。20分ほど雨に打たれましたが、ずぶ濡れにはならずに済みました。

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写真6)標高4900m突破!あと100m!!

 あと少し!あと少しです!すぐそこに大量のタルチョがはためいています・・・。あと、少し、あと・・・、少し・・・少し・・・!!着いたぁ!!おぉ~!!5008mの峠ですよぉ~。始めての5000オーバー!歩くぐらいだったら、別に息は切れませんが、ちょっと機敏に動いたり、ペダルを踏み込んだりすると、急に息が切れますね。
 それもそのはず、気圧を調べてみたら、たったの556ヘクトパスカルでした。解りますか?1気圧、つまり海抜ゼロメートル地点の普通の気圧が1000ヘクトパスカルです。その半分ぐらいしかない訳です。大気の圧力が半分ってことは、空気の濃度が半分ってことですよ。ここは、平地の半分程度しか酸素がない場所

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写真7)海抜5008m!!

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写真8)気圧計は、腕時計に内臓。

 さぁ、下りです!5000mから、今夜の宿泊予定地・左貢(ゾゴン)3800mまで、1200mのダウンヒルです。オフロードの下りは好きではありませんが、今回は気持ちが良いダウンヒルを楽しめました。下りと言えども、4000m以上の高所です。周囲の山々や草原がとても美しい!!
 ブレーキかけっ放しのため、リムが高温になってしまいますが、お構いなし。気持ちの良いダウンヒルを止めるつもりはありません。下って、下って、下って・・・、標高4000mまで来たところで、路面に変化が!?なんと!アスファルト舗装になっているじゃぁないですか!?素晴らしい!!オフロードの下りでは、時速30km以下でしたが、オンロードなら時速50km出てもへっちゃらです。一気に距離を稼ぎ、左貢目指して走り続けました。

 谷の底にたどり着いたら。大きな川に沿った道になりました。川の名前は忘れましたが・・・。上流に向かって10kmほど走って、午後5時、左貢に到着!ここは警察が厳しくないようなので、堂々と旅館にチェックイン。洗濯や自転車のメンテナンス、食糧補給などなど、忙しくしてたら、あっという間に9時になってしまった・・・。近所のシャワー屋で2日分の汚れを落とし、10時に就寝。

 体調も良かったし、天気もまあまあ、初の5000mは気持ちの良いサイクリングでした。

走行距離:64km/最高地点:5008m/最低地点:3800m/宿泊地点:3800m

強請る子供たち  ~もう負けないぞ!~ 

7月15日 もうチベットの子供の行動には、対処できるようになってきました。

 標高5000mの峠を目指して、長い長~い上り坂。すでに標高は、4500mに達し、これまで経験したことのない高さの中を走っていました。遊牧民のテント村を通り過ぎた時、背後から走り寄る子供たちの姿を認めました。停まってなるものか!停まれば、囲まれてモノを強請られます。振り切りたいところですが、そこは標高4500m、急なスピードアップはできませんでした。
 追い付かれ、さぁ、始まった・・・。お強請りです。私の第一声は、 「没有!」 (無いよ)。全力のシャウトに驚いた子供たち、二言目のお強請りはありませんでした。作戦成功?かと思いきや、走り出した後も、しばらく着いてくるではないですか・・・。はしゃぎながら、自転車を押したり、横を並走したりしています。なんだか嫌な予感がしたので、停車してみると!?

 あぁ!?荷台に括り付けていたゴミ袋がない!!後方を見ると、男の子が、野良犬のごとくゴミ袋の中身を豪快に撒き散らし、潰れたペットボトルを見つけ、懐に入れているではないですか・・・。周囲は、ゴミだらけ。私の昨日の夕食や今朝の朝食で出たビニールゴミが散乱しています。

 あぁ・・・、怒る気も湧きませんでした・・・。なんという事態でしょう・・・。

 男の子に、ゴミを集めるよう、静かに指示し、彼が見つけ出したペットボトルは彼にあげました。

 またもや悲しい気持ちで走り始め、ガキどもの姿が見えなくなったところで、荷台の裂けたゴミ袋を固定し直しました。その時、気が付いた!荷台に付けてる洗濯バサミが3個ともない!?

 あぁ~あぁ~あぁ~!! なんなんだ!?あのガキどもは!!!!!

 Uターンして怒鳴りつけてやろうかと思いましたが、せっかく登った50mを再び下ろうとは思いませんでした・・・。商店も何もない高原で暮らす遊牧民の子どもたちにとって、たまに現れる自転車乗りが持っているものは、全てが好奇心の対象なのでしょう。何か面白そうなものがあれば、欲しがるのは当然と言えば当然です・・・、が、もう嫌だなぁ・・・、こんな経験。

強請る子供・再び  ~危ねぇな!おい!!~ 

 7月14日 チベットの可愛い洟垂れ小僧&嬢ちゃんたちの中には、強引にモノを強請るガキがいることは、学びました。が、このガキがとった行動は予期できませんでした・・・。

 チュカからの長い上りは、3900mの峠で終了。3500mまで下ると、また長い長い上り坂が始まりました。この上りは、5000mまで続きます。標高3800mぐらいまで上ってきたところで、小さな集落を通過。人々と気持ちよい挨拶をしながら、ゆっくりゆっくり走り続けまていました。
 ふと、進行方向に現れた12歳くらいの少年。こちらを見ても、何も言葉を発しませんでしたが、すれ違い様に、急にハンドルを掴み、力一杯引っ張るではないですか!?子供の力ですが、こりゃぁどうしようもありません。バランスを崩して、引っ張られた方向にバタンと倒れました。

 立ち上がり、このクソガキに何を言ってやろうか?と睨み付けたところ、「ペン!」と少年。
 えっ?ペンが欲しいの?その為に、俺を倒したの??転び方が悪かったら、自転車や体に傷を負っていたかも知れないんだよ・・・?

 少年には、全く悪そびれた様子がありません。何を考えているんだこいつは・・・。呆れてしまいましたが、悪いことは悪いことと教えてあげなければなりません。愛情たっぷりの指導の後、小石が飛んでくる中を走りました。

 あぁ・・・、チベットの子供は怖い・・・

ラサへの道!! / 4日目 

7月14日 雲南~ラサルートの最高所、標高5008mの峠を越える予定の日、目覚めたら8時半!?

 寝坊です。しかも、外は雨・・・。準備を整えて、雨脚が弱まるまで待ったら、9時半過ぎの出発になりました。標高2700mのチュカの町を出て、メコン川に並走しながら、徐々に標高を上げて行きます。3月末に旅したメコンデルタ地帯を老年期の川とするならば、ここいらの激流は、青年期の川と言ったところでしょうか。4ヶ月間に渡って、メコンに並走したり、渡ったり、離れたりの旅をしてきましたが、今日がメコンとお別れの日です。

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写真1)標高3100mに差し掛かったあたり、そろそろメコンも見納めかな?と写真を一枚。

 更に標高を上げ続け、3200mを越えたところで、スイッチバックの険しい登りが始まりました。このまま5000mまで上れれば、いくらか楽なのですが、この登りは3900mで終り。せっかく登ったのに、400mも下ってしまうのです。時折小雨が降る中、風景を右に見たり左に見たりしながら、ジグザグジグザグ登って行きます。峠に差しかかったところで、ふと眼下を見渡すと、あっ!メコン川!!これが本当に最後の別れです。さようなら、メコン川。

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写真2)スイッチバックとジグザグの道。

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写真3)さよなら、メコン川!!

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写真4)ひとつ目の峠に到着。標高3905m。

 さて、下りです。せっかく登ったのに・・・。ここから10km以上緩やかに下り続けて、標高3500mの谷間へ。谷の底には、きれいな川が流れていました。どうやら、この川に沿って登り続けることになるようです。時計を見ると、すでに3時近い・・・。こりゃ、今日中に5000mの峠を越えるのは無理!計画変更、6時くらいまで走り続けて、キャンプをすることに。
 緩やかな川沿いの道をゆっくり登ってゆきます。目指す峠は、40km先。できるだけ進んでおきたいところですが、あまり進みすぎると、標高4500m以上の高所でビバークすることになります。高所順応できているといっても、いきなり4500mはきつい。というわけで、あまり頑張らず、ダラダラと走り続けました。

 川沿いの谷間とあって、時折小さな集落が現れます。「タシデレ!」気持ちの良い挨拶を交わしながら、曇り空のサイクリング。途中、学校帰りの子供たちに出くわしました。何か強請られるのではないかと身構えましたが、この子らは何も要求しなかった。ホッとしたのも束の間、次に出くわした少年には、自転車を倒されました(詳しくはこちら→http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/#entry357
 しかし、学校なんて途中にあったっけなぁ?この子らは、何キロ歩いて登下校しているんだろう・・・。

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写真5)下校途中の子供たち。

 緩やかな坂道は、なかなか標高があがりません。午後5時、3800mを突破。空はなんだかご機嫌斜め。時折ポツポツ雨が降ります。雲に近い場所を走っているので、天気はめまぐるしく変わります。どうせすぐに止むから、と、雨宿りもせずに走り続けていましたが、とうとう本降りになってしまいました。
 標高も4000mを越えたところ。ここらでテントを張ろうと、河原に適当な場所を見つけて、停車。急いでテントを設営して、冷たい雨から非難。午後6時20分、標高は4070m。

 雨がテントを叩く音を聞きながら、ボケーッとしていると、外に人の気配。慌てて飛び出すと、チベタンの青年が訛りの激しい中国語で話しかけてきました。どうやら、彼はこの近くに住む遊牧民のようです。彼が指差す方向を見てみると、茂みの向こうから煙が上がっていました。ほんの50mほどの距離のところにテントがあるようです。ご近所さんというわけ。
 彼が見つめる中、食事の準備。私の奇妙なアウトドア用調理器具が、不思議でしょうがないのでしょう。ひとつひとつ動作を確認しながら、まじまじと私を見つめています・・・。恥ずかしいなぁ、早く自分のテント(家)に帰ってくれないかな・・・。
 午後8時、日没までまだ時間はありますが、食事も済んだし、寝る準備。いつまでもテントの外にいては、遊牧民の彼も帰らないので、「もう寝るから、また明日ね。」と告げて、追い返しました。ひとり静かにテントの中で、読書。午後9時、再び雨がテントを打ち始めた頃、眠りに付きました。

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写真6)ここでキャンプ。

 雨期なんだなぁ~、と改めて実感した日でした。

走行距離:54km/ 最高地点:4070m/ 最低地点:2700m/ 宿泊地点:4070m
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