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シャングリラ 

6月29日 桃源郷に到着しました。

 シャングリラってわかります?幻の桃源郷です。誰だったかな?欧米の作家さんの小説に登場する地名です。幻の桃源郷なわけですが、中国にそのシャングリラがあるのです。

 シャングリラ、中国風にすると『香格里拉』読み方はそのままシャングリラです。雲南省の北の方にあります。数年前に、町の名前をシャングリラに変えたのです。

 シャングリラの住人は、チベット人。旧市街には、伝統的なチベットの建物が沢山あります。なかなか素敵なところです。

 この街では、4日ほど滞在します。ブログの更新回数が激減しているので、ここで頑張って更新します。
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雨の麗江 

6月24日 ようやく日本・ブラジル戦の詳細を調りました。

 完敗は悔しいですが、1点取ったのには驚きました。今後、ブラジルには、無失点で優勝してもらいたいものです。『大会唯一の失点は日本から』ってことになるでしょう?


 さて、雨です・・・ 麗江の石畳の道は、ただでさえ滑りやすいのに濡れているのでツルッツル。私のサンダルはどうも石畳と相性が悪いらしい・・・。

 天気が良ければ、瓦屋根の家々の向こうに『玉龍雪山』という5千m級の美しい雪山が見えるのですが、この二日間は全く見えません。麗江に到着した22日には、雲の間から僅かに半分ぐらいが見えていたのですが・・・。

 明日25日には、麗江を出発します。玉龍雪山を反時計回りにぐるりと走り、世界で最も深い渓谷のひとつ『虎跳峡』を訪れます。明日と明後日だけで良いから、晴れてくれないかなぁ~

 

ママには逆らえない・・・ 

6月23日 ママの手料理を楽しみました。

 麗江の宿は、MAMA’S GUESTHOUSE(ママズ・ゲストハウス)。ママが切り盛りしてるから、『MAMA’s』 大観光地・麗江には、沢山外国人向けの安宿がありますが、「MAMA’S」の評判が一番良かったので、他の宿は覘くことすらなく、真っ直ぐMAMA’Sに来ました。

 さて、ママです。ママは、片言の英語を駆使して、元気に宿を切り盛りしている中国人(ナシ族)のおばさん。本名は知りません。みんな、「ママ」と呼ぶから。ママは、とても面倒見が良い、仕切り屋さん。時には、宿泊客の意向を無視して、仕切りまくります。

 客 「ママ!明日、大理に行きたいんだけど、一番早いバスは何時に出るの?」
ママ 「大理?朝6時からバスね!でも、早いから9時のバスがいいよ!
 客 「できるだけ早い方がいいんだよ。6時ね。わかった。」
ママ 「6時は早いね!9時のバスいいよ!」
 客 「いや、だからね、ママ。始発のバスじゃなきゃ困るんだよ。」
ママ 「6時のバス乗るには、5時半にココ出るでしょ!早いから、9時のバスが
    調度良いね。8時半にココ出る!OK?
 客 「あのね、ママ・・・。あ・・・ぁ・・・、もういいや
    わかった、8時半に出るよ。だから、朝食は8時にお願いね。」

 こういったやり取りを日に何度も聞くことができます。声の大きな中国人の中でも、人一倍大きなママの声は、早朝から深夜までゲストハウスに響いています。

 そんなママが切り盛りする『MAMA’S』ですが、何ゆえ、旅行者に人気かと言うと、ママの手料理!!正直なところ、味は、レストランや食堂の料理と大差はありません(普通に美味しいです)が、そのボリュームはサイクリストの胃袋を持ってしても、平らげることができないぐらいです。客がお腹一杯になるまで、ママは次々に料理を作り続けます。つまり、お腹一杯!と告げないことには、料理が出続けるということ。いくら食べても、何種類食べても、同じ金額。たったの7元!!(100円)

 夕方6時には、よそのゲストハウスからも食事目当ての客がやってきます。私がママの夕食を食べた日には、宿泊客12名に加え、18名の食事客が訪れ、30人が狭い中庭で食事を取りました。ママは台所に篭って、料理を作り続けています。7~8品料理が出たところで、みんな満腹。これだけ食べても、たったの7元!(食事のみの訪問客は15元)。

 朝食は、バナナパンケーキか、パンケーキ&トマトオムレツか、好きなだけ食べ放題。MAMA’Sには4泊しましたが、さすがに毎朝同じパンケーキをたらふく食べるのには飽きるので、2回だけ食べました。

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写真)仕切り屋のママ(中央)、朝から晩まで頑張ってます。左・私、右・カリーナ嬢。

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写真2)ある日の夕食風景

千と千尋の神隠し 

6月23日 久しぶりにブログを更新します。なにかとタイミングが悪く、10日間くらい更新なしでしたが、いくつかエピソードをエントリーします。

 まず、現在地ですが、旧市街全体が世界遺産に登録されている『麗江』という町に滞在しています。有名な観光地なので、知っている方も多いでしょう。どういったところかというと、宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』の冒頭で、千尋たちが迷い込んだ不思議な町並み、そのままです。夜の赤提灯の綺麗なこと、綺麗なこと・・・

 ただ、ちょっと観光客が多過ぎるかな・・・。中国人観光客が大挙して押し寄せ、旧市街は、人人人人人人人の大混雑。お祭りの縁日を歩いているかのようです。

 それでも、麗江の美しい町並みは魅力的です。

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写真)麗江の夜は、赤い灯りに包まれる。

ポーキーおじさん 

6月14日 昆明を出発して2日目、今日は150km走りました。途中、90km地点で、サイクリストと出会いました。

[こんにちは、こんなところで外国人に会うなんて。地元の中国人と思って、通り過ぎそうでしたよ。] [おぉっ!! 君. . . も、外国人のようだね。韓国人?? 日本人??] [日本人です。]
にこやかに話しかけてきた彼は、ニュージーランド人のポーキーおじさん。タイ/バンコクから、ラオスを経て中国へ。現在、昆明から大理に向かっているとのことで、私と同じです。[一緒に走りませんか??] と誘ってみましたが、[58歳の私が、君についていけるかな. . . ??]、と。確かに、難しいかも。

30分ばかり、道端で立ち話。彼がこれまでに出会ったサイクリストの話になった時、私も知ってる人物が出てきました。[キィビィ!! その人、スロバキア人でしょう!?] [おや? 君も彼に会ったのかい??] そんな話をしていたら、汗が引いて、体がすっかり冷えてしまいました。雲南省は、高原と険しい山の土地ばかり。日がかげると夏でも肌寒いくらいなんです。

ポーキーさんには、大理の滞在予定ホテルを伝え、そこで再会する約束をしました。私は16日には、大理に到着する予定です。大理に新しい相棒のカリーナを待たせている上、たまたま、カリーナがベン&シーナと大理で会ったらしく、ベン&シーナと再会する為にも、なるべく急がねばなりません。

というわけで、大理まで、あと200kmでっす。

無い物ねだり 

 隣の芝は青いものです・・・

 あぁ、欲しいなぁ~・・・

 ヒゲ!!

 私は、どうも体毛が薄いんです。極端にスベスベしてるわけではありませんが、顎ヒゲと口ひげが疎らにしか生えない。ヒゲの濃い人に言わせれば、無いなら無い方が良いじゃん!ってことですが。私は欲しいのです。
 長くイスラーム圏に足を運んできました。イスラームの男性は、ヒゲを持って一人前。ヒゲがない私は、例え26歳だろうが、27歳だろうが、10代の少年のように扱われることがあります。まぁ、見た目が若くみえるので仕方ないのですが、せめて、ヒゲがあれば、見た目の年齢も上がるでしょう?

 この話をすると、大抵の人は笑うか呆れ顔。でも、あなたにだって、無い物ねだりはあるでしょう??

 試しに数ヶ月、ヒゲを伸ばしてみました。が、自分の顔写真を撮ってみても、ヒゲの存在に気づくのは難しいです。大きく拡大してみて、「あっ、ヒゲがポツポツ生えてる!」ってくらい。

 まぁ・・・、いいか・・・。無いものは仕方ないです。

四川料理は赤かった 

 中国4大料理のひとつ、四川料理。今回、四川省の滞在は、6月10日の成都1泊のみ。成都の観光をしてる暇はありませんでした。四川料理に的を絞って、私の好きな担担麺の美味しい店を探すことに。
 私は、辛いの大丈夫なんですよ。辛いと言われている食べ物の大半は、問題なく食べることができます。担担麺は、挽肉とピリ辛のスープ、細め(店によりけり)の小麦粉麺の四川料理です。日本でも、有名でしょう?担担麺は。

 さて、いざ、食事時となると・・・。なかなか店が見つからない。フラフラと歩いていたら、麺料理の店ではなく、自転車屋を発見してしまった。これは、入らないといけません。自転車屋で2時間近く、地元サイクリストたちと交流をしていたら、いよいよお腹の虫が騒ぎ始めました。早く何か口にしないと、宿まで帰る体力すら残っていません。

 結局、自転車屋の近所のお店で、担担麺ではない料理を食べてしまいました。適当に注文したのは、牛肉なんとか麺。出てきたお椀の中は、やはり、真っっ赤!!担担麺じゃかったけど、ピリ辛で美味しい料理でした。


写真)牛肉なんとか麺

フォー!! 

 インターネットで見る限り、レイザーラモンHGは、まだ健在のようですね。

 さて、フォーです。ベトナムの国民的麺料理。米の麺。大抵、どこでも食べることができます。サイゴンで食べたのと、ハノイで食べたのは、麺の太さが若干違いましたが、まぁ、同じようなものです。ハノイの方が平たくて幅がある。

 フォーは麺の名前なので、「フォーちょうだい!」と注文しても、質問が帰ってきます。「具は牛かい?」ハイ、牛です。フォーの牛肉バージョンが、最も食されている『フォー・ボー』です。薄切りの牛肉と葱などが入っていて、日本人の口にも合います。

 ベトナムでは何十食と食べました。



写真)フォー!!

オーストラリアからのメール 

日本が、オーストラリアに敗れて、僅か10分後・・・

オーストラリアの友人からメールが届きました。ラオスのパクセで一緒にラオ正月を祝った、ローズ嬢からです。

うんうん、3-1ね、知ってるよ。だって、テレビで見てたんだもん

初戦敗れる・・・ 

6月12日 待ちに待った、ワールドカップ初戦!!対オーストラリア戦。

 あぁ・・・、3-1って負け方はないでしょう・・・。前半の棚ボタゴールは、無かったも同然なので、3-0って考えると、さらに切なくなりますね。

 なにより、私を傷つけたのは・・・、周囲の中国人たちが、日本の得点にブーイングを送り、日本の失点に拍手し、日本の敗北に大喜びしていることです。

 そ~んなに日本が嫌いなんでしょうか。まぁ、嫌いなのは知ってますが。

 スポーツ観戦のマナーとか、そこらへんをもっと学んで頂きたいものです。再来年、オリンピックやるんでしょう?もっともっと、そこらへんの感性を持って頂きたい。

 2戦目は、中国人がいない部屋で視たいです。正直な感情です。

訪問者 

 6月12日 成都から約20時間の列車旅。先ほど、昆明の宿に帰ってきました。

 宿のダイニングで、パソコンを触ってたら・・・、「こんにちは」と日本人男性。

 あれ?どこかで見た顔!?

 2月に香港の宿で一緒だった西出さん!昆明に留学している彼は、私のブログを見て、私がココにいることを知り、恋人と一緒に訪ねてきてくれたのです。

 数十分話しただけですが、嬉しい再会でした☆

壷の平原 / サイト2はどこ?? 

 5月21日 壷の平原『ジャール平原』サイト1の見学を済ませ、サイト2へと向かいました。

 サイト1は道路標識もあり、簡単に見つかりましたが、サイト2とサイト3までの道には、道案内の標識がないらしく、地元民に聞きながら探すしか手はありません。
 普通の観光客は、ポーンサヴァンから見学ツアーか3輪タクシーでやって来ます。レンタルバイクやレンタルサイクル(貸し自転車)はありません。好き勝手に走り回られて、不発弾を誘発させたりしないように考えてのことでしょう。

 好き勝手に走り回る、私たちサイクリスト。さて、どうやって行ったらよいのかな?ラオス全土の地図に示された「ジャール平原、サイト1、サイト2、サイト3」の点は、当てになりません。示す範囲が広すぎる・・・。とはいえ、幹線道路の右手にあるのか、左手にあるのかは解ります。なんとなく地図に従って走り、それらしい曲がり角があると、地元民に尋ねる。それを何度か繰り返しながら、20kmほど走りました。舗装道路は、未舗装道路に変わり、小さな田舎道に。どうやら、近くまで来ていることは確かです・・・。

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写真1)どこだぁ~??何も案内がないぞ・・・。地元民の姿もない・・・。

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写真2)おっ!!サイト2の案内標識あるじゃん!!

 道の分岐点にあったのは、ジャール平原サイト2の方角を示す看板。でもコレ・・・?

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写真3)上ですか??

 んなわけないですね。右手の坂を上って行くと、チケット売り場がありました。自転車で現れた私たちに驚き、歓迎する売り場のおじさん。しきりに話しかけてくるのを何とか振り払い、遺跡に入場。ここも5000キップ(55円)なり。

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写真4)壷だぁ~!!

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写真5)サイト2には、木々に埋もれた壷が多く、とても雰囲気が良い。

 サイト2では、1時間ほど壷を愛でましたが、見学者は私たちだけでした。風の音と、時折鳴く蝉の声だけが聞こえていました。神秘的な壷、一体これらはなんだったのでしょう・・・。サイト2でお腹一杯になり、サイト3の捜索は止め、ポーンサヴァンに戻りました。

 壷の平原、不思議な遺跡でした。

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写真6)壷の底から

壷の平原 / サイト1で壷に入る 

 5月21日 ラオス北東部、ポーンサヴァン郊外にある世界遺産の遺跡、ジャール平原に出かけました。ジャールとは、フランス語で『壷』を意味します。つまり、壷の平原

 あいにくの小雨の中、パトリックと自転車でポーンサヴァンを出発。遺跡は大きく分けて3箇所に点在しており、それら全てを巡ると70kmぐらいの走行になるはずです。荷物を積んでいない自転車では、楽勝の距離です。

 さて、まずは、最寄のサイト1へ。舗装道路を10km程走り、幹線から少し入ったところに入り口がありました。入場料は5000キップ(55円)なり。
 早速見学!!と思ったら、入り口に奇妙な看板。私は過去、これに似た警告をたくさん見たことがありますが、それらとはちょっと違う・・・。地面に引かれた赤い線と、ドクロマークの警告、大抵これは、地雷原であることを意味します。が、ここは『不発弾』です。ベトナム戦争時、ラオスの共産勢力の拠点だったこの地には、米軍による絨毯爆撃が繰り返され、今なお、地面の下には不発弾が埋まったままなのです。

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写真1)警告の看板。今でもMAGという団体が、不発弾の発見作業と処理を行っている。むやみに藪を走り回ると危険です。

 とはいえ、遺跡周辺のクリーニングは、ほぼ完了しているようです。過去の見学者たちが刻んできた散策路を歩いている分には、全く問題ありません。入場して、小高い丘に登ると、おぉ!!壷です!壷!!

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写真2)ね?壷でしょう??

 この壷、巨大なものは2m以上あります。石を刳り貫いて、表面も綺麗に整えられています。一体何に使われていたのか?埋葬用の石棺?穀物の保存用?お酒の保存用?諸説ありますが、正確には解っていません。
 ところで、上の写真、私が入っているの解りますか?この壷が最大のものです。他の壷も、大人が屈んで入るだけのスペースは十分にあります。では、下の写真から、パトリックを探してみて下さい。どこかにいます。


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写真3)さぁ?どこでしょう??


 サイト1では、1時間ほどを過ごしました。雨が上がり、どんよりした空の下、見学者はラオス人グループの10人ほどと、私たち2人だけ。パトリックとは、特に会話をすることなく、静かな遺跡で神秘的な遺跡に浸りました。

 さぁ、次は、サイト2です。

昆明の宿のマスコット 

 昆明の宿のマスコットを紹介しましょう。

 滞在しているのは、『THE HUMP』(駝峰客桟)という欧米人に人気のバックパッカー宿です。スタッフの多くが英語を話し、施設も欧米人向けに作られています。昆明中心部にあり、何かと便利な立地です。

 さて、マスコットですが。彼の名前は、グゥオダ君、4ヶ月♂

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写真)お客のピザを狙うグゥオダ。

 30cm以上あるソファに飛び上がり、今にもテーブルのピザに飛び付きそうな気配・・・。お客にオネダリしますが、たいていの客は、何もあげません。

 犬種は不明です。なんだか大きくなりそうな気もしますが、中型犬のような気もする。遊びたい盛り、噛みたい盛りの元気な仔犬です。私の自転車用のオイルまで飲んじゃいそうなので、メンテナンス中は、居場所が気になって仕方ありません。
 ピザは分けてもらえませんが、遊び相手には困りません。暇な宿泊客が必ず相手をしてくれますから。私とは、けっこう仲良しです。一番の仲良しは、カリーナ嬢。こっそり餌付けでもしてんのかな・・・?なんだか、ジェラシーを覚えてしまいます・・・。

 昆明には、6月4~9日の6日間滞在しました。現在、私は成都に滞在していますが、昆明に戻って、また2泊します。

 あぁ~、早くグゥオダと遊びたい!!

自右衛門号、イメージチェンジ 

6月6~7日。久しぶりに相棒の自右衛門号のフル・メンテナンスをしました。

 フル・メンテナンスは、2月末の香港以来ですが、部分部分のメンテナンスを小まめに行っていた為、今回のフルメンテは、比較的簡単に済みました。

 まず、タイヤ交換!韓国以降、1万km以上使い続けていた後輪のタイヤを捨てました。このタイヤは、パナレーサー(ナショナル・タイヤ)の『リッジライン』というモデル。サイクリストの先輩方が言っていた通り、1万km以上走れる丈夫なタイヤでした。
 まだまだ減りの少ない前輪のタイヤ(これもリッジライン、走行は6千km)を後輪に移植。前輪には、新しくスペシャライズドの『へミスファーEX』というタイヤを装着しました。これもかなり丈夫なはずなので、1万km目標に使ってみたいと思います。

 その後、駆動箇所の洗浄&オイル注し。この2~3ヶ月、たまに異音を発していた[『BB』は、新品に交換しました。ちなみに、BBというのは、前のギア(歯車)の軸だと考えて下さい。通常、フレーム内部にある為、見えないパーツです。本格的に自転車に乗る人以外は、見たことないでしょうね、きっと。

 最後に、ハンドルを交換しました。なんとなく、自転車屋さんで目に留まった・・・、ホーンハンドル。横一直線ではなく、ハンドルの両端が、牛の角のように内側に曲がっているモノです。通常の直線のハンドルにバーエンドを付けた場合よりも、このホーンハンドルは、握れる範囲が広く、腕にかかるストレスを軽減できるはずです。色々な角度からハンドルを握れる為、筋肉が疲れにくいというわけ。

 ところで、昆明の宿ですが、欧米人バックパッカーで賑わうバックパッカー宿です。宿のテラスで、のんびりダラダラとメンテナンスをやっていたら、2日間を要しました。その間、宿泊客20数名全員に自己紹介と旅の経歴紹介をしなければなりませんでした。
 私がメンテナンスをしている傍らでは、新米(即席)サイクリストの旅人たちが、真剣に私の作業を見学していました。たまに、「これはなんだ?」「あれはなんだ?」と質問が来る。昆明で自転車を購入し、雲南省を巡ったり、東に走って香港を目指す人が多いんです。私が彼らにレクチャーしている様子を見て、自転車旅を思い立った人もいたぐらいです。

 そうこうしている内に、数日が過ぎ・・・、私には、新しいパートナーのカリーナが同行することになりました。彼女の話は、また今度しましょう。

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写真1)イメチェンした自右衛門号。黒いパーツが増えて、侍が忍者っぽくなってきた・・・

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写真2)私が1日の大半を過ごす、宿のオープンテラスの一角の自転車置き場

相棒・パトリック 

 5月23日 ラオスの国道6号線の道端で・・・、力強い握手をして、彼との旅が幕を閉じました。

 ポーランド人サイクリスト、パトリック、29歳。私が彼と一緒に走ったのは、ヴァンヴィエン手前30km地点から、ポーンサヴァンの西70kmの温泉まで、約450km。一緒に過ごしたのは、2週間ちょっと。

 この旅で最初の相棒について、あまり説明をしていなかったので、ちょっと紹介しましょう。彼は日本語を解さないので、このブログを開いても何も読めやしませんが、彼のプライベートなことは、可能な限り伏せておきます。

 名前は、パトリックと名乗っていますが、本名はピォートレック。ポーランド語の名前ですが、これを英国風にするとパトリックになるわけです。
 彼は、ポーランドの首都・ワルシャワ郊外の小さな町の出身。芸術家になりたかった彼は、19歳の時、手ぶら同然でロンドンに移住しました。しばらく、路上と友人のフラットで絵を描きながら、極貧生活をしていたらしいのですが、どうも、この時期の話はあまりしたがりませんでした。よほど、苦労の多い生活だったのでしょう。
 結局、絵描きの夢は叶わず、学校に通い始め、看護士の資格を得ました。卒業後、ロンドンの病院で勤務しましたが、この冬に退職。旅を始めたという訳です。

 『アジアを1年で周る』漠然とした旅のスタート直後に、彼の旅の目的が変わりました。『アジアで定住する』初めて訪れたアジアの空気がよっぽど肌にあったのでしょう。ロンドンには戻らず、もちろん、捨てた故郷のポーランドには帰らず、アジアのどこかの国で暮らしたいと考えるようになったのです。

 彼の故郷・ポーランドは、ローマン・カソリックの国です。彼の母親も敬虔なクリスチャン。でも、彼の信仰の対象は『自然の全て』。世界各国に残る土着の精霊信仰や自然信仰に興味があるようです。彼が、東南アジアの人々に心地よい感覚を覚えるのには、そのことが関係あるのかも知れません。

 彼の頭にある未来の安住の地は、日本、中国、韓国、タイ、ラオス、もいずれか。日本人の私としては、日本を勧めますが、彼には日本の大都会は合いそうもありません・・・。

 『日本の田舎は良いよ!あっ、あと、田舎じゃないけど、俺の故郷の福岡は、日本で一番素敵なところだよ。』

 と言っておきました。数年後、私が旅を終えて、帰国する時、福岡で出迎えてくれる人々の中に、パトリックがいるかも知れません。
 って、・・・いないかな?少なくとも、韓国、中国、タイぐらいであれば、私にとっては、近所も同然。簡単に再会が叶うでしょう。ひょうきんだけど、物静かで、いい奴でした。また、会いたいですね。

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写真)パトリックの朝のお祈り。太鼓を叩きながら、大地の精霊に1日の安全をお願いする。どこの国の習慣かは不明・・・。

成都にいます 

6月10日 一泊のみの滞在で、四川省の省都・成都に来ました。

 なんでここにいるのかというと、新しいノートパソコンを受け取る為です。とりあえず、今、私が置かれている状況を説明しましょうか・・・。

 目の前で、スウェーデンのユニホームを着た、スウェーデン人バックパッカー4人が、大声でスウェーデン国歌を歌っています。

 ワールドカップ中国時間6月10日24時、スウェーデン対トリニダード・トバゴ戦、キックオフです。

 世界中から旅行者が集まる宿でのワールドカップ観戦は、面白いです!! 明後日の日本/オーストラリア戦は、昆明の宿で観戦します。オーストラリア人バックパッカーは多いので、熱い夜になることでしょう・・・。他に日本人客がいればいいな・・・。

昆明での日々 

6月9日 昆明は、昨日から雨が止みません・・・

 昆明に到着して6日目となりました。今夜の夜行列車で、四川省の成都という町に向かいます。20時間の列車旅。成都で1泊したら、翌日の夜行列車でまた昆明に戻ってきます。だから、荷物は小さなリュックだけ。自転車は昆明に留守番です。

 さて、この4~5日の私。あまり外出してないのですが、そこそこ忙しくしてます。滞在しているのは、外国人向けの小洒落たホステル。ここ昆明で自転車を購入して、10日~60日程度の自転車旅をする旅行者がけっこういて、私はその人々のメカニック&アドバイザーをしていました。
 一緒に自転車屋に行って自転車を見立てたり、修理の仕方を教えたり、ビール片手に中国語のレッスンしたり、などなど。

 数人の新米サイクリストの中で、最も多くの時間を割いているのは、ドイツ人女性・カリーナ。彼女は、私としばらく同行することになりました。

 そういうわけで、また相棒を得ました。カリーナは成都に用事はないので、一足先に『大理』という町に向かって、大理で私と再合流します。

 そういえば・・・、ラオスで一緒に走ったパトリックは、今頃どうしてるかなぁ~・・・。メールしてみよっと。


 ブログの書き込み、11日以降に、一気に増えます。ご期待下さい。

新しいパートナー・カリーナとの出会い 

6月5日 カリーナと出会った日

 宿のテラスで朝食を取っていたら、宿泊客の女性に日本語で声を掛けられました。「あなたは、チベットに行きますか?」日本人の日本語ではありません。読んでいたチベットのガイドブックから目を上げると、アジア系の女性。中国系オーストラリア人の彼女の名前は、ジン・チュアです。「私の友達もチベットに行くので、話しをしませんか。」とのこと。3~4人の宿泊客が朝食を囲んでいるテーブルに向かい、自己紹介。「自転車で旅してるんです。」一通り、旅の説明をした後、「ところで、チベットに行くっていう人は誰?」「私よ」それがカリーナでした。

 カリーナは、ドイツ東部出身の22歳。バイアスロンというクロスカントリースキーと射撃の複合競技のドイツ代表チームだった、とてもアクティヴな女性です。趣味は、ロッククライミングと登山、その他諸々のアウトドアスポーツ。正直なところ、全てのスポーツにおいて、私よりも上級者です。唯一私が勝っているのは、自転車くらいか・・・。

 なんで、一緒に旅をすることになったかというと。話せば長くなりますが、まぁ、簡単に言うと、お互いにそれを望んだからです。

 簡単過ぎますか?つまり・・・、カリーナは、自転車でいつか大陸を駆け抜けてみたいと考えていたのです。インドからドイツまで、というアイディアがあったようですが、漠然としたものでした。いつか・・・でも?いつ??と思い悩んでいたところに、ひょっこり自転車に乗った日本人の男が現れた。しかも、その男は、彼女の理想とする要素を備えていた、というわけです。

 私はというと、漠然と、彼女のような人と旅が出来れば楽しいだろうなと思っていました。が!!私は軽い気持ちで「一緒に旅しない?」なんてことは言いません。簡単なことではありません。ジョークでも、軽率な発言はしません。そんな軟派なマネはできません。九州男児ですから。

 で、その日の晩、深刻な顔をした彼女から、「あなたは、私と旅ができますか?」との質問。少し考えて、正直に、「できるよ。僕の装備品は、全て2人用だからね。それに、僕の前職は添乗員。誰よりも、エスコートには慣れてると思うよ。」と答え。「君が起こりうる問題を全て考慮した上で決断するんだったら、僕は君との一緒の旅を楽しめると思うよ。」と付け加えました。「一晩考えるわ。」と部屋に戻った彼女。翌6日に告げられた答えは、「やはり、無理みたい。8月にはドイツに帰るわ。」とのことでした。

 しかし、その日に、私の自転車屋巡りに同行した彼女・・・、再び、自転車でドイツまで走って帰るというアイディアが心を支配するようになっていました。で、その晩に、決断!「一緒に旅をしたい。」「はい、喜んで」という次第です。

 7日には、自転車を購入、装備も整えて、立派なサイクリストになりました。

昆明です。 

6月7日 昆明に到着して4日目です。

 ここ昆明では、自転車の整備の為、自転車屋巡りをしていました。昨日今日と2日間かけて、整備は完了です。

 整備以外にも、いろいろとやることが発生して、ブログの書き込みが止まっています。いろいろやってた内容については、また追ってお知らせします。

 しばらく晴れが続いていた雨季の雲南省、今日は8日ぶりに雨が降りました。1時間で止みましたけどね。洗濯物が濡れちゃった・・・。

 

特急『心・号』 

6月4日 なんということでしょう・・・。昆明に到着しました。

 旅立ちから6ヶ月が過ぎました。今日が、7ヶ月目の初日。一生懸命漕いでいたら、あれ?あれれれ?昆明まであと少しじゃない??

 というわけで、もうふた頑張りぐらいして、昆明に着きました。ハノイ出発から僅か6日間、中国入国から3日間という『超・高速移動』でした。走った距離は・・・、140と200と100と190と160だから、えぇっと?800kmぐらいですか?走り過ぎです。山がちな雲南省なのに。


 もうしばらくは、こんな高速移動することはありません。少なくとも、この先半年間は、のんびり移動になります。

 ふぁ~・・・、しんどい。温かいシャワーを浴びて、軟らかいベッドで熟睡したいと思います。

定価のない国 

 ベトナムでの買い物には苦労しました。特に、サイゴンやハノイのような大都会では. . .

 毎回のように値段を確認しなければならないのです。ベトナムの商店では[定価がない]などと言われることがあります。私はそれをベトナム人に配慮した[お上品な言い方]だと思っています。正確には、[外国人に対しては、定価がない]ってこと。つまり、外国人観光客だったら、何割増しかで販売するということ。

 例えば、缶コーラを例に考えてみましょう。田舎町では、5000ドン(約40円)です。

 ハノイの外国人が沢山宿泊している旧市街の一角では、6000-8000ドンです。まぁ、ハノイは大都会ですから、都市の物価が高いのは当然です。が、地元民は5000ドンで購入しているんですよ. . . 。せいぜい出しても、6000ドンです。

心[How much ??]
店員[.... 8000 Don! ]
心[えっ!? 5000ドンでしょう?? 高いね、ここ。もういいよ。あっちの店で買うから。]
店員[wait! wait! 6000 Don!]
心[それでも高いんだってば. . . 。定価で買いたいの! ]

 とまぁ、こんなやりとりがほぼ毎日でした。最終的には、店員さんが怒り始めて、ベトナム語で何やら呟くという具合。多分、[外人なんだから、少しぐらい多めに出してもいいだろう!]ってなことを言ってるんじゃないでしょうか?? 確かに、彼らに比べると銭を持っているのは私たち外国人です。でも、持っているから、と、毎回多く払うのは嫌です。

 郷に入らば郷に従え、と言われても、嫌なものは嫌です。

 だって、私は、田舎ではベトナム人と同じ支払いしか要求されないんですもの。普段5000ドンで享受している幸せに8000ドンは払えません。

 大抵はカネ払いの良い私ですが、食べ物と甘い飲み物に関しては譲れません!! カロリー命ですから。

予定変更サパ行けません。 

 あぁ. . . 、やっぱりサパ行けないか. . . 。まぁ、仕方ないです。


 今日(6月1日)、中国の河口で[昆明-成都]の列車のチケットを買いたかったのです。
 が、ここ河口では、そのようなチケットが買えないらしいのです。発着都市では、何日か前から、旅行会社で購入できるとのことですが、河口の旅行会社は小規模なものばかりで、昆明にもオフィスがあるような大きなものはない。

 なるべく早くチケットを手に入れたいので、ベトナムのサパを削って、その分、2-3日早く昆明到着したいと思います。


 実は. . . 、サパ、行くのが少し面倒に思えていたのです。"観光客向けの民族村"的なイメージがあるからでしょうか. . . ?? 聞くほどの期待をできないんです。私は、山道で毎日のように民族衣装を着た人々とすれ違います。少数民族の人々の生活は、サイクリングの時に楽しむこととします。

 さぁ、明日から中国です。人民パワーに押されないよう! 気合入れるぞ!!

ラオカイの隣町 

6月1日 中国・雲南省に入りました。

5月29日正午にハノイを出て日没までに130kmを走り、30日は201kmを走って、ベトナムの中国国境の街・ラオカイに到着。とくに理由はないのですが、ちょっと頑張って2日間で走ってきました。

で、1日の今日、ベトナム・ラオカイと中国・河口の間に架る橋を越えて、中国入りしたわけです。手ぶらでの国境越えは初めての経験です。楽チンで良いですね。

手ぶら!?自転車はどうしたの!?って驚かないで下さい。自転車は、ラオカイのホテルにあります。今回の中国は、日帰りなんです。ラオカイには、日本語が使えるインターネットカフェがなかったので、河口に来たというわけです。中国のネットカフェでは、大体日本語読めますからね。

夕方には、ベトナムに戻り、明日(6/2)は、サパという少数民族の週末市で有名な町に移動です。ラオカイから40km足らずですが、1200mは登らねばなりません。登りっぱなしです。
明後日の朝は、週末市を見学して、夕方には、一気に山を下ってラオカイに戻ります。

しばらく(3-4日間)、ブログの書き込みないと思いますが、その間も多分元気ですよ。

次の書き込みは、6月5日頃です。
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