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ウドン 

 4月30日

 昨晩、夜行列車でバンコクを発ち、20日に到ったコンケーンまで戻りました。コンケーンから、午前中だけで一気に100kmを走行。午後も昼寝なしで30kmを走り、2時前には、ウドン・ターニーという町に到着しました。今夜は、ここに泊まります。

 スコールが降りそうな気配なので、宿に入る前に、ネットカフェでスコールが終わるのを待っています。カフェに入って、もう1時間半ぐらい経つかな. . . 。外を見ると. . .、うっわっ!! 空がど~んより。今にも振り出しそう。あれ?? あっ、降ってるみたいです。

 スコールが止んで、路面が乾き始めたら、宿探し始めます。


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写真1)コンケーン駅前。列車やバスに乗ったら、乗ったところまで戻る!! これがルール。

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写真2)イサーン北部は、少しだけ起伏がある。
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タイらしい・・・ 

 私は、過去に何度かタイに来ています。って、しつこいぐらいにブログで書いてますが・・・。厭味に聞こえるかも知れませんね。別に自慢でも何でもないんですよ。ただ情報として書いているだけです。

 で、今回、初めて気がついたものがあります。なんで、今まで気が付かなかったんだろう・・・?最近変わったのかな?

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写真)ドナルドが・・・、手を合わせて挨拶してるんです!

 マクドナルドは、2~3日に1回ぐらい行ってます。過去の5回の滞在もそのくらいの頻度で行ってます。多分、日本で、この10年間にマクドナルドに行った回数よりも、タイで行ってる回数の方が多いはずです。

 しっかし・・・、気が付かなかったなぁ・・・

8年ぶりのサメット島 

 4月22~23日。週末を利用して、バンコク在住の友達(山口好美さん)とサメット島に行きました。サメットは、8年ぶり2度目の訪問。

 この島は、バンコクから南へ、バスとフェリーで5時間ぐらい。バンコクから週末を利用して来れるので、島を訪れるのは、バンコクっ子ばかり。私のような外国人旅行者もいなくはないですが、多くはありません。島で見かける外国人は、バンコク在住の人が多いようです。
 南のプーケットやピーピー島、サムイ島、タオ島などに比べると、サメットは静かなところです。どこか『洗練されていないビーチリゾート』というのが、私が持っていたイメージ。8年前はそうでした。

 8年という時間は、思いの外、長い時間のようです。特に、タイのような発展著しい国では特に。今のサメット島は、あちこちに立派なコテージが並んでいて、ステキなバーやレストランも沢山建っています。
 見た目の変化にも驚きましたが、宿にも驚いた!!冷房・お湯シャワー・テレビ付きのバンガローで、1200バーツ(3600円、週末料金)ですよ!っていうか、そんな設備のよいバンガローが沢山あることに驚きました。

 しかし、のんびりとした空気は変わってませんね。

 青い海と白い砂浜。美味しい海の幸に、美味し~いビール。1泊2日の短い滞在でしたが、のんびりすることができました。案内してくれた好美ちゃんにも感謝☆


写真1)キャンドルライトビーチ。

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写真2)タイ人家族の写真撮影。娘たちが、跳ぶ!

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写真3)んじゃぁ、俺も跳ぶ!!

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写真4)日曜の午後、島を後にして、バンコクへ戻る人々。ボートで沖に停泊している船へ。

居酒屋こころ 

 バンコクで居酒屋を始めました。

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写真1)いらっしゃいませ~

 って、冗談ですよ。バンコクの日本人街、BTSプロンポン駅の近くで見つけました。

 タイには、5万人の日本人が暮らしていると言われています。そのほとんどがバンコク。在留届が出ている人数が、4万人ぐらいだそうで、出してない人も多いから、正確な人数はわかりません。
 日本の本社から派遣されている駐在員、こちらの日系企業で働く人、観光産業で働く人、日本人相手のビジネスに携わる人、まぁ、とにかく色々です。
 これだけ日本人が多いので、日本人相手の飲食店は沢山あります。味もサービスも日本と変わりません。料金は、少し日本より安いぐらいでしょうか。私も、バンコクにいる間は、惜しみなく日本食を貪っています。ここを逃すと、これから1年以上本格的な日本食を味わう機会はありませんから・・・。

 4月27日、バンコクで10年以上暮らす友人から、食事をご馳走になってしまいました。3年前と4年前、私がバンコクに来た時に一緒に自転車で遊んだ森さん。住んでなければ見えてこないタイ社会の裏話も沢山聞かせてもらいました。

 さぁて、バンコクで食べる食事は、あと1回かぁ~・・・。何食べようかなぁ~。とんこつラーメンでも食べるかな~?

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写真2)日本人相手の飲食店が立ち並ぶタニア・ストリート。

バンコクMRT 

 そうそう!バンコクに地下鉄ができてるんですよ。いつから営業してるんだか知りませんが、1路線か、2路線できてます。造ってるのは知ってましたが、実際に『MRT』の看板を見ると、驚きました。

 残念ながら、路線上に用事がある所がないので、乗ってません。運賃は、スカイトレインと同じぐらいですね。

 まだまだ路線を増やすみたいです。数年後にバンコクに来たら、交通渋滞も少なくなってるかも知れませんね。

赤バス3.5バーツ 

 どうでも良いことかも知れませんが・・・。バンコクの市内バスが値上がりしていました。

 バンコクの交通渋滞は、それはそれは、凄いものです。東京の比じゃないでしょう。私が始めてこの街を訪れた98年春の渋滞は、凄かったですね。スカイトレイン(BTS)という高架式の電車を建設中で、大きな通りの各所で、高架建設工事の為、交通規制が行なわれていました。

 1年後の99年春は、まだ、スカイトレインはできてなかったっけ?乗った記憶がないから、できてなかったのでしょう。

 2000年春には、スカイトレインがありました。乗った記憶があります。でも、1度乗ったっきり。だって、運賃がべらぼうに高いんですもん!!15~40バーツぐらいですよ。つまり、45~120円ぐらい。日本円にすると高く感じないかも知れませんが、市内バス(エアコンなしの赤バス)が、どこまで乗っても3.5バーツ(11円)ですから、それに比べると高いでしょ?

 01年、02年に来た時は、何度か乗ったような、乗らなかったような・・・。

 で、今回のバンコク滞在中は、頻繁に乗っています。お世話になっているマッサージ店から最寄のBTS駅まで7~8分ですし、よく会ってる友人の家もBTS駅前ですし、買い物で訪れる伊勢丹近辺も駅があるし。30日間有効で、どの区間でも10回乗れるパスカードを買いました。250バーツなり。40バーツ区間を6回乗っているので、十分に元はとっています。

 バンコクに来て4日目。買い物の為、BTS路線から離れているカオサン通りに出かけました。バンコクの市内バスって、路線が複雑で解かりにくいんですよ。しかも、バスの車体に英字の案内は全く無い!!バス停にも無い!!初めての人は『バス路線図』なるものを手に入れるか、地元の人に助けてもらうしかありません。
 私はというと、過去の苦労のおかげか、なんとな~く路線番号を覚えているんですよね。旅行者が乗る区間なんて、だいたい決まってますから。
 シーロム通りから、ラチャダムヌン通りに向かう15番の赤バスに乗り込み、握り締めていた3.5バーツを車掌さんに渡したところ、「7バーツ!」って・・・、えっ?値上がりしてるの??
 3年ぶりに乗った市内バスは、7~8バーツに値上がりしていました。8年前~3年前までの5年間、ずっと3.5バーツだったのに・・・。なんだか、凄く高くなった気がします。ま、大して高くもないんですけどね。

 エアコンなしで、渋滞の排ガスの中を走る赤バスを2台乗り継ぎ15バーツ払うのなら、冷房キンキンに効いてるスカイとレインで30バーツ払う方が良いですよね。

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写真)これがスカイトレイン。

メコンとお別れ 

 4月17日、パクセの宿を出発してすぐ、メコン川を渡りました。

 メコン川を渡るのは、これで12回目(メコンデルタの2大分流、前江・後江をそれぞれ別に数えて)、自転車で橋を渡るのは、3回目。パクセ郊外に掛かる橋は、日本の援助で造られた橋です。他にも、沢山日本の援助で橋がかかっています。

 3月下旬、ベトナム南部・メコンデルタ地帯でメコンの水に触れ、4月上旬、カンボジア~ラオス南部までメコン川を見ながら悪路を走りました。4月上旬の3日間は、メコンに浮かぶ島々で過ごし、メコンで泳ぎ、メコンの水で体を洗っていました。歯磨きも、洗濯も。

 4月17日から、しばらくメコン川は見ません。次に見るのは、タイからラオスに入国する時。5月初旬ですね。その後も、ラオスの古都・ルアンパバーンの北でメコンに併走します。

 メコン川、なが~い川ですよね~

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写真1)ラオス南部、チャムパサックにて。メコンの渡し舟。

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写真2)パクセ郊外、メコンに掛かる橋。
 

轢かれてたまるか!! 

 交通安全の意識は、自転車旅に限らず、常日頃からの持っています。

 交通マナーの良い日本では、当たり前のことが、海外に来ると当たり前でないことが沢山あります。そんなこと常識です。

 タイでは、絶対に交通事故に遭えません。もし、轢かれて死のうものなら・・・、とても悲しまれます。そりゃぁ、死んでしまうと悲しまれるのは当然ですが・・・、タイでは、慰謝料というのが極端に低いんですよ。もちろん、収入や社会的地位によって金額は変わってきますが、一般的な生活(月収1~2万)を送るタイ人が車に轢かれて亡くなったとしましょう。轢いた人が支払う慰謝料は、数万円ですよ!!少ない場合は、5千バーツ(1万5千円)っていうから驚きです。
 そりゃぁ、所得の水準を考えると、日本よりも安くて当然ですが、それでも安過ぎると思いませんか?でも、これがタイの常識なのです。

 というわけで、タイでは絶対に轢かれる訳にはいきません!!過剰なくらい『外国人』をアピールして走ることにします。派手なサイクルシャツにヘルメット、まぁ、これは当然。大ぉ~きな日の丸でも掲げて走りますかねぇ・・・

ウボンのサイクリストたち 

4月17日、タイに入国して1日目、ウボン・ラチャターニー(ウボン)の隣町、ワリン・チャムラップ(ウボン手前2km)で、タイ人サイクリストに出会いました。

 ウボンの手前20kmぐらいの地点で、数人のサイクリストとすれ違いました。自転車は、ロードレーサー。派手なサイクルシャツにヘルメットもきちんと被ってます。片側2車線の国道の向こう側なので、お互い軽く手を振っただけでした。
 更に4~5km進んだところで、マウンテンバイクの数人組みを追い抜きました。スピードにけっこうな差があったので、追い抜く時に、軽く声をかけたのみ。
 更に更に、数キロ進むと、再びマウンテンバイクの車列。5人ともサイクルシャツにパンツにメットの完全装備。声をかけてみましたが、英語が通じません・・・。5人が入れ替わりで、私の隣に来ては、タイ語で話しかけてきます。しばらく、成り立たない会話をしていましたが・・・、結局彼らが何者なのか?私が何者なのか?お互いに理解しないまま、彼らから離れることになりました。

 合計で、3人とすれ違い、11人を追い抜きました。幸い、最後に追い抜いたマウンテンバイクのおじさんが、片言の英語を話す人でした。彼に誘われるまま、併走して、ワリン・チャムラップのタイ軍基地に入りました。広~い広場で待っていると、私が追い抜いた人々が続々と広場に入ってくるではないですか。彼らは、この町の自転車サークルの仲間達なのだそうです。
 全員が集まったところで、自己紹介。日本から8千km走って来たと告げると、皆、おもむろに自分の自転車に搭載しているサイクルコンピューター(メーター)を見始めました。「俺は、この自転車買ってから、まだ5千kmしか走ってないよ。もう2年経つのに。」「俺も!」「俺も!」「あっ、俺はもう1万km超えてる!」 一同「おぉ~、凄いなぁ~!!」 私は4ヶ月半でそれだけ走ったと告げると、皆さん驚いていました。片言の通訳を介して、30分ほど交流を楽しみました。


写真1)ウボンのサイクリスト達と。月に1度の合同ラン。

 誰か家に招いてくれないかなぁ?などと密かに期待していましたが、私が始めに「どこか安いゲストハウスを知りませんか?」と質問していたので、ゲストハウスまで案内してもらうことになりました。英語の通訳をしてくれたおじさんの先導で、ワリン・チャムラップのゲストハウスへ。100バーツ(300円)なり。チェックインの通訳までしてくれて、親切な方でした。

 タイでは、『自転車というスポーツ』は、お金持ちのスポーツです。この数年、競技人口は増え続けています。バンコク近郊では、何度もタイ人サイクリストに出会ったことがありますが、こんな地方都市で出会うとは、思いもよりませんでした。

タイのポストと道端の小屋 

 タイから何枚か絵葉書を出しました。もう手元に届いている人もいるかも知れませんね。バンコクから日本までの郵便は、早ければ4~5日で届くそうです。さすが、タイ。優秀です。

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写真1)タイのポストは「」 イサーンの田舎町で撮影。

 ポストの後ろに写っているのは・・・、何て言うのかな?バスを待つ所、あっ!バス停か! バス停です。幹線道路沿いに所々あのような小屋が建っています。
 たまにしか来ないバスを待ったり、近所の人が井戸端会議をしたり、畑仕事の休憩をしたりするところ。そして、私の昼寝場所でもあります。あの小屋の下にハンモックを張って、昼寝をしています。大きな町の中心部にはありませんが、郊外に行くとポツポツある。

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写真2)ある昼寝時の光景。昼食後、露天で買ったスイカを食べて、満腹になったらzzzZZZ...

 私が昼寝する12時半~3時半は、タイの人たちものんびりしてるので、バス停に人が来る事は滅多にない・・・。私の貸し切りです。

プチじゃないよね、こりゃぁトラブル#1 

 バンコクで落とし物をしてしまいました。

 結構大きな落とし物です。現金が入った袋を落としたんですよ・・・。金額までは申しませんが、かなりの額です。そうですね、タイで普通に新車のオートバイが買えますね。

 原因は私にあります。貴重品入れの腹巻きのファスナーが開いていたのです・・・。座ったり、立ったり、背伸びしたり、屈んだり、身体を動かした時に、腹巻きから現金袋が落ちたみたいです。方々探して回りましたが、出てくる訳ありません。バイクが買えるんですから・・・。
 落とし物が交番に届くのは、日本だけです。ま、日本でも最近は現金を拾って交番に持って行かない人が多いでしょうけど。私は、持って行きますよ。

 さて、痛い落とし物ですが・・・、悔やんでいても仕方ない。ナイフやピストルで脅されてお金を強奪されるような、怖い思いをしなかっただけ良しとしましょう。

 ただ、私が間抜けだっただけ。今後の教訓とします。

 もう、こんな失敗はしません!!

ブログ書き込み、ちょっと待って下さい。 

4月26日

 もう26日ですよ・・・。バンコクに到着する前は、27日の晩には、ここを出るつもりでいたのですが・・・、明日出発は無理ですね。

 2月の香港では10泊しましたが、バンコクもそれくらい長くなるかも知れません。状況が香港と同じなんですよね。自転車のメンテナンス、装備品の補充・整備、友人と会食、原稿作成、等等。
 それらが片付いたら、一気にブログの書き込みを開始します。ちょっと待ってて下さいな。

バンコク滞在中 

21日にバンコク到着しました。

おそらく、27日まで滞在しますが、やるべき事、やりたい事、会いたい人、がとても多い街なので、ちょっと気合入れて、ひとつひとつ消化していかないと. . . 。何日でも滞在が延びてしまいそうです。

ところで、バンコクの滞在先ですが。私が東京のゲストハウスで暮らしていた時、同じハウスに住んでいたタイ人の友人/マナッナンさん(マナちゃん)のお母さんが経営する、タイ式マッサージ店、兼ゲストハウスの一室を借りています。

これまで、何十泊してるのか判らないくらいのバンコクですが、今までとは、ちょっと違った環境に、新鮮な感じがしますね。

さて!! 10時半です。そろそろ行動開始!! まずは、写真屋に証明写真を撮りに行こう!!

ほら、たまにあるでしょう? 

 バンコク到着間際の列車の中で、2ヶ月前、香港で会った池田さんという方に再会した話しはこちら→http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/blog-entry-238.html

 こういう再会って、たまにありませんか?私は、過去に何度かあるんですよ。

 「いやぁ~、世界って狭いもんですねぇ~・・・」


入江君の場合
出会い----1998年9月初旬。ギリシア、エーゲ海に浮かぶサモス島で。その時、他に2人の日本人旅行者がいて、一緒にウニを採って食べました。2時間程度一緒にいただけだったので、名前までは聞きませんでした。お互いに大学生で、夏休みの旅行中でした。
再会----1999年9月中旬。イタリア、ローマのゲストハウスで。学生の旅行シーズンで、宿には沢山日本人の若者がいました。ハウスのダイニングで語らっているところに、彼が現れました。私は、この時大学休学1年目で、ヨーロッパを周ってたところ。彼は、夏休みの旅行中。
 入「あれっ・・・?もしかして、君、去年の今頃、ギリシアにいなかった?」 心「えっ・・・?いましたけど?」 入「ウニ食べたでしょ!?」 心「あっ!あっ!!あ~!!!食べた!あの時の!!」


好井さん(ナオさん、女性)の場合
出会い----2000年7月。エジプト、ルクソールとカイロで。ルクソールの宿で出会い、一緒にデンデラという遺跡に行きました。この時、もう1人日本人女性がいました。私の名前を聞き、「心っていうん?私の幼馴染も『こころ』ちゃんよ。女の子やけどね。」という会話を覚えています。私は大学休学2年目、中東・北アフリカを回っていました。彼女は、仕事を辞めて次の仕事を始めるまでの短期旅行中。
再会----2001年3月。タイ、バンコクで。バックパッカー街・カオサン通りの路上でばったりと!私は、初めて好井さんに会ってから、ユーラシア大陸を西に西に旅して、最後の滞在国となったタイでノンビリしていました。彼女は、エジプト旅行以降、日本でまた働き始め、タイへは幼馴染の友達と短期旅行中。
 心「いや~、偶然ですねぇ~」 好「ほんまに、偶然やねぇ~。あっ、そうそう、この子、この子が心ちゃん。」 心さん(好井さんの幼馴染)「あっ、心です。」 心(私)「あっはい、私も、心です。」


西村さん(男性)の場合
出会い----あれ?98年夏?99年夏?2000年夏?いつだったっけ・・・?多分・・・、2000年の夏です。イスタンブールの日本人宿・コンヤペンションで一緒でした。私は大学休学2年目。北アフリカから北上して、イスタンブールに至ったところでした。彼は、大学の夏休み中。
再会----2001年3月、これまた、タイ・バンコクのカオサン通りで、ばったりと!!私は、イスタンブールから半年かけて、ユーラシア大陸を渡ってきたところ。彼は、恋人と大学の卒業旅行中。
西「あれ?心君!!」 心「はい?」 西「あっ、西村だよ。イスタンで会った!」 心「あぁ~あ~!はい!!えっ!?何で?西村さんもユーラシア横断でしたっけ?」 西「卒業旅行だよ。あっ、この子、彼女。」 心「あっ、どうも、心です。いや~、しかし、よく私だって判りましたねぇ~。」 西「その坊主頭でね。変わらないねぇ~」


 とまぁ、覚えているだけでこんな感じです。お互いに1年2年の長期旅行者同士だった場合、ルート(西→東、東→西、北→南、南→北)が一緒であれば、数週間後に再会したり、数ヵ月後に再会したり、なんてことはよくあります。
 もちろん、Emailなどで、連絡を取り合っていれば、世界中どこででも再会を果たすことができます。でも、入江くん、好井さん、西村さん、池田さんは、全く連絡取らずに、偶然再会しました。

 けっこうあるんですよね、こういう奇遇って。

 これから先も、思いもよらぬ再会があるんでしょうね。楽しみ!

奇遇!!でも、こういうことって、たまにない? 

 4月21日、コンケーンからの夜行列車は、1時間半遅れでバンコク中央駅・ファランポーン駅に到着。

 到着間際、列車内で、思いがけない人と出会いました。池田さん。2月の香港で同宿だったおじさんです。一等客車から、隣の貨物車にある自転車を見に行こうとした時、車両の連結部で、「おっ!なんでこんなところに!」と聞き覚えのある、ゆっくりとした声がしました。振り向くと、「あっ・・・、池田さん!えっ!?あ、いや、奇遇ですねぇ~!!」

 奇遇です。池田さんとは、2月末に香港で会って以来、全く連絡を取っていません。しかも、池田さんは、一旦日本に帰っているので、香港の時とは、全く別の旅行なんです。

 「いやいや、世界は狭いねぇ~」なんて話しをしていたら、列車は駅に入りました。自転車を下ろすのを待ってもらって、一緒にお茶でも、ということになりました。
 池田さんと同じコンパートメントだったバンコク在住のアメリカ人・フォレストさんも交えて、駅構内のカフェへ。私の自転車旅に興味深々のフォレストさんと話す時間が多くなってしまい、池田さんとあまり話すことができなかったのが、ちょっと残念でした. . .。この2ヶ月間の話を少しだけすることができました。

 別れ際、一緒に写真に写りました。次は、どこで会うんでしょうね。中国かな?日本かな?

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写真)ファランポーン駅構内にて。

イサーン平原激走 

 4月17日、タイに入国。過去に何度も来ているタイですが、東北部のイサーン地方は来たことがない。だから、今回は、イサーンを走ります。

 『イサーン』と聞いて、私が思い浮かべるのは・・・、タイのパパイヤ・サラダ『ソムタム』の本場。バンコクで働く出稼ぎ労働者たちの故郷。クメール遺跡がポツポツと残っていること。あと・・・は、山がないこと。タイの田舎の代名詞。所得が低い地域。といったところでしょうか。
 タイは、日本人観光客が沢山来る国ですが、イサーンを訪れる人は少ないでしょう。南部の美しい島々や、北部の山岳民族、中部のアユタヤ&スコータイのような有名な遺跡に比べると・・・、ってことです。でも、何もない訳じゃぁありません!

 田舎というだけで、私には十分魅力的です。


写真1)どこまでも延びる道。山はなく、平坦な道の両側には延々と田畑が広がり、ところどころ、森が残っている。


写真2)たまに現れる露店。スイカやメロン、マンゴーの露天が200~300m続く。


写真3)田舎と言っても、小さな町が点々とあります。Pttのガソリンスタンドがにセブンイレブンが併設されてたら、町が近い徴。


写真4)暑期も後半となり、畑を耕し始める人々をよく目にします。耕耘機もありますが、農耕用の水牛もまだまだ重要。見よ!この数!!


 まだ4日間走っただけなので、表面しか見ていませんが、「思ってたより、発展してるな・・・」というのが感想です。そりゃぁ、バンコクに比べると、ド!田舎ですよ。でも、カンボジアやラオスを走ってきた後だったので、イサーンですら、発展して見えます。道路はきれい。町にはネットカフェがあって、コンビニもATMもある・・・。
 物価は、安いですよ。バンコクの半分ぐらいでしょうか。食事は、おいしいです、ちょっと辛口だけど。イサーン料理は、タイの代表的な料理です。

 イサーン良いとこ!! ぜひ行ってみて下さい!!

ちょいとバンコクへ 

現在、コンケーンという街にいます。今夜の夜行列車でバンコクに向かいます。自右衛門号も一緒です。目的は、友人訪問と自転車のパーツ補充。


1週間ほどで、再びコンケーンに戻り、自転車旅を再開します。

3年ぶりのバンコクです!! 大々々々. . . 、都会だ。覚悟して行かねば. . . 。

4月の体重測定 

 月に1度の体重測定、4月の計測結果です。

 4月20日、コンケーンの町のセブンイレブンで体重を測りました。タイのセブンイレブン前には、体重計が置いてあることが多いんですよ。1回1バーツ(3円)。

 体重計に乗って、コインを入れると・・・、「ピロリロリ~♪」と軽快な電子音が。デジタルの電光板を見ると、63.5kgなり。服と靴の重さを差し引いて、62.5といったところでしょうか。まぁ、大した変化なし。問題ありません。

 1バーツって安いですよね。どうせだから、相棒の重量も測ってみることにしました。まず、自分が体重計に乗って、コインを入れてから、傍らに停めてある自転車をゆっくり持ち上げる・・・。

 ん・・・んぐっ、ぐっ、ぐぐ・・・ 重い!!

 計測結果は、なんと125kg!?

 私の体重を差し引くと、自右衛門号のフル装備・総重量は、62kg!!・・・ってことは、荷物だけで50kg近くあるってことです。重過ぎです!40kgぐらいに減らしたいですね。

 旅立ちから5ヶ月、私の体重は一気に減った後、安定してきました。相棒の重量は、少しずつ着実に増えていっています

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写真)これが体重計。

ワールドジョイント倶楽部4月号 

4/20. お知らせです。

 九州を中心に、グローバルで新しいライフスタイルを提案する「インターナショナル」なフリーペーパー、『ワールドジョイント倶楽部』。本日20日付で4月号(Vol.7)発行です。

 連載させていただいとります、伊東心の『心の旅』は、今回が2回目、中国の旧正月と香港のエピソードです。

 ワールドジョイント倶楽部ホームページから直接見ることができます。
  http://www.worldjc.com/wjc/kokoro/contents.html

 九州在住で、冊子を手に入れることができる方は、こちらで設置店舗を探してください。
  http://www.worldjc.com/wjc/#

現在地の報告タイ! 

4月19日

一昨日の17日、タイに入国しました。

これが、6度目のタイっちゃけど、イサーン地方は初めてっちゃんね。やっぱり、タイは良かねぇ~!!何が良かって・・・、セブンイレブンがあろう?道がキレイかろう?とにかく、インフラが整っとって、快適に旅が出来ると~!!

う~ん・・・、博多弁の「たい!」が使いたくて、博多弁で文章打ちよるけど・・・、なかなか出て来んねぇ・・・、思えば、普段、そげん頻繁には「たい!」って使いよらん気がする。

まぁ、とにかく、今はタイにおるったい!

イサーン平原を北西に激走中!

新年の願掛け 

 4月16日、ラオス正月最終日。正月の伝統行事に参加しました。

 パクセの宿は、SABAUDY2(サバイディー2)という欧米人に人気の宿。オーナーは、フランスで25年暮らし、老後、故郷に戻って来てゲストハウスを経営しています。自国の文化を紹介する事にとても熱心な方です。
 16日は、オーナーの親戚一同/近隣住人/友達などなどが集まり、年賀のイベントがありました。午前10時、人々の輪に加わりました。


写真1)祭壇を囲む人々。

 この花飾りは『祭壇』の様な物です。仏様と精霊に捧げた花飾り、名前は忘れました. . . 。ラオス人は上座部仏教を信仰しています。そして、同時に古来からの精霊信仰も持っているのです。このような精霊信仰は東南アジア各国に見られます。

 さて、写真の人々が何をしているのかと、新しい1年の[願]を掛けているのです。人々の腕にオレンジ色の紐が巻いてあるのが見えますか?あの紐は、祭壇に上げてあったものです。
 オーナーの説明によると、厄や病気は、『魂=精霊』が、本来あるべき場所にないことが原因で引き起こされるものなのだそうです。あの祭壇は、どこかに行っていた『魂=精霊』が帰ってくる場所。で、なんで紐を巻くのかというと、魂=精霊が、またどこかに行かないよう、自分のそばに留まるよう、守ってくれるよう、諸々の願いを掛けて結ぶのです。
 紐を結ぶのは、お坊さんではありませんよ。家族や友人同士がお互いに結び合います。結ぶ方は、ブツブツと呪文のように願事を唱えながら結びます。結んでもらう方は、合掌もしくは片手で拝みます。
 私の腕にも、左右合わせて11本の紐が巻かれています。つまり、11人に、私のこの年が幸多いものであること、この旅が無事に進められることを願ってもらった訳です。このは、ずっと付けておく必要はありません。最低で3日間で良いそうです。

 と、まぁ、以上のような説明で解りましたでしょうか? 私は、あまり深くは理解できませんでした. . . 。


 で、この願掛けの時に、忘れてならない物が、『お供え物』です。


写真2)オーナー(右)と、その従兄弟(左)。

 オーナーの手に、小さなグラスが載っているのが見えますか? あれはウィスキーです。お供え物は、お菓子や茹で卵、焼き鳥、ウィスキーなど。それらは、一旦、祭壇に上げられた後、紐を結ぶ際に、手の平に乗せて人々に授けられます。

 ウィスキー. . . 、私は、7~8杯飲みました。12時から、昼食会だったのですが、その時も3~4杯飲みました。結果、デザートまでは辿りつけず、13時には潰れて、寝てしまいました。
 酔潰れたというよりも、正月初日と2日目の疲れが出たといった感じ。昼寝の習慣がある私が、2日間、昼寝無しで真夜中まで騒いでいたんですから。

 そんな正月最終日のお昼でした。

水掛け祭り 

4月14日

 ラオス正月・元旦のこの日、パクセの宿のオーナーと一緒に、宿泊客7人で、パクセ郊外の滝にピクニックに行きました。

 『水掛け祭り』でもあるこの正月、手ぶらで出掛けるのは、手ぶらで戦場に出掛けるようなもんです。つまり、攻撃用の水鉄砲やバケツを持って出ないと、やられ損ってことです。どうせなら、こっちも水を掛けないと!!面白くない。私は、この日の為に、大きな水鉄砲を用意していました。

 滝までは、トラックの荷台に屋根と座席を付けた『ソンテウ』という乗り物で移動。荷台には、日本人(私だけ)、オーストラリア人4人、フランス人・オランダ人・アイルランド人ひとりずつ。目立たない訳がないでしょう?格好の攻撃対象です。
 滝でのピクニックの話は、また別にするとして、水掛けの大騒ぎが始る午後以降の話をしましょうか。

 『水掛け』が始るのはお昼以降、気温が高くなってからです。若者や子供を中心に、各所に攻撃拠点(大抵が家の前)ができます。大きなポリバケツや盥に水を満たし、手には手桶や小さいバケツ、そして水鉄砲。自分たちの拠点の前を通る通行人を襲うのです。

 滝からの帰り、すでに時間は午後4時を回っていました。いつどこから、水を掛けられてもおかしくない時間帯・・・。ソンテウの荷台には、窓なんてありません。攻撃者たちは、ソンテウに人が乗ってるのを見ると、喜んで水を掛けてきます。
 パクセへの帰り道、通りで待ち構えている人々に、すれ違うトラックの荷台の人々に、追い抜いていったソンテウの人々に、水を掛けて、掛けられて・・・。あっと言う間に、ずぶ濡れ、水浸し。

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写真1)目印は路面が濡れている所。そこを通過する時は、必ずやられる。
 いよいよパクセの中心に戻ってきて、攻撃が本格化する時になって、我々の水が切れました。反撃しようにも、水がないんじゅ・・・、やられるだけです。それはもう、盛大に水を掛けられまくりました。


4月15日。2日目です。水掛けは3日間あります。

 2日目のこの日は、通りで通行人を襲うことにしました。『myバケツ』『my手桶』『my水鉄砲』を手に、初日の戦友・オランダ人のイエラ君、オーストラリア人のローズちゃんと、3人で街頭に立ちました。
 交差点付近で、通行するトラック、バイク、自転車に掛ける!掛ける!掛けまくる!!攻撃の対象にならないのは、警察官と老人ぐらいなものです。リアカーに売り物を載せた行商には、商品が濡れないように、近くに寄って、頭からゆっくり水を掛ける。

 3人で細々とやってましたが、外国人3人がやってると、さすがに目立つ。次第に地元の子供たちが私たちの拠点に集まり始め、いつのまにか、10人ぐらいのグループになっていました。
 水は、大抵が「水道水」ですが、中には、「氷水」を用意したり、花などで「着色した水」を用意する人もいます。氷水は、ヤバイですよ・・・。掛けられた人は、みんな悲鳴を挙げています。バイク運転中の人には、掛けられない。危ないから。
 最も性質が悪いのは『粉』! 白い、赤ちゃんに塗ってあげる、あの粉、なんて言うんでしたっけ?ベビーパウダー?あんなやつを、顔や頭に擦り付けるんです。濡れているから、粉も付着しやすい。赤や黄色に色を付けてある粉もあります。

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写真2)私の仲間たち。


4月16日、3日目最終日。

 今日の話ですが、今日は水を掛ける方には回らず、パクセ市内を自転車で流して、掛けられる方になりました。わざと攻撃されそうな所を通り、スピードに緩急を付けたり、急ハンドルを切って避けたりして遊んでました。ま、いくら頑張って避けても、逃げても、結局は水浸しなんですけどね。
 ネットカフェでPCと向き合っている私は、当然ずぶ濡れのままです。座っている椅子の周りは、滴った水でビショビショ。そろそろ、宿に帰ろうと思いますが、帰りも無事に済む訳がありません。


 この水掛け祭り、本当に3日間で終わるのかなぁ・・・?子供たちが、買ってもらったカッコイイ水鉄砲をすぐに手放すとは思えません・・・。明日、自転車移動日なのですが、どこかで水を浴びることになりそう。

腹ペコさいくりすと in 東南アジア 

 1つ前の書き込みで、東南アジアの屋台飯の量が少ないという話をしました。どういうことか、ちょっと写真で紹介しましょう。

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写真1)ベトナム・サイゴン市内の屋台で。

 ミーという中華麺のヌードル・スープ(汁麺)です。ベトナムと言えば、『フォー』をイメージするでしょう。フォーも好きですが、私は、このミーの方が好きです。ミーは、福岡のとんこつラーメンに使えそうな食感の麺です。ベトナムだけでなく、インドシナ各国で食べれます。


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写真2)カンボジア・田舎町の屋台で。

 焼き鳥ご飯です。一膳ぐらいの白ご飯に、焼き鳥と葱が乗ってて、魚醤やチリソースで味付けをして食べます。スープとサラダが付きます。これは、朝食に食べたのですが、3食分頼んだら大笑いされました。


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写真3)これもカンボジアの田舎町の屋台。

 インドシナ各国にある、お粥屋さんです。カンボジアでは朝食に食べることが多いようです。場所によっては、夜でもお粥屋が出ていることがあります。
 料理の写真はありませんが、おじさんの前にあるのがお椀です。一膳分ぐらいの量なので、私には全然足りません!このお店でも、3食分頼みました。それでもまだ腹6分目ぐらい・・・。


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写真4)やっぱり、中華が一番!!

 いつも物足りなさを感じてしまう屋台飯・・・。東南アジアに入って、「食った!食った!」とお腹を摩ったのは、中華食堂だけでした。このお店は、ベトナム・サイゴン中心部の中華食堂。中国人は、東南アジアの各所に暮らしています。だから、中華食堂はどこにでもある。
 もちろん、屋台飯に比べると、料金はちょっと高いですよ。でも、たらふく食べようと思ったら、ここが一番!!おかずを2品ぐらい頼めば、ライスは、大抵お代わり自由。もともと、私は米を沢山食べる方です。カレーライスは、米3:具1がちょうど良いぐらい。ライスお代わり自由はありがたい!


 食べてるものは、まぁ、大体こんな感じです。食べても食べても食べたりない訳、解って頂けましたでしょうか?


 この旅が終わり、日本の生活に戻った時のことを考えると・・・、恐ろしい・・・。この食事量と運動量が数年続いて、帰国後、運動だけ無くなる・・・、その上、好きなだけ日本食が食べれるんですよ?太るのは目に見えてます。あっと言う間に体系が変わったサイクリストを沢山知っています。私も多分そうなるはずです。いや、確実かな。スマートな引き締まった美しい体の私を見たい人は、帰国後2週間以内に会いに来て下さいね。

旅のお金 

 何度か頂いた質問メールの返答です。

 『1日の生活費は、いくらぐらいですか?』
 『3年間でどれくらいお金がかかるんですか?』
 といった質問です。

 まず、3年間の旅費について説明しましょう。詳しい金額までは、言いたくありませんが、まぁ・・・、ぶっちゃけますと、200万円ぐらいで抑えたいと思っています。これは、日本出発後にかかるお金です。日本出発前にかかったお金、例えば、自転車や装備品の購入に充てたお金、旅行傷害保険などは含まれません。

 単純な計算です。3年は1000日とちょっとですよね。1日で2000円弱使うと考えて、200万円。日本と変わらないぐらい物価の高い国もあれば、激安の国もあります。それを差し引きして、1日2000円弱。我ながら、すごくアバウトな計算です。が、多分、このくらいで考えていて問題はないはずです。

 国によって、1日の出費は大きく違います。これまでに滞在した5ヶ国について、簡単に紹介しましょうか。これらは、『生活費』だけですので、観光した際の入場料などは含めてません。

 韓国では、1日平均5万ウォン(5千円)使ってました。これは、かなり贅沢でした。韓国は超先進国です。日本の物価と大差ない。旅の始りだったので、いきなり我慢我慢の旅は、したくなかったし・・・。宿代は、1万5千~3万5千ウォン。残りは、食費。

 中国では、1日の予算が80元(1200円ぐらい)。内訳は、食費が30~50元、宿代が10~30元。今のところ、だいたい予算内で納まっています。

 香港・マカオでは、1日平均120香港ドル(2000円弱)でした。宿代は、70香港ドル。香港の友人に沢山ご馳走になってしまったので、食費はあまりかかっていません。マカオでは、カジノの泡銭で食事してましたし。

 ベトナムでは、1日の予算が10USドル(1200円)のつもりです。が、妹が来てたので、全然予算のことは考えてませんでした。5月に再びベトナムに入るので、その時は、この予算内でいこうと思います。
 ベトナムは、宿代が結構するんですよね。1泊5~8ドルぐらいです。なるべく安いところを探さないと、食事で贅沢できなくなっちゃいます・・・。食事は、一番大事なイベントですからね。

 カンボジアとラオスは、だいたい同じです。1日の予算が10USドル(1200円)。これでお釣りがきます。宿代が2~4ドル程度。食費が6~8ドル。かなりエンゲル係数が高いです。これは冷たい飲み物を求めるままに飲んでいることと、屋台飯のボリュームの少なさに起因しています。
 東南アジアの屋台の食事って、概して、ボリュームが少ないんですよ・・・。これは、大食漢の私には忌々しき事態です!!麺類1品食べたぐらいでは、全然足りません。大抵、1度の食事で2品食べてます。それでもお腹が空くので、バナナを毎日食べてます。


 私は、食事に関しては、全く我慢しません。食べたいだけ食べて、飲みたいだけ飲む。とにかく、体が大事ですからね。
 宿は、その町で最安のランクを選んでいます。別に、快適な部屋でなくとも、どこでもぐっすり眠れますから。

 ま、大体こんな感じです。

ちょっと太いポッキー 

 『ポッキー』ってお菓子、知ってますよね?

 私は、あまりチョコレートは好きではありませんが、ポッキーぐらいのチョコ率(芯のサクサクが多くて、チョコはちょこっと)だったら、好きです。私のお気に入りは、メンズポッキー。男の子ですから。

 さて、紹介したい話はポッキーのことではなくて、私の足の話です。

 3月末にホーチミンを出発してから、毎日のように強烈な日差しの下を走っています。当然、日焼けをするわけです。幸いにして、私の肌は強いらしい。真っ赤に焼けて、ヒリヒリ痛い!なんて経験はあまりありません。すぐに真っ黒に焼けて、しばらくして皮がペリペリ剥けて、それだけ。
 しかし、焼け易いというのも困ったものです・・・。肌を晒しているところと、そうでないところで、はっきりと色が違います。

 ほら・・・

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写真)4月2日、プノンペンの宿にて撮影。

 自転車用の、ピチィ~っとしてて、お尻にパッドが入った、『サイクルパンツ』なるものを履いて自転車に乗っています。だから、境目くっきり!!
 腕も同じような感じです。たまに上半身裸で自転車漕いだり、川で水浴びしたりすることもありますが、背中や肩は、あまり焼けていません。

 えぇ~と、また話が逸れそうだ・・・。足ですね、足。

 サイクリストの足は、それはそれは引き締まった足をしています。もりとん、私の足も。旅立ちからすでに4ヶ月が経過。たまに友人から『ずいぶん足が太くなったんじゃない?』という風なメールをもらうことがあります。
 「太くなったのか?」と聞かれたら・・・、どうなんだろう?・・・「太くなってない」と答えますかね。自分でも、太くなった印象はないんですよ。私はもともと足が太いんです。それが引き締まっただけの話で、どうかすると、細くなっているかも知れません。

 英語で『サイクル・レッグ』という言葉があります。『自転車乗りの足』と訳しましょう。これは、『ムキムキの逞しい足』を表す言葉ではなく、『引き締まった細い足』を表す言葉です。健康的な美しい足を褒める時なんかに使うことがあります。

 細い足?って不思議に思いますか?どういうことかと言うと。日本人のイメージする『自転車乗りの足』は、競輪選手の足、つまり、短距離型の足。欧米人のイメージする足は、「ツール・ド・フランス」みたいなレースに出場している人の足、つまり、長距離型の足。こういうことです。
 今の私は、明らかに長距離型の足です。見るからに細くなっているわけではありませんが、これから先、これ以上太くなることはないでしょう。


 では、結論です。

 「足を細くしたいなぁ~」と常々思っている女性って多いと思います。そういう人は、毎日ゆ~っくりと100kmぐらい自転車に乗っていれば、自然に足は細くなります。くるぶしまである長いサイクルパンツを履いていれば、日焼けの心配もありません。3ヶ月程で、美しく引き締まった足になりますよ。

サバィディー!ピマーイ!! 

4月15日

 『サバィディー! ピマーイ!!』 ラオス語の「明けましておめでとう」です。

 昨日14日、ラオスの新しい一年が始まりました。町の至る所で、『水掛け』と『音楽』と『踊り』の大騒ぎがありました。もちろん、私もやってます。

 正月もやっているネットカフェを見つけました。『水掛け』が盛り上がってくるのは、午後からなので、それまでブログの書き込みをしたいと思います。

 午後から、『my水鉄砲』と『myバケツ』と『my手桶』を持って、水掛けに参戦してきます!!


写真)水鉄砲と手桶の水で、通行人を無差別に襲う!!

メコンから、ちょこっと内陸を走る 

4月6日

 予定通り7時にクラティエを出発。ここクラティエからは、国道7号線を走ることになります。一昨日、昨日と未舗装の道路を走ってきたので、舗装道路の快適さに興奮しつつも、物足りなさを覚える走り出しでした。

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写真1)舗装された道を快適に走る。

 が、カンボジアは裏切りません!! 舗装されていたのは、始めの30kmだけでした。また、未舗装の悪路に。この7号線は、舗装工事の真っ最中で、ところどころ、ほんの少しだけ、舗装されているところがあります。が、作業途中の箇所が圧倒的に多く、砂利が敷き詰めてあるところなんかは、滅茶苦茶走りにくい!!
 この日は、150kmを走らねばなりません。クラティエ~ストゥントゥレンの間には、町どころか、大きな村もないのです・・・。悪路に加え、この無人の道路が私を苦しめました。「HELLO!」「HELLO!」と声を掛けてくれる住民が少ないのです。自分との孤独な戦いに入ってしまうと・・・、余計に疲れる。たまに、道路工事の作業員たちに手を振るぐらい・・・。

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写真2)無人の国道をひた走る。

 正午を回り、途中の村で昼食を取ったあと、冷たい缶コーラを2本買い込み、国道沿いの大きな木の下で自転車を停めました。実は、ハンモックを買ったのです。隣り合った木の幹に紐をかけ、無人の荒野に快適な休憩所が出現!!ハンモックを吊るしている間に、コーラは常温になってしまいましたが、コーラ片手に、2時間の昼休み。

 午後は2時半から走り始めました。3時を回ってもまだまだ暑いのですが、ちょっと早めに出発しないと、日没までに150kmは走れません。再び、孤独な戦いに入ります。周囲の森には、背の高い熱帯特有の木々が茂っていますが、国道に近いあたりは、開墾の途中でしょうか、焼け焦げた切り株ばかりになっています。早くに切り開かれたところには、バナナの若木が見られました。
 午後3時半、遠くで雷がなりました。スコールが来ます!ゴロゴロ、ゴロゴロと言ったら・・・、ほら、来た!!初めに、肌に水を感じて・・・、ものの30秒ぐらいでしょうか。「ッザー!!」っと大粒の雨が降り始めます。火照った体には、気持ちのよい雨です。赤土の路面が水を含むのは、嫌ですけど・・・。まぁ、スコールですから、30分もすれば止みます。ピタリと雨が止んだ後は、再び青い空。

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写真3)降り始めに写真を1枚! カメラをカバンに入れた途端に大粒の雨に変わりました。

 午後6時、日没ぎりぎりにストゥントゥレンの町に到着。再びスコールが来そうな空模様でしたが、降り出す前に宿に入れました。明日は、カンボジアを出国して、ラオスに入ります。手元には5ドル相当のカンボジア通貨(リエル)。贅沢な夕食を取って、早めに床に就きました。さすがの私も、未舗装120kmは疲れた・・・。


 4月7日

 ストゥントゥレンの町は、明け方のスコールで水溜りだらけになっていました。かなりの水量だったようです。町を出発すると、まずメコン河の支流を船で渡らねばなりません。船着場でカーフェリーを探しますが、見つかりません・・・。地元の人々を見ていると、120ccのバイクも小さな渡し舟に乗せて、向こう岸へ渡っています。自右衛門号、初の木造渡し舟乗船です!!

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写真4)渡し舟。向こう岸まで200mぐらい。運賃は、約30円。

 向こう岸について、国道7号線の続きを走り始めました。昨日同様、工事の途中の箇所ばかりですが、この日は、かなりの悪路に変わっていました・・・。赤土の路面が、柔らかくて・・・。全然スピードが出ない!!舗装道路であれば、時速25kmぐらい出るであろう力具合で漕いでますが、時速15kmも出ないんですよ。こりゃぁ、しんどい・・・。

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写真5)「進まねぇ・・・」 顔も疲れてる。

 日が高くなるにつれ、徐々に路面も乾いてきました。正午前には、片側だけ舗装工事が完了した道路になりました。地図を見ると、どうやら、ラオス国境が近いようです。北に向けて走っていた国道7号線が、大きく西に曲がると、5km程でラオス国境です。

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写真6)午後1時、国境ゲートに到着!!
 
 カンボジア、未舗装道路走行4日間。なかなか楽しい道でした。 

パクセ到着 

4月12日、ラオス南部の都市・パクセに到着しました。

 ラオス入国7日目。カンボジアから、メコン河沿いに小さな町を結んで来た為、しばらくブログのエントリーができませんでした。プノンペン出発から、コンポンチャム→チョロン→クラティエ→ストゥントゥレン(以上カンボジア)→コーン・パペーン瀑布→シーバンドン(デッド島)→チャムパサック、と繋いできました。ま、重要な情報でもないですけどね。一応、挙げてみました。


 ここパクセで、ラオス正月『ピーマイ・ラオ』を迎えます。明日14日から16日までの3日間、土地の人々は水を掛け合って、大いに騒ぎます。どんな正月なんだ??と思うでしょう・・・?東南アジアの3国、タイ、ラオス、カンボジアでは、このような正月なんですよ。『水掛け祭り』とも呼ばれます。タイの水掛祭り『ソンクラーン』が最も知名度が高いでしょう。中国南部のタイ系住民が多い地域でも、同じ祭りがあります。要は、タイ族の伝統的な正月祭りなんです。(カンボジアはタイ族ではありませんが。)
 一年で最も暑い季節、暑期の真っ只中にあるインドシナ半島。その暑い盛りを大いに騒いで、新しい一年を迎えよう!という趣旨らしいです。「豊穣祈願」とか「良い一年になりますように」ってな意味もあるようです。が、とにかく、『水掛け』が大事なイベントです。
 

 『水掛け』早速、やられました。誰彼構わず、無礼講で掛けるんです。パクセの町に入って、宿を探しながらキョロキョロしていたら、ニタニタ笑ってる若者に襲撃されました。

 バッシャー!! って・・・。頭から、バケツの水を被りました。

 本当は、明日からなんですけどね。気の早い連中は、予行演習を始めています。掛けられるのが当然のイベントなので、別に怒りはしませんよ。今日は、50km走った後だったので、水を掛けてもらって気持ち良かったくらい。


 明日から、3日間、大騒ぎです。もちろん私も水掛けまくります!!


 久々のネットカフェで、この10日間のことを書き込もうと思っていましたが、明日からしばらくネットカフェが閉まります。正月休みです。カンボジアとラオス南部の出来事は、後日、4月16日以降に書き込みます。

デッド島の生活 

 4月9日早朝、コーンパペーンの滝を出発し、午前9時半には、バン・ナカサンの船着場に到着しました。

 ここから、『シーパンドン...四千の島』のひとつ、ドン・デッド(デッド島)に渡るのです。シーパンドンの説明は、『コーンパペーンの滝』を読んで下さい。→http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/blog-entry-216.html

 さて、渡し舟は・・・、全長5~10m程の木製の船しかありません。自転車を置いていくわけにもいかないので、自転車を船に積んで島に渡ることになります。運賃は、ひとりで1艇チャーターして、1~2ドルです。船頭さんたちと粘り強く交渉し、自転車の運賃込みで、2ドルに値切りました。


写真1)さぁ、島へ!!早瀬や浅瀬を巧みにボートは走りぬけます。


 デッド島は、隣のコン島と合わせ、観光客に人気の観光地です。観光地と行っても、島には何もないと言っても過言ではありません。ゆったりと流れるメコンがあって、島の穏やかな生活があって、外国人向けのログハウスとレストランがポツポツ建っているだけです。
 この島は、の~んびり、のぉ~んびり・・・とするところ。デッド、コン両島は、かつてフランスが建設した鉄道用の橋で繋がっています。が、いずれの島も陸とは繋がっていません。この橋は、メコン河を遡って、仏領インドシナと中国との河川交易を行っていた頃の名残です。ここらには、コーンパペーンの滝のような、大きな滝が多い為、滝の手前で一旦積荷を降ろし、鉄道で島伝いに上流まで物資を運び、滝の上流でまた船に積み込んだのです。

 そんな鉄道も、第二次大戦を境に使われなくなってしまいました。今、島で見かけるモノと言ったら・・・


写真2)こども。水牛みたい・・・。顔だけを出して、静かにこちらを見ていました。


写真3)水浴びをする子供たち。

 島の至る所で、水浴びをする子供たちを目にします。時々、それに混じって遊ぶ外国人観光客も。
 観光客は何をしているかと言うと、レンタルサイクルで島を走ったり、レンタルカヌーで川遊びをしたり、レンタルチューブ(トラックのチューブを使った浮き輪)で川を下ったり・・・、あとはバンガローのハンモックに横たわり本を読んだり。
 お金を出せば、ツアーもあります。コーンパペーンの滝を見に行ったり、川イルカを見に行ったり、遠くの島を訪ねたり。私も川イルカ&コーンパペーンの滝ツアーに参加しましたよ。

 3泊だけの短い滞在でしたが、のぉ~んびりできました。また、行きたい島ですね。


写真4)島を出た朝。後ろは、私が泊まっていたバンガロー。1泊2ドル。電気は午後9時で切れる。

コーン・パペーンの滝 

 私は、日本でも結構色々な『滝』を見てきました。日本の滝は、風流があって良いですよね。

 この『コーン・パペーンの滝』は、滝と呼ぶのはどうかと思うぐらい、巨大な滝です。『コーン・パペーンの大瀑布』と呼びましょうか。

 4月8日、ラオス入国初日。国境ゲートから15kmほどで、この滝に到着しました。この日は、更に10kmほど走って、ドン・デッド(島)というところで宿泊するつもりでしたが・・・。

 手前のゲートで、入場料1ドルを支払って、滝の方へ。だんだんと轟音が大きくなってきたかと思うと、森の中に沢山のレストランが見えてきました。観光客目当てのレストランとお土産屋です。荷物を満載した自転車で、そのまま森に入り、レストランの店員さんたちに「サバィディー!」(ラオ語のこんにちは)と声をかけならが走ります。
 さぁ・・・、滝の展望テラスの前に来ました。自転車を階段の下に止め、そばに座っていた露店のおばちゃんに、荷物の監視を依頼し、展望テラスに上ります。まだ、正面は見ない。下を向いたまま歩き、テラスの突き当たりに立って、初めて目を上げました。

 ど~ん!!


写真1)8日午後3時半に撮影

 目の前に現れた滝の大きいこと!!大きいこと!!高さは20mほどですが、幅は1kmあるそうです。なんと言っても、その水量が凄い!!メコン川がそのまま滝になってるんですから!凄いはずです。

 このコーン・パペーンの滝のあたりは、メコン川が大きく川幅を広げ(10km以上)、大小様々な島が浮かぶところ。『シー・パン・ドン』(4千の島)と呼ばれています。島と島の間には、いくつも滝があって、その最大のものが、このコーン・パペーンなのです。

 この日は、滝のそばでキャンプをすることにしました。せっかくだから、この大瀑布を心行くまで満喫したい!!幸い食事処もトイレも水道もある。シャワーはないけど、メコン川で水浴びすれば良い。
 夕食を取ったレストランの脇にテントを張らせてもらいました。水道もそのレストランのを借りました。で、日没前に滝の近くで、地元の人々に交じって行水。川沿いで暮らす人々は、夕方になると、川で行水をするんです。

 月明かりの滝を期待しましたが、この夜は曇りで、真夜中に酷いスコールもありました。でも、日没前後、日の出前後、普通の観光客が見ることのできない時間帯に、その美しい光景を独り占めにすることができました。


写真2)日没後。午後6時半に撮影。


写真3)日の出直前。午前6時に撮影。


写真4)午前7時半に撮影。


 いやはや、見事な滝でした。
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