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 2006年03月 

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中国・武陵源の写真 

 2月上旬に訪れた、中国・湖南省、武陵源の写真です。
ずいぶんと時間が経過してしまっているので、とりあえず写真だけでも先に!エピソードなどは、追々、書き込みます。



写真1)散策初日。まずは、自転車で、自然公園内の車道を走り回りました。『十里画廊』にて


写真2)これも『十里画廊』にて


写真3)一般の観光客は、バスでの移動。



写真4)散策2日目。深い霧の中、テーブルマウンテンに上りました。『黄石塞』にて。
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珠江デルタ地帯・東岸 

 中国が、目覚しい発展の中にあるのは知っていました。しかし、珠江デルタを走るまでは、そこまで凄い発展ぶりだとは知りませんでした。


 2月16日、広東省の省都・広州市に到着。翌朝、広州を経ち、香港目指し、2日間で珠江デルタ地帯の新興都市郡を走り抜けました。

 まず、広州市の発展ぶりたるや!・・・う~ん、なんと言えば良いかわかりませんが、とにかく大きな街でした。近代的なガラス張りのピカピカのビルが立ち並び、街行く人の多いこと、多いこと・・・。自転車の私は、いつも、ピリピリしながら、走っていました。

 で、なんとか広州市を出た・・・、かと思うと、出ていない!?市街地が途切れません。国道の両脇には、オフィスや商店、工場が続いています。これまでの経験からすれば、大きな都市でも、ちょっと走れば、市街地がプツリと切れて、田園になったものです・・・。
 中国の都市は、歴史的な背景からか、つまり、城壁に囲まれた街が『都市』だった名残からか、中心部に商業施設と役所、その周りに住宅街があり、その外側には、田園という都市が多いのです。『外環道路』みたいな大きな道路の、内側には家がぎっしり建っているのに、外側には殆ど家がない!なんてことも。

 広州市中心部から続く、途切れない市街地は、真東に40km以上走った『東莞』まで続き、東莞の市街地も切れることなく続いています。東莞から、南に折れ、深川を目指します。さすがに、このあたりは、都市と呼べるものでもありませんでしたが、国道の両サイドに、ギッシリと商店、工場、住宅が並んでいることには、変わりありませんでした。

 2月17日に宿泊したのは、○○鎮の中心部。『鎮』というのは、行政区分上は、日本の『○○郡』と同じと思って下さい。つまり、日本風に言うなら、○○郡××町の中心部ってことです。驚いたのは、そんな小さな町に、マクドナルドがあったこと!!日本ならあってもおかしくないですけど、中国ですよ?他の地域では、人口100万の都市にでもないことがあるのに・・・、こんな小さな町に・・・。

 翌日、深川までの道のりも凄かった。大きな国道を更に大きくしているのか、各所で道路工事が行われており、自右衛門号は、泥まみれになり、私も埃まみれ。ようやく深川市に入ったかと思ったら、深川が1番凄かった!!あちこちに近代的な高層ビル群が立ち並び、道路や公園の整備も行き届いてる。『○○区』というのがいくつかあって、その中心部は、それぞれがひとつの『都市』と呼べるサイズでした。


 交通量が多く、2日間緊張しっぱなしの走行でした。珠江デルタの発展ぶりは凄い!! 


写真)広州は、2000年の歴史を持つ国際都市。中心部には、20世紀初頭の西欧建築も多い。

メコンのごとく 

 日本を出発して、4ヶ月が経とうとしていますが、これまで7200kmを走ってきました。かなりの、かなりのハイペースだと思います。肉体的な疲労などはありませんが、東南アジアに入ってから、ハイペースの旅に退屈を覚えるようになりました・・・。『やる事がない』のではありません。『やる時間がない』のです。毎日、移動のことを考えていなければなりません。そういう旅に退屈を覚え始めているのです。

 この2~3日、移動のことばかり考えていたら、疲れてきました。

 ここは、東南アジア。訪れたことのある方も多いでしょう。ここでは、時間の流れ方が違います。本当に1日が24時間なのだろうか?日本と同じなのだろうか?と思ってしまうぐらい、のんびりと時間が流れています。
 土地の人々と同じリズムで1日を過ごしていると、それはそれは、のんびりとした1日を過ごすことができます。
 しかし、不思議なことに。日本的なセカセカした時間をこの土地に持ち込むと、あっという間に1日が終わってしまいます。しかも、あとには何とも言えない寂しさが残ります。なんで俺は、こんなにセカセカしてるんだろう・・・、って。

 メコン河の流れのごとく、ゆっくりと、しかし、しっかりと、旅を進める方が、楽しそうです。


 移動移動と考えるのは止めにしました!! 郷に入らば~ です。

ラオスに向かいます。 

 カンボジアから、ラオスに行く事に決めました!!

 1つ前のエントリーで、ウダウダと色々述べていましたが、ラオスに向かう『北東・案』が良いようです。

 カオ・プラ・ヴィハーンも捨てがたいのですが、やはり国境通過が厳しいようで・・・。しかも、カオ・プラ・ヴィハーンまでの道のりが大変だということがわかりました。150km以上未舗装で、人家の少ない地域を通らねばならないのです。地図上には、『村』の印はなく、『集落』というのがポツポツとあるだけ・・・。

 連載を抱えている都合もあり、いくらか通信事情の良いルートを通らねばなりません。今後の旅で、無人地帯(例えば、チベット高原とか)を走る予定はありますが、その時は、連載記事の書き貯め等の準備をしてから、無人の荒野へ入るつもりです。

 メコン河に沿って、カンボジアを北上、ラオス南部を抜けて、タイに入ります。ラオス南部にも大きな見所が沢山あります。『シーパンドン』(四千の島々の意味)というメコンが大きく川幅を広げ、のどかな島々と巨大な滝を形成しているところを訪れる予定です。


 4月13日~15日は、ラオス正月『ピーマイ・ラオ』です。タイ正月は、同じ日付で、名前は『ソンクラーン』。この正月をどちらの国でお祝いするかは決めていませんが、派手に騒げるところが良いですね。タイのチェンマイあたりは、凄い騒ぎになるみたいですが、チェンマイは遠すぎるし・・・。ま、自転車の進み具合と相談しながら、適当に決めたいと思います。

北東に進むか?北に進むか? 

 頭が痛いです・・・

 熱中症ではありませんよ。ここプノンペンから先の走行ルートに、頭を悩ませているのです。

 二つの案があります。まず、『北東・案』・・・メコン川に沿って、ラオスに入るルート。そして、『北・案』・・・タイとの国境地帯にある『プレア・ヴィヒヤ』(タイ語では、カオ・プラ・ヴィハーン、こっちの方が有名かな)という遺跡を通過するルート。

 どっちかって言うと、プレア・ヴィヒアに行きたい。この遺跡、それはもう!とにかく良いらしいのです。以前、勤めていた旅行会社でも、一押しの遺跡でした。が、問題は、そこからタイに抜けられない可能性があることなんです。抜けられなかったら、別の国境ゲートまで走らねばなりません。
 このプレア・ヴィヒアを訪れる観光客の多くが、タイ側から日帰りで国境を越えて見学に訪れます。だから、タイ語の『カオ・プラ・ヴィハーン』の呼び名の方が有名なんですよ。


 う~ん・・・、と悩んでいても仕方がありません。行動しましょう。調査です!!今日、観光省のお偉いさん(?)を訪ねて、直接聞いてみました。彼が言うには、「ダメなんだよ。そこの国境は、タイ側からしか通れない。」

 う~ん・・・、そんなことってあるのかなぁ・・・?

 観光省の人は、「外務省で確認してみたら?」と言ってくれました。で、外務省へ。カンボジアのビザ延長などを行うオフィスに行ってみましたが、簡単に「いいんじゃない?」って・・・。

 えっ!?そうなの??んじゃ!行く行く!!

 喜んで、宿に帰りましたが、時間が経ってから、不安になってきました・・・。もしかしたら、あの係官は、知らないので、適当に『OK』と言っただけなのでは・・・?はたまた、『プレア・ヴィヒヤ』に行くことを「いいんじゃない?(OK)」と言ったのかも・・・?

 ダメだ、これじゃ!また明日、外務省に行ってみることにします。もっと、偉そうな人に聞いてみます。


『プレア・ヴィヒヤ』行けたらいいなぁ~

 ラオス経由でタイに入って、そこから訪れるのも手だけど・・・、やっぱり、カンボジア領なんだから、カンボジアで見たい!!


 というわけで、頭が痛い・・・

日本人宿 

 プノンペンの宿選びは、ちょっと失敗だったかも知れません・・・。

 昼の休憩がてら、中心部の安宿街に来てみました。交通量が多く、避けていた中心部の安宿街には、日本語のネット環境も整っているし、ちょっとした買物にも便利そうです・・・。今、ネットカフェで扇風機の風にあたりながら、のんびり書き込みしてます。


 ところで、『日本人宿』という言葉を御存知でしょうか??

 いわゆる『バックパッカー』スタイルで旅行をしてなければ、耳にすることはないでしょう。定義みたいなものがあるのか?ないのか?知りませんが、『日本人旅行者が集う宿』それが日本人宿と考えて良さそうです。もしくは、日本人旅行者をターゲットに経営している宿ってとこでしょうか。

 特徴の一つに、日本語の書籍(プチ図書館)を揃えていることが挙げられます。ガイドブックや、小説、漫画本、新聞、雑誌なんかがあります。長編の漫画にハマッてしまうと、全巻30巻を読破するまで、出発したくても出発できない!なんてジレンマに陥ることも・・・。

 また、『情報ノート』と呼ばれる、旅の情報を書き留めたノートがあることも特徴です。この情報ノートは、宿泊した日本人旅行者が、自分が旅してきた地域での交通情報、ビザ情報、治安情報、おいしい食堂、快適な安宿、などなどの情報を書き込んでいくモノです。私も以前、何度か書き込んだ記憶があります。

 このような日本人宿には、自然に日本人が集まります。たま~に、欧米人や韓国人ツーリストが泊まっていることもありますが、あまり多くはありません。

 今回の旅で、一箇所だけ、『日本人宿』に泊まりました。香港・九龍の『ラッキーハウス』がそうです。オーナーは、日本人の對馬さんという、気の良いおじさん。日本の雑誌も沢山あって、情報ノートもあります。香港という街の特徴から、お客さんの出入りは、結構激しかったです。時期的にも、学生さんの春休みでしたし。
 東南アジアやインドに行く途中に立ち寄った学生さん。ユーラシア大陸を西から渡って来た旅人。逆に、これから大陸を西へ横断する人。中国留学中で、春節休みに香港に来た人。もちろん、香港の滞在をメーンにして来ている人も。
 私は、中国を2ヶ月かけて走ってきた後に、ここ滞在したわけですが・・・・。たまに、こういう宿に泊まらないと、知らず知らずのうちにストレスを溜め込んでしまいます。しばらくの間、日本人どころか、外国人すらいない中国の田舎を走ってきて、満足に会話もできない日々が続いていました・・・。自分の意志が!言葉が! 伝わらないというのは、常に大きな心的不安にあるということです。
 『ラッキーハウス』では、日本人旅行者と思う存分!日本語での会話を楽しみました。ストレス解消して、再び、旅の生活に戻るわけです。日本人旅行者の中には、このような宿を毛嫌いする人もいますが、それはそれでまぁ、解らなくもない・・・。でも、私は、ストレス解消の為、精神の求めに応じて泊まるようにしています。

 以前は、エジプト・カイロや、トルコ・イスタンブール、カンボジア・シェムリアップ、などなどで『日本人宿』を利用しました。今回の旅でも、“息抜き”のため、度々、日本人宿のお世話になることでしょう。

プノンペンの宿 

 プノンペンの安宿と言えば、『CAPITAL HOTEL』という超有名どころがありますが、私はたくさん人が集まるところが苦手なので、レイクサイドと呼ばれる、バンコック湖畔の安宿街に宿をとりました。でも、ここレイクサイドも、たくさん人が集まってる・・・。

 湖畔に面した素敵なテラスでは、欧米人の長期旅行者がのんびりしています。彼らは、こういうところが好きなんですよね。日本人の姿はありません。いるのかもしれませんが、見てません・・・。日本人は概して、こういう雰囲気が苦手なんだと思います。

 宿代は安く、2~3ドルなんですけど、食事代や日用品は高いです。都会物価に加え、多少の外国人価格が乗ってます・・・。外国人が集まる街には、悪いモノも集まります・・・。その悪いモノ目当ての旅行者もいるので、益々悪いモノへの需要が高まってしまいます。悪いモノの話は、またいつか取り上げるとしましょう。

 私にとっては、あまり居心地の良いところではないですね。あと2日間で市内の観光を済ませて、とっとと田舎に避難したいと思います。

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写真)バンコック湖の夕景。宿のテラスから。 

トゥールスレーン刑務所 

 3月29日、キリング・フィールドの帰りに、そのままトゥールスレーン刑務所博物館に行ってきました。

 ここは、キリング・フィールドと並び、ポル・ポト政権(クメール・ルージュ)の残虐行為を現在に伝える施設です。かつて、高校の校舎だった建物ですが、1975年、クメール・ルージュのプノンペン入城直後に、刑務所に変えられました。その当時の名は、S21。ここに収容された人々の多くが、いわゆる知識階層の人々。クメール・ルージュ内の粛清の標的となったのは、大人だけではありません。子供も、老人も、一家全てがここに送られました。残忍な拷問の末、人々は、キリングフィールドに送られるのです・・・。

 1979年、ベトナム軍によるプノンペン解放の時、この刑務所内には、拷問の末、絶命した14体の遺体がそのまま放置されていたそうです。彼らの遺体は、施設の中庭に埋葬されています。

 当時のままに残された施設内部には、拷問器具や取調室(拷問室)、独房などが悲しい歴史を静かに語っていました。ポル・ポト政権が残した、収容者たちの顔写真がパネルいっぱいに並べられ、ひとりひとり見ている内に、涙が溢れてきてしまいました。とても、直視できるものではありませんが、目を逸らすわけにもいかないのです。

 語るよりも、見る方が、響くと思います。できるならば、訪れてみることがベストなんでしょうけど・・・。写真をいくつか載せときます。

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写真1)中庭と14人のお墓。

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写真2)拷問室。遺体がそのまま放置されていたベッド。

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写真3)独房。かつての教室をレンガの壁で区切ったもの。

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写真4)犠牲になった人々。この収容所では、延べ2万人の人々が収容され、生き延びたのは僅か6人だったと言われています。

Killing Feilds (キリングフィールド) 

 ポル・ポト政権下のカンボジアで、大量虐殺が行われたことはご存じでしょう。映画『The Killing Fields』(1984年)を視たのは、中学生の頃だっただろうか. . . 。思春期の私にとって、とても衝撃的な映画でした。観てない方は、観るべきだと思います。少なくとも、カンボジアを訪れるつもりのある人は。


 3月29日、プノンペン郊外のキリング・フィールドに行きました。

 キリング・フィールドとは、ある特定の地名ではなく、ある場所を指します。英語では[Killing Fields]、処刑の場、虐殺の場とでも訳しましょうか。ポル・ポト政権の政策、思想にそぐわなかった人々の処刑が行われた場所です。カンボジア国内には、キリング・フィールドが他にも沢山あったといいます。

 自転車で市街地を走り抜け、郊外の未舗装道路を走り、40分程で到着しました。のどかな農村地帯、大きな塔が目印です。その塔は、ここで処刑された人々の頭蓋骨を収めた[慰霊の塔]。8000以上もの頭蓋骨が訪れる人々を見下ろしています. . . 。

 入場料2ドルを払い、敷地内へ。まず、慰霊塔の骸骨たちと対面。光のない目が、私を見ています。私も視線を外らすことなく、彼らを見つめます. . . 。お線香を上げ、虐殺された人々の冥福を祈っていると、隣では、欧米人ツーリストが、やはり黙祷を捧げていました。ここでは、数名の外国人も処刑されています。

 塔の脇に立つ木の下に腰掛け、しばらく骸骨たちと見つめ合いました。彼らは、1975年以前は、生のある人間であったのに. . . 。ポル・ポト派(クメール・ルージュ)は、1975年に政権を取ってから、4年間で人口の3分の1にあたる200-300万人もの国民を死に至らしめました。
 殺されたのは、大人だけではありません。老人も、子供も。私は、1978年生まれです。あの頭蓋骨の山の中には、私と同じ年に生まれた赤ん坊を持つ、母親たちの骨もあることでしょう. . . 。

 想いを巡らせた後、慰霊塔の周辺にある[穴]を見て回りました。処刑された後、人々が葬られた大きな穴です。結局、キリング・フィールドでは、1時間程を過ごしました。

 プノンペンへの帰り道、例の如く[ハロー!ハロー!]と子供たちに返事をしながら帰りました。少し気持ちが沈んでいましたが、沈んだ気持ちを無視したり、忘れる必要はありません。見てきたモノを、そのまま記憶に留めておきたいと思います。忘れてはいけないことですから。


写真1)慰霊塔


写真2)未舗装道路。車が通ると土煙が凄まじいです。

プノンペン到着 

3月28日。プノンペン到着。

 昨日宿泊した町は、プノンペンの目と鼻の先でした。4km走っただけで、プノンペン市に。この国で唯一『都会』と呼べる、首都・プノンペン。朝9時頃、市内に入りましたが、サイゴンのバイク洪水を経験していた為か、それほど交通量は気になりませんでした。

 たまたま、ラオス大使館の近くを通ったので、ラオスビザの申請を済ませてきました。受け取りは翌日。30ドル也。大使館街から、市の中心部へ。どこが中心なんだか、よくわからない雑多な街です。
 宿は、バンコック湖という大きな湖の畔に取りました。西側に大きなテラスがあり、夕方は綺麗な夕日が見れることでしょう。

 ここプノンペンには、3~4日滞在して、その後、再び西に走り始めます。

暑い・・・、暑い・・・、暑い・・・ 

3月27日。カンボジア2日目。

 昨日の地獄のサイクリングの経験を踏まえ、この日は、早朝から走り始めるつもりでした。が、起きたら8時。出発は9時・・・。もう日差しが強い

 さぁ・・・て、午前は、太陽を背中に背負っての走行。進路は、東→西。ベトナム国境から、首都プノンペンまでの道は、国道1号線。比較的きれいな舗装道路が真っ直ぐ伸びています。
 道の両脇には、広大な田畑。この時期、田んぼに稲穂は見れません。『乾季』の終わり、そして年間で一番暑い『暑期』に差し掛かったインドシナ半島南部は、水が最も少ない季節です。


写真1)水牛たちも、少なくなった用水路で水浴び。試しに、水を触ってみたら、お湯

 ここカンボジアは、『ハローハロー攻撃』の激しいところ。昨日もそうでしたが、私を発見した地元民は、かなりの確立で『HELLO!!』と声を掛けてきます。子供だけではありません、大人も、老人も・・・。忙しいサイクリングです。
(ベトナム北部もそうでした)→http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/blog-entry-160.html
 ハロー! ハロー!! ハッロー!! ハイ!ハロー! イェ~イ!ハロー!! オッオー!ハロハロー!! 1日で一体何人の人に声をかけられ、何人に答えているのでしょう・・・?多分、1千人越えるんじゃないでしょか?? ほとんど、『反射』ですよ。私の姿を認めた途端!声が出ています。驚いた顔をするのとほぼ同時です。驚いて開いた口が、そのままハローの『H』の音を出しています。

 ベトナム北部で受けたハローハロー攻撃とは、少し違うことがありました。道端の人々が、手を伸ばしてくるんです。私も右手を伸ばし、通り過ぎる時に、「パチン!」とタッチ! これがなかなか面白い!次第に、私から手を伸ばすようになっちゃいました。

 田舎の村に英語話者がいるのも、カンボジアの特徴でしょう。つい最近まで内戦していた国ですが、英語教育の発展ぶりには、感心させられます。『○○ ENGLISH SCHOOL』みたいなのを良く目にします。海外からの援助で建てられているのでしょう。子供たちの英語のレベルは、周辺国よりも優れていると思います。


写真2)英語の達者な青年。私よりも流暢に話していました・・・。ちょっと悔しい。


 午前11時半、いよいよ日差しはきつくなり、逃げ水を追いかけながらの走行が続きます。太陽は、ほとんど真上!!路面には、自分の小さな影があるのみ。あと、30分!あと30分!と自分に言い聞かせながら、必死にペダルを回す・・・。あと30分!!あと30分走ったら、昼飯&昼寝だ!!
 カンボジアに限らず、暑い国の人々は、朝早く起きて仕事をし、昼はのんびり昼寝(休憩)をし、夕方また(ちょこっとだけ)働くという習慣があります。暑い盛りの12~14時に、元気に動いてる人なんて、ほとんど見ません。みんな、牛のように日陰でゴロゴロしています。それが、熱帯で生きてきた人々の『リズム』なんです。私も、それを倣って、昼は休憩です。


写真3)逃げ水。走れど、走れど、追いつかない・・・


写真4)休憩した食堂。店内にハンモックが吊るしてあり、食事や軽食の後、そのまま休憩できる。


 1時から3時まで、ハンモックに揺られて昼寝。日差しは強いけど、乾燥しているので、日陰は涼しいんです。変な姿勢で寝ていたのか?左足が痺れていて、走行再開前に準備運動。さっ!!午後の部!!
 走り始めてすぐに、大きな河に突き当たりました。メコン河です。ベトナム南部で、メコンデルタを訪れましたが、自転車で渡るのはこれが初めて。渡し船で対岸へ。


写真5)案外、川幅は狭い。渡し場だから、狭いところを選んでるんでしょうけど。


 メコン河を渡ると、国道1号線が、田舎道に変わってしまいました。片側2斜線・きれいな舗装道路→片側1斜線・穴ぼこの舗装道路。たまに、拡張工事をしているところがあり、砂埃の中を走らねばなりませんでした。
 砂埃がひどい上、写真を撮る気力も失せてきたので、カメラはバッグの中へ。午後5時、まだ100kmしか走っていないのに、走行速度が20kmを切りました。次に町があったら、もうそこで泊まろう・・・。プノンペンまで20kmと案内が出ていましたが、10km手前の町で力尽き、宿を取りました。走行距離は、118.4km。


 もっと、早起きして、午前中に距離を稼がなければ・・・。朝型の生活に切り替えます

 

ベトナム~カンボジア国境越え 

3月26日、サイゴン(ホーチミン市)をなんとか脱出!!強烈な日差しの下、カンボジア入国を果たしました。


 私としては珍しく午前7時には出発の準備を整えて、路地裏の宿から、表通りに抜け出すと・・・。あっ!無理!!

 朝の出勤ラッシュで、とてもじゃないけど、走れません。走りたくありません・・・。宿に戻り、一休みして、結局午前9時に出発しました。9時代でも、まだまだ交通量は多い・・・。


写真1)サイゴン市内。午前9時半。

 なんとか、かんとか、バイクの波を抜け出し、郊外へ。国道22号線をひた走り、カンボジアとの国境にあるモクバイの町を目指します。国道の両サイドには、延々と田畑が広がり、のどかな風景が続いています。残念なことに・・・、それを楽しむ余裕はなく、照り付ける太陽に苦しめられながら、必死にペダルを回していました。真夏の太陽の下を走るのは、実はこの旅で、これが初めて。


写真2)畑仕事。

 昼食を摂っただけで、休むことなく75kmを走行。午後2時半、国境に到着しました。国境ゲートは、立派なものでしたが、手続きは至ってシンプル!ベトナム出国は、出国スタンプを押してもらうだけ。税関チェックなし。カンボジア入国は、ゲートで観光ビザ(30日有効、20ドル)をサラサラっと書いてもらって、ハンコをポン!!終わりです。
 カンボジア側のゲートで一休みして、午後3時半、再び、炎天下を走り始めました。熱中症にかからないよう、水分補給を欠かさず、5kmほど走っては、頭から水を被ります。次に水を被る時には、もう服が乾いてる!!なんてったって、路上の気温42℃ですから!!

 無理して、こんな暑い中を走る必要もなかったのかも知れませんが、入国1日目は、不安なことが多いので、大きな町まで走っておきたかったのです。午後6時、サイゴンから120kmを走り、スヴァイリエンという町に到着。宿に入り、水シャワーを浴びた時の爽快感といったら・・・・、もう!!最高ぉ~!!!


 しんどい1日でした。なにはともあれ、カンボジア入国!


写真3)国境。左足がベトナム。右足がカンボジア。


写真4)国境。後輪がベトナム。前輪がカンボジア。


写真5)国境ゲート。上がベトナム側、下がカンボジア側。

サイゴン脱出 

 丸1日かけて、一気にブログの書き込みをしました。が、まだ、用意してるのに、打ち込んでいないエピソードが沢山あります。月末までに、もうひと頑張りして、あと10コぐらい紹介したいと思います。

 今夜はもう、タイムオーバー。明日は、早起きして、サイゴンを出発します。ベトナム~カンボジアの国境・モクバイを通って、多分、1日でカンボジア入国を果たします。明後日には、プノンペンにいるつもりです。

 では、以上。お知らせでした。

3月25日、定期体重チェック 

 今日、3月25日、体重を量りました。

 宿の近所の路地裏探検をしていたら、体重計屋のおばさんが現れました。体重計屋というのは、体重計を持ち歩いて、体重を量って、代価を貰うという商売です。このおばさんのような『移動型』の人もいれば、市場の片隅などで動かない『固定型』もいます。

 サイゴンでよく見かけるのは、前者。体重計には、身長計も付いています。しかも、ハイテクなことに、数値が電光表示され、計測結果がレシートのように印刷されます。
 どういったものか、文章で説明するは難しいのですが・・・、デジカメで撮った写真がないので、頑張って説明します。えぇ~っと、身体測定の時の、身長計を思い出して下さい。背筋を伸ばして、頭の上に水平な板を当てますよね?で、身長が解るっていうアレです。アレの足元が体重計だと考えて下さい。つまり、体重を量りつつ、身長も測れるんですよ。それが、電光表示され、さらに紙切れに印字されるんです。凄いでしょ!

 体重計屋のおばさんに、料金を聞きますが、答えてくれません。おそらく、私が渡した金額を見て、料金を決めるつもりでしょう・・・。とにかく、乗れ!測るから乗れ!と急かします。

 で、乗ってみると。

 身長は、169.0cm。 体重は、65kg。

 身長は、どうでも良いんです。問題は、体重。着ていた衣服の重さを差し引いて、64kgってとこでしょうか
。まぁ、悪くない数字です。前回(2月19日)に測った時と変わりません。減ってもないし、増えてもない。良いことです。多分。
前回のチェックはこちら→http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/blog-entry-129.html

 さて、問題の支払いですが、ポケットには10,000ドン札しか入っていません・・・。壱万というと、80円です。壱万で、缶コーラが2本買えます。ネットカフェで100分間パソコンが使えます。
 おばちゃんに、「ごめん、これしかないんだ。お釣ある?」と壱万ドンを手渡すと・・・。返ってきたお釣は、5,000ドン!? 「おばちゃ~ん、そんな訳ないでしょ?」体重計屋というのは、悲しいかな、かなり儲けの少ない商売なのを知っています。おそらく、2,000~3,000ドン(20円程度)だと思います・・・。
 しかし、無理やりにでも、量る前に料金を聞きださなかった私にも問題があります。おばちゃんが、「1回5,000ドンだ!」と言い張れば、私はそれ以上強くは言えません・・・。
 こんな時は、ちょっと考え方を変えて、払い過ぎた分の『付加価値』をもらうようにしています。今回、頂いた付加価値は、おばちゃんの写真3枚と、体重計の詳しい説明でした。おばちゃんは、変な日本人小僧が、体重計を興味深く触っているのを、笑いながら見てました。が、途中から、「これがスタートボタン、これが目盛り」みたいなことを説明してくれました。ベトナム語でしたが、多分そんなことを言っているんだと思います。

 定期体重チェックでした。次は、また1ヵ月後に量ります。

涙目の老人 

通りで、町の食堂で、市場で、私と接する人々の反応は、時として面白いモノもあります。

 1月22日、陜西省から、河南省、そして湖北省へ。複雑に省境が入り組んだ山道。1日で3つの省を走りました。その老人とは、河南省の田舎町で出会いました。

 正午、小さな市場が立つ町を通過。昼食には早かったので、何かおやつでも、と、焼き芋を1個(コブシ2個分ぐらいの大きなやつ)買いました。焼き芋屋のおじさんは、特に私に驚くでもなく、無口で焼き芋を袋に入れてくれました。

 焼き芋のような、片手で食べれる物は、走りながら食べています。もちろん、片手運転できるような状態の良い道での話ですが。大雑把に皮を剥き、走りながらカブリつきます。喉が渇いていたため、なかなか呑み込めません・・・。一旦停車して、ボトルケージの水に手を伸ばそうとしていたら、隣におじぃさんが立っていました。

 右手に芋を持ったままハンドルを押さえ、左手で水を取ろうとしている私を見かねたのか、おじぃさんは、「芋を持っててやろう」ってな感じで、手を差し出してきました。言葉に甘えて、芋を渡し、喉に詰まりかけてた芋を水で流し込みます。
 すっきりしたところで、おじぃさんとの会話。拙い中国語で、自転車で世界一周することを告げ、おじぃさんからの質問をいくつか返しました。だいたい話すことも済んだかな?と、おじぃさんを見ると、その目には涙が溢れています。なに??何か悪いこと言ったかな・・・。

 いや、おじいさんは、私の話にいたく感動しているのです。

 握っていた芋を私に返し、袖で涙を拭うと、両手で握手を求めてきました。私は、返された芋を口に咥え、両手でおじいさんの握手を受けました。
 何か、励ましの言葉をたくさん頂きました。握っている手には、気持ちと同様、力がこもっています。ふと、お互いの顔を見合わせると、おじぃさんは相変わらずの涙目。私はというと、芋を咥えた間抜けな顔・・・。思わず、2人して吹き出してしまいました。私は、芋を落とさぬようにするのが大変でしたね。

 再び、ペダルを踏み出すと、おじぃさんは、私が見えなくなるまで、手を振っていました。

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写真)おじぃさんと別れて3時間ぐらい走った田舎道。

あんた、英俊だねぇ・・・ 

通りで、町の食堂で、市場で、私と接する人々の反応は、時として面白いモノもあります。

 2月16日 広州の民宿

 「あんた、英俊だねぇ・・・」

 いいえ、私は英俊ではありません。伊東心と申します。

 って・・・。ここで言う『英俊』っていうのは、広東語だったか?北京語だったか?忘れましたが、中国語のハンサムと言う意味です。

 広東省の省都・広州市、大大大都会とあって、宿はどこも料金が高い。比較的安い宿が沢山ある、バスターミナル周辺で、宿探しをしていると、宿の客引きのおばちゃんに捕まり、あれよあれよと安い宿に連れていかれました。

 マンションの一室に作られた、ゲストハウスに到着。宿のオーナーは、40代の気の良いおばさん。自転車の荷物を全て部屋に入れたあと、マンション1階の駐輪所まで自転車を置きに行きました。おばさんは、駐輪所の警備員に、特別私の自転車を厳重に保管するよう、口利きしてくれました。
 オーナーのおばさんは、中国語を話すのみで、会話はあまり弾みませんでしたが、しきりに私に構ってくれます。部屋にお茶を運んできてくれたり、シャワーを浴びようとすると浴びる前にお湯加減をチェックしたり、夕食に出ようとすると一緒に階下まで着いて行くとまで言います・・・。

 結局、夕食は、おばさんお勧めのバイキング形式の食堂まで案内してもらいました。私が食べている間、おばさんは、外で私を待ってくれてます。食後、宿に戻る時も一緒。なんて過保護な人なんだろう、と、ちょっと気後れしてしまいましたが・・・。宿に戻るなり、その理由が判りました。
 帰宅していた娘も交えて、3人で私の旅の予定を説明していた時です、ニコニコと私の顔を見ていたおばさんが、ポツリ「あんた、ハンサムだねぇ・・・」って・・・。えっ??慌ててその場を取り繕う私に、次のおばさんの言葉は、「どうだい?この子、嫁にどうだい?」驚いたのは、私だけではありませんでした。娘も驚いて、「何言ってんのよ!おかぁさん!」ってな感じで怒ってます。

 おばさん、よほど私を気に入ったのでしょう。いきなり、「娘を嫁に」なんて言われたのは、これが初めてでした。

 娘は、19歳。その気の母とは、対象的に、かなり怪訝な態度を取っていましたね。

彼って日本人なんだぁ~ 

 通りで、町の食堂で、市場で、私と接する人々の反応は、時として面白いモノもあります。

 2005年12月29日 河北省・『高碑店』の町のラストラン

 霧の出た寒い夜。宿の向かいにあるレストランへ夕食に出かけると、何やら大口のお客さんが宴会をしているらしく、店員さんたちは忙しそうに走り回っていました。
 独りの私は、小さな客室に通されましたが、メニューを渡されたまま、なかなか注文を取りにきてくれませんでした。堪りかねて、ウェイトレスのおねぇちゃんを捉まえにいくと、英語と片言中国語の私に驚いている様子。あれだけ放っておかれたのに、外国人と判ると、急に沢山のウェイトレスが寄ってきました。宴会がひと段落ついたのかもしれません。
 注文を告げ、料理を待っている間、入れ替わり立ち代り、若いウェイトレスの娘っ子たちが、質問をしにやってきました。年のころ、16~22歳といったところでしょうか。まだ中国語に慣れていない私は、筆談を駆使して、彼女たちは、習ったのに全く使えない英語を駆使して、なんとかコミュニケーションをとっていました。

 料理が運ばれてきても、会話が続くので、「ちょっと食べ終わるの待って」と告げて、黙々と食べ始めることに。彼女たちは、宴会の片付けにも行かず、私の食事風景をニコニコしながら見ています。

 その子は、後から遅れてやってきました。開口一番「彼が日本人!?」 次の言葉は、「彼が日本人?」 続いて、「彼って日本人なんだぁ~・・・」 また、しばらくして、思い出したように、「彼って日本人なんだ・・・」
 日本語で書くと上に挙げたような感じですが、彼女が発しているのは、中国語の『他是日本人』だけです。その時々で、感情の込め方が違いました。何か、そんなに日本人に想いを馳せていたのでしょうか?私の顔をぼ~っと見つめて、時々、「彼は日本人なんだ」と言うだけです。惚れられたかな?とか思ったけど、私自信への興味関心よりも、日本人である私に何か特別なものを感じているようでした。

 結局彼女は、7~8回『他是日本人』とだけ呟いて、仕事に戻っていきました。なんだったんでしょうね?

そんなにジロジロ見ないで下さい・・・ 

 通りで、町の食堂で、市場で、私と接する人々の反応は、時として面白いモノもあります。

 2月7日 武陵源~慈利 走行中

 断崖絶壁にへばり付くように走る道路をひた走っていると・・・、何やら後ろからバイクの気配。振り向くと、やっぱり、バイクです。
 いつまで経っても、追い抜く気配がないので、休憩がてら、停車してバイクを先に走らせることに。停まって水を飲んでいたら、バイクが追い抜いていきました。が、20mぐらい先のところで、バイクも止まりました・・・。正体不明の私が気になっているようです。

 私が走り始めると、バイクも走り始めました。20mの距離は変わりません。付かず離れず、私の前を走っています。運転しているのは、おじさんかな?若そうではない男性です。片方だけのサイドミラーを覗き込み、ずっと私の姿を見ています・・・。そんなに気になるなら、声でも掛けてくれればいいのに。 
 いつまで経っても、そんな具合なので、思い切って、バイクに追いつくことにしました。ペダルを踏み込み、時速20kmから30kmに。おじさん、急に接近してきた私に驚いたのか、アクセル入れて、おじさんのバイクも急発進!!結局、距離は20mのまま・・・。

 相も変わらず、ミラーでこちらを伺っています。一度、大声で『私は日本人だ!!自転車旅行してるんだ!今日は、慈利まで走るんだ!!』と叫びましたが、聞こえてないのか?ミラーを覗き込むばかり・・・。

 そして、アクシデントが起こりました。おじさん、前見てないもんだから、溝に落っこちちゃったんです。転倒こそしませんでしたが、前輪が、路肩の窪みに落ち込んでいました。私は悪くないよ・・・、ね?

 ようやく追いついた私、おじさんに近づくと・・・。おじさん、ジロジロと私の顔をみて、自転車を見て、また顔を見て・・・。

 おい・・・、おっちゃん、いい加減にしてくれよ。

 なんだか気分が悪くなってきたので、おじさんには何も話しかけず、こちらもジロジロと見返して、走り去ってきました。その後、あのおじさんが追いついてくることはありませんでした。バイクが故障したのかも。

中国でのエピソードを一気に公開!! 

 ブログに書き込みたいことは沢山あるのに、ネットカフェに通える機会・時間は、それ程多くありません。日本語環境の整ってないカフェも多いですし。
 ネットカフェで、最優先にしていることは、連載に関するメールのやり取り、これが私の唯一の『仕事』ですから。続いて、届いてるメールの確認。そして最後、時間が許す限り、ブログのエントリー。

 少々、タイムラグがありますが、1月~3月までの出来事で、まだ紹介していなかったものを3月末までに、一気に書き込みたいと思います。

ベトナムは黄色 

ベトナムは黄色です。


何がって?郵便ポストですよ。

韓国はでした。http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/blog-entry-36.html

中国はでした。http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/blog-entry-69.html



写真)黄色いポストと、ホーチミン中央郵便局。

 ベトナムでは、すでに10枚以上手紙を書いています。絵葉書がキレイなものが多いんですよね。ついつい、沢山絵葉書を買い込んでしまいます。書くのが追いつかず、まだ手元に10枚くらい残ってます・・・。日本までの切手代は、8,000ドン=約60円。

 サイゴン(=ホーチミン市)の中央郵便局は、なかなか素敵な建物でした。フランス統治下から使われていた郵便局で、外見も然ることながら、古い内装もなかなか素敵!
 明日(3/26)には、カンボジアに向かいます。残った絵葉書、今日中に全部書くのは、無理ですね。ベトナムには、5月にまた戻ってくるので、その時まで、カバンの底で眠っておいてもらうことにします。

路地裏での会話 

3月25日、早起きして、ホテルの軒先に座り込み、路地裏の人々を観察してました。

 バイクに跨り家を出るお父ちゃん。体より大きなリュックを背負って学校へ向かう小学生。軒先でご飯を貪る幼児。赤子をあやす母親。家の掃除をする老婆。時々通る外国人旅行者。そして、絵葉書を書く私。

 午前8時半、朝食を摂りに、一旦外出。9時過ぎに戻ると、路地裏の喧騒は、治まっていました。再び、軒先に座り込み、書きかけの手紙を書きます。家々には、まだ多くの男たちが残っているようです。

 ふと、絵葉書を覗き込む人影が! 隣の家のおじさんです。片言の英語を話す彼に、質問してみました。
 Q:「おっちゃんはさぁ・・・、働きに行かないの? ってか、ここの町の人達は、何してメシ食ってんの?」
 A:「俺は、バイクタクシーのドライバーだ。ここは外人向けのホテルが多いだろ?俺んちも部屋を貸してるから、客が泊まってる日は、あまり働かなくて良いんだ。」

 《心の声》「へぇ・・・、働かなくていいなんて・・・、たいそうな生活ですなぁ。」

 直後、彼からの質問で、ハッとさせられました。

 Q:「ところで、にぃちゃんは、何してんだい?」

 A:「えっ・・・!?えぇっと、旅をしながら、新聞記事書いたり、写真を売ったりしてる。」

 《彼の感嘆の声》「ほう、良い仕事だ!楽しそうだ。若いのに金持ってんだねぇ。」


 私には、彼らの生活が謎でしたが、彼らには、私の生活が謎なのです。そうですよね、20代の若造が、3年も旅行しようって言うんだから、不思議に思うのも当然でしょう。なんだか、自分の発言が、恥ずかしくて仕方がありませんでした。私のような旅ができるのは、所謂『先進国』で育った、世界でも限られた人々だけなのです。その事実を再認識しました。

バイク洪水警報発令中 

ベトナムと聞いて、どんな光景を思い浮かべますか?

 アオザイ美人? ホーチミン?(ベトナムの父ね) ベトナム戦争の映像?

 街中を溢れるバイクの流れを思い浮かべませんか?中国が自転車ならば、ここベトナムは、バイクです。HONDAのスーパーカブってわかりますよね?新聞配達のあれですよ。ベトナムでは、カブのようなバイクが主流です。排気量は、100~125ccぐらい。4サイクルエンジンの、日本でいうところの小型二輪です。

 3月14日、ハノイで見たバイクの多さにも驚きましたが、16日に到着したサイゴン(ホーチミン市)には、更に驚いた!!首都ハノイよりも、サイゴンの方が都会なんです。走ってるバイクの量も違います。

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写真1)サイゴン駅から、市内へ向かう。午前6時でもうこの交通量。

 ベトナムのラッシュアワーというと、早朝7時頃から始まる『出勤ラッシュ』。昼12時前から始まる『昼休みラッシュ』。そして、午後5時頃から始まる『帰宅ラッシュ』 この3つのラッシュアワーは、それはそれは、凄いことになります。バイクの洪水です。

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写真2)サイゴン市内の帰宅ラッシュ

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写真3)サイゴン市内の帰宅ラッシュ。別アングルから。


 3月24日夕方。自転車のメンテナンスを終え、新しいホイールの感触を確かめる為、自転車で外に出ました。ちょうど、帰宅ラッシュの時間帯だったため、5分もせずにホテルに帰ってきました。とても、通りを走る気にはなりません・・・。
 この街を出る時は、ラッシュの時間帯を避けて、午前8~9時頃に出発することにします。サイゴン駅に自右衛門号を引き取りに行った時も、その時間帯を狙っていきました。陽が高くなる前に出たいけど、7時代は恐ろしい・・・

自転車を引き取りに行きました 

 3月17日。私とは1日送れでサイゴン(=ホーチミン市)に到着した、相棒の自右衛門を迎えに、サイゴン駅に行きました。

 早起きして、8時前にはホテルを出発。駅までは歩けない距離ではありませんが、歩くと40~50分かかりそう。あまり好きではありませんが、バイクタクシーに乗ることに。

 バイクタクシー(通称バイタク)は、ベトナムでは、『HONDA』と呼ばれています。当初、ホンダのバイクが多かったからでしょう。ホンダの運ちゃんたちは、外国人だと平気で相場の2~3倍をふっかけてくるので、あまり好きではありません。これが当然の商売なんですけどね。値切って値切って、ようやく決まる値段は、地元民の1.5倍くらいが相場です。外国人だからショウガナイ?

 あ~ぁ・・・、自転車があれば、バイタクなんか乗らなくても、自転車取りに駅まで行けるのに・・・

 駅に到着。駅舎の隅の貨物窓口に向かいます。入り口付近で自右衛門を発見し、作業員を捕まえて、預り書の控えを渡し、立ち去ろうと思ったら・・・?「金を払え」と。んん???
 送料は、預ける時に払っています。奥のデスクで帳簿を付けていたおじさんに詰め寄り「なんでまた金を取るんだ!?」と怒りっぽく言うと。「保管料」と。保管ってったって、今朝の未明に到着して、4時間くらいしか保管してないだろうに・・・。
 とりあえず、引き取りの帳簿にサインをして、お金は払わず、その場で周囲の人々をしばらく観察することにしました。すると、皆、何かしらのお金を払っているんです・・・。どうやら、小遣い銭(ワイロ)ではなく、正規の保管料のようです。4時間の身元引き受け賃として、200円ばかりの『保管料』を払ってきました。

 相棒に跨り、市内へ。朝の通勤ラッシュの終わりかけ。それでも大量のバイクが通りに溢れています。ま、でも、これくらいの交通量なら、中国の都市部も同じです。難なくホテルに戻れました。
 17日から22日まで、自右衛門は、ホテルの1階の螺旋階段の下に保管してもらうことになりました。保管料は、もちろんタダ!!

 1日離れ離れになっただけですが、やはり、手元にあると安心しますね。

ハノイ~ホーチミン列車の旅 ~線路は続くよどこまでも~ 

3月16日付け『ハノイ~ホーチミン列車の旅 ~出発~』の続きです。読んでない人は、まずコチラ →http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/blog-entry-161.html

 3月15日午前6時、三段ベッドの一番上に寝ていた私は、お手洗いの為、蜘蛛のようにベッドを伝い降り、コンパートメントの外に出ました。用を済ませて戻ると、ちょうど客室係が朝食を持って、部屋に入ろうとしています。手には、6食ぶんのカップラーメン。これがどうやら朝食のようです・・・。「中の連中は寝てるから」と私が預かって、部屋に戻りました。目覚めた人から勝手に食べるだろう、とカップラーメンは、窓際のテーブルに載せて、再び蜘蛛になって最上段へ。

 二度寝して目覚めると、午前10時でした。下を覗き込むと、なんと、他の5人はまだ寝てる!!みんな若そうだったからねぇ・・・。20代前半ばかりといった感じ。良く寝るお年頃です。
 私が一番に起きて、朝食のカップラーメンを食べ始めました。おいしそうな臭いに誘われて、5人も起きてきました。そう、起きてもらわなきゃ、麺を啜ることもできない・・・。これで、ズルズルッと頂けます。

 昼ごはんは、すぐに運ばれてきました。私が、カップラーメンを食べ終わって30分後。ベトナム人青年2人がカップラーメンにお湯を注いですぐ・・・。早い昼食は、ご飯、鶏肉の煮込み、根菜の煮物、青菜のスープ。

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写真1)味は、まぁ・・・、普通。あるだけ有難い。
 

 食事が済む頃、だんだん車内の気温が上がってきました。南下してるんですもの、当然と言えば当然ですが。ハノイは、寒の戻りで肌寒かったんです。なんだか急に暑くなった気がして、夏に向かっているんだなぁ、とウキウキしてきました。
 大柄のオランダ人青年3人組は、読書に熱中。私は買い込んでいた絵葉書に手紙を書いていました。ベトナム人青年たちは、外の景色をボケーッと眺めています・・・。長い長い移動、ハノイ~ホーチミン市は、33時間かかります。時折、通路に出て、窓の外を眺めます。緑の田畑と小さな村が繰り返し繰り返し通り過ぎていきます。同じところを回ってるんじゃなかろうか?

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写真2)世界の車窓から。ベトナム・ダナン~クイニョン#1

 昼過ぎ、オランダ人3人組が、ダナンという町で降りました。代わりに乗り込んできたのは、ベトナム人青年1人。簡単な自己紹介をして、それで暇潰しは終わり。また長い退屈が続きます・・・。
 夕方、やはり、早めの夕食が運ばれてきました。飛行機の機内食のようなコンテナから出てきた弁当箱は・・・、昼食とおんなじじゃん!!全く同じなんですよね・・・。食事が最大の楽しみの私、ついつい車内販売でお菓子やらサンドイッチやら余計に買ってしまいました。

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写真3)世界の車窓から。ベトナム・ダナン~クイニョン#2

 日が暮れる頃、クイニョンという町で、ベトナム人一家が乗り込んできました。二組の夫婦とそれぞれの幼い子供が1人ずつ。6人用コンパートメントに、なぜか10人の乗客。子供は数えないにしても8人です。??しばらくしたら、ダナンで乗ってきた青年が下車しました。これで7人。子供を寝かせた母親に聞いてみました。「みんなこの部屋で寝るつもり?」意外なことに、返事は流暢な英語でした。「いいえ、一緒の部屋は取れなかったので、あとで別々になります。」しかも、その直後、日本語まで飛び出してくるではないですか!?「あなた、日本人ですか?」
 聞くと、この奥さん、大学で日本語を学んだらしく、かなり流暢な日本語を話します。日本語専攻でもないのに、大したもんです。英語と日本語とで、色々とベトナムの話を聞かせてもらいました。どこの町がキレイだとか、あれは美味しいだとか。ベトナム語で『自転車世界一周』という言葉も教えてもらいました。

 お喋りのネタも尽きてきました・・・、午後9時、少し早いですが、就寝の時間です。列車旅3日目は、未明にホーチミン市に到着します。予定では午前4時。6人の一家は、奥さんたちと子供たちは私の部屋に残り、旦那さんたちは別の部屋に移りました。
 2泊3日の列車旅、2日目は、なぁ~んにも!してないのに、眠れるんですよね。寝ようと思えば、眠れる。なんて素晴らしい能力でしょう。


 翌朝、午前4時前、軽快な車内放送で起こされました。目覚ましの音楽が鳴り響き、ホーチミン市が近いことが告げられました。しかし、到着は、4時を回っていました。50分近く遅れて、サイゴン駅(ホーチミン市)に到着。大きな大きな荷物の私は、一番最後に列車を降りることにしました。部屋で、一家やハノイから一緒だった2人のベトナム人青年に別れを告げ、サイゴン駅に降り立ちました。

 この旅初の列車移動。そして、久しぶりの超長距離移動でした。34時間の列車旅というのは、これまでの旅の中でも、最長だったのではないでしょうか。スーダンのワディハルファ~アトバラよりも、インドのデリー~ブッダガヤよりも、ヨーロッパのバルセローナ~ミラノよりも、長かったはずです。

 なんだかんだで、やっぱり疲れましたね。楽しかったけど。

路地裏の一日  / サイゴン 

 3月22日深夜。妹をホーチミン空港に送りに行きました。

 プロ添乗員&バックパッカー歴10年の兄に、マンツーマンでエスコートしてもらえるとは、贅沢な妹です。1週間だけでしたが、のんびり旅して、満足した様子で帰っていきました。

 さて、また自転車小僧に戻りました。

 3月23日。ホテルをお引越し。ひとりなのに、1泊10ドル(US$)のツインルームに泊まる必要はありません。サイゴン(=ホーチミン市、地元民は昔ながらの『サイゴン』を使います)のバックパッカー街、フォングーラオ通りから、一歩入った、ゴッチャごっちゃした路地裏の宿に移りました。シングルで、1泊5ドル。

 外国人向けのバーやレストラン、お土産屋が軒を連ねる、賑やかな通りの裏に、こんな素敵な路地裏があるとは・・・。「灯台下暗し」ってやつですね。迷路のような路地裏が続いています。外国人向けの『Room for Rent』(間貸し=まぁここでは「ホテル」と同じと思って下さい。)って看板を出した家がたまにありますが、表のホテル街とは、明らかに様子が違います。
 狭い路地には、この路地裏の住人たちが、溢れています。路地に面した家々は、ドアを開け放ち、家の中が丸見え。家の『外』と『内』の区別がない・・・。軒先(=道端)で食事をする子供。家の中で寝てるけど、足は道にはみ出してるおじさん。狭い路地に座り込んで、おしゃべりに花を咲かせるおばちゃんたち。
 狭い路地ですが、バイクは通ります。他には、ジュース売り、果物売り、宝くじ売り、廃品回収屋が独特の文句を謳いながら、路地裏を回っています。小さな売店がところどころにあり、道が少し広くなっているところには小さな屋台が立っています。

 こんな路地裏大好きです。なんでもっと早く移ってこなかったんだろう・・・

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写真1)携帯型ゲームに熱中するおじぃさん。3時間、ずっとこの姿勢でした。


 23日と24日は、日中のほとんどをこの路地裏で過ごしました。自転車の整備の為です。妹が日本から新しいパーツ類を沢山持って来てくれたので、パーツ交換もしなくては。
 実は、ホイールがかなり痛んでいたのです。『自右衛門号』購入時から、使っていたホイールなのですが、ハノイに到着した3月13日に、とうとう大きな破損が出てしまいました。ちょうど、換え時だと思って、新しいホイールを持って来るように頼んでいました。グッドタイミング!!

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写真2)後輪のスポークが折れ、リムのニップル穴が裂け始めてました。3月13日撮影。

 宿の軒先に腰掛け、メンテナンスの道具を広げて、作業開始!近所の大人たちは、私が自転車旅行をしていることを知っているので、「大変だねぇ」ってな感じで、たまに覗きにくるだけ。しかし、子供たち(小学校前の幼児)は・・・、邪魔なくらい寄ってきます。自転車のベルをチン!チン!チン!チン!鳴らしてみたり。空気入れで遊んでみたり。工具をひとつひとつ触ってみたり。私の顔を覗きこんだり・・・。
 夕方になると、小学校以上の子供たちが、一斉に帰宅してきます。路地裏を走り回る子供たちも、やはり私の自転車に目を留めますが・・・、長続きはしません。すぐにはしゃぎながら、友達と走り去ってしまいます。

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写真3)ホイール交換中

 う~ん・・・、やっぱり! こんな路地裏大好きです。明日(3/25)、サイゴンを出るつもりでしたが、1日延期します。

写真追加しました。 

3月14日付け『ベトナム到着』に、写真を3枚載せました。ご覧下さいまし。


これ→ http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/blog-entry-160.html

メコンデルタ 

3月18日、メコンデルタの中核都市/カントーに滞在中。

ホーチミン発、メコンデルタ1泊2日の現地ツアーに参加しています。今朝出発だったんですが、宿代、バス代、食事2回付きで、ひとり14$です。安いですよね。

ツアー2日目の明日は、夕方でツアーを離脱して、もう1日、カントーでのんびりして、明後日にはホーチミンに帰ります。

ブログのエントリー止まってますが、妹が帰ったら、ボチボチ書き加えていきますので。

ホーチミン市到着 

ひとまず、ご報告です。

今日、3月16日、34時間の列車旅の末、ホーチミン市に到着しました。久々にリュックを背負っての旅は、しんどかったですね。
昼過ぎには、福岡から到着した妹と合流して、夕方からブラブラ街歩きをしてました。

明日からの予定は未定。1週間、のんびり兄妹旅を楽しみたいと思います。

ハノイ~ホーチミン列車の旅 ~出発~  

 3月14日、午後1時、ベトナムの首都ハノイに到着。

 中国の大きな都市に慣れていた為か、ハノイ市街地は小さく感じました。でも、走っている二輪車の量は、負けていません。こちら、ベトナムは、カブみたいなバイクが庶民の足です。とにかく凄い交通量!!みんな器用にぶつからないように走ってます。
 ハノイで、まず向かったのは、鉄道の駅。このままホーチミン市行きの列車に飛び乗るつもりでした、早めに良い便を確保しなくては。自転車で駅舎に入ろうとしたら、警備員に止められました。やっぱり??「んじゃぁ、俺チケット買ってくるから、おっちゃん、こいつ見ててよ。」
 購入できたのは、一番旅行者に人気が高い19:00発の特急。1等寝台(2段ベッド)は、もう一杯で、二等寝台(3段ベッド)になりました。約5000円なり。33時間、2泊3日の大移動です。ベトナムは南北に細長い国ですから、ハノイ~ホーチミン市(サイゴン)は、1750kmも離れています。日本でいうと、福岡から仙台通り過ぎて、東北のどこらへんまで行きますかねぇ・・・?北海道まで行くかな?

 チケット抑えたし、ふらりと街へ。旧市街の一方通行をあっちこっち走り回って、街角の屋台でダラダラ食事して、ネットカフェ行って、アイス食べて。そうこうしてたら、そろそろ時間、17:00です。慌てて駅へ。
 今度はチケット持ってます。堂々と駅舎に入ろうとしたら、「自転車は、あっちの貨物受付だ!」と言われました。その貨物受付とやらに行ってみると、無愛想なおばさんたちが、伝票と睨めっこしてます。恐る恐る声を掛けて、自転車と一緒に電車に乗りたい旨を説明すると。「あんたの乗る列車には、貨物車は付いてないよ。自転車は、明日の貨物列車だね。」って・・・、えぇ~?自右衛門と一緒に乗れないの~・・・。
 仕方ないので、自転車に載ってる全ての装備を取り外し、無愛想なおねぇさんに、自右衛門を託してきました。自右衛門の運賃は、約1200円。頼むよ~ぉ、おねぇさん・・・。

 サイドバッグ2つ分の荷物を移したバックパック(パンパン!天蓋を伸ばしてるので多分80ℓ近い)を背負って、前にはハンドルバッグ、両手にサイドバッグを1つずつ・・・。全部で47kg、・・・重てぇ~!!以前、バックパック背負って旅してた時は、35kgぐらい運んでましたが、40kgオーバーは初めて。女性一人背負ってると思えば、大したことないはずですが、荷物だと重いのです。


写真1)ハノイ駅前、そろそろ時間!!

 駅前で、肉炒め2品と野菜炒め1品&ライス大盛りの豪勢な夕食を食べ、おやつと水を買い込んで、駅舎へ。出発の10分前に列車に乗り込みました。コンパートメントには、体の大きなオランダ人青年が3人。うっわ・・・、このコンパートメント、余計に狭くなりそう・・・。後の2人は、私よりも小柄なベトナム青年。それぞれと少しずつ話して、気が付くと列車は走り始めていました。

 この旅、初めての列車旅の始まりです。33時間後には、真夏のホーチミン市。

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写真2)荷物です。重くて、重くて、肩が痛い!! あぁ. . . 、ジエモォ~ン. . .

ベトナム到着 

ベトナム第一声

『フぅラぁンスパンが!!うんめぇ~!!』

 3月13日、中国からベトナムへ、無事入国を果たしました。

 中国側の国境は、『友誼関』といいます。宿泊してた憑祥(ピンシェン)の街から、18km走って、山間のゲートに到着。中国出国手続きは、簡単。
 ベトナムは・・・、簡単でした。ベトナムの観光ビザもってないし、自転車だから、何か言われるかと思っていましたが、どの係官も「JAPAN?OK!OK!」で終わり。味気ないくらい簡単でした・・・。で、ベトナム入国を果たして、初めの売店で食べたフランスパンの味に絶叫した訳です。フランス人が残した遺産、フランスパン。この味は本物です。

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写真1)『友誼関』ベトナム側より。でもこれが境界ではありません。実際の境界(国境線)は、次の写真!

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写真2)道路の変わり目。つまり、ここが国境線。自転車の前輪と私の右足は『ベトナム』、自転車の後輪と私の左足は『中国』を踏んでいます。

 国境からは、40km以上ある長い長い下り坂、東からの強い追い風も手伝って、時速30km以上のハイペースで走り続けました。
 途中、通り過ぎる町や村では、私を見つけた地元の人たちが、大きな声で「HELLO!!」 子供ばかりではなく、おじさんや、時には、おばあさんまで。気持ちが良いもんです。快く返事『ハロー!!』
 畑の向こうの集落、多分300~400mは離れてるでしょう、遠くたって、「ハァロァ~!!」絶叫にも似た挨拶が聞こえます。早く返事してあげないと、自分に気がついてないと思って、更に声が大きくなります。気がついてるよ・・・、私も大きく息を吸って、『はぁろぁ~っぉ!!』忙しいサイクリングです。

 結局、この日は、国境から120kmを走り、BaGiang(バッジャン)という町で宿泊。ベトナムの通貨は、ドン(VND)と言いますが、1US$=159.000VNDです・・・。桁が多くて、慣れるまでは大変です。バッジャンでは、商店街で、色々な物の値段を聞いて歩き回ってました。ドンに慣れるトレーニングです。どうやら、ベトナムは、中国の田舎よりも物価が高いようです・・・。といっても、日本とは比べ物にならないくらいの安さですよ。

 では、ベトナム旅の始まり始まりぃ~

 
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写真3)ちなみに。中国の出国審査はこんな感じでした。空港みたいでしょ? 審査場は、まだ建設途中のビルでした。
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