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誰か!!英語の話せる子はいないかい!? 

12月31日

 北京を出発して3日目、河北省の省都・石家荘まであと50キロ。定州という比較的大きな町にさしかかった頃、遠くに巨大な塔が見えてきました。
 どうやらこの定州は、歴史のある町のようです。ちょっと覗いてみることにしました。

 町の中心に入ると、あの巨大な塔は見えなくなってしまいました。適当に走っていると、市場に到着しました。土曜日とあって、露天も人通りも沢山!!塔のことは、どうでもよくなり、しばらく市場の散策をすることに。

 市場を歩くときも、自転車と一緒です。盗難の心配がある為、荷物を積んだ状態で自転車を放置することはできません。盗むスキを与えなければ、出来心で泥棒を働かせてしまう心配もありません。

 人ごみの中を自右衛門と一緒に散策、さて、なにが起こるでしょう?テンポ良く歩いている時は何もありませんが、立ち止まると、1人、2人、3人・・・、あら!もう囲まれた!!

 自転車の荷台には『自行車旅行世界的人』(私は自転車で世界旅行をしてます。)という大きな札を付けています。ただでさえ、目立つ格好に、この札とあっては、興味を惹かない訳がありません。
 さ、誰が来るの?おじさん?それともそこの若者??と待ち構えていると、きました!初めの質問。Q:「お前さん、どこから来たんだい?」

 中国に入国して2週間が経過、だいたい皆が聞くことは決まっているので、聞かれそうな質問の答えを全て中国語で覚えました。
 A:「日本人です。名前は伊東心です。自転車で、3年かけて世界を旅します。
今日は○○まで走ります。1日120Kmぐらい走れます。3年間で3~4万㎞は
走ります。中国は、あと××と△△と□□と☆☆を訪れる予定です。職業は写真
家です。旅の資金は、貯金と写真の売り上げで賄います(正確ではありませんが、
こう言った方が説得力があります)。今27歳です。独りで旅行をしています。」

 これだけ話せば、次の質問はほとんどありません。皆さん、『がんばれよ!』ってな感じで、親指をグッ  で、解散。


 でも、このおばさんたちは違いました。


写真)好奇心旺盛なおばさんたちと通訳の青年

 私の一方的な自己紹介の後も、いろいろと質問が続きます。Q:「ご飯は食べたかい?」「昨日はどこに泊まったんだい?」「自転車は何キロあるんだい?」「中華料理は好きかい?」などなどなどなど。

 筆談での会話が行き詰まった頃、おばさんの1人(写真右端)が、周囲の人々に向かって大きな声で話しかけ始めました。

 「誰か!!英語の話せる子はいないかい!?」「大学生はいないのかい!?誰か連れて来とくれよ!」

 しばらくして、おっ、来た来た、通訳君!市場の片隅の屋外ビリヤード場で遊んでいた大学生が連れられてきました。
 特別英語が堪能という訳ではありませんでしたが、私の中国語に比べると100倍話が通じます。通訳を介して、おばさんたちの質問は続きます。結局、このおばさんたちとは、30分ぐらい一緒に過ごしました。焼き芋をご馳走になり、コーラまで買ってもらっちゃいました。

 あれから2週間経ちますが、通訳を探してきたのは、このおばさんだけですね。
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うさぎさん 

12月31日

  保定の市場でこんなものを見かけました。


写真)うさぎ、ウサギ、兎

 とにかく、うさぎだらけです。どこの市場でも大抵そうですが、ある程度かたまったエリアに同じ商品が並びます。ここは『うさぎ売り場』

 何の為のうさぎさんかは言うまでもないですね。どれも丸々と太っています。時折、田舎で見かける野うさぎよりも一回り大きいです。

            
 

2005年最後の太陽 

 12/31、この日も地平線には濃い霞がかかっていました。午後4時半頃、太陽は霞の中に沈んでしまいました。これが2005年最後の太陽。

 そういえば、日本人は初日出には強い思い入れがありますよね。では、大晦日の夕日はどうでしょう?? 私は夕日好きなので、沈む瞬間はなるべく見るようにしています。この日は、ことさら、しみじみと太陽を見送りました。

 今年もありがとうございました。


写真)霞の中に溶ける太陽。この後も1時間はぼんやり明るいです。

張飛さん 

三国志は好きですか??

 私は一度も読んだことがありません。三国志を題材にしたマンガは多いので、少しつづ読んだことがありますが、完読はしたことありません。

 12/30、張飛故里というところを通りました。あの張飛?? と思って、通行人に聞いてみましたが、どうやら、あの張飛さんのようです。


写真)張飛さん。地元中国では、こんな感じでイメージされているようです。

 興味がないわけではありませんが、三国志にそれ程の思い入れがあるわけでもありません。上に掲載した像から2kmぐらいのところに、張飛廟なるものがあるらしいのですが、幹線道路から離れていたので行きませんでした。もったいなかったですかね??

三国志好きの方からのお叱りは、勘弁してください。馬の耳に何とかです。

酒飲み 

 私は、生まれも育ちも血筋も九州人です。九州以外の土地の方とお酒を飲む時は、「飲めるんでしょう??」と勧められることが多いです。確かに、飲みはしますが、強くはありません。

 自分の飲める量は、だいたい知っています。ビールだけだとナマ(中)で5-6杯で限界。日本酒だけでは3合で限界。焼酎はあまり飲みませんが、3-4杯でしょう、これ以上飲むと頭が痛くなるので、深酒をすることはありません。記憶が飛ぶようなこともないし、千鳥足になることもない。

 そんな私ですが、旅行中はあまり飲みません。この数年はイスラーム地域を旅することが多かったことも理由ですが、飲まないなら飲まないでも平気なんです。

 逆に、飲み始めると飲み続ける傾向にあります。最近、飲む日が多くなってきました。北京入りした12/24ぐらいからでしょうか、夕食のお供にビールを1本だけ。北京で滞在していたのは、下町にある欧米人バックパッカーに人気の宿。ちょうどクリスマス休暇のシーズンだったので、飲む相手には困りません。

 12/28は北京最後の夜。同室のヨーロピアン3人と近くのバーに飲みに行きました。中国に留学中のフランス人青年2人、11月までラインダンスの公演で日本各地を回ってアイルランド人女性;デヴィ。英語と中国語が共通語という不思議な会話を楽しみながら、気がつくと午前3時・・・。足元には、青島ビールの空き瓶が沢山転がっていました。


写真)飲む量が増えてきてる。良くない傾向ですなぁ・・・。

 12/30、北京を出て2日目の晩、河北省の唐具という地域の小さな村で宿泊しました。一晩15元の簡易宿泊所に泊まることになり、夕食は宿のおじさんが勧めてくれた近所の食堂へ。日没が早いため、午後6時前には店はお客でいっぱいになりました。皆、仕事帰りに食事に来たという感じ。
 混雑してきた店内、同席となった地元のおじさんたちと片言中国語と筆談で会話してました。いつの間にか、地元のお酒が登場し、私の前にグラスが。グラスの中には、半分くらいの透明な液体が・・・(焼酎?)。

 ところで、中国式の乾杯って知ってます?? 杯を乾すんです。一気飲みして、空になったグラスを見せ合うというのが中国式です。

 何回やったでしょうか? 4回だったでしょうか。きついお酒で乾杯しました。おじさんたちは、一足先に店を出ていきましたが、私の頼んだ料理の代金まで払ってくれていました。
さて、宿に戻ろうかと立ち上がったところ、あれ?? 足がもつれる・・・。目まいがする・・・。 当たり前です、あのお酒は アルコール度数48%もあったのです。

 限界を超える量を飲んでしまいました。ふらふらしながら、なんとか部屋に戻り、服も着替えず、6時半には床に就いてしまいました。翌朝起きたのは8時、たっぷり13時間以上寝てました。

少し酒は控えることにします・・・

北京の自転車屋さん 

12月28日、翌日の北京出発前に自転車のメンテナンスをしました。きれいに洗って、油をさして、ネジやニップルを締め直して、さて・・・、バーエンドに巻くバーテープを買いに行かなければなりません。

 マウンテンバイク(=MTB)とかに乗らない方には、分かりにくいのですが・・・、MTBのハンドルの端っこに付けるグリップがバーエンドです。それにバーテープ、つまり滑り止めのテープを巻きたいのです。通常バーエンドにはバーテープは巻きませんが、手袋をしているとはいえ、金属性のバーエンドを掴んでいると手が冷たいんです。韓国を走っている時から、バーテープの必要性を感じていました。

 ふらりと市内へ。2-3kmも走ってないのに、ある!ある! 自転車屋さん!! 数件通過して、1番大きな店に入りました。どうやらGIANTの直営店のようです。GIANTは台湾の自転車メーカー、台湾製と思って見くびってはいけません! 世界最大の自転車メーカーなのです。日本でもよく見るでしょう?

 中国で見る海外ブランドの自転車はGIANTぐらいしか見ません。他にも入ってきてるんでしょうけど、都市部ではとにかくGIANT車が多い。2カ月ぐらい前に仕事で台北行ってましたけど、これほど多くは見ませんでしたね。

 店内に入ると、店員さんが(もちろん)中国語で話しかけてきます。何かお探しですか??ってな具合でしょう。拙い中国語でどうにかこうにか自己紹介。[私は日本人なんです。中国語は少しだけ話します。自転車で世界旅行しています。今日は、えぇーとバーテープが欲しくて]伝わったのか、伝わってないのか、店員さんが沢山集まってきました。

 あっ! 伝わってる! 良かった、バーテープを持ってきてくれてます。無事買い物できたところで、恒例になってきました、質問の嵐です。

Q:仕事は何ですか?
A:えぇーとね、無職です。難しい質問だなぁ・・・、写真家にしといて、写真家。
Q:何歳ですか?
A:27歳です。
Q:どこから来ましたか?
A:どこから?日本の家は福岡です。韓国を走って、中国は秦皇島からスタートしました。
Q:自転車は何ですか?
A:自転車? それなら、店先に停めてるから持ってくるよ。

 店内に私の自転車、自右衛門号を入れると、若い店員さん3名に加え、店長さんまでもが、自右衛門号を囲んで、騒ぎ始めました。

 叩いてみる。握ってみる。抓んでみる。持ち上げてみる。1つ1つのパーツのメーカーを読み上げる。皆、目がキラキラしています。よっぽど珍しかったのでしょう、説明が面倒臭くなるくらい色々と聞いてきます。

 30分くらい自転車談義に花を咲かせ、店を後にしました。なんだか、自右衛門君に喜んでもらえて、嬉しかったですね。


写真)若い店員さん、17-21歳だそうです。

北京を出ます 

明日、12月29日に北京を出発し、一路、西安を目指します。2週間くらいかかると思いますので、この間のブログのエントリーは難しいと思います。西安までは、石家荘、鄭州を経由していきます。


たぶん、これが年内最後のエントリーになるでしょう。みなさん、良いお年を!! 来年もよろしくお願い致します。

宣伝です 

1月10日より、西日本新聞さんで私の連載『地球みちばた見聞録』が始まります。

自転車旅の特性上、隔週連載で火曜日の朝刊生活面に載ります。また、掲載された記事は、西日本新聞社ホームページにもアップして頂ける予定なので、福岡・九州以外の地域にお住いの方もご覧いただけます。

ご覧くださいませ☆

万里の長城ハイキング  

 万里の長城は、最東端の老龍頭と山海関で見ましたが、入場料が支払えなかったため、長城を歩いてませんでした。だから、12月27日、ハイキングツアーに参加してきました。

 北京郊外の長城というと八達嶺長城がもっとも有名ですが、このツアーは、あまり修復がなされていない司馬台長城に行くコースです。しかし、ツアーといっても、ガイドが付くわけではありません。車で金山嶺長城というところの近くまで連れていってもらい、司馬台長城まで片道4時間各人でハイキングを楽しんで、司馬台で待ってる車で帰る、というツアーです。交通費のみで90元。

 朝6時半に宿を出発、14人の外国人観光客を乗せたバンは、3時間ノンストップで金山嶺長城の麓の村へ。車を降りると、村人たちが私たちを待ち構えていました。ドライバーに司馬台での集合場所を説明してもらい、さて、ハイキング開始!!

 村から金山嶺長城までは30分の山歩き。村人たちが勝手に先導してくれます。どうやら、ガイドをしてあげるからお土産を買ってくれ、という作戦のようです。私たち14人の観光客に対して、9人村人が同行していました。
 歩き始めて20分ほどで、見えてきました、 険しい峰々の頂を結ぶ長城!! 入口にはチケット売りのおじさんが。入場料は30元。いよいよ、長城ハイキングです。皆、寝起きで黙々と歩いてきましたが、目の前に広がる険しい山々と遥か彼方まで延びる長城に興奮!!
 道は一本道、なにも14人で一緒に歩く必要はありません。各人で東へ10kmの司馬台を目指します。私は、宿の同室のアメリカ人・ダレン君と着かず離れずの距離で歩いていました。で、私の隣には、村人/揚さん(女性/私と同じ歳)が・・・。いったいどこまで着いて来るのでしょう?


写真1)きつい登リ坂。同行の村人たちが励ましてくれます。

 きつい登り下りを繰り返し、時折立ち止まっては、風の音を聞きます。左手(北)は、かつてのモンゴル、右手(南)は中国、私は今、明代の国境線に立っているのです・・・。このあたりの長城は、あまり修復がなされていないため、かえって雰囲気が出ていて参加者皆に好評でした。
 頑張って長い坂(階段)を登ると、ちょっと休憩。近くを歩いていた数人が集まって、感想を述べあったり、出身国を聞いたり、お菓子を食べたり。体が冷える前に立ち上がって、再び歩き始めます。振り返ると、ずいぶん歩いて来たもんです。


写真2)振り返ると・・・。赤い矢印のあたりから歩き始めました。ここで全行程の半分を過ぎたくらい。

 しかし、村人たちはいったいどこまで着いて来るのでしょうかねぇ?? もう司馬台長城も見えてきてきてるのに・・・。と思ったら、動きが!! 揚さんが「もう帰らなければならないから、先導のお礼に何かお土産を買ってちょうだい!」と言ってきました。鞄から出てきたのは、本とT-シャツと絵葉書、どれも相場の2-3倍の値段です。自転車旅行なので日本へのお土産は買って帰れない旨を説明し、絵葉書だけ買いました。値段??は内緒です。北京市内のレストランでチャーハンが食べれる程度の金額です。絵葉書だけでは、割に合わないのでしょう・・・、ちょっと不服そうでしたが、揚さんは来た道を引き返してゆきました。

 司馬台長城の一際険しい峰々が近づいてくると、長城ハイキングも残り僅か。皆、名残惜しみながら険しい坂を下り、司馬台長城入口から外に出ました。観光地として言うところの司馬台長城は歩いていませんが、十分に楽しいハイキングでした。途中、他の観光客に出会うことは一度も無く、あるままの長城を満喫できたツアーでした。

 帰りの車の中は、もちろん皆、熟睡・・・zzzZZZ

紫禁城に行ってきました 

 『ラストエンペラー』という映画は見たことがありますか? 私は、何度か見てますが、詳しいところまでは記憶していません。でも、舞台となっている王宮の様子は良く覚えてます。その王宮こそが、紫禁城です。12月26日、ふらりと出かけてきました。


写真1)紫禁城で最大の『太和殿』 ほら? 見たことあるでしょう?

 明代・清代の王宮ですが、今では、故宮博物院として知られています。毎日多くの観光客が訪れる北京最大の目玉です。全てを説明してても切りが無い、というか、無理です。とにかく荘厳な建築物と、王宮の収蔵品が目白押しです。
 太和殿は、王宮の正門である『午門』をくぐり、さらに『太和門』を抜けると、正面にドドーン!!と現れます。ここは、皇帝の即位の儀式、遠征の出陣式などで使われたところだそうです。広大な広場に立ち、目を閉じて、映画のシーンを思い浮かべます。何千・何万という参列者の中に私がいます。正面の太和殿には、幼い皇帝の姿・・・。 目を開けると、現在の風景、観光客でいっぱい。

sashikaeshyashin4.jpg
写真2)これが皇帝が見ていた風景ですよ。

 太和殿の後ろには、さらに中和殿と保和殿があります。ここまでが外朝、つまり国家的行事や儀式の場。さらに奥には内朝は、王宮で暮らす人々の生活の場です。

 主だったものを見て歩くだけで4時間半かかりました。もっとしっかり見学するなら1日がかりですね。この日の気温は3-4度と暖かかったのですが、それでも歩き回っていたら、温かいものが飲みたくなりますよね。喫茶店を探していたら、凄いのを発見しました。


写真3) 左の建物、スターバックスですよ。侮り難し、紫禁城・・・。

 またいつか、今度はもっと中国史を勉強してから見学に来たいですね。

中国のポスト 

 中国の郵便局のイメージカラーは緑です。ポストも緑。

 万里の長城ハイキングで買った(買わされた?)絵はがきが沢山あるので、2日に1枚のペースで手紙書いてます。

 切手代が結構かかるんですよね。海外はどこでも4.8元(70円ぐらい)。物価が安いだけに高く感じます。


写真)見慣れるまで時間がかかりました。つい、「赤」を探してしまいます。

中国の犬 

 あなたは犬派ですか? 猫派ですか?

 私は犬派ですね。私を動物に例えると? という質問をして最も多い回答は柴犬です。犬ではありませんよ、柴犬。具体的に犬種まで言われます。だから、犬には親近感を覚えますね。

 中国の犬ですが、今のところ、シーズーみたいな小型犬が一番よく目にします。シーズーって確か、もともとが中国の犬ですよね? 大型犬では、シェパードみたいなのをよく目にします。『みたいなの』と使うのは、雑種と思われるからです。シーズー系の雑種、シェパード系の雑種。
 中国の犬というと、チャウチャウを思い出しますが、まだ見てません。聞くところによると、けっこうな高級種なんだそうです。

 犬は・・・、この国では食用でもありますよね・・・。韓国もそうですけど。ときおり、市場などで目にすることがあります。でも、無理です。私にはとても・・・。 私は、馬も兎も鳩も駱駝も蛇も蛙も平気ですが、これだけは勘弁して下さい。

 今後とも、犬たちとは仲良くしていきたいと思います。

 だから、自転車を追いかけないでね
 噛まないでね

ぷちトラブル #02 

12月22日の晩の出来事。秦皇島でお世話になっていた千さんの家を出発し、中国で初めて宿泊施設に泊まった夜。

102国道沿いのトラック運転手向けの安い旅館に泊まりました。宿の管理人の家族は、温かく迎えてくれました。おそらく日本人、いや外国人観光客を泊めたのは初めてでしょう。

近所の食堂で夕食を済まして部屋に戻ると、私の噂を聞きつけた他の宿泊客が待ち構えていました。筆談で、自己紹介や中国国内での予定について説明すると、納得して自分たちの部屋に帰ってくれました。

シャワーなんてない安宿です。食後、早々に床につこうと寝袋を広げたら、また訪問者が・・・。ドアを開けると、皮ジャンを着た厳ついおじさんが立っていました。彼もいろいろ質問をしてきます。しかし、どこかおかしい。何かとしつこく聞いてきます。

Q:目的は?
A:目的??・・・。観光旅行ですよ。
Q:そうじゃなくて、何かあるだろう?
A:うぅーん・・・、ブログとか新聞・雑誌で旅の具合を伝えるのが目的かな。
Q:では、その証明は?
A:証明なんかないよ。あっ、おじさんパソコン持ってるなら、このアドレスたたいてみてよ。
Q:新聞社の証明書がないなら、身分証は?? 身分証を見せろ! 身分証を!!
A:あっ おじさんもしかして、公安?? ポリスマン??

というわけで、中国公安警察の方でした。滅多に外国人が訪れない地域に宿泊すると、このような事態になります。始めから公安と名乗ってくれたら早かったのに・・・。

結局、パスポートを見せて一見落着。公安のおじさんは苦笑いしながら帰っていきました。

ぷちトラブル #01 

12月20日のことですが、韓国から中国へと渡るフェリーの中で、『かっぱえびせん』を食べていたら、銀歯が外れました。

普通のかっぱえびせんですよ、日本のと同じですよ。

あれから一周間、外れたまま食事してます。明後日、北京の歯医者さんで固定してもらってきます。

歯科は、旅行保険が効かないから困るんですよね・・・・

天安門前にて 

 12月24日、北京までの最後の100km。宿泊していたホテルを出発して間もなく、天津市へと入った。前日までのような見渡す限りの田園風景はもうなく、徐々に建物が増えてくる。片側1車線だった102国道も片側2車線の立派な道になり、首都が近いことを予感させる。 天津市の北を抜け、河北省の小さな町をいくつか抜け、走り始めから70kmで、ついに北京市に!!

 市境を越えた途端に、道を見失ってしまった・・・。北京市内に『北京まであと何km』という標識があるはずがない。この日の最終目的地は天安門広場、私が最も北京を象徴する場所と感じるところ。しばらく、方角と勘だけを頼りに走り続け、20kmほどで建国路に出た! これなら知ってる、天安門前を走る大通りだ!

 日も暮れ、通りは仕事帰りの人々で混雑し始めた。明らかに昨日まで接してきた人々とは雰囲気が違う。例えるなら、昨日まで昭和30年だったのに、今日になったら平成17年になっていた、という感じかな。近代的なビルに驚き、マクドナルドやスターバックスがあることに驚き、銀行のATMが故障していないことに驚いた。現在の北京では全て当然のことなのだろうけど・・・、地方とのギャップに驚いた。

 標識に『天安門』の文字を確認してからは、足に力が戻った!! 一心不乱にペダルを回し、最後の8kmを一気!!

 ライトアップされた、毛主席と対面。おぉ・・・! 天安門だぁ~!!。


写真)天安門前にて、毛さんと

 観光客で溢れかえる天安門前、明らかに、その場から浮いている私の姿は、すぐに注目を集めてしまった。特に地元の北京っ子から質問の嵐。若者の多くが英語を話すことにも驚いたが、皆が携帯電話のカメラで私の写真を撮っていることにも驚いた。

 北京、なんだか凄いところに来てしまった気がした。田舎が恋しいよう・・・

102国道 

 秦皇島から北京までは、102国道(国道102号線)を320km程走ってきました。

 走行開始は朝8時半頃。その時間帯、国道は職場や学校に向かう多くの自転車が走っています。
 朝の冷たい空気の中、皆、真っ白な息を吐きながら、必死にペダルを踏んでいます。私の存在に気がつく人はあまり多くありません。見かけない自転車で、サングラスをかけた、ちょっと怪しい男が隣を走っているというのに・・・、朝は余裕がないのでしょう。

 通勤通学ラッシュが終わるとしばらく独り旅になります。たまに重そうな荷物を積んだ3輪自転車を追い抜くぐらい。あとは、トラックや乗用車に追い抜かれるだけ。

 昼前、再び自転車の数が増え始めます。大人はあまりいません、いるのは小中学生ばかり。午前の授業を終えて、昼食の為に帰宅しているところだそうです。
 子供たちは、クラスメイトでしょうかね、数人のグループで楽しそうに話しながら自転車を走らせています。そして、ひとりが私を見つけると、「ねぇ!ほら!! 何か変な人がいるよ!!」 (とでも言ってるんじゃないですかね・・・)、「ハロー」と声をかけると、外国人だとわかるのでしょう、おどおどしながら「ハロー」と返してくれる子もいます。
 元気な男の子の中には、一生懸命私についてくる子もいます。私の走行速度はだいたい時速20-25km、まぁ、ついてこれないスピードでもありません。追い掛けてきている気配を察して止まると、中国語で何か話しかけてきます。私の拙い中国語で、「日本人だよ。自転車で世界を旅してるんだ。これからヨーロッパまで走るんだよ。」伝わったんだか、伝わってないんだか・・、理解してんだか、してないんだか・・、ニコニコしながら聞いてくれます。

 午後2時頃、再び通学の列を見ると、またしばらく独り旅。農閑期で畑にはほとんど人影がありません。しずかな田園に、3輪トラックの単気筒エンジンの音だけが響きます。日本も40-50年前はこんな感じだったんでしょうか。ボン!ボン!ボン!ボン!ボン!

 午後5時、日が沈み徐々に暗くなってゆく通りに、家路へと走る自転車の列ができます。みんな無灯下、ライトをつけてるのは私だけ。私も日が暮れる前に今夜の宿を見つけなければなりません。いよいよ暗くなってきたところで、旅館を発見し、一日の走行が終わります。


写真)昼食のために帰宅する子供たち

幻の最東端 

 12月21日、万里の長城が始まるところ、『老龍頭』というところに行ってきました。

 万里の長城といえば、険しい峰々の稜線に建つイメージがありませんか?? 私はそうでした。でも、ここは違うんです。海にあるんです。ほら!!

写真)ぼっ海にせり出す老龍頭

 正確に言うと、海にせり出している長城です。ここから、万里の長城が始まり、西へ西へと万里延びていくわけです。

 秦皇島の街から片道25kmのサイクリング、カメラとお茶と飴玉だけ持ってお出掛け。走り始めて10kmほどで気がつきました。あっ、人民元に両替してない!! この日は中国入国翌日、まだ両替してなかったのです。でも・・・まぁいいか、お茶もあるし、昼ご飯の前にどこかで両替すれば良いか、と軽く考えてました。
 が!! 簡単には両替できないんですね・・・。老龍頭の手前6kmほどのところに山海関という町があります。ここは万里の長城の初めの関所がある町として知られています。山海関なら観光地だし、どこかのホテルで両替してくれるだろう、と何カ所かあたってみましたが、どこも両替拒否! 中国のホテルは宿泊客にしか両替してくれません。

 というわけで、無一文で老龍頭に到着。入場料を払えないので、外側からの見学となりました。長城に沿って海に出ると、見えた!老龍頭!! ちょうど干潮だったため、すぐ近くまで歩いていくことができました。

 老龍頭とぼっ海を眺め、しみじみ。

 あぁ、ここ古代中国最東端の地なんだなぁ・・・
 あっ!! そういえば、俺の旅の最東端でもあるのか・・・ ここからひたすら西に走るんだなぁ・・・

 そう思うと、ここが特別な場所に思えてきて・・・、空のフィルムケースにぼっ海の海水を入れて帰ることにしました。帰り道、蓋が取れないよう胸ポケットに入れ、お世話になっている千さんの家に戻ってから、ビニルテープで厳重に蓋を固定しました。これでOK

 それから4日後、北京の宿で地図を広げてこれからの旅の計画を練っていると、気がついてしまったんです

 今回の旅の最東端は、福岡市なんです。厳密にいうと、博多区の博多埠頭が今回の旅の最東端だったのです。でも、いいんです。大陸に渡ってからの最東端ということで。

自転車天国 

 さすが!! 3億台の自転車を有する国、中国!!

 まだ中国では400km程しか走っていませんが、これまで必ずと言っていい程、自転車用の車線があったので、とても走りやすかったです。

 田舎では、いわゆる人民自転車が多いです。町では、ママチャリやマウンテンバイク、都会ではロードレーサーまで目にします。そして、以外に多いのが、電動自転車!!

 日本よりも多いですね。これがけっこう速いんです。漕いでないときでも時速20kmは出てます。漕いでる時は、時速30km近く出てますね。

 うぅーん・・・、侮り難し!! MADE IN CHINA


写真)60歳くらいのおじいさんに追い抜かれた。電動自転車は速い。

中国の走り始めはココ! 

中国に到着した夜、フェリーターミナルから、自転車をタクシーに積んで千さんちまで移動したので、
翌日、自転車に乗って、フェリーターミナルまで戻りました。

出入国などの都合で走行できない区間(例えば出国手続き後、フェリーや飛行機までの移動など)は、仕方がないとして、走れる区間は自力で走って、自転車のタイヤが刻む轍を一本の線にしてポルトガルまで結びたいと思います。

だから、中国の走り始めはココ!!


写真)秦皇島のフェリーターミナル

荷物はこんな感じです 

荷物はこんな感じで積んでいます。
20051224221021.jpg
写真)秦皇島-北京間移動中

 後から説明していきますか。サイドバッグは信頼の厚いドイツ製のオルトリーブです。2個で50リットル近い容量だと思います。完全防水!!摩擦にも強い!! 主に衣類や書籍、予備パーツ、フィルムやMDなどが入っています。

 そのオルトリーブの上の黄色いのには、60リットルのバックパックが入っています(中には、予備タイヤが一本入ってるだけ)。荷物が増えた時や、自転車を降りて旅をする時に使います。

 前を見ると、サイドバッグはオーストリッチの定番のやつです。(品名忘れました)。防水ではありませんが、シンプルで丈夫で使い勝手は良いです。2個で35リットルぐらいだと思います。主にキャンプ用品や食糧、工具などが入っています。

 ハンドルには、完全防水のハンドルバッグを付けてます。カメラやMDプレイヤー、ガイドブックなどが入っています。その下には、見えるかなぁ? オレンジ色の筒型のボトルケースを固定しています。これには、コンロ用のガソリンボトルが入ってます。

 他、ハンドルに500ml用のボトルケージを2個と、フレームに1.5リットル用のボトルケージを付けてます。

 今のところ、自転車を含めた全体の重量は、60kg といったところでしょうか。

お宿いろいろ 

どんなところに泊まってるのか? 気になっている方も多いでしょう。
いくつかご紹介しましょう。

こんなところに泊まっています。


写真1)韓進荘(ハンジンジャン)ホステル
韓国・慶州で2泊しました。世話好きで日本語と英語が達者なおとうさん(クォンさん、写真右)がやってる旅館。日本のちょっと古いユースホステルといった感じ。1泊:25000ウォンのところを20000ウォン(2400円)にまけてもらった上、オンドル部屋を与えてもらいました。


写真2)ソウルバックパッカーズホステル
ソウルで5泊しました。世界中から若者が集まります。欧米風のユースホステルといった感じ。6人ドミトリー。1泊:17000ウォン(2050円)。


写真3)東元飯店
中国・秦皇島~北京の3日間の移動、1日目に唐山市郊外で宿泊。主にトラック運転手向けの簡素な宿泊所です。3人ドミトリーを独りで使用。公安(警察)が尋ねて来たり、トイレが凄かったり、何かと大変でしたが、感じの良い管理人たちでした。1泊:15元(220円)。


写真4)テント泊
これから一番お世話になるお宿でしょう、確実に。アライテントのエアライズ2-3人用です。重さは1680g。何泊でも無料。氷点下ではあまりキャンプしないつもりです。

他にも、招いてくれた地元の人の家や、モーテルとかにも泊まってます。今のところ、驚くような場所には宿泊してません。今後、素敵なお宿や驚きのお宿があったら、必ずご紹介します。


メリークリスマス!! 

ひとまずはご報告です。24日の今日、北京に到着しました!!

大都会っぷりにビビっています。ここ1週間の記事をこれから随時書き込んでいきます。

千(CHUN)さん一家 

 中国秦皇島市で、私を自宅へ招いてくれたのが、同市在住の韓国人、千(CHUNさん)。彼とは、秦皇島までの国際線フェリーの中で知り合い、泊まる場所が決まってないなら、と誘ってくれました。実は、彼の前にも、池(CHI)さんという中国の方から誘われていましたが、コミュニケーションが上手くいかず、英語のできる千さんにお世話になることになりました。

 千さんは、熱心なクリスチャン。中国でのキリスト教活の布教活動を援助すべく、4年前、一家でこの地に渡ってきたそうです。当初はほとんど中国語が話せなかったそうですが、今ではペラペラ、時折、英語と中国語がちゃんぽんになってしまうこともあります。それだけ熱心に勉強してということなのでしょう。とっさに出るのは、この4年間全く使わなかった英語よりも、中国語というわけです。
 家族構成は、千さんと奥さんと15歳のひとり息子。秦皇島市中心部の新しいマンションに住んでいます。仕事は韓国系の家電メーカーで働いているそうです。

 千さんの家では2泊お世話になりました。初日の晩、奥さんと息子さんは、私が来ることを知らなかったようで、驚いていましたが、快く迎えてくれました。
 千さんとは英語で会話し、奥さんと息子さんとは、中国語と英語と韓国語と筆談を駆使して何とかコミュニケーションをとっていました。それぞれの家族のこと、故郷のこと、旅の話、中国の話、などなど、話は尽きません。

 3日目の朝、私が出発する前にみんな揃って記念写真を撮りたかったのですが、寝坊した息子さんは、慌ただしく学校に行ってしまいました。

 千さん一家とは、またどこかでお会いする機会があるでしょう。そう願っています。



写真)千さん夫婦。 お世話になりました。ありがとうございました。

中国上陸 

19日、仁川発の秦仁号に乗って 、20時間後、中国 / 秦皇島に到着。船の中で知り合った 千さんという秦皇島在住の韓国人のお宅にお世話になっています。

ひとまず、今日はご報告まで。明日から4ー5日かけて北京を目指します。目標は、最低でも金メダルです。ここ数日の詳しいことは、北京で落ち着いてから書き込みます。

旅のルート(予定) 

旅のルートを紹介していませんでしたね。

地図で見ていただくのが解り易いでしょう。


図)こんな感じです。

赤い線は自転車で走行するところ。
青い線は、自転車以外の手段を考えているところ。

日本から、韓国、中国と線を辿っていって下さい。西へ西へと走って地球を一周する予定ですが、正直なところ、ユーラシア大陸横断(一番長い赤線)以外は、かなりアバウトに線を引いています。

近い予定は、右側にある、こちらをクリックして頂けると判ります。




予定は予定です。予定が狂うのも旅の面白いところです。

秦仁号 (Qin-in Ferry) ・ 中国入国 

 仁川~秦皇島は20時間の船旅。1日目は出港後まもなく温かい寝室で床に付き、2日目は朝8時に目が覚めた。乗船後寝室に入ってみるとすでに寝ていた中国人(らしき)おじさんは、まだ寝ている・・・。

 薄暗い部屋で過ごしていてもつまらないので、ガイドブックや筆記具を持って船内を歩き回ることに。乗船口に置いといた自転車には、韓国語で書かれた『私は日本人です。伊東心といいます。自転車で世界を周る旅をしています。』のメモに加え、中国語ででも同様のものを張り付けた。
 中国語のメモを書いてくれたのは、池(CHI)さんという朝鮮族の中国人のおじさん。仁川のフェリーターミナルで声をかけられ、旅の予定を話しているうちに、このメモを書いてくれた。彼は、秦皇島に住んでいるらしく、自宅に泊まりに来ないかとまで言ってくれました。

 秦皇島到着は午後7時の予定。朝昼の食事は船内で取らなければなりません。が、手元には、わずかな韓国ウォンが残るのみ。中国元もありません。食事は、1食4000ウォン・・・、カップラーメンで我慢するか、と覚悟を決めたところで、客室常務員から呼び出されました。何事??
 オフィスに行くと、出てきたのは料理長、なんで食事をしないのか?? とのご質問。お金がない旨を説明すると、料理長のご好意で、2食で3000ウォンで良いとのこと。カムサハムニダ! 謝謝! 乗客は韓国人か中国人、それ意外は私だけ。自転車旅行ということもあってか、皆さんに良くして頂きました。

 日中は、バーラウンジや図書室(漫画ばかりですが)で、中国へのパック旅行に参加している韓国人の若者たちと語らったり、中国での計画を練ったりして過ごしました。
 日没後、急に周囲が慌ただしくなり、到着が近いということを知る。デッキに出てみると、怪しいモヤに包まれたコンテナターミナルに接岸間近。

写真1)秦皇島到着! そこに街灯りはなく、巨大なクレーンとコンテナの山が出迎えてくれた。
 急いで荷物をまとめ、池さんを探す。ようやく見つけ出した池さんは、船内で知り合ったという韓国人のおじさんと語らっていました。この韓国人のおじさん、千(CHUN)さんは英語も達者で、なにやら池さんに代わって、私を家に招きたいとのこと。どうやら、2人の間で話はまとまっていたらしく、私は、この千さんの家にお邪魔させていただくことになりました。

 7時過ぎ、上陸開始!! 中国での第一歩は、雪の上でした。その後のターミナルへの移動、入国手続きも至ってスムースに進み。ターミナルの出口で池さんにお礼と別れを告げ、タクシーに自転車を積み込み、千さんの家へと出発しました。

さぁ、中国の旅の始まりです。



写真2)池さんと。秦皇島のフェリーターミナルにて。

秦仁号 ( Qin-in Ferry ) ・韓国出国  

12月19日、韓国から中国へと渡る船に乗りました。ソウルの外港で韓国第3の都市・仁川から、中国・秦皇島までは週に2本往復しています。

ソウルから仁川港・第1フェリーターミナルまでは、57kmの移動。仁川港は、釜山港に次ぐ規模の貿易港、広大なコンテナ集積所を抜け、フェリー乗場に到着すると、すでにターミナルは大混雑!! 韓国・中国間のフェリーは、商売人が双方からの多くの商品を運ぶため、乗客の多くが、山のような荷物を抱えて手続きをしています。大きな荷物には変わりないないけど、自転車はやはり目立ちますね・・・、注目の的!

19時発の予定が21時発に変更。しばらくターミナル内でじっとしていると、多くの人に話しかけられます。いつものように、韓国語で話しかけられるんだけど、チンプンカンプン?? しかし、ここで驚くことが!? 英語を話す人が多いんです。片言ながら日本語を話す人もいる。さすが国際航路! さすが商売人!

20時、乗船手続き開始。スムースに手続きは進み、バスでフェリーのすぐまで移動、タラップ上ってみてまたビックリ!! なんとも素敵な船じゃぁないですか!!全客室寝台で、シャワーもあり。ゲームルームに、カジノ風のバー、売店に免税品店、レストランと食堂が1つずつ。デッキにはプールまである!!(雪が積もってたけど)。

21時、気がついたら船が動いてる気配。急いでデッキに出ると、もう出港している。慌てて、遠ざかる仁川の街灯りと韓国に別れを告げました。

カムサハムニダ!! 韓国


写真)船内のカジノバー

中国へ 

12月19日

 韓国・釜山に入国して14日目、これからソウルを出て、隣町の仁川から中国行きの船に乗ります。中国は、当初予定していた天津ではなく、天津から東に100キロほどの『秦皇島』という町に上陸します。

 20時間の船旅。20日の夕方には中国入国し『線の旅』が始まります。秦皇島から、自転車の車輪が刻む線をユーラシア大陸最西端のロカ岬まで結びたいと思います。
 ひとまず、秦皇島で2~3日過ごしてから移動、北京までは3日の距離です。北京で数日過ごした後は、頑張って移動を続けて、1月中旬には西安に到着したいと考えてます。多分、2週間前後のずれで進むと思います。

 正直なところ、2週間以上先のことは読めません。予定が変わったら、その都度お知らせします。

38度線 

12月18日 北朝鮮を覗きに行ってきました。

 世界で唯一の分断国家となった、韓国と北朝鮮。その分断線(38度線)の南北2キロは、「非武装地帯」となっています。英語では、「DMZ = Demilitarized Zone」と言います。そのDMZに行くツアーに参加してきました。
 非武装地帯は、一般人の立ち入りに制限があります。ここに行くにはツアーに参加しなければならないのです。38度線で有名なのは、板門店でしょう。でも、板門店に行くツアーは結構高い上、日曜日はやっていないとのことで、板門店に行かない安ツアーにしました。

 当初は、一般人立ち入り制限のない(であろう・・・)オドゥサン展望台というところに自転車で行くつもりだったのですが、ここ2日間、とにかく凄い冷え込みで、普通に外を歩くだけでも喉が凍りつくので辞めました。しばらくソウルでゴロゴロしてたら寒さへの耐性がなくなってしまったようです

 朝7時半にソウル市内を出て、1時間半ほどで非武装地帯(DMZ)に到着するのですが、出発してすぐに雪が降り始め、みるみる車外が白くなっていく・・・。DMZの手前で専用車に乗り換えます。乗り換え場所に到着するころには、あたり一面真っ白!!大粒の雪が舞い、視界も悪いという状態・・・

 車を乗り換えて、ゲートにさしかかると、韓国の警備兵がバスに乗車。1人1人パスポートをチェックします。さぁ・・・、DMZです!!

 ガイドさんが「右は」「左は」といろいろ説明しますが、窓は結露で真っ白・・・、擦っても結露が凍り付いているので窓の曇りは取れません・・・。

 車窓からの眺めは無いに等しかったのですが、第3トンネルというところは面白かった。北朝鮮が国境線を超え、韓国側まで掘り進めたというトンネルです。3番目に見つかったから「第3」なんだとか。1.7キロのトンネルは、1万人の兵士が1時間で移動できるものだったそうです。

 トンネルが発見された北朝鮮の当初の反応は、『南が掘ったんだ!南の謀略だ!』・・・、でも色々証拠を突きつけられて、最終的には掘ったことを認めたようです。が、『悪気はなかったんだ。石炭の鉱脈を探していたら、いつのまにか国境を越えていたんだ。』って・・・

 凄い言い訳!!

 地下70mまで下ると、硬い花崗岩の岩盤に長~いトンネルが。もちろん、北朝鮮までは歩けません。途中で国境線の少し手前でコンクリートの壁で塞がれています。

 トンネルから出ると雪は止んで、青空が広がっていました。次は、いよいよ北朝鮮を覗きに、丘の上の展望台に行く予定だったのですが・・・。雪で丘に登れない、とのこと。残念、覗けませんでした。この後、都羅山駅(一つ前の記事を参照)を見学して、お土産屋に立ち寄って、ソウル市内に戻りました。


写真)雪かきをする人々

 面白おかしく文章を展開してしましましたが、38度線付近には、悲しい現実を物語る多くのものがありました。民族分断の悲劇、平和の尊さを思い知らされたツアーでした。

To Pyeongyang (ピョンヤン行き) 

12月18日 自転車をソウルに置いて、北朝鮮をちょっと覗きに行ってきました。


写真)ピョンヤン行き列車の乗車口

 いや~、まさか北朝鮮に行くことになるとはね・・・




 って、冗談ですよ。

 写真は、38度線の韓国側に造られた「都羅山(ドラサン)」という駅での写真です。
 将来、北朝鮮と韓国を結ぶであろう鉄道の韓国側の最後の駅です。南北分断の悲しい象徴であり、南北統一の希望の象徴でもある、というところです。
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