旅のお供---カメラ編・其の弐---
旅のお供---カメラ編・其の壱---

誰しも、旅に持っていくカメラにはこだわりがあるだろう。
私もしかり、こだわってこだわって選んだカメラがコレ!PENTAXの名機『LX』です。
流行のデジタル一眼ではありません。数年前に絶版したPENTAXのスチールカメラです。長い自転車旅、何十本ものフィルムを持ち運ぶことを考えると、デジカメが良いのかもしれないが・・・、僕の相棒はこの子。選んだ理由は、“頑強さ”と“小さなボディ”
レンズは、PENTAX純正の『FA43mm-Limited』!これまた素晴らしいレンズです。LXと43mm-Limitedの組み合わせは、私一番のお気に入りです。
作品を意識して撮る写真は、このカメラで撮ります。証拠写真やブログ用の写真は、コンパクトデジカメで撮ります。
残念ながら、このブログに『LX』で撮った写真が載ることはなさそうです。見たい方は、帰国後の写真展を見に来て頂く事になりますね。
町の有名人
土埃の舞うスーク、私が立ち止まるとすぐに人だかりができた。
2000年6月、スーダン・ゲダレフの町。

『それだけ色んな国に行ってて、一番好きなのはどこ?』という質問をよく受ける。難しい・・・、沢山好きな国はある。もっと具体的な質問をしてくれると答えやすい。もし、『北アフリカではどこが好き?』と聞かれたら、「スーダン」答える。
アフリカで最大の国土を持つ国、エジプトの南に位置し、深い歴史を持つ国であるが・・・、日本人には馴染みが薄い。日本で耳にするスーダンのニュースと言えば、今なお続く内戦の話ぐらいか。
スーダンを訪れる外国人観光客は殆どいない。それだけに、たまに外国人が訪れようものなら、大変な騒ぎになることもある。
ゲダレフは、東部の小さな町。スーダンからエチオピアへ抜けるルート上にある。時々バックパッカーが通過することはあっても、私のように数日間滞在する者は稀らしい。
土埃舞うスーク(市場)を歩く。色鮮やかな野菜、山積みされた穀物、乾燥デーツ、鶏、ヤギ、日用雑貨、えとせとら。ちょうど、預言者の聖誕祭(マウリード・ン・ナビー)の前後であった為、近郊からの買い物客も多く、スークはいつも以上の賑わいを見せていた。
そんなスークで、人が集まるところには必ず私がいた。正確に言うと、店主が「お茶飲んでいけよ!」と、私を引きずり込んだ店の周り。あれよあれよと人が集まり、店主はさも古くからの友人のように、私を皆に紹介する。
「日本人だってよ!」
「一昨日この町に来たんだってよ!」
「22歳だってよ!!」
「俺がお茶をご馳走してるところだ!」 ってな感じかな・・・
見物人たちを写真に収めた。良く見ると様々な顔立ちがある。アラブ系とアフリカ系、アフリカ系は更にいくつかの部族に分けられる。皆、笑っている。なんてったって、外人を見たんだからね!家に帰ったら、家族に自慢するんだろうな。
「ねぇねぇ!俺さぁ、今日、市場で日本人見たんだよ!日本人!!」
翌日、町を歩くと多くの人が私のことを知っていた。その更に翌日になると、名前まで知っていた。すっかり有名人である。
2000年6月、スーダン・ゲダレフの町。

『それだけ色んな国に行ってて、一番好きなのはどこ?』という質問をよく受ける。難しい・・・、沢山好きな国はある。もっと具体的な質問をしてくれると答えやすい。もし、『北アフリカではどこが好き?』と聞かれたら、「スーダン」答える。
アフリカで最大の国土を持つ国、エジプトの南に位置し、深い歴史を持つ国であるが・・・、日本人には馴染みが薄い。日本で耳にするスーダンのニュースと言えば、今なお続く内戦の話ぐらいか。
スーダンを訪れる外国人観光客は殆どいない。それだけに、たまに外国人が訪れようものなら、大変な騒ぎになることもある。
ゲダレフは、東部の小さな町。スーダンからエチオピアへ抜けるルート上にある。時々バックパッカーが通過することはあっても、私のように数日間滞在する者は稀らしい。
土埃舞うスーク(市場)を歩く。色鮮やかな野菜、山積みされた穀物、乾燥デーツ、鶏、ヤギ、日用雑貨、えとせとら。ちょうど、預言者の聖誕祭(マウリード・ン・ナビー)の前後であった為、近郊からの買い物客も多く、スークはいつも以上の賑わいを見せていた。
そんなスークで、人が集まるところには必ず私がいた。正確に言うと、店主が「お茶飲んでいけよ!」と、私を引きずり込んだ店の周り。あれよあれよと人が集まり、店主はさも古くからの友人のように、私を皆に紹介する。
「日本人だってよ!」
「一昨日この町に来たんだってよ!」
「22歳だってよ!!」
「俺がお茶をご馳走してるところだ!」 ってな感じかな・・・
見物人たちを写真に収めた。良く見ると様々な顔立ちがある。アラブ系とアフリカ系、アフリカ系は更にいくつかの部族に分けられる。皆、笑っている。なんてったって、外人を見たんだからね!家に帰ったら、家族に自慢するんだろうな。
「ねぇねぇ!俺さぁ、今日、市場で日本人見たんだよ!日本人!!」
翌日、町を歩くと多くの人が私のことを知っていた。その更に翌日になると、名前まで知っていた。すっかり有名人である。
空が燃えた日
燃えた・・・?そう、やはり燃えたが最も適当な表現だろう。
2001年2月、バングラディシュ南東部の町・コックスバザール(COX'S BAZAR)

緑地に赤い丸、バングラディシュの国旗は、緑豊かなその国土を見事に表している。山の無いこの国では、緑の地平線から昇った太陽は、再び緑の地平線に消える。
コックスバザールは、バングラディシュ人のビーチリゾート。リゾートといっても、そこに外国人の姿はなく、比較的裕福なバングラ人が集まる町。そもそも、バングラディシュで外国人観光客に遭遇すること自体が稀である。
町の西には、ベンガル湾が広がっており、バングラディシュでは珍しく、海に沈む夕日を見ることができる。毎日夕方ともなると、多くのリゾート客が海岸に出て、真っ赤な太陽を見送る。
その日もいつものように、夕暮れ時の散歩に行こうと部屋を出たが・・・、何かがおかしい。屋外にある全てがオレンジ色に溶けていた。
椰子の木も、車も、売店も、田畑も、町行く人々も、全て。
見上げると空全体がオレンジ色に染まっていた。オレンジ色・・・?いや、茜色?セピア色?なんとも形容し難い色、空そのものが燃え盛る炎のようだった。
私を含め、町の人々全てが静かに空を見上げていた。そんな中、ある老人の言葉がポツリとこぼした言葉が心に響いた。
「アル・ハンブレッラー!」
『アッラーの御心によりて」とでも訳そうか。つまり、神に感謝を表すときの言葉である。これより以前、そしてこれ以降、このような美しい夕日は見ていない。アッラーが見せてくれた最上の夕景だった。
2001年2月、バングラディシュ南東部の町・コックスバザール(COX'S BAZAR)

緑地に赤い丸、バングラディシュの国旗は、緑豊かなその国土を見事に表している。山の無いこの国では、緑の地平線から昇った太陽は、再び緑の地平線に消える。
コックスバザールは、バングラディシュ人のビーチリゾート。リゾートといっても、そこに外国人の姿はなく、比較的裕福なバングラ人が集まる町。そもそも、バングラディシュで外国人観光客に遭遇すること自体が稀である。
町の西には、ベンガル湾が広がっており、バングラディシュでは珍しく、海に沈む夕日を見ることができる。毎日夕方ともなると、多くのリゾート客が海岸に出て、真っ赤な太陽を見送る。
その日もいつものように、夕暮れ時の散歩に行こうと部屋を出たが・・・、何かがおかしい。屋外にある全てがオレンジ色に溶けていた。
椰子の木も、車も、売店も、田畑も、町行く人々も、全て。
見上げると空全体がオレンジ色に染まっていた。オレンジ色・・・?いや、茜色?セピア色?なんとも形容し難い色、空そのものが燃え盛る炎のようだった。
私を含め、町の人々全てが静かに空を見上げていた。そんな中、ある老人の言葉がポツリとこぼした言葉が心に響いた。
「アル・ハンブレッラー!」
『アッラーの御心によりて」とでも訳そうか。つまり、神に感謝を表すときの言葉である。これより以前、そしてこれ以降、このような美しい夕日は見ていない。アッラーが見せてくれた最上の夕景だった。
グルジアの少女
美しいグルジアの少女。彼女の名前はタムナ。コーカサス山脈山間の町・メスティアで暮らす。当時14歳。

2000年9月 グルジア・スワネティ地方・メスティアの町
日本を出て5ヶ月、北アフリカ・中近東を旅し、夏の終わりにグルジアまでやってきた。なんとも居心地の良いグルジアの首都トビリシで2週間を過ごし、そこで知り合ったトビリシ在住の日本人・ジローさんと一緒に、伝統的家屋と伝統文化が色濃く残るスワネティ地方にショートトリップに出かけた。
メスティアは、スワネティ地方の中心とされているが、町は閑散とした空気が漂い、どこか寂しい感じ。そんな町で英語教師をするニノさんの娘がタムナ。
お宿はそのニノさんの家。停電の夜、ロウソクの灯りの中で、ウォツカを飲みながらの賑やかな晩餐となった。ニコニコしながら大人たちの赤ら顔を眺めていたタムナが、部屋からギターを持ってきて、古くから唄われてきた曲を数曲歌ってくれた。
様々な言語が存在するグルジア、私にはタムナの歌が何語かすら解らなかったが、幸いにしてジローさんが通訳してくれたので、何に関する唄であったかは知ることができた。
もっとも印象に残るのは、若者が貧しい故郷を離れ都会へ働きに出る歌。タムナの哀愁を誘う歌声が今でも耳に残っている。
あれから5年、タムナは19歳になっている。今もあの町に暮らしているのだろうか・・・

2000年9月 グルジア・スワネティ地方・メスティアの町
日本を出て5ヶ月、北アフリカ・中近東を旅し、夏の終わりにグルジアまでやってきた。なんとも居心地の良いグルジアの首都トビリシで2週間を過ごし、そこで知り合ったトビリシ在住の日本人・ジローさんと一緒に、伝統的家屋と伝統文化が色濃く残るスワネティ地方にショートトリップに出かけた。
メスティアは、スワネティ地方の中心とされているが、町は閑散とした空気が漂い、どこか寂しい感じ。そんな町で英語教師をするニノさんの娘がタムナ。
お宿はそのニノさんの家。停電の夜、ロウソクの灯りの中で、ウォツカを飲みながらの賑やかな晩餐となった。ニコニコしながら大人たちの赤ら顔を眺めていたタムナが、部屋からギターを持ってきて、古くから唄われてきた曲を数曲歌ってくれた。
様々な言語が存在するグルジア、私にはタムナの歌が何語かすら解らなかったが、幸いにしてジローさんが通訳してくれたので、何に関する唄であったかは知ることができた。
もっとも印象に残るのは、若者が貧しい故郷を離れ都会へ働きに出る歌。タムナの哀愁を誘う歌声が今でも耳に残っている。
あれから5年、タムナは19歳になっている。今もあの町に暮らしているのだろうか・・・
ユーラシア大陸走破・自転車旅行
『自転車で世界一周』・・・いつからだっただろうか?旅を重ねる毎に、徐々にその想いは強くなり、この数年間コツコツ準備を進めてきました。
旅立ちは12月3日。自転車でアジアをのんびり走り、2年かけてヨーロッパを目指します。その後1年をかけて、アフリカ・南北アメリカを自転車旅行にバックパッキングを織り交ぜて巡る予定です。
大方の準備が整い、出発を前にブログを開設☆
PC音痴な私。旅立ちまでの3週間、扱い方に慣れる意味も含めて、過去の旅行のエピソードなどを紹介したいと考えてます。
旅立ちは12月3日。自転車でアジアをのんびり走り、2年かけてヨーロッパを目指します。その後1年をかけて、アフリカ・南北アメリカを自転車旅行にバックパッキングを織り交ぜて巡る予定です。
大方の準備が整い、出発を前にブログを開設☆
PC音痴な私。旅立ちまでの3週間、扱い方に慣れる意味も含めて、過去の旅行のエピソードなどを紹介したいと考えてます。
プロフィール
![]() 伊東 心 (ITO KOKORO) |
現在、自転車でユーラシア大陸を横断中の私、『伊東心』は・・・ 1978年11月15日生(28歳) O型 福岡県出身 九州産業大学・国際文化学部国際文化学科卒 大学入学以来、休みの度に海外一人旅に出るようになる。3・4年次には大学を休学し、ヨーロッパ・アフリカ・アジアの国々を巡る16ヶ月の旅を経験。異文化を体験し、それをキャンパスで学び直すという学生時代を送る。 卒業後は、秘境旅行・海外登山のパイオニア・西遊旅行(東京)に勤務。中近東・北アフリカを担当し、会社の机とサハラ砂漠が主な仕事場となる。 2005年5月に退社。地元福岡に戻り、プロ添乗員として国内外を飛び回る生活を送りつつ、自転車旅行の準備を進める。 学生時代から続く趣味の写真は、個展『心の旅展』を2度開催。その他、異文化体験を伝えるスライドショーを定期的に行なっています。 主な滞在国・地域は・・・ アイルランド・アフガニスタン・アルジェリア・アルメニア・イスラエル・イタリア・イラン・インド・エジプト・英国・カンボジア・ギリシア・グルジア・シリア・スーダン・スペイン・タイ・台湾・トルコ・パキスタン・ハンガリー・バングラディシュ・ブルガリア・ポルトガル・香港・モロッコ・ユーゴスラビア・ヨルダン・リビア・ルーマニア、等。 『夢』自転車で世界旅行へ・・・ 思い起こせば、十代後半には漠然とした夢、憧れのようなものでした。その想いが確かな目標となったのは、20歳の時スタートした、バックパッキングでのユーラシア大陸横断の旅(上記の16ヶ月間の旅)の途中。 もっとゆっくり、時の流れを感じながら、自分の力で世界を旅したい!! もともと自転車大好き少年。目標として掲げて以来6年間、少しずつ資金を貯め、装備を整え、交友を広め、旅立ちの機を伺ってきました。そして、今がその時!! |
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