旅の軌跡と現在地
- [2008/08/18 20:20]
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チベットで騒乱
2008年3月17日 3日遅れて、重大なニュースを知りました。14日に起きた“チベット騒乱”です。
滞在中のカイ(Kayes,Mali)のネットカフェでは日本語の表示がされず、自前のPCも使えなかったので、ニュースは専ら英語のサイトから得ました。貪るように英語の文章を読み漁り・・・、初めに思ったこと。
嗚呼、やっぱり起きてしまったか・・・
ちょっとチベット問題に興味のある人なら、予感していたのではないでしょうか。私が旅した2006年夏のチベットには、すでに異様な空気が溢れていました。その空気は、過去50年間、常にあったものかもしれません・・・。
2008年オリンピックイヤーに、きっと何かが起こる。私にはその予感がありました。平和的なデモ行進ぐらいで終わることを願っていましたが・・・、残念ながら暴力的なものになってしまいました。中国政府の対応も予想の通りでした。あの国の政府は、天安門事件から何か進歩してるんでしょうか・・・?
私が中国政府のチベット政策に否定的なのは、このブログへのいくつかのエントリーで明らかのことでしょう。一部繰り返しになりますが、私が見聞きした、チベット自治区における中国中央政府の虚偽・過ちを紹介させて頂きます。
→過去のエントリー 熱烈重祝?
■ 1950年の人民解放軍による侵略以降、この56〜57年の間、チベットの人々が中国による支配を“熱烈重祝”したことなどあるのでしょうか・・・?もしかしたら、一部のチベット人の間にはいるのかも知れません。が、大半のチベット人が中国によるチベット支配に否定的なのは確かです。
■ポタラ宮殿は、チベットの政治・宗教の中心であり続けた、チベットで最も由緒ある建物。ダライラマ14世のインド亡命を期に、中国政府の管理下に置かれました。
そんなポタラ宮殿の正面には何があるかご存知でしょうか?幅の広い北京西路(中路だっけ?)を挟むと、大きな広場があります。そこには、国旗掲揚台があって、真っ赤な中国国旗が真っ青なチベットの空にはためいています。
この光景、どこかで見たことがあります。どこだと思います?中国北部を旅行したことのある人なら、かなりの確率で訪れているのではないでしょうか。北京の中心、『天安門広場』ですよ。
この広場、数年前にチベット開放50周年記念か何かの式典に合せて、急ピッチで整備されたものだそうです。式典では、何千何万という人民解放軍、チベット自治政府・中国中央政府の役人たちが立ち並んだそうです。この広場の南端、広場を挟んでポタラ宮殿を向かい合う位置には、『チベット解放記念碑』が立っています。私には、とても、寒気がする場所でした。
→過去のエントリー。このエントリーの2枚目の写真をよくご覧下さい。ポタラ宮殿を眺める
■ エベレストベースキャンプ(EBC)で出会ったチベット人青年・アジャイ。彼は、英国人登山家たちの同行ガイドとしてEBCに来ていました。前職は、警察官だそうです。そんな彼から聞いた話です。
チベット自治区の警察官は、約8割がチベット人、2割が漢民族だそうです。単純に考えれば、警察(公安)幹部は、8割がチベット人と思われますが、もちろん、そんなことはありません。幹部の大半は、当然!漢民族。一部のチベット人幹部も、中国的教育の中で中央政府に従順になった人々ばかり。
「出世するのは党幹部や警察幹部に伝のある人ばかり。警察の仕事には矛盾だらけだったよ・・・」アジャイは、警官を辞め、観光業に転職しました。そんな彼ですが、今の生活にも多少の困難・不安を抱えているようでした。
→その話は新聞連載で紹介しました。地球みちばた見聞録19話
■ ラサで出会ったチベット人青年。彼には、臨月を迎えたドイツ人の奥さんがいました。チベットを愛し、チベットに通っていたドイツ人女性は、チベット北西部アムド地方で土地のチベット人男性と恋に落ちました。
で、田舎の町で暮らしていた彼らは、少しでも良い病院(産婦人科)を求めて、区都ラサにやって来たのでした。幸せそうな若い夫婦は、英語で会話していました。ある日、私たちがよく彼と顔を合せていたカフェで、暗い表情の彼が周囲に漢民族がいないことを確認してから、唐突に話し始めました。
「もうすぐ子供が生まれる。子供が飛行機に乗れるようになったら、嫁と子供は、ドイツに帰すんだ。僕は配偶者として父として、ドイツに住む権利を得たわけだから、一緒にドイツに行って、向こうで新暮らしを始めるつもりなんだ。けど・・・、そこには大きな障害があって・・・。数ヶ月前、パスポートを取りに、地区の役場に行ったんだ。申請を済ませた後、係官は“この地区のチベット人へのパスポート発給業務は停止中だ”って言ったんだよ。停止する意味が解からない!!そもそも本当に停止してるのかどうかも解からない。嫌がらせ以外の何の理由も思いつかないよ。もうすぐ子供が生まれるんだよ・・・。僕は、この国から出ることができないのに。」
彼にパスポートが発給されない理由はなんでしょう?彼の言うとおり、嫌がらせなのかもしれません。あれからもう1年半が経っています。彼が今どこで暮らしているのかは知りません。何らかの方法(当時、ヨーロッパの人権団体が援護射撃を申し出ていました)をとって、ドイツに辿り付いたのではないでしょうか・・・?そう願います。
■ 老定日の食堂宿で働く彼女は、インド亡命経験者でした。小学校から高校にあたる期間をインドのダライラマ亡命政権の学校で勉強してきました。達者な英語に加え、インドの公用語ヒンディー語も操り、中国語も話します。語学以外の学問も熱心に習得したようで、田舎町の食堂宿にはもったいないぐらいの“優秀”な人物です。
「私たちインド帰りのチベット人が、中国政府の再教育施設に入れられることはなくなりました。帰国の際は、“中国政府に異論はありません”という旨の宣誓書を書かされるだけです。でも、私たちへの敵視は変わっていません。私たちが政府の仕事につくことは困難です。インドで得た学業の成果が、チベットの為に発揮できる公職はありません。」
彼女は、長く離れて暮らした両親のそばで、今もあの小さな食堂宿を切り盛りしているに違いありません。
→過去のエントリーです。インド帰りのチベット人
他にも沢山、ほんとに沢山のエピソードがあります。2001年に訪れたインド、ダラムサラ亡命政権の人々や亡命チベット人の話も含めると、相当な数になります。すべて紹介したいぐらいですが、どこまでも時間を使いそうなので、止めときます。
中国政府による、チベットの侵略・搾取・文化侵害・自然破壊に関する情報は、ネットや書籍に溢れています。もっと知りたい方は、ご自身で探して、知って下さい。
ご注意頂きたいのは、それらの情報全てが「正しい!」と鵜呑みにしないこと。物事を『正義と悪』、『正と誤』に分けることは危険です。悪や誤りを指摘し、自己の正当性を主張するのは、中国政府の得意とするところですよ?
滞在中のカイ(Kayes,Mali)のネットカフェでは日本語の表示がされず、自前のPCも使えなかったので、ニュースは専ら英語のサイトから得ました。貪るように英語の文章を読み漁り・・・、初めに思ったこと。
嗚呼、やっぱり起きてしまったか・・・
ちょっとチベット問題に興味のある人なら、予感していたのではないでしょうか。私が旅した2006年夏のチベットには、すでに異様な空気が溢れていました。その空気は、過去50年間、常にあったものかもしれません・・・。
2008年オリンピックイヤーに、きっと何かが起こる。私にはその予感がありました。平和的なデモ行進ぐらいで終わることを願っていましたが・・・、残念ながら暴力的なものになってしまいました。中国政府の対応も予想の通りでした。あの国の政府は、天安門事件から何か進歩してるんでしょうか・・・?
私が中国政府のチベット政策に否定的なのは、このブログへのいくつかのエントリーで明らかのことでしょう。一部繰り返しになりますが、私が見聞きした、チベット自治区における中国中央政府の虚偽・過ちを紹介させて頂きます。
→過去のエントリー 熱烈重祝?
■ 1950年の人民解放軍による侵略以降、この56〜57年の間、チベットの人々が中国による支配を“熱烈重祝”したことなどあるのでしょうか・・・?もしかしたら、一部のチベット人の間にはいるのかも知れません。が、大半のチベット人が中国によるチベット支配に否定的なのは確かです。
■ポタラ宮殿は、チベットの政治・宗教の中心であり続けた、チベットで最も由緒ある建物。ダライラマ14世のインド亡命を期に、中国政府の管理下に置かれました。
そんなポタラ宮殿の正面には何があるかご存知でしょうか?幅の広い北京西路(中路だっけ?)を挟むと、大きな広場があります。そこには、国旗掲揚台があって、真っ赤な中国国旗が真っ青なチベットの空にはためいています。
この光景、どこかで見たことがあります。どこだと思います?中国北部を旅行したことのある人なら、かなりの確率で訪れているのではないでしょうか。北京の中心、『天安門広場』ですよ。
この広場、数年前にチベット開放50周年記念か何かの式典に合せて、急ピッチで整備されたものだそうです。式典では、何千何万という人民解放軍、チベット自治政府・中国中央政府の役人たちが立ち並んだそうです。この広場の南端、広場を挟んでポタラ宮殿を向かい合う位置には、『チベット解放記念碑』が立っています。私には、とても、寒気がする場所でした。
→過去のエントリー。このエントリーの2枚目の写真をよくご覧下さい。ポタラ宮殿を眺める
■ エベレストベースキャンプ(EBC)で出会ったチベット人青年・アジャイ。彼は、英国人登山家たちの同行ガイドとしてEBCに来ていました。前職は、警察官だそうです。そんな彼から聞いた話です。
チベット自治区の警察官は、約8割がチベット人、2割が漢民族だそうです。単純に考えれば、警察(公安)幹部は、8割がチベット人と思われますが、もちろん、そんなことはありません。幹部の大半は、当然!漢民族。一部のチベット人幹部も、中国的教育の中で中央政府に従順になった人々ばかり。
「出世するのは党幹部や警察幹部に伝のある人ばかり。警察の仕事には矛盾だらけだったよ・・・」アジャイは、警官を辞め、観光業に転職しました。そんな彼ですが、今の生活にも多少の困難・不安を抱えているようでした。
→その話は新聞連載で紹介しました。地球みちばた見聞録19話
■ ラサで出会ったチベット人青年。彼には、臨月を迎えたドイツ人の奥さんがいました。チベットを愛し、チベットに通っていたドイツ人女性は、チベット北西部アムド地方で土地のチベット人男性と恋に落ちました。
で、田舎の町で暮らしていた彼らは、少しでも良い病院(産婦人科)を求めて、区都ラサにやって来たのでした。幸せそうな若い夫婦は、英語で会話していました。ある日、私たちがよく彼と顔を合せていたカフェで、暗い表情の彼が周囲に漢民族がいないことを確認してから、唐突に話し始めました。
「もうすぐ子供が生まれる。子供が飛行機に乗れるようになったら、嫁と子供は、ドイツに帰すんだ。僕は配偶者として父として、ドイツに住む権利を得たわけだから、一緒にドイツに行って、向こうで新暮らしを始めるつもりなんだ。けど・・・、そこには大きな障害があって・・・。数ヶ月前、パスポートを取りに、地区の役場に行ったんだ。申請を済ませた後、係官は“この地区のチベット人へのパスポート発給業務は停止中だ”って言ったんだよ。停止する意味が解からない!!そもそも本当に停止してるのかどうかも解からない。嫌がらせ以外の何の理由も思いつかないよ。もうすぐ子供が生まれるんだよ・・・。僕は、この国から出ることができないのに。」
彼にパスポートが発給されない理由はなんでしょう?彼の言うとおり、嫌がらせなのかもしれません。あれからもう1年半が経っています。彼が今どこで暮らしているのかは知りません。何らかの方法(当時、ヨーロッパの人権団体が援護射撃を申し出ていました)をとって、ドイツに辿り付いたのではないでしょうか・・・?そう願います。
■ 老定日の食堂宿で働く彼女は、インド亡命経験者でした。小学校から高校にあたる期間をインドのダライラマ亡命政権の学校で勉強してきました。達者な英語に加え、インドの公用語ヒンディー語も操り、中国語も話します。語学以外の学問も熱心に習得したようで、田舎町の食堂宿にはもったいないぐらいの“優秀”な人物です。
「私たちインド帰りのチベット人が、中国政府の再教育施設に入れられることはなくなりました。帰国の際は、“中国政府に異論はありません”という旨の宣誓書を書かされるだけです。でも、私たちへの敵視は変わっていません。私たちが政府の仕事につくことは困難です。インドで得た学業の成果が、チベットの為に発揮できる公職はありません。」
彼女は、長く離れて暮らした両親のそばで、今もあの小さな食堂宿を切り盛りしているに違いありません。
→過去のエントリーです。インド帰りのチベット人
他にも沢山、ほんとに沢山のエピソードがあります。2001年に訪れたインド、ダラムサラ亡命政権の人々や亡命チベット人の話も含めると、相当な数になります。すべて紹介したいぐらいですが、どこまでも時間を使いそうなので、止めときます。
中国政府による、チベットの侵略・搾取・文化侵害・自然破壊に関する情報は、ネットや書籍に溢れています。もっと知りたい方は、ご自身で探して、知って下さい。
ご注意頂きたいのは、それらの情報全てが「正しい!」と鵜呑みにしないこと。物事を『正義と悪』、『正と誤』に分けることは危険です。悪や誤りを指摘し、自己の正当性を主張するのは、中国政府の得意とするところですよ?
- [2008/03/17 02:07]
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マリの話をコツコツ紹介していきます
2008年3月2日 お知らせです。
ブログ、時系列がグチャグチャなので、私が今どこで何してるか?解かりにくいですよね。
現在地は、マリの首都バマコです。今後、2〜3週間で、1月のマリでの話をコツコツ紹介していきます。
それ以前の07年のユーラシア大陸横断の時の話は、いずれ・・・紹介していきます。
ブログ、時系列がグチャグチャなので、私が今どこで何してるか?解かりにくいですよね。
現在地は、マリの首都バマコです。今後、2〜3週間で、1月のマリでの話をコツコツ紹介していきます。
それ以前の07年のユーラシア大陸横断の時の話は、いずれ・・・紹介していきます。
- [2008/03/02 04:11]
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地球みちばた見聞録、2月〜3月の掲載日
お知らせです。
西日本新聞で掲載中の、私の旅行記『地球みちばた見聞録』
2008年2月と3月の掲載日は、
2月7日、2月21日、3月6日、3月20日 です。
話の舞台は、西アフリカのマリです。隔週木曜日の朝刊です。見逃した方や、過去の記事をご覧になりたい方は、ウェブ版もございます。
ウェブ版→ 地球みちばた見聞録
西日本新聞で掲載中の、私の旅行記『地球みちばた見聞録』
2008年2月と3月の掲載日は、
2月7日、2月21日、3月6日、3月20日 です。
話の舞台は、西アフリカのマリです。隔週木曜日の朝刊です。見逃した方や、過去の記事をご覧になりたい方は、ウェブ版もございます。
ウェブ版→ 地球みちばた見聞録
- [2008/01/30 22:12]
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今年も連載頑張ります!
2008年も、新聞・雑誌の連載を頑張ります!
西日本新聞の朝刊文化面で、好評連載中の私の旅の旅行記
『地球みちばた見聞録』
木曜日の隔週掲載です。2008年の1本目は、1月24日から。連載第50回目の節目ですが、舞台はいよいよ、アフリカに突入です!
九州のフリーマガジン、ワールドJOINT倶楽部で、こちらも好評連載中の旅行記
『伊東心の心の旅』
毎月20日発行です。1月20日発行号の舞台はヨーロッパ。2月20日発行号から、紙面倍増4ページで、舞台もアフリカに突入です。
西日本新聞の朝刊文化面で、好評連載中の私の旅の旅行記
『地球みちばた見聞録』
木曜日の隔週掲載です。2008年の1本目は、1月24日から。連載第50回目の節目ですが、舞台はいよいよ、アフリカに突入です!
九州のフリーマガジン、ワールドJOINT倶楽部で、こちらも好評連載中の旅行記
『伊東心の心の旅』
毎月20日発行です。1月20日発行号の舞台はヨーロッパ。2月20日発行号から、紙面倍増4ページで、舞台もアフリカに突入です。
- [2008/01/03 23:08]
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アフリカの旅が始まりました!!
12月28日、アフリカの旅が始まり、10日が経過!!
ネット環境が良くないので、チャンスがある時に、なるべく頑張って、ちょこちょこ情報発信していきます。
現在地は、マリ共和国の真ん中あたりにある町セグーです。
トップページの右の方、『今、ここにいます』の欄の世界地図をクリックして頂くと、最新の居場所が解ります。
アフリカの旅は、縦断だとか横断だとか、大きな旅ではありません。12月〜5月の半年程度で、西アフリカのサハラ砂漠の国々を旅するつもりです。
現在私が滞在中のマリは、実妹が滞在中の国。妹はサイクリストではなく、学者の卵です。せっかく身内がいるんですから、会いに行かなきゃ!!でしょう?
大晦日までには、妹が暮らすジェンネに到着の予定です。あと4日走りっぱなしなので、おそらく、年内はこのアップロードが最後になるでしょう。
皆さん、良いお年を☆
ネット環境が良くないので、チャンスがある時に、なるべく頑張って、ちょこちょこ情報発信していきます。
現在地は、マリ共和国の真ん中あたりにある町セグーです。
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アフリカの旅は、縦断だとか横断だとか、大きな旅ではありません。12月〜5月の半年程度で、西アフリカのサハラ砂漠の国々を旅するつもりです。
現在私が滞在中のマリは、実妹が滞在中の国。妹はサイクリストではなく、学者の卵です。せっかく身内がいるんですから、会いに行かなきゃ!!でしょう?
大晦日までには、妹が暮らすジェンネに到着の予定です。あと4日走りっぱなしなので、おそらく、年内はこのアップロードが最後になるでしょう。
皆さん、良いお年を☆
- [2007/12/28 05:42]
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『地球みちばた見聞録』 ウェブ版登場!!
お知らせです。
待っていました!! (私が)
西日本新聞で連載中の私の旅行記『地球みちばた見聞録』が、西日本新聞社さんのウェブ上で、公開されることになりました。
コチラ→地球みちばた見聞録・ウェブ版
紙面を見逃した方、九州以遠にお住まいの方も、リアルタイムで連載をお楽しみ頂けます☆
待っていました!! (私が)
西日本新聞で連載中の私の旅行記『地球みちばた見聞録』が、西日本新聞社さんのウェブ上で、公開されることになりました。
コチラ→地球みちばた見聞録・ウェブ版
紙面を見逃した方、九州以遠にお住まいの方も、リアルタイムで連載をお楽しみ頂けます☆
- [2007/11/30 23:08]
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2007年の未公開エピソードを順次公開!!
お知らせです。
もう秋ですねぇ・・・、この感じだと、あっという間に2007年も暮れになってしまいそうです。今年は、あまりブログの更新を行ってきませんでした。ネット料金の高騰&忙しくなったというのも理由ですが、サボり癖がついてしまっていたのが、最大の原因かも知れません・・・。いつも楽しみにしていて下さる皆様、申し訳ございませんでした。
不定期で、かつタイムラグはありますが、2007年の1月以降のエピソードを少しずつ公開していきます。
時系列どおりに並びませんので、私の現在地を勘違いされないよう、ご注意下さい。
私の最新(10/5)の滞在地は、イタリアのヴェネチアです。
もう秋ですねぇ・・・、この感じだと、あっという間に2007年も暮れになってしまいそうです。今年は、あまりブログの更新を行ってきませんでした。ネット料金の高騰&忙しくなったというのも理由ですが、サボり癖がついてしまっていたのが、最大の原因かも知れません・・・。いつも楽しみにしていて下さる皆様、申し訳ございませんでした。
不定期で、かつタイムラグはありますが、2007年の1月以降のエピソードを少しずつ公開していきます。
時系列どおりに並びませんので、私の現在地を勘違いされないよう、ご注意下さい。
私の最新(10/5)の滞在地は、イタリアのヴェネチアです。
- [2007/10/05 22:22]
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お知らせ
ブログの書き込みの時系列があべこべになりつつありますが・・・
まず、12月23日のことを紹介したエピソードに、写真を加えましたというお知らせ。
続いて、1月にキルギス・ビシュケクで起こった、酔っ払い警察官による騒動の詳細な報告を、ずらっと6件エントリーします。文章が長いので、4月12日〜16日にかけて、もったいぶりながら、順次公開していきます。
まず、12月23日のことを紹介したエピソードに、写真を加えましたというお知らせ。
続いて、1月にキルギス・ビシュケクで起こった、酔っ払い警察官による騒動の詳細な報告を、ずらっと6件エントリーします。文章が長いので、4月12日〜16日にかけて、もったいぶりながら、順次公開していきます。
- [2007/04/13 01:48]
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盗難なんて何のその!
2007年も1週間が過ぎてしまいましたね。
ブログの書き込みが少ないので、私の現状を心配するメールが多くなってきました。ちょいと近況報告を!
年末にハイテク腕時計やらメーターやらを盗られた為、キルギス南部の走行を断念したと書きましたが、 『一時断念』と言うのが正確な表現です。なにも旅が続けられなくなるようなダメージではありません、全くもって。
そりゃぁ、失ったモノを再購入するお金は痛いですが、まぁ、買えば済む話ですからね。
年末年始は、ビシュケクにある日本人経営の宿『SAKURAゲストハウス』で、のんびりダラダラやっています。このゲストハウスのオーナー疋田さんとキルギス人の奥さんには、6年前にバンコクで会ったことがあります。
当時、私は大学を休学してユーラシア大陸横断を終えたところ。彼らはキルギスから日本まで旅しているところでした。その時は深く話さなかったので、疋田夫妻は私のことを覚えていませんが、私はぼんやり覚えてます。
疋田さん、福岡県福津市(津屋崎)出身だということを今回初めて知り、ひっさしぶりの地元話に盛り上がっています。一人娘のさくらちゃん(1歳半)が可愛くって可愛くって、ろくに外出もせず、宿でさくらと遊んでいます。
というわけで、ブログの更新がないのは、旅の継続が難しくて凹んでいるからではなく、単純に怠けているから。もともと正月はビシュケクでのんびりするつもりだったので、モノを盗られたこと以外、全てが予定通りです。
12日には、次の国・ウズベキスタンのビザが取得できるので、13日か14日に再びオシュに戻ります。オシュから、未走行区間(トラックで移動した250km)を走り直し、25日頃にはウズベキスタン入りの予定です。
ブログのアップは、10日前後にまとめて行います。ADSL回線のネットカフェまで遠いので、雪の上を歩いて出かけるのが面倒なんですよね・・・。
そんなこんなで、元気ですので、ご心配なく。
私はかなり図太いんです。トラブル・ハプニングは『旅という料理』を美味しくしてくれるスパイスみたいなもんですよ。
ブログの書き込みが少ないので、私の現状を心配するメールが多くなってきました。ちょいと近況報告を!
年末にハイテク腕時計やらメーターやらを盗られた為、キルギス南部の走行を断念したと書きましたが、 『一時断念』と言うのが正確な表現です。なにも旅が続けられなくなるようなダメージではありません、全くもって。
そりゃぁ、失ったモノを再購入するお金は痛いですが、まぁ、買えば済む話ですからね。
年末年始は、ビシュケクにある日本人経営の宿『SAKURAゲストハウス』で、のんびりダラダラやっています。このゲストハウスのオーナー疋田さんとキルギス人の奥さんには、6年前にバンコクで会ったことがあります。
当時、私は大学を休学してユーラシア大陸横断を終えたところ。彼らはキルギスから日本まで旅しているところでした。その時は深く話さなかったので、疋田夫妻は私のことを覚えていませんが、私はぼんやり覚えてます。
疋田さん、福岡県福津市(津屋崎)出身だということを今回初めて知り、ひっさしぶりの地元話に盛り上がっています。一人娘のさくらちゃん(1歳半)が可愛くって可愛くって、ろくに外出もせず、宿でさくらと遊んでいます。
というわけで、ブログの更新がないのは、旅の継続が難しくて凹んでいるからではなく、単純に怠けているから。もともと正月はビシュケクでのんびりするつもりだったので、モノを盗られたこと以外、全てが予定通りです。
12日には、次の国・ウズベキスタンのビザが取得できるので、13日か14日に再びオシュに戻ります。オシュから、未走行区間(トラックで移動した250km)を走り直し、25日頃にはウズベキスタン入りの予定です。
ブログのアップは、10日前後にまとめて行います。ADSL回線のネットカフェまで遠いので、雪の上を歩いて出かけるのが面倒なんですよね・・・。
そんなこんなで、元気ですので、ご心配なく。
私はかなり図太いんです。トラブル・ハプニングは『旅という料理』を美味しくしてくれるスパイスみたいなもんですよ。
- [2007/01/08 13:53]
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