パリ・伊東家の食卓
タイムラグがありますが・・・。ちょっと唐突に、07年末のパリでの話を紹介・・・
2007年12月16日 5週間に及んだパリ生活は、この旅の中で、最も食の充実した日々でした。
物価の高いパリ、外食は極力避けていました。自炊するために、部屋を借りたんです。毎日毎日、自炊していました。
幸いにして、私は料理できます。一緒に過ごした恋人も料理できます。私3:恋人7、ぐらいの割合で、料理を分担していました。

写真)どぉ〜ん!! 伊東家の食卓です。
写真の料理は、全てではありません。作った料理の半分もいかないぐらいでしょうか。本当に、毎日充実の食生活でした★
パリには多くの日本人が暮らします。小さな日本人街と化している、オペラ座界隈には、日本食レストランや、日本食材屋(京子の店)があります。でも、日本からの輸入品は、かなり割高です・・・。
私たちが、日本食在を入手していたのは、19区ベルヴィル周辺の中華街。中国人経営のスーパーには、中華食材が溢れていますし、日本食在やベトナム、タイ、などの食材もあります。19区は、アジア系移民も多く暮らすエリアなので。
部屋の主(在パリ11年の日本人男性)の厚意で、台所に置いてある食材・調味料は自由に使わせて頂くこともできました。
何を食べたっけ・・・? 『美味かった!』という満足感・充足感が大き過ぎて、何を食べたのか?という大事なところを忘れてしまいそうです。毎日の食事は写真に収めていたので、それを見ると思い出すことができます。
親子丼、タイ風カレー、ハンバーグ、豚のしょうが焼き、豚肉ステーキ、豚汁、豚の角煮、マーボーナス、マーボー豆腐、豆腐の味噌汁、厚揚げの味噌汁、水団、鯖の味噌煮、マルガリータピザ(粉から手打ちで!)、カレーライス、カレイの煮付け、アボガド丼、醤油ぺペロンチーノ・スパゲッティ(和風)、カルボナーラ・スパゲッティ(イタリアン)、クレープスープ(オーストリア風)、牛肉のホワイトソース煮(トルコ風)、厚焼き玉子、目玉焼き、鶏団子鍋、昆布とサトイモの煮物、大根の煮物、小豆と白玉のデザート、各種インスタント麺、お酒のツマミ、クレープ、フレンチトースト、などなど、などなど。
日本製電子ジャーで炊くご飯は、もちろん、日本米です。
パリから向かう西アフリカはイスラームの国々。半年は豚肉なしの生活なので、パリでは豚を思う存分食べました。豚のしょうが焼き、美味しかったです。3回も食べました。
いろんな国で美味しい物を食べていますが、やはり、日本食は世界一です★
2007年12月16日 5週間に及んだパリ生活は、この旅の中で、最も食の充実した日々でした。
物価の高いパリ、外食は極力避けていました。自炊するために、部屋を借りたんです。毎日毎日、自炊していました。
幸いにして、私は料理できます。一緒に過ごした恋人も料理できます。私3:恋人7、ぐらいの割合で、料理を分担していました。

写真)どぉ〜ん!! 伊東家の食卓です。
写真の料理は、全てではありません。作った料理の半分もいかないぐらいでしょうか。本当に、毎日充実の食生活でした★
パリには多くの日本人が暮らします。小さな日本人街と化している、オペラ座界隈には、日本食レストランや、日本食材屋(京子の店)があります。でも、日本からの輸入品は、かなり割高です・・・。
私たちが、日本食在を入手していたのは、19区ベルヴィル周辺の中華街。中国人経営のスーパーには、中華食材が溢れていますし、日本食在やベトナム、タイ、などの食材もあります。19区は、アジア系移民も多く暮らすエリアなので。
部屋の主(在パリ11年の日本人男性)の厚意で、台所に置いてある食材・調味料は自由に使わせて頂くこともできました。
何を食べたっけ・・・? 『美味かった!』という満足感・充足感が大き過ぎて、何を食べたのか?という大事なところを忘れてしまいそうです。毎日の食事は写真に収めていたので、それを見ると思い出すことができます。
親子丼、タイ風カレー、ハンバーグ、豚のしょうが焼き、豚肉ステーキ、豚汁、豚の角煮、マーボーナス、マーボー豆腐、豆腐の味噌汁、厚揚げの味噌汁、水団、鯖の味噌煮、マルガリータピザ(粉から手打ちで!)、カレーライス、カレイの煮付け、アボガド丼、醤油ぺペロンチーノ・スパゲッティ(和風)、カルボナーラ・スパゲッティ(イタリアン)、クレープスープ(オーストリア風)、牛肉のホワイトソース煮(トルコ風)、厚焼き玉子、目玉焼き、鶏団子鍋、昆布とサトイモの煮物、大根の煮物、小豆と白玉のデザート、各種インスタント麺、お酒のツマミ、クレープ、フレンチトースト、などなど、などなど。
日本製電子ジャーで炊くご飯は、もちろん、日本米です。
パリから向かう西アフリカはイスラームの国々。半年は豚肉なしの生活なので、パリでは豚を思う存分食べました。豚のしょうが焼き、美味しかったです。3回も食べました。
いろんな国で美味しい物を食べていますが、やはり、日本食は世界一です★
- [2008/04/22 17:15]
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逢いたかったよ、フルベ族★
フルベ族(フラニ族、プル俗、フラ族とも)・・・ とは、サハラの南の国々、西はモーリタニアから東はカメルーンまで、西アフリカに広く分布する民族。遊牧民を起源とし、現在でも多くが牧畜を営んでいます。黒人ともベルベル系ともアラブ系とも異なり、独特の言語体系を有し、豊富な民話を継承しています。

写真1)フルベ族の女性。マリのジェンネで出会ったファテマタさん。口元の刺青はフルベ女性のお洒落です。
2つ前のエントリーでちょっと触れましたが、私、フルベ族に興味があったのです。西アフリカで彼らに出会うことを楽しみにしていました。
私がフルベ族を知ったきっかけは・・・、2003年のこと。職場でツアー用の資料を作っていたら、その資料に載っていました。私が勤めていた会社は西遊旅行、知っている人は知っている秘境旅行のパイオニアです。そのツアーは、リビア南部の『タドラール・アカクス』という岩山地帯を訪れるツアーでした。
リビアの『タドラール・アカクス』や、国境を挟んで西側・アルジェリアの『タッシリ・ナジェール』一帯には、1万年前から現在に至るまでの、数千点に及ぶ“壁画”が残されています。それらの壁画を残したのは、この地に暮らした人々。住居に使われていたであろう、岩山の斜面の窪みなどに絵が描かれています。それらの絵からは、サハラの1万年の歴史と、当時の人々の暮らしぶりが伺えます。
知ってますよね? サハラは昔、緑の大地だったんです。
2004年と2005年、私はリビアやアルジェリアで、サハラ最深部の乾ききった大地に刻まれた、サハラの緑の記憶を沢山見てきました。海外出張(添乗)には何度も出ていますが、このサハラ最深部の壁画を見学に行くツアーが、私の一番のお気に入り(思い出)となっています。
そこには、“信じ難い”光景が広がっています。つくしのような岩が林立し、壁のような岩山がどこまでも続き、巨大な大地の裂け目があり、見渡す限りの大砂丘の海があり・・・。太陽と風が生み出した、極度に乾燥・風化した美しい世界です。私が好んで使っている“サハラ最深部”という表現は、海から最も遠い場所という意味のみならず、サハラが最も深い魅力を持つ場所という意味も込めて使っています。
極めて過酷で、極めて美しい世界です。そんな場所に、かつて緑があり、豊富な水があったというのですから・・・。壁画は必見です!!
どんな壁画なのか?といいますと・・・
1万年前頃に描かれた絵には、象やキリンなど、現在この地では見られなくなったサバンナの大型動物が描かれています。またワニなどの水辺の動物の絵もあり、この地が水と緑の豊かな土地であったことの証拠です。人間が描かれているものは拙いタッチですが、狩猟の光景だと思われるものが多く、人々の暮らしが狩猟・採集で成り立っていたことが解ります。
6千年前以降に描かれてた絵には、牛を追う人々の姿が多くあります。狩猟の絵もまだ描かれていますが、人々の暮らしが狩猟・採集から、牧畜が中心の暮らしに変わったことを物語っています。暮らしが豊かになったことが影響しているのか?この頃の絵には、美術的な進歩が見られます。ディテールに富み、躍動感溢れるものが珍しくありません。モチーフは、牧畜風景に限らず、舞踏、川で戯れる人々、ヨットに乗る人々、野生動物、戦争、神(?)などなど、その題材も豊富です。
4千年前以降に描かれた絵には、馬車が登場します。もともとこの地に馬はいませんでした。オリエント発祥の馬車を駆り、地中海系の民族がこの地まで南下してきたことを物語っています。この馬車に乗ってやって来た民族はガラマンテス人。サハラの北に王国を建国します。アカクスの北には、その頃の王都と思われる遺跡が残っています。馬車の絵は、奴隷狩りの光景だと考えられていて、馬車を引く馬の溢れる躍動感は、とても印象的です。
2千年程前から現在にかけて描かれた絵には、牛の姿も馬の姿もありません。あるのは、羊・ヤギ・ラクダばかり。乾燥に強い動物たちです。2千年程前から、サハラの乾燥化が顕著になったことがわかります。十分な水がないと牛は飼えません。人々の暮らしは、かつての豊かさを失ってしまいました。この時代の絵には、躍動感も何もありません。絵から『立体感』や『音』を感じることもありません。ただ、平面の壁に描かれた拙い絵ばかり・・・。また、絵に加え文字も登場します。ティファナグ文字やアラビア文字。ティファナグ文字は、現在この地に暮らすトゥアレグ族が使っていた文字で、現在でも読むことは可能とのこと。
で、その壁画に、フルベ族がどう関係しているかというと。6千年前の牛を追う人々の暮らしぶりが、現在のフルベ族の暮らしぶりとそっくりなのです。この壁画に描かれている牛を追う人々は、フルベ族の祖先だとする研究者もいます。
今回の自転車旅に出る前の私、サハラの南を旅したことがなかった私にとって、フルベ族とは、あの壁画の人々でした。実際には、会ったことも見たこともない民族なのに、知っているような感覚がありました・・・。あの壁画、いきいきとした暮らしが描かれていた壁画、今にも絵が動き出しそうな舞踏の壁画、本物そっくりに描かれた牛の壁画、沢山の牛を飼っている一家の壁画。それらを思い出すと、私の脳みそが、乾燥した草原で牛を追いながら暮らす現代のフルベ族のビジョンを作り出すのです。カラーの映像です、音も付いてます。まるで、昔の旅の記憶を思い出した時のように、私の脳みそが、見たことも会ったこともないフルベ族の姿を思い出すのです。
そういう理由で、私、フルベ族に凄く興味があったのですよ。

写真1)フルベ族の女性。マリのジェンネで出会ったファテマタさん。口元の刺青はフルベ女性のお洒落です。
2つ前のエントリーでちょっと触れましたが、私、フルベ族に興味があったのです。西アフリカで彼らに出会うことを楽しみにしていました。
私がフルベ族を知ったきっかけは・・・、2003年のこと。職場でツアー用の資料を作っていたら、その資料に載っていました。私が勤めていた会社は西遊旅行、知っている人は知っている秘境旅行のパイオニアです。そのツアーは、リビア南部の『タドラール・アカクス』という岩山地帯を訪れるツアーでした。
リビアの『タドラール・アカクス』や、国境を挟んで西側・アルジェリアの『タッシリ・ナジェール』一帯には、1万年前から現在に至るまでの、数千点に及ぶ“壁画”が残されています。それらの壁画を残したのは、この地に暮らした人々。住居に使われていたであろう、岩山の斜面の窪みなどに絵が描かれています。それらの絵からは、サハラの1万年の歴史と、当時の人々の暮らしぶりが伺えます。
知ってますよね? サハラは昔、緑の大地だったんです。
2004年と2005年、私はリビアやアルジェリアで、サハラ最深部の乾ききった大地に刻まれた、サハラの緑の記憶を沢山見てきました。海外出張(添乗)には何度も出ていますが、このサハラ最深部の壁画を見学に行くツアーが、私の一番のお気に入り(思い出)となっています。
そこには、“信じ難い”光景が広がっています。つくしのような岩が林立し、壁のような岩山がどこまでも続き、巨大な大地の裂け目があり、見渡す限りの大砂丘の海があり・・・。太陽と風が生み出した、極度に乾燥・風化した美しい世界です。私が好んで使っている“サハラ最深部”という表現は、海から最も遠い場所という意味のみならず、サハラが最も深い魅力を持つ場所という意味も込めて使っています。
極めて過酷で、極めて美しい世界です。そんな場所に、かつて緑があり、豊富な水があったというのですから・・・。壁画は必見です!!
どんな壁画なのか?といいますと・・・
1万年前頃に描かれた絵には、象やキリンなど、現在この地では見られなくなったサバンナの大型動物が描かれています。またワニなどの水辺の動物の絵もあり、この地が水と緑の豊かな土地であったことの証拠です。人間が描かれているものは拙いタッチですが、狩猟の光景だと思われるものが多く、人々の暮らしが狩猟・採集で成り立っていたことが解ります。
6千年前以降に描かれてた絵には、牛を追う人々の姿が多くあります。狩猟の絵もまだ描かれていますが、人々の暮らしが狩猟・採集から、牧畜が中心の暮らしに変わったことを物語っています。暮らしが豊かになったことが影響しているのか?この頃の絵には、美術的な進歩が見られます。ディテールに富み、躍動感溢れるものが珍しくありません。モチーフは、牧畜風景に限らず、舞踏、川で戯れる人々、ヨットに乗る人々、野生動物、戦争、神(?)などなど、その題材も豊富です。
4千年前以降に描かれた絵には、馬車が登場します。もともとこの地に馬はいませんでした。オリエント発祥の馬車を駆り、地中海系の民族がこの地まで南下してきたことを物語っています。この馬車に乗ってやって来た民族はガラマンテス人。サハラの北に王国を建国します。アカクスの北には、その頃の王都と思われる遺跡が残っています。馬車の絵は、奴隷狩りの光景だと考えられていて、馬車を引く馬の溢れる躍動感は、とても印象的です。
2千年程前から現在にかけて描かれた絵には、牛の姿も馬の姿もありません。あるのは、羊・ヤギ・ラクダばかり。乾燥に強い動物たちです。2千年程前から、サハラの乾燥化が顕著になったことがわかります。十分な水がないと牛は飼えません。人々の暮らしは、かつての豊かさを失ってしまいました。この時代の絵には、躍動感も何もありません。絵から『立体感』や『音』を感じることもありません。ただ、平面の壁に描かれた拙い絵ばかり・・・。また、絵に加え文字も登場します。ティファナグ文字やアラビア文字。ティファナグ文字は、現在この地に暮らすトゥアレグ族が使っていた文字で、現在でも読むことは可能とのこと。
で、その壁画に、フルベ族がどう関係しているかというと。6千年前の牛を追う人々の暮らしぶりが、現在のフルベ族の暮らしぶりとそっくりなのです。この壁画に描かれている牛を追う人々は、フルベ族の祖先だとする研究者もいます。
今回の自転車旅に出る前の私、サハラの南を旅したことがなかった私にとって、フルベ族とは、あの壁画の人々でした。実際には、会ったことも見たこともない民族なのに、知っているような感覚がありました・・・。あの壁画、いきいきとした暮らしが描かれていた壁画、今にも絵が動き出しそうな舞踏の壁画、本物そっくりに描かれた牛の壁画、沢山の牛を飼っている一家の壁画。それらを思い出すと、私の脳みそが、乾燥した草原で牛を追いながら暮らす現代のフルベ族のビジョンを作り出すのです。カラーの映像です、音も付いてます。まるで、昔の旅の記憶を思い出した時のように、私の脳みそが、見たことも会ったこともないフルベ族の姿を思い出すのです。
そういう理由で、私、フルベ族に凄く興味があったのですよ。
- [2008/04/16 17:28]
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ノスタルジックな町の素敵な宿
2008年4月8日 サンルイで3泊した宿の名前は『Cafe des Arts』。素敵なところでした。
19世紀から20世紀初頭のフランス植民地下の町並みを残すサンルイ。フランス人が住んでいた小奇麗な街は、セネガル独立後約50年で、ずいぶんと古びてしまっています。でも、その傷み具合が、私には魅力的です。この地を去った支配者たちの残り香と、今を元気に陽気に生きるセネガル人たちの暮らしぶりが、妙にマッチしています。
そんな町にある素敵な宿『Cafe des Arts』は、中州の北西の端の方。碁盤の目上の通りが、すっかり砂に覆われてしまっている、住宅街のなかにあります。

写真1)外観からでは、ホテルとは解らない・・・。小さな看板が目印。

写真2)外観はボロボロですが、部屋は小奇麗☆

写真3)客室4室とロビー、サロン、テラス、バスルームにも、沢山『Art』が!
建物自体は100年前後前のものでしょう。高い天井、広い部屋、ちょっと歪んだ床・・・、こういう古い建物って好きです、私。おそらく、こういった絵がなければ、ここはボロボロの安ホテルになってしまうのでしょう。しかし、これらの作品たちが、ノスタルジックな町の古びた建物に、全く違和感なく溶け込んでいます。
パステルカラーのカーテンを通って差し込む光が、とても素敵☆
管理人のセネガル人女性は、全く英語話せないけど、上品なフランス語を流暢に操り、物腰もエレガントで素敵☆
Cafe des Arts 、サンルイを訪れた際には、ぜひご利用下さい。1泊ドミトリーで4000フラン(1000円)なり。蚊帳付いてます。風呂場のお湯出ませんけど。
19世紀から20世紀初頭のフランス植民地下の町並みを残すサンルイ。フランス人が住んでいた小奇麗な街は、セネガル独立後約50年で、ずいぶんと古びてしまっています。でも、その傷み具合が、私には魅力的です。この地を去った支配者たちの残り香と、今を元気に陽気に生きるセネガル人たちの暮らしぶりが、妙にマッチしています。
そんな町にある素敵な宿『Cafe des Arts』は、中州の北西の端の方。碁盤の目上の通りが、すっかり砂に覆われてしまっている、住宅街のなかにあります。

写真1)外観からでは、ホテルとは解らない・・・。小さな看板が目印。

写真2)外観はボロボロですが、部屋は小奇麗☆

写真3)客室4室とロビー、サロン、テラス、バスルームにも、沢山『Art』が!
建物自体は100年前後前のものでしょう。高い天井、広い部屋、ちょっと歪んだ床・・・、こういう古い建物って好きです、私。おそらく、こういった絵がなければ、ここはボロボロの安ホテルになってしまうのでしょう。しかし、これらの作品たちが、ノスタルジックな町の古びた建物に、全く違和感なく溶け込んでいます。
パステルカラーのカーテンを通って差し込む光が、とても素敵☆
管理人のセネガル人女性は、全く英語話せないけど、上品なフランス語を流暢に操り、物腰もエレガントで素敵☆
Cafe des Arts 、サンルイを訪れた際には、ぜひご利用下さい。1泊ドミトリーで4000フラン(1000円)なり。蚊帳付いてます。風呂場のお湯出ませんけど。
- [2008/04/08 23:47]
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バマコ初歩き
12月18日 未明に到着したバマコの宿(ダンスの合宿所)。夜明けと共に眠り、再び目を覚ますと11時でした。5時間は寝ました。改めて、今日1日の始まりです。
お風呂セットも携行していた私は冷たい水のシャワーで目を覚まし、やはり携行していたシャツに着替えました。が、一緒に来た2人(福岡人の美奈さん、英人女性のナターシャ)は着替えどころか、石鹸も歯ブラシもない・・・。という訳で、午後はお買い物に行く事になりました。
3人のうち、美奈さんは土地の言葉(バンバラ語)とフランス語を少しずつ話し、ナターシャも少しフランス語を話す。私はフランス語ほとんどダメ・・・。言葉が通じない旅なんて、まぁいつものことなので臆しはしませんが、到着初日に言葉が解る同行者がいてくれるのは心強い☆
買い物に先立って、まずは現地通過を入手せねばなりません。マリのお金は、セーファー・フラン(西アフリカ・フラン。マリ周辺の国々も同じ)。ATMが使える銀行が中心部にあるので、そこへ行きたいのですが・・・、この宿が町のどこに位置しているのかが解らないことには行きようがありません。舞踊団のおじさんたちに地図を見せながら、あ〜だ、こ〜だ、と質問しますが、いまいちはっきり解らない・・・。結局、ひとり案内をつけてくれる事になりました。
町の中心部へは、タクシーで移動。5kmほどの移動で3000フラン。1円=5フランなので、600円!?高い・・・の?安いの?まだ物価が解りません。案内のおじさんが連れて行ってくれたのは、BDM・マリ開発銀行。ATMは、小さな小屋になっていて、入り口には警備員もいました。VISAカードで、6000円相当の3万フランをおろしました。これが何日でなくなるか?それを見て、今後の計画を立てることにします。
朝から何も食べてない私たちが次に向かったのは道端の屋台。私に、マリ料理のイメージは全くなく、これが正真正銘初めてのマリ料理です。腰掛けた屋台では、白米に魚と野菜を煮込んだドロドロのスープがかかった料理を食べました。味は・・・、イケル!! 日本人の口に合います。砂粒が入ってて、噛むたびにジャリジャリなるのは仕方ないとして・・・、マリ料理は十分楽しめそうです☆

写真1)屋台でお食事中。魚スープのぶっかけご飯、200フラン(40円)なり。
お腹が膨らむと、次はお買い物。着替えのない女性陣は、マリ人女性が巻いてる腰巻の大きな布を買いに行きました。マリ2度目の美奈さんは、買い物交渉も慣れたもので、高いだとか、何だとか言いながら、テキパキ交渉してます。彼女たちが腰巻用の布を見ている隣で、私はターバンに使えそうな布を探します。マリには、トゥアレグ族という民族がいますが、私はそのトゥアレグのターバンが好きなんです。
トゥアレグ族は、サハラの一番深いところ、マリ北部、ニジェール北部、アルジェリア南部、リビア南部に暮らす砂漠の民。サハラのキャラバン隊の主力であり、サハラの盗賊でもあった、ちょっと攻撃的な民族です。彼らの居住する地域に国境線が沢山引かれた結果、いずれの国でも少数派となってしまっています。で、それぞれの国で、分離独立を求めて戦っています。
そのトゥアレグの象徴的な服装が、青い衣とカラフルなターバン。真っ青な衣が、褐色の砂漠に良く映えます。ターバンの色は色々ですが、やはり、青が一番良く似合う。だから、私は青いターバンを買いました。このブログの上段右にあるプロフィールの写真、あれがそのターバンですよ。あの写真の男、私ですよ。念のため。
ちなみに、私は以前仕事で訪れたリビアやアルジェリアで購入したトゥアレグのターバンは、オレンジ、白、緑。すでに3枚所有してます。私、民族帽子&ターバンの収集家なんです。

写真2)買い物は中央市場(グラン・マルシェ)の一角の衣料品街で。
買い物も済んだし、帰りは歩いて宿まで戻りました。すでにバマコ市街地図が頭にある私は、これで宿の位置がはっきりと解りました。町の中心から大して遠くはありませんでした。大抵の場所には歩いていけそうです。ま、自転車が届けばどこにだって行けますけど。
夕方は、それぞれのんびり過ごしました。本を読んだり、お話したり、ぼけぇ〜っとしたり、横になったり・・・。日没後、ナターシャと2人で近所の屋台に夕食へ。食べたのは、牛の串焼き、ポテトフライ、バナナフライ、など。どれも美味かった☆ たらふく食べても500フラン(100円)以下。なんて良い国なんでしょう!!物価激高のフランスから来たので、涙が出そうなくらい嬉しい・・・。
マリ到着初日は、のんびりして終わりました。明日は自転車届くと良いけどなぁ・・・
お風呂セットも携行していた私は冷たい水のシャワーで目を覚まし、やはり携行していたシャツに着替えました。が、一緒に来た2人(福岡人の美奈さん、英人女性のナターシャ)は着替えどころか、石鹸も歯ブラシもない・・・。という訳で、午後はお買い物に行く事になりました。
3人のうち、美奈さんは土地の言葉(バンバラ語)とフランス語を少しずつ話し、ナターシャも少しフランス語を話す。私はフランス語ほとんどダメ・・・。言葉が通じない旅なんて、まぁいつものことなので臆しはしませんが、到着初日に言葉が解る同行者がいてくれるのは心強い☆
買い物に先立って、まずは現地通過を入手せねばなりません。マリのお金は、セーファー・フラン(西アフリカ・フラン。マリ周辺の国々も同じ)。ATMが使える銀行が中心部にあるので、そこへ行きたいのですが・・・、この宿が町のどこに位置しているのかが解らないことには行きようがありません。舞踊団のおじさんたちに地図を見せながら、あ〜だ、こ〜だ、と質問しますが、いまいちはっきり解らない・・・。結局、ひとり案内をつけてくれる事になりました。
町の中心部へは、タクシーで移動。5kmほどの移動で3000フラン。1円=5フランなので、600円!?高い・・・の?安いの?まだ物価が解りません。案内のおじさんが連れて行ってくれたのは、BDM・マリ開発銀行。ATMは、小さな小屋になっていて、入り口には警備員もいました。VISAカードで、6000円相当の3万フランをおろしました。これが何日でなくなるか?それを見て、今後の計画を立てることにします。
朝から何も食べてない私たちが次に向かったのは道端の屋台。私に、マリ料理のイメージは全くなく、これが正真正銘初めてのマリ料理です。腰掛けた屋台では、白米に魚と野菜を煮込んだドロドロのスープがかかった料理を食べました。味は・・・、イケル!! 日本人の口に合います。砂粒が入ってて、噛むたびにジャリジャリなるのは仕方ないとして・・・、マリ料理は十分楽しめそうです☆

写真1)屋台でお食事中。魚スープのぶっかけご飯、200フラン(40円)なり。
お腹が膨らむと、次はお買い物。着替えのない女性陣は、マリ人女性が巻いてる腰巻の大きな布を買いに行きました。マリ2度目の美奈さんは、買い物交渉も慣れたもので、高いだとか、何だとか言いながら、テキパキ交渉してます。彼女たちが腰巻用の布を見ている隣で、私はターバンに使えそうな布を探します。マリには、トゥアレグ族という民族がいますが、私はそのトゥアレグのターバンが好きなんです。
トゥアレグ族は、サハラの一番深いところ、マリ北部、ニジェール北部、アルジェリア南部、リビア南部に暮らす砂漠の民。サハラのキャラバン隊の主力であり、サハラの盗賊でもあった、ちょっと攻撃的な民族です。彼らの居住する地域に国境線が沢山引かれた結果、いずれの国でも少数派となってしまっています。で、それぞれの国で、分離独立を求めて戦っています。
そのトゥアレグの象徴的な服装が、青い衣とカラフルなターバン。真っ青な衣が、褐色の砂漠に良く映えます。ターバンの色は色々ですが、やはり、青が一番良く似合う。だから、私は青いターバンを買いました。このブログの上段右にあるプロフィールの写真、あれがそのターバンですよ。あの写真の男、私ですよ。念のため。
ちなみに、私は以前仕事で訪れたリビアやアルジェリアで購入したトゥアレグのターバンは、オレンジ、白、緑。すでに3枚所有してます。私、民族帽子&ターバンの収集家なんです。

写真2)買い物は中央市場(グラン・マルシェ)の一角の衣料品街で。
買い物も済んだし、帰りは歩いて宿まで戻りました。すでにバマコ市街地図が頭にある私は、これで宿の位置がはっきりと解りました。町の中心から大して遠くはありませんでした。大抵の場所には歩いていけそうです。ま、自転車が届けばどこにだって行けますけど。
夕方は、それぞれのんびり過ごしました。本を読んだり、お話したり、ぼけぇ〜っとしたり、横になったり・・・。日没後、ナターシャと2人で近所の屋台に夕食へ。食べたのは、牛の串焼き、ポテトフライ、バナナフライ、など。どれも美味かった☆ たらふく食べても500フラン(100円)以下。なんて良い国なんでしょう!!物価激高のフランスから来たので、涙が出そうなくらい嬉しい・・・。
マリ到着初日は、のんびりして終わりました。明日は自転車届くと良いけどなぁ・・・
- [2007/12/18 22:07]
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アフリカの大地に降り立つ
12月18日 アフリカの始まりは、やはりトラブル続きでした・・・
カサブランカ国際空港を1時間遅れで飛び立った飛行機は、深夜の空をグングン上昇。僅か2時間半のフライトですが、ここで寝ておかないと、バマコ到着後が大変です。未明のバマコ国際空港に到着したら、自転車を組み立てて、夜明けと共に、15km離れた市内へ向かうつもり。
私、飛行機の中で寝るのは得意です。会社員時代は、離陸前に眠りに落ち、機内食の時間だけ起きてて、その後、着陸まで眠るというのが通常でした。日本国内線などは機内食も機内サービスも簡素化されてしまってるから、起こされることもないし・・・。搭乗後すぐに眠りに落ちると、離陸時の重力も着陸の衝撃も感じず・・・、いつも『ワープ』したかのような気分になってました。「あれ?まだ羽田の滑走路だよな?あっ、福岡だ!」って。
で、今回も早々に眠りに落ちました。機内食の後はいつもコーヒーを飲みますが、それでも良く眠れます。さすがに、2時間ちょっとのフライトでは、熟睡とはいかず、バマコ到着間際の機内アナウンスで起こされました。眼下には、丑三つ時のバマコの町明りが見えます。さぁ、アフリカの大地に着陸です!!

写真1)降り立ったの飛行機は、滑走路の隅に停止。タラップに出ると、ひんやりとした夜の空気が全身を包みました。ゆっくりと深呼吸すると・・・ 「土の匂いだ!」 乾いた空気に土の仄かな匂いが混じっていました。五感で感じた、最初のアフリカです。

写真2)滑走路の隅を歩き、到着ターミナルへ。右手の小さな建物がそれ。
マリ入国の手続きは至って簡単に済みました。入国カードを書きましたが、係員はほとんどそのカードを見ることなく、パスポートにスタンプを押して、はい終わり。パリのロイヤル・モロッコ航空の係員に無理やり買わされた『バマコ→パリ復路航空券』の提示を求められることは、もちろんありません。
到着ターミナルにひとつだけあるターンテーブルの前で、荷物が回り始めるのを待ちます。皆、先を争ってターンテーブルの前に陣取りますが、どうせ私の巨大な段ボールは最後になるでしょうから、私はちょっと離れたところで、カートに腰掛け、のんびり待ちました。時折、ガイドを自称するマリ人やタクシー運転手が声をかけてきますが、相手にしません。だって、私は夜明けを待って、自転車で市内へ向かい、自分の足でマリを旅するのですから。
30分経ちました。荷物は少しずつ出てますが、まだターンテーブル前には、沢山のひとだかりがありました。見渡すと、カサブランカの空港で声をかけた日本人旅行者の美奈さんの姿もあります。まだまだ・・・、待つしかなさそうです。
更に30分経ちました。が、相変わらず・・・。更に30分経っても、まだ私の段ボールは出てきません・・・。更に・・・、待つと、空港職員らしき男が現われ、「フィニ!」とひとこと。終わりですってよ!?
こういうこともあるだろうと思っていました。私の荷物は、乗ってきた飛行機に積まれていなかったのです・・・。
ロイヤル・モロッコ航空の預け荷物制限はエコノミークラスの乗客でも、ひとり40kgまで。20kgが一般的な制限なのに、随分と大盤振る舞いではないですか。この航空会社は、出稼ぎや移住でヨーロッパへ行ったアフリカ人たちをターゲットに、このような大盤振る舞いのサービスをしているのでしょう。
故郷へ帰るアフリカの人々は、沢山荷物を持って帰ります。故郷の一族へのお土産や、電化製品などもあるでしょう。皆が皆、40kgの荷物を持ち込めば・・・、全部は運べないですよ、そりゃ・・・。 自社のボーイング767機が運べる貨物の限界を知りながら、ひとり40kgのサービスをやってしまうロイヤルモロッコ航空・・・、この会社を使って失敗だったかも・・・。
まぁ、しかし、ないものは仕方ない。念のため、1〜2日分の生活必需品は機内持ち込み荷物に入れています。ひとまず、市内へ向かって、明日届くか?明後日届くか?解らない荷物を待つ他、方法はないのです。『さぁて?どうやって市内に行こうか?タクシー高いだろうなぁ・・・』
ボケェ〜っと思案に暮れている私に、同郷人の美奈さんが声をかけてくれました。「どこか泊まるところ決まってます?なんなら、私がこれから1ヶ月お世話になるダンスの合宿所みたいなところに泊まりませんか?」 「はい、喜んで!」 これがマリ2回目という彼女には、ワークショップ(ダンスを教える合宿)の関係者が出迎えに来ていました。泊まるところも紹介してもらえて、市内への送迎付きです。お誘いに甘えて着いていくことにしました。
空港を出る前に、空港の一室で、預け荷物遅延の報告手続きをしました。バゲージタグ(預り証)の無い私でしたが、コンピュータで確認すると、確かにパリ→バマコの荷物として扱われているようです。これだったら、待てば届きます。私たちの他に、20〜30人が荷物を受け取れなかったようで、窓口には沢山人が並んでいました。その列の中、私と美奈さんの前にいた英国人女性にも、声をかけ、3人で合宿所に向かう事になりました。美奈さんの迎えに来ていたのはマリ伝統舞踊団の2人。四駆の後部座席に疲れ顔の3人が並んで座ります。「まぁ、大丈夫ですよ。明日か明後日には届くさ、きっと」
市内へ向かう道は滑らかなアスファルトでした。『この感じだったら、マリのサイクリングは楽かもなぁ〜・・・』 なんて呑気に外を眺めてたら、急に車体が振れました!? この感覚・・・、パンクだな? 左側の後輪がパンクしたようです。運転手の若い男は、徐行しながらゆっくり走り続けています。大丈夫かな?と思ってたら、車輪がロックしたような急な減速・・・。こりゃ・・・、裂けたね?

写真3)空気の入ってないタイヤで走るもんだから・・・、タイヤが裂けてしまいました。
市内まではまだ10km近くあるでしょう。困った顔の出迎え2人と、疲れ顔の旅行者3人は、動き始めていた路線乗り合いタクシーで市内へ向かいました。交通費などは、全て出迎えのおじさんが持ってくれたようです。バマコ市中心部の市場に到着すると、まだ5時ぐらいだというのに、路上には露店が並んでいました。開店したばかりか?或いは、24時間営業か!?
市場からタクシーに乗り換え、到着したダンスの合宿所は、普通の住宅地の一角にありました。夜明け前で、まだ住人たちは眠っているのか、静かに中へ。案内された部屋は、マットレスひとつがあるだけの6畳ほどの部屋。アフリカですもの、驚きはしません。顔を洗い、歯を磨き、ダラダラとしていたら空が白んできました。
心 「美奈さん、今日はどうするんですか?」
美 「とりあえず寝ます。今日は1日のんびりしましょう。」
心 「では、そうしますかね。」
アフリカ旅の初日は、ひとまずココで一区切り。機内で寝たとはいえ、僅か2〜3時間です。疲れを残さぬよう、寝るとしますか。
カサブランカ国際空港を1時間遅れで飛び立った飛行機は、深夜の空をグングン上昇。僅か2時間半のフライトですが、ここで寝ておかないと、バマコ到着後が大変です。未明のバマコ国際空港に到着したら、自転車を組み立てて、夜明けと共に、15km離れた市内へ向かうつもり。
私、飛行機の中で寝るのは得意です。会社員時代は、離陸前に眠りに落ち、機内食の時間だけ起きてて、その後、着陸まで眠るというのが通常でした。日本国内線などは機内食も機内サービスも簡素化されてしまってるから、起こされることもないし・・・。搭乗後すぐに眠りに落ちると、離陸時の重力も着陸の衝撃も感じず・・・、いつも『ワープ』したかのような気分になってました。「あれ?まだ羽田の滑走路だよな?あっ、福岡だ!」って。
で、今回も早々に眠りに落ちました。機内食の後はいつもコーヒーを飲みますが、それでも良く眠れます。さすがに、2時間ちょっとのフライトでは、熟睡とはいかず、バマコ到着間際の機内アナウンスで起こされました。眼下には、丑三つ時のバマコの町明りが見えます。さぁ、アフリカの大地に着陸です!!

写真1)降り立ったの飛行機は、滑走路の隅に停止。タラップに出ると、ひんやりとした夜の空気が全身を包みました。ゆっくりと深呼吸すると・・・ 「土の匂いだ!」 乾いた空気に土の仄かな匂いが混じっていました。五感で感じた、最初のアフリカです。

写真2)滑走路の隅を歩き、到着ターミナルへ。右手の小さな建物がそれ。
マリ入国の手続きは至って簡単に済みました。入国カードを書きましたが、係員はほとんどそのカードを見ることなく、パスポートにスタンプを押して、はい終わり。パリのロイヤル・モロッコ航空の係員に無理やり買わされた『バマコ→パリ復路航空券』の提示を求められることは、もちろんありません。
到着ターミナルにひとつだけあるターンテーブルの前で、荷物が回り始めるのを待ちます。皆、先を争ってターンテーブルの前に陣取りますが、どうせ私の巨大な段ボールは最後になるでしょうから、私はちょっと離れたところで、カートに腰掛け、のんびり待ちました。時折、ガイドを自称するマリ人やタクシー運転手が声をかけてきますが、相手にしません。だって、私は夜明けを待って、自転車で市内へ向かい、自分の足でマリを旅するのですから。
30分経ちました。荷物は少しずつ出てますが、まだターンテーブル前には、沢山のひとだかりがありました。見渡すと、カサブランカの空港で声をかけた日本人旅行者の美奈さんの姿もあります。まだまだ・・・、待つしかなさそうです。
更に30分経ちました。が、相変わらず・・・。更に30分経っても、まだ私の段ボールは出てきません・・・。更に・・・、待つと、空港職員らしき男が現われ、「フィニ!」とひとこと。終わりですってよ!?
こういうこともあるだろうと思っていました。私の荷物は、乗ってきた飛行機に積まれていなかったのです・・・。
ロイヤル・モロッコ航空の預け荷物制限はエコノミークラスの乗客でも、ひとり40kgまで。20kgが一般的な制限なのに、随分と大盤振る舞いではないですか。この航空会社は、出稼ぎや移住でヨーロッパへ行ったアフリカ人たちをターゲットに、このような大盤振る舞いのサービスをしているのでしょう。
故郷へ帰るアフリカの人々は、沢山荷物を持って帰ります。故郷の一族へのお土産や、電化製品などもあるでしょう。皆が皆、40kgの荷物を持ち込めば・・・、全部は運べないですよ、そりゃ・・・。 自社のボーイング767機が運べる貨物の限界を知りながら、ひとり40kgのサービスをやってしまうロイヤルモロッコ航空・・・、この会社を使って失敗だったかも・・・。
まぁ、しかし、ないものは仕方ない。念のため、1〜2日分の生活必需品は機内持ち込み荷物に入れています。ひとまず、市内へ向かって、明日届くか?明後日届くか?解らない荷物を待つ他、方法はないのです。『さぁて?どうやって市内に行こうか?タクシー高いだろうなぁ・・・』
ボケェ〜っと思案に暮れている私に、同郷人の美奈さんが声をかけてくれました。「どこか泊まるところ決まってます?なんなら、私がこれから1ヶ月お世話になるダンスの合宿所みたいなところに泊まりませんか?」 「はい、喜んで!」 これがマリ2回目という彼女には、ワークショップ(ダンスを教える合宿)の関係者が出迎えに来ていました。泊まるところも紹介してもらえて、市内への送迎付きです。お誘いに甘えて着いていくことにしました。
空港を出る前に、空港の一室で、預け荷物遅延の報告手続きをしました。バゲージタグ(預り証)の無い私でしたが、コンピュータで確認すると、確かにパリ→バマコの荷物として扱われているようです。これだったら、待てば届きます。私たちの他に、20〜30人が荷物を受け取れなかったようで、窓口には沢山人が並んでいました。その列の中、私と美奈さんの前にいた英国人女性にも、声をかけ、3人で合宿所に向かう事になりました。美奈さんの迎えに来ていたのはマリ伝統舞踊団の2人。四駆の後部座席に疲れ顔の3人が並んで座ります。「まぁ、大丈夫ですよ。明日か明後日には届くさ、きっと」
市内へ向かう道は滑らかなアスファルトでした。『この感じだったら、マリのサイクリングは楽かもなぁ〜・・・』 なんて呑気に外を眺めてたら、急に車体が振れました!? この感覚・・・、パンクだな? 左側の後輪がパンクしたようです。運転手の若い男は、徐行しながらゆっくり走り続けています。大丈夫かな?と思ってたら、車輪がロックしたような急な減速・・・。こりゃ・・・、裂けたね?

写真3)空気の入ってないタイヤで走るもんだから・・・、タイヤが裂けてしまいました。
市内まではまだ10km近くあるでしょう。困った顔の出迎え2人と、疲れ顔の旅行者3人は、動き始めていた路線乗り合いタクシーで市内へ向かいました。交通費などは、全て出迎えのおじさんが持ってくれたようです。バマコ市中心部の市場に到着すると、まだ5時ぐらいだというのに、路上には露店が並んでいました。開店したばかりか?或いは、24時間営業か!?
市場からタクシーに乗り換え、到着したダンスの合宿所は、普通の住宅地の一角にありました。夜明け前で、まだ住人たちは眠っているのか、静かに中へ。案内された部屋は、マットレスひとつがあるだけの6畳ほどの部屋。アフリカですもの、驚きはしません。顔を洗い、歯を磨き、ダラダラとしていたら空が白んできました。
心 「美奈さん、今日はどうするんですか?」
美 「とりあえず寝ます。今日は1日のんびりしましょう。」
心 「では、そうしますかね。」
アフリカ旅の初日は、ひとまずココで一区切り。機内で寝たとはいえ、僅か2〜3時間です。疲れを残さぬよう、寝るとしますか。
- [2007/12/18 12:54]
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パリ出発!!
12月17日 朝からバタバタで・・・、最後までバタバタでした・・・
パリ出発の朝は、とにかくバタバタでした。朝食後、少しのんびりお茶して、貸し部屋で使ってたシーツ類の洗濯ついでに、郵便局へ。ヨーロッパ旅で溜まったパンフ類や使わなくなったフィルムカメラを日本に送るんです。ピレネーの小さな郵便局で国際航空小包の手続きに1時間近くもかかり、料金は33.5ユーロなり。慌てて、恋人に任せていた洗濯を見に行くと、ちょうど終わりかけてた。半乾きのモノと乾いたモノをきれいに畳み、帰宅するともう時計は1時前!?
昼食を作ってもらってる間に、私は最終荷作り。自転車と装備品が納まった巨大&超重量の段ボールを閉じて、出発準備は完了。食後、大家さんのところに挨拶に行き、バタバタと部屋を出たのが2時半・・・。巨大な箱を1階に降ろすのが大変極まりなく、キャリアにもギリギリ乗ってる(?)ってなもんで、かなり危なっかしい・・・。引きずるようにキャリアを転がし、郊外のシャルルドゴール空港に向かいましたが、本当に、これが大変な作業だった・・・。恋人が見送りに来てくれなかったら・・・、絶対に空港まで辿りつけなかった。つまり、独りでは絶対に運べなかった・・・・。
まずは、空港行きのRER(高速地下鉄)が通るパリ北駅へ。北駅行きのバス停で待っていると、1台目のバスの運転手(白人)は、私の大荷物を見て、冷たく乗車拒否・・・。2台目はアフリカ系の運転手だったので(?)乗せてもらえましたが、昼間だというのに、やたらとバスが混んでて周囲の客に迷惑千万・・・。「エクセキュゼモア!エクセキュゼモア!」
北駅到着後、RERに乗り換えですが・・・、RER線は、市中心部では地下を走ってて、当然、乗り場は地下にある・・・。階段をガッコン!ガッコン!ガタガタ!ガタガタ!荷台を軋ませながら降ろし、何とかホームにたどり着いたら、目の前にあったシャルル・ド・ゴール空港行き列車がちょうど出てしまった・・・。まだ搭乗手続き開始まで1時間はあるので慌てる必要はありません。次の列車に乗り込み、徐々に田舎になっていく車窓を眺めること30分。着いたのはシャルル・ド・ゴール(CDG)空港ターミナル1とターミナル3の鉄道駅。ここから空港シャトルに乗り換え、ターミナルへ向かうのですが、今日はそのシャトルがメカニカルな不具合(?)で、なかなか来ない・・・。ようやくやって来たシャトルは、満員電車状態で乗れず、また長々と待たされて2本目に乗り込むと、ターミナル1に到着できたのは、フライトの1時間半前でした。3時間前に到着するように出発したのに・・・。
5時、ようやく辿り付いたターミナル1の出発ロビーで、ここからが本当のトラブル!!
モロッコ航空のチェックインカウンターで航空券とパスポートを見せると、係員のおばさんが、 「あなたは、マリへ片道航空券で行くのですか?だったら、搭乗はできません。帰りのチケットを今ここで買いなさい!」ですと!! 得意のゴネで応戦するも全く取り合ってくれず、メガネの丸々したおばちゃん係員は私のパスポートを取り上げ、方々に電話をし始めた。待たされること30分、「やっぱりダメ!チケットを買え!」ですと・・・。
心 「あのぉ〜!片道でチケットを売ってくれたのは、あなた方モロッコ航空なんですよね? で、私はマリ大使館でビザを申請する際に、片道での入国の旨を伝えてますし。あなた方は、私がマリに不法残留する恐れがあるってことで片道での搭乗を許さないってことなんでしょうけど・・・、日本人がマリに出稼ぎに行くと思いますか?? そもそも、マリの入管が私の入国を許可しなかったとしても、それはマリ入管と私の問題であって、あなた方には関係ないことでしょう?」
係員「いいえ!何と言おうと、片道であることが問題なんです!チェックインの締め切りまであと5分ですけど?あなたはそのマリ行きの航空券を捨てるつもりなんですね。そうですか、けっこう!けっこう!私たちには何の問題にもなりませんから!
」
その物言いにカチン!!ときますが、仕方ありません。チェックインカウンター向かいの窓口で、バマコ→パリの正規チケット1222ユーロをカードでご購入。正規運賃なので、後日100%払い戻しが可能とのこと。「マリに到着したら手続きでいんの?」と確認すると、係員は、「もちろん、できるできる」と自信ありげ・・・。通常、払い戻し手続きは発券した場所でしかできないんですけど・・・? もうなんやかんやと確認してる時間はありません。慌てて、カウンターに戻ります。
で、一難去ってまた一難! 自転車の箱の総重量は51kgで、11kg分の超過料金(80ユーロ)を支払わされました。まぁ、これは仕方がないとして・・・、その後の対応がまたムカつくムカつく! 別カウンターで80ユーロ支払ってチェックインカウンターに戻ると、すでにカウンターは閉まっていて、唯ひとり残っていた係員が粗末な態度で搭乗券を渡してきました。通常行われる、搭乗口や登場時間の案内は一切なく、搭乗券と一緒に手渡されるべき『バゲージタグ(荷物の預り証・番号)』もくれなませんでした。更に!暴言が続きます!!
係員「はい、これが搭乗券。言っておきますけど、あなたが今持ってる2つの荷物。そのうち1つしか機内には持ち込めませんから、片方は捨てて行くことね!」
心 「えっ?だったら、もうひとつ超過料金払って、このバッグも預けるから手続き急いでくれ!」
係員「ご覧の通り、もうチェックイン手続きは終了しています。あなたにはその荷物を捨てる他に方法はないのよ。初めから、その荷物を預けなかったあなたが悪い。あなたの搭乗券には、手荷物は1つしか許可しないってメモしてますから、絶対に持ち込めませんからね!」
心 「初めから、持込みて荷物が1つって言ってくれとりゃ預けとったさ!!お前らのインフォームが足りんのやろうが!勤めを果たさんで、ナン言いよぉ〜とか!?」
係員「もう何もかも遅いんです。もう搭乗始まりますよ?残念ね、乗れなくって」
悪魔です・・・、悪魔!
この時点でフライトまで30分を切ってる!見送りの恋人に手荷物を託し、ターミナル内を全力疾走!!アフリカで使うユーロをATMでお金を下ろし、恋人から手荷物を受け取り、駆け足で出発口へ向かいますが・・・、入り口で「手荷物は1つだけ」と入場を拒否されてしまう!! 「だって、お客さんの搭乗券には、手荷物1つってメモがあるんですもの」
こいつも悪魔です!その場で、2つの荷物(バックパックと筒型のバッグ)を強引にひとつにまとめ、入りきらなかったお弁当(オニギリ)や飲み物は恋人に渡しました。天蓋も閉まらず、あっちこっちに沢山モノをぶら下げた不恰好なバックパックを背負い、強引に入場! 恋人としんみり別れの時間を過ごしたかったのに、バタバタばたばたの慌しいお別れとなってしまいました・・・。「見送りありがとう!飛行機乗れんかったら、帰って来るよ!!」
搭乗階に駆け上り、フランス出国手続きを済ませ、走って!走って! ポケットに入れていた自転車のヘルメットの鍔を落としたのも拾わず、走って!走って!! 4番ウィングへ。 X線検査の長い列は一番前に割り込みさせてもらい、チェックイン時に預ける余裕もなかったナイフは没収されてしまいますが・・・、「すまん、ナイフ持ってる俺が悪い!さっさと通してくれ!」 脱がされたジャケットや靴を履きなおし、搭乗口に辿り付くと・・・、まだ搭乗始まってないじゃん!? 時計は6時半、離陸予定時刻です。嗚呼、これだったら、もう少しのんびりできたのに・・・。
飛行機に乗り込む前に再び荷物にクレームを付けられ、バックパックの中の衣類を全部出して、その場で全て(シャツ2枚、ジャケット2つ)を着こんで、少しコンパクトになったバックパックで強引に搭乗口を突破! もはや、空港係員はどの顔を見ても、悪魔が憑いてるようにしか見えません。 「あっ!角があるよ、あんた。あんたは、シッポが見えてる!」
ようやく搭乗したのは、7時過ぎ。機内は完全に満席で、頭上のトランクも手荷物がギュウギュウに詰め込まれていました。これなら、荷物制限にも頷けるけど・・・、やはり、ムカつく係員どものあの態度! 1時間の遅れで、午後7時半、ようやく離陸しました。緊張の糸が切れたのか、飛び立ったとたんに眠りに落ちました・・・。

写真1)なんとか搭乗できました。久しぶり!2年2ヶ月ぶりの飛行機です。
「ムッシュ? チキン?それとも、ビーフ??」 起こしたのは、機内食のメニューを聞くアテンダントさんの声でした。愛想の良いアテンダントさんですが、さっきの余韻が残っているため、やはり、悪魔のように見えました。チキンの簡単な夕食の後は、寝れなくなりました。徐々に平常心を取り戻してくると、急に、恋人に満足なお別れを言えなかった悔しさ・申し訳なさが込み上げてきました・・・。初めてのブラック・アフリカの旅にも、不安を覚えます・・・。 「嗚呼・・・、なんやろう?この気持ち・・・?」 こんな気持ちは旅立ち以降初めてです。この飛行機が日本に向かってりゃいいのに、なんて思ったのは・・・。
珍しくセンチな私を慰めてくれたのは、機内誌の写真たちでした。モロッコやマリの美しい自然や伝統的な村々の特集があり、美しい写真が並んでいました。急にマリへの旅が少し楽しみになってきた☆ 念願だったサハラ中心部縦断旅は道を閉ざされたも同然ですが・・・・、だったら、マリを徹底的に楽しんで、マリからセネガル、モーリタニアを経て、サハラの西端を走るルートを楽しもうじゃないか!!
おっし!俄然、気分盛り上がってきた☆
カサブランカ空港に着くと、そこは近代的なターミナル。たまたまパリからの便に乗り合わせていたアジア人女性は、日本人のように見えたので、飛行機を降りてから話しかけてみると、やはり日本人! 同じくマリに向かうらしく、話し相手ができて、また少し気分が落ち着きました。約2時間の乗り継ぎ、高い空港のカフェのコーラ(2ユーロ!)を飲みながら、手持ち無沙汰にゲート前の椅子に腰掛けて待つ・・・。それにしても喉が渇く・・・。パリ出発時に飲み物を買えなかったし、とにかく嫌な汗を沢山かいてるし・・・。嗚呼、オニギリ食べたかったなぁ〜・・・。
搭乗30分前、日本人女性が現われたのでまた話しかけてみると、なんと同じ福岡市民☆ まさかこんな飛行機で乗り合わせるとは、ちょっと驚き。聞くと、マリの伝統舞踊を習いに、2〜3ヶ月のレッスン旅に行くのだとか。西アフリカの踊りや太鼓が世界的に有名なのは知っていたけど、実は福岡にはアフリカンダンサー(日本人)が多くて、活動も活発なのだとか。それにもやはり驚いた! 彼女の名前は、美奈さん。福岡を拠点に『劇団アフリカ』という、アフリカンダンスを軸にした劇団をやっているらしい。

写真2)カサブランカ空港の搭乗ロビー。アフリカ各地への便は、夜中発が多いみたい。
なんやかんやと話している内に予定よりも30分遅れて搭乗開始。ここカサブランカもすでにアフリカだけど、この飛行機が次に降り立つところが、私のアフリカ旅のスタート地点になります。長い1日はまだまだ続くけど、この搭乗を境に12月17日の〆としましょうか。
怒涛のパリ出発でした。悪魔たちの無責任な職務態度には腹が立って仕方ありませんが、到着が遅れた私も悪い・・・。次の大陸間飛行機移動への良い教訓となりました。

写真3)パリで食べた最後の食事は、白いご飯とお味噌汁☆ ちなみに、食べ損なったオニギリは、牛ソボロでした・・・。
パリ出発の朝は、とにかくバタバタでした。朝食後、少しのんびりお茶して、貸し部屋で使ってたシーツ類の洗濯ついでに、郵便局へ。ヨーロッパ旅で溜まったパンフ類や使わなくなったフィルムカメラを日本に送るんです。ピレネーの小さな郵便局で国際航空小包の手続きに1時間近くもかかり、料金は33.5ユーロなり。慌てて、恋人に任せていた洗濯を見に行くと、ちょうど終わりかけてた。半乾きのモノと乾いたモノをきれいに畳み、帰宅するともう時計は1時前!?
昼食を作ってもらってる間に、私は最終荷作り。自転車と装備品が納まった巨大&超重量の段ボールを閉じて、出発準備は完了。食後、大家さんのところに挨拶に行き、バタバタと部屋を出たのが2時半・・・。巨大な箱を1階に降ろすのが大変極まりなく、キャリアにもギリギリ乗ってる(?)ってなもんで、かなり危なっかしい・・・。引きずるようにキャリアを転がし、郊外のシャルルドゴール空港に向かいましたが、本当に、これが大変な作業だった・・・。恋人が見送りに来てくれなかったら・・・、絶対に空港まで辿りつけなかった。つまり、独りでは絶対に運べなかった・・・・。
まずは、空港行きのRER(高速地下鉄)が通るパリ北駅へ。北駅行きのバス停で待っていると、1台目のバスの運転手(白人)は、私の大荷物を見て、冷たく乗車拒否・・・。2台目はアフリカ系の運転手だったので(?)乗せてもらえましたが、昼間だというのに、やたらとバスが混んでて周囲の客に迷惑千万・・・。「エクセキュゼモア!エクセキュゼモア!」
北駅到着後、RERに乗り換えですが・・・、RER線は、市中心部では地下を走ってて、当然、乗り場は地下にある・・・。階段をガッコン!ガッコン!ガタガタ!ガタガタ!荷台を軋ませながら降ろし、何とかホームにたどり着いたら、目の前にあったシャルル・ド・ゴール空港行き列車がちょうど出てしまった・・・。まだ搭乗手続き開始まで1時間はあるので慌てる必要はありません。次の列車に乗り込み、徐々に田舎になっていく車窓を眺めること30分。着いたのはシャルル・ド・ゴール(CDG)空港ターミナル1とターミナル3の鉄道駅。ここから空港シャトルに乗り換え、ターミナルへ向かうのですが、今日はそのシャトルがメカニカルな不具合(?)で、なかなか来ない・・・。ようやくやって来たシャトルは、満員電車状態で乗れず、また長々と待たされて2本目に乗り込むと、ターミナル1に到着できたのは、フライトの1時間半前でした。3時間前に到着するように出発したのに・・・。
5時、ようやく辿り付いたターミナル1の出発ロビーで、ここからが本当のトラブル!!
モロッコ航空のチェックインカウンターで航空券とパスポートを見せると、係員のおばさんが、 「あなたは、マリへ片道航空券で行くのですか?だったら、搭乗はできません。帰りのチケットを今ここで買いなさい!」ですと!! 得意のゴネで応戦するも全く取り合ってくれず、メガネの丸々したおばちゃん係員は私のパスポートを取り上げ、方々に電話をし始めた。待たされること30分、「やっぱりダメ!チケットを買え!」ですと・・・。
心 「あのぉ〜!片道でチケットを売ってくれたのは、あなた方モロッコ航空なんですよね? で、私はマリ大使館でビザを申請する際に、片道での入国の旨を伝えてますし。あなた方は、私がマリに不法残留する恐れがあるってことで片道での搭乗を許さないってことなんでしょうけど・・・、日本人がマリに出稼ぎに行くと思いますか?? そもそも、マリの入管が私の入国を許可しなかったとしても、それはマリ入管と私の問題であって、あなた方には関係ないことでしょう?」
係員「いいえ!何と言おうと、片道であることが問題なんです!チェックインの締め切りまであと5分ですけど?あなたはそのマリ行きの航空券を捨てるつもりなんですね。そうですか、けっこう!けっこう!私たちには何の問題にもなりませんから!
」
その物言いにカチン!!ときますが、仕方ありません。チェックインカウンター向かいの窓口で、バマコ→パリの正規チケット1222ユーロをカードでご購入。正規運賃なので、後日100%払い戻しが可能とのこと。「マリに到着したら手続きでいんの?」と確認すると、係員は、「もちろん、できるできる」と自信ありげ・・・。通常、払い戻し手続きは発券した場所でしかできないんですけど・・・? もうなんやかんやと確認してる時間はありません。慌てて、カウンターに戻ります。
で、一難去ってまた一難! 自転車の箱の総重量は51kgで、11kg分の超過料金(80ユーロ)を支払わされました。まぁ、これは仕方がないとして・・・、その後の対応がまたムカつくムカつく! 別カウンターで80ユーロ支払ってチェックインカウンターに戻ると、すでにカウンターは閉まっていて、唯ひとり残っていた係員が粗末な態度で搭乗券を渡してきました。通常行われる、搭乗口や登場時間の案内は一切なく、搭乗券と一緒に手渡されるべき『バゲージタグ(荷物の預り証・番号)』もくれなませんでした。更に!暴言が続きます!!
係員「はい、これが搭乗券。言っておきますけど、あなたが今持ってる2つの荷物。そのうち1つしか機内には持ち込めませんから、片方は捨てて行くことね!」
心 「えっ?だったら、もうひとつ超過料金払って、このバッグも預けるから手続き急いでくれ!」
係員「ご覧の通り、もうチェックイン手続きは終了しています。あなたにはその荷物を捨てる他に方法はないのよ。初めから、その荷物を預けなかったあなたが悪い。あなたの搭乗券には、手荷物は1つしか許可しないってメモしてますから、絶対に持ち込めませんからね!」
心 「初めから、持込みて荷物が1つって言ってくれとりゃ預けとったさ!!お前らのインフォームが足りんのやろうが!勤めを果たさんで、ナン言いよぉ〜とか!?」
係員「もう何もかも遅いんです。もう搭乗始まりますよ?残念ね、乗れなくって」
悪魔です・・・、悪魔!
この時点でフライトまで30分を切ってる!見送りの恋人に手荷物を託し、ターミナル内を全力疾走!!アフリカで使うユーロをATMでお金を下ろし、恋人から手荷物を受け取り、駆け足で出発口へ向かいますが・・・、入り口で「手荷物は1つだけ」と入場を拒否されてしまう!! 「だって、お客さんの搭乗券には、手荷物1つってメモがあるんですもの」
こいつも悪魔です!その場で、2つの荷物(バックパックと筒型のバッグ)を強引にひとつにまとめ、入りきらなかったお弁当(オニギリ)や飲み物は恋人に渡しました。天蓋も閉まらず、あっちこっちに沢山モノをぶら下げた不恰好なバックパックを背負い、強引に入場! 恋人としんみり別れの時間を過ごしたかったのに、バタバタばたばたの慌しいお別れとなってしまいました・・・。「見送りありがとう!飛行機乗れんかったら、帰って来るよ!!」
搭乗階に駆け上り、フランス出国手続きを済ませ、走って!走って! ポケットに入れていた自転車のヘルメットの鍔を落としたのも拾わず、走って!走って!! 4番ウィングへ。 X線検査の長い列は一番前に割り込みさせてもらい、チェックイン時に預ける余裕もなかったナイフは没収されてしまいますが・・・、「すまん、ナイフ持ってる俺が悪い!さっさと通してくれ!」 脱がされたジャケットや靴を履きなおし、搭乗口に辿り付くと・・・、まだ搭乗始まってないじゃん!? 時計は6時半、離陸予定時刻です。嗚呼、これだったら、もう少しのんびりできたのに・・・。
飛行機に乗り込む前に再び荷物にクレームを付けられ、バックパックの中の衣類を全部出して、その場で全て(シャツ2枚、ジャケット2つ)を着こんで、少しコンパクトになったバックパックで強引に搭乗口を突破! もはや、空港係員はどの顔を見ても、悪魔が憑いてるようにしか見えません。 「あっ!角があるよ、あんた。あんたは、シッポが見えてる!」
ようやく搭乗したのは、7時過ぎ。機内は完全に満席で、頭上のトランクも手荷物がギュウギュウに詰め込まれていました。これなら、荷物制限にも頷けるけど・・・、やはり、ムカつく係員どものあの態度! 1時間の遅れで、午後7時半、ようやく離陸しました。緊張の糸が切れたのか、飛び立ったとたんに眠りに落ちました・・・。

写真1)なんとか搭乗できました。久しぶり!2年2ヶ月ぶりの飛行機です。
「ムッシュ? チキン?それとも、ビーフ??」 起こしたのは、機内食のメニューを聞くアテンダントさんの声でした。愛想の良いアテンダントさんですが、さっきの余韻が残っているため、やはり、悪魔のように見えました。チキンの簡単な夕食の後は、寝れなくなりました。徐々に平常心を取り戻してくると、急に、恋人に満足なお別れを言えなかった悔しさ・申し訳なさが込み上げてきました・・・。初めてのブラック・アフリカの旅にも、不安を覚えます・・・。 「嗚呼・・・、なんやろう?この気持ち・・・?」 こんな気持ちは旅立ち以降初めてです。この飛行機が日本に向かってりゃいいのに、なんて思ったのは・・・。
珍しくセンチな私を慰めてくれたのは、機内誌の写真たちでした。モロッコやマリの美しい自然や伝統的な村々の特集があり、美しい写真が並んでいました。急にマリへの旅が少し楽しみになってきた☆ 念願だったサハラ中心部縦断旅は道を閉ざされたも同然ですが・・・・、だったら、マリを徹底的に楽しんで、マリからセネガル、モーリタニアを経て、サハラの西端を走るルートを楽しもうじゃないか!!
おっし!俄然、気分盛り上がってきた☆
カサブランカ空港に着くと、そこは近代的なターミナル。たまたまパリからの便に乗り合わせていたアジア人女性は、日本人のように見えたので、飛行機を降りてから話しかけてみると、やはり日本人! 同じくマリに向かうらしく、話し相手ができて、また少し気分が落ち着きました。約2時間の乗り継ぎ、高い空港のカフェのコーラ(2ユーロ!)を飲みながら、手持ち無沙汰にゲート前の椅子に腰掛けて待つ・・・。それにしても喉が渇く・・・。パリ出発時に飲み物を買えなかったし、とにかく嫌な汗を沢山かいてるし・・・。嗚呼、オニギリ食べたかったなぁ〜・・・。
搭乗30分前、日本人女性が現われたのでまた話しかけてみると、なんと同じ福岡市民☆ まさかこんな飛行機で乗り合わせるとは、ちょっと驚き。聞くと、マリの伝統舞踊を習いに、2〜3ヶ月のレッスン旅に行くのだとか。西アフリカの踊りや太鼓が世界的に有名なのは知っていたけど、実は福岡にはアフリカンダンサー(日本人)が多くて、活動も活発なのだとか。それにもやはり驚いた! 彼女の名前は、美奈さん。福岡を拠点に『劇団アフリカ』という、アフリカンダンスを軸にした劇団をやっているらしい。

写真2)カサブランカ空港の搭乗ロビー。アフリカ各地への便は、夜中発が多いみたい。
なんやかんやと話している内に予定よりも30分遅れて搭乗開始。ここカサブランカもすでにアフリカだけど、この飛行機が次に降り立つところが、私のアフリカ旅のスタート地点になります。長い1日はまだまだ続くけど、この搭乗を境に12月17日の〆としましょうか。
怒涛のパリ出発でした。悪魔たちの無責任な職務態度には腹が立って仕方ありませんが、到着が遅れた私も悪い・・・。次の大陸間飛行機移動への良い教訓となりました。

写真3)パリで食べた最後の食事は、白いご飯とお味噌汁☆ ちなみに、食べ損なったオニギリは、牛ソボロでした・・・。
- [2007/12/18 03:00]
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アフリカへ
12月17日 パリを発ちます。
向かう先は、アフリカはマリ!
サハラ砂漠の真ん中よりちょっと南にある国です。
2年2ヶ月ぶりの飛行機旅だ〜・・・、空港行くの、ちょっと緊張します。
ではでは、アフリカへ向け、行ってきまぁ〜す!!
向かう先は、アフリカはマリ!
サハラ砂漠の真ん中よりちょっと南にある国です。
2年2ヶ月ぶりの飛行機旅だ〜・・・、空港行くの、ちょっと緊張します。
ではでは、アフリカへ向け、行ってきまぁ〜す!!
- [2007/12/17 22:08]
- Western Europe/欧州 #2 |
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渤海の海水を・・・
11月11日 ユーラシア大陸横断を終えた翌々日、大事な儀式を行いました。
あれはもう1年11ヶ月も前の出来事・・・。旅立ちから18日目の2005年12月21日、中国の秦皇島(島じゃないよ、町の名前です)に上陸した翌日、万里の長城が海に接する場所『老龍頭』というところまで日帰りサイクリングをしました。そこで、渤海(ぼっ海)の海水をフィルムケースに入れてきたんです。
詳しいことは、その時のエピソードを読んでもらいましょう → 幻の最東端
あの渤海の海水、その後もずっと、ずぅ〜っと!持ち運んでいました。酷暑のインドシナででも、海抜5000m超のチベット高原ででも、氷点下のキルギス南部山岳地帯ででも、トルクメニスタンのカラグム砂漠ででも、沈没地イスタンブールででも、真っ青なアドリア海沿いの港町ででも、アルプス最高峰モンブランの麓の村ででも、スペインの巡礼路ででも・・・、ずっとサイドバッグの奥底に入れていました。
何で渤海の海水なぞを運んでいたかというと、『いつか大西洋に達したら、この渤海の海水を大西洋に撒いてやろう!』と思っていたからです。特に理由はありません。そういうことがしたかったのです。
11月4日にスペイン北部で少しだけ大西洋岸の道路を走りました。しかし、そこは単なる通過点。渤海の水を撒くべき場所ではありません。
11月9日にユーラシア大陸最西端の岬、ロカ岬に到達しました。そう!このロカ岬こそが撒くべき場所です!! 頭の片隅で『渤海の水を撒かなきゃ』と思いながら、ロカ岬でのユーラシア大陸横断完了の瞬間を迎えました。目の前に広がる大西洋は、あの海水を汲んできた渤海から、約2万8800kmの旅路の末に行き着いた海・・・。
でも、結局、ロカ岬では撒きませんでした。ロカ岬は、海面から140mの断崖の突端にあります。崖の真下は海ではなく、岩だらけの狭い海岸になっています。この崖の上から撒いても、大西洋には届きません。海風も強いし、きっと、そこらへんの崖や岩に飛び散るだけで終わってしまうでしょう・・・。ここじゃダメだ・・・。
ロカ岬からリスボン市内に向かう途中に、エンリケ航海王子のモニュメントを訪れました。海岸の公園にある船のモニュメントは、今から大洋へと漕ぎ出さんばかりに、海にせり出しています。でも、痛い事に気がつきました。フィルムケース、バッグの底に入れっぱなしだ・・・!!
もう日没間際、今からこの公園で自転車の荷を解いて、カバンの底からフィルムケースを探し出すのは面倒な作業です・・・。まぁ、いいか、ここでは撒くのは止めよう。
11月11日、結局リスボン中心部の海岸で撒くことにしました。午後10時、ひとけの少ない海岸の公園へ。リスボン大橋を遠めに見ながら、潮の引いた砂浜へ降りました。周囲には夜釣りの地元民が数名。釣りの邪魔にはならないでしょう、ただ海水を撒くだけですから。慎重にフィルムケースの蓋を開け、大きく振りかぶって・・・、フゥッ!!
パチャ・・・小さい文字
微かに!微かに!!ですが、フィルム1杯の渤海の水が、大西洋の海面に着水する音が聞こえました。小波の音でかき消されそうな小さな音でしたが、確かに、確かに聞こえました。
ただそれだけです。何の意味もありません。ただ、こういうことがしたかったんです。
厳かな儀式を終えた後、なんだか可笑しくなってきました。『で?・・・なんだったんだろう?』 自分でも良く解りません。でも、とても楽しい儀式でした。暗い日曜の晩のリスボン市街、宿へと戻る私はニコニコと変な笑顔を浮かべていました。
ユーラシア大陸の東の果ての海で汲んで来た、ほんの僅かな海水を、ユーラシア大陸の西の果ての海に撒いた。ただそれだけなんです。

写真1)これが、フィルムケース1杯の渤海の水。

写真2)こんな海岸で、“儀式”をしました。
あれはもう1年11ヶ月も前の出来事・・・。旅立ちから18日目の2005年12月21日、中国の秦皇島(島じゃないよ、町の名前です)に上陸した翌日、万里の長城が海に接する場所『老龍頭』というところまで日帰りサイクリングをしました。そこで、渤海(ぼっ海)の海水をフィルムケースに入れてきたんです。
詳しいことは、その時のエピソードを読んでもらいましょう → 幻の最東端
あの渤海の海水、その後もずっと、ずぅ〜っと!持ち運んでいました。酷暑のインドシナででも、海抜5000m超のチベット高原ででも、氷点下のキルギス南部山岳地帯ででも、トルクメニスタンのカラグム砂漠ででも、沈没地イスタンブールででも、真っ青なアドリア海沿いの港町ででも、アルプス最高峰モンブランの麓の村ででも、スペインの巡礼路ででも・・・、ずっとサイドバッグの奥底に入れていました。
何で渤海の海水なぞを運んでいたかというと、『いつか大西洋に達したら、この渤海の海水を大西洋に撒いてやろう!』と思っていたからです。特に理由はありません。そういうことがしたかったのです。
11月4日にスペイン北部で少しだけ大西洋岸の道路を走りました。しかし、そこは単なる通過点。渤海の水を撒くべき場所ではありません。
11月9日にユーラシア大陸最西端の岬、ロカ岬に到達しました。そう!このロカ岬こそが撒くべき場所です!! 頭の片隅で『渤海の水を撒かなきゃ』と思いながら、ロカ岬でのユーラシア大陸横断完了の瞬間を迎えました。目の前に広がる大西洋は、あの海水を汲んできた渤海から、約2万8800kmの旅路の末に行き着いた海・・・。
でも、結局、ロカ岬では撒きませんでした。ロカ岬は、海面から140mの断崖の突端にあります。崖の真下は海ではなく、岩だらけの狭い海岸になっています。この崖の上から撒いても、大西洋には届きません。海風も強いし、きっと、そこらへんの崖や岩に飛び散るだけで終わってしまうでしょう・・・。ここじゃダメだ・・・。
ロカ岬からリスボン市内に向かう途中に、エンリケ航海王子のモニュメントを訪れました。海岸の公園にある船のモニュメントは、今から大洋へと漕ぎ出さんばかりに、海にせり出しています。でも、痛い事に気がつきました。フィルムケース、バッグの底に入れっぱなしだ・・・!!
もう日没間際、今からこの公園で自転車の荷を解いて、カバンの底からフィルムケースを探し出すのは面倒な作業です・・・。まぁ、いいか、ここでは撒くのは止めよう。
11月11日、結局リスボン中心部の海岸で撒くことにしました。午後10時、ひとけの少ない海岸の公園へ。リスボン大橋を遠めに見ながら、潮の引いた砂浜へ降りました。周囲には夜釣りの地元民が数名。釣りの邪魔にはならないでしょう、ただ海水を撒くだけですから。慎重にフィルムケースの蓋を開け、大きく振りかぶって・・・、フゥッ!!
パチャ・・・小さい文字
微かに!微かに!!ですが、フィルム1杯の渤海の水が、大西洋の海面に着水する音が聞こえました。小波の音でかき消されそうな小さな音でしたが、確かに、確かに聞こえました。
ただそれだけです。何の意味もありません。ただ、こういうことがしたかったんです。
厳かな儀式を終えた後、なんだか可笑しくなってきました。『で?・・・なんだったんだろう?』 自分でも良く解りません。でも、とても楽しい儀式でした。暗い日曜の晩のリスボン市街、宿へと戻る私はニコニコと変な笑顔を浮かべていました。
ユーラシア大陸の東の果ての海で汲んで来た、ほんの僅かな海水を、ユーラシア大陸の西の果ての海に撒いた。ただそれだけなんです。

写真1)これが、フィルムケース1杯の渤海の水。

写真2)こんな海岸で、“儀式”をしました。
- [2007/11/11 23:44]
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ユーラシア大陸横断完了
11月9日午後1時16分、旅立ちから707日、走行2万9579kmで、ユーラシア大陸最西端・ポルトガルはロカ岬に到達!!
ユーラシア大陸横断の旅は、このロカ岬到達をもって完了しました。大西洋にせり出したこの断崖は、西経9度30分。この大きな大きなユーラシア大陸の一番西に位置する場所です。重い自転車を傍らに、額の汗を拭い、強い海風の音の中で、自分の浅い呼吸音が微かに聞こえていました。目の前に広がるのは、どこまでも続く大西洋。海抜140mの断崖の下には、大きな波が真っ白な帯となって打ち寄せていました。
ここは、“陸 尽き、海 始まる”ところ。
ロカ岬、実はこれが2度目の訪問。初めて来たのは、1999年の夏。ユーラシア大陸を西→東に横断したバックパック旅の始めに訪れています。前回と今回、やはり今回の方が圧倒的に感慨深い場所です。ユーラシア大陸の東の果てに浮かぶ島から、自転車で2年近くかけて自力で走って来たんですから。今日の大西洋は、水平線が霞んでいて海と空の境目がなくなっていました。ぼんやりと海を眺め、時折話しかけてくる観光客の相手をしながら、微かな気持ちの昂りを感じていました。
この大海原の向こうに、アメリカ大陸がある!!21世紀に生きる私たちには、当り前の知識ですが、かつてこの地から大海原に漕ぎ出した船乗りたちは、そんなこと微塵も知りませんでした。残念ながら、“陸の旅人”の私はここから大海原に漕ぎ出すことはできませんが、いずれ、8〜9ヶ月後かな・・・、新大陸を走り出します。
岬では、世界中から観光客がやってきます。日本人団体客、韓国人団体客、ケニア人一家、ポルトガルで働くブラジル人カップル、冬はキャンピングカーで旅するドイツ人老夫婦、アメリカからヨットで大西洋を渡ってきたアメリカ人夫婦、ロンドンに暮らすインドネシア人一家、チェコ人カップル、えとせとら。人々と少しずつ言葉を交わし、数名から祝福の言葉を頂きました。
観光客「ここがあなたの旅のゴールなのね!おめでとう!!」
心 「ありがとう。でも、ここはひとつのゴールに過ぎなくて、あくまで通過点です。来月にはアフリカに渡ります。まだまだ私の旅は半分が終わったかな?というところですよ。」
次なる旅のステージは、アフリカ!!西アフリカのマリを基点に、サハラ砂漠の国々を旅するつもりです。その準備のために、11月中旬〜12月中旬は、フランスのパリで過ごすことになります。ゴールは、スタートでもあります。次の旅が始まったのです。強風の中、静かに佇む私には、徐々に込み上げてくる“ゴールの感動”と、“次の旅への期待”がいっぱいでした。
岬を去る前に、岬の観光案内所で発行している『最西端到達証明書』なるものを購入しました。初めて訪れた時も買いましたが、その時のものは、単なるお土産でした。今回は、正真正銘の“証明書”です。奮発して、10ユーロもする高級な台紙に書いてもらいました。
西に傾いた太陽が、大西洋を真っ白い光に包み始めていました。早く出発しなければ、リスボン到着が日没後になってしまいます。漕ぎ出したペダルは相変わらず重いけれど、気持ちは軽い↑鼻歌どころか、大声で歌いながら、リスボン目指して50kmの道のりを駆け抜けました。路肩のないポルトガルの狭い道路もなんのその!マナーの悪いボルトガルの車もなんのその!
日没間際、リスボン市街の外れにある、“エンリケ航海王子”のモニュメントに立ち寄りました。王子は、ポルトガルの大航海時代のリーダー。彼が開いた航海学校や造船所が、ポルトガルを大海原へ導いたのです。彼自身も、アフリカ西海岸への探検航を行っています。
夕日を浴びてオレンジ色に光る船のモニュメント、その舳先に立つエンリケ王子に話しかけました。「王子、次の俺の旅のステージは、あなたが旅した西アフリカですよ。」 海辺の公園で寛ぐリスボンっ子たちが、感慨深げにモニュメントを見つめる、可笑しなサイクリストを遠めに囲んでいました。
リスボン中心部に入ったのは日没後でした。リスボン留学中のドイツ人青年の案内で安宿に入り、昼の残りのパンで簡単な夕食を済ませた後、ベッドに横になると、急に体が重くなりました。2ヶ月で駆け抜けたヨーロッパ、休養らしい休養は一度もありませんでした。その疲れからか?ユーラシア大陸横断を終えた安堵感からか?体が動いてくれません・・・。でも、心はとても穏やかで、幸福感に満ちていました。目を閉じると、すぐに眠りに落ちました。
ユーラシア大陸横断の旅は終り。明日11月10日から、新しい旅のスタート! バスでパリまで移動し、パリでアフリカ旅の準備に入ります。アフリカ入りは、12月18日の予定です。

写真1)「なんてこった!陸が尽きて、海が始まったぞ!?」 ロカ岬の断崖に立つ私。

写真2)最西端のモニュメントと、私と、相棒・自右衛門号。

写真3)この海の彼方にアメリカ大陸がある・・・、の?本当に??

写真4)エンリケ航海王子の船のモニュメント。先頭に立つのが王子。その後は航海士や船乗りたちかな。
ユーラシア大陸横断の旅は、このロカ岬到達をもって完了しました。大西洋にせり出したこの断崖は、西経9度30分。この大きな大きなユーラシア大陸の一番西に位置する場所です。重い自転車を傍らに、額の汗を拭い、強い海風の音の中で、自分の浅い呼吸音が微かに聞こえていました。目の前に広がるのは、どこまでも続く大西洋。海抜140mの断崖の下には、大きな波が真っ白な帯となって打ち寄せていました。
ここは、“陸 尽き、海 始まる”ところ。
ロカ岬、実はこれが2度目の訪問。初めて来たのは、1999年の夏。ユーラシア大陸を西→東に横断したバックパック旅の始めに訪れています。前回と今回、やはり今回の方が圧倒的に感慨深い場所です。ユーラシア大陸の東の果てに浮かぶ島から、自転車で2年近くかけて自力で走って来たんですから。今日の大西洋は、水平線が霞んでいて海と空の境目がなくなっていました。ぼんやりと海を眺め、時折話しかけてくる観光客の相手をしながら、微かな気持ちの昂りを感じていました。
この大海原の向こうに、アメリカ大陸がある!!21世紀に生きる私たちには、当り前の知識ですが、かつてこの地から大海原に漕ぎ出した船乗りたちは、そんなこと微塵も知りませんでした。残念ながら、“陸の旅人”の私はここから大海原に漕ぎ出すことはできませんが、いずれ、8〜9ヶ月後かな・・・、新大陸を走り出します。
岬では、世界中から観光客がやってきます。日本人団体客、韓国人団体客、ケニア人一家、ポルトガルで働くブラジル人カップル、冬はキャンピングカーで旅するドイツ人老夫婦、アメリカからヨットで大西洋を渡ってきたアメリカ人夫婦、ロンドンに暮らすインドネシア人一家、チェコ人カップル、えとせとら。人々と少しずつ言葉を交わし、数名から祝福の言葉を頂きました。
観光客「ここがあなたの旅のゴールなのね!おめでとう!!」
心 「ありがとう。でも、ここはひとつのゴールに過ぎなくて、あくまで通過点です。来月にはアフリカに渡ります。まだまだ私の旅は半分が終わったかな?というところですよ。」
次なる旅のステージは、アフリカ!!西アフリカのマリを基点に、サハラ砂漠の国々を旅するつもりです。その準備のために、11月中旬〜12月中旬は、フランスのパリで過ごすことになります。ゴールは、スタートでもあります。次の旅が始まったのです。強風の中、静かに佇む私には、徐々に込み上げてくる“ゴールの感動”と、“次の旅への期待”がいっぱいでした。
岬を去る前に、岬の観光案内所で発行している『最西端到達証明書』なるものを購入しました。初めて訪れた時も買いましたが、その時のものは、単なるお土産でした。今回は、正真正銘の“証明書”です。奮発して、10ユーロもする高級な台紙に書いてもらいました。
西に傾いた太陽が、大西洋を真っ白い光に包み始めていました。早く出発しなければ、リスボン到着が日没後になってしまいます。漕ぎ出したペダルは相変わらず重いけれど、気持ちは軽い↑鼻歌どころか、大声で歌いながら、リスボン目指して50kmの道のりを駆け抜けました。路肩のないポルトガルの狭い道路もなんのその!マナーの悪いボルトガルの車もなんのその!
日没間際、リスボン市街の外れにある、“エンリケ航海王子”のモニュメントに立ち寄りました。王子は、ポルトガルの大航海時代のリーダー。彼が開いた航海学校や造船所が、ポルトガルを大海原へ導いたのです。彼自身も、アフリカ西海岸への探検航を行っています。
夕日を浴びてオレンジ色に光る船のモニュメント、その舳先に立つエンリケ王子に話しかけました。「王子、次の俺の旅のステージは、あなたが旅した西アフリカですよ。」 海辺の公園で寛ぐリスボンっ子たちが、感慨深げにモニュメントを見つめる、可笑しなサイクリストを遠めに囲んでいました。
リスボン中心部に入ったのは日没後でした。リスボン留学中のドイツ人青年の案内で安宿に入り、昼の残りのパンで簡単な夕食を済ませた後、ベッドに横になると、急に体が重くなりました。2ヶ月で駆け抜けたヨーロッパ、休養らしい休養は一度もありませんでした。その疲れからか?ユーラシア大陸横断を終えた安堵感からか?体が動いてくれません・・・。でも、心はとても穏やかで、幸福感に満ちていました。目を閉じると、すぐに眠りに落ちました。
ユーラシア大陸横断の旅は終り。明日11月10日から、新しい旅のスタート! バスでパリまで移動し、パリでアフリカ旅の準備に入ります。アフリカ入りは、12月18日の予定です。

写真1)「なんてこった!陸が尽きて、海が始まったぞ!?」 ロカ岬の断崖に立つ私。

写真2)最西端のモニュメントと、私と、相棒・自右衛門号。

写真3)この海の彼方にアメリカ大陸がある・・・、の?本当に??

写真4)エンリケ航海王子の船のモニュメント。先頭に立つのが王子。その後は航海士や船乗りたちかな。
- [2007/11/11 00:54]
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自転車の教会に行こう!
2007年10月9日 最後の晩餐がダメなら、ここに行こう!!
レオナルド・ダ・ヴィンチの【最後の晩餐】が見たかったのに・・・、要予約ですってよ・・・。今日の明日に扉を叩いて、「ちょっと今から見せて下さい!」じゃ、ダメなんです。一応明日、扉を叩きに行ってきますけど・・・、99%無理でしょう。
せっかくミラノに来たのに・・・
ちょっとガッカリしていた私ですが、素敵な“代わり”を思い付きました☆
知ってはいたんですが、すっかり忘れていました!ミラノの近くに、『サイクリストの守護聖人/サンタ・マドンナ』が祀られている教会があるんですよ!!
サイクリストの守護聖人って・・・、何?って思いますよね。守護聖人ってのは、ローマン・カトリックの人なら解るでしょうけど、特定の地域(例えば町)や職業や日にち人などを保護する聖人のことです。
この教会、サンタ・マドンナ・デル・ギザッロ教会に祀られている聖女サンタ・マドンナさんが、何でサイクリストの守護聖人になっているのか?よく理由は知りませんが、ヨーロッパのサイクリストには、とても有名な教会なのです。
私も、この教会に行きたい!
最後の晩餐を逃してしまったからには、この教会だけは逃すまい!!
サンタ・マドンナ・デル・ギザッロ教会がある、コモ湖畔までは、ミラノから北に70kmぐらい。旅の進行方向(西)を考えると、2日分ぐらいの遠回りになってしまいますが、行かない訳にはいきません。
次の目的地は決まりました。明日は、ミラノ中心部の見所をサラッと見学した後、北上してコモ湖を目指します!
レオナルド・ダ・ヴィンチの【最後の晩餐】が見たかったのに・・・、要予約ですってよ・・・。今日の明日に扉を叩いて、「ちょっと今から見せて下さい!」じゃ、ダメなんです。一応明日、扉を叩きに行ってきますけど・・・、99%無理でしょう。
せっかくミラノに来たのに・・・
ちょっとガッカリしていた私ですが、素敵な“代わり”を思い付きました☆
知ってはいたんですが、すっかり忘れていました!ミラノの近くに、『サイクリストの守護聖人/サンタ・マドンナ』が祀られている教会があるんですよ!!
サイクリストの守護聖人って・・・、何?って思いますよね。守護聖人ってのは、ローマン・カトリックの人なら解るでしょうけど、特定の地域(例えば町)や職業や日にち人などを保護する聖人のことです。
この教会、サンタ・マドンナ・デル・ギザッロ教会に祀られている聖女サンタ・マドンナさんが、何でサイクリストの守護聖人になっているのか?よく理由は知りませんが、ヨーロッパのサイクリストには、とても有名な教会なのです。
私も、この教会に行きたい!
最後の晩餐を逃してしまったからには、この教会だけは逃すまい!!
サンタ・マドンナ・デル・ギザッロ教会がある、コモ湖畔までは、ミラノから北に70kmぐらい。旅の進行方向(西)を考えると、2日分ぐらいの遠回りになってしまいますが、行かない訳にはいきません。
次の目的地は決まりました。明日は、ミラノ中心部の見所をサラッと見学した後、北上してコモ湖を目指します!
- [2007/10/09 23:23]
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