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サヨナラ・イスタンブール 

8月8日 あぁ~・・・去りがたい・・・

 素敵な時間でした、とても去りがたいです・・・。また帰って来るのかな・・・?1年後?3年後?それとも10年後??帰って来ないことはないと思います。イスタンブールはそんな街です。大陸の交差点ですからね。

 これからギリシアの国境を目指して西に走り出します!国境通過は、明後日8月10日!

 走るぞぉ~!!
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イスタンブールあと3日間・・・ 

8月5日 イスタンブール滞在45日目!

 長い長い長ぁ~いイスタンブールになりました。まさか、こんなに長居するとは思ってもいませんでしたが、とても楽しい時間を過ごしています。

 大陸の交差点、イスタンブールには多くの旅人が集います。宿泊している宿は、『ツリー・オブ・ライフ』という日本人宿。毎日たくさんの日本人旅行者が訪れます。ヨーロッパを旅してきた人、アジアを旅してきた人、アフリカ・中近東を旅してきた人、日本からやってきたばかりの人、トルコ在住の人、実に様々です。
 ここは旅人たちの宿り木のような場所。慣れぬ異国を流離ってきた日本の青年たちが、束の間の“日本”を過ごせる場所です。宿代は、ドミトリーで5ユーロ。よそは大抵10ユーロはします。こここは安いのみならず、共同キッチンがあり、自炊も可能なので、物価高のイスタンブールではとても有り難い宿

 そんな宿でのんびりしている私の楽しみは、旅をする若者の夢や理想や現実を聞いたり、日本食に飢えた旅人たちに夕食を振る舞ったり、アイスクリームを食べたり、魚釣りに出掛けたり、素敵な女性とお出掛けしたり、ライター仕事をしたり、マンガ本を読んだり、日本の音楽を聴いたり、毎日があっという間に過ぎています。結果・・・、45泊目・・・

 もっとのんびりしていたいぐらいですが、もう時間です。トルコは90日までならビザなしで滞在できますが、私はすでに80日ちょっと滞在しています・・・。イスタンブールからギリシア国境までは、3日の走行。となると、8月8日には走り始めなければ、オーバーステイ(不法残留)ということになってしまいます。

 というわけで、8月8日にイスタンブールを経ちます。少々・・・、いや、かなり長居し過ぎました。私の旅は、のんびりバカンス旅でもなければ、自分探しの旅でもありません。確かなゴールと、そこへ向かう情熱を持っています。たまの休養は大事ですが、今回のはちょっと・・・、長過ぎたかな・・・。 沈没への反省から来る物悲しさと、この街で出会った人とお別れしなければならない寂しさと、ヨーロッパを走り出す興奮と、その他もろもろを胸に詰め込んで、この街に後にします。イスタンブール滞在、残る3日間を大事にしなきゃなぁ~・・・

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写真1)イスタンブールの釣りの名所・ガラタ橋。小アジやボラが釣れる。

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写真2)吊り上げた小アジは南蛮漬けになりました。

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写真3)西日本新聞の連載記事で取り上げた、ボールパフォーマー藤原真治さんとトルコの少年たち。

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写真4)心特製・豚ソーセージコロッケ☆ 上手でしょ?

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写真5)日課となった夜のお散歩。ガラタ橋とガラタ塔の夜景。きれいでしょ?

イスタンブールが好きです 

7月28日 イスタンブール37泊目か?

 『沈没』という言葉をご存知でしょうか?そう、船が沈んだりする時に使う、あの沈没です。しかし、ここで私が言いたいのは、その沈没ではありません。私らのような旅行者が使う場合、『沈没』とは、『旅の間に、どこか特定の場所に留まり、無目的にダラダラとしてる状態』を言います。

 私は今、沈没状態なのでしょうか??

 多分、そうです・・・



 イスタンブールという街は、私にとって特別な街。どれくらい特別かというと、この10年間で、故郷福岡と会社員時代を過ごした東京、その次にくるぐらい長い時間を過ごしている街です。多分、3か月ぐらいいます。
 歴史的建造物と近代的なビル、7つの丘とボスポラス海峡、アジアとヨーロッパの架け橋・・・。街を歩けば、感動的な光景の連続です。何十回と歩いた通りでも、いつも違った光景に見えます。イスタンブールは、いつまでも私の中で輝いているんですよね。

 今回、私がこの街に沈没してしまっている原因は、いろいろありますが、主に、怠け心が原因です。先を急ごうと思えば、急げるのでしょうけども、急ぐのはもったいないので、もう少しだけこの街を感じる時間を下さい。

 ブログの書き込みが少ないので、私が精神的に落ち込んでいたり、旅に不自由が生じていたり、情熱を失っているのではないか?と心配している方もいるでことでしょう心配は無用です。大好きな街でのんびり過ごしているので、今の私は、とてつもないエネルギーを溜め込んでいます。

 あと少し、あと少しだけ、イスタンブールを・・・

イスタンブール4週間・・・ 

7月17日 アジア横断完了の余韻もすっかり醒めてしまったかな・・・。イスタンブール、もう4週間になります。

 この街は、私が最も多くの旅の時間を費やしている街。98年以降、度々訪れ、今回も長い滞在になりました。

 この先には、ヨーロッパの旅が待っていますが、なかなか出発の目処は立ちません。いつまでもこの街に居たい気もしますが・・・、そうもいかない・・・。

 まぁ、あと数日で出る事になるでしょう。イスタンブール、素敵な街です☆

トルコのEU加盟は可能か? 

2007年6月30日 コチラのエントリーと関連して、トルコのEU加盟の可能性に、論じてみます。

 私は国際政治専門家ではないので、見当ハズレもあるかも知れませんが・・・


 かつて、東ヨーロッパにまで領土を有したイスラームの大国、オスマントルコ帝国は、第一次世界大戦で、ドイツ&オーストリア側に付き、敗戦国となりました。敗戦国は、戦勝国に裁かれるのが歴史の常。1920年のセーブル条約では、トルコは、かつてのオスマン帝国の領土のごく一部、現在のトルコよりも少し小さい領土に収められることが決まりました。この条約によると、現在のトルコ南東部のクルド人地域は、周辺国(イラク・シリア)の一部と合わせて、『クルディスタン』として別の国になるはずでした。
 しかし、弱小国になり下がったトルコで、あの有名な男が台頭します。青年将校ムスタファ・ケマル! 後に、アタ・チュルク、“トルコの父”と呼ばれるのリーダーの政治手腕により、国家の再建と外敵・ギリシアの排除が達成され、1923年のローザンヌ条約では、旧条約(セーブル条約)の取り決めを覆す形で、現在のトルコの領土が確定しました。この時、シリアの北西部・地中海岸地域もトルコ領となった為、現在でもシリアはこの地域の領有を主張しています。

 アタ・チュルクといえば、トルコの顔です。紙幣は全ての額面にアタ・チュルクの肖像画。役所や学校には必ずアタ・チュルクの肖像画。トルコを旅していて、アタ・チュルクの顔を見ない日は、まずありません。アタ・チュルクを否定することは不敬罪にあたります(多分、現在でも)。確かに、このトルコの父は、偉業を達成し、現在のトルコを導いた有能な指導者だったようです。
 アタ・チュルクが目指した、新しいトルコは、ヨーロッパ的なトルコ。ちょうど、明治期の日本のようなものです。西洋列強に追いつけと富国強兵に励んでたでしょう?日本に通ずるのは、もうひとつあります。それは英国の影響。当時、ロシアと仲が悪かった英国は、トルコを強くすることで、ロシアの拡大を阻止したかった。日本も日英同盟なんてものを結びましたよね?そんな英国の影響もあって、トルコは、敗戦国ながら、徐々に力を取り戻していきます。
 アタ・チュルクの指導は、彼が没する1938年まで続き、その理想は、その後も受け継がれました。80数年経った今でも変わりません。トルコは、ヨーロッパになることを目指しています。EUが発足した際、トルコは、真っ先に将来の加盟希望を述べました。2005年には、EUのお偉いさんが、トルコのEU加盟に関して、正式な手続きの検討を始める、と言うに至りました。


 が!?トルコのEU加盟には、大きな大きな壁があります。結論から申しますと、EUの主要国は、トルコに、EUに加盟して欲しくないのです。


 EU主要国がいうトルコの問題点とは・・・? 


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さよならアジア 

6月22日 旅立ちから567日、走行2万3950kmでした。

 アジアとヨーロッパが交差する街・イスタンブール。この街は、98年以来、度々訪れている私が最も良く知る街のひとつ。そのイスタンブールの街並みが、強烈な輝きを放っていました・・・。

 アジア最後の一日、緑深い黒海沿岸の丘陵地帯を走り抜け、ボスポラス海峡が目の前に現れた時、不思議な感覚に襲われました。自転車を停め、後ろを振り向くと、森へと続く長い下り坂が・・・。

 この道が、遥かアジアの東の果て、1年半前に上陸した中国・秦皇島の港と繋がってるんだ!

 当たり前のことかも知れませんが、道は繋がっていたんです。アジアは私が暮らす大地。日本は島国ですが、確かにアジアの国です。私の故郷・福岡は、日本の他のどの都市よりもアジアな街。私は、アジアに暮らしているんですよ。

 強烈な6月の太陽を受け、キラキラと輝くボスポラスの海面を見ながら、一気にイスタンブールのアジア側市街地を駆け抜けました。
 イスタンブールは、ボスポラス海峡を挟み、アジア側とヨーロッパ側にまたがる、世界でも類を見ないつくりの街です。『文明の交差点』『大陸の交差点』『アジアとヨーロッパが交差する街』旅人の心をくすぐる街、イスタンブール。私がアジアの旅のゴールに選んだのは、アジア側市街地の南西に位置するハレム地区!

 アジア側の古くて狭い道路を走り、午後5時45分、ハレムのフェリー乗り場に到着しました。ここが私のアジアの終着点。
 フェリーに乗り込めば、海峡の向こう側、ヨーロッパ側のイスタンブールまでは、30分ほどです。そのままフェリーに乗り込んでも良かったのですが、日没までアジアで過ごすことにしました。

 夏至の長い1日は、本当に長い1日でした。海辺のベンチに腰掛けた私の前には、ヨーロッパ側イスタンブールの街並み。旧市街スルタン・アフメット地区にそびえる3つの大建造物、ブルー・モスク、アヤソフィア、トプカプ宮殿。金角湾にかかるガラタ橋、その北に広がる古い街並み。それらが真っ黒なシルエットとなり、空と海がオレンジ色に染まり・・・、午後8時30分、アジアで過ごした最後の1日が終わりました。

 「ありがとう」

 真っ赤な太陽と、アジアの大地にお別れを告げ、フェリーに乗り込みヨーロッパへと渡りました。徐々に迫ってくるヨーロッパ側イスタンブールの街並みは、夜の訪れに際しても、強い光の中にありました。美しい!私が過去に過ごした、どのイスタンブールよりも美しい!!

 これから始まるヨーロッパの旅を思うと、興奮を抑えることができませんでした。数百人の乗客の中で、人一倍目立っていた私ですが、上陸時は、とんでもなく目立ってしまいました。何と叫んだかは内緒です。というか、忘れました・・・。

 アジアの旅が終わり、ヨーロッパの旅が始まりました。でも、どちらもユーラシア大陸です。私がこの大陸で目指すのは、ユーラシア大陸最西端・ポルトガルのロカ岬!! まだまだ先は長いですが、ひとまずここイスタンブールで、心身を癒したいと思います。


 さようなら、アジアの大地よ。3年後ぐらいに帰ってくるからね☆

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写真)アジアのゴール、ハレムからヨーロッパ側イスタンブールの街並みを望む。

イスタンブールは射程距離! 

6月18日 カッパドキアのギョレメから5日走って、ベイパサリ(Beypasari)という町まで来ました。アンカラから西に100kmぐらいのところ。

 地図を見て、大きくなく、小さくもない町っぽかったので、安いホテルがあるだろう!と来てみましたが・・・、どうやら、この町は観光地らしい・・・。木造の古い家屋がチラホラと見え、外国人の姿はないけど、トルコ人観光客の姿はある・・・。宿はどこも小奇麗で、30新トルコリラ(2700円)が相場。

 痛い!!

 けど、もう5日間もシャワーなしの旅なんて、耐えられない!!

 宿のオヤジと長い交渉の末、25新トルコリラでシャワー付きの部屋に泊まることになりました。

 この町から、イスタンブールまでは、順調に走って4日間。途中、寄り道すると思うので、5日間でしょう。6月23日には、アジア横断の旅も終りを迎えます★

カッパドキアでのんびり中 

6月13日 まだカッパドキアです・・・。

ゼルヴェは、しめじ畑 

ラブバレーは、アスパラガス畑 

ギョレメ村は、たけのこの谷 

ウチヒサールの城は、スイス・チーズ 

 カッパドキア、ギョレメの近郊は、奇岩の宝庫です。予定していた5泊を過ぎましたが、今日もギョレメに留まることになりそうです。

写真を4枚紹介します。どれが『しめじ』で、どれが『アスパラガス』で、どれが『たけのこ』で、どれが『チーズ』でしょうか?解りますよね??


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カッパドキアに到着 

6月8日 トルコの有名な観光地・カッパドキアの中心に位置する町・ギョレメに到着しました。ネムルート山以降、根性の走行が続いたので、この町で3~4泊のんびりします。

 この町は、2001年初秋以来の訪問。6年ぶりです。しっかし・・・、小奇麗な町になったもんだ・・・。もともと、観光地なので、キレイなところなのですが、更に観光地化が進んでいて、町の中心部なんか、更にお洒落になっています。 もともと、このギョレメは、『村』なんですけどね、もう私は村とは呼ばない!『町』です、町!

 でも、ここの良さは変わりません。竹の子のような奇岩が林立する緩やかな谷間に広がる村。古い家々は、奇岩や岩の斜面に横穴を掘って、穴居住宅になっています。観光客用のゲストハウスもケーブ・ルーム(穴倉部屋)が売りです。私が泊まっている宿も、全部屋横穴式住居です。薄暗い部屋の中は、ひんやりしてて涼しいのですが・・・、洗濯物の部屋干しには向きません。まぁ、外は強烈な日差しですから、部屋に干す必要もありませんが(笑)

 そんなこんなで、カッパドキア、やっぱり良いところ☆

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写真)これはギョレメから5kmのゼルヴェという地域。ここはキノコ岩の森です。

ディヤルバクルは素敵なところ☆ 

 5月31日 あぁ、今日で5月も終わりかぁ~・・・。

 ディヤルバクル7泊目!体調も回復し、初めて旧市街の散策に行きました。これまでの5日間(初日は自転車で宿に直行)は、旧市街の外れにある宿の近所、半径100mほどしか歩いていません。病気で動けなかったのもありますが、怖かったというのも理由です。

 だって・・・、ディヤルバクルは、PKK(クルドなんちゃらかんちゃら。クルドのトルコからの分離独立を目指す活動団体)の拠点のひとつですし・・・。トルコ人の多くは、「ディヤルバクルはトルコで一番危ない街だ!」と口を揃えて言うし・・・。2週間ほど前に会ったオランダ人サイクリストのおじさんは「ディヤルバクルで青年に襲われ物を盗られそうになった!」なんて言ってたし・・・。先週あった別のオランダ人サイクリスト2人組は、「ディヤルバクルは危ないから、俺らは素通りしてきたよ。何だか物騒らしいじゃないか。」なんて言ってたもんだから・・・。

 私は逃げ足の速さと持久力には自信がありますが、体力が落ちていたので、悪漢に襲われても逃げ切る自信はありませんでした。でも、今日は随分と回復しています。まぁ、危ないって言ったって、真昼間ですから、ひと気のない場所に近付かなければ、危ない目にも遭わんでしょう。

 ディヤルバクルは、ローマ時代から続く巨大な城砦都市。現存する周囲6kmもの立派な城壁は、ビザンチン時代のものだそうです。城壁は高く、厚く、黒っぽい石が威圧感と重厚感を与えています。その内側が旧市街。旧市街は、迷路のように細い路地が入り組み、大通りは2~3本しかありません。

 路地裏大好きな私、この1週間、路地裏に飛び込みたくて飛び込みたくて、ウズウズしていました!


 一眼レフとデジカメと現金をちょこっとだけ持って、いざ路地裏へ!そこは、期待通りの素晴らしいところでした☆

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写真1)城壁はこんな感じ。デカイ!これ内側から、外の新市街を見ています。

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写真2)城壁のすぐ南側は、小さな家がポツポツあり、2~3km先にはティグリス川が流れています。

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写真3)城壁の内側は、石畳の細い路地が迷路のよう。

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写真4)路地裏にはガキんちょが溢れ、どこに行っても、子供だらけ!!

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写真5)果物売りのおじさん。おじさん・おじいさんも人懐っこい!

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写真6)古いモスクもたくさん。これは、アリ・パシャ・モスクと、ガキんちょ。

 今日一日で、フラフラと5時間ぐらい歩きましたが、1週間分ぐらいの写真を撮り、疲れ果てるくらい地元民と話しました。もっとのんびりしても良さそうな街ですが、先を急ぐので、涙を呑んで、明日この街を出るとします。

ディヤルバクル良いとこ☆ また来たいです!!
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