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トルコ入国! 

 5月13日、この旅12カ国目の訪問国・トルコに、無事入国を果たしました。無事に!です。

 国境越えはスムース極まりなかったのですが、トルコ入国直後に、山賊に襲われました。

被害はゼロ!ご安心下さい。

 私を襲ったのは、年の頃12~15歳くらいの羊飼いの少年たち4人組。羊を追う長い棒や小さなナイフをかざし、「マネー!マネー!」と迫ってきました。こう書くと何てことなさそうですが、立派な山賊行為です。

 幸運にも、私はこのチビッコ山賊団のことは事前に知っていました。国境のイラン側の町・バザルガンで、偶然、トルコから来たばかりのオランダ人サイクリストに出会いました。彼もこのチビッコ山賊団に襲われており、その容姿や手口を伝え聞いていたのです。おかげで、怪我や被害もなく、難を逃れることができました。


 で、トルコに入国した訳ですが、始めの滞在地は、ドウバヤジットという小さな町。ドウバヤジットはこれが3回目の滞在です。ノアの箱舟が漂着したという伝えられる聖なる山アララト山を望む町。ここには2~3泊して、休養をとりつつ、トルコの旅の情報収集などをしたいと思います。


 あっ!今、ブログのアップ作業しながらネットサーフしてたら、『ジーコ監督率いるフェネルバフチェがトルコリーグで優勝』というニュースがあった!!
 せっかくトルコにいるのに、試合のテレビ見なかった・・・、残念!夜10時頃、妙に外が騒がしいなぁ?と思ってたんですけどねぇ・・・。あぁ、残念!
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イラン60日目 

 長ぁ~いイラン滞在となりました。今日でイラン60日目!!

 今日、イラン北東端のマクーという町にたどり着きました。猫(イランの国土)の右耳の先っちょ。明日、バザルガンという国境を通って、トルコへ入ります。


 今回のイランは、多くの時間を地元のイラン人の家で過ごしました。60泊の内、ホームステイが、ちょうど半分の30泊です。イランという国にドップリと浸かった日々・・・、とても素敵な時間でした。イランのエピソードは、追ってご紹介していきます。ブログは、どんどんリアルタイムの旅から遅れていってますが・・・、いずれ、追いつくでしょう、きっと、多分、インシャッラー。


 ちなみに、4月末から今日までの移動は、以下の通りです。

4月23~30日・・・フーマン市のホセインさんのレストラン兼自宅でホームステイ。
5月1~3日・・・バスでテヘランへ。日本からの荷物の受け取りと、イラン人の友人(ガイド)訪問。
5月3~5日・・・フーマン市のホセインさんのレストラン兼自宅で、最後の2日間。
5月6~10日・・・フーマン市から、アスタラ、アルダビールを経て、走行4日でタブリーズに到着。タブリーズでは2泊。
5月11~12日・・・タブリーズから、走行2日でマクー到着!


 明日からトルコ!アジア最後の国です!!

 トルコは、これで5回目か?6回目?の滞在になります。今回は、南東部のクルド人地区と中部アナトリアの古い町を訪ねてみようと思います。アジアの果て、ヨーロッパが始まる街イスタンブール到着は、6月下旬の予定です。

 さて・・・、イラン最後の夜、チェロケバブでも食べに行こうかな。

イランの侍 

 日本映画に登場するサムライに憧れる彼の名は、ムスタファ私は彼をイランのサムライと呼ぶことにしました。

 フーマン市のホセインさんのレストランでは、毎日多くの地元の人々が、私と話をしにやってきます。彼もそのひとりでした。たまたま家族・友人で食事にやってきた際、私の存在を知り、「日本人だって!?」と飛んできました。だって、彼は日本が大好き☆

 フーマン市で出会った青年の中でも、比較的良く英語を操っていた彼は、私に聞きたいこと、話したいことが沢山あるらしく、時間を惜しむように、凄い勢いで話し始めました。

ム 「俺、黒澤明の映画が大好きなんだ。『七人の侍』は最高の映画だね!俺、あれ視てサムライが好きになったんだ!」
心 「ほうほう・・・。黒澤映画が好きなのね。」
ム 「あと、好きな映画は、『キルビル』!!主人公に侍ソードを授けたハットリ・ハンゾウって男に興味があるんだけど?」
心 「服部半蔵?ごめん、俺『キルビル』って一部しか視てないの。でも服部半蔵って言ったら、江戸城の半蔵門の、あの服部半蔵でしょ?」
ム 「やっぱり!実在するんだ!?どんな侍だったの??」
心 「忍者のイメージが強いけど、侍は侍だったんだろうね・・・。うぅ~ん・・・、詳しいことは知らんよ、ごめん。」
ム 「ハットリハンゾウが残した侍ソードってあるの?」
心 「ん?なんかよく意味がわからんなぁ・・・。あっ!映画のワンシーンを思い出した!あれか?服部半蔵って、千葉真一??ははぁ~・・・。ありゃ、タランティーノ監督の間違った日本解釈(妄想)なんじゃないの??」
ム 「ハンゾウは実在するんでしょ?」
心 「確かに、歴史上の人物ではあるけど、映画の登場人物とは、丸っきり別人だよ。」
ム 「そうなんだ・・・。ところで、歴史上、最も強かった侍って誰なの?」
心 「うぅ~ん・・・(笑)よくわからんけど、宮本武蔵とかか有名だよね。」
ム 「ムサシ!やっぱり、ムサシか!!ムサシはいつのサムライなの?」
心 「えぇ~っと、江戸時代の初めだから、ちょうど400年ぐらい前かな。」
ム 「そんなに前なんだ!?今ではサムライはいないんだよね・・・?」
心 「いないね(笑) でも、剣術の伝統は残ってるよ。剣道とか、居合いとか。興味あるんだったら、調べてみたら?イランにも道場あるかもよ?」

 そんなこんなで、彼のちょっと誤っていたサムライ解釈を、少しずつ修正しながら、話は1時間以上続きました。日本語にも興味があるらしく、私が教えた『サムライ』、『侍』、『カタナ』、『刀』、『ムスタファ』といった文字を熱心に書き取り練習してました。

 更に、私がサムライ映画をあまり視てないと知ると、彼は『ラスト・サムライ』のDVDをくれると言い、実際に数日後にCD-R2枚組みの『ラスト・サムライ』を持って来てくれ・・・。私がフーマンを去る前日には、思い出にと、自分の写真を収めたCDをプレゼントしてくれました


 さて、そんな“イランの侍”ムスタファ君がプレゼントしてくれた写真CDから何枚か、彼の写真を紹介しましょう。

20070514235729.jpg
写真1)彼は、自分のブロマイド写真を作るのが趣味のようです。もらった写真をスクラップにしてみました。

20070514235709.jpg
写真2)練習の成果!『侍』や『カタナ』という文字をしっかり覚えていますね。

Mostafa(samurai).jpg
写真3)もっと彼には、日本の正しい姿を教えたかった・・・。

 とても素直で、気の良い青年でした。彼には、もっと色々と日本文化について教えてあげたかったのですが、時間がなかったのが残念です。

素晴らしき☆ イラン人の厚い歓待精神 

4月28日 フーマン滞在6日目になりました。

 フーマン?ご存知ないでしょう。小さな町ですから。なぜ私がこの町に5泊もしているかというと・・・

 4月22日、4泊もしてしまったラシュトを出発し、少ない所持金での厳しい移動に突入しました。ラシュトで立てた移動プランは、4月29日に到着予定のタブリーズまで、7日泊のうち、ホテル泊が2泊、残り5泊がテント! 1日の食費は2ドル未満!というものでした。

 とにかく、ケチケチの厳しい生活をして、タブリーズまで頑張る覚悟でした。

 が!そんな私に救いの手が!

 旅人に優しいのがイラン人の素晴らしいところ。ラシュトを出発して僅か25kmほどのフーマンというに差し掛かったところで、道路脇のレストランから、おじさんが飛び出してきました。開口一番・・・!?

 「おはようございます!」日本語で!

 イランには沢山いますが、久しぶりに出会いました。一昔前に日本で働いていたというイラン人男性です。フーマン市の町外れでレストランを経営するこの男性は、ホセインさん(54歳)。

ホ 「朝ごはん食べましたか?どうぞどうぞ、私のところで食べながら、お話しましょう!」
心 「朝は食べましたが、そろそろお昼ごはんの時間ですし・・・、甘えさせて頂きます。」


 というわけで、食事をお世話になっているうちに・・・、話はどんどん広がり、私はホセインさんの家&お店にお世話になることになりました。

 22日は、フーマン市から35km離れた山奥にあるマースレー村という観光地でキャンプしましたが、23日には再びフーマン市に戻り、その晩から、ホセインさんの家で寝泊りしています。

 ホセインさんと彼の素敵なお店、楽しい仲間たちの話は、追ってご紹介することにします。

 とりあえず、極貧旅は脱しました。4月30日には、ここフーマンから、バスでテヘランへ向かい、日本から届く物資やお金を受け取ります。5月3日にはフーマンに戻り、自転車旅を再開です。

 イランの人々の温かいもてなしのおかげで、なんとか無事に、楽しい旅を続けています★

貧乏サイクリスト、ラシュトに到着 

4月18日 ラシュトに到着しました。

 イランの国土は、猫の形をしています。背中を丸めて、座っている猫。地図帳を広げて、イランを探してみて下さい。

 ほら、ね?猫でしょう?? その猫の首根っこあたりにラシュトはあります。

 マシャド出発以降、今日までの移動について、ざっと説明しましょう。マシャドの位置は、イラン北東部の端っこ。猫の背中というか、腰のあたり。そこから、北西に向け走り始めたのが、4月2日のこと。イラン4大詩人のひとり・フェルドーシーの霊廟があるトゥスという小さな町を訪れた後、ラドカーンという田舎町にある不思議な塔を訪れ・・・、進路を西に取り、ボジュノールドを経て、ゴルガーンに到着したのが、4月6日。
 ゴルガーンは、特に町並みが素敵!という訳でもないのですが、なんとなく3泊もしてしまいました。ゴルガーンから、西に1日走り、サーリー到着が4月9日のこと。サーリーは、古い町並みがいくらか残っていて、心地よい町の大きさだったので、ここでも3泊してしまいました。
 4月12日にサーリーを発ち、北西へ進路を取りました。北には、世界最大の湖・カスピ海!どんよりした空の下、初めて間近に見たカスピ海の・・・、汚いかったこと、汚かったこと・・・。ここ数日、雨続きだったので、泥水が大量に流れ込み、波打ち際はドロドロと泥色をしていました・・・。晴れた日が続けば、いくらか青い湖にはなるんですけどね・・・。

 カスピ海沿岸地方は、イラン人の高級リゾート地。リゾートホテルやペンションが建ち並ぶ海岸線(?)を2日走り、チャールースという街に到着したのが、4月14日。チャールースでは、英語の達者なイラン人のおじさん(ファルハドさん)に出会い、自宅の近くのスィート(長期滞在用の貸し部屋)を無料で提供してもらいまいした☆ チャールースでは、情け深いファルハドさんの厚意に甘え、2泊しました。

 あっ、そう、そう・・・、ちょっと言っておかなければならないことが・・・。実は、この2週間程、お金が無くて困ってるんです。イランを旅する外国人は、米ドルかユーロの現金を持ち歩くのが常識です。イランでは、クレジットカードもトラベラーズチェック(T/C)も使えませんから。私は、現金を400ドル用意してイランに入ったのですが・・・、マシャドを発った4月2日までに、270ドルを使ってしまっていました・・・。気がつくと、手元の米ドルは、100ドル札1枚!?その100ドル札も、4月7日にゴルガーンで両替してしまい・・・。4月15日時点での所持金は、55万イランリアルになっていました。60米ドル程度、つまり、日本円で7000円程度。
 この先、トルコに入るまで、クレジットカードもT/Cも使えません。この7000円で、駆け足でイランを横断することも考えましたが、それでは面白くない・・・。あれこれ手を尽くし、なんとか希望の通り、イランの旅を続ける方法を見つけました。これについては、また今度お話しましょう。

 で、4月16日、チョールースから、一旦進路を南に取り、エルブールズ山脈の山奥にあるケラルダシュトという町へ。山々に抱かれた美しい町は、“イランの楽園”とまで称されているんだとか。その楽園で、イラン国営放送のインタビューを受けたり、イラン人の青年を蹴飛ばして捻挫したり、素敵な楽園を満喫した後、再びカスピ海沿岸へと下りました。

 4月17日と18日で、更に西に走り、ラシュトに到着した訳です。ラシュトには、2泊のつもりですが・・・、宿代が7万リアル(約1000円)と高く、1泊しかできないかも知れません・・・。

あぁ・・・、困ったなぁ・・・。

ゴルガーン 

4月7日 マシャドから走ること、6日間・・・。ゴルガーンという街に到着しました。

 イランは広いですねぇ~!!知ってはいましたが、実際に6日間毎日走って、まだこんなところとは・・・。
 イランの東の端・サラグスから数えると、8日間走ってるわけですが、現在地は、真ん中よりも東寄りです・・・。

 あ!! んでも、嬉しいことがひとつ!!

 旅立ちからの総走行距離が、2万キロを突破しました!!

 赤道の長さのの半分です。旅は3分の1ぐらいが終わったところなので、この先、あと4万キロぐらい走ることになると思います。


 今後、サーリー、ラシュトと走ります。


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写真)4月6日、祝!! 走行2万キロ突破!!

去りがたいですけど・・・、マシャドを出ます! 

4月1日 あっ!エイプリルフールだ! 日本は新年度の始まりですね。新社会人には、緊張の初出社日だ!

 イランは、いつもと変わらぬ1日です。イラン正月『ノウ・ルーズ』のムードも冷め、マシャドは普段通りの空気が流れています。

 3月16日以来、17泊目となったマシャドですが、明日ここを発つことにしました。この17日間、ずっと、アジ・ムラディ家にお世話になっています。ノウ・ルーズを一緒に祝い、息子の結婚式にも参加させてもらい、私を家族同然に扱ってくれたムラディ家の人々。この親切で楽しい一家の話は、また追ってご紹介することにします。

 マシャド滞在、とても印象的な時間でした。

 去りがたいですけど・・・、そろそろ西に向かわないとね。私は地球を一周するんだから。

 今後、イランの北の国境線をなぞるように西に走ります。これまでのイラン滞在で訪れたことのないカスピ海南岸の地域と、東部山岳地帯のクルド人居住地域を走ります。4週間ほど、コンスタントな移動が続きますが、ウズベキスタンやトルクメニスタンの時のような厳しい移動ではありません。1日の走行距離も少なめの予定ですし、途中、素敵なところがあれば、2~3泊の連泊もするでしょう。
 ブログのアップは、ボチボチ進めます。イランは、大きな町にはネットカフェありますからね。4月中には、ブログの内容も、リアルタイムに近づくかな・・・?


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写真)聖地マシャドの目抜き通り、イマームレザー通りから、街の中心ハラム(宗教に関する巨大なな宗教施設郡)を望む。黄金のドームが、イマームレザー廟です。

明日は結婚パーティー 

3月29日 朝から雪混じりの雨が降り、寒かった一日・・・。雨が止んだ隙に、お買い物に行きました。買ったのは、小奇麗なお洋服☆

 明日30日は、マシャドで2週間お世話になっているホテルの経営者一家、ムラディ家の三男・モハンマッドの結婚パーティーです。

 新郎モハンマッドは23歳。
 新婦シャブナムは17歳。


 英語話者がいないムラディ家での滞在です・・・。当初、モハンマッドは、シャブナムを「嫁!」と紹介し、「結婚式は、1月10日!」と言っていたので、2ヶ月前に結婚したばかりの新婚夫婦だと思っていました。

 が、1月10日ってのは、ペルシャ暦での1月10日だったんです!

 新郎自らが、誘ってくれたので、参加しない訳にはいきません。断る理由もない!!

 ムラディ家の未婚の兄弟たちは、ここ数日、新しいスーツを着てみせたり、整髪料で髪の毛を整えてみたり、パーティーに浮かれ気味。私は、パーティーに着ていく服なんて持っていなかったので、今日、買って来ました。本格的なパーティー服を持っていたって、仕方がないので、ちょっと小奇麗なズボンとYシャツだけ。


 ネットカフェでPCを向き合ってる今、イランの時計は午前0時になりました。ムラディ家では、今日は朝からバタバタと忙しそうだったので、まだ何かやってることでしょう。そろそろ、寝床に帰ろうかな。


 明日が楽しみです☆

マシュド10日目・・・ 

3月25日 まだ、イランは正月ムードです。

 イラン正月『ノウ・ルーズ』は、マシャド(マシュハド)到着時からお世話になっているアジ・ムラディさん一家のことろでお祝いしました。20日頃に、内装業者の家庭に移る予定でしたが、その話は、いつのまにやらなくなっていた・・・。

 ノウ・ルーズ、とても楽しい時間を過ごしています。ムラディ家の親戚回りにも連れて行ってもらい、30人以上いる親族の名前を片っ端から覚えさせられています。イランは大家族ばかりですから、大変です・・・。 

 で、気がつけば予定していた10日間が経っていました・・・。ブログのアップ作業も止まってしまっているので、ここ2日間は、夜な夜なパソコンと向き合って、お仕事しています。

 マシャドは、どんなに遅くとも27日までには出たいのですが、昨日、アジ家の三男・モハンマッドから、素敵な提案が!

モ 「1月10日は、俺の結婚式だぞ。参加するよね??」
心 「ペルシャ暦の1月10日ってことは・・・?3月末??」
モ 「あと6日後だよ。」


 って、どうしましょう??結婚式に参加してみたい!!


 マシャド滞在、もしかしたら、3週間近くになるかも知れません。それだけ時間があったら、ブログの作業も進むかな・・・?

イランです。イラ ・・・ン!! 

 私の現在地を見失っている方々と、私が滞在中の国を勘違いされている方々のために、ちょっと説明しときましょう。

 私が、現在滞在しているのは、イランです。

 イラクと勘違いしていませんか?

 イランは、今にもアメリカと攻撃されそうな国とお思いですか?
 
 イランは、核開発を中止しない危険極まりない国とお考えですか??


 イランが好きな私が、勘違いされ易いこの国について、力説します。

 まず、これは論じるまでもありませんが・・・。イラクとイランが全く別の国であることは、ご存知でしょう?もしも、イランで毎日自爆テロや自動車爆弾、武装勢力と米兵の戦闘が起きているという認識であれば、改めて下さい、それはイラクの話です。


 以下、本題です。

★★★イラン国内では、核開発問題は、騒がれていません★★★

 イランという国について、日本で取り上げられるニュースと言えば・・・、最近の『核開発問題』ばかりかと思います。それで、イランが危険な国という考えを持ち、それが全てであると誤解しないで頂きたい。

 アフマディネジャドという強硬な大統領が、米英を中心とする西側に挑発的な態度を取り続けているのは確かです。忙しい大統領は、頻繁に声明を出し、アメリカ批判を繰り返しています。
 が!! イラン国内が、核開発問題や、それに起因する制裁決議案で、ゴタゴタしている訳ではありません。一般市民は、全く興味ないのか?というぐらい、国際社会で騒がれていることと関係ない世界で暮らしています。
 これは、どこぞの将軍様の国みたく、情報が入ってこないからではありません。イラン国営放送では、毎日世界のニュースが流れていますし、インターネットカフェも各都市にあります。情報が入ってきているけど、興味がない、もしくは危機感がない、という状況。国のトップが、よその国のトップと何かやってるだけです。
 日本だってそうでしょう??テポドンの発射実験があった後、日本国内でどれくらいの騒ぎが起こりましたか? 庭に核シェルター掘りましたか??

 → イランの人々は、核開発問題に、なんら影響は受けていません。『核開発を断念しない=治安の悪い国』と考え方は、ナンセンス極まりません。


★★★イランは、治安のよい国です★★★

 イランでは、爆弾テロは滅多に起きません。外国人が拉致されることも滅多にありません。どこぞのカウボーイの国みたく、銃犯罪で毎年何万人も死んだりはしていません。
 イランは、非常に安定した強固な法治国家なのです。警察は、きちんと警察をしています。中央アジアのように、お金や物を盗む警察ではありません。
 もちろん、軽犯罪や外国人旅行者を狙った犯罪はあります。しかし、その発生率は、欧米や東南アジアの国々と同程度でしょう、きっと。

 → 安全とは言い切れませんが、比較的安全な国であることは確かです。


★★★イランは、抑圧された社会ではありません★★★

 欧米並みに自由な国であるという訳ではありませんが、思われている程、不自由な国ではないということを言いたいのです。
 この国では、女性は公共の場でのチャドル(体を覆う布)の着用を義務付けられています。一部の似非知識人の間では、このチャドルが女性抑圧の象徴のように考えられていますが・・・、これは極々極々小さな抑圧でしかありません。
 私は多くのイスラーム国家を旅してきましたが、この国ほど、女性が社会に出ている国は見たことがありません。女性が車を運転する。女性の公務員がたくさんいる。女性だけで買い物に行く。一部の国では、こういった風景を全く見ることができないんですよ?イランでは当たり前です。

 → もちろん、これらは、イスラームの戒律の範囲内なので、日本や欧米で言うような『男女平等』とは言えません。が、イスラーム国家としては、女性の社会進出が最も進んでいる国と言えます。

 また、情報や移動に関しては、かなりの自由があります。イラン人は、自由に自国内を旅行できますし、引越しもできます。
 先述の通り、厳しい情報管理は見られません。ニュースでは、日本や欧米のニュース、国内の雑多なニュース、海外のスポーツ情報、例えば、サッカー・スペインリーグの試合結果とか、とにかく色々やっています。
 イラン国営放送が扱う海外のニュースは、日本の放送局が扱うニュースの量と、同程度だと思います。質に関して言えば、欧米発の情報を翻訳しただけの日本のニュースと、自国の主張が入るイランとでは、全く別物なので、比較はできませんが・・・。


 なんだか、どこまでも長い文章になってしまいそうなので、ここらで区切ります。今後、私のブログ上で、素敵な国・イランの話を紹介することで、イランのイメージアップを図りたいと思います。

 最後に、日ハムのダルビッシュ優って投手が、イラン人と日本人のハーフって知ってました?私は、最近初めて知りました。なんとなく、変わった名前だなぁ~と思ってたんですけどね。

 以上です。
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