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ウズベキスタンの郵便ポスト 

 あっ!やっぱり、青だ!!

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写真)ウズベキスタンの郵便ポスト

 キルギスタンとほぼ同じデザインですね。17年前までは、同じソ連の一員だったわけですから、当然といえば当然です。

 キリル・アルファベッドで、何か書いてます。5文字です。初めて見たとき、『POUTA』と読んでしまいましたが、そうではない!

 これをローマンアルファベッドに置き換えると、『P・O・CH・T・A』 となります。

ぽ・ち・た? ぽちた!? なんか可愛い!!気に入りました★

 ウズベキスタンは、中央アジア最大の観光国! それらしい絵葉書は沢山売っています。早速、何枚か購入して、日本や海外の友達に手紙を書きたいと思います。
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風邪が一気に悪化・・・ 

2月8日 タシケントからコーカンドへ戻りました。

 7時半に起床。テキパキと身支度を整えて、8時には出発の準備が整いました。同室のマナンガンのおじさんは、8時頃に仕事に出てしまった。さぁて、朝食は何時になるのやら?
 8時にようやく姿を見せたカラマットおばさん。幸い、今起きたばかりという訳ではなさそう。朝食を食べたい旨を伝えると、すぐに用意してくれました。ボリューム満点の朝食の後、宿を出発。

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写真1)カラマットアパの朝食。目玉焼き2個、牛肉のスモーク(?)、ポテトフライ、ナン(薄焼きパン)、チャイ。

おばちゃん 「タシケントに戻ってくるんだろう?その時は、またココにおいでなさい。あっ!それと、他の旅行者も誘ってね!
心 「はいはい。多分またココに来るよ。マルシュルートカは16番に乗れば良いんだね?んじゃまた!」

 フェルガナ盆地行きのシェアタクシーが出るという何とかバザールまでは、16番のマルシュルートカ(ミニバス)に乗って終点下車らしい。おばちゃんがドライバーに見せるだけで伝わるようウズベク語のメモを持たせてくれました。多分、 『この日本人をコーカンド行きのタクシーが出るところに連れてってあげとくれ』みたいなことが書いてあるのでしょう。
 16番のマルシュルートカは、宿のすぐ傍が始発点。停まっている車に乗り込み、5分ほど待っていると出発しました。市内をぐるぐると走り回り、郊外に出たかと思うと、また住宅地に入り、線路を渡り、倉庫街を抜け、住宅地を抜け・・・、20分ほどで何とかバザールに到着。降りるときに、メモ紙をドライバーに見せたら、『あっち!』と指差してくれました。どうやら、あっちに乗り場があるらしい。

 車と人が集まっているところに行くと、「フェルガナ?」「アンディジャン?」などとフェルガナ盆地の地名が連呼されています。耳を清ましても、コーカンドの地名は聞こえない。声をかけてきた男に、「コーカンドに行きたい」と告げると、腕を引っ張られ、停車中の車のところに連れて行かれました。つまり、私が初めの客ってこと。値段交渉の末、10000ソムに落ち着きました。約8ドル。多分5~6ドルが相場でしょうけど、もういいや・・・、なんか今日は面倒くさい。
 車の中で待っていると、なんだか体が重くなってきた・・・。熱があるのかな?どろ~んと重たい体で、でろぉ~んとシートに腰掛けて、他の客が集まるのを待ちます。1時間以上待って、ようやく4人揃いました。他の客は皆ウズベク人の男性。私は、後部座席に腰掛けました。3人男が並ぶとかなり窮屈です。助手席の方が楽に座れますが、前方が良く見えるので、どうも落ち着かない・・・。運転が荒い国では、景色が見えない方が落ち着くんです、私。

 走り始めて間もなく、眠りに落ちました。1時間ほど寝たでしょうか?起こされたのは、レストランの駐車場。どうやら昼食のようです。カッッッタコトの英語を話す青年にメニューを訳してもらい、オシュ風ポロフなるものを注文。ボケェ~っと待って、モソモソと食べて・・・、腹5分目ぐらいで食事終了。もっと食べた方が良いのでしょうけど、あまり食欲がない。
 再び走り始めてからも、すぐに眠たくなり・・・・、激しい横揺れの中、zzzZZZ。 2度目に起こされたのは、カムチク峠の上り始めの売店街。同乗の人々は、田舎の安いリンゴやチーズなどを買い込んでいましたが、私は興味なし。

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写真2)タシケントやコーカンドで買うよりも安いのかな?沢山車が停まってて、みんな買い物してました。

 流石に2時間も眠れば、眼は覚めます。買い物休憩の後は、ボケェ~っと景色を見ながら、過ごしました。カムチク峠の雪景色を楽しんだ後、一気に峠を下り、フェルガナ盆地のなだらかな風景に入り・・・、1時間ほどでコーカンドの市街に入りました。車をホテル・コーカンドの前に着けてもらい、約束通り10000ソム払って、ハイ、サヨウナラ。うぅ~ん・・・、どうも気だるいなぁ・・・。

 ホテル・コーカンドに入ると、気の良いおばさんとおじさんが笑顔で迎えてくれました。ほんと、ココは良い(スタッフの)ホテルだ! 預けていた荷物を回収し、前回と同じ部屋にチェックイン。荷物を広げて、「ふぅ・・・」とベッドに横たわると、また眠たくなってきた・・・。腕時計を見ると、3時を回ったところ。アラームを午後6時にセットして、布団を沢山かぶって眠りに落ちました・・・。

 途中、2度、尿意で起きましたが、何時のことだったのかは不明。随分長く寝ているような気もしましたが、まだ眠たい・・・・。用を済ますと真っ直ぐベッドへ。何時だろう?何時でもいいや・・・。お腹空いたなぁ・・・。まぁ、起きてからでいいか・・・

 で、目が覚めたのは、7時半!!

 外は薄暗く、午後7時半にも見えるし、午前7時半にも見える・・・。目を擦って、腕時計の日付を見ると『 2 9 FR』という表示。2月9日金曜日です。ってことは・・・?

 15時間寝ていたわけ!?

 2月2日の雨の走行以来、なんとなく気だるい日が続いていましたが、6日に再びずぶ濡れになり、とうとう本格的に体が悲鳴を上げ始めました。誤魔化し誤魔化し動き続けてきましたが、もう好い加減、治す努力をしなければなりません。15時間も昏々と寝続けるなんて、相当体が疲弊していたのでしょう。でも、多分これがピーク。これから回復に向かうのでは?なんとなくそんな気がします。

 今日(2月9日)から、ショウガたっぷりのチャイを飲んで、栄養タップリの食事を摂って、夜は薬を飲んで寝るようにします。

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写真3)中国で買ってきた乾燥ショウガ。これで風邪を吹き飛ばす



天国:イラン大使館 

2月7日 熱があるのか?ちょっと頭が重いけど、朝からイラン大使館へ。

 昨日のトルクメニスタン大使館では大変な目に遭いました。一般に、イラン大使館ってのも、欧米人旅行者の間では鬼門とされています。日本人にもそうかな。トルクメニスタン大使館のような怠惰であくどい仕事はしていませんが、何かとルールに厳しいことで知られています。そんなイラン大使館ですが、私は何ら恐れていない!

 過去に4度イランを訪れている私。毎回、ビザ申請はスムースにできました。旅行会社勤務時代も、東京のイラン大使館の人々とは良い関係を保っていました。ペルシャ語の挨拶とかもできるし、現地事情にも詳しいし、大使館の係員のご機嫌を取るのはお手の物です☆

 午前10時、見慣れた国旗がはためくイラン大使館に到着。領事部の入り口が開いていたので、勝手に中へ。窓口のある建物内部には、ソファが4つにイラン国営放送が流れているテレビが1つ。飲料水も置いてあり、もてなしは上々。窓口のおじさん係官に、ペルシャ語で挨拶して、英語で事情を説明。

 「自転車で旅行しているので、30日有効の観光ビザが欲しいんです。大好きなイランを1ヶ月かけてじっくり走りたいんですよ。」
係官 「観光だったら、イラン国内の旅行会社からのインビテーションレターが必要だよ。あるの?」
 「いいえ、ありません。取リ寄せる時間がないんです。でも、現地には知り合いが沢山います。大手旅行会社の社長も知り合いです。」
係官 「でもねぇ、インビテーションレターがなければ、7日間有効のトランジットビザしか発給できないんだよ。」
 「そこを何とか!今回のイラン滞在では、現地の友人とノウルーズをお祝いしたいんです。それに、カシャーンやラシュト周辺にも行ってみたい!」
係官 「うぅ~ん・・・・、ちょっとテヘランの担当官と相談してみるよ。とりあえず、この申請書に記入してて。」

 で、2時間近く、ソファで紅茶を飲みながらのんびり待った結果・・・

係官 「観光ビザを発給するよ。現地の友人の名前と連絡先だけ忘れないよう記入しといてくれ。」
 「いいんですか!ヘイリー・マムヌーン!!(ありがとうございます) 受け取りはいつですか?」
係官 「10日はかかりそうだね。19日の月曜日に取りに来るといい。代金は68ドルだよ。」
 「わかりました。よろしくお願いします。」

 とまぁ、うまくいきました。68ドルってのは、ちょっと高いですが、どこの国で申請しても同じような額です。イラン大使館、恐るるに足らず!!今回もスムースに手続きが済みました。あとは、約束どおり30日間の観光ビザが発給されるかどうかですね・・・。多分大丈夫でしょう。

 イランという国は、日本では危険なイメージが先行しているようですが、あんなに素敵な国はありませんよ★ 大使館員も親切だし、もてなしの厚い国民性なんです。イラン大使館は天国でした。

地獄:トルクメニスタン大使館 

2月6日 タシケント到着翌日、朝早く起きて、トルクメニスタン大使館へ向かいました。

 自転車をコーカンドに置いて、慌ててタシケントまでやってきた理由は、『ビザ申請』。ウズベキスタンの次に向かうトルクメニスタンと、その次のイランのビザを取得しなければならないのですが、いずれのビザも申請から受け取りに10日前後の時間がかかるとの噂・・・。受け取るまで、ず~っとタシケントで待ち続ける訳にはいきません。私のウズベキスタンビザは、2月26日までしかない・・・。待ってる時間が勿体ないので、申請して、一旦タシケントを離れ、1週間ほど自転車移動を進めた後、再びタシケントに戻ってきてビザを受け取るという作戦☆

 まずは、トルクメニスタンビザ。おそらく、この国のビザが、この旅で最も厄介なビザになるでしょう。
 小雨の中、地下鉄と歩きで1時間以上かけて辿り付いた大使館前には、ビザやら何やらの手続きに来た人々の列。門は閉ざされており、雨の中、のら犬のように惨めに待たされる・・・。私の2人前にいたのは、モロッコ系ベルギー人のおじさんバックパッカー。2週間前に申請して、1週間前から受け取りに来ているけど、毎日「今日はだめ!明日!明日!」と言われ続けているらしい・・・。「信じられるかい?担当官が風邪気味だからって、追い払われたんだよ!?」って・・・。まぁ、そりゃぁ信じ難い言い訳ですが、相手は悪名名高いトルクメニスタン大使館ですよ?辛抱するしかないじゃないですか・・・。
 私の2人後ろには、ヒゲもじゃの英国人バックパッカー。彼は、私と一緒で今日申請に来たばかり。「ビザの受け取りに10日以上かかると困るんだよね。俺のウズベキスタンビザは、あと10日しかないんだ。」 君も何だか大変そうだねぇ・・・。

 30分が経過・・・雨は止みません。10時から大使館の営業開始ですが、10時30分でも、門は開きません。ようやく門が開いたかと思うと、カーディガン姿の紳士が、出てきて表に停めてあった車から何かを取り出して、再び中へと戻って行った。「もしかして、今の大使かな?今起きたような感じだったね・・・。」

 1時間が経過。後から車で乗りつけたビジネスマン風の男が、1人、2人と、中へ通されました。「おいおい!俺たちゃ1時間も待ってるんだぞ!」とベルギー人のおじさん。「さっき門兵から言われたんだけど、5ドル払えば先に通してくれるってよ。」とは、ヒゲの英国人。

 2時間が経過。雨は止みそうで止みません。上着はすっかり湿ってる・・・。列に並んでいた人々は誰も中に通されず、口利き料を払った人々だけが大使館へ入っていきます。ついにキレてしまったベルギー人おじさん 「金か!?金を払わないと通さないのか!?何てあくどい連中だ!お前らはそれでもムスリムか?俺は敬虔なムスリムだ!こんな所業は正しいムスリムなら絶対にしない!国を代表する大使館の職員なら絶対にしてはいけない!!恥を知れ!恥を!!」 叫んで騒いでみても、列は進みません。
 「俺さぁ、5ドル払っちゃったよ。」と英国人青年。ビザの残り期限が切迫している彼は、門兵に頼んで、先に手続きをさせてくれるよう頼んだようです。が、賄賂を払ったのに、すぐには門を開けてくれない・・・。

 2時間半が経過! 時計は1時です。ようやく門が開き、一番前の人から、門を入ってすぐのところの手続き窓口に通されました。門の中には、3人ずつしか入れてもらえず、7番目の私は、いつまでも雨の中・・・。5ドルも払った英国人青年は、9番手から5番手に上がっただけ・・・。 「これが5ドルの効果かい!?たったこれだけかい?」苦笑いの彼の前には、怒ったっきり静かになってしまったベルギー人のおじさん。多分、門兵も彼(ベルギー人のおじさん)の前に人を入れるのを躊躇ったのでしょう。

 30分後、ようやく私の番になりました。入れ違いでベルギー人のおじさんが、「ふぅ・・・、やっともらえたよ。幸運を祈る。」と言葉少なに去っていきました。5ドル払って少しだけ早く手続きを開始していた英国人青年は、無事申請手続きを終えたようです。 「7日後の受け取りだって。ギリギリ期限には間に合うよ。」と。
 取得できるビザは、5日間のトランジットビザのみ。自転車で行く旨を伝え、最低でも7日間必要だと懇願しても、「だったら、インビテーションを持ってきて、観光ビザを申請しなさい。」と切り捨てられる。こういう旅行をしない人にはわかり難いと思いますが、インビテーションレター(招待状)ってのは、通常、旅行代理店を通して初めてもらえる書類で、お金も手間もかかる面倒なものなのです。第一、観光ビザ取得に何日かかるか、わかったもんじゃない・・・。 

 結局、5日間のトランジットビザで我慢する他ありません。受け取りは、2月12日の午後5時とのこと。ベルギー人のおじさんの例を見ていると、この日に受け取れるという保障はありませんけど。まぁ、なんとかかんとか、取得できるようです。

 午後1時半、降りしきる雨の中、傘もささずに、大きなクシャミを連発しつつ、宿へと帰りました。数日前からの風邪は明らかに悪化した模様・・・。

 トルクメニスタン大使館、もうちょっと頑張って仕事して下さいよぉ~!!

フェルガナはただの街? 

2月3日 風邪引いちゃいました・・・

 昨日の雨の走行が祟って、風邪をひいたようです・・・。午前10時に目覚めると、どうも頭が重い・・・。まぁ、いいか。どうせ今日は、休息日です。午前中はのんびりして、夕方にちょろっとバザールにでも行く事にします。

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写真1)こんな部屋に泊まってます。1泊12ドル。

 本当は、フェルガナから15kmほど離れたマルギランという町のバザール見学に行くつもりだったのですが・・・、体も頭も重いし、今日は外出を控えた方が良いでしょう。携行のラーメンとお粥で簡単に遅い朝食を済ませ、部屋でゴロゴロしたり、昼寝したり。だらだらダラダラ・・・。
 午後3時、ちょっと気だるい体で、向かったのは、町のインターネットカフェ。日本語もUSBケーブルも使えず、大した作業はできませんでした。その後、遅い昼食は、カフェでドネルケバブセットを注文。ケバブは、スプーンで5回掬ったらなくなり・・・、ナンもサラダも少ない・・・。これじゃぁ足りません!!風邪を引いてる時は、モリモリ食べるのが私の治療法です。
 お腹を満たしに向かったのは、フェルガナの中央バザール。大きな屋根つきの建物が3つほどあり、活気に溢れたバザールでしたが、あまり興奮するような雰囲気ではありませんでした。なんというか、こざっぱりとし過ぎているんです・・・。フェルガナは、ソ連時代以降に建設された新しい都市。バザールもさっぱりしてて、一昨日行ったオシュのバザールのようなプリミティブな感じは全くありません。

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写真2)キレイに整備されたフェルガナ。区画整備された町並みを、立派な並木の大通りが走る。

 私の体調が悪いから、感動が少ないのかも知れませんね・・・。とにかく、今日は、食べて体にエナジーを送り込まねば! バザールの外れの食堂で、不味い豆&羊肉スープを平らげ、お腹は満腹になりました。塩と羊臭しか味のない、ほんとに不味い料理でしたが・・・・、これも風邪のせいかな?

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写真3)フェルガナのバザール。日没前で、暗くてよく写ってませんね。ごめんなさい。

 日没前に部屋に戻り、温かいベッドの上で、またゴロゴロごろごろ。午後8時頃に、再びネットカフェに行きましたが、夕食は抜きにしました。部屋に戻ると午後9時半には眠りに落ちました。

 観光に関して言えば、このフェルガナという町は、周辺の古い町を訪ねる拠点でしかありません。近郊へと足を伸ばせなかった私、残念ながら、『フェルガナはただの町』という印象しか受けませんでした。・・・風邪だから?

キルギス~ウズベキスタン国境越え 

2月2日 ビシュケクを出発し、この旅8カ国目の訪問国・ウズベキスタンへ。

 ビシュケクから国境までは、僅か15kmほど。ゆっくり出発しても、午前中にウズベキスタン入国を果たすのは簡単です。なんだかんだで5泊したオシュでしたが、出発の朝に、町のシンボルであるソロモン王の玉座に上りました。自転車の装備を整えた上で、1時間ほど外出した為、サラ・ホテルのニィエットおばちゃんは、ご機嫌斜め\\\ お互いに大した言葉も交わさず、午前10時宿を出発!

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写真1)サラホテルの前で、静かに私を観察していた子供たち。

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写真2)オシュで4回食事したチャイハナで、キルギス最後の食事。マントウとナンとチャイ。

 国境ゲートは、ドストークというところにあるらしい。地図を頼りに、北西へと走り出しました。キルギス第二の都市オシュですが、オシュそのものの市街地は小さなもの。でも・・・、周辺には小さな町が沢山あって、どうも道が解りにくい・・・。大きな道路が交わる度に、警官や通りすがりの車に助けられ、なんとか国境へと向かう道路に乗りました。

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写真3)迷いはしましたが、ちょうど20km走ったところで国境に到着。

 時計は11時半。正午からお昼休みで国境が閉ざされる可能性もあるので、早いとこ国境を越えてしまいましょう。ゲートをくぐる前に、まず、手元のキルギスソムを両替しました。1月下旬のキルギス南部山岳地帯リベンジランの5日間で、ほとんどお金を使わなかったので、手元に60ドル相当ものキルギスソムが残っていたのです。2200ソム(500ソム札4枚、100ソム札2枚)を持って、国境手前の両替所に行きました。窓口のおばちゃんはニッコリ、笑顔と一緒に返ってきたのは・・・!?

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写真4)ウズベク・ソムの札束!! これで60ドルです。 『あっちゃ~・・・』

 忘れてました!ウズベキスタンは、札束の国でした! 両替レートは、1ドル=1250ウズベク・ソムです。1円=約10ソムなので計算が簡単です。流通している最高額紙幣は、1000ソム札です(多分、もっと大きな額面もあるでしょうけど)。100ドルを全て1000ソム札で貰ったとしても、125枚になります。
 私が受け取った60ドルは、200ソム札で30ドル分、残りは500ソム札と1000ソム札でした。全部1000ソム札にしてくれ!と頼みましたが、「無い」と一言。ないわけないでしょうに・・・、まぁ、いいや。60ドルだったら、4~5日で無くなるでしょう。手元に残っていた35キルギスソムで、コーラとガムを購入。ウズベクソムの札束を懐に入れ、いざ国境ゲートへ。

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写真5)フェンスの向こうが国境施設。

 往来の多い国境なので、時間がかかりやしないかと心配しましたが、キルギスの出国手続きは至って簡単&スムースでした。まず、ゲートを越えてすぐに、警備の兵士にパスポートをチェックされ、その後、税関の手続きは、係員が自転車の荷物をパンパンと叩いただけ。カウンターで出国スタンプを押してもらい、『キルギスよ、さよぉ~なら☆』
 100mほどの緩衝地帯には、道路脇に免税店(?)と両替商が数軒並んでいます。特に用もないので通過。ウズベキスタン側の施設に着くと、まずパスポートチェック。数人の兵士が私を囲んで色々と質問をしてきましたが、自転車にぴったりと寄り添ってそれらに応えます。キルギス入国時のようなヘマはもうしません!
 ウズベキスタンの入国手続きは、ちょっと面倒・・・。まず、税関申告書2枚を詳細に記入しなければなりません。私は旅行会社勤務時代、このウズベキスタンの税関申告書を年に数百枚記入していました。ツアーに参加するお客さんのものです。おかげで、サラサラっと書類を書き上げ、税関の役人のところへ。ヤル気のなさそうな役人は、私の傍らにある自転車を見て、「銃はあるか?」と一言だけ質問してきました。「もちろん無い!銃や爆弾を運んでたら、重たくって自転車を漕げないよ!」と答えましたが、ウケなかった・・・。ヤル気のないおじさんのおかげで、荷物チェックはありませんでした。まぁ、「荷物を解いて中身を見せろ!」なんて言われても、拒否しますが。銃を持ってるからではなくて、面倒くさいから。

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写真6)この右手の建物がパスポートコントロール&税関。ウズベキスタンは国境施設などの写真撮影を禁止しているので、これは隠し撮り。恒例の国境線を跨いだ写真も取れませんでした。

 税関申告書1枚は返され、出国時まで保管しておかねばなりません。30分ほどで、ウズベキスタンの入国手続きが完了しました。自転車に跨り、ゲートの外へ出ようとすると・・・、あれ!?雨!? 顔に当たった小さな雨粒・・・。あらららら・・・。ウズベキスタンは、雨のスタートになりました。レインコートを取り出し、オレンジの派手なサイクリストが国境の町を走り抜けます。目指すは、フェルガナ地方(盆地)の中心都市・フェルガナ!!

 オシュ~フェルガナの距離は、160kmほど。ハイペースで走り続けねばなりません。ちなみに、フェルガナ地方は、日本の外務省から渡航の注意が出ている地域で、ビシュケクの大使館では、「絶対に行かないで下さい!」と何度も念を押されたような場所です。が!私は走ります。今回の旅は、危ない場所は避けるよう努めていますが、ここは大丈夫と判断したから、走るんです。
 フェルガナ盆地一帯は、イスラーム原理主義的傾向のある宗派が勢力を持っており、その宗派の過激派とウズベキスタン中央政府の間でなにやら色々と問題があってるのです。詳しいことは述べませんが、日本人が巻き込まれた事件もあります。んが!!私は、大丈夫だと自信を持って言えるので、走ります。政治的に不安定な地域が、必ずしも旅行者にとって危険な場所であるとは言い切れません。場所によりけりです。私は、諸々の背景などを認知した上で、走行してるので、お叱りのメールは不要です☆ 

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写真7)空はどぉ~んより・・・。時折、小さな雨が顔を打ちます。

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写真8)午後1時半。ホジャアバードという小さな町のバザールのチャイハナで昼食。金曜日とあって、チャイハナも賑わってました。伝統的な外套を纏ったおじさんばかりで、雰囲気最高☆

 美味しいポロフ(60円)で満たされ、どんより空の下、走行再開。路面は悪くはありません。時速20kmほどで快調に走ります。小さな町を抜けると、広大な畑が広がる田園風景になります。冬場で何も植わってませんが、何の畑であるかは一目瞭然! 綿花です。フェルガナ盆地は、ソ連時代からの大綿花地帯。道路脇の木々に風で飛んだ綿花がくっ付いてるので、すぐに解ります。
 盆地の底には、いくらか起伏があって、ところどころで建ち漕ぎをしながら、ハイスピードをキープ。走行距離が90kmを超えたところで、アンディジャンという大きな街をかすめました。町の中心を迂回するルートを取り、とにかくフェルガナを目指します。

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写真9)走行110kmで後輪がパンク! こんな金属片が刺さってました。丈夫なフェミスファー(タイヤの名前)でも、これは踏み抜いても仕方ないか。

 パンク修理が終わった頃、いよいよ空は重たくなり、しとしとと雨が降る中の走行になりました。フェルガナ盆地の走行は、ある意味で、日本を走っているかのようです。小さな町が連続して続いていました。それもそのはず、フェルガナ盆地は、ウズベキスタンの人口過密地帯。日本並みの人口密度があります。広い綿花畑やリンゴ畑の脇には、小さな集落が点在し、数キロごとに小さな町、数十kmごとに大きな町があります。雨が降ってなければねぇ・・・、いくらか楽しめるんでしょうけど・・・。

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写真10)雨は止まず・・・、道路脇の光景は特に変化もなく・・・、遠くに見えるはずの山々は雲の中・・・。

 最後の50kmは、とにかく無心で走り続け、日没間際になんとかフェルガナに到着しました。走行距離は168kmでした。10時の出発で、かつ、国境越えもあったのに、これだけ走れたのには驚きました。
 取った宿は、町の中心にある1泊12ドルの立派なホテル。テレビも冷蔵庫もバスルームも着いてる素敵な部屋に、泥をかぶったバッグを運び込み、冷えた体をシャワーで温め、汚れた装備を洗い、ノートパソコンを開いたところで、エナジー切れ。パソコンを枕元に置いたまま、眠りに落ちていました・・・zzzzZZZZ

怒涛のブログアップエントリー一時中断・・・ 

 3月8日、多大な苦労の末、ウズベキスタンの滞在延長ビザを受け取りました。これで、ようやく全ての面倒事が片付きました。

 ウズベキスタンを出国する用意は全て整いましたが、気合十分だったブログアップの作業は、思っていたほど進みませんでした。すでに20件ほどのエピソードをアップロード済みですが、これらは時系列がバラバラ。主に、2月のエピソードです。まだ1月のエピソードをアップしていないので、先に2月のモノを紹介してしまうと・・・、読む人も私自身も時間の流れや旅のルートが解らなくなってしまうと思います。

 この2ヶ月、エントリーがあったりなかったりで、ブログの訪問者が減ってやしないかと心配していますが・・・。


 3月15日のイラン・マシャド到着まで、ブログの更新は一時中断します。イランは私にとって、勝手知ったる国!落ち着ける環境で、じっくり作業に専念することにします。


 3月10~14日はトルクメニスタン大横断です。秘密に満ちた国を楽しみたいと思います。

中国終了 

 長い中国滞在でした。

 2005年12月20日、中国北東部・河北省・秦皇島より中国の旅は始まり・・・
 北京、鄭州、西安、長沙、広州を経て、香港に至ったのが、2月18日。初めの中国(本土)滞在は丸2ヶ月間でした。

 2006年3月3日、マカオより、中国(本土)の珠海へ。広東省と広西壮族自治区を西進し・・・
 友誼関からベトナムへ抜けたのが、3月13日。この2度目の滞在は、11日間でした。

 2006年6月2日、ベトナム北部のラオカイより、三度中国へ。
 雲南省の山々を越え、チベット高原を4ヶ月かけて大横断し、新疆ウイグル自治区・カシュガルでは47泊の大沈没!
 この3度目の滞在が、最も長く、約7ヶ月。


 合計3度の滞在で、10ヶ月以上の滞在となりました。


 とはいえ、中国人の中国、つまり漢民族の土地は、4ヶ月程しか滞在していません。残りは、チベット人の土地に4ヶ月間、ウイグル人の土地に2ヶ月間です。
 それぞれの土地は、異なる風土と歴史・文化を持っていますが、全く異なる世界ではありません。全てを中国という範囲に収めてしまえるのです。中国は、恐ろしく多様性に富んだ国であり、かつ、恐ろしく画一的な国。だから、面白いんですよね☆

 周囲の旅行者の声を聞いていると、中国を旅して、中国を『好きになった』、『嫌いになった』の大きく二分されます。これはインドなんかもそうですが、強烈なインパクトのある国なので、それが大好きになるか?大嫌いになるか?ってことでしょう。私は、大好きになりました。

 中国の良いところ) 食事が美味い! 宿に困らない! 言葉にあまり困らない! 山あり谷あり砂漠あり! インターネットが安い! モノが豊富! 中国人は優しい!
 中国の嫌なところ) バカヤロウはもう聞き飽きた・・・ トイレが不衛生・・・ 唾や痰を吐き過ぎ・・・ センスの悪い観光施設・・・ チベット問題&ウイグル問題・・・

 以上の諸々をミックスしても、好きと言うに十分な良さが残ります。また、中国を旅することがあったら、その時は、中国史について詳しく勉強してからにしようと思います。そうすれば、もっともっと楽しめることでしょう。

 中国良いとこ、恐れずにおいでませ☆

★怒涛のブログアップは3月15日ぐらいまで★ 

 現在地は、ウズベキスタン南部のブハラです。

 2月26日に申請を済ませたウズベキスタンのビザ延長ですが、新しいビザの受け取りは、まだ1週間も先なので、ブハラでのんびりすることにしました。
 忙しく移動すれば、北西部のヒヴァも訪れることができますが・・・、忙しいのは嫌なのでやめました。この1カ月、とにかく慌しく移動を続けてきました。連載関連や大事なメール連絡なども後回しになっていて、自転車のメンテナンスも長らくしていない・・・、体にもガタが出始めていたという
空中分解寸前の強行ランだったので、今回のビザ待ちは、良い休憩になります。4~5日は、ブハラでのんびりです。

タシケント観光 

 タシケントには、2月5日から8日までの3泊4日、2月18日から20日までの2泊3日、更に2月26日から27日と合計で7泊もしましたが、あまり観光らしい観光はしていません。
 この中央アジア最大の街には、他のウズベキスタンの有名な都市(例えばサマルカンドやブハラ)のような古いイスラーム建築は少なく、ヨーロッパ的・ロシア的な街が延々と広がっています。

 目に留まるのは、100年ぐらい前の帝政ロシア時代の建物や、50年ぐらい前のソ連時代の建物が多いかな?ウズベキスタンで、最もウズベキスタンらしくない、近代的な街です。 あまり観光してませんので、訪れた数少ないタシケントの町並みや観光名所をご紹介しましょう。

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写真1)タシケントには、緑が多い
 ソ連時代の計画都市設計のおかげ?公園や並木道の木々は、全て葉が落ちてますけど。この写真は、本の露店街。ロシア語、ウズベク語の本に混じって、英語の本も目にしました。

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写真2)チョロスーバザール
 大都市タシケントで一番大きなバザール。旧市街にあり、タシケントでは比較的“ウズベキスタンらしい”ところ。イスラーム帽を被ったおじさんや、ショールを纏った女性が目に付く。巨大なバザールには、衣料品、食料品を中心に、何でも売ってる!

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写真3)独立広場の『変な玉』
 旧レーニン広場の真ん中、かつてレーニン像が立っていた台座に、巨大な金属製の玉が乗っています。表面には、ウズベキスタンの国土が描かれてるけど・・・、何を表しているんだろう・・・?市民にも不人気なタシケントの名物の1つ。

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写真4)ウズベキスタン民族歴史博物館のガンダーラ仏
 歴史的建造物は少ない街ですが、歴史的価値の高い遺物は沢山あります。歴史民族博物館で、私が最も見入ってしまった展示品です。ウズベキスタン南部のテルメズという街の遺跡から出土した仏像。中央が仏陀で、両サイドが修行僧。仏教は、中央アジアでも2世紀頃に栄え、アラブの侵入以降も、細々と信仰されていたようです。今では、完全に消え去ってしまっていますが・・・、地面の下には、まだ仏像が沢山埋まってるんです。

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写真5)ナヴォーイー記念オペラ・バレエ劇場
 中心部にある劇場。タシケント市内には、他にも数箇所このような立派な劇場がありますが、ここが有名なのは、日本人が建設に参加しているから。建物の北側の外壁に、以下のような碑文があります。
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 1945年から1946年にかけて
 極東から強制移送された        
 数百名の日本国民が、
 このアリシェル・ナヴォーイ名称劇場の
 建設に参加し、その完成に貢献した。
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 ということなんです。この劇場の建設の為に、シベリア抑留中の旧日本軍兵士が、数百名動員されたとのこと。日本人が造ったからか?1966年の大地震でも、ビクともしなかったんだとか。

 写真はありませんが・・・。地上を歩いても見えないところに、人気の観光地があります。それは、地下鉄!!中央アジア唯一のタシケントの地下鉄。今、3路線あるのかな?それぞれの駅ホームは、とても凝った装飾が施されていて、宮殿のようなものから、現代アート美術館のようなものも。清掃も行き届いているので、ピカピカです。
 残念なことに・・・、地下鉄ホーム内は、写真撮影禁止。ホームにいる警察官が、かな~りストイックに、写真を撮りそうな観光客を監視しています。なぜかというと、旧ソ連圏の地下鉄は、どこもそうですが、地下鉄構内が、『核シェルター』として使えるように建設されているから。軍事機密って訳です。しかし、ウズベキスタンを核攻撃するような国がどこにあるんでしょう?あの将軍様も、ウズベクを攻撃しようとは思わんでしょう??

 大都会タシケントには、大都会ならではの楽しみ方があります。芸術に関しては、中央アジア一の中心!!沢山ある劇場では、週末を中心にオペラやバレエが絶えず上演されています。私も1回ぐらいバレエを見に行こうと思ってたんですけど・・・、公演日にことごとく合わず、結局見に行けませんでした。残念!!

 1週間~1ヶ月ぐらいの短期でウズベキスタンを訪れる人の中には、「タシケントは見る価値なし」なんて言う人もいますが、時間が許すなら、数日滞在する価値はありますよ。サマルカンド、ブハラ、ヒヴァとは違う魅力がある街なのです★
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