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ほら、たまにあるでしょう? 

 バンコク到着間際の列車の中で、2ヶ月前、香港で会った池田さんという方に再会した話しはこちら→http://whereiskokoro.blog34.fc2.com/blog-entry-238.html

 こういう再会って、たまにありませんか?私は、過去に何度かあるんですよ。

 「いやぁ~、世界って狭いもんですねぇ~・・・」


入江君の場合
出会い----1998年9月初旬。ギリシア、エーゲ海に浮かぶサモス島で。その時、他に2人の日本人旅行者がいて、一緒にウニを採って食べました。2時間程度一緒にいただけだったので、名前までは聞きませんでした。お互いに大学生で、夏休みの旅行中でした。
再会----1999年9月中旬。イタリア、ローマのゲストハウスで。学生の旅行シーズンで、宿には沢山日本人の若者がいました。ハウスのダイニングで語らっているところに、彼が現れました。私は、この時大学休学1年目で、ヨーロッパを周ってたところ。彼は、夏休みの旅行中。
 入「あれっ・・・?もしかして、君、去年の今頃、ギリシアにいなかった?」 心「えっ・・・?いましたけど?」 入「ウニ食べたでしょ!?」 心「あっ!あっ!!あ~!!!食べた!あの時の!!」


好井さん(ナオさん、女性)の場合
出会い----2000年7月。エジプト、ルクソールとカイロで。ルクソールの宿で出会い、一緒にデンデラという遺跡に行きました。この時、もう1人日本人女性がいました。私の名前を聞き、「心っていうん?私の幼馴染も『こころ』ちゃんよ。女の子やけどね。」という会話を覚えています。私は大学休学2年目、中東・北アフリカを回っていました。彼女は、仕事を辞めて次の仕事を始めるまでの短期旅行中。
再会----2001年3月。タイ、バンコクで。バックパッカー街・カオサン通りの路上でばったりと!私は、初めて好井さんに会ってから、ユーラシア大陸を西に西に旅して、最後の滞在国となったタイでノンビリしていました。彼女は、エジプト旅行以降、日本でまた働き始め、タイへは幼馴染の友達と短期旅行中。
 心「いや~、偶然ですねぇ~」 好「ほんまに、偶然やねぇ~。あっ、そうそう、この子、この子が心ちゃん。」 心さん(好井さんの幼馴染)「あっ、心です。」 心(私)「あっはい、私も、心です。」


西村さん(男性)の場合
出会い----あれ?98年夏?99年夏?2000年夏?いつだったっけ・・・?多分・・・、2000年の夏です。イスタンブールの日本人宿・コンヤペンションで一緒でした。私は大学休学2年目。北アフリカから北上して、イスタンブールに至ったところでした。彼は、大学の夏休み中。
再会----2001年3月、これまた、タイ・バンコクのカオサン通りで、ばったりと!!私は、イスタンブールから半年かけて、ユーラシア大陸を渡ってきたところ。彼は、恋人と大学の卒業旅行中。
西「あれ?心君!!」 心「はい?」 西「あっ、西村だよ。イスタンで会った!」 心「あぁ~あ~!はい!!えっ!?何で?西村さんもユーラシア横断でしたっけ?」 西「卒業旅行だよ。あっ、この子、彼女。」 心「あっ、どうも、心です。いや~、しかし、よく私だって判りましたねぇ~。」 西「その坊主頭でね。変わらないねぇ~」


 とまぁ、覚えているだけでこんな感じです。お互いに1年2年の長期旅行者同士だった場合、ルート(西→東、東→西、北→南、南→北)が一緒であれば、数週間後に再会したり、数ヵ月後に再会したり、なんてことはよくあります。
 もちろん、Emailなどで、連絡を取り合っていれば、世界中どこででも再会を果たすことができます。でも、入江くん、好井さん、西村さん、池田さんは、全く連絡取らずに、偶然再会しました。

 けっこうあるんですよね、こういう奇遇って。

 これから先も、思いもよらぬ再会があるんでしょうね。楽しみ!
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町の有名人 

土埃の舞うスーク、私が立ち止まるとすぐに人だかりができた。
2000年6月、スーダン・ゲダレフの町。

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 『それだけ色んな国に行ってて、一番好きなのはどこ?』という質問をよく受ける。難しい・・・、沢山好きな国はある。もっと具体的な質問をしてくれると答えやすい。もし、『北アフリカではどこが好き?』と聞かれたら、「スーダン」答える。

 アフリカで最大の国土を持つ国、エジプトの南に位置し、深い歴史を持つ国であるが・・・、日本人には馴染みが薄い。日本で耳にするスーダンのニュースと言えば、今なお続く内戦の話ぐらいか。

 スーダンを訪れる外国人観光客は殆どいない。それだけに、たまに外国人が訪れようものなら、大変な騒ぎになることもある。
 ゲダレフは、東部の小さな町。スーダンからエチオピアへ抜けるルート上にある。時々バックパッカーが通過することはあっても、私のように数日間滞在する者は稀らしい。

 土埃舞うスーク(市場)を歩く。色鮮やかな野菜、山積みされた穀物、乾燥デーツ、鶏、ヤギ、日用雑貨、えとせとら。ちょうど、預言者の聖誕祭(マウリード・ン・ナビー)の前後であった為、近郊からの買い物客も多く、スークはいつも以上の賑わいを見せていた。
 そんなスークで、人が集まるところには必ず私がいた。正確に言うと、店主が「お茶飲んでいけよ!」と、私を引きずり込んだ店の周り。あれよあれよと人が集まり、店主はさも古くからの友人のように、私を皆に紹介する。

 「日本人だってよ!」
 「一昨日この町に来たんだってよ!」
 「22歳だってよ!!」
 「俺がお茶をご馳走してるところだ!」 ってな感じかな・・・

 見物人たちを写真に収めた。良く見ると様々な顔立ちがある。アラブ系とアフリカ系、アフリカ系は更にいくつかの部族に分けられる。皆、笑っている。なんてったって、外人を見たんだからね!家に帰ったら、家族に自慢するんだろうな。

 「ねぇねぇ!俺さぁ、今日、市場で日本人見たんだよ!日本人!!」

 翌日、町を歩くと多くの人が私のことを知っていた。その更に翌日になると、名前まで知っていた。すっかり有名人である。

空が燃えた日 

燃えた・・・?そう、やはり燃えたが最も適当な表現だろう。
2001年2月、バングラディシュ南東部の町・コックスバザール(COX'S BAZAR)

20051112010015.jpg


 緑地に赤い丸、バングラディシュの国旗は、緑豊かなその国土を見事に表している。山の無いこの国では、緑の地平線から昇った太陽は、再び緑の地平線に消える。

 コックスバザールは、バングラディシュ人のビーチリゾート。リゾートといっても、そこに外国人の姿はなく、比較的裕福なバングラ人が集まる町。そもそも、バングラディシュで外国人観光客に遭遇すること自体が稀である。
 町の西には、ベンガル湾が広がっており、バングラディシュでは珍しく、海に沈む夕日を見ることができる。毎日夕方ともなると、多くのリゾート客が海岸に出て、真っ赤な太陽を見送る。

 その日もいつものように、夕暮れ時の散歩に行こうと部屋を出たが・・・、何かがおかしい。屋外にある全てがオレンジ色に溶けていた。

 椰子の木も、車も、売店も、田畑も、町行く人々も、全て。

 見上げると空全体がオレンジ色に染まっていた。オレンジ色・・・?いや、茜色?セピア色?なんとも形容し難い色、空そのものが燃え盛る炎のようだった。
 私を含め、町の人々全てが静かに空を見上げていた。そんな中、ある老人の言葉がポツリとこぼした言葉が心に響いた。

「アル・ハンブレッラー!」

『アッラーの御心によりて」とでも訳そうか。つまり、神に感謝を表すときの言葉である。これより以前、そしてこれ以降、このような美しい夕日は見ていない。アッラーが見せてくれた最上の夕景だった。

グルジアの少女 

美しいグルジアの少女。彼女の名前はタムナ。コーカサス山脈山間の町・メスティアで暮らす。当時14歳。
タムナ


2000年9月 グルジア・スワネティ地方・メスティアの町

 日本を出て5ヶ月、北アフリカ・中近東を旅し、夏の終わりにグルジアまでやってきた。なんとも居心地の良いグルジアの首都トビリシで2週間を過ごし、そこで知り合ったトビリシ在住の日本人・ジローさんと一緒に、伝統的家屋と伝統文化が色濃く残るスワネティ地方にショートトリップに出かけた。

 メスティアは、スワネティ地方の中心とされているが、町は閑散とした空気が漂い、どこか寂しい感じ。そんな町で英語教師をするニノさんの娘がタムナ。

 お宿はそのニノさんの家。停電の夜、ロウソクの灯りの中で、ウォツカを飲みながらの賑やかな晩餐となった。ニコニコしながら大人たちの赤ら顔を眺めていたタムナが、部屋からギターを持ってきて、古くから唄われてきた曲を数曲歌ってくれた。

 様々な言語が存在するグルジア、私にはタムナの歌が何語かすら解らなかったが、幸いにしてジローさんが通訳してくれたので、何に関する唄であったかは知ることができた。

 もっとも印象に残るのは、若者が貧しい故郷を離れ都会へ働きに出る歌。タムナの哀愁を誘う歌声が今でも耳に残っている。

 あれから5年、タムナは19歳になっている。今もあの町に暮らしているのだろうか・・・
 
 
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