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『地球みちばた見聞録』 連載終了のお知らせ 

2009年5月24日 3年5ヶ月のご愛読、ありがとうございました。

 西日本新聞社で連載しておりました、私の旅行記『地球みちばた見聞録』が、本日の掲載をもちまして連載終了となりました。

 連載開始は、2006年1月。自転車世界一周の旅立ちから、1ヵ月後のことでした。あれから、3年と5ヶ月。隔週連載で、80話の旅の物語と、4回の番外編を紹介してきました。

 ネット上からもご覧いただけます。
  → 『地球みちばた見聞録/番外編4(完)』

 西日本新聞社のウェブ紙面上から、過去の全連載をご覧いただけます。(上記リンク先を開き、下の方にスクロールして下さい)


 2週間に1度ということで、西日本新聞購読者の方であっても、毎回見逃さずに読み続けることは難しかったかと思います。今一度、私の旅の物語を振り返って頂ければ幸いです。

 3年5ヶ月間のご愛読、誠にありがとうございました。今後、旅ライター・伊東心は、新たな活動の場所を開拓していきます。新しい連載が決まりましたら、お知らせします。

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地球みちばた見聞録/第31回 

2007年4月12日掲載(西日本新聞にて)

家族40人で祝う正月

サラグス ― マシャド (イラン)


 イラン最大の聖地マシャドは、休暇を利用した巡礼者であふれ返っていました。3月21日から始まるイラン正月「ノウ・ルーズ」。混雑を承知の上でやってきましたが、甘かった。数百軒あるホテルはどこも満室。探し回った末にたどり着いたのは、改装中のホテルの管理人室でした。
 住んでいるのは経営者のアジ・ムラディさん(54)と妻ザハロウさん、そして2男から5男までの息子たち。私を家族のように扱ってくれ、夜はアジさんと末っ子ムスタファと枕を並べて眠ります。
 正月3日目(3月23日)、ザハロウさんの父で一族の長老ヤドラーさんを訪ねました。丘陵地帯の美しい農村にある長老宅では、次々に集まった親類から、握手や両ほおを寄せ合うあいさつで迎えれます。もちろん、身内でない私の体に触れるのは男性だけです。
 紅茶とナッツ、そして甘いクッキーを食べながら、ムスタファが皆を紹介してくれました。「伯父さんのムハンマッドに、その息子のハミッド。アシュラフとホセイネはいとこ。その隣がファティマとジャバッド兄弟。あの子らは、メヘディ兄ちゃんの子供でアミールレザーとアリレザー・・・」って、40人もいれば誰が誰やら分かりません!
 全員がそろったところで、居間の真ん中に大きなシートが広げられ、女性総出で調理したホレシュ(青菜と肉の煮物)をベレンジ(ピラフ)が並びました。全員が車座になっての会食です。
 「ココロ!もっと食べなさい!」遠くから、ザハロウ母さんの声が飛び、一堂大笑い。おしい料理と笑顔で満腹になったころ、私はほぼ全員の名前を言えるようになっていました。
 イランはどこも大家族。核家族化が進んだ日本では見られなくなりつつある家族の姿がここにはあります。深くて温かいきずなを感じました。

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掲載写真)アジアさんのおい・ハミッドさん(下)はひょうきん者。お馬さんごっこでその背中に乗った子どもたちは大喜びだった。
 (追記)左から順に、アミールレザー(2)、アリレザー(2)、イリオス(3)、ファティマ(5)、マァエデ(6)。アミールレザー・アリレザーは、ムラディ家長男メヘディの双子の息子たち。マァエデも同じくムラディ家長女マリアンの娘。イリオスは、ザハロウさんの甥の子ども(?) ファティマは、ザハロウさんの妹の娘。

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関連写真1)ヤドラーさんの家の屋根の上で。ムラディ家4男のマスゥード(左)と従兄弟のホセイン。夕立の後、キレイな虹が出た。

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関連写真2)ベレンジを調理中のザハロウ母さんの妹さんたち。

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関連写真3)一族揃っての食事会風景。女性は奥に固まって座ってます。

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関連写真4)男たちばかりで集合写真。これで集まった家族の半分以下です。

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地図)サラグス ― マシャド (イラン)

地球みちばた見聞録 / 第30回 

2007年4月5日掲載(西日本新聞にて)

砂漠地帯で激しく消耗

サマルカンド(ウズベキスタン) ― サラグス(イラン)


 走れど走れど砂の大地は続きます。通過査証で入国したトルクメニスタンは五日間で抜けねばなりません。
 三月のカラクム砂漠には、夏のような日射しが照り付けていました。冷たいコーラが飲みたい…。しかし私には金銭的余裕がありません。入国時、計算ミスと勘違いから、現地通貨・トルクメン・マナトへの両替が不十分だったのです。気がついた時は、すでに砂漠のど真ん中。
 倹約のため通過した村の井戸から給水し、食事はパンとはちみつだけ。馬力が出るはずもなく、三日目、世界遺産「メルヴ遺跡」があるバイラマリーに到着したときには、体力は限界に達していました。
 駅前の食堂宿に入るとすぐに深い眠りに落ち、目覚めたのは深夜でした。心配そうな顔をした宿の主人アタシュさん(32)と、流ちょうな英語を話す男性が傍らに座っています。「おいが『夕方やって来た日本人が病気だから、具合を聞きに来てくれ』と言うんだよ」。アタシュさんのおじは英語教師でした。
 おじさんを通訳に交えて旅路を説明していると、部屋中に響く大きなおなかの音!私の空腹を察したアタシュさんは、食堂から温かいスープとパン、山盛りのお菓子を持ってきてくれました。
 「あの砂漠を越えてきたんだ、そりゃ疲れるさ。食べて 食べて」。勧められるまま、すべてペロリと平らげる私に、二人はにっこり。翌日の昼食は、羊肉とタマネギを厚手の皮で包み、釜で焼いた自慢のサモサでした。たっぷりとごちそうになり、出発の時を迎えました。
 三食付けてもらったのに、お代は宿泊料だけ。満足な謝礼をできないことを恥ずかしく思うとともに、温かいもてなしに胸が一杯です。
 この五日間で五百80kmを走り抜き、査証の期限内でなんとかイランに入国。乾きと貧しさで、ギリギリの毎日でした。

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掲載写真)バイラマリーのバザールでは、珍しい外国人(私)に女性たちが大騒ぎ、商品のクッキーを手に、写真を撮るようにせがまれた。

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関連写真1)アタシュさんと奥さん。

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関連写真2)どこまでも続くカラクム砂漠の一本道。ラクダに注意△

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関連写真3)メルブ遺跡に残る、居城・大クズカラ。紀元前から、有力者の居城として使われてきた大きな建物。


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関連写真4)アタシュさんの店・自慢のサモサ。

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地図)サマルカンド(ウズベキスタン) ~ サラグス(イラン)


地球みちばた見聞録 / 第29回 

2007年3月27日掲載(西日本新聞にて)

絹の道、祈りに守られて

ホジャンド(タジキスタン) ― サマルカンド(ウズベキスタン)


 「ココォ!」
 ウズベキスタンの古都サマルカンド。通りの向こうから、男性が笑顔で駆け寄ってきました。
 「バザ・・・、バザルバイさん!」私も笑顔で迎えます。通りでいつも出会う彼は、5日前に私が教えた自分のニックネーム「ココ」を覚えていました。私の方はうろ覚えでしたが。
 この52歳の陽気なおじさんは、いつもマシンガンのように話します。「何?今からたつのか?ではお祈りをしよう」。そしてムスリムの彼は、いつもその場で私の旅の安全を祈ってくれるのです。
 私も一緒に、両手のひらを腕の前に出し、顔に向けて構えます。タジク語とアラビア語での祈りが始まりました。ウズベキスタンで最も有名な都市・サマルカンドの住民の大半がタジク人だということはあまり知られていません。長いお祈りの最後は、両手で顔を拭うような動作と「アッラーフ・アクバル」(アッラーは偉大なり)で締めくくられます。この国では、各地でこのお祈りをしてもらいました。
 別れに際し、彼は自分の小さな帽子を私に差し出しました。ムスリム帽です!実は私、民族帽子の収集家。福岡の実家には、数十個の帽子やターバンが眠っています。
 帽子を私にかぶせた彼は「ラー・イラーハ・イッラッラー」(アラーのほかに神はなし)と唱え、私にも復唱を求めました。これはイスラムの教えに従うことを誓う信仰告白。私は改宗する気はありませんが、真剣な彼のため、一緒に唱え続けました。
 すべてを終えると彼は満面の笑みで言いました。「これで大丈夫。アッラーが守ってくれるからな」。長い歴史の中で常にシルクロードの要衝だったこの街で触れた、暖かい人々の厚い信仰。多くの人の祈りと彼がくれた帽子のおかげで、私は安全なシルクロードの旅を続けています。

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掲載写真)信仰厚いムスリムのバザルバイさん。会うたびに、私の旅の安全を祈ってくれた。

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関連写真1)バザールで買い物帰りのバザルバイさんと奥さんと孫娘たち。皆、私が理解してようがしてまいが、お構いなしに話しかけてきてくれる。

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関連写真2)バザールで女性用のウズベク族の伝統的な帽子を売る女性。

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関連写真3)バザルバイさんに貰った毛糸製のムスリム帽を被った私。
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地図)ホジャンド(タジキスタン) ― サマルカンド(ウズベキスタン)

地球みちばた見聞録 / 第28回 

2007年3月13日掲載

客人をウオツカの言い訳に

ビシュケク(キルギス) ― ホジャンド(タジキスタン)


 昨年末、トラブルのためにキルギス南部の山岳地帯の走行を断念していました。
 「大陸の端から端まで自転車で走る」のが私の旅。中国国境手前の検問所からオシュまで250kmを走る“リベンジ”に挑み、完遂しました。
 勢いを増した自転車は、8カ国目のウズベキスタンへ。暖冬の影響で雪はなく、雨の中の走行が続きましたが、数日後には、9カ国目のタジキスタンに至りました。ところがその後間もなく、走りに異変が生じました。冷たい雨に風邪を引いていたのです。
 田園地帯をフラフラと走り続け、野宿を考え始めた夕暮れ時、幸いにも『チャイハナ』を見つけました。食堂のことですが、田舎では簡易宿泊所も兼ねます。
 タジク通貨へ両替前だったため“無一文”でしたが、オーナーのバフロムさん(33)は歓迎してくれました。「お金?そんなのいらないよ!」。旅人をもてなすのがタジク人の美徳。
 お茶と羊肉たっぷりのスープで体が温まると、ウオツカの瓶を抱えたバフロムさんが現れました。「さぁさぁ!」。小さなグラスで一気に飲み干す。ソ連時代にロシアから入った習慣です。もてなしというよりも、むしろ彼のお酒に付き合わされているような感じ・・・。
 信心深いムスリムである彼の父が姿を見せると、バフロムさんは慌てて瓶を隠しました。イスラム教で飲酒は悪習。父は息子をジッと見据えましたが、すぐに笑顔で私と握手を交わしました。やはり、私が酒の言い訳になっているようです。
 父が去ると酒盛り再開。私は6杯目で倒れました。高熱に深酒が重なれば当然です。心配げなバフロムさんの顔だけが記憶に残っています。
 翌朝、お礼に買い物の荷物持ちを買って出ました。田舎町のバザールでパン30枚とお米5kgを購入。バフロムさんは、ウオツカの瓶を手に取っています。私の視線に気がつくと静かに瓶を置き、苦笑いを浮かべました。

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掲載写真)手厚くもてなしてくれたバフロムさん(左から2人目)。3人の息子たちが、ウエイターとしていろいろな食べ物をもってきてくれた。

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関連写真1)買い出しに行ったのは、キスタコスのバザール。国境が複雑に入り組むタジク北部、バザールには、タジク人、ウズベク人、キルギス人、ロシア人様々な住民が集まる。

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関連写真2)キスタコスのバザールにて。野菜を売る女性たち。

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関連写真3)出発前、お世話になったチャイハナの一家と記念撮影。下・左から2人目が、厳格なお父さん。

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地図)ビシュケク(キルギス)~ホジャンド(タジキスタン)
 とてもややこしい移動をしていたので、説明も解り難いかと思いますが・・・
 

地球みちばた見聞録 / 第27回 

2007年2月27日掲載

馬レンタルは1分9円

ビシュケク(キルギス)滞在中


 「今日、私たちはスキーに行きます!」
 ビデオカメラに向かって、キルギス国立大学のヌルスルー先生が流ちょうな日本語で語りかけます。大騒ぎの先生たちを載せ、バスは、ビシュケク郊外に向かいます。
 同大学で日本語を教えている「さくらゲストハウス」宿のオーナー、疋田良陽さん(34)に誘われ、同僚の先生たちと冬のピクニックに出かけました。
 快晴の空の下、到着したのはスキー場ではなく、なだらかな丘陵地。大きなトラックのタイヤチューブに乗った人たちが、純白の斜面を猛スピードで滑り降りてきます。
 「コレは日本語で、何と言いますか?」。ヌルスルー先生は興味津々。「そ・り・あ・そ・び、です」と教えて早速、チューブを借りて斜面へ飛び出しました。ジェットコースター並の猛烈な勢い!
 100mほど滑降し、コブに差し掛かると体が宙に浮き、斜面に投げ出されてしまいました。
 痛いけど、スリル満点。先生たちは20代中ごろの若い先生ばかりで、みな子どものように大はしゃぎです。傷むお尻をさすりながら日本語と英語、ペルシャ語、そしてアラビア語の先生たちと談笑していると、目の前に一頭の馬が現れました。乗っていたのはヌルスルー先生です。
 「斜面を登るのが大変だから借りました」。行楽地に馬のレンタルがあるのが、何とも遊牧の歴史豊かなキルギスらしい。賃料はわずか1分間3ソム(約9円)です。
 さらに驚いたのは、彼女の巧みな手綱さばきでした。彼女はビシュケクから離れたキルギス最大の湖、イシククル湖畔の出身。豊かな草原が広がる地方で、馬との付き合いも深いのです。
 「(この旅で)イシククルには行きますか?」とヌルスルー先生が尋ねます。残念ながら、今回はルート外なので行きません。でもいつか夏のイシククルで、緑の草原を自転車で走ってみたいものです。

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掲載写真)抜けるような青空の下、巧みな手綱さばきでレンタル馬を操り、雪の急斜面を登ってきた日本語教師のヌルスルーさん(手前

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関連写真1)こんなところで遊んでました。郊外の丘陵地。

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関連写真2)こんな感じで滑り降ります。猛スピードで転倒すると、その衝撃はとんでもないものです・・・。負傷者続出でした。この写真は、宿のオーナー・疋田さん(後)と、同宿の旅行者・飯田さん(前)。

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関連写真3)皆で記念撮影!

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関連写真4)私も馬を借りました。乗馬は始めてではありませんが、上手く扱えなかった・・・。やっぱり、馬より、自転車の方が私には向いてます。

地図)ビシュケク滞在中

地球みちばた見聞録 / 第26回 

2007年1月23日掲載

オシュ ― ビシュケク (キルギス)

中央アジアで和風の年越し


 自転車をオシュに置き、純白の山道を車で12時間以上揺られて、キルギスの首都・ビシュケクに到着。氷点下10度のいてつく夜、ある場所を目指しました。
 「さくらゲストハウス」。市中心部の住宅街に、こんな名前の宿があります。出迎えてくれたのは、オーナーの疋田良陽さん(34)。会うのは、これが二度目です。
 六年前。旅先のタイ・バンコクで食事をしていた屋台に現れたのが、疋田さんとキルギス人女性のトルクンさんでした。二人はビシュケクで出会い、中国やインドを旅してタイに来てい
ました。
 何より印象的だったのはトルクンさん。私が初めて出会ったキルギス人はどこか日本人のような顔立ちで、この国への興味が深まりました。
 あの後の二人は・・・聞いてビックリ! 旅の最後にキルギスで結婚式を挙げ、疋田さんの両親が住む福岡県福津市で五年間暮らし、半年前にキルギスに戻ってきたそうです。福津で
はスーパーで働いていたというトルクンさんの日本語はやや福岡なまり。キルギス語とロシア語が共通語のこの国で、この屋根の下だけはまるで日本です。
 数年ぶりに日本的な年末年始を過ごしました。年越しそばやお汁粉を楽しみながら、福岡弁で会話をしていると、地元で友人宅に遊びに来ているかのようです。
 「さくら、どうしたと?」。トルクンさんが話し掛けるのはまな娘・さくらちゃん(1つ)。ゲストハウスの名前の由来でもある彼女の姿に、ほおが緩んでしまいます。
 「今年は二階を増築してベッドを増やします。七月には二人目も生まれますし、大変でしょうね」と疋田さん。この時期、客はほとんどいませんが、夏には日本人だけではなく、各国の旅行客であふれ返るそうです。
 お姉ちゃんになったさくらちゃんが、笑顔でお客さんを迎える姿が目に浮かびます。

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掲載写真)ゲストハウスでくつろぐ疋田さん一家。冬場は宿泊客も少なく、一家水入らずの静かな時間が流れている

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関連写真1)大晦日、ロシア風にサウナで一年の垢を落とした後、日本風に年越し蕎麦!! 左から私、角南さん(疋田さんの同僚・日本語教師)、小田切さん(筑波大からの留学生)、さくら、疋田さん。

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関連写真2)新年のカウントダウンは、ビシュケク中心のアラトー広場に花火を見に行きました。

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関連写真3)トルクンさん作・元旦の料理。イスラム教徒の多いキルギスで、豚の角煮が食べれるなんて・・・、幸せ

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オシュ ― ビシュケク (キルギス)

地球みちばた見聞録 / 第25回 

2007年1月9日掲載

カシュガル(中国・新疆ウイグル自治区) ~ オシュ(キルギス)

トラック青年に救われた


 昨年12月末、7カ国目となるキルギスに入りました。国境の検問所で、とんでもないことになりました。詰め所でパスポートのチェックを受けている間に、外にとめた自転車から腕時計やスピードメーター、魔法瓶などを盗まれてしまったのです。まさか国境警備の兵士たちが・・・。
 厳冬期の山岳地帯を走るために必要な装備品を失った私に救いの手を差し伸べてくれたのは、トラックの運転手。中国で仕入れた化繊生地をキルギス第2の都市・オシュへ運ぶついでに乗せてもらうことになりました。
 運転手のマフムードと助手のクアールベクはとても気の良い青年でした。ただ雪道は凍りつき、見るからに滑りやすそうです。彼らの腕を信用するしかありません。ものすごい音をたてるロシア製のエンジンは快調ですが、ブレーキはイマイチ。道中に修理を重ねながらスピードアップ!
 バックミラーに燃えるような夕焼けを見ながら、西へとひた走ります。「きれいな夕焼けだ・・・」と言いかけたところで気が付きました。夕焼けなんかじゃない!ミラーに映っていたのは炎に包まれるトラック後部。あわてて飛び降り、3人で後輪周辺に手桶やバケツで雪をかけます。
 必死の消火活動が実り、30分後にようやく鎮火。炎にさらされたタイヤは問題なさそうでしたが、後輪のブレーキ系統がやられたようです。それでもなんとか30kmを走り、修理ができそうな小さな町に到着しました。
 「ごめんな、今日中にオシュには着けなかった」。マフムードはトラックよりも荷物よりも、私の都合を気にします。そしてすぐに、私と自転車をオシュまで運ぶ仲間を探してくれました。
 2台目は200kmを走り、翌早朝、無事オシュに到着。心優しい青年との出会いと交流が、手痛い思い出を温かいものにしてくれました。

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掲載写真)標高3000m、気温は氷点下10℃。凍てついた高原地帯に、トラックのエンジン音だけが響く

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関連写真1)国境で。中国からの物資を満載したトラック。

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関連写真2)国境で。中国のトラックから、キルギスのトラックに荷物の積み替え。

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関連写真3)マフムードのトラックは、他のと比べても少しボロイ・・・。相棒・自右衛門号は屋根の上。

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関連写真4)運転中のマフムード。英語は全く通じませんが、心でなんとなく会話ができました。

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カシュガル(中国・新疆ウイグル自治区) ~ オシュ(キルギス)

地球みちばた見聞録 / 第24回 

2006年12月26日掲載

カシュガル(新疆ウイグル自治区)滞在中

富士山を目指す砂漠の民


 長い休養でした。1ヵ月半に及んだカシュガル滞在の間に、季節は秋から冬へ。出発を前に部屋で荷物の点検をしていると、ウイグル人の男性が訪ねてきました。
 「知らない人なので、申し訳ないですけど、ちょっと助けて下さい」。流ちょうな日本語!カシュガルで日本人ツアー客相手にガイドをしているアマジャンさん(42)でした。「17年間、日本語ガイドの仕事してますが、今度初めて日本に行きます。でも、ビザの手続きが難しくて」。
 難解な書類に困り果て、助けてくれる日本人を探し歩いていたのです。彼が偶然見つけ出したのが、元旅行会社勤務の私。そういう手続きは大得意です。
 書類を広げ、日本領事館からの手続き案内に眼を通します。なるほど、これは難しい。 2時間かけて、旅行日程表や申請書類を代筆しました。手続きが上手く進めば、1月末には憧れの地、日本に降り立ちます。笑顔の彼は、楽しそうに訪れたい地名を挙げます。
 「東京、埼玉、神戸・・・、大阪では友達に会います。富士山にはぜひ登りたいです」「冬の富士山は簡単には登れませんよ」「私は5千mの天山山脈に登りますよ。富士山は小さいから大丈夫です」
 なるほど、彼にとって富士山はたかだか3776mの“小さな山”。天山の山々へ案内した日本人が口をそろえて富士山の美しさを強調するので、登ってみたいのだそうです。
 「桜は日本の象徴でしょう?春まで滞在するので桜も見たいです」。満開のサクラの下で今日と同じ笑顔を浮かべる彼を想像すると、私までうれしくなってきました。
 「私はこの先数年、日本の桜を見られません。私の分まで楽しんできて下さい」。声をかけると、アマジャンさんは笑顔でうなずき、深々とお辞儀をして去って行きました。

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掲載写真)アマジャンさんお勧めの観光スポット・カシュガルの日曜市に行ってみると、駐車場はロバ車であふれていた。

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関連写真1)日曜市の様子。実は、日曜日以外の曜日もやってます、毎日。しかし、日曜日が圧倒的に多い!人も!露店も!!ロバ車も!!!

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関連写真2)アマジャンさんお勧めの観光スポット。エイティガール寺院。金曜礼拝の後、数千人が門から溢れ出してくる・・・。

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カシュガル(新疆ウイグル自治区)滞在中


『地球みちばた見聞録』連載開始から1年☆ 

 西日本新聞で連載させて頂いている私の旅行記『地球みちばた見聞録』(朝刊・生活面にて、第2第4火曜日掲載。掲載週がずれることもあります)が、連載開始から23回を越え、12月26日掲載の24回目をもって、1年となります。

 隔週・月2本なので、忙しく原稿に取り組んでいるような感覚はありませんが・・・、24本の連載原稿を読み返してみると、『あぁ・・・、けっこう頑張って書いたっけなぁ。』と思えてきます。

 福岡・九州以遠にお住まいの方には、『地球みちばた見聞録』をご覧頂く機会もないかと思い、このブログ上に、新聞記事をそっくりそのまま載せています。すでに公開済みの第1~14回に加え、第15~23回もアップしました。このエントリーの下に、ずらっと23本アップされていますので、ご覧下さいまし。24回目以降の記事は、掲載され次第、追っかけながらアップしていきます。


 さて、今日は、“みちばたでの出会い”が、“地球みちばた見聞録”の記事になるまでの話をご紹介しましょう。

上述の通り、掲載は月に2回。西日本新聞さんの都合で、変則的になったりすることがたまにありますが、原則的に第2・第4火曜日

担当は、社会部の福間記者。お会いしたのは、出発前の4回だけですが、親しみの持てる担当さんです。福間さんの人柄に加え、年齢が近いことと、共にイスラーム通ということもあるでしょうね。この旅の2年目、3年目はイスラーム圏が主な “みちばた” となるので、『福間さんで良かった!』と思える機会が沢山あることでしょう。

原稿が記事になるまでの流れですが・・・。
 ①印象的な人々や光景に出会うと、まず頭の中でエピソードを整理します。自転車で走りながら、口に出して響きの良いフレーズを考えることも。印象的な出会いが多い時は、それぞれ全部、まとまてみます。頭の中でうまくまとまらないものは棄却。 この作業は、常日頃から行っています。
 ②一番良いと思ったエピソードを1つ、PCで文章に起こします。文字数は、だいたい900字前後。一度書きあがった文章は、翌日や翌々日に読み直します。時間を置くと、文章のおかしいところや、もっと良い表現が浮かびやすいでしょう? この作業は、掲載予定日の2~4週間前に行います。
 ③納得いく文章ができたら、インターネットカフェから、担当の福間さんへ原稿(初稿)を送ります。この時、掲載する写真の候補を2~3枚と、移動ルートを記した地図画像、文章からは読み取れない背景の事情や用語の説明等も送っています。原稿(初稿)を送るタイミングは、掲載予定日の10日前~3週間前ぐらい。
 ④当日~数日後、福間さんから、文字数調整をして頂いた『手直し原稿』が返ってきます。いつも文字数オーバー気味の私の原稿(初稿)を短く簡略にしてくれる訳です。②で送った写真の内、どれを使うか?写真のキャプションはどうするか?の提案もあります。更に、文章全体のイメージから、見出しの文章も考えてくれます(写真・写真キャプション・見出しは、初めから私が指定することも)。見出しと写真と写真のキャプションは、この時点でほぼ決まります。
 ⑤手直ししてもらった原稿を読んで、違和感がないかを確認します。文章を縮める為に、別の表現や単語に変わっていることもあり、私が伝えたいニュアンスと若干変わってしまうことがあるからです。違和感のあるところは、適当な表現に戻して、その旨を福間さんにメールで伝えます
 ⑥福間さんから、違和感のある点を再修正した『完成原稿』が返ってきます。私がこの完成原稿に問題がない旨を伝えると、この時点で記事の完成です。まだ微妙な違和感がある場合は、再びその旨をメールで連絡することもあります。

 最終的に原稿が記事として完成するのは、遅くとも掲載日の1週間前。私が山篭りを予定している時や、通信事情が悪い地域に入る前には、早めに原稿のやり取りを行い、掲載日の3~4週間には記事が完成しています。

記事には、『伊東心』の名と、『自転車旅行家』という肩書きを載せて頂いてますが、ブログのアドレスはありませんにもかかわらず、読者さんから、ブログ経由で励ましのメールが届きます。嬉しいですねぇ☆ 返信できないことがあるのが、大変申し訳ないです・・・。頂いたメールの中には、『ところで、“こころ”というのは、本名ですか?』という質問が過去何通かありました。伊東心が本名ですよ!!

自転車旅行家と名乗っている私ですが・・・。当初は、旅行家と自称することに抵抗がありましたが、今では堂々と名乗っています。この旅行によって収入を得ているからです。『地球みちばた見聞録』の原稿収入のおかげで、旅の資金を補うことができていますん?原稿料いくらかって?それは秘密です。私のような貧乏旅行家には、大きな助けになる金額です。


 年明けから、2年目となる連載。この旅が終わるまで続けて、少なくとも92回(22回×4年)、もっといけるようなら、100回突破を目指したいと思います。皆さんも、地球のみちばたをお楽しみ下さい。


 最後に、担当の福間さん、西日本新聞社会部・生活班の皆さん。今後ともよろしくお願いします☆
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