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壷の平原 / サイト2はどこ?? 

 5月21日 壷の平原『ジャール平原』サイト1の見学を済ませ、サイト2へと向かいました。

 サイト1は道路標識もあり、簡単に見つかりましたが、サイト2とサイト3までの道には、道案内の標識がないらしく、地元民に聞きながら探すしか手はありません。
 普通の観光客は、ポーンサヴァンから見学ツアーか3輪タクシーでやって来ます。レンタルバイクやレンタルサイクル(貸し自転車)はありません。好き勝手に走り回られて、不発弾を誘発させたりしないように考えてのことでしょう。

 好き勝手に走り回る、私たちサイクリスト。さて、どうやって行ったらよいのかな?ラオス全土の地図に示された「ジャール平原、サイト1、サイト2、サイト3」の点は、当てになりません。示す範囲が広すぎる・・・。とはいえ、幹線道路の右手にあるのか、左手にあるのかは解ります。なんとなく地図に従って走り、それらしい曲がり角があると、地元民に尋ねる。それを何度か繰り返しながら、20kmほど走りました。舗装道路は、未舗装道路に変わり、小さな田舎道に。どうやら、近くまで来ていることは確かです・・・。

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写真1)どこだぁ~??何も案内がないぞ・・・。地元民の姿もない・・・。

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写真2)おっ!!サイト2の案内標識あるじゃん!!

 道の分岐点にあったのは、ジャール平原サイト2の方角を示す看板。でもコレ・・・?

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写真3)上ですか??

 んなわけないですね。右手の坂を上って行くと、チケット売り場がありました。自転車で現れた私たちに驚き、歓迎する売り場のおじさん。しきりに話しかけてくるのを何とか振り払い、遺跡に入場。ここも5000キップ(55円)なり。

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写真4)壷だぁ~!!

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写真5)サイト2には、木々に埋もれた壷が多く、とても雰囲気が良い。

 サイト2では、1時間ほど壷を愛でましたが、見学者は私たちだけでした。風の音と、時折鳴く蝉の声だけが聞こえていました。神秘的な壷、一体これらはなんだったのでしょう・・・。サイト2でお腹一杯になり、サイト3の捜索は止め、ポーンサヴァンに戻りました。

 壷の平原、不思議な遺跡でした。

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写真6)壷の底から
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壷の平原 / サイト1で壷に入る 

 5月21日 ラオス北東部、ポーンサヴァン郊外にある世界遺産の遺跡、ジャール平原に出かけました。ジャールとは、フランス語で『壷』を意味します。つまり、壷の平原

 あいにくの小雨の中、パトリックと自転車でポーンサヴァンを出発。遺跡は大きく分けて3箇所に点在しており、それら全てを巡ると70kmぐらいの走行になるはずです。荷物を積んでいない自転車では、楽勝の距離です。

 さて、まずは、最寄のサイト1へ。舗装道路を10km程走り、幹線から少し入ったところに入り口がありました。入場料は5000キップ(55円)なり。
 早速見学!!と思ったら、入り口に奇妙な看板。私は過去、これに似た警告をたくさん見たことがありますが、それらとはちょっと違う・・・。地面に引かれた赤い線と、ドクロマークの警告、大抵これは、地雷原であることを意味します。が、ここは『不発弾』です。ベトナム戦争時、ラオスの共産勢力の拠点だったこの地には、米軍による絨毯爆撃が繰り返され、今なお、地面の下には不発弾が埋まったままなのです。

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写真1)警告の看板。今でもMAGという団体が、不発弾の発見作業と処理を行っている。むやみに藪を走り回ると危険です。

 とはいえ、遺跡周辺のクリーニングは、ほぼ完了しているようです。過去の見学者たちが刻んできた散策路を歩いている分には、全く問題ありません。入場して、小高い丘に登ると、おぉ!!壷です!壷!!

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写真2)ね?壷でしょう??

 この壷、巨大なものは2m以上あります。石を刳り貫いて、表面も綺麗に整えられています。一体何に使われていたのか?埋葬用の石棺?穀物の保存用?お酒の保存用?諸説ありますが、正確には解っていません。
 ところで、上の写真、私が入っているの解りますか?この壷が最大のものです。他の壷も、大人が屈んで入るだけのスペースは十分にあります。では、下の写真から、パトリックを探してみて下さい。どこかにいます。


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写真3)さぁ?どこでしょう??


 サイト1では、1時間ほどを過ごしました。雨が上がり、どんよりした空の下、見学者はラオス人グループの10人ほどと、私たち2人だけ。パトリックとは、特に会話をすることなく、静かな遺跡で神秘的な遺跡に浸りました。

 さぁ、次は、サイト2です。

相棒・パトリック 

 5月23日 ラオスの国道6号線の道端で・・・、力強い握手をして、彼との旅が幕を閉じました。

 ポーランド人サイクリスト、パトリック、29歳。私が彼と一緒に走ったのは、ヴァンヴィエン手前30km地点から、ポーンサヴァンの西70kmの温泉まで、約450km。一緒に過ごしたのは、2週間ちょっと。

 この旅で最初の相棒について、あまり説明をしていなかったので、ちょっと紹介しましょう。彼は日本語を解さないので、このブログを開いても何も読めやしませんが、彼のプライベートなことは、可能な限り伏せておきます。

 名前は、パトリックと名乗っていますが、本名はピォートレック。ポーランド語の名前ですが、これを英国風にするとパトリックになるわけです。
 彼は、ポーランドの首都・ワルシャワ郊外の小さな町の出身。芸術家になりたかった彼は、19歳の時、手ぶら同然でロンドンに移住しました。しばらく、路上と友人のフラットで絵を描きながら、極貧生活をしていたらしいのですが、どうも、この時期の話はあまりしたがりませんでした。よほど、苦労の多い生活だったのでしょう。
 結局、絵描きの夢は叶わず、学校に通い始め、看護士の資格を得ました。卒業後、ロンドンの病院で勤務しましたが、この冬に退職。旅を始めたという訳です。

 『アジアを1年で周る』漠然とした旅のスタート直後に、彼の旅の目的が変わりました。『アジアで定住する』初めて訪れたアジアの空気がよっぽど肌にあったのでしょう。ロンドンには戻らず、もちろん、捨てた故郷のポーランドには帰らず、アジアのどこかの国で暮らしたいと考えるようになったのです。

 彼の故郷・ポーランドは、ローマン・カソリックの国です。彼の母親も敬虔なクリスチャン。でも、彼の信仰の対象は『自然の全て』。世界各国に残る土着の精霊信仰や自然信仰に興味があるようです。彼が、東南アジアの人々に心地よい感覚を覚えるのには、そのことが関係あるのかも知れません。

 彼の頭にある未来の安住の地は、日本、中国、韓国、タイ、ラオス、もいずれか。日本人の私としては、日本を勧めますが、彼には日本の大都会は合いそうもありません・・・。

 『日本の田舎は良いよ!あっ、あと、田舎じゃないけど、俺の故郷の福岡は、日本で一番素敵なところだよ。』

 と言っておきました。数年後、私が旅を終えて、帰国する時、福岡で出迎えてくれる人々の中に、パトリックがいるかも知れません。
 って、・・・いないかな?少なくとも、韓国、中国、タイぐらいであれば、私にとっては、近所も同然。簡単に再会が叶うでしょう。ひょうきんだけど、物静かで、いい奴でした。また、会いたいですね。

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写真)パトリックの朝のお祈り。太鼓を叩きながら、大地の精霊に1日の安全をお願いする。どこの国の習慣かは不明・・・。

ラオス~ベトナム国境 / 後編・文章長いよ~ 

5月23日 ベトナム行けないの~!?

続きです)

 慌てて係員を問いただします。ここの国境ポイントは、外国人にも開放されている国際国境です。日本人が通れない訳がない!!

心 「ちょっと!どういうことですか!?ココは外国人も通過できる国境だろう?」
係官「そう、ラオス側は問題がないんだけど・・・。ベトナム側がね・・・。いつも、ここを通る外国人はトラブルになるんだ。君、ベトナムビザを持ってないだろう?」
心 「ビザ?それだったら、日本人はベトナム滞在15日間までは、ビザなしで入国できるんだよ。問題なしだ!」
係官「それがね、ベトナム側ではトラブルなんだよ。こちらじゃ事情は良く解らないから、ベトナム側の施設に行って、彼らから入国の許可を貰っておいで。そしたら、ラオスの出国スタンプを押してあげる。」

 なんのことやら、解りません・・・。この国境は、外国人に解放されてまだ2年ぐらい。公共交通機関も発達してない地域だし、滅多に外国人が通過しないのかも知れません。だから、手続きが良く解っていないのでは・・・?
 まぁ、仕方ない。ラオスの出国スタンプを貰う為に、ベトナム側の施設に移動しました。国境は、谷間を流れる小さな川。そこに架かる橋の正面には、立派なベトナム側の施設が建っています。

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写真)ベトナム側国境ポイント。これはベトナム出国口、つまり、私が入ったのとは反対側の写真です。

 ベトナム側の施設では、自転車で現れた私を大歓迎!軍服姿の人々が私を囲みます。一通り旅の話をした後、本題です。

心 「実は、ラオス側で出国スタンプをまだ貰ってないんだ。彼らは、私がベトナムビザを持ってないからベトナム側の施設で許可を貰って来いっていうんだよ。おかしな話だよね。日本人は、ビザが不要だって知らないのかねぇ?」
係官「ビザがない?ちょっとパスポートを見せなさい・・・・。うん、確かに。・・・・で?チケットは??」
心 「チケット?飛行機のかい?そんなものはないよ。だって、自転車で旅してるんだもの。あんたたちだって、それは見て解るだろう?」
係官「チケットがない?だったら、ダメなんだよ・・・。ちょっと、これを見なさい。」

 あぁ・・・、そういうことか・・・。ベトナムの外務省からのお達し状を示され、ようやく理解できました。

『日本人、韓国人、スウェーデン人、ノルウェー人、○○人、□□人、△△人、は
 以下の用件を満たす場合のみ、ビザなしでの入国が認められる。
 ①入国時点で、パスポートの残存有効期間が、滞在日数+3ヶ月以上あること。
 ②滞在が15日以内であること。
 ③第三国へ出国する為の航空券を提示すること

 はいはいはいはい・・・。確かに、これは、どこの国にもあるルールです。旅行会社で勤めていた私は、このルールに関する情報をトコトン覚えました。あの国は、どうだ。この国は、どうだ。ここは、厳しい。あそこは、アバウト。などなど。
 でもね?ベトナムはそんなに厳しかったかい?そもそも、私は3月中旬に別の国境ポイントで、『第三国に出国する為の航空券』なしで、ベトナム入国を認められているのです・・・。

心 「あなたたちの言い分は、よ~く解ります。私は、航空券など持っていません。あなたたちが、職務に忠実であろうとする姿勢は、尊敬します。でもね?私は、この国境を越えなければならないのです。」
係官「それができないのだよ。君には、『ラオスに戻ってベトナムビザを取ってくる』か、『別の国境を越える』か、その2択しかない。君に入国を許可して、君が15日以内にこの国を出る証拠はないじゃないか?残念だけどね。」
心 「イヤイヤ、そりゃぁないでしょう?第一、私のラオスビザは、今日で切れるんですよ?今から戻っても、今度はラオスに滞在する許可がない。」
係官「それは、君とラオスの問題で、私たちの問題ではない。」
心 「素晴らしいプロ意識ですね・・・。確かに、あなたたちは、入国が許されない外国人を容易に入れる訳にはいかない・・・。よし!あなた方のボスと話をさせて下さい。」
係官「ボスは忙しい。私が伝えるから、言いなさい。どうしようとダメなものはダメだけどね。」

心 「まず、私がベトナムビザを持ってないことは確かです。私は旅行会社に勤めていたので、ビザのルールに関しても知っていました。が!が!が!今回は、特別に許可を頂きたいのです。私は、13日間でベトナムを出国します。次は中国に行くんですよ。中国のビザも持ってます。それと、ここに私の旅を紹介した日本の新聞記事が沢山あります。日本語は読めないでしょうけど、走行予定地図が載ってるから、これをボスに見せて下さい。」

 私と係官の冷静だけど、ギラギラしたせめぎ合い・・・。厳しい目つきの係官は、私のパスポートのみを持って、施設の脇にある小さな小屋に入って行きました。ボスとやらは、昼寝でもしてるのでしょうか?
 長らく待たされました・・・。すっかり体が冷えてしまった。雨は上がっていましたが、乾いているTシャツは、残り1枚しかありません。これを着て、また雨が降ったら・・・、明日着る服がありません。我慢して濡れた服を着続けました。

 待つこと30分!!パスポートを握り締めた係官は、こちらを見て、ニコッとしました。どういう意味?勝利の笑み??

係官「特別に、君に入国を認めよう!」
心 「えっ!?本当??いいの?(当然だろう、長いこと待たせやがって・・・)」

 周りにいた暇そうな係官数名が、一緒に喜んでいます。どうやら、彼らも私を通したかったようです。なんだ・・・、みんな石頭なのかと思ってたら、案外、良い奴らなのね。

 入国の許可を得ました。そうとなれば、まずは、ラオスの出国スタンプです。大急ぎでラオス側の施設に戻ります。許可を得たことを伝えると、出国スタンプをポン!「この前は、韓国人の女の子がヴィエンチャンまで追い返されたんだよ。君はラッキーだね。」とのこと。その韓国人の子は、自転車じゃなかったでしょう?自転車旅は、こういう『特別扱い』があるので、得します。
 再びベトナム側施設へ。慌てていた為、いつもの『国境線上での写真撮影』を忘れてしまいました。まぁ、いいか・・・。ベトナム側係官たちは、『良い奴ら』の顔になってました。税関申告書を書いて、パスポートに入国スタンプを貰いました。

 イェイ!!ベトナム再入国!!意気揚々と自転車で走り出そうとしたら・・・!?

係官「荷物検査するから、ちょっと待ってなさい。先に、このトラックを済ませるから。」
心 「悪いけどね、もう待てないんだよ。特に怪しいものは入ってないよ。麻薬犬も吠えなかっただろう?中に入ってるのは、濡れた衣類と自転車の予備パーツだけだよ!」
係官「決まりなんだよ。待ってなさい。」

 いやいや、待てませんって!!もう5時前ですよ。ここから最寄の町まで、20km以上あるのに、山の中で日が暮れたらどうすんの!?

 ・・・逃げちゃぇ!! 「バイバ~イ!!ありがとう!バイバ~イ!!」

 遠くで係官たちが手を振ってました。あの厳しい係官もいます。なんだ、やっぱり『良い奴ら』だったんだ。

 ベトナム入国!!

ラオス~ベトナム国境 / 前編 

5月23日 ベトナム入国拒否!?

 ラオスを出国する日は、激しい雨でした。前日の朝から降り続いていた雨は、一度も止むことなく振り続けていました。

 ひなびた温泉コテージの朝、朝食は例のレストラン。幸い、ヌードルスープを作ってくれました。2羽目の鶏が犠牲になることはなく、具は野菜のみ。ヌードルスープだけでは食べ足りないので、もち米も注文。もち米、ラオスでは『カオニャオ』と呼びます。普通のお米よりも食べられています(多分)。カオニャオを食べられるのも、これが最後・・・、と思ったら無性に切なくなったので、お弁当代わりにもう一皿頼んで、ビニール袋に入れてもらいました。

 さ、出発です。国道まで、砂利道を走ります。パトリックと走るのは、これが最後です。3kmの砂利道は、あっという間に終わりました。お別れです。

パ「元気でな!気をつけろよ!ポーランド行くなら、知らせてくれよ!」
心「そっちこそ、元気でな!君のアジアでの素晴らしい生活を祈ってるよ!次ぎ会う時も、アジアだな!4~5年後だ!」

パ・心「出会えて良かったよ。」Nice to meet you !


 私は東に。パトリックは西に。さて、3週間ぶりの独り旅です。止まない雨が、いつも以上に大きな音を立ててレインコートのフードを叩いていました。

 国境へは、長い上り坂が続きます。国境線は、川や山の尾根の上を走っていることが多いのです。山がちなラオスです、多分、国境ポイントは、山奥でしょう・・・。
 手持ちのラオス通貨(キップ)は、もうありません。米ドルの1ドル紙幣があったので、それで買い物をしました。水(1ℓ)が3本と瓶コーラ、パンケーキが4個買えます。とても物価の安い国です。
 昼ごはんは抜き。もう米ドルも20ドル紙幣しかありません。1ドル分の昼食を取ったとしても、お釣は、19ドル分のラオス・キップが返ってきます。もう、キップは必要ありません。

 午後3時、68km走り、ようやく国境に到着!まずは、ラオス側の施設で、出国手続きです。

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写真1)ラオスの国境ポスト

 パスポートを出して、ずぶ濡れの体が冷えないように、足踏みしたり、施設の中をウロウロ歩き回ったり・・・。すると、声がかかりました。

 「君は、ヴィエンチャンに戻らなければならないよ。」

 「えぇ~!?」

ラオスで温泉 

5月22日、ラオス最後の夜に温泉に浸かるため、雨の中を走りました。

 ラオスビザは23日に切れます。ポーンサヴァンから国境までは、150kmぐらい。1日では走れません。途中の小さな町で1泊するか?と考えていた頃、相棒のパトリックから意外な情報が!

パ「ヘイ!ココロ!ここに温泉って書いてるぜ!?」
心「おぉん~せぇ~んん~!!??
パ「温泉好きなんだろ?」
心「心から!もう何ヶ月もお湯に浸かってないもん・・・」

 という訳で、決まりです。私は温泉でラオス最後の夜をしみじみと過ごし、ベトナムへ向かうことにしました。パトリックはというと・・・、これ以上東に走ってもUターンする距離が延びるだけの彼、初めは「行かない」と言ってましたが、出発前夜に急に行くと言い出しました。なんだかんだで、彼とは最後まで一緒にラオスを走ることになりました。

 22日は、朝から雨・・・。全く乾いていない洗濯物の山をビニール袋に入れ、重さの増した自転車を漕ぎ出します。レインコートは、完全防水ですが、熱が篭って、汗だか蒸気だか判らない水で、あっという間に内側もビショビショに・・・。でも、脱いで走るには、寒いんですよ。
 しばらく、緩い上り下りが続きましたが、30kmほどで、長いダウンヒルになりました。私は喜びの雄たけび!!Uターンするパトリックは、苦悶の雄たけび・・・。

 標高1000mの高原から400mの盆地に降りて来ました。さて、温泉とはどこにあるのでしょう?地図には、「HOT SPRING(温泉)」とのみ書いてあります。現地名は解りません・・・。距離は、ポーンサヴァンから60~70kmとホテルのおじさんに教えてもらいました。随分アバウトな情報です。地元民を捕まえては、温泉の情報を聞き出します。

パ「このあたりに、温泉があるだろう?どこかな?」
地元民「?? NO! NO!」
心「水!温かい!お風呂!お風呂!グッド!グッド!」
地元民「あぁ~!!10km!こっち!」

 とまぁ、上記の会話は、英語でなされている訳ですが・・・、英語を解する人が少ない地域では、極々簡単な単語を並べて、連想してもらった方が通じ易い場合があります。
 10kmという話ですが、多分、それもアバウトな情報です。とにかく走って、また地元民を捕まえては、少しずつ温泉に近づいて行きます。

 ポーンサヴァンから68km走ったところで、道路脇に「HOT SPRING」の標識を発見!!なんだ・・・、苦労して聞き回ることもなかったな・・・。
 国道から砂利道に入り、走ること3km。それらしいモノが見えてきました。森の中に建つコテージです。コテージが数軒と、レストランらしきモノも。ココだ!!・・・でも、温泉の匂いがしない・・・?

 九州育ちの私には、温泉というと濁っていて、硫黄臭の強いものをイメージします。源泉はまだまだ先なのかな・・・?

 いや、ここでした!


写真1)浴室で~す!!入浴料4000キップ(50円)なり。


写真2)閑散としたレストラン・・・


写真3)コテージは、ベッド8個のファミリー用。2人で8ドルなり。

 降りしきる雨の中、コテージにチェックイン。これが大変だった。滅多に客が来ないのか?手続きがうまく進まない・・・。管理人が誰なのか?近所の人も良くわかってないみたいで、何箇所か建物をたらいまわしにされました。
 なんとか、部屋に入ると、バスルームにも源泉からのお湯が来ているではないですか!?早速、湯船にお湯を張ってみました。初めは温いお湯しか出ませんでしたが、30分ぐらい出しっぱなしにしていたら、38℃ぐらいまで水温が上がりました。でも、これまで、日本の温泉のように熱々の湯船にはなりませんでした。

 
うっはぁ~・・・・・あぁ・・・・ 極楽!極楽!

 長風呂を楽しんで、夕食は雨の中、例の客がいないレストランへ。お客どころか、食材もなかったらしく・・・、庭先を走り回っていた鶏が一羽犠牲になりました。

パ「命を捧げてくれた鶏に感謝します。」
心「同じく。感謝します。」

 ラオス最後夜は、やはりラオスらしい空気の中で更けてゆきました。

ベトナムへ向かいます。 

5月21日、ポーンサヴァン2泊目。

 今日は、謎の巨石壷が転がる『ジャール平原』に行ってきました。もともと観光客の少ない遺跡の上、パトリックと2人、自転車で行った為、遺跡を独占することができました。標高1000mの高原に吹く風は、心地良く、風の音と蝉の声だけが響く、とても神秘的な遺跡でした。

 ジャール平原についての詳しい話は、また今度にしましょう。

 明日21日、この町を出て、ベトナム国境へと向かいます。国境までは、少し距離があるので、2日かけての走行。途中、温泉が湧いてるところがあるらしいので、そこでラオス最後の夜を過ごします。23日には、ベトナム再入国。

 次にネット環境が整っている街は、多分・・・、ハノイですね。ハノイに到着するまで、1週間ぐらいブログの書き込みが止まります。

 ラオス、とても良い国です。また数年後に来るとします。

ポーンサヴァン到着 

 5月20日、『ジャール平原』観光の拠点、ポーンサヴァンに無事到着しました。

 18日、ルアンパバーンから、バスで、ヴィエンチャン方面・ポーンサヴァン方面の分岐点にある・プークーンまで移動。あんなに苦しかった坂道をバスは元気に駆け上っていました。景色は目まぐるしく変わり・・・、思いました。『あぁ、やっぱり、自転車が良いな。』18日はプークーンに宿泊。

 19日、またもや寝坊しました。すっかり6時半起きの習慣がついてしまっています・・・(6時半でも早いといえば早いですけど)。7時半出発!目指すポーンサヴァンは140km先。今回は、あまり無理はせず、2日かけるつもりで、のんびり走りました。
 走り始めの40kmは標高1200~1500mの尾根伝い、短く険しい上り下りが続きました。40~70kmは、長~いダウンヒルと長ぁ~いヒルクライム・・・。下ったら、また上らねばなりません・・・。
 しんどかったのは、1ヶ所だけ。70km以降は、揺るかやな高原地帯に入りました。標高1100mの高原、牛の糞を上手に避けながらの走行。90kmを走り、ノンタン(NONGTANG)という小さな町に宿泊。街灯どころか、午後9時には全ての電気が消える田舎街です。星がきれいでしたよ~☆

 20日、今日です。久しぶりの晴れ。気持ちよいサイクリングでした。この1週間、曇りがちで、時折小雨が降るといった天気が続いていて、「もう雨季に入りかけてるんだなぁ」と思っていましたが、まだ太陽も頑張っているようです。50kmを走りました。

 ポーンサヴァンには、2泊のみの予定です。ここからベトナム国境までは150kmぐらい。2日の距離です。23日にラオスビザが切れてしまうので、22日にはここを出なければ。

 ラオスあと3日間かぁ・・・、もっとのんびりしたいなぁ・・・

バスに乗って・・・ 

 5月18日、ルアンパバーン出発です。これから、バスに自転車乗っけて、プークーンまで戻ります。

 プークーンは、5月10日に宿泊した町。プークーン~ルアンパバーンは、1日で激走してきましたが、同じ道をまた走る気力はありません・・・。厳しい意見には、「全部自転車で走るべきじゃないの?」といった方もいますが・・・、時間と体力の都合ですよ。今回はバスで戻ります。

 さて、今朝は、ルアンパバーン最後の朝でした。托鉢行儀を見ようと、目覚ましを5時にセットして・・・「ピピピッピピピッピピピッ・・・カチッ」って・・・。起きたら6時半!?

 あぁ・・・、結局今回も托鉢見れなかった・・・

 で、朝食を済ませて宿に戻ると・・・、この3日間姿が見えなかったパトリックがいた!
心「おぉ!どこ行ってたんだよ?自転車あるのに、姿がないから不思議に思ってたんだよ。」
パ「ちょっとね・・・、まぁ、その話また後で。ところで、お前今日出るの?」
心「あぁ、10時半か12時半のバスで、プークーンまで行くよ。」
パ「ジャール平原か?俺も行こうと思ってたんだ。また一緒に走ろう!」

 というわけで、また2人で2~3日走ります。プークーン~ポーンサヴァンの国道7号線も、かつては山賊街道と呼ばれたところ。今は取り締まりが厳しい為、問題ないようですが、2人ならばなお、安心!!

 ルアンパバーン、名残惜しいですが・・・。また数年後来ま~す。

世界遺産の町・ルアンパバーン 

 世界遺産の町・ルアンパバーンを写真でちょこっと紹介します。

 ルアンパバーンは、14世紀、ラーンサーン王国の首都(当時はシェントーン)として築かれ、その後、16世紀にヴィエンチャンに遷都以降も、王都としての地位を保ち続けてきた美しい町です。
 異民族の侵攻にさらされた回数が少ない為、今でも古いお寺が多く残ります。その数は80を超えるとか!

 人口5万人ぐらい。これでもラオス第4の都市というのだから・・・、驚き。町の北にメコン川が流れ、周囲は険しい山で囲まれています。

 さて、写真です。

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写真1)町の中心にある小高い丘『プーシーの丘』からの眺め。南側の町並み。


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写真2)メーンストリートに並ぶナイトマーケット(夜市)。
 ここは、ラオス最大の観光地です。観光客向けのナイトマーケット。毎日夕方になると、露天が並び始め、夜には観光客で賑わいます。商品は、周辺の山岳少数民族の織物や民芸品、Tシャツ、などなど。
 このナイトマーケットの特徴は、静かなこと。タイのナイトマーケットのように、CDショップなどが無い為か、音楽などは一切なく、静か~な空気が漂っています。店員さんも積極的な客引きはなく、静か・・・。買い物客は、博物館の陳列物を見るかの如く、落ち着いて買い物ができます。素晴らしい!!無駄な買い物ができないサイクリストの身分ではありますが、実家の家族にお土産を買って、郵便で送りました。


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写真3)お寺とメーンストリート。
 何てお寺かは知りません。お寺の横を歩いていると、10代の若い坊さん(小坊主)から話しかけられることがあります。もちろん英語で。英語を話す坊さんの多さには驚きます。さすが、観光地。学校で習っただけにしては、とても上手に話します。


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写真4)メコン川。貨物船の船積み作業。

 このあたりのメコン川は、川幅300m程でしょうか。けっこう流れは速いようです。水面を走る水の流れがよく見えます。海のないラオスでは、このメコンが最大の交易ルート。良い商品はタイから、安い商品は中国から、船に乗って運ばれてきます。ラオスの農産物も船で運ばれる。
 で、この船は、何か植物の束を沢山積み込んでいました。タバコの葉でもなく、サトウキビでもない、何でしょう?聞いたけど、解りませんでした。積み込みが終わった翌日、中国に向けて出航するそうです。


 ルアンパバーン良かとこ、一度はおいでませ~!
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